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ロバチェフスキーNikolai Lobachevsky
ひとことで言うと
2000年「正しい」とされた平行線の公理を疑い、非ユークリッド幾何学を世界ではじめて印刷して発表したロシアの数学者。「幾何学のコペルニクス」とよばれる。
| 名前 | ニコライ・イヴァノヴィチ・ロバチェフスキー(Nikolai Ivanovich Lobachevsky) |
|---|---|
| 生没年 | 1792年12月1日〜1856年2月24日(63歳) |
| 国 | ロシア(ニジニ・ノヴゴロド生まれ、カザンで活躍) |
| 分野 | 幾何学(非ユークリッド幾何学) |
| 主な業績 | 平行線の公理を変えた双曲幾何学(ロバチェフスキー幾何学)の発表(1826〜1829年)、三角形の面積公式、カザン大学学長として大学を整備 |
| 名前がつくもの | ロバチェフスキー幾何学・ロバチェフスキーの平行角 |
| よばれ方 | 幾何学のコペルニクス |
このページのポイント
- 平行線の公理を否定しても矛盾が出ないことから、非ユークリッド幾何学を築いた(1826〜1829年)
- この幾何学では三角形の内角の和が180°より小さくなる。ハンガリーのボーヤイも別に同じ発見をした
- 生きているあいだはほとんど認められなかったが、のちに相対性理論・宇宙論などで活かされた
ロバチェフスキーは何をした人?(業績をひとことで)
ニコライ・イヴァノヴィチ・ロバチェフスキー(1792〜1856年)は、ロシアの数学者です。2000年以上のあいだ「正しい」とされてきたユークリッドの幾何学とはちがう、平行線の公理が成り立たない新しい幾何学(非ユークリッド幾何学)を、世界ではじめて印刷して発表した人です。この幾何学では三角形の内角の和が180°より小さくなります。人は「想像の幾何学」といって笑いましたが、のちに、現代の宇宙論や相対性理論の数学にもつながる大発見だと分かりました。ロバチェフスキーは「幾何学のコペルニクス」ともよばれます。
受験生にとってのロバチェフスキーは、「当たり前だと思っていたことを、疑ってみる」という数学の姿勢の代表です。中学・高校で習う「平行線の同位角は等しい」(平行線と角の性質)や「三角形の内角の和は180°」(多角形の内角の和の公式)は、じつは「平行線の公理」があってはじめて成り立つ性質です。くわしくは平行線公準の問題とは?で、2000年の歴史をまとめています。
うかるくん
三角形の内角の和が180°じゃない世界なんて、ありえるんですか?
合格先生
ありえるんだ。地球のような球の面でも、三角形の内角の和は180°より大きくなる。ロバチェフスキーが考えたのは、その反対の180°より小さくなる世界。「平らな紙の上」しか知らなかった人たちには、想像もできなかったんだね。

ロバチェフスキーの生涯と年表
ニジニ・ノヴゴロドに生まれ、カザンで育つ
ロバチェフスキーは1792年12月1日、ロシアのニジニ・ノヴゴロドで生まれました。父は役人だったと伝えられ、ロバチェフスキーが7歳のころに亡くなったといわれます。母は3人の息子を連れて、東の町カザンに移り住み、きびしい暮らしの中で、子どもたちを国のお金で学べる学校に入れました。ロバチェフスキーはここで才能を見せ、1807年、14歳でカザン大学に入ります。
カザン大学の先生、そして学長へ
大学では、ガウスの友人であり先生でもあったドイツ人の数学者バルテルスに学びました。1811年に修士の学位を受け、1814年に講師、1816年に員外教授、1822年に正教授になります。1820年から1825年までは学部長、1825年から1835年までは図書館長も務めました。そして1827年、34歳でカザン大学の学長になり、19年間その立場にありました。1830年にカザンでコレラが流行したときには、学長として対策をとり、皇帝から感謝の言葉を受けたと伝えられます。
新しい幾何学の発表と、ひどい扱い
1826年2月11日、ロバチェフスキーは大学の学部会で「幾何学の原理についての簡単な説明」を発表しました。この論文の原稿は残っていません。そして1829年には、地元の雑誌『カザン通報』に、新しい幾何学についての論文を発表します。これが非ユークリッド幾何学が印刷された最初とされています。しかし、サンクトペテルブルクの科学アカデミーに出した論文は、認められませんでした。ロバチェフスキーは、その後もドイツ語・フランス語で本や論文を出し続けます(1837年、1840年など)。
晩年、失明、そして死
1846年、ロバチェフスキーは大学を辞めさせられるような形で退任しました。病気がちになり、晩年には視力も失ったといわれます。長男の死などの不幸もあり、経済的にも苦しくなりました。それでも研究をやめず、1855年には、弟子たちに口述して『パンゲオメトリア(汎幾何学)』を完成させたと伝えられます。1856年2月24日、カザンで亡くなりました(63歳)。生きているあいだに、その業績が広く認められることは、ほとんどありませんでした。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1792年 | 12月1日、ロシアのニジニ・ノヴゴロドで生まれる |
| 1807年 | 14歳でカザン大学に入学 |
| 1811年 | 修士の学位を受ける |
| 1814年 | カザン大学の講師になる |
| 1822年 | カザン大学の正教授になる |
| 1826年 | 2月11日、新しい幾何学の原理を学部会で発表(原稿は残っていない) |
| 1827年 | カザン大学の学長に(〜1846年) |
| 1829年 | 雑誌『カザン通報』に非ユークリッド幾何学の論文を発表(印刷された最初とされる) |
| 1830年 | カザンでコレラが流行。学長として対策をとる |
| 1840年 | ドイツ語の小冊子『平行線の理論についての幾何学的研究』をベルリンで出版 |
| 1846年 | 大学を退任 |
| 1855年 | 『パンゲオメトリア』(口述)を完成したと伝えられる |
| 1856年 | 2月24日、カザンで亡くなる(63歳) |
ロバチェフスキーの主な業績をやさしく解説
業績1 平行線の公理を疑う
ユークリッドの『原論』には、図形の証明のもとになる5つの「公準」があります。その5番目が平行線の公準で、次のような意味です。「直線 の外にある点 を通って、 に平行な直線は、ちょうど1本だけ引ける」。
この5番目だけは、ほかの4つに比べて長くて複雑でした。そこで、2000年のあいだ多くの数学者が「ほかの公準から証明できるはずだ」と考え、証明を試みました(ルジャンドルもその一人です)。しかし、だれも成功しませんでした。
ロバチェフスキーは、発想を逆にしました。「証明できないなら、この公準を否定したらどうなるかを調べよう」。つまり、「点 を通って と交わらない直線が2本以上ある」と仮定して、数学を進めたのです。もしここで矛盾が見つかれば、5番目の公準は証明できたことになります。ところが、いくら調べても、矛盾は出てきませんでした。それどころか、きちんとした、美しい、新しい幾何学ができあがりました。これがロバチェフスキーの幾何学(双曲幾何学)です。
業績2 三角形の内角の和が180°より小さい世界
平行線の公理を変えると、次々とふしぎなことが起こります。まず、三角形の内角の和は、いつも180°より小さくなります。しかも、三角形が大きいほど、角の和は小さくなります。式にすると、三角形の面積はこうなります( は世界の「曲がり具合」を決める定数)。
この式から、面積は より大きくならないことも分かります(角の和が0に近づくだけだから)。つまり、どんなに大きな三角形をかいても、面積に上限があるのです。さらに、3つの角が等しい2つの三角形は、かならず合同です(形が同じで大きさがちがう「相似」は、存在しません)。これも、ふつうの平らな幾何学との大きなちがいです。
ふつうの平面でも、三平方の定理や多角形の内角の和の公式は、「平らな世界」でだけ成り立ちます。ロバチェフスキーの世界では、四角形の内角の和も360°より小さく、長方形(4つの角がすべて直角の四角形)は存在しません。
業績3 「想像の幾何学」を数学として築いた
ロバチェフスキーは、この新しい幾何学を、ただ「ありうる」と言っただけでなく、円周の長さ、面積、体積、三角関数まで計算できる形に整理しました。のちに、この世界を「目で見える形」にするモデルが考えられます。1868年にリーマンの幾何学を学んだイタリアの数学者ベルトラミが、「擬球」という曲面の上でモデルを作り、1871年にクライン、そして1882年にポアンカレが、円板の中に作るモデルを示しました。
このポアンカレの円板では、円の内側が世界のすべて、円周は「無限のかなた」です。円周に直角に交わる円弧や、円の直径が「直線」の役目をします。円の中心から外へ向かうほど、ものさしの目もりが小さくなる、と考えます。そうすると、赤い3つの円弧にかこまれた三角形の角の和は0度になります。「ロバチェフスキーの幾何学は、矛盾しない」ことが、このモデルから確かめられたのです。
業績4 大学の学長として、カザンを育てる
ロバチェフスキーは、研究者であるだけでなく、カザン大学を育てた学長でもありました。学長の19年間に、図書館・天文台・実験室・病院などを整え、当時のロシアの地方の大学を、世界に通用する学校に近づけたといわれます。1830年のコレラ流行のときには、大学の建物を使った対策をとって、被害を減らしたとも伝えられます。研究の世界では報われなかったかもしれませんが、教育者・管理者としては、とても高く評価された人でした。
ロバチェフスキーの名前がつく公式・定理・用語
- ロバチェフスキー幾何学(双曲幾何学):平行線の公準を「平行線が2本以上ある」に変えた幾何学。三角形の内角の和は180°より小さい。
- ロバチェフスキーの平行角:直線 と点 の距離によって決まる、平行線の角度。距離が大きいほど小さくなる。
- 双曲面・擬球:ロバチェフスキー幾何学を目に見える形で表した曲面。
- ポアンカレの円板・上半平面モデル:ロバチェフスキー幾何学の「地図」にあたるもの。
- ロバチェフスキーの面積公式:三角形の面積=。
- 関連する高校数学:平行線と同位角・錯角・多角形の内角の和・平行の意味

合格先生
「三角形の内角の和は180°」は、平行線の公理があるから成り立つ定理なんだ。証明のとき、「平行線の錯角は等しい」を使うよね。ロバチェフスキーは、その土台を疑ったんだよ。
ロバチェフスキーの逸話と名言
ガウスはもっと前から知っていた?
ガウスの業績と生涯は、早くから平行線の公理が証明できないことに気づいていたといわれますが、一度も公に発表しませんでした。ロバチェフスキーの1840年のドイツ語の小冊子を読んだガウスは、とても感心し、ロシア語を学び、ロバチェフスキーをゲッティンゲンの科学協会の会員に推薦した、と伝えられます(1842年)。ただし、ガウスは公には論評せず、ロバチェフスキーと直接やりとりをした記録もないとされています。ガウスの評価が広く知られるようになったのは、ガウスの死後、手紙が見つかってからです。
ボーヤイとの「ほぼ同時の発見」
ハンガリーのボーヤイ(ヤーノシュ)も、ロバチェフスキーとは別に、1832年に同じ幾何学を発表しました。ボーヤイの父は、ガウスの友人でした。ふたりは、おたがいを知らないまま、同じ結論にたどり着いたのです。「新しい考え方は、ひとりでに、あちこちで生まれる」という数学の不思議を示す例です。
年表を見ると、ロバチェフスキーが新しい幾何学を発表した1826年から、ポアンカレが円板モデルを示す1882年まで、50年以上かかっています。ベルトラミのモデル(1868年)が出て、はじめて数学者たちが「この幾何学は矛盾しない、れっきとした数学だ」と受け入れました。ロバチェフスキーは、その結果を見ることなく、1856年に亡くなっています。新しい考え方が受け入れられるには、ときに世代をこえる時間が必要だということを、この歴史は教えてくれます。
名言「どんな抽象的な数学も、いつか現実の役に立つ」
どんなに抽象的な数学の分野でも、いつか現実の世界の現象に応用されないものはない。
この言葉は、ロバチェフスキーの幾何学がのちにアインシュタインの相対性理論や宇宙の形の研究で実際に使われたことと、ぴったり重なります。ただし、本人の言葉として確かな出典がはっきりしないため、「広まっている言葉」として紹介しています。
歌になったロバチェフスキー
アメリカの数学者・歌手トム・レーラーが、1950年代に作った「ロバチェフスキー」という歌があります。「論文を盗む(盗作)ことで有名になる方法」を、冗談で歌った曲で、歌詞にロバチェフスキーの名前が出てきます。ただし、実際のロバチェフスキーが盗作をしたという事実はありません。名前の響きが歌に合っていたため選ばれたと説明されることが多いようです。それくらい、ロバチェフスキーの名前は、欧米の数学好きに知られているのです。
サクラちゃん
40年もだれにも認められなかったなんて……くじけそうです。
合格先生
でもロバチェフスキーは、くじけなかった。大学の学長として働き、目が見えなくなっても口述で本を完成させた。「正しいと信じることを、続ける」。受験の勉強も、同じだよ。結果が出る前の時期が、いちばん大事なんだ。
受験・勉強とロバチェフスキーのつながり
中学受験・高校受験:平行線と角度の問題
中学受験・高校受験の図形問題では、「平行線の同位角・錯角は等しい」「三角形の内角の和は180°」を使って、角の大きさを求める問題が毎年出ます。平行線と角の性質や多角形の内角の和の公式は、ロバチェフスキーが疑った「平行線の公理」の上に成り立つ定理です。「何を前提にしているか」を意識すると、図形の理解がぐっと深まります。
大学受験:「公理から証明する」考え方
大学入試では、ロバチェフスキーの幾何学そのものは出ませんが、「前提(仮定)が変わると、結論が変わる」という考え方は、証明問題の基本です。たとえば、背理法(「結論を否定したらどうなるか」を考える)は、まさにロバチェフスキーの方法そのものです。反例の意味と使い方や命題の意味は、論理の道具を使いこなす練習になります。
数学オリンピック・大学数学へ
大学では、球面幾何学・双曲幾何学・リーマン幾何学を学びます。人工衛星や宇宙の話では、ロバチェフスキーの幾何学が実際に使われます。数学を深く学びたい人は、京大理系数学の出題分析などで、入試の傾向を確かめつつ、大学数学の世界をのぞいてみましょう。
勉強法として:「当たり前」を疑う
ロバチェフスキーの最大の教えは、「当たり前を疑う」ことです。公式や定理を暗記するときも、「なぜ成り立つのか」「どんな前提のもとで成り立つのか」を考える習慣をつけると、応用問題に強くなります。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も読んでください。
ロバチェフスキーがその後の数学にあたえた影響
- 幾何学の大変革:リーマンの幾何学(1854年)、クラインのエルランゲン・プログラム(1872年)へと、「幾何学とは何か」を問い直す流れが生まれました。
- 公理主義の誕生:ヒルベルトは『幾何学の基礎』(1899年)で、ユークリッドの公理をきちんと整理し直しました。「公理を変えると別の数学ができる」という考えが、現代数学の基礎になりました。
- 相対性理論・宇宙論:アインシュタインの特殊相対性理論では、速度の空間が双曲幾何学の構造をもつことが知られています。宇宙の形(空間が平らか、球面か、双曲か)を調べる研究にも使われます。
- 複素関数・位相幾何学:ポアンカレは双曲幾何学を使って、複素関数(保型関数)の理論を作りました。ポアンカレ予想とは?の解決にも、双曲幾何学が深く関わっています。
- 芸術・デザイン:オランダの画家エッシャーが、ポアンカレの円板を使った版画「円の極限」シリーズ(1950年代)を作りました。
最後に、ロバチェフスキーの仕事をひとことでまとめると、「疑う勇気」と「最後まで調べぬく粘り強さ」です。平行線の公理は、だれもが「証明したいもの」と考えていたのに対し、ロバチェフスキーは「証明できないものとして受け入れ、その上に新しい世界を築く」道を選びました。この発想の転換があったから、数学は「ただ1つの正しい世界を調べる学問」から、「いろいろな世界を、公理から組み立てて調べる学問」へと変わっていったのです。
ロバチェフスキーに挑戦!練習問題
やさしい
- ふつうの平面で、三角形の2つの角が50°と70°のとき、残りの角は何度ですか。
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三角形の内角の和は180°なので、180°−(50°+70°)=60°。(この「180°」は、平行線の公理が成り立つ平らな面の話です) - 直線 l の外の1点 P を通って、l に平行な直線は、ユークリッドの幾何学では何本引けますか。ロバチェフスキーの幾何学では何本ですか。
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ユークリッドの幾何学ではちょうど1本。ロバチェフスキーの幾何学では、l と交わらない直線が無数に(2本以上)引けます。
ふつう
- 半径1の球面上の三角形で、3つの角がすべて90°のものの面積を求めなさい。(球面三角形の面積=R²×(内角の和−π))
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内角の和は270°=3π/2。面積=1²×(3π/2−π)=π/2。これは球の表面積4πの1/8にあたります(北極と赤道の2点を結んだ三角形)。 - ロバチェフスキーの幾何学(k=1)で、内角が60°、60°、30°の三角形の面積を求めなさい。(面積=k²(π−α−β−γ))
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内角の和は150°=5π/6。面積=π−5π/6=π/6。
むずかしい
- ふつうの平面で凸四角形の内角の和が360°になることを、対角線で2つの三角形に分けて説明しなさい。ロバチェフスキーの幾何学で同じ方法を使うと、内角の和はどうなりますか。
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対角線で2つの三角形に分けると、内角の和は 180°×2=360°。ロバチェフスキーの幾何学では、それぞれの三角形の内角の和が180°より小さいので、四角形の内角の和は360°より小さくなります。 - ロバチェフスキーの幾何学で、3つの角がそれぞれ等しい2つの三角形は、どんな関係になりますか。理由も答えなさい。
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面積=k²(π−角の和) なので、角が同じなら面積も同じ。さらに形が決まるので、2つの三角形は合同になります。(ふつうの平面のように「大きさのちがう相似な三角形」はありません)
ロバチェフスキーと関係する数学者
- ユークリッド(平行線の公準を書いた人):ロバチェフスキーが疑った相手であり、『原論』は幾何学の土台です。
- ガウス(非ユークリッド幾何学を先に考えていた):ロバチェフスキーの1840年の小冊子を高く評価しました。
- ボーヤイ(同じ幾何学を別に発見):1832年に同じ幾何学を発表したハンガリーの数学者です。
- ルジャンドル(平行線の証明に挑戦した人):平行線の公準の証明に何度もチャレンジしました。
- リーマン(曲面の幾何学)・ポアンカレ(円板モデル)・クライン(モデルと幾何学の分類):新しい幾何学を認めさせた人たちです。
- ヒルベルト(公理の整理):ユークリッド幾何学の公理を整理し直しました。
数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、数学で使う記号の読み方は数学でよく使う記号の意味一覧(Σ・∫・≡)もどうぞ。
19世紀の数学者
- ソフィ・ジェルマンの業績と生涯
フェルマーの最終定理の研究(ジェルマン素数)。男性の名前で論文を送った - ガウスの業績と生涯
1から100までの和を一瞬で出した少年。正十七角形の作図・『整数論』・最小二乗法。「数学の王」 - コーシーの業績と生涯
極限を使って微分積分を厳密にした。コーシー・シュワルツの不等式 - メビウスの業績と生涯
裏と表がない「メビウスの帯」 - アーベルの業績と生涯
5次方程式には解の公式がないことを証明。アーベル賞の名前のもと - ボーヤイ(1802〜1860)
ロバチェフスキーと別に非ユークリッド幾何学を発見 - ヤコビ(1804〜1851)
楕円関数・ヤコビアン(変数変換) - ディリクレ(1805〜1859)
鳩の巣原理(ディリクレの部屋割り論法)・算術級数定理 - ハミルトン(1805〜1865)
四元数を発見。ケーリー・ハミルトンの定理 - ガロアの業績と生涯
方程式が解けるかどうかを「群」で判定(ガロア理論)。20歳で決闘で亡くなった - エイダ・ラブレスの業績と生涯
解析機関のためのプログラムを書いた「最初のプログラマー」 - ブールの業績と生涯
論理を式で計算するブール代数。コンピューターの基礎
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ロバチェフスキーがかかわった数学の難問
- 平行線公準の問題とは(不可能・決められないと証明)
ほかの公理から平行線の公理を証明できるか。証明できず、成り立たない幾何学(非ユークリッド幾何学)もあると分かった
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受賞年・受賞年齢まとめ
よくある質問
ロバチェフスキーは何をした人ですか?
ロバチェフスキーは、19世紀のロシアの数学者です。ユークリッド幾何学の平行線の公理が成り立たない非ユークリッド幾何学(双曲幾何学)を、世界ではじめて印刷して発表しました。カザン大学の学長も19年間務めました。
非ユークリッド幾何学とは何ですか?
ユークリッドの平行線の公準(点を通って平行な直線がちょうど1本)を変えた幾何学です。ロバチェフスキーの幾何学では平行線が無数に引け、三角形の内角の和は180度より小さくなります。球面の幾何学(内角の和が180度より大きい)も非ユークリッド幾何学の仲間です。
なぜ三角形の内角の和が180度より小さくなるのですか?
平行線の公理を、「点を通って、交わらない直線が2本以上ある」に変えると、証明によって内角の和が180度未満になることが導かれます。面積は k²(π−α−β−γ) と表され、角の和が小さいほど三角形は大きくなります。
ロバチェフスキーとボーヤイの関係は?
ハンガリーのヤーノシュ・ボーヤイも、ロバチェフスキーとは別に、1832年に同じ幾何学を発表しました。ふたりはおたがいを知らないまま、同じ発見にたどり着きました。ガウスもすでに考えていたといわれます。
ガウスはロバチェフスキーをどう評価しましたか?
ガウスは1840年のロバチェフスキーの小冊子を読んで感心したとされ、ロシア語を学び、ゲッティンゲンの科学協会の会員に推薦したと伝えられます。ただし、ガウスが公に論評したり、直接やりとりしたりした記録はないとされています。
ロバチェフスキーの名言はありますか?
「どんなに抽象的な数学の分野でも、いつか現実の世界の現象に応用されないものはない」という言葉が広まっています。ただし、確かな出典は確かめられていません。
ロバチェフスキーの幾何学は何の役に立ちますか?
相対性理論の速度の空間、宇宙の形の研究、複素関数(保型関数)の理論、ポアンカレ予想の解決などに使われます。ロバチェフスキーの幾何学は、「公理を変えれば別の数学ができる」という現代数学の考え方の出発点になりました。
ポアンカレの円板とは何ですか?
双曲幾何学の世界を円の内側に表したモデルです。円の内側が世界のすべて、円周は無限のかなたで、円周に直角に交わる円弧や直径が直線の役目をします。ポアンカレが1882年に示しました。
ロバチェフスキーはいつ・どこの人ですか?
1792年12月1日にロシアのニジニ・ノヴゴロドで生まれ、1856年2月24日にカザンで亡くなりました。カザン大学で学び、教授をへて、1827年から1846年まで学長を務めました。
ロバチェフスキーは受験とどう関係しますか?
「平行線の同位角は等しい」「三角形の内角の和は180度」など、中学・高校で習う図形の定理は、平行線の公理が成り立つ世界でだけ成り立ちます。背理法など、「前提を疑って考える」論理の力は、証明問題の基本です。
あわせて読みたい
出典・参考
- MacTutor History of Mathematics, “Nikolai Ivanovich Lobachevsky”(セント・アンドルーズ大学)
- N. I. Lobachevsky, “Geometrische Untersuchungen zur Theorie der Parallellinien”(1840年)
- N. I. Lobachevsky, “Pangéométrie”(1855年)
- 肖像:Lev Kryukov「Nikolai Lobachevsky」(1843年より前)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦



