コーシーは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|極限の定義・コーシー・シュワルツの不等式・複素関数論

コーシーは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|極限の定義・コーシー・シュワルツの不等式・複素関数論

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コーシーAugustin-Louis Cauchy

ひとことで言うと

微分積分を極限できちんと定義し直した、フランスの数学者。コーシー・シュワルツの不等式や複素関数論でも知られ、789本の数学論文を書いた。

名前オーギュスタン=ルイ・コーシー(Augustin-Louis Cauchy)
生没年1789年8月21日〜1857年5月23日(67歳)
国フランス(パリ生まれ、パリ郊外ソーで没)
分野解析学・複素関数論・代数・数理物理
主な業績極限・連続・積分の厳密な定義(『解析教程』1821年)、コーシー列、コーシー・シュワルツの不等式、複素積分(積分定理・積分公式)、コーシー・リーマンの方程式
名前がつくものコーシー・シュワルツの不等式・コーシー列・コーシーの積分定理・積分公式・コーシー・リーマンの方程式・コーシーの平均値の定理・コーシーの判定法
よばれ方近代解析学の父の1人、論文の数が最も多い数学者の1人

このページのポイント

  • 極限・連続・収束を「どんな小さな ε でも」という形で定義し、微分積分の土台を作った
  • コーシー・シュワルツの不等式は、入試の最大・最小問題で使える定番の道具。等号条件もセットで覚える
  • 複素関数論(積分定理・積分公式)を築いた。論文の数は多く、MacTutor の伝記では789本とされる

コーシーは何をした人?(業績をひとことで)

オーギュスタン=ルイ・コーシー(1789〜1857年)は、フランスの数学者です。それまで「だいたいの感覚」で進められていた微分積分に、極限を使って厳密な定義を与えました。連続・収束・積分の定義を整え、複素関数論(複素数を変数とする関数の理論)を築き、コーシー・シュワルツの不等式など、現代の解析学の基礎になる仕事を数多く残しました。数学者の中でも論文の数がとても多いことで知られ、MacTutor(セント・アンドルーズ大学の数学史サイト)の伝記では789本の数学の論文があげられています。

受験生にとってのコーシーは、まず「コーシー・シュワルツの不等式」です。コーシー・シュワルツの不等式の公式と証明は、不等式を使った最大・最小の問題で、難関大学の入試に出ることがあります。また、不等式の証明の基本や絶対値と不等式を学ぶとき、コーシーの精神(きちんと定義して、きちんと証明する)がもとになっています。数学Ⅲの極限とは・連続とはも、コーシーが定義を整えたものです。

うかるくん

うかるくん

極限とか連続とか、「だいたい近づく」っていう感じで習いましたけど、それでダメなんですか?

合格先生

合格先生

高校まではそれで大丈夫。でも、「だいたい」では、ややこしい問題で答えがまちがってしまうことがあるんだ。コーシーは「どれだけ近づくか、数で言う」方法を考えた。ここが微分積分のきちんとした土台になったんだよ。

コーシーの生涯と年表

革命のパリで生まれた少年

コーシーは1789年8月21日、パリで生まれました。フランス革命が始まった直後で、バスチーユ襲撃の約1か月後のことです。父ルイ=フランソワは、パリの警察の高官をしていた人でしたが、革命の混乱を避けて、家族とともにパリ郊外の村アルクイユに移り住みました。食料にも困る、苦しい時期を過ごしたと伝えられます。

アルクイユには、大数学者のラプラスの業績と生涯や化学者のベルトレが住んでいました。そして、コーシーの父は、ラグランジュとも知り合いでした。幼いコーシーが数学の才能を見せると、ラグランジュは「この子は私たちの後をつぐだろう。ただし、17歳になるまでは、数学の本を読ませないほうがいい」と父に言った、という話が伝わっています(本当かどうかは確かめられていません)。

エコール・ポリテクニークから技術者へ

コーシーは1805年、16歳でエコール・ポリテクニーク(理工系のエリート校)の入学試験に、2位で合格しました。その後、橋や道路をつくる技術者を育てる学校にも進み、1810年には、軍港シェルブールの港湾工事に技術者として派遣されます。その仕事のあいだにも、数学の論文を書き続けました。

アカデミーの会員へ、教科書『解析教程』

1813年にパリに戻ったコーシーは、本格的に数学者の道を歩みます。1816年にはフランス科学アカデミーの会員となり、エコール・ポリテクニークの教授にもなりました。ここで学生に教えるために書いたのが、微分積分を厳密に整理した教科書『解析教程(Cours d'analyse)』(1821年)です。続けて、1823年に『無限小解析要論』も出しました。

亡命:1830年の革命のあと

コーシーは、とても熱心なカトリック教徒で、王様に忠実な人でした。1830年の七月革命で王政が倒れると、新しい政府への忠誠の誓いを拒みました。このため教授の地位を失い、フランスを出ます。スイスを経て、1832年からイタリアのトリノで物理学を教え、1833年にはプラハで、フランス王家の孫の家庭教師をつとめました。パリに戻ったのは1838年です。

晩年とパリ郊外での最期

帰国後のコーシーは、論文を次々と書き続けました。1848年の革命のあとで、政府が誓いを求めなくなったのち、再び大学の教授の仕事に戻ります。1857年5月23日、パリ郊外のソーで亡くなりました。67歳でした。最後の言葉として、「人は去るが、その仕事は残る」と話した、と伝えられますが、記録には異なる説明もあり、確かなことは分かっていません。

年できごと
1789年8月21日、パリで生まれる(フランス革命が始まった年)
1805年エコール・ポリテクニークに2位で合格(16歳)
1810年技術者としてシェルブールの港湾工事に派遣される
1816年フランス科学アカデミーの会員になる
1821年『解析教程』を出版(極限・連続・収束の厳密な定義)
1825年複素積分についての論文。積分路の考え方を示す
1830年七月革命。新政府への誓いを拒み、フランスを出る
1832年トリノ大学で物理学を教える
1833年プラハで王家の孫の家庭教師をする
1838年パリに戻る
1848年革命ののち、大学の教授の職にもどる
1857年5月23日、パリ郊外ソーで亡くなる(67歳)

コーシーの主な業績をやさしく解説

業績1 数列の極限をきちんと定義した

「数列 ana_n がだんだん aa に近づく」とは、どういうことでしょうか。コーシーは、これを「近づき方を数で言う」ことで定義しました。

数列の極限(ε と N)極限 2N=4帯の幅 εN より先の項は、すべて帯の中に入る赤:帯の外 青:帯の中
数列 2+(−1)ⁿ/n は 2 に近づく。2のまわりに幅 ε の帯をとると、N 番目より先の項はすべて帯の中に入る

どんなに小さな正の数 ε\varepsilon(イプシロン)をとっても、十分先の項(n>Nn>N)は、かならず aa から ε\varepsilon 以内に入る。これが数列の極限の定義です。式では、次のように書きます。

∀ε>0, ∃N  n>N⇒∣an−a∣<ε\forall\varepsilon>0,\ \exists N\ \ n>N\Rightarrow|a_n-a|<\varepsilon

図のように、2のまわりに帯をとると、nn が大きいところから先はすべて帯の中に収まります。帯を細くしても、先のほうの項ならまた入ります。この「どんなに小さくしても」という考え方が、コーシーのスタイルです。くわしくは数列の極限の求め方・数列の極限とはを見てください。

業績2 連続と微分・積分を極限で定義した(『解析教程』)

1821年の『解析教程』で、コーシーは連続関数を次のように定義しました。「xx の変化が小さければ、f(x)f(x) の変化も小さい」。のちにワイエルシュトラスが、これを現在の ε\varepsilon-δ\delta 論法の形に整えます。

連続の定義(ε と δ)δaεa の近く(δ)なら、f(x) は f(a) の近く(ε)
点aの近く(δ以内)の x に対して、f(x) が f(a) の近く(ε以内)に収まる。これが連続の定義

コーシーは、微分を「差分の比の極限」、積分を「細かい長方形の和の極限」として定義しました。ニュートンやライプニッツの「無限に小さい量」という感覚的な説明を、極限という言葉に置きかえたのです。これで、微分積分が、きちんとした証明のできる学問になりました。高校の微分の公式・積分の公式の土台です。

業績3 コーシー列:答えを知らなくても「収束する」と分かる

数列が収束するかどうかを、行き先の数が分からなくても判定できる方法があります。コーシーが考えたコーシー列です。

コーシー列:項どうしが近づくε11.52間かくが 1/2, 1/4, 1/8, … とちぢむ先の項どうしは、どれもほとんど同じ位置(行き先を知らなくても、近づくと分かる)
1、1.5、1.75、1.875、…と、項どうしの間かくが小さくなっていく。先のほうの項どうしがいくらでも近い数列がコーシー列

「十分先の2つの項 am,ana_m,a_n について、∣am−an∣<ε|a_m-a_n|<\varepsilon となる」数列を、コーシー列といいます。実数の世界では、コーシー列はかならず収束することが知られています(実数の完備性)。これは、極限の値が分からなくても、収束を示せるという強い道具です。

この考え方は、大学数学の実数の厳密な定義にも使われます。カントールやメレー(フランスの数学者)が、コーシー列を使って実数を作る方法を考えました(デデキントは「切断」という別の方法で実数を作りました)。

業績4 コーシー・シュワルツの不等式

受験でよく出る不等式です。2つの数の組 (a1,a2)(a_1,a_2) と (b1,b2)(b_1,b_2) について、次が成り立ちます。

(a12+a22)(b12+b22)≥(a1b1+a2b2)2(a_1^2+a_2^2)(b_1^2+b_2^2)\ge(a_1b_1+a_2b_2)^2
内積と長さ:コーシー・シュワルツabθ|b| cosθ(bの影)内積 a·b = |a||b|cosθ ≦ |a||b|cosθ は1をこえないので、不等式が成り立つ
ベクトルの内積 a·b=|a||b|cosθ は、cosθ が1以下なので |a||b| をこえない。これがコーシー・シュワルツの不等式

図のように、ベクトルの内積は a⃗⋅b⃗=∣a⃗∣∣b⃗∣cos⁡θ\vec a\cdot\vec b=|\vec a||\vec b|\cos\theta です。cos⁡θ\cos\theta は1以下なので、内積の絶対値は2つのベクトルの長さの積以下になります。これが、コーシー・シュワルツの不等式です。等号が成り立つのは、2つのベクトルが同じ向きか反対向きのときです。公式と証明、入試の使い方で、最大・最小の問題での使い方を学べます。

この不等式の歴史には3人の名前があります。コーシーは1821年に、数の和の形(上の式)を示しました。積分の形は、ロシアのブニャコフスキーが1859年に、ドイツのシュワルツが1888年に示したと説明されます。そのため、日本では「コーシー・シュワルツ」、ロシアでは「コーシー・ブニャコフスキー」、欧米では3人の名前をつなげて呼ぶこともあります。

業績5 複素関数論:コーシーの積分定理と積分公式

コーシーのもう1つの大きな仕事は、複素数を変数とする関数の理論です。複素平面の上の閉じた道にそって積分したとき、その道の中で関数がなめらかなら、積分の値は0になります。これがコーシーの積分定理です。

コーシーの積分公式のイメージz₀道 C反時計まわりf(z₀)=1/(2πi) ∮f(z)/(z−z₀) dz道の上の値だけで、中の点の値が決まる
複素平面の上の閉じた道Cと、その中の点z₀。道の上の値だけで、中の点のf(z₀)が決まる

さらに、道の中に点 z0z_0 があるとき、次のコーシーの積分公式が成り立ちます。

f(z0)=12πi∮Cf(z)z−z0 dzf(z_0)=\frac{1}{2\pi i}\oint_C\frac{f(z)}{z-z_0}\,dz

道の「上」の値だけで、道の「中」の値が決まるという、とても強い結果です。ここから、複素関数が一度微分できれば、何回でも微分できることも分かります。実数の世界とは、大きくちがうところです。複素数は、高校数学Cの複素数平面とはで入口を学びます。

業績6 コーシー・リーマンの方程式と、そのほかの仕事

複素関数 f=u+ivf=u+iv が複素数の意味で微分できるための条件は、ux=vyu_x=v_y かつ uy=−vxu_y=-v_x です。これをコーシー・リーマンの方程式といいます(コーシーが先に見つけ、リーマンが重視した名前です)。

そのほか、コーシーは次のような仕事をしました。

  • 無限級数の収束判定:「コーシーの判定法」(根を使う方法)など。
  • 微分方程式:解が存在することの証明(コーシー・コワレフスカヤの定理)。コワレフスカヤが後に一般化しました。
  • 弾性体の力学:物体の変形と力の関係を表す「応力」の考え方。
  • 光学・天文学・代数:行列式の研究、置換の理論(群論への道)など。

コーシーの名前がつく公式・定理・用語

コーシーの名前がつくものは、数学で最も多い人の1人です。解析学の入門書では、1ページに何度も出てくることがあります。

  • コーシー・シュワルツの不等式:→ 不等式の公式と証明、最大・最小の問題
  • コーシー列:先の項どうしがいくらでも近い数列。実数ではかならず収束。
  • コーシーの積分定理・積分公式:複素関数論の基本。
  • コーシー・リーマンの方程式:複素関数が微分できる条件。
  • コーシーの平均値の定理:2つの関数についての平均値の定理。→ ロピタルの定理の証明に使います。
  • コーシーの判定法:無限級数が収束するかどうかを調べる方法。
  • 相加平均・相乗平均の不等式の証明:コーシーが与えた巧みな帰納法の証明が有名です。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

入試で一番使うのはコーシー・シュワルツの不等式。(a2+b2)(c2+d2)≥(ac+bd)2(a^2+b^2)(c^2+d^2)\ge(ac+bd)^2 の形を目で覚えること。等号条件(ad=bcad=bc)もセットだよ。

コーシーの逸話と名言

論文を書きすぎて、規則ができた?

コーシーは、とても多くの論文を書きました。あまりに多かったため、アカデミーの会報(雑誌)のページが足りなくなり、論文の長さに制限ができたという話があります。たとえば、「1本の論文は4ページまで」という規則は、コーシーの論文が増えすぎたのが理由だ、と語られることがあります。この話が正確かどうかについては、説が分かれ、確かめられていません。

アーベルやガロアの原稿をめぐる話

若い数学者のアーベル(5次方程式)は、パリを訪れたとき、自分の大きな論文を科学アカデミーに提出しました(1826年)。審査を任されたコーシーは、その論文をなかなか読まなかったといわれます。アーベルが1829年4月6日に亡くなったあとの6月、コーシーが審査の報告をした、と MacTutor の伝記にあります。のちに原稿は見つかったものの、一度行方不明になっていました。

ガロア理論のガロアの原稿をコーシーが失くした、という話もよく語られます。しかし、実際にどんな経緯だったかは、はっきりしない部分が多く、コーシーだけの責任とは言いきれないという見方もあります。

アーベルは友人への手紙で、コーシーについて「頭がおかしい人だが、数学のあつかい方を知っているのは今のところ彼だけだ」という意味のことを書いたと伝えられます。コーシーの人柄と、その数学の力を、同時に表した言葉として知られています。

人は去るが、その仕事は残る。

コーシーの最後の言葉として伝えられるもの(伝記に書かれた話ですが、記録によって異なる説明もあり、本人の言葉かは確かめられていません)

とてもまじめな信仰者

コーシーは、熱心なカトリック教徒で、教会の活動や慈善事業に力を入れました。そのため、考え方のちがう同僚たちとは、意見がぶつかることもあったといわれます。しかし、数学の仕事では、若い数学者にも、きちんと向き合ったという説明もあります。

教えるのは苦手?

コーシーは、講義が急ぎ足で、ときにはむずかしすぎたといわれます。エコール・ポリテクニークの学生たちの中には、コーシーの講義が理解しにくいと不満を持つ人もいたと伝えられます。一方で、コーシーが講義のために作った教科書の整理のしかたは、のちの大学教育のお手本になりました。「分かりやすく教える」ことと「正確に定義する」ことは、ときにぶつかります。受験生が参考書を選ぶときも、くわしさと読みやすさのバランスを考えることが大切です。

エッフェル塔に刻まれた名前

パリのエッフェル塔に刻まれたフランスの科学者72人の中に、コーシーも入っています。フーリエやラグランジュ、ラプラスなどと並んで、19世紀フランスの科学の黄金時代を代表する1人です。

サクラちゃん

サクラちゃん

コーシーさんは、定義をきちんと決めた人なんですね。でも、それってそんなに大事なんですか?

合格先生

合格先生

大事だよ。定義がはっきりすると、証明がまちがいなくできる。入試でも、「どこまでが分かっていて、どこからが証明か」を書けるかどうかで、点数が大きく変わるんだ。コーシーの考え方は、答案の書き方にもつながるよ。

受験・勉強とコーシーのつながり

中学受験:きまりを「きちんと」説明する力

中学受験で、コーシーの数学が直接出ることはありません。ただ、「きまりを見つけて、どこまでも続くことを説明する」考え方は、数列や規則性の問題の中心です。たとえば、1/2、1/4、1/8、…とだんだん小さくなる数を足していくと、どこまで近づくか、という問題は、極限の考え方の入口になります。

高校受験:式の変形と証明

高校受験では、「文字を使って、いつでも成り立つことを説明する」問題が出ます。これは、コーシーが大切にした「具体例ではなく、一般に成り立つことを証明する」という考え方と同じです。

大学受験:極限・不等式・複素数

大学受験では、コーシーの仕事が次のように現れます。

  • 数列の極限・関数の極限(数学Ⅲ):極限とは、はさみうちの原理など。
  • コーシー・シュワルツの不等式:最大・最小問題、不等式の証明。
  • 平均値の定理・ロピタルの定理:コーシーの平均値の定理が背景にあります。→ ロピタルの定理と使い方
  • 複素数平面(数学C):複素数平面とは。

京都大学・東京大学など難関大学では、不等式を使う最大・最小問題や、極限を厳密に論じる問題が出ます。京大理系数学の出題分析(頻出分野ランキング)で、傾向が分かります。

勉強法として:「定義にもどる」

問題が解けないとき、コーシーのやり方をまねしてみましょう。用語の定義にもどるのです。「連続とは何だったか」「極限とは何だったか」を、自分の言葉で言えるかどうか確かめます。これだけで、解けなかった問題が解けることがよくあります。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。

コーシーがその後の数学にあたえた影響

  • 解析学の厳密化:コーシーの定義は、ワイエルシュトラスのε-δ論法に受けつがれ、19世紀後半に微分積分の土台が固まりました。
  • 複素関数論:コーシーの積分定理は、リーマンのリーマン面や、素数の分布の研究(リーマン予想)に欠かせない道具になりました。ガウスの業績と生涯も複素数平面の考え方を持っていましたが、理論としてまとめたのはコーシーたちです。
  • 実数の構成:コーシー列を使った実数の定義は、カントールの集合論や、のちの距離空間の理論(完備性)につながりました。
  • 群論・代数:置換(ちかん)の研究(コーシーの定理など)は、ガロア理論の準備になりました。
  • 物理・工学:応力の理論は、建築や機械の強さの計算の基礎です。複素積分は、電気回路や流体の計算にも使われます。
  • 大学数学の教科書の型:「定義→定理→証明」と進む今の教科書の書き方は、コーシーの『解析教程』が広めたといわれます。

コーシーは、「数学は、きちんと定義して、証明して、はじめて信頼できる」という考え方を、世界に広めた人でした。

コーシーに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 数列 an=2+1na_n=2+\dfrac1n について、∣an−2∣<0.01|a_n-2|<0.01 となる最小の自然数 nn を求めなさい。
    答えと解説を見る∣an−2∣=1n<0.01|a_n-2|=\dfrac1n<0.01 より n>100n>100。よって最小はn=101n=101。
  2. a⃗=(1,2)\vec a=(1,2)、b⃗=(3,4)\vec b=(3,4) の内積と、∣a⃗∣∣b⃗∣|\vec a||\vec b| の値を求め、コーシー・シュワルツの不等式が成り立つことを確かめなさい。
    答えと解説を見る内積=1×3+2×4=11。∣a⃗∣=5|\vec a|=\sqrt5、∣b⃗∣=5|\vec b|=5 なので ∣a⃗∣∣b⃗∣=55≈11.18|\vec a||\vec b|=5\sqrt5\approx11.18。11 ≦ 11.18 で成り立つ。

ふつう

  1. x2+y2=1x^2+y^2=1 のとき、x+2yx+2y の最大値を求めなさい。
    答えと解説を見るコーシー・シュワルツより (x+2y)2≤(12+22)(x2+y2)=5(x+2y)^2\le(1^2+2^2)(x^2+y^2)=5。よって x+2y≤5x+2y\le\sqrt5。等号は (x,y)=(15,25)(x,y)=\left(\dfrac1{\sqrt5},\dfrac2{\sqrt5}\right) のとき。最大値は5\sqrt5。
  2. a>0a>0、b>0b>0、a+b=1a+b=1 のとき、1a+1b\dfrac1a+\dfrac1b の最小値を求めなさい。
    答えと解説を見るコーシー・シュワルツより (a+b)(1a+1b)≥(1+1)2=4(a+b)\left(\dfrac1a+\dfrac1b\right)\ge(1+1)^2=4。a+b=1a+b=1 なので 1a+1b≥4\dfrac1a+\dfrac1b\ge4。等号は a=b=12a=b=\dfrac12 のとき。最小値は4。

むずかしい

  1. 数列 an=2n+1n+3a_n=\dfrac{2n+1}{n+3} が 2 に収束することを使って、∣an−2∣<0.01|a_n-2|<0.01 となる最小の自然数 nn を求めなさい。
    答えと解説を見るan−2=2n+1−2(n+3)n+3=−5n+3a_n-2=\dfrac{2n+1-2(n+3)}{n+3}=\dfrac{-5}{n+3}。5n+3<0.01\dfrac{5}{n+3}<0.01 より n+3>500n+3>500、n>497n>497。よって最小はn=498n=498。(n=497n=497 のときは ちょうど0.01で、不等号を満たさない)
  2. 複素数平面で、原点を中心とする半径2の円 CC を反時計まわりに1周するとき、∮C1z−1 dz\displaystyle\oint_C\dfrac{1}{z-1}\,dz の値を、コーシーの積分公式から求めなさい。
    答えと解説を見るf(z)=1f(z)=1 として z0=1z_0=1(円の中にある)に公式を使う。f(1)=12πi∮C1z−1dzf(1)=\dfrac{1}{2\pi i}\oint_C\dfrac{1}{z-1}dz から、∮C1z−1dz=2πi⋅f(1)=\oint_C\dfrac{1}{z-1}dz=2\pi i\cdot f(1)= 2πi2\pi i。

コーシーと関係する数学者

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よくある質問

コーシーは何をした人ですか?

コーシーは、18〜19世紀のフランスの数学者です。微分積分を極限によってきちんと定義し直し、連続・収束の考え方を整えました。コーシー・シュワルツの不等式、コーシー列、複素関数論(コーシーの積分定理・積分公式)でも知られます。

コーシー・シュワルツの不等式とは何ですか?

(a₁²+a₂²)(b₁²+b₂²)≧(a₁b₁+a₂b₂)² のように、2つの数の組について成り立つ不等式です。ベクトルの内積は長さの積をこえないことを表します。最大・最小の問題でよく使い、等号は2つの組が比例するときに成り立ちます。

コーシー列とは何ですか?

先のほうの項どうしの差が、いくらでも小さくなる数列のことです。実数の世界では、コーシー列はかならず収束します。極限の値が分からなくても、収束することを示せる便利な性質です。

コーシーはなぜ数学の厳密化で重要なのですか?

それまで「無限に小さい量」といった感覚的な説明が多かった微分積分を、極限を使って定義し直したからです。1821年の『解析教程』は、のちのワイエルシュトラスのε-δ論法につながりました。

コーシーの積分公式とは何ですか?

複素平面の閉じた道の中で関数がなめらかなとき、道の中の点 z₀ での値 f(z₀) が、道にそった積分から求められるという公式です。f(z₀)=(1/2πi)∮f(z)/(z−z₀)dz と書きます。

コーシーはいつ、どこで亡くなりましたか?

コーシーは1857年5月23日、パリ郊外のソーで亡くなりました。67歳でした。1789年8月21日にパリで生まれ、フランス革命と同じ時代を生きました。

コーシーとアーベルの関係は?

若いアーベルは1826年にパリで大きな論文をアカデミーに提出し、審査をコーシーが任されました。報告がなかなか出されないまま、アーベルは1829年に亡くなり、その後の6月に報告されたと伝記に書かれています。

コーシーの論文はどのくらいありますか?

MacTutor(セント・アンドルーズ大学)の伝記では、数学の論文が789本あるとされています。数学者の中でも特に多く、アカデミーの会報のページ数が足りなくなったという話も語られますが、確かめられてはいません。

コーシーは受験とどう関係しますか?

数学Ⅲの極限・連続・微分積分は、コーシーが定義を整えたものです。大学入試ではコーシー・シュワルツの不等式、平均値の定理、ロピタルの定理、複素数平面などが出ます。難関大の最大・最小問題で役立ちます。

コーシーはなぜフランスを離れたのですか?

1830年の七月革命で新しい政府ができ、忠誠の誓いを求められましたが、コーシーは王政を支持する立場から拒みました。そのため教授の職を失い、スイス、イタリア、プラハなどで過ごしたあと、1838年にパリに戻りました。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics, “Augustin-Louis Cauchy”(セント・アンドルーズ大学)
  • A.-L. Cauchy, “Cours d’analyse de l’École Royale Polytechnique”(1821年)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦