オイラーは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|オイラーの公式・多面体定理・バーゼル問題

オイラーは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|オイラーの公式・多面体定理・バーゼル問題

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オイラーLeonhard Euler

ひとことで言うと

解析・整数論・幾何・グラフ理論・力学のあらゆる分野に名前を残した、史上もっとも多くの論文を書いた数学者。失明しても研究をつづけた。

名前レオンハルト・オイラー(Leonhard Euler)
生没年1707年4月15日〜1783年9月18日(76歳)
国スイス(バーゼル生まれ、ロシアとドイツ(プロイセン)で活躍)
分野解析学・整数論・幾何学・グラフ理論・力学
主な業績オイラーの公式・等式、オイラーの多面体定理、バーゼル問題、ケーニヒスベルクの橋の問題、オイラー関数と定理、オイラー線、f(x)・e・π・Σ・i の記号
名前がつくものオイラーの公式・オイラーの多面体定理・オイラー関数 φ(n)・オイラーの定理・オイラー線・オイラー積・オイラー定数 γ・オイラー角
よばれ方史上もっとも多く論文を書いた数学者/「われわれすべての師」

このページのポイント

  • オイラーの公式 eiθ=cos⁡θ+isin⁡θe^{i\theta}=\cos\theta+i\sin\theta と、オイラーの等式 eiπ+1=0e^{i\pi}+1=0 で、指数・三角関数・虚数・円周率をむすんだ
  • 多面体定理 V−E+F=2、バーゼル問題 Σ1/n²=π²/6、橋の一筆書きの問題を解き、グラフ理論やトポロジーの出発点を作った
  • オイラー関数・オイラーの定理、オイラー線など入試に出る名前が多数。失明後も研究を続けた生涯でも有名

オイラーは何をした人?(業績をひとことで)

レオンハルト・オイラー(1707〜1783年)は、スイス生まれの数学者です。ロシアとドイツで活やくし、解析学・整数論・幾何学・グラフ理論・力学など、ほとんどすべての分野で基本になる発見をしました。「オイラーの公式」「オイラーの多面体定理」「バーゼル問題の解決」「ケーニヒスベルクの橋の問題」「オイラー関数」など、名前のつく発見があまりに多く、数学の本には「オイラーの○○」が山のように出てきます。書いた論文・本は800をこえ、全集は70巻以上になります。史上もっとも多くの論文を書いた数学者の一人です。

受験生にとってのオイラーは、まず「e と π と i と 1 と 0 をつなぐ式を見つけた人」です。高校数学Ⅲ・Cで習うオイラーの公式(e^(iθ)=cosθ+i sinθ)、中学・高校のオイラーの多面体定理(V−E+F=2)、大学入試の整数問題で使うオイラー関数 φ(n) とオイラーの定理、図形のオイラー線と九点円と、入試でオイラーの名前に出会うことは本当に多いです。無限級数のバーゼル問題(Σ1/n²=π²/6)も、大学数学の入口です。

サクラちゃん

サクラちゃん

オイラーの公式、オイラーの多面体定理、オイラー線……ぜんぶ同じ人なんですか!?

合格先生

合格先生

そうだよ。オイラーは「数学の名前がつく人」ナンバーワンだね。しかも、晩年は目が見えなくなってからも、頭の中で計算して、たくさんの論文を口で話して書き取ってもらったんだ。

オイラーの肖像画(ハンドマン作)
46歳ごろのオイラー(ヤーコプ・エマヌエル・ハンドマン作の肖像画、1753年)画像:Jakob Emanuel Handmann/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

オイラーの生涯と年表

バーゼルの牧師の家に生まれた

オイラーは1707年4月15日、スイスのバーゼルに生まれました。父パウルは牧師で、若いころには数学者ヤコブ・ベルヌーイの講義を聞いたことがあり、数学にも関心がありました。父は息子を牧師にするつもりでしたが、オイラーは幼いころから数学の才能をあらわします。

ベルヌーイ家との出会い

オイラーは13歳でバーゼル大学に入学します。当時の大学では、まず哲学などを学ぶのが決まりでした。数学の天才として知られたヤコブ・ベルヌーイの弟ヨハン・ベルヌーイは、オイラーの才能に気づき、毎週土曜の午後に個人指導をしてくれたと伝えられています。1723年、16歳で修士号を得ました。ヨハンが父パウルを説得したため、オイラーは牧師ではなく数学者の道に進むことになったともいわれます。

サンクトペテルブルクへ、そして右目を失う

1727年、20歳のオイラーは、ロシアのサンクトペテルブルク科学アカデミーに招かれます。ヨハンの息子で友人のダニエル・ベルヌーイがそこで働いていました。オイラーはここで数学の教授になり、1734年に結婚して、13人の子をもうけました(成人したのは5人)。1735年にはバーゼル問題を解いて、一躍有名になります。同じ年、重い熱病にかかり、その後右目の視力を失ったといわれます(1738年ごろ)。

ベルリン時代、そしてロシアへ帰る

1741年、オイラーはプロイセン(ドイツ)のフリードリヒ大王に招かれ、ベルリンの科学アカデミーで25年間働きました。この時期に、『無限解析入門』(1748年)などの代表作を書いています。しかし大王との仲はだんだん悪くなり、1766年、オイラーはロシアのエカテリーナ2世に迎えられ、サンクトペテルブルクに戻ります。

盲目になってからも研究をつづけた

ロシアに戻った直後、オイラーは白内障で左目も見えなくなり、ほぼ完全に失明しました。ところが、オイラーはひるまず、弟子や息子に口述して書き取らせ、研究をつづけました。晩年17年間で、生涯の論文の約半分を書いたともいわれます。1783年9月18日、天王星の軌道の計算について話し合っていた日の午後、脳卒中のため76歳で亡くなりました。フランスの数学者コンドルセは、追悼の言葉で「オイラーは、計算することと生きることを同時にやめた」と述べたと伝えられます。

年できごと
1707年4月15日、スイスのバーゼルで生まれる
1720年13歳でバーゼル大学に入学。ヨハン・ベルヌーイの指導を受ける
1723年16歳で修士号を得る
1727年ロシアのサンクトペテルブルク科学アカデミーに招かれる
1733年アカデミーの数学の教授になる(26歳)
1735年バーゼル問題を解く。熱病で右目の視力をうしなう(1738年ごろとも)
1736年ケーニヒスベルクの橋の問題を解く(論文は1741年に出版)
1741年ベルリンの科学アカデミーに移る
1748年『無限解析入門』を出版。オイラーの公式を示す
1750年多面体の頂点・辺・面の関係(V−E+F=2)に気づく
1765年オイラー線を発見
1766年ロシアのサンクトペテルブルクに戻る
1768年『ドイツの王女への手紙』が出版される(〜1772年。手紙そのものは1760〜62年に書かれた)
1771年ごろ白内障の影響で、ほぼ完全に失明する
1783年9月18日、サンクトペテルブルクで亡くなる(76歳)

オイラーの主な業績をやさしく解説

業績1 バーゼル問題(平方数の逆数の和)

次の無限の和は、いくつになるでしょうか。

1+14+19+116+125+⋯1+\frac14+\frac19+\frac1{16}+\frac1{25}+\cdots

足していくと、1、1.25、1.361、1.423……と増えていきますが、いくら足してもある値をこえないことは、17世紀のうちに分かっていました。しかし、その値がいくつなのかは、100年近くだれにも分かりませんでした。ヤコブ・ベルヌーイの出身地バーゼルの名前をとって「バーゼル問題」とよばれます。

1+1/4+1/9+1/16+… = π²/6点線=π²÷6(約1.645)11.0021.2531.3641.4251.4661.4971.5181.53n 個目までの和。足しても1.645をこえない
1/n² を足していくと、1.645(=π²/6)をこえずに近づく

1735年、27歳のオイラーは、この和が π26\dfrac{\pi^2}{6}(約1.6449)になることを発見しました。円と何の関係もなさそうな整数の逆数の2乗の和に、円周率が出てくるのです。オイラーは、sin x を「無限次の方程式」のように見て、解と係数の関係を無理やり当てはめるという、大胆なやり方で答えを出しました。当時は厳密な証明とはいえませんでしたが、答えが正しいことは確かめられており、のちに厳密な証明も完成しました。くわしくはバーゼル問題の答えと証明のようすで確かめてください。

オイラーはさらに、ζ(s)=∑n=1∞1ns\zeta(s)=\displaystyle\sum_{n=1}^{\infty}\frac1{n^s} を、素数の積 ∏p11−p−s\displaystyle\prod_p\frac1{1-p^{-s}} で表せることを示しました(オイラー積、1737年)。これは、素数の世界と自然数の世界をつなぐ式で、リーマン予想のもとになりました。

業績2 ケーニヒスベルクの橋と「一筆書き」(グラフ理論のはじまり)

当時のプロイセンの町ケーニヒスベルク(いまのロシアのカリーニングラード)には、川に7つの橋がかかっていました。「7つの橋をすべて、ちょうど1回ずつ渡って、もとの場所に戻れるか」というのが町の人々のなぞなぞでした。

ケーニヒスベルクの7つの橋A5本B3本C3本D3本奇数本の点が4つ → 一筆書きは不可能
陸地を点、橋を線に置きかえる。点につながる線の数を数えるだけで答えが出る

オイラーは、橋の形や長さを全部わすれ、陸地を点、橋を線として、つながり方だけを考えました。すると、点を通過するときは「入る橋」と「出る橋」が1本ずつ必要なので、出入りの途中の点につながる線の数は偶数のはずです。スタートとゴールの点だけは奇数でもよいので、「奇数本の点が0個か2個」でなければ一筆書きはできません。ケーニヒスベルクでは、4つの点がすべて奇数本なので、不可能と分かりました。この考えは、のちにグラフ理論とよばれる数学の新分野になり、いまの地図アプリの最短経路やSNSのつながりの分析にも使われています。

業績3 オイラーの多面体定理(V−E+F=2)

へこみのない立体(凸多面体)の頂点の数 V、辺の数 E、面の数 Fのあいだには、いつもV − E + F = 2 の関係があります。立方体なら 8−12+6=2、正四面体なら 4−6+4=2 です。

V − E + F = 2立方体V=8 E=12 F=6正四面体V=4 E=6 F=48−12+6 = 2  4−6+4 = 2V=頂点 E=辺 F=面
立方体も正四面体も V−E+F=2。どんな凸多面体でも成り立つ

オイラーは1750年にこの関係に気づき、友人への手紙で述べ、のちに証明を試みました。じつはデカルトがその100年ほど前に似た関係を見つけていたとされますが、公式として世に出したのはオイラーです。この式は、中学・高校で習う正多面体が5種類だけの理由の説明にも使われます。くわしくはオイラーの多面体定理の証明と例題を見てください。V−E+F の値(オイラー標数)は、立体に穴があるとかわります。ドーナツの形では 0 になります。この考えが、現代の位相幾何学(トポロジー)へとつながっています。

業績4 オイラーの公式と「世界一美しい等式」

オイラーは1748年の『無限解析入門』で、指数関数と三角関数がつながることを示しました。

eiθ=cos⁡θ+isin⁡θe^{i\theta}=\cos\theta+i\sin\theta
オイラーの公式:e^(iθ)=cosθ+i sinθ実軸虚軸θcosθsinθ−1(θ=π)θ=π(180°)で e^(iπ)+1=0
複素数平面の単位円。e^(iθ) は角 θ の方向の円周上の点。θ=π では −1

θ=π\theta=\pi(180度)を入れると、cos⁡π=−1, sin⁡π=0\cos\pi=-1,\ \sin\pi=0 なので

eiπ+1=0e^{i\pi}+1=0

となります。これがオイラーの等式です。自然対数の底 ee、円周率 π\pi、虚数単位 ii、そして 1 と 0――数学の最も大切な5つの数が、たった1本の式に出会います。物理学者ファインマンは、これを「数学で最も注目すべき公式」とよんだと伝えられます。この公式は、複素数平面で回転を表す道具となり、ド・モアブルの定理を一瞬で導けます。マクローリン展開を使うと、ex,cos⁡x,sin⁡xe^x,\cos x,\sin x の展開を見比べて証明できます。

業績5 オイラー関数と整数論(フェルマーの定理を広げた)

フェルマーは、素数 pp と、pp で割り切れない整数 aa について ap−1≡1(modp)a^{p-1}\equiv1\pmod p になるという定理(フェルマーの小定理)を残しました。オイラーはこれを素数でない数にも使える形に広げました。そのための道具がオイラー関数 φ(n)\varphi(n)で、11 から nn までの整数のうち、nn と共通な約数が1以外にない数の個数です。たとえば φ(10)=4\varphi(10)=4(1・3・7・9)です。

aφ(n)≡1(modn)(a と n は互いに素)a^{\varphi(n)}\equiv1\pmod n\quad(a\text{ と }n\text{ は互いに素})

これがオイラーの定理です。大きな累乗の余りを求めるときの強力な道具で、現代のインターネットの暗号(RSA暗号)の基礎にもなっています。くわしくはオイラー関数とオイラーの定理の使い方をどうぞ。オイラーは、フェルマーが「素数だ」と予想していた 232+12^{32}+1 が 641×6700417641\times6700417 とわれることも示しました(1732年)。また、1772年には 231−1=21474836472^{31}-1=2147483647 が素数であることを確かめています。当時としては、知られている最大の素数でした。素数とは何かを知るうえで、欠かせない人です。

業績6 オイラー線と九点円(図形の発見)

三角形の外心 O(3つの頂点から等しい距離の点)、重心 G、垂心 H(3つの高さが交わる点)は、ふつう3つの別の点です。ところが、オイラーは1765年に、この3点がいつも一直線上に並ぶことを発見しました。この直線がオイラー線です。しかも G は、H と O を結ぶ線分を2:1に分けます。

オイラー線(O・G・H は一直線)OGHO=外心 G=重心 H=垂心(HG:GO=2:1)赤い点線がオイラー線
外心 O・重心 G・垂心 H は一直線上にならぶ(HG:GO=2:1)

さらに、三角形の「3辺の中点」「3つの高さの足」「垂心と頂点の中点」の9つの点が1つの円の上に並ぶこともわかっており、これを九点円(フォイエルバッハ円)といいます。くわしくはオイラー線と九点円の証明と使い方で確認してください。

業績7 数学の「書き方」を作った

オイラーは、数学の記号と書き方を整えた人でもあります。今の私たちが当たり前に使う記号の多くは、オイラーが使い、広めたものです。

オイラーが広めた記号f(x)関数1734年ごろe自然対数の底 e1727年ごろπ円周率(3.14…)1736年ごろΣ和(シグマ)1755年i虚数単位(i²=−1)1777年年はおよその目安(使い始めの時期には諸説あります)
f(x)・e・π・Σ・i は、オイラーが使って広めた記号

特に、自然対数の底 ee を使いはじめたのはオイラーとされ、ふつう ee は「オイラー数」ともよばれます(自然対数の底 e の定義 lim(1+1/n)ⁿも参照)。ただし、「e」がオイラー(Euler)の頭文字だからという説は、本人が書いているわけではなく、はっきりしません。また、円周率に π\pi を使う習慣は、ウェールズの数学者ジョーンズが先に使いましたが、オイラーが使ったことで世界に広まりました。そのほか、ガンマ関数・ベータ関数の研究、変分法、力学(剛体の運動方程式)、流体力学、光学、音楽理論まで、オイラーの仕事ははてしなく広がっています。

オイラーの名前がつく公式・定理・用語

オイラーの名前がつくものは、数学だけで数十あります。受験や大学でよく出会うものをまとめました。

  • オイラーの公式:eiθ=cos⁡θ+isin⁡θe^{i\theta}=\cos\theta+i\sin\theta。→ オイラーの公式の意味と使い方
  • オイラーの等式:eiπ+1=0e^{i\pi}+1=0。
  • オイラーの多面体定理:V−E+F=2V-E+F=2。→ オイラーの多面体定理と証明
  • オイラー関数 φ(n)\varphi(n)・オイラーの定理:→ オイラー関数とオイラーの定理の計算
  • オイラー線・九点円:三角形の外心・重心・垂心が一直線に並ぶ。→ オイラー線と九点円
  • バーゼル問題・オイラー積:∑1/n2=π2/6\sum1/n^2=\pi^2/6。→ バーゼル問題の解き方
  • オイラーの定数 γ\gamma:調和級数 1+12+⋯+1n1+\frac12+\cdots+\frac1n と log⁡n\log n の差が近づく値で、約0.5772。
  • オイラー法(微分方程式の数値解法)・オイラー・ラグランジュ方程式(変分法)・オイラー角(回転の表し方)・オイラーの座屈荷重(柱が折れる限界)など。
  • オイラー路(一筆書き):グラフを通る道の名前。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

オイラーの名前がつく公式は、どれも「別々の分野をつなぐ」ものが多いんだ。三角関数と指数関数、素数と無限級数、図形と整数……。名前と中身をセットで覚えておこう。

オイラーの逸話と名言

「息をするように計算した」

オイラーの計算力は、同時代の人々を驚かせました。フランスの学者アラゴは、オイラーについて「人が息をするように、鷲が空に浮かぶように、オイラーはなんの苦もなく計算した」と評したと伝えられます。

息をするように、鷲が空に浮かぶように、苦もなく計算した。

オイラーについて、アラゴが述べたと伝えられる評(ただし言葉の細かい形は出典によって異なり、確かめにくい逸話です)

「オイラーを読め」

フランスの数学者ラプラスは、若い数学者に「オイラーを読め、オイラーを読め、彼こそわれわれすべての師だ」と言ったと伝えられます。ガウスもガウス(オイラーを熱心に学んだ数学の王)で知られるように、若いころにオイラーの本から多くを学んだといわれます。

目が見えなくなっても

失明したオイラーは、石板に大きな字で式を書いてもらったり、自分の頭の中で計算を組み立てたりして、研究を続けました。頭の中だけで、数十桁の計算をして、弟子の計算とくらべたところ、一方が食いちがうと自分で原因を見つけた、という話も伝わっています。ただし、細かい逸話の多くは、のちの伝記から広まったもので、はっきりしない部分もあります。

「神は存在する」と言われた話は作り話?

有名な逸話に、ロシアの宮廷で、無神論者の哲学者ディドロに「(a+bn)/n=x(a+b^n)/n=x、ゆえに神は存在する。反論せよ」とオイラーが言い、数学のわからないディドロは言い返せずに笑われた、という話があります。しかし、この話は、のちの時代に作られた作り話だとされています。ディドロは数学をよく知っており、オイラーも信仰心のあつい人でしたが、そんなやりとりがあったという証拠はありません。

子どもたちに囲まれて

オイラーは子どもを13人もうけ、孫たちを膝にのせながら、論文を書いていたと伝えられます。にぎやかな中でも集中できる人だったようです。

うかるくん

うかるくん

目が見えなくなってからも、論文が書けるなんて……!

合格先生

合格先生

オイラーは、「紙の上」ではなく「頭の中」に数学を持っていたんだね。君たちも、式を頭で組み立ててから紙に書く練習をすると、計算も図形の問題も強くなるよ。

受験・勉強とオイラーのつながり

中学受験:一筆書き・立体の頂点と辺

中学受験の算数では、一筆書きの問題(「奇数本の点が0個か2個」)がよく出ます。オイラーの考え方そのものです。また、立体の「頂点の数・辺の数・面の数」を数える問題では、V−E+F=2 を使うと、数え忘れを確かめられます。たとえば、「頂点が20個、面が12個の立体の辺は何本?」なら、20−E+12=220-E+12=2 より E=30E=30 と出せます。

高校受験:多面体と図形

高校受験では、正多面体の問題や、空間図形の頂点・辺・面の数を使った説明が出ます。三角形の重心・外心・垂心の位置関係の問題は、オイラー線の知識があると見通しがつきます。

大学受験:オイラーの名前がつく問題が多数

  • 複素数平面:オイラーの公式は、回転を指数の形にするので、ド・モアブルの定理が一行で示せます。→ ド・モアブルの定理の使い方
  • 整数問題:オイラーの定理・フェルマーの小定理・合同式。京大・東大・東工大など難関大でよく出ます。
  • 数学Ⅲ:自然対数の底 ee、マクローリン展開、無限級数。
  • 図形:オイラー線、九点円。
  • グラフ・場合の数:一筆書き、多面体の面・辺・頂点の関係。

京都大学・東京大学などの難関大の整数問題は、まさにオイラーの世界です。京大理系数学の出題分析(整数問題・複素数平面の出方)もあわせてごらんください。また、西暦の数字を使った素数の問題は2027は素数?双子素数と西暦の入試問題も参考になります。

勉強法として:「つなげて考える」

オイラーのすごさは、一見ちがう分野をつなげたことです。三角関数と指数関数、素数と無限級数、橋の問題と点と線の図。勉強でも、公式を1個ずつ暗記するのではなく、「この公式は、あの公式とどうつながるか」を考えると、忘れにくくなります。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も読んでください。ギリシャ文字や記号の読み方はギリシャ文字の読み方一覧(π・Σ・φ)も便利です。

オイラーがその後の数学にあたえた影響

  • 解析学:関数の考え方、無限級数、微分方程式は、ラグランジュ、ラプラス、ガウスの業績と生涯、コーシーへと受けつがれました。
  • 整数論:オイラーの仕事は、ガウスの『整数論の研究』の土台になり、リーマンのゼータ関数にもつながります。
  • 位相幾何学(トポロジー):橋の問題と多面体定理は、「形がのびちぢみしても変わらない性質」を調べるトポロジーの出発点になりました。
  • グラフ理論・情報科学:最短経路・ネットワーク・地図アプリなどの考えの出発点です。
  • 物理学・工学:剛体の運動、流体、柱の座屈、ロケットの姿勢制御に使われるオイラー角は、いまも現役です。
  • 暗号:オイラーの定理は、インターネットの暗号(RSA暗号)の基礎になっています。

スイスの10フラン紙幣にはオイラーの肖像が使われていたことがあり(のちに紙幣は新しい図案にかわりました)、切手にもなっていて、数学者として最も尊敬された人物の一人です。

オイラーに挑戦!練習問題

やさしい

  1. ある図形の、各点につながる線の数が 3・3・2・2・2 本です。この図形は一筆書きできますか。
    答えと解説を見る奇数本の点は、3本の点が2個だけ。奇数本の点が2個なので、できます。(奇数本の点の1つからスタートして、もう1つでゴールします)
  2. 頂点が20個、面が12個の凸多面体があります。辺は何本ですか。
    答えと解説を見るV−E+F=2 より 20−E+12=2。よって E=30本。(正十二面体がこの例です)

ふつう

  1. オイラー関数 φ(12)\varphi(12) の値を求めなさい。
    答えと解説を見る1〜12のうち、12と互いに素なのは 1・5・7・11 の4個。よって φ(12)=\varphi(12)= 4。
  2. 320273^{2027} の一の位の数を求めなさい。
    答えと解説を見る10と3は互いに素で φ(10)=4\varphi(10)=4 なので 34≡1(mod10)3^4\equiv1\pmod{10}。2027=4×506+32027=4\times506+3 より 32027≡33=27≡73^{2027}\equiv3^3=27\equiv7。答えは 7。

むずかしい

  1. オイラーの公式を使って、eiπ/3e^{i\pi/3} を a+bia+bi の形で表しなさい。
    答えと解説を見るeiπ/3=cos⁡π3+isin⁡π3=e^{i\pi/3}=\cos\dfrac{\pi}{3}+i\sin\dfrac{\pi}{3}= 12+32i\dfrac12+\dfrac{\sqrt3}{2}i。(ちなみに3乗すると eiπ=−1e^{i\pi}=-1 になります)
  2. バーゼル問題の答え ∑n=1∞1n2=π26\displaystyle\sum_{n=1}^{\infty}\frac1{n^2}=\frac{\pi^2}{6} を使って、1+132+152+172+⋯1+\dfrac1{3^2}+\dfrac1{5^2}+\dfrac1{7^2}+\cdots(奇数の2乗の逆数の和)を求めなさい。
    答えと解説を見る偶数の2乗の逆数の和は 14(1+122+132+⋯ )=14⋅π26=π224\dfrac1{4}\left(1+\dfrac1{2^2}+\dfrac1{3^2}+\cdots\right)=\dfrac14\cdot\dfrac{\pi^2}{6}=\dfrac{\pi^2}{24}。全体から引いて π26−π224=\dfrac{\pi^2}{6}-\dfrac{\pi^2}{24}= π28\dfrac{\pi^2}{8}。

オイラーと関係する数学者

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18世紀の数学者

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オイラーがかかわった数学の難問

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

オイラーは何をした人ですか?

オイラーは、18世紀のスイス生まれの数学者です。オイラーの公式、多面体定理、バーゼル問題、一筆書き(グラフ理論)、オイラー関数・オイラーの定理、オイラー線など、解析・整数論・幾何・力学のあらゆる分野で基本になる発見をしました。史上もっとも多くの論文を書いた数学者の一人とされます。

オイラーの公式とは何ですか?

オイラーの公式は、e^(iθ)=cosθ+i sinθ という式です。指数関数と三角関数、虚数がつながっていることを示しています。θ=πを入れると e^(iπ)+1=0 になり、オイラーの等式とよばれます。

オイラーの多面体定理とは何ですか?

へこみのない立体(凸多面体)の頂点の数V、辺の数E、面の数Fの間に V−E+F=2 が成り立つという定理です。立方体なら8−12+6=2、正四面体なら4−6+4=2 になります。ドーナツ型のように穴があると値がかわります。

バーゼル問題とは何ですか?

1+1/4+1/9+1/16+… という平方数の逆数の無限の和は、いくつになるかという問題です。1735年、オイラーが答えは π²/6(約1.6449)になることを示しました。円周率とは関係なさそうな和に、円周率が出てくることで有名です。

ケーニヒスベルクの橋の問題とは何ですか?

町にかかる7つの橋を、すべてちょうど1回ずつ渡れるかという問題です。オイラーは陸地を点、橋を線としてあつかい、「奇数本の線がつながる点が0個か2個」でなければ一筆書きはできないことを示しました。グラフ理論のはじまりとされます。

オイラー関数 φ(n) とは何ですか?

1からnまでの整数のうち、nと互いに素な数(1以外の共通な約数をもたない数)の個数です。たとえば φ(10)=4(1・3・7・9)です。オイラーの定理 a^φ(n)≡1(mod n)は、大きな累乗の余りの計算や暗号に使われます。

オイラー線とは何ですか?

三角形の外心・重心・垂心が、いつも一直線の上に並ぶという事実で、その直線をオイラー線とよびます。重心は垂心と外心を結ぶ線分を2:1に分けます。1765年にオイラーが発見しました。

オイラーは目が見えなかったのですか?

オイラーは1735年ごろの熱病の後、右目の視力をうしなったといわれます。1766年ごろからは白内障で左目もほとんど見えなくなり、1771年ごろには完全に失明したとされます。それでも弟子や息子に口述して、亡くなるまで研究を続けました。

オイラーは何歳で亡くなりましたか?どこの国の人ですか?

オイラーは1707年にスイスのバーゼルで生まれ、1783年9月18日にロシアのサンクトペテルブルクで76歳で亡くなりました。ロシアとドイツ(プロイセン)の科学アカデミーで長く働きました。

オイラーは受験に出ますか?

とてもよく出ます。中学受験の一筆書きや立体の頂点・辺・面、高校受験の三角形の重心・外心・垂心、大学受験のオイラーの公式(複素数平面)・オイラーの定理(整数問題)・オイラー線・多面体定理などがあります。

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出典・参考

  • William Dunham, “Euler: The Master of Us All”(1999年)
  • MacTutor History of Mathematics, “Leonhard Euler”
  • Leonhard Euler, “Introductio in analysin infinitorum”(1748年)
  • Leonhard Euler, “Solutio problematis ad geometriam situs pertinentis”(ケーニヒスベルクの橋、1741年)
  • 肖像画:Jakob Emanuel Handmann「Leonhard Euler」(1753年)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦