ディオファントスは何をした人?業績・墓碑銘の問題・名言|算術・不定方程式・代数の父

ディオファントスは何をした人?業績・墓碑銘の問題・名言|算術・不定方程式・代数の父

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ディオファントスDiophantus

ひとことで言うと

全13巻の『算術』で整数や分数で答えを求める不定方程式を集め、略号で式を書いた「代数の父」。「墓碑銘の問題」(84歳)とフェルマーの余白の書きこみでも有名。

名前アレクサンドリアのディオファントス(Diophantus of Alexandria)
生没年200年ごろ〜284年ごろ(日本語版ウィキペディアでは生年200〜214年、没年284〜298年と推定。はっきりしない)
国古代ギリシャ(ローマ帝国時代のエジプト・アレクサンドリア)
分野代数・数論(整数論)
主な業績『算術』(全13巻)、不定方程式の問題集、略号を使った式、『多角数について』、ピタゴラス数の作り方
名前がつくものディオファントス方程式・ディオファントス近似・ディオファントスの墓碑銘の問題
よばれ方代数の父

このページのポイント

  • 全13巻の『算術』で、整数や分数の答えを求める問題をたくさん集めた。のちにディオファントス方程式(不定方程式)という名前がついた
  • 「一生の6分の1が少年時代……」の墓碑銘の問題の答えは84歳。ただし、実際の墓にきざまれたかどうかは確かめられない
  • フェルマーが『算術』の余白に書いた「驚くべき証明」から、フェルマーの最終定理が生まれた(1994年にワイルズが証明)

ディオファントスは何をした人?(業績をひとことで)

ディオファントス(200年ごろ〜284年ごろ。生没年は不明)は、古代ギリシャ(ローマ帝国時代のエジプト・アレクサンドリア)の数学者です。全13巻の大著『算術』で、整数や分数で答えを求める方程式を、さまざまな問題として集めました。この種類の方程式は、のちにディオファントス方程式(不定方程式)とよばれるようになり、今も整数論の中心的なテーマです。文字(略号)を使って式を書く工夫もしたため、「代数の父」ともよばれます。

受験生にとってのディオファントスは、まず「墓碑銘の問題の人」です。「一生の6分の1が少年時代、12分の1が青年時代、7分の1が……」という有名な文章題は、中学受験の算数でも、高校の方程式でも、よく紹介されます。くわしくは1次不定方程式の解き方(整数解の求め方)や、いもづる算(数の組み合わせで金額を作る)、1次方程式の解き方で確かめられます。

うかるくん

うかるくん

「不定方程式」って、答えが決まらない方程式のことですか?

合格先生

合格先生

近いね。文字が2つ以上あるのに、式が足りないから、答えが1つに決まらないんだ。そこで「整数だけ」「正の数だけ」と条件をつけて、答えをしぼる。ディオファントスは、そういう問題を何十問も集めて、1つずつ解き方を示した人なんだ。

ディオファントス『算術』バシェ訳(1621年)の最初のページ
ディオファントス『算術』(1621年、バシェのギリシャ語・ラテン語対訳版)の第1巻のはじめのページ。ディオファントス本人の肖像は伝わっていないので、本のページを載せました画像:C. G. Bachet訳『算術』(1621年)の複製/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

ディオファントスの生涯と年表

ほとんど何も分かっていない人

ディオファントスは、生涯がほとんど分かっていない数学者です。アレクサンドリアに住んでいた、ということくらいしか確かなことは伝わっていません。日本語版ウィキペディアでは、生まれた年は200〜214年ごろ、亡くなった年は284〜298年ごろと「推定」されています。数学史の資料 MacTutor でも「200年ごろ〜284年ごろ」とされていますが、もっと昔の人だった可能性を指摘する研究者もいます。

前の時代の学者ヒュプシクレスの本を引用していることと、のちの時代のテオンが言及していることから、紀元前2世紀から紀元後4世紀のあいだの人だと考えられています。ただし、これも「とされる」という範囲で、はっきりしたことは言えません。

墓碑銘の問題が教えてくれる「人生」

ディオファントスの人生について、ただ1つ「手がかり」として知られているのが、墓碑銘の問題です。『ギリシャ詞華集』という古代の詩集に、「ディオファントスの墓にきざまれた」という形の数学の問題がのっています。実際に墓にきざまれていたのではなく、数学の問題を詩の形にした遊びだと考えられています。問題を解くと、ディオファントスは84歳まで生きたことになります。

『算術』のゆくえ:数学者たちがつないだ本

『算術』は全13巻でしたが、ギリシャ語で今に伝わるのは6巻、アラビア語の訳で伝わるのは4巻です。ほかの巻は失われました。アレクサンドリアの女性数学者ヒュパティアが注釈(解説)を書いたともいわれますが、はっきりしていません。16世紀にボンベリが『算術』の問題を数多く自分の本に取りいれ、1621年にフランスの数学者バシェがラテン語に訳して出版しました。この本を手にとって、余白にある有名な書きこみをしたのが、フェルマーの最終定理と業績です。

年できごと
前2世紀ヒュプシクレスが多角数について書く(のちにディオファントスが引用する)
200年ごろディオファントスが生まれたとされる(生年は不明、200〜214年と推定)
250年ごろアレクサンドリアで『算術』(全13巻)を書いたとされる(正確な年は不明)
284年ごろ亡くなったとされる(没年は不明、284〜298年と推定。墓碑銘の問題では84歳)
4〜5世紀ごろヒュパティアらが『算術』に注釈をつけたともいわれる
9世紀ごろ『算術』の一部がアラビア語に訳される
1570年ごろボンベリが『算術』の問題を自分の代数の本に取りいれる
1621年バシェが『算術』をラテン語に訳して出版する
1637年ごろフェルマーが『算術』の余白に「フェルマーの最終定理」を書きこんだと伝えられる
1670年フェルマーの息子が、書きこみ入りの『算術』を出版する

ディオファントスの主な業績をやさしく解説

業績1 『算術』全13巻――整数と分数で答えを求める問題集

『算術』は、「ある条件を満たす数を求めよ」という形の問題を、くり返し解いていく本です。たとえば、次のような問題がのっています。

  • 和が20、積が96となる2つの数を求めよ(第1巻の問題27。答えは8と12)。
  • 13を、それぞれ6より大きい2つの平方数の和で表せ。
  • ある平方数を、2つの平方数の和に分けよ。

どれも式が足りないので、答えは1つに決まりません。ディオファントスは、そういうときに「うまく1つ答えを見つける」ための工夫を、問題ごとに紹介しました。しかも、答えとして正の分数(有理数)を認めましたが、負の数や無理数は答えとして認めなかったと考えられています。

業績2 墓碑銘の問題

ディオファントスの人生を、数学の問題にした有名な文章があります。意味をやさしく書くと、こうなります。

神は、一生の6分の1を少年時代にあたえ、12分の1を青年時代にあたえ、7分の1ののちに結婚の灯をともした。結婚して5年後に息子がうまれた。しかし息子は、父の一生の半分の年で亡くなった。父は、息子の死から4年のあいだ悲しみをなぐさめながら生き、そしてこの世を去った。

ディオファントスの墓碑銘として伝えられる問題(『ギリシャ詞華集』。実際の墓にきざまれたものではなく、数学の問題として作られたと考えられています。ここでは意味を取って書きなおしました)

ディオファントスが生きた年を xx とすると、次の式が成りたちます。

x6+x12+x7+5+x2+4=x\frac{x}{6}+\frac{x}{12}+\frac{x}{7}+5+\frac{x}{2}+4=x

分数の足し算をすると、(16+112+17+12)x=7584x\left(\dfrac{1}{6}+\dfrac{1}{12}+\dfrac{1}{7}+\dfrac{1}{2}\right)x=\dfrac{75}{84}x なので、7584x+9=x\dfrac{75}{84}x+9=x、984x=9\dfrac{9}{84}x=9、x=84x=84。ディオファントスは84歳まで生きたことになります。

墓碑銘の問題(人生は84年)少年期14青年期7結婚まで125年5息子の一生424年401421333884歳x/6+x/12+x/7+5+x/2+4=x → x=84
墓碑銘の問題を帯にした図。少年期14年、青年期7年、結婚まで12年、5年後に息子、息子は42年、息子の死の4年後に亡くなる

くわしく見ると、少年期が14年、青年期が7年(ここまで21歳)、そのあと12年で33歳で結婚、5年後の38歳で息子が誕生、息子は父の半分の42年生きて、父が80歳のときに亡くなり、84歳で父も亡くなった、という流れです。ただし、この問題を数学史の資料で紹介するとき、結婚した年齢などの細かい点は説明がまちまちです。84歳という答えだけは、どの資料でも同じです。分数を含む方程式は1次方程式の解き方や、分数の計算のくふうで練習できます。

業績3 不定方程式――式の数より文字が多い方程式

たとえば、次の方程式を考えてみましょう。

3x+5y=403x+5y=40

文字が2つ(x と y)、式が1つ。このままでは答えがたくさんあります。でも「x と y は正の整数」という条件をつけると、答えは(5,5)と(10,2)の2組だけになります。

3x+5y=40 の整数の点(5, 5)(10, 2)(0, 8) は0なので不可xy正の整数のペアは2通りだけ
3x+5y=40 の直線と、x座標・y座標がともに正の整数になる点(5,5)と(10,2)

このように、整数の解を求める方程式を、のちにディオファントス方程式とよぶようになりました。一般の形 ax+by=cax+by=c の整数解は、ユークリッドの互除法を使って解けます(くわしくは1次不定方程式の解き方)。ユークリッドの互除法と原論の時代から、整数の問題は、ギリシャ数学の主役のひとつでした。

なお、ディオファントス自身が扱ったのは、「整数」というより「正の分数の答え」を求める問題が中心でした。今の「整数の解を求める方程式」という意味は、ディオファントスの時代より、ずっとあとの人が整理したものです。

業績4 略号を使って式を書いた(代数の父)

ディオファントスより前の数学者は、式をすべて言葉で書いていました。「ある数の平方に、その数の3倍を足すと……」のようにです。ディオファントスは、未知数・何乗・等しいなどを略号で表しました。これは、言葉だけの数学から、記号を使った数学への、大きな一歩だとされます。

ディオファントスの略号(およそ)現代の書き方ディオファントス未知数 xςx²Δʸx³Kʸx⁴ΔʸΔx⁵ΔKʸx⁶KʸKʸ=(等しい)ἴσ(イソス)写本によって書き方はちがう。言葉だけの数学からの一歩
ディオファントスが使ったとされる略号(未知数ς、2乗Δʸ、3乗Kʸなど)。写本によって書き方はちがう

ただし、略号は未知数が1つのときだけで、複数の未知数や一般の数を文字で表す記号は持っていなかった、と説明されます。そのため、一般の公式のかわりに、1つ1つの具体的な数で問題を解いていく形でした。のちに文字で一般の数を表すことを広めたのは、ヴィエトの記号代数と文字式です。文字式の意味は文字式とはで確かめられます。

業績5 平方数を2つの平方数に分ける(ピタゴラス数)

『算術』第2巻の第8問は、「与えられた平方数を、2つの平方数に分けよ」という問題です。たとえば25を、9と16に分けると、32+42=523^2+4^2=5^2 です。ディオファントスは、整数だけでなく分数も使って、ほかの分け方も求めました。たとえば16は、次のように分けられると伝えられます。

16=25625+1442516=\frac{256}{25}+\frac{144}{25}
平方数を2つの平方数に分ける3×34×45×59+16=25
1辺3の正方形(面積9)と1辺4の正方形(面積16)の面積の合計が、1辺5の正方形(面積25)と等しい

これは、直角三角形の3辺の長さの関係(三平方の定理の証明と使い方)そのものです。つまり、この問題はピタゴラス数(x2+y2=z2x^2+y^2=z^2 を満たす整数の組)を作る方法につながります。直線を使って、円の上の分数の座標の点を次々に作れます。

円の上の有理点(分数の座標の点)(−1, 0)(3/5, 4/5)(5/13, 12/13)(3/5)²+(4/5)²=1 → 3²+4²=5²
半径1の円の上で、点(−1,0)を通る傾きが分数の直線から、(3/5,4/5)や(5/13,12/13)などの分数の座標の点ができる

たとえば点(−1,0)を通る傾きが m=12m=\dfrac{1}{2} の直線を引くと、円との2つ目の交点は (35,45)\left(\dfrac{3}{5},\dfrac{4}{5}\right) です。m=23m=\dfrac{2}{3} なら (513,1213)\left(\dfrac{5}{13},\dfrac{12}{13}\right)。分母をはらうと、(3,4,5)(3,4,5)、(5,12,13)(5,12,13) というピタゴラス数になります。このような円上の分数の点の見つけ方は、ディオファントスの考え方を現代の言葉で書きなおしたものです(単位円とは)。

業績6 多角数の研究

ディオファントスには、『多角数について』という本もあり、一部が残っています。三角数(1・3・6・10…)や四角数(1・4・9・16…)のように、点を多角形の形にならべたときの数を調べたものです(三角数・四角数の公式)。この本は、ほかの古代の本と比べて、新しい内容が少ないとされますが、図形をつかった証明が特徴だとされます。

ディオファントスの名前がつく公式・定理・用語

  • ディオファントス方程式(不定方程式):整数(または有理数)の解を求める方程式。→ 1次不定方程式の解き方
  • ディオファントス近似:実数を、分母の小さな分数で近づけて表す研究。大学の整数論で学びます。
  • ディオファントスの墓碑銘の問題:一生を分数で区切った文章題。
  • 『算術』:全13巻。ギリシャ語で6巻、アラビア語で4巻が現存。
  • ピタゴラス数(x2+y2=z2x^2+y^2=z^2 の整数解):ディオファントスの方法でも作れる。→ 三平方の定理

整数の解を求める分野は、ユークリッドの互除法、合同式(mod)の計算、フェルマーの小定理、約数の和と完全数など、受験数学の整数問題の多くとつながっています。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

整数の方程式が出たら、「文字の数」と「式の数」を数えよう。式が足りなければ不定方程式。範囲のしぼりこみと余りの利用が基本の道具だよ。

ディオファントスの逸話と名言

余白に書かれた「驚くべき証明」

1621年のバシェ訳『算術』を読んでいたフェルマーは、第2巻第8問(平方数を2つの平方数に分ける)のそばの余白に、次のような書きこみを残したと伝えられています。「3乗以上の数は、同じ乗数の2つの数の和に分けることはできない。私はこのことの驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」。これがフェルマーの最終定理のはじまりです。この書きこみは、フェルマーの死後の1670年に、息子が出版した書きこみ入りの『算術』で、世の中に広く知られるようになりました。

3乗以上の数は、同じ乗数の2つの数の和に分けることはできない。私はこのことの驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。

フェルマーの書きこみとして伝えられるもの(バシェ訳『算術』の余白。ディオファントスの本ではなく、フェルマーの言葉です)

つまり、ディオファントスが「平方数を2つの平方数に分けよう」と考えた問題を、フェルマーが「3乗以上ではできない」と一般化したことで、数学史上もっとも有名な問題のひとつが生まれたのです。くわしくは、フェルマーの最終定理とは?わかりやすく解説やフェルマーの最終定理を中学生向けに図解をご覧ください。

墓碑銘の問題は、ほんとうに墓にあったの?

先ほどの墓碑銘の問題は、ディオファントスの墓にほんとうにきざまれていたのか、確かめられません。『ギリシャ詞華集』の数学の問題の部分は、数学の問題を詩にして楽しむ集まりだったといわれ、ディオファントス本人の墓の文章というより「ディオファントスのような人の一生」を題材にした遊びと考える人が多いようです。それでも、「84歳まで生きた」という話は、数学の授業でよく紹介されます。

「代数の父」はひとりじゃない?

ディオファントスは「代数の父」とよばれますが、ほかにも「代数の父」とよばれる人がいます。アラビアのフワーリズミーと代数学の誕生や、ヴィエト(ヴィエタ)の記号代数です。それぞれ、略号を使った人(ディオファントス)、方程式の解き方を整理した人(フワーリズミー)、文字で一般の数を表した人(ヴィエト)、という点で、「父」とよばれる理由がちがいます。

消えた巻をめぐる、アラビア語の発見

20世紀に、イランの図書館で、ディオファントスの『算術』のアラビア語版(第4〜7巻)が見つかり、研究されました。これは9世紀ごろの翻訳(クスター・イブン・ルーカーによるとされる)で、ギリシャ語では失われた部分にあたるのではないか、と考える研究者もいます。ただし、これが本当にディオファントスの失われた巻の翻訳なのか、注釈者の本なのかは、研究者のあいだで意見が分かれています。

サクラちゃん

サクラちゃん

フェルマーさんは、余白に書いたから証明を残さなかったんですか?

合格先生

合格先生

それは、本人にしか分からないんだ。ただ、結果として、約360年あとの1994年(ワイルズ)まで誰も証明できなかった。ふつうの「余白の書きこみ」から、数百年の挑戦が生まれたことが、数学のおもしろいところだね。

受験・勉強とディオファントスのつながり

中学受験:文章題の元祖

中学受験の算数には、ディオファントスの墓碑銘に似た「割合で人生・金額を分ける」文章題がよく出ます。割合の公式、つるかめ算、いもづる算、差集め算・過不足算、還元算の解き方などは、すべて「式の数より文字が多い」問題を、ことばの工夫で解く方法です。いもづる算は、まさに不定方程式の中学受験版です。

高校受験:連立方程式と整数

高校受験では、連立方程式(連立方程式の解き方)や、整数の性質を使った問題で、ディオファントスの考え方が使われます。「xとyは正の整数」という条件のついた方程式は、範囲をしぼって、ひとつずつ調べるのが基本です。

大学受験:1次不定方程式・整数問題

大学受験では、数学Aの「整数の性質」で、1次不定方程式(ax+by=cax+by=c)が必ず出ます。ユークリッドの互除法で特殊解を見つけ、一般解を求めます。大学の2次試験では、x2+y2=z2x^2+y^2=z^2 のようなピタゴラス数、x2−y2=nx^2-y^2=n の形の因数分解、余りの利用(合同式(mod)の計算)がよく問われます。

  • 1次不定方程式:互除法で特殊解を作り、一般解を書く。
  • 積の形にして約数を調べる:(x−a)(y−b)=c(x−a)(y−b)=c の形に変える。
  • 範囲をしぼる:不等式で候補をへらしてから調べる。
  • 余りで調べる:x2x^2 を3や4で割った余りを調べて、解がないことを示す。

京都大学・東京大学では、整数問題は毎年のように出題されます。出題の傾向は京大理系数学の出題分析(整数問題の出方)と京大文系数学の出題分析で確かめられます。西暦の数を使った整数問題は2027は素数?双子素数と西暦の入試問題も参考になります。

勉強法として:まず「条件」を整理する

不定方程式の問題は、条件を整理することが最初の一歩です。「正の整数」「3桁の整数」「素数」など、条件がきつければきついほど、答えの候補はへります。ディオファントスの墓碑銘の問題と同じく、「何が分かっていて、何を求めるのか」を式で書くくせをつけましょう。勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)にまとめています。

ディオファントスがその後の数学にあたえた影響

  • 整数論:『算術』をヨーロッパにもたらしたバシェの本で、フェルマーの整数論と最終定理は整数論を発展させました。フェルマーは『算術』を読みこんで整数論を発展させ、フェルマーの最終定理は『算術』の余白の書きこみから生まれました。
  • 代数学:16世紀のボンベリやヴィエトが、『算術』を学んで、近代の代数学をつくりました(ヴィエトの記号代数)。
  • ディオファントス方程式の理論:オイラーの整数論、ラグランジュの4平方定理、ガウスの整数論の研究らが整数の方程式を発展させました。
  • ヒルベルトの第10問題:1900年にヒルベルトが「ディオファントス方程式を解く一般的な方法はあるか」と問い、1970年にマチャセビッチらが「そのような方法は存在しない」ことを示して決着しました。
  • フェルマーの最終定理:1994年のワイルズの証明で解決し、ディオファントス方程式の研究は現代数学の最前線になっています。

現在でも、「整数解を求める」という問題は、暗号(RSA暗号)やコンピュータの計算を支える整数論とつながっています。ディオファントスの時代の「文章題」から続く整数の研究が、今のインターネットの安全を支える数学の土台のひとつになっているのです。

ディオファントスに挑戦!練習問題

やさしい

  1. ある人の一生の3分の1が少年時代、4分の1が青年時代で、残りの10年が老年時代でした。この人は何歳まで生きましたか。
    答えと解説を見る一生を x 歳とすると x/3+x/4+10=x。12をかけて 4x+3x+120=12x。5x=120。x=24。(1/3+1/4=7/12 なので、残りの5/12が10年にあたる、と考えても 10÷5×12=24)
  2. 3x+2y=14 を満たす正の整数の組 (x, y) をすべて求めなさい。
    答えと解説を見るx=1 のとき 2y=11(不可)、x=2 のとき y=4、x=3 のとき 2y=5(不可)、x=4 のとき y=1。x=5 以上は y が0以下。答えは(2, 4) と (4, 1)。

ふつう

  1. ディオファントスの墓碑銘の問題で、息子が亡くなったとき、ディオファントスは何歳でしたか。
    答えと解説を見るディオファントスは84歳まで生きました。息子の死から4年後に亡くなったので、息子が亡くなったのは 84−4=80歳のとき。(息子は父の半分の42年生きたので、結婚して5年後の38歳のときに生まれたことにもなります)
  2. 3x+5y=40 を満たす正の整数の組 (x, y) をすべて求めなさい。
    答えと解説を見る5y=40−3x より 40−3x が5の倍数。3x が5の倍数なので x は5の倍数。x=5 のとき y=5、x=10 のとき y=2、x=15 は y<0。答えは(5, 5) と (10, 2)。

むずかしい

  1. 9を、2つの正の分数の平方の和で表しなさい。x²+(mx−3)²=9 で m=2 とおく方法(ディオファントスの方法)を使うこと。
    答えと解説を見るx²+(2x−3)²=9 を展開して 5x²−12x+9=9。5x²−12x=0 なので x=12/5(x=0 は除く)。2x−3=24/5−15/5=9/5。したがって 9=(12/5)²+(9/5)²=144/25+81/25(確かめると 225/25=9)。答えは(12/5)²+(9/5)²。
  2. 単位円 x²+y²=1 と、点(−1,0)を通る傾き 2/3 の直線の、もう1つの交点の座標を求めなさい。また、そこから作られるピタゴラス数を答えなさい。
    答えと解説を見る直線は y=(2/3)(x+1)。x²+(4/9)(x+1)²=1 より 13x²+8x−5=0、(x+1)(13x−5)=0。x=5/13。y=(2/3)(18/13)=12/13。交点は(5/13, 12/13)。分母をはらうと 5²+12²=13² で、ピタゴラス数は(5, 12, 13)。

ディオファントスと関係する数学者

数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、記号の読み方は数学でよく使う記号の意味一覧(∞・Σ・∫)もどうぞ。

古代の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

ディオファントスは何をした人ですか?

ディオファントスは、古代ギリシャ(ローマ帝国時代のアレクサンドリア)の数学者です。全13巻の『算術』で、整数や分数で答えを求める方程式の問題をたくさん集め、略号を使って式を書いたことから、「代数の父」とよばれます。

ディオファントスの生没年はいつですか?

はっきりしません。日本語版ウィキペディアでは生年が200〜214年ごろ、没年が284〜298年ごろと推定され、MacTutorでは200年ごろ〜284年ごろとされます。もっと昔の人だった可能性を指摘する研究者もいます。

ディオファントスの墓碑銘の問題とは何ですか?

「一生の6分の1が少年時代、12分の1が青年時代、7分の1ののちに結婚、5年後に息子が生まれ、息子は父の半分の年で亡くなり、その4年後に父も亡くなった」という文章題です。方程式を解くと84歳になります。

ディオファントス方程式とは何ですか?

ディオファントス方程式とは、整数(または有理数)の解を求める方程式のことで、不定方程式ともよばれます。たとえば3x+5y=40の正の整数解は(5,5)と(10,2)です。名前はディオファントスにちなんでつけられました。

『算術』とはどんな本ですか?

『算術』は、ディオファントスが書いた全13巻の問題集です。ギリシャ語で6巻、アラビア語で4巻が今に伝わります。条件を満たす数を求める問題が並び、のちのフェルマーやオイラーなどの整数論に大きな影響をあたえました。

フェルマーの最終定理はディオファントスと関係がありますか?

関係があります。フェルマーは、1621年のバシェ訳『算術』の余白に、最終定理の書きこみを残したと伝えられています。ディオファントスの「平方数を2つの平方数に分ける」問題を、3乗以上に広げたものです。

なぜディオファントスは「代数の父」とよばれるのですか?

式を言葉だけで書いていた時代に、未知数や何乗を略号で表したからです。ただし略号は未知数が1つの場合だけでした。同じ「代数の父」とよばれる人にフワーリズミーやヴィエトがいて、それぞれ理由がちがいます。

ディオファントスは受験に関係がありますか?

あります。大学入試の整数問題(1次不定方程式、ピタゴラス数)や、中学受験のいもづる算、墓碑銘に似た割合の文章題がつながっています。1次不定方程式はユークリッドの互除法で解きます。

ピタゴラス数とディオファントスの関係は何ですか?

『算術』第2巻第8問は、平方数を2つの平方数に分ける問題で、ピタゴラス数(x²+y²=z²の整数解)に関係します。直線を使って、円の上の分数の座標の点を作る方法にも発展しました。

ヒルベルトの第10問題とは何ですか?

1900年にヒルベルトが出した問題で、「ディオファントス方程式が整数解を持つかを判定する一般的な方法はあるか」というものです。1970年にマチャセビッチが、そのような方法は存在しないことを示しました。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Diophantus of Alexandria」(セント・アンドルーズ大学)
  • 日本語版ウィキペディア「アレクサンドリアのディオファントス」
  • Greek Anthology(ギリシャ詞華集)第14巻(数学の問題)
  • 図版:ディオファントス『算術』バシェ訳(1621年)第1巻のはじめのページの複製、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年11月2日/作成:大学受験合格大作戦