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ガロアÉvariste Galois
ひとことで言うと
5次以上の方程式に一般の解の公式がない理由を、「群」という新しい考え方で説明した天才。決闘で20歳で亡くなった。
| 名前 | エヴァリスト・ガロア(Évariste Galois) |
|---|---|
| 生没年 | 1811年10月25日〜1832年5月31日(20歳) |
| 国 | フランス(パリ近郊のブール・ラ・レーヌ生まれ) |
| 分野 | 代数学(方程式論・群論・体論) |
| 主な業績 | ガロア理論(方程式が解の公式で解ける条件を群で判定)、「群」の概念、有限体(ガロア体) |
| 名前がつくもの | ガロア理論・ガロア群・ガロア拡大・ガロア体・逆ガロア問題 |
| よばれ方 | 夭折の天才数学者 |
このページのポイント
- 方程式の解の入れかえ(置換)に注目して、「群」の考えを数学に持ちこんだ
- ガロア理論で、5次以上の方程式に一般の解の公式がない理由を説明し、作図の3大不可能問題の理由も明らかにした
- 政治活動で逮捕され、20歳で決闘により亡くなった。決闘の前夜の手紙が、現代の代数学のはじまりとして語りつがれる
ガロアは何をした人?(業績をひとことで)
エヴァリスト・ガロア(1811〜1832年)は、フランスの数学者です。「5次以上の方程式には、一般の解の公式が作れない」ことを、「群」という新しい考え方で説明しました。方程式の解を入れかえるときの対称性に注目して、「どんな方程式が解の公式で解けるか」を判定する理論は、いまガロア理論とよばれています。ガロアは政治活動で何度も逮捕され、わずか20歳で決闘により亡くなりました。それでも、書き残したわずかな原稿が、現代数学(群論・体論・代数幾何学)の出発点になりました。
受験生にとってのガロアは、まず「2次方程式の解の公式の、その先を考えた人」です。中学3年で習う二次方程式の解の公式、高校の解と係数の関係、複素数と2次方程式の解は、すべてガロアが調べた「方程式の解のしくみ」につながっています。また、合同式(mod)の計算や順列(入れかえ)の公式も、ガロア理論の入口の道具です。大学の代数学では、群・環・体の最後に、ガロア理論が待っています。
うかるくん
20歳で亡くなったのに、そんなにすごい理論を作ったんですか……?
合格先生
そうなんだ。しかも、決闘の前の晩に、自分の研究を手紙に書きのこしたと伝えられているよ。その手紙が、約150年たった今も数学の教科書の中で生きているんだ。

ガロアの生涯と年表
パリ近郊の町長の家に生まれた
ガロアは1811年10月25日、パリの南にある小さな町ブール・ラ・レーヌに生まれました。父ニコラ=ガブリエル・ガロアは町長をつとめた共和主義の人で、母アデライードは学問のある家の出でした。ガロアは12歳まで母から、ラテン語やギリシャ語、宗教などを教わったと伝えられます。
名門リセに入り、数学にめざめる
1823年、ガロアは12歳でパリの名門校ルイ=ル=グラン高等中学に入ります。最初は優秀な生徒でしたが、のちに授業にあきてしまいました。転機は15歳ごろ。ルジャンドルの幾何学の教科書を読み、「小説を読むように」2日で読み終えたと伝えられます。さらにラグランジュの方程式の論文や、アーベルの論文を読み、自分で方程式の研究をはじめました。
入試に失敗し、父を亡くす
ガロアは、フランスのエリート養成校エコール・ポリテクニークを2度受けましたが、どちらも合格できませんでした(1828年、1829年)。口頭試験で、試験官の質問に答えず、黒板けしを投げつけたという話が伝わっています(これは後年の作り話ともいわれます)。しかも1829年7月、政治的な中傷事件に苦しんだ父が自殺します。ガロアは深く傷つきました。
この年、ガロアは最初の論文(連分数についてのもの)を出し、また方程式の研究を科学アカデミーに提出しました。しかし、審査を担当していたコーシーが原稿を紛失したとも、提出をひかえたともいわれます。翌1830年には、アカデミーの賞に応募するため原稿を書き直して送りましたが、審査員のフーリエが亡くなったため、原稿は行方不明になりました。
政治活動と投獄
1830年、フランスで七月革命が起こります。ガロアは学校の校長を批判する手紙を新聞に載せて、退学処分になりました。その後は共和主義の運動に加わり、国民軍の砲兵隊に入りますが、この隊も解散させられます。1831年5月、ガロアは仲間の宴会で、国王ルイ=フィリップに向けて、ナイフをかかげて乾杯の言葉を述べたとされ、脅迫の疑いで逮捕されました(その後は無罪)。同年7月14日(革命記念日)にも、禁止された制服と武器を身につけて逮捕され、約半年の刑を受けました。
決闘と最期
1832年に刑期の最後を病院で過ごしたガロアは、ある女性をめぐるもめごとから、決闘を申しこまれました。相手や理由には諸説あり、はっきりしません。決闘の前夜(5月29日)、ガロアは友人のオーギュスト・シュヴァリエあてに手紙を書き、自分の発見を要約したと伝えられます。5月30日の明け方、決闘でガロアは腹を撃たれ、病院に運ばれましたが、翌日5月31日に20歳で亡くなりました。弟アルフレッドに「泣くな、20歳で死ぬには勇気がいる」と語ったという話が伝わっています。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1811年 | 10月25日、フランスのブール・ラ・レーヌで生まれる |
| 1823年 | 12歳でルイ=ル=グラン高等中学に入学 |
| 1826年ごろ | 数学に熱中しはじめる。ルジャンドルの教科書を読む |
| 1828年 | ポリテクニークの入試に失敗(1度目) |
| 1829年 | 最初の論文を出す。7月に父が亡くなる。入試に再び失敗 |
| 1830年 | 高等師範学校(準備学校)に入るが、退学処分となる |
| 1831年 | 1月、アカデミーに論文を提出(のちに受理されず)。5月と7月に逮捕される |
| 1832年 | 3月、病院(療養所)へ移される。4月29日、釈放される |
| 1832年 | 5月29日の夜、友人あてに手紙を書く |
| 1832年 | 5月30日、決闘で重傷を負い、31日に亡くなる(20歳) |
| 1846年 | リウヴィルがガロアの原稿を雑誌に発表し、価値が認められはじめる |
ガロアの主な業績をやさしく解説
業績1 「5次方程式の解の公式」問題に決着をつけた
2次方程式 には、よく知られた解の公式があります。16世紀には3次と4次の方程式にも、カルダノらによって解の公式が見つかりました。では、5次方程式にも公式はあるのでしょうか。200年以上、多くの数学者がこの問題に挑みましたが、成功しませんでした。
1824年、ノルウェーのアーベルが「一般の5次方程式は、四則演算と根号(√、 など)だけで解く公式はない」ことを証明しました。ガロアはさらに一歩進めて、「ある方程式が、四則演算と根号だけで解けるのは、どんなとき?」という問題に完全な答えを出しました。その答えが、次に説明する群を使った判定法です。
業績2 解の入れかえと「群」(ガロア理論の中心)
ガロアのアイデアは、方程式の解を入れかえる操作(置換)に注目することでした。たとえば の3つの解は、複素数平面で、円周を3等分する点、つまり正三角形の頂点になります(1と、120度ずつ回した位置の2つ)。この3つの解の入れかえ方は、正三角形の回転と裏返しの対称性に対応し、全部で 通りです。
ガロアは、この「入れかえの集まり」が、組み合わせてもその集まりの外に出ないという性質(合成しても閉じている)をもつことに気づきました。これが群です。ガロアは、「群」という言葉をはじめて数学の言葉として使った人としても知られます。くわしくは、順列の意味と数え方で、入れかえの数え方を確認してください。
ガロアは、方程式ごとに「ガロア群」を決め、その群の構造から、方程式が解の公式で解けるかどうかを判定しました。5次の一般方程式のガロア群は、5個のものの入れかえ全体( 通り)で、この群は「解ける」ための条件(可解という性質)を満たしません。だから公式は作れないのです。この判定法は、20歳の少年が見つけたとは思えないほど深いものでした。
業績3 「体」と作図問題の解決
ガロアは、方程式の解を使って作られる数の集まり(のちに体とよばれるもの)と、群との間に「対応」があることを発見しました。これがガロア理論の本体で、「群の世界」と「数の世界」を行き来できる、強力な道具です。
この理論を使うと、古代ギリシャ以来の3つの難問――立方体の倍積(体積が2倍の立方体を作る)、角の三等分、円積問題(円と同じ面積の正方形を作る)――が、定規とコンパスだけでは不可能であることを説明できます。定規とコンパスでかける長さは、平方根の計算を何度か使った四則計算でしか表せません。ところが、立方体の倍積に必要な は、そうやって作れない数なのです。ガウスの業績が18歳で示した正十七角形の作図は、逆にこの理論から「できる」ことが分かる例です。作図の基本(垂直二等分線・角の二等分線)で、定規とコンパスでできることを確認しておきましょう。
業績4 有限体(ガロア体)
ガロアは、 を素数として、「0, 1, …, の数を、 で割った余りで計算する世界」で、足し算・引き算・かけ算・割り算がすべて自由にできることを示しました。たとえば なら、 なので、3の逆数は2です。このような世界を有限体(ガロア体)といいます。合同式(mod)の計算の考え方がそのまま使えます。
有限体は、いまのスマートフォンの通信の誤り訂正(QRコード、CD、データ通信)や、インターネットの暗号の中で使われています。200年近く前の少年が考えた世界が、いまの私たちの生活を支えているのです。
業績5 「対称性」でものごとを見る新しい数学
ガロア理論のむずかしい式をぬきにして、考え方だけをたとえてみましょう。ここに、見分けのつかない2つの解があるとします。たとえば の解 と は、 という方程式の中では、まったく同じ役割をしています。どちらを「プラス」と呼び、どちらを「マイナス」と呼んでも、方程式の言葉では区別がつきません。つまり、この2つを入れかえても方程式は変わらないのです。
ガロアは、この「入れかえても変わらない」ことを、方程式を解くための手がかりにしました。入れかえの方法が少ない(対称性が少ない)方程式は、単純な構造で解きやすく、入れかえの方法が多くてもきれいに「階段状」に分けられる方程式は、公式で解けます。ところが、一般の5次方程式は入れかえ方が複雑にからみあい、階段状に分けることができません。つまり「解く」とは、対称性を少しずつくずしていくことだと、ガロアは見抜いたのです。
この「対称性に注目する」という発想は、数学だけでなく、結晶の形、素粒子、分子の構造、デザインなど、現代の科学のあちこちで使われています。ガロアが20歳で見つけた考え方は、数学を超えて広がっていきました。
ガロアの名前がつく公式・定理・用語
ガロアの名前がつく用語は、大学の代数学でとてもよく出てきます。
- ガロア理論:方程式の解の入れかえ(群)と、数の世界(体)の対応を調べる理論。
- ガロア群:方程式ごとに決まる、解の入れかえの群。
- ガロア拡大:ガロア理論がうまく使える数の世界の広げ方。
- ガロア体(有限体):有限個の要素でできた体。 と書く。
- 可解群:方程式が「解ける」ことと同じ意味の群の性質。
- 逆ガロア問題:与えられた群が、ある方程式のガロア群になるか、という未解決の難問。
- 高校数学とのつながり:二次方程式の解の公式、解と係数の関係、解の公式の意味

合格先生
ガロア理論のキーワードは「対称性」だよ。方程式の解を入れかえても変わらない性質を調べると、方程式の本当の姿が見えてくる。受験の整数・図形の問題にも「対称性を見つける」発想は役に立つんだ。
ガロアの逸話と名言
決闘の前夜の手紙
1832年5月29日の夜、ガロアは友人オーギュスト・シュヴァリエにあてて、自分の数学の発見を手紙に書きました。何枚もの原稿の余白に、「時間がない(Je n'ai pas le temps)」と書きこんだと伝えられます。手紙の最後には、次のような頼みがありました。
ヤコビかガウスに、この定理が正しいかどうかではなく、その重要性について、公に意見を求めてほしい。そのあとで、このめちゃくちゃなものを読みとくことが得になる人が現れることを、私は願う。
この手紙のほとんどは、すでに前から研究していた内容の要約でした。「一晩でガロア理論を作った」というのは後世の誇張で、事実ではありません。それでも、命をかけた決闘の前に、研究を残そうとした姿は、数学史のなかでも特別な物語として語りつがれています。
「ガロアの物語」は脚色も多い
ガロアの人生は、あまりにドラマチックなので、後世の伝記や小説で脚色されてきました。「一晩で理論を完成させた」「決闘の相手は警察の手先だった」「恋人のために死んだ」など、広く知られる話の多くは、確実な証拠がありません。数学史家の間でも、どこまでが本当なのか議論が続いています。このページでも、確かめられない部分は「伝えられる」「諸説ある」と書いています。事実として確かなのは、ガロアが20歳で亡くなったこと、そして残された原稿が現代数学の出発点になったことです。
決闘の相手と理由は、はっきりしない
決闘の相手は、共和主義者の仲間(あるいは警察に雇われた人物)だったとも言われ、名前や理由には諸説あります。女性をめぐるもめごとだったという説、政治的な陰謀だったという説などがあり、いまでもはっきりしていません。ガロア自身は、決闘の前に仲間にあてて、ある女性とその関係者のせいで自分は犠牲になる、という趣旨の手紙を書いたと伝えられます。
最期のことば
ガロアは撃たれたまま倒れ、通りかかった農夫に助けられて病院に運ばれました。弟のアルフレッドに、泣かないよう伝え、「私は20歳で死ぬために、ありったけの勇気がいる」という趣旨の言葉を述べたと、弟が伝えたとされます。
「わからない」と断られた論文
1831年、ガロアは科学アカデミーに論文を提出しましたが、審査を担当した数学者ポアソンは、論文の内容が十分に説明されておらず、理解しにくいとして、受理しませんでした。ガロアの発想が時代の先を行きすぎていたことがその理由とされます。ガロアが亡くなって約11年後の1843年、数学者リウヴィルが原稿を読み、「たいへん価値がある」と認め、1846年に自分の雑誌で発表しました。そこから、ガロア理論が世界に知られるようになりました。
サクラちゃん
ガロアが生きていたら、どんな数学を作ったんでしょう……。
合格先生
それは誰にもわからないね。ただ、はっきり言えるのは、ガロアの理論が150年以上たっても、まだ新しい数学の種になっていることだ。早く亡くなっても、「正しい考え」は残る。数学の力を感じるよね。
受験・勉強とガロアのつながり
中学受験:入れかえ・並べ方の数
中学受験の算数では、「3人を1列に並べる方法」「カードを入れかえる方法」といった場合の数の問題が出ます。3人なら 通り。ガロア理論は、こういう「入れかえ」の考え方を、方程式に応用したものです。「正三角形を重ねる回転の数」を数える問題は、群の最も簡単な例になっています。
高校受験:2次方程式の解の公式・因数分解
高校受験で習う二次方程式の解の公式や因数分解の基本が、ガロアが調べた方程式の入口です。公式の中の根号(√)が、ガロア理論の「方程式が解ける」という言葉の意味に関わっています。
大学受験:解と係数の関係・複素数・整数問題
- 解と係数の関係:解の和・積と係数の関係は、ガロアが調べた「解の対称式」の入口です。→ 解と係数の関係の使い方
- 複素数と方程式:1の3乗根、1の5乗根などの問題。ド・モアブルの定理で解きます。
- 整数問題・合同式:合同式の計算、フェルマーの小定理は、有限体の考えと同じ土台です。
- 作図:できる作図とできない作図。
京都大学・東京大学などの難関大の整数や方程式の問題は、ガロアの世界に通じています。京大理系数学の出題分析(整数・複素数平面の出方)も参考にしてください。
勉強法として:失敗を「材料」にする
ガロアは入試に2回落ち、論文は2回なくされ、ついに原稿は理解されませんでした。それでも彼は、自分の考えを書き残すことをやめませんでした。受験でも、失敗した問題は「なぜ解けなかったか」をノートに書きのこしておくと、のちの力になります。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も読んでください。ギリシャ文字の読み方はギリシャ文字の読み方一覧(α・β・σ・φ)でまとめています。
ガロアがその後の数学にあたえた影響
- 群論:ガロアの「群」は、ケイリーやジョルダンらによって、抽象的な数学へ発展しました。リー群を作ったリーは連続的な対称性(リー群)に広げ、物理学の素粒子論にも使われます。
- 体論と代数学:デデキントやエミー・ネーターなどによって、現代の抽象代数学(環・体・加群)が作られました。
- 整数論:ガウスの整数論を発展させ、高木貞治の類体論、さらにフェルマーの最終定理の証明へとつながるガロア表現の理論になりました。
- 幾何学:クラインの「エルランゲン・プログラム」は、図形を「群で変わらない性質」で分類する考えで、ガロアの発想に近いものです。
- 暗号・符号理論:有限体は、スマートフォンの通信、QRコードの誤り訂正、インターネット暗号の基礎です。
- 物理学:素粒子や結晶の対称性は、群論なしには語れません。
日本では、ガロアの名前は数学が好きな高校生の間でも有名で、数学オリンピックのためのガロア理論入門の本も多く出ています。数学オリンピックの問題(長方形に詰めた正方形)のように、数学を競う世界でも、対称性の考え方は大切です。
ガロアに挑戦!練習問題
やさしい
- 3つの人を1列に並べる方法は何通りですか。5人ではどうですか。
答えと解説を見る
3人は 6通り。5人は 120通り。(5個の解の入れかえが120通りあることが、5次方程式の話に関わります) - 正三角形を、重なるように回す方法は、回転だけで何通りありますか(回さない場合もふくむ)。
答えと解説を見る
0°・120°・240°の3通り。(裏返しもふくめると6通りです)
ふつう
- 方程式 の解をすべて求めなさい。
答えと解説を見る
とおくと より 。よって (4つ)。 - 方程式 の解を、複素数の範囲ですべて求めなさい。
答えと解説を見る
。 と、 より 。合わせて 2、、 の3つ。
むずかしい
- 0, 1, 2, 3, 4 を5で割った余りで計算する世界で、3にかけて1になる数(3の逆数)を求めなさい。
答えと解説を見る
なので、3の逆数は 2。(5が素数なので、0以外の数にはいつも逆数があります。これが有限体です) - 7で割った余りの世界で、3の逆数と、 となる を求めなさい。
答えと解説を見る
より3の逆数は 5。 は、 より 3 と 4()。
ガロアと関係する数学者
- アーベル(5次方程式の公式はないと証明した人):ガロアと同じ時代の天才で、やはり若くして亡くなりました(26歳)。
- ラグランジュ(方程式と置換の関係を調べた人):ガロアが若いころに読んで影響を受けました。
- コーシー(ガロアの原稿を預かった人):ガロアの論文を審査したが、うまくいかなかったといわれます。
- ガウス(正十七角形と代数の先がけ):ガロアが手紙の中で意見を求めた相手の一人です。
- ヤコビ(同時代の大数学者):ガロアが手紙で名前を挙げた、同時代の大数学者です。
- カルダノ(3次方程式の解の公式):ガロアの理論の背景にある方程式の歴史を作った人です。
- フェルマー・オイラー:有限体につながる整数論の先がけです。
数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、用語の意味を調べるなら数学用語辞典(方程式・順列・複素数)もどうぞ。
19世紀の数学者
- ソフィ・ジェルマンの業績と生涯
フェルマーの最終定理の研究(ジェルマン素数)。男性の名前で論文を送った - ガウスの業績と生涯
1から100までの和を一瞬で出した少年。正十七角形の作図・『整数論』・最小二乗法。「数学の王」 - コーシーの業績と生涯
極限を使って微分積分を厳密にした。コーシー・シュワルツの不等式 - メビウスの業績と生涯
裏と表がない「メビウスの帯」 - ロバチェフスキーの業績と生涯
平行線の公理が成り立たない「非ユークリッド幾何学」 - アーベルの業績と生涯
5次方程式には解の公式がないことを証明。アーベル賞の名前のもと - ボーヤイ(1802〜1860)
ロバチェフスキーと別に非ユークリッド幾何学を発見 - ヤコビ(1804〜1851)
楕円関数・ヤコビアン(変数変換) - ディリクレ(1805〜1859)
鳩の巣原理(ディリクレの部屋割り論法)・算術級数定理 - ハミルトン(1805〜1865)
四元数を発見。ケーリー・ハミルトンの定理 - エイダ・ラブレスの業績と生涯
解析機関のためのプログラムを書いた「最初のプログラマー」 - ブールの業績と生涯
論理を式で計算するブール代数。コンピューターの基礎
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ガロアがかかわった数学の難問
- 5次方程式の解の公式とは(不可能・決められないと証明)
2次・3次・4次方程式のような、四則と累乗根だけの解の公式が5次方程式にもあるか。一般にはないと証明された
有名な数学者一覧(年代順・国別・分野別)で、ほかの数学者も見られます。数学者たちが挑んだ問題は数学の難問・未解決問題の一覧にまとめています。
読みもの(合格大作戦の数学の記事)
- 算数・数学の公式一覧(公式辞典)
公式・証明・例題を1つずつ - 数学用語辞典(用語の意味を1語1ページ)
素数・漸近線など200語 - ギリシャ文字の読み方一覧(24文字)
θ・Σ・π・λ は数学で何に使う? - 京大理系数学の出題分析(1999〜2026年度)
大問別一覧と頻出分野ランキング - 数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)
青・黄・赤チャートの使い分け - 数学オリンピックの問題(長方形に詰めた正方形)
中学生でも解ける本番の問題 - 算数・数学 公式と用語の一覧(学年別・分野別)
公式辞典と用語辞典の入口
よくある質問
ガロアは何をした人ですか?
ガロアは、19世紀前半のフランスの数学者です。方程式の解の入れかえ(置換)を「群」として調べ、どんな方程式が四則演算と根号で解けるかを判定するガロア理論を作りました。その結果、5次以上の一般の方程式には解の公式がないことが説明されました。20歳で亡くなりましたが、現代代数学の出発点になりました。
ガロア理論とは何ですか?
方程式の解を入れかえる対称性(ガロア群)と、解から作られる数の世界(体)との対応を調べる理論です。この理論により、方程式が解の公式で解けるかどうかを、群の性質(可解かどうか)で判定できます。作図問題や整数論にも応用されます。
なぜ5次方程式には解の公式がないのですか?
一般の5次方程式のガロア群は、5個のものの入れかえ全体(120通り)で、この群は「解ける」ための条件(可解)を満たさないからです。1824年にアーベルが先に公式がないことを証明し、ガロアはどんな方程式が解けるかの完全な判定法を示しました。
ガロアはなぜ決闘をしたのですか?
決闘の理由や相手には諸説あり、はっきりしていません。女性をめぐるもめごとだったという説、政治的な陰謀だったという説などがあります。1832年5月30日の明け方に決闘が行われ、翌日5月31日に20歳で亡くなりました。
ガロアは決闘の前夜に手紙を書いたのですか?
決闘の前夜(1832年5月29日)、友人のオーギュスト・シュヴァリエあてに自分の発見を要約した手紙を書いたと伝えられます。余白に「時間がない」と書きこんだという話も有名です。ただし内容の多くは以前から研究していたもので、一晩で理論を作ったわけではありません。
ガロアは何歳で亡くなりましたか?どこの国の人ですか?
ガロアは1811年10月25日にフランスのブール・ラ・レーヌで生まれ、1832年5月31日にパリで20歳で亡くなりました。
ガロアは入試に落ちたのですか?
ガロアは、フランスのエリート養成校エコール・ポリテクニークの入試を2度受け、どちらも合格できませんでした(1828年、1829年)。ただし、試験官に黒板けしを投げつけたという話は、後年の作り話ともいわれます。
ガロアの論文はなぜ認められなかったのですか?
1829年と1830年に出した原稿は、審査員のコーシーやフーリエのもとで行方不明になったとされます。1831年の論文は、ポアソンが内容を十分に理解できないとして受理しませんでした。ガロアの死後、リウヴィルが1846年に発表して、価値が認められました。
ガロアは受験に関係しますか?
ガロアの業績は大学の代数学の内容ですが、入口は高校数学にもあります。二次方程式の解の公式、解と係数の関係、複素数と方程式、合同式、順列と場合の数、作図などが、ガロア理論につながっています。
ガロア理論で「作図の3大不可能問題」がなぜ説明できるのですか?
定規とコンパスでかける長さは、四則演算と平方根を何度か使って得られる数に限られます。立方体の倍積に必要な 2の3乗根や、角の三等分に必要な数は、そのような数ではないことが、体の広がりの大きさ(次数)から示されます。
あわせて読みたい
出典・参考
- Peter M. Neumann, “The Mathematical Writings of Évariste Galois”(2011年)
- MacTutor History of Mathematics, “Évariste Galois”
- Évariste Galois, “Lettre à Auguste Chevalier”(1832年5月29日)
- Tony Rothman, “Genius and Biographers: The Fictionalization of Evariste Galois”(1982年)
- 肖像:作者不明のスケッチ、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦



