アーベルは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|5次方程式・アーベル賞・アーベル群・楕円関数

アーベルは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|5次方程式・アーベル賞・アーベル群・楕円関数

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アーベルNiels Henrik Abel

ひとことで言うと

5次方程式には一般の解の公式がないことを21歳で証明したノルウェーの天才。楕円関数も開き、26歳で亡くなった。名前はアーベル賞に残る。

名前ニールス・ヘンリク・アーベル(Niels Henrik Abel)
生没年1802年8月5日〜1829年4月6日(26歳)
国ノルウェー(フリンドー生まれ、フローランで没)
分野代数学・解析学(楕円関数・級数)
主な業績5次方程式の一般の解の公式がないことの証明(1824年)、楕円関数の理論、アーベルの極限定理、二項定理の厳密な証明、アーベル積分とアーベルの定理
名前がつくものアーベル賞・アーベル群・アーベル・ルフィニの定理・アーベルの極限定理・アーベル積分・アーベルの総和法
よばれ方早すぎる死をむかえた天才、代数学の先駆者

このページのポイント

  • 5次方程式には、一般の解の公式がないことを1824年(21歳)に証明。ただし、特別な5次方程式なら解ける
  • 楕円関数・アーベルの極限定理・アーベル群など、現代の数学に残る仕事をした。26歳で亡くなった
  • 2003年から贈られているアーベル賞は「数学のノーベル賞」とよばれ、日本人では2025年に柏原正樹が受賞

アーベルは何をした人?(業績をひとことで)

ニールス・ヘンリク・アーベル(1802〜1829年)は、ノルウェーの数学者です。「5次方程式には、一般の解の公式がない」ことを証明したことで、いちばん有名です。さらに、楕円関数の理論をつくり、べき級数や二項定理の厳密な扱い方でも大きな仕事を残しました。わずか26歳で亡くなったため、「早すぎる死をむかえた天才」とよばれます。

2003年からは、ノルウェー政府が、アーベルの名前をつけた数学の賞「アーベル賞」を毎年おくっています。数学にはノーベル賞がないため、アーベル賞は「数学のノーベル賞」ともよばれます。日本人では、2025年に柏原正樹が受賞しました。

受験生にとってのアーベルは、まず「解の公式」の限界を示した人です。中学・高校で習う2次方程式の解の公式、そして3次・4次方程式の解の公式は、ふつうの入試には出ません。でも、5次方程式には解の公式が存在しない、という事実の背景には、アーベルの証明があります。また、大学の代数学で学ぶ「アーベル群」にも、アーベルの名前がついています。

うかるくん

うかるくん

公式が「ない」ことを証明するって、どうやってやるんですか? 探しても見つからなかっただけ、じゃなくて?

合格先生

合格先生

そこがアーベルのすごいところなんだ。「探しても見つからなかった」ではなく、「どんなに探しても、見つかるはずがない」と、論理で証明した。こういう証明を不可能性の証明というよ。数学の歴史でも、とても大きな出来事だったんだ。

アーベルの肖像画(ゴルビッツ作、1826年)
24歳ごろのアーベル(1826年、ノルウェーの画家ゴルビッツによる肖像画)画像:Johan Gørbitz(1826年ごろ)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

アーベルの生涯と年表

牧師の子として生まれる

アーベルは1802年8月5日、ノルウェー南西部のスタヴァンゲル近くのフリンドーで生まれました。父は牧師で、政治家でもありました。この時代、ノルウェーはデンマークからスウェーデンの支配に移る激しい変化の中にありました。子どもが多く、決して豊かではありませんでした。

先生ホルンボエとの出会い

アーベルは1815年、首都クリスチャニア(いまのオスロ)の大聖堂付属学校に入学します。最初のうちは、数学に特別な才能を見せませんでした。転機は1817年、数学の先生にベルント・ホルンボエが着任したことです。ホルンボエは、アーベルの才能にいち早く気づき、教科書だけでなく、オイラーやラグランジュ、ガウスの業績と生涯といった大数学者の本を読むようにすすめました。アーベルは、これらを自分で読み進めて、数学の力を一気にのばしたと伝えられます。

父の死と貧しさ、そして5次方程式

1820年に父が亡くなり、家は大変な苦境に立たされます。それでもアーベルは、先生たちの援助でクリスチャニア大学に進みました。そして1820年代前半、5次方程式の研究に取り組みます。最初は「解けた」と思いこんだこともあったとされますが、まちがいに気づき、逆に「解の公式は存在しない」ことを示す道へ進みました。

1824年、アーベルは証明を自費でパンフレットとして出版しました。お金がなかったため、内容をわずか6ページ程度におさえたと MacTutor の伝記にあります。証明が短すぎて、読む人には分かりにくかった、という説明もあります。

ヨーロッパへの旅:ベルリンとパリ

1825年、アーベルは国から奨学金を得て、ヨーロッパへ旅に出ます。ベルリンではアウグスト・クレレと出会い、親友になりました。クレレは、新しく数学の雑誌(クレレ誌)を創刊するところで、1826年の創刊号からアーベルの論文を次々と掲載します。1827年には、この雑誌の第2巻に、アーベルの楕円関数の論文が掲載されました。

1826年にはパリにも行きますが、コーシーやルジャンドルに大きな論文を提出したものの、なかなか読んでもらえませんでした。同じ年、アーベルは友人への手紙の中で、コーシーについて「頭のおかしい人だが、いまの数学のあつかい方を知っているのは彼だけだ」という意味のことを書いた、と伝えられます。

ノルウェーに戻り、26歳で亡くなる

1827年にノルウェーに戻ったとき、アーベルは病気で、お金にも困っていました。代理の教師などで生活をつなぎながら、研究を続けます。1828年10月には、クレレへの手紙で、方程式が代数的に解けるための条件についての考えを書き送りました。これは、のちにガロア理論で完成する方向の研究ですが、アーベルは完成させる前に亡くなりました。

1829年4月6日、アーベルはフローラン(Froland)で亡くなりました。26歳でした。ベルリン大学の教授にむかえるというクレレの知らせは、亡くなる直前、またはその直後に届いたと語られます。パリの科学アカデミーは、1830年にアーベルに大賞を贈りましたが、すでに亡くなったあとでした。

年できごと
1802年8月5日、ノルウェー南西部のフリンドーで牧師の子として生まれる
1815年クリスチャニアの大聖堂付属学校に入学
1817年数学の先生ホルンボエが着任。才能を見いだされる
1820年父が亡くなる。クリスチャニア大学へ(1821年)
1824年5次方程式の一般の解の公式がないことを証明(自費出版)
1825年奨学金でヨーロッパへ。ベルリンでクレレと出会う
1826年パリを訪問。科学アカデミーに大論文を提出
1827年ノルウェーへ戻る。クレレ誌の第2巻に楕円関数の論文
1828年クレレへの手紙で、方程式が解ける条件を書く
1829年4月6日、フローランで亡くなる(26歳)
1830年パリの科学アカデミーが大賞を贈る(ヤコビと共同)
2003年ノルウェーの「アーベル賞」が始まり、初代の受賞者はセール

アーベルの主な業績をやさしく解説

業績1 5次方程式に、解の公式はない

2次方程式 ax2+bx+c=0ax^2+bx+c=0 には、よく知られた解の公式があります。3次・4次方程式にも、16世紀にカルダノ・タルタリアらが見つけた解の公式があります。そのため、数学者たちは「5次にも、きっと公式があるはずだ」と考えて、約300年も探し続けました。

方程式の解の公式の階段2次公式あり古代から3次公式ありカルダノ4次公式ありフェラーリ5次公式なしアーベル3次・4次は16世紀、5次の「なし」は1824年に証明
2次・3次・4次方程式には解の公式があるが、5次方程式には一般の解の公式がないことをアーベルが証明した

1824年、アーベルは「x5+ax4+bx3+cx2+dx+e=0x^5+ax^4+bx^3+cx^2+dx+e=0 のような一般の5次方程式を、足し算・引き算・かけ算・わり算・累乗根(平方根・立方根など)だけで解く公式は存在しない」ことを証明しました。これをアーベル・ルフィニの定理とよびます。イタリアのルフィニも、約25年前に同じ主張を発表していましたが、その証明には不完全なところがあったと説明されます。アーベルの証明は、MacTutor によれば、ルフィニの仕事(コーシーの1815年の論文を通して知った)をもとにしています。

ここで注意すべき点があります。この定理は、「すべての5次方程式が解けない」という意味ではありません。たとえば x5−x=0x^5-x=0 や x5−1=0x^5-1=0 のような特別な形は、ふつうに解けます。また、5次方程式にも解そのものはあります(ガウスの業績と生涯が証明した代数学の基本定理により、複素数の範囲で5個)。アーベルが証明したのは、「すべての5次方程式を、同じ公式で、累乗根だけで表すことはできない」ということです。くわしくは解の公式とはと解と係数の関係で確かめられます。

業績2 楕円関数:円から、だ円へ

円の弧の長さを求める積分は、サインやコサインの逆関数と結びつきます。では、だ円の弧の長さを表す積分は、どうなるのでしょうか。この積分は「楕円積分」とよばれ、ふつうの関数では表せないことが知られています。

円からだ円へ:楕円関数のはじまり円弧の長さの逆 → sin・cosだ円弧の長さの逆 → 楕円関数赤い線が「弧の長さ」。アーベルはその逆を調べた(円は2π、だ円の周は式では書けない)
円の弧の長さの逆はサイン・コサイン、だ円の弧の長さの逆が楕円関数

アーベルは、1827年から28年にかけて、楕円積分の逆関数を考える方法を示しました。これが楕円関数です。サインやコサインが周期を1つ持つのに対して、楕円関数は周期が2つあります(二重周期性)。ドイツのヤコビの楕円関数も、ほぼ同じ時期に同じ方向の研究をして、2人は競い合うように楕円関数の理論をつくりました。

楕円関数は、のちに、リーマンの複素関数論や、数論(フェルマーの最終定理の証明でも使われる楕円曲線)にもつながります。アーベルの仕事は、26歳の青年が、数学の次の100年の方向をきめた例と言われます。フェルマーの最終定理の話はフェルマーの最終定理とは?わかりやすく解説も読んでください。

業績3 べき級数の厳密な扱い:アーベルの極限定理

マクローリン展開のようにべきの形で書く無限級数(べき級数)は、ある範囲で関数と等しくなります。その範囲の「ふち」で、何が起こるのかを調べたのが、アーベルです。

アーベルの極限定理x=1 で ln21x=−1 は発散1 − 1/2 + 1/3 − 1/4 + … = ln2級数の端まで、関数となめらかにつながる
べき級数 x−x²/2+x³/3−… は ln(1+x)。x=1 のふちでも収束し、値は ln2 で、関数とつながる

アーベルは、「べき級数が収束するふちの点で収束するなら、その値は、ふちに近づく極限と一致する」ことを証明しました(アーベルの極限定理)。たとえば、ln⁡(1+x)=x−x22+x33−⋯\ln(1+x)=x-\dfrac{x^2}{2}+\dfrac{x^3}{3}-\cdots は、x=1x=1 のときにも収束し、その値は ln⁡2\ln2 になります。つまり、

1−12+13−14+⋯=ln⁡21-\frac12+\frac13-\frac14+\cdots=\ln2

です。この定理は、収束半径のふちを調べるときの基本になり、べき級数の収束半径と収束域の学習とも結びつきます。

アーベルは、オイラーやラグランジュが使っていた、収束を確かめない無限級数の扱い方に、不満を持っていました。アーベルは、二項定理 (1+x)m=∑(mk)xk(1+x)^m=\sum\binom mk x^k が、複素数の mm でも成り立つことを、きちんと証明しようとしました。この仕事は、当時の解析学を厳密にする流れの一部です。

業績4 アーベル群(アーベル可換群)と、アーベルの名がつく概念

数学では、順番を入れかえても同じ結果になる群のことを「アーベル群」とよびます。たとえば、数の足し算では a+b=b+aa+b=b+a です。

アーベル群の例(4時間の時計)+012312302301301200112233表が対称:a+b = b+a(順番を変えても同じ)
4で割った余りの足し算表。表が左上から右下の線について対称で、a+b=b+a。これがアーベル群の例

図は、「4時間の時計」の足し算表です。0から3までの数を足して、4で割った余りを書きます。表が対角線について対称になっていて、a+b=b+aa+b=b+a が成り立ちます。このような群が、アーベル群です。合同式(mod)の計算の世界です。

アーベルの研究では、「解の入れかえの順序が関係ない」特別な方程式が、累乗根で解けることが示されました。そのため、名前がつきました。(「アーベル群」という言葉自体は、のちの数学者が、アーベルを記念して使い始めたと説明されます。)

業績5 アーベル積分とアーベルの定理

楕円積分を一般にしたアーベル積分と、それにかかわるアーベルの定理(1826年のパリの論文の中心)も、アーベルの大きな業績です。これは、「いくつもの積分の和が、1つの積分に置きかえられる」という、とても深い定理です。この大論文が、パリでコーシーに預けられて、長いあいだ検討されなかったことは、数学史の中でも有名な出来事です。MacTutor によれば、論文は1841年に出版されたものの、その後いったん行方が分からなくなり、1952年にフィレンツェで見つかりました。

アーベルの名前がつく公式・定理・用語

  • アーベル・ルフィニの定理:一般の5次以上の方程式には、累乗根の解の公式がない。
  • アーベル群(可換群):演算の順序を入れかえても結果が同じ群。→ 合同式の足し算も、アーベル群の例
  • アーベルの極限定理:べき級数のふちでの値。→ べき級数の収束
  • アーベルの総和法:発散する級数に、値をつける方法の1つ。
  • アーベル積分・アーベル関数・楕円関数:複素関数論の大切な分野。
  • アーベルの変形(部分和分):級数を、部分和を使って書きかえる技。解析学の入門書で学びます。
  • アーベル賞:ノルウェーが2002年に創設し、2003年から贈っている数学の賞。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

入試でアーベルの定理そのものが出ることはないけれど、「解の公式がない方程式がある」という事実は、教養として知っておくと、4次・5次方程式の問題で慌てなくなるよ。

アーベルの逸話と名言

「ガウスは、足あとを消すきつねだ」?

アーベルは、5次方程式の証明のパンフレットを、ガウスの業績と生涯に送ったと伝えられます。しかし、ガウスはこれを読まなかったといわれます。MacTutor の伝記では、ガウスはアーベルの5次方程式の仕事に、あまり好意的ではなかったようだと説明されます。そのため、アーベルはドイツのゲッティンゲンに行く予定を取りやめました。(ガウスが「また、とんでもないものが来た」と言って、論文を未開封のまま置いた、という話も有名ですが、確かな出典は分かっていません。)

のちにアーベルが、ガウスについて「ガウスは、砂の上の足あとを、しっぽで消しながら歩くきつねのようだ」と言った、という話もよく引かれます。ガウスの論文が、結論ばかり書かれていて、その発想の道筋が分かりにくいことを表したものだ、と説明されます。ただし、これも伝記で紹介される逸話で、正確な言葉は確かめられていません。

数学で進歩したければ、弟子ではなく、巨匠を学ぶべきだ。

アーベルの言葉として伝えられるもの(研究ノートに書かれていたとされる言葉。言い回しは訳によってちがい、出典の細部は確かめられていません)

クレレへの手紙、届かなかった知らせ

アーベルが亡くなる直前、友人のクレレは、ベルリン大学の教授の職にアーベルを推薦し、決まったという知らせを送ったと伝えられます。しかし、その手紙が届いたのは、アーベルが亡くなったあとだった、という話があります。アーベルの婚約者クリスティーネ・ケンプ(愛称クレリー)は、アーベルが亡くなるまで看病した、という話も語られます。(細かい日付などは、資料によって説明がちがいます。)

貧しさと病気の中で

アーベルは、生涯を通じて貧しく、旅行中も体調をくずしがちでした。それでも、パリでは大切な論文を書き上げ、ノルウェーに戻ったあとも研究を続けました。亡くなる直前まで、新しい論文を書いていたと伝えられます。

ガロアとの似た運命

1811年生まれのガロア(20歳で決闘で亡くなった)は、アーベルより9歳年下です。2人とも、5次方程式を研究し、2人とも若くして亡くなり、2人とも生きているあいだは十分に評価されませんでした。アーベルが1828年ごろに進めていた「方程式が解ける条件」の研究は、ガロアが示した理論と同じ方向のものでした。2人の仕事が合わさって、ガロア理論という大きな理論になりました。

サクラちゃん

サクラちゃん

26歳で亡くなったなんて……。もっと長く生きていたら、どんな発見をしたのかな。

合格先生

合格先生

そう思うよね。でも、アーベルが残した仕事は、200年たっても数学者が研究し続けている。短い時間でも、ほんとうに大事な問題を選べば、世界を変えることができる、という見本でもあるんだ。

受験・勉強とアーベルのつながり

中学受験:まず「できない」ことも調べる

中学受験の算数では、「解の公式」は出ません。ただ、「この条件では、解がないことを示す」問題は出ます。たとえば、「ある数の和で、この数は作れるか」と聞かれ、「作れない」と答えるときに、理由を説明する力が求められます。これは「不可能性の証明」と同じ形の考え方です。

高校受験:2次方程式の解の公式

高校受験の数学では、2次方程式の解の公式が必ず出ます。x=−b±b2−4ac2ax=\dfrac{-b\pm\sqrt{b^2-4ac}}{2a} を覚えておきましょう。この式こそ、「累乗根(ここでは平方根)だけで解ける」という、アーベルの定理の「ある」側の例です。

大学受験:高次方程式・解と係数の関係

大学受験では、3次・4次の方程式がよく出ますが、解の公式を使うことはほとんどありません。因数定理を使って1つの解を見つけてから、因数分解します。また、5次以上の方程式も、因数分解ができる特別な形や、解と係数の関係を使う形で出題されます。

京都大学や東京大学の入試では、整数と方程式をからめた問題が出ます。京大理系数学の出題分析(頻出分野ランキング)で、どんな形の方程式が出ているか確かめられます。

勉強法として:「できない」ことを見極める

アーベルの考え方は、「できないことを、はっきり示す」ことでした。受験勉強でも、「この方法では解けない」と分かることは、次の方法を探すための大きな進歩です。うまくいかなかった解法をノートに残し、「なぜダメか」を書いておくと、次の問題で役に立ちます。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考になります。

アーベルがその後の数学にあたえた影響

  • ガロア理論の誕生:アーベルが開いた道を、ガロア理論が進めて、「方程式が解ける条件」を群で決める理論をつくりました。これが現代の代数学の出発点です。
  • 楕円関数・複素関数論:アーベルとヤコビの仕事は、リーマンのリーマン面の理論につながり、現代のフェルマーの最終定理の証明にも使われる楕円曲線の研究を生みました。
  • 解析学の厳密化:べき級数や収束の扱い方の見直しは、コーシー・ワイエルシュトラスらの仕事と合わさって、微分積分の土台を固めました。
  • アーベル群・加群の理論:現代の代数学のほとんどの分野で使われる基本概念です。
  • アーベル賞(2003年〜):ノルウェーが、アーベルの生誕200年(2002年)に合わせて創設し、2003年から贈っています。初代の受賞者は、フランスのセールの業績です。日本からは、2025年に柏原正樹が受賞しています。
  • 不可能性の証明の模範:「ある方法では解けない」ことを示す証明は、のちの円積問題・角の三等分の不可能性の証明など、多くの分野に影響しました。

アーベルのように、若くして大きな問題に挑み、問いの答えそのものを変えてしまうという生き方は、今も多くの数学者の憧れです。

アーベルの26年11 1802年 誕生22 1817年 ホルンボエに学ぶ33 1824年 5次方程式の証明44 1826年 パリへ55 1827年 楕円関数の論文66 1829年 26歳で亡くなる5次方程式の証明は、わずか21歳のとき
アーベルの26年の生涯。21歳で5次方程式を証明し、26歳で亡くなった

アーベルに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 2次方程式 x2−6x+4=0x^2-6x+4=0 を、解の公式で解きなさい。
    答えと解説を見るx=6±36−162=6±252=x=\dfrac{6\pm\sqrt{36-16}}{2}=\dfrac{6\pm2\sqrt5}{2}= 3±53\pm\sqrt5。
  2. 4時間の時計の世界(4で割った余りの足し算)で、3+23+2 はいくつになりますか。
    答えと解説を見る3+2=5。5を4で割った余りは1なので、1。(このように、余りで足し算をする世界はアーベル群の例)

ふつう

  1. 級数 x−x22+x33−⋯x-\dfrac{x^2}{2}+\dfrac{x^3}{3}-\cdots は ∣x∣<1|x|<1 で ln⁡(1+x)\ln(1+x) に等しい。この級数が x=1x=1 でも収束すると分かっているとき、アーベルの極限定理を使って 1−12+13−14+⋯1-\dfrac12+\dfrac13-\dfrac14+\cdots の値を求めなさい。
    答えと解説を見るアーベルの極限定理により、収束するふちの点 x=1x=1 での値は、x→1−0x\to1-0 の極限に一致する。ln⁡(1+x)\ln(1+x) の x→1x\to1 の極限は ln⁡2\ln2。答えはln⁡2\ln2(約0.693)。
  2. 5次方程式 x5−x=0x^5-x=0 を解きなさい。(一般の5次に公式がなくても、特別な形は解ける例)
    答えと解説を見るx(x4−1)=x(x−1)(x+1)(x2+1)=0x(x^4-1)=x(x-1)(x+1)(x^2+1)=0 より、x=0, ±1, ±ix=0,\ \pm1,\ \pm i(解は5個)。

むずかしい

  1. 4時間の時計の足し算で、「何を足しても変わらない数(単位元)」と、3を足して0になる数(3の逆元)を答えなさい。
    答えと解説を見る何を足しても変わらない数は0。3に足して(4で割った余りが)0になる数は1(3+1=4≡0)。
  2. 方程式 x5=1x^5=1 の複素数の解を、すべて求めなさい。実数の解はいくつありますか。
    答えと解説を見るド・モアブルの定理より、解は x=cos⁡2kπ5+isin⁡2kπ5x=\cos\dfrac{2k\pi}{5}+i\sin\dfrac{2k\pi}{5}(k=0,1,2,3,4k=0,1,2,3,4)の5個。実数の解は k=0k=0 の x=1x=1 の1つだけ(ほか4つは虚数)。

アーベルと関係する数学者

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19世紀の数学者

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アーベルがかかわった数学の難問

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

アーベルは何をした人ですか?

アーベルは、19世紀のノルウェーの数学者です。一般の5次方程式には、累乗根を使った解の公式が存在しないことを1824年に証明しました。楕円関数、アーベルの極限定理など解析学でも大きな業績を残し、26歳で亡くなりました。

5次方程式に解の公式がないとはどういう意味ですか?

一般の5次方程式を、足し算・引き算・かけ算・わり算と累乗根(平方根や立方根など)だけで解く公式は存在しない、という意味です。x⁵−x=0 のような特別な5次方程式は解けますし、複素数の範囲で解は5個あります。

アーベル・ルフィニの定理とは何ですか?

5次以上の一般の方程式には、累乗根による解の公式がないという定理です。イタリアのルフィニが先に主張しましたが不完全で、1824年にアーベルが完全な証明を与えたとされます。

アーベル賞とは何ですか?

ノルウェー政府が、アーベルの生誕200年にあたる2002年に創設し、2003年から毎年贈っている数学の賞です。数学にはノーベル賞がないため、数学のノーベル賞ともよばれます。初代の受賞者はセールで、日本では2025年に柏原正樹が受賞しました。

アーベル群とは何ですか?

演算の順序を入れかえても結果が同じになる群のことで、可換群ともいいます。数の足し算(a+b=b+a)や、4で割った余りの足し算の世界などが例です。アーベルにちなんで名づけられました。

アーベルはいつ、どこで亡くなりましたか?

アーベルは1829年4月6日に、ノルウェーのフローランで亡くなりました。26歳でした。1802年8月5日に、ノルウェー南西部のフリンドーで牧師の子として生まれました。

アーベルとガロアの関係は?

2人とも5次方程式を研究して若くして亡くなりました。アーベルは1802年生まれで26歳、ガロアは1811年生まれで20歳で亡くなりました。アーベルが開いた道を進めて、ガロアが方程式の解ける条件を群で決める理論を完成させました。

アーベルとコーシーの関係は?

1826年にアーベルがパリで提出した大論文の審査を、コーシーが任されました。報告はなかなか出されず、アーベルが亡くなった直後の1829年6月に報告されたと、MacTutor の伝記にあります。原稿はその後いったん行方不明になりました。

アーベルは受験にどう関係しますか?

2次方程式の解の公式、高次方程式の因数分解、解と係数の関係、複素数の解、合同式などが入試で出ます。5次方程式に公式がない事実は教養としても役立ちます。大学では群論、ガロア理論として学びます。

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出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics, “Niels Henrik Abel”(セント・アンドルーズ大学)
  • Ø. Ore, “Niels Henrik Abel: Mathematician Extraordinary”(1957年)
  • 肖像画:Johan Gørbitz「Niels Henrik Abel」(1826年ごろ)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦