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高木貞治Teiji Takagi
ひとことで言うと
整数論の大理論「類体論」を完成させ、名著『解析概論』を書いた、「日本の近代数学の父」。第1回フィールズ賞の選考委員もつとめた。
| 名前 | 高木貞治(たかぎ ていじ。Teiji Takagi) |
|---|---|
| 生没年 | 1875年4月21日〜1960年2月29日(84歳) |
| 国 | 日本(岐阜県生まれ) |
| 分野 | 整数論(代数的整数論・類体論)、解析学の教育 |
| 主な業績 | 類体論の完成(1920年)、『解析概論』(1938年)、『初等整数論講義』『代数学講義』など |
| 名前がつくもの | 高木の類体論(高木–アルティン理論)、高木の存在定理 |
| 出身・勤務 | 第三高等学校から東京大学へ。ドイツに留学し、東京大学の教授(1904〜1936年) |
このページのポイント
- 類体論を完成させた。数の世界の広がり方を「余りの世界」の言葉で説明する理論で、ガウスの相互法則の大きな一般化
- 1920年の発表後、1922年ごろから世界に知られ、アルティンが1927年に完成。日本の数学が世界の最先端に立った最初の例
- 名著『解析概論』(1938年)を書き、1936年には第1回フィールズ賞の選考委員もつとめた
高木貞治は何をした人?(業績をひとことで)
高木貞治(たかぎ ていじ、1875〜1960年)は、日本の数学者です。類体論という、整数論(整数の性質を調べる数学)の大きな理論を完成させたことで、世界に名を知られています。日本の数学者が世界の数学の最先端に立った、最初の大きな例として、「日本の近代数学の父」とよばれることもあります。
もう1つ、日本の理系の学生にとって忘れられないのが、教科書『解析概論』(1938年)です。微分・積分を、ていねいな言葉と厳密な議論で説明した名著として、いまも多くの大学で使われたり、読みつがれたりしています。『初等整数論講義』『代数学講義』『近世数学史談』なども書き、日本語で数学を学べる環境を作った人でもあります。
高木は1932年の国際数学者会議の副議長をつとめ、1936年に最初の授賞が行われた、数学のノーベル賞といわれる第1回フィールズ賞では、選考委員の一人をつとめました。この記事では、高木貞治の業績を、「素数と平方数の和」のような、中学生でも分かる話から説明します。類体論の中身は大学院で学ぶ数学ですが、考え方の入口なら、図で味わえます。
うかるくん
「類体論」って、名前を聞いただけでむずかしそうです……。
合格先生
名前はむずかしいけれど、中身は「余りを使って、数の世界のしくみを調べる」というお話なんだ。5=1²+2²、13=2²+3²のように、素数が平方数の和になるかどうかも、4で割った余りで決まるよ。その一般形が類体論なんだ。
高木貞治の生涯と年表
岐阜の山あいの村に生まれる
高木貞治は1875年4月21日、岐阜県の数屋村(いまの本巣市)に生まれました。1886年に岐阜の中学校に入り、のち京都の第三高等学校(三高)に進んで、1894年に卒業しました。そのあと東京大学に進み、1897年に卒業します。
1898年、ドイツへ留学
1898年、高木は日本政府から派遣された12人の留学生の1人として、ドイツに行きました。はじめはベルリンで学び、その後、数学の中心だったゲッティンゲンに移ります。そこでヒルベルトの業績と生涯の指導を受けました。ゲッティンゲンでは、ヒルベルトが下宿の世話をしてくれたと伝えられています。この留学中の研究が、のちの博士論文につながりました。
東京帝国大学の教授に
高木は1901年に日本に帰り、東京大学の助教授になりました。1903年には、ドイツで始めた研究で博士の学位を受けます。博士論文では、ガウスの業績と生涯にはじまる整数論の流れを受け、クロネッカーの予想(虚数の体の拡大に関する予想、「青春の夢」ともよばれます)を取りあげて、これを証明しました。1904年には教授に昇進し、1936年に退官するまで、東京大学で多くの学生を教えました。
第一次世界大戦のころ、類体論を作る
1914年から始まった第一次世界大戦のあいだ、ヨーロッパの数学者との交流は途切れがちになりました。そのなかで高木は日本でひとり研究を進め、類体論をまとめあげたとされます。1920年、フランスのストラスブールで開かれた国際数学者会議で、その成果を発表し、同じ年に論文としても出版しました。
世界が評価するまでの時間
高木の論文は、発表した当初は、すぐには注目されませんでした。1922年になって、ドイツの数学者ジーゲルがエミール・アルティンに読むようにすすめたことで、ようやく世界中の数学者に知られるようになったと伝えられています。その後、アルティンらが高木の理論をさらに発展させました。
国際的な役割と『解析概論』
1932年、高木はチューリヒの国際数学者会議の副議長に選ばれ、1936年には、はじめて授与されたフィールズ賞の選考委員会に加わりました。1936年に東京大学を退官したあとも本を書き続け、1938年に『解析概論』、1948年に『代数的整数論』を出版しました。1960年2月29日、東京で亡くなりました(84歳)。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1875年 | 4月21日、岐阜県の数屋村(いまの本巣市)で生まれる |
| 1894年 | 第三高等学校(京都)を卒業 |
| 1897年 | 東京大学を卒業 |
| 1898年 | ドイツ留学(ベルリン、のちゲッティンゲンでヒルベルトに学ぶ) |
| 1901年 | 日本に帰り、東京大学の助教授になる |
| 1903年 | 博士の学位(クロネッカーの予想に関する研究) |
| 1904年 | 東京大学の教授になる |
| 1920年 | 国際数学者会議(ストラスブール)で類体論を発表 |
| 1922年 | ジーゲルらの働きかけで、類体論が世界に知られる |
| 1932年 | 国際数学者会議(チューリヒ)の副議長 |
| 1936年 | 東京大学を退官。第1回フィールズ賞の選考委員 |
| 1938年 | 『解析概論』を出版 |
| 1940年 | 文化勲章を受ける |
| 1948年 | 『代数的整数論』を出版 |
| 1960年 | 2月29日、東京で亡くなる |
高木貞治の主な業績をやさしく解説
業績1 類体論の完成:余りと素数のふしぎな関係
類体論を説明する前に、まず次の事実を見てください。素数 p が、2つの平方数の和 で書けるかどうかは、p を4で割った余りで決まるのです。4で割って1余る素数(5、13、17、29、37……)はかならず書け、3余る素数(3、7、11、19、23……)は絶対に書けません。この法則はフェルマーの業績と生涯が見つけ、オイラーの業績と生涯が証明したといわれます。
なぜ余りだけで決まるのでしょうか。これは、整数に虚数 i()を加えた「ガウス整数」の世界で、素数がどのようにわれるかを調べると分かります。たとえば とわれますが、3はこれ以上わけられません。4で割った余りが1の素数だけが、ガウス整数の世界で2つに分かれるのです。
この例のような「数の世界を広げたとき、素数がどうなるか」を、一般の数の世界でも、「余りによるクラス分け」という、別の見やすい世界の言葉で言いあらわせる――これが類体論の中心の考えです。数の広げ方のうち、いちばんわかりやすい(アーベル拡大とよばれる)ものは、すべて「割り算の余り」で調べられる、と高木は示しました。
これは、ガウスの業績と生涯の平方剰余の相互法則(「黄金定理」)を、はるかに大きく一般化するものです。合同式(mod)の計算で習う「余りの計算」が、整数論の最先端の道具につながっているのです。
業績2 ヒルベルトの類体と「素因数分解が1通りでない世界」
類体論には、もう1つの有名な内容があります。ふつうの整数では、素因数分解は順番を無視すれば1通りです。ところが、 の形の数の世界では、6が とも とも書けて、素因数分解が1通りでなくなるのです( です)。
この問題を整理するために、デデキントの業績と生涯は「イデアル」という考えを作りました。そして、「分解の1通りからのずれ」を測る数が、類数です。 の類数は2です。ヒルベルトが予想し、高木が証明したのは、「類数と同じ大きさだけ広げた、特別な世界(ヒルベルト類体)がちょうど存在する」ということです。この世界では、元の世界のイデアルがすべて1つの数で表せる(主イデアルになる)ことが、のちにフルトヴェングラーという数学者によって証明されました。 のヒルベルト類体は、 を加えた世界です。
こうして、高木の類体論は、「素因数分解の乱れ」を、数の世界を広げることで直す理論にもなりました。整数の素因数分解の考え方は、素因数分解の方法と約数の個数や因数分解とはで学べます。
業績3 『解析概論』:微分積分を日本語で厳密に
1938年に出版された『解析概論』は、微分・積分(解析学)を、厳密な議論で、日本語で説明した教科書です。大学1年で習う「イプシロン–デルタ論法」(-)による極限の定義が、とくに有名です。ε–δ論法は、「x が a に近づくとき f(x) が L に近づく」ことを、「どんなに小さい ε をとっても、それに応じた δ が見つかる」という形で、あいまいさなく言いあらわす方法です。
高校数学の極限とはや連続とはが、大学ではこのように厳密に定義されます。『解析概論』は、そうした厳密な議論を、図に頼りすぎず、でも読みやすい文章で書いたことで評価されました。いまでも、岩波書店から刊行されています。
業績4 数学を日本語で書く:教科書と数学史
高木貞治は、研究だけでなく、数学の本を数多く書きました。若いころの算術の教科書にはじまり、『代数学講義』(1930年)、『初等整数論講義』(1931年)、『近世数学史談』、『解析概論』、『代数的整数論』(1948年)など、日本語で数学を学べる土台を作りました。『近世数学史談』は、ガウスの業績やオイラーの業績など近世の数学者の人間らしさを、読み物としてえがいた本として知られています。
この本は、のちの数学者や数学ファンに、数学の歴史のおもしろさを教えました。いまこの「数学者データベース」のように、数学者を物語として読むことの先がけの一つともいえます。
高木は、教科書の中で、数学の考え方そのものを大切にしました。『解析概論』は、実数とは何か、極限とは何か、という最初のところから、計算の規則を一つずつたしかめながら進みます。「分かったつもり」で先に進まない書き方は、数学を学ぶ姿勢そのものを教えてくれます。大学で数学を専攻する人に、いまでも「一度は読む本」としてすすめられる理由です。
また、高木は数学の言葉の整理にも力をそそぎました。明治から昭和にかけて、西洋の数学の用語を日本語としてどう表すかは大きな課題でした。数学の本が日本語で読めるようになったことは、日本の学生が世界水準の数学にふれるための、見えない土台になりました。いま私たちが高校で極限の意味や連続の意味といった言葉を自然に使えるのは、こうした先人の積み重ねのおかげでもあります。
ちなみに、高木が書いた『近世数学史談』は、数学者たちの人柄や発見の舞台裏を、人間味のある文章で語った本として、いまも読みつがれています。数学が「公式の山」ではなく、人間の営みであることを伝えるこうした本は、受験勉強に疲れたときの息ぬきにもなります。数学者の名前と業績をセットで覚えると、教科書の公式にも親しみがわきます。高木の本は旧い言葉づかいを含みますが、図書館や古書店で見つけたら、ぜひ数ページだけでもめくってみてください。
高木貞治の名前がつく公式・定理・用語
- 高木の類体論(高木–アルティンの理論):アーベル拡大を、イデアル類群の言葉で完全に説明する理論。
- 高木の存在定理:類体論の中心になる定理。イデアル類群の部分群ごとに、対応する拡大体が存在する。
- 高木の相互法則(アルティンの相互法則):ガウスの平方剰余の相互法則の大きな一般化。
- ヒルベルト類体:類数と同じ大きさの、特別な拡大体(高木が存在を証明)。
- 高木の分解定理・導手・ほか:類体論の細部を表す用語。
高校数学までで関係する公式は、次の3つです。
- 合同式(mod)の計算・余りの問題の解き方:類体論の出発点の「余りの計算」です。
- フェルマーの小定理:素数と余りの関係の基本の公式です。
- 素数とは:整数論のいちばんの主役です。

合格先生
類体論は大学院の数学だけど、入口は「4で割った余り」。素数を4で割ると、1余るか、3余るか。それだけで「2つの平方数の和になるか」が決まるよ。余りのしくみを大事にしよう!
高木貞治の逸話と名言
ヒルベルトが下宿を世話した
1898年にドイツに留学した高木が、ゲッティンゲンに着いたとき、ヒルベルトが自ら下宿をさがしてくれた、という話が伝わっています。日本から来た若い留学生を、ドイツの大数学者があたたかく迎えたことが分かる話です。
戦争のあいだに、ひとりで築いた理論
類体論が作られたのは、第一次世界大戦のあいだです。ヨーロッパとの連絡がとぎれたなかで、高木はひとりで研究を進めたとされます。この時期に、世界の数学者がいない場所で大理論を完成させたことは、日本の数学史でもとくに印象的な出来事とされています。ただし、どこまでが完全にひとりの仕事だったかについては、見方に差があります。
しばらく気づかれなかった大論文
1920年の論文は、出版後すぐには世界で読まれなかったと伝えられます。1922年になって、ジーゲルがアルティンに読むようにすすめたことで、ようやく認められたとされます。その後、アルティンが1927年に一般の相互法則を証明し、類体論は完成しました。良い仕事でも、世の中に気づかれるまで時間がかかることがある、という例です。
第1回フィールズ賞の選考委員
1936年、オスロで開かれた国際数学者会議では、第1回フィールズ賞が贈られました。高木は、この賞の選考委員会に加わっていました。日本の数学者が、世界の数学の評価をする側に立った、最初のころの例です。それから約20年後の1954年、小平邦彦の業績と生涯が日本人ではじめてフィールズ賞を受けることになります。
日本語で数学を書くという仕事
明治のころ、日本の大学の数学は、外国の本や外国語の講義にたよっていました。高木は、自分の言葉で数学を書き、教えることに力を入れた人です。ドイツで学んだ最先端の数学を、日本の学生にも分かる形で伝える。この積み重ねが、のちに岡潔や小平邦彦のような数学者が育つ土壌を作ったといわれます。
弟子たちの活躍
高木に学んだ人には、彌永昌吉らがいます。また、小平邦彦も大学で高木から教えを受けたと記録されています。高木が耕した日本の数学は、そののち、岡潔の業績と生涯や伊藤清の業績と生涯など、世界で評価される数学者を生む土壌になりました。
サクラちゃん
戦争のときに、ひとりで世界的な理論を作ったなんて、すごいです……。
合格先生
本当にすごいよね。でも、高木はドイツでヒルベルトたちから最先端の数学を学んできたからできたんだ。「学ぶ」ことと「つくる」ことは、つながっているんだね。
受験・勉強と高木貞治のつながり
中学受験・高校受験:素数と余り
類体論は大学院の数学ですが、入口の「素数」と「余り」は、中学受験の算数から出てきます。「ある数を4で割ると何余るか」を調べる問題は、余りの問題の解き方の基本です。 を4で割った余りが0か1のどちらかになる、という性質は、算数・数学の整数問題でよく使われます。
大学受験:合同式と整数問題
大学入試の整数問題では、合同式()を使って、余りで場合分けする方法がよく使われます。たとえば「 の形の整数にならない」ことを、a,b が偶数か奇数かで場合分けして、4で割った余りを調べて示します。京都大学・東京大学などの整数問題の傾向は、京大理系数学の出題分析(1999〜2026年度)で確かめられます。素数の性質を使った問題は2027は素数?双子素数と西暦の入試問題も参考になります。
大学受験・大学1年:ε–δ論法への準備
大学に入ると、高校の極限の考え方が、ε–δ論法で厳密に書かれます。『解析概論』は、その代表的な教科書です。高校数学の数列の極限の求め方や極限とはをしっかり理解しておくと、大学での学びがスムーズです。
整数問題を解くときの3つの道具
入試の整数問題は、高木が研究した整数論の「やさしい入口」です。解き方のコツは大きく3つあります。①余りで場合分けする(4で割った余り、3で割った余りなど)。②因数分解して、約数の組を調べる( の形にする)。③範囲をしぼって、しらみつぶしにする。この3つを使い分けられると、東大・京大の整数問題でも手がかりがつかめます。類体論の「余りで調べる」という発想は、①のいちばん大きな形だといえます。
勉強法として:基礎の積み重ね
高木貞治の『解析概論』が長く読まれているのは、基本をていねいに積み上げる書き方だからです。受験勉強も同じで、基礎の理解が深いほど、応用問題が解けます。数学の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も読んでください。
高木貞治がその後の数学にあたえた影響
- アルティンの相互法則:1927年、アルティンが高木の理論の最後の部分を完成させ、ガウスの相互法則を大きく一般化しました。
- イデール類群・局所類体論:シュヴァレーらが類体論をさらに整理し、局所類体論やイデールの理論に発展させました。
- ラングランズ・プログラム:類体論は「1次元の場合」のラングランズ対応と見なせ、ワイルズの業績と生涯が証明したフェルマーの最終定理にもつながる大きな研究計画の出発点になっています。
- 岩澤理論:日本の岩澤健吉の業績と生涯は、類体論を使って、数の世界のなかの無限のつながりを調べました。
- 日本の数学教育:『解析概論』『初等整数論講義』などは、日本で数学を学ぶ学生の基礎になりました。
関孝和(和算の祖)から高木貞治へ、そして岡潔の業績・小平邦彦の業績・伊藤清の業績へ。日本の数学の流れをたどると、一人ひとりの仕事が、次の世代の土台になっていることが分かります。
高木貞治の仕事の大きな特徴は、「ばらばらに見えるものを、一つの大きな理論でまとめた」ことです。平方剰余の相互法則、クロネッカーの予想、ヒルベルトの類体の予想――別々の問題として生まれた多くの結果が、類体論という一つの枠組みの中で説明できるようになりました。数学では、こうした統一の力が、新しい理論を生みます。受験の勉強でも、いくつもの公式を「ばらばらに暗記する」のではなく、「同じ考え方から出てくる」と見直すと、理解が深まります。
高木貞治に挑戦!練習問題
やさしい
- 素数 13 と 17 を、それぞれ2つの平方数の和で表しなさい。
答えと解説を見る
13=4+9=2²+3²、17=1+16=1²+4²。(どちらも4で割って1余る素数です) - 7 と 11 は、2つの平方数の和で表せますか。
答えと解説を見る
7÷4=1余り3、11÷4=2余り3。4で割って3余る素数は、2つの平方数の和では表せません。(実際に調べても、7や11になる組はありません)
ふつう
- 素数 37 を2つの平方数の和で表しなさい。
答えと解説を見る
37÷4=9余り1なので、書けるはずです。1+36=37 より、37=1²+6²。 - 整数 a, b について、 を4で割った余りになりうる値をすべて答えなさい。
答えと解説を見る
整数の2乗を4で割った余りは0か1のみ(偶数は0、奇数は1)。よって和の余りは、0+0=0、0+1=1、1+1=2 の0、1、2。3にはなりません。
むずかしい
- を ε–δ論法で示すとき、δ をどうとればよいですか。
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。これを より小さくしたいので、 ならよい。したがって ε/3ととれます。 - を計算しなさい。この結果は、6の素因数分解についてどんなことを意味しますか。
答えと解説を見る
6。6が とは別の形でも積に書けるため、 の世界では素因数分解が1通りに決まらないことを示しています。
高木貞治と関係する数学者
- ヒルベルト(ゲッティンゲンの指導者):高木のドイツ留学中の先生で、類体の考えを作った人です。
- ガウス(平方剰余の相互法則):高木の理論がはるかに一般化した法則を見つけました。
- デデキント(イデアル論):数の世界の素因数分解を整理する「イデアル」を作りました。
- フェルマー(素数と平方数の和):4で割って1余る素数の法則を見つけた人です。
- 小平邦彦(日本人初のフィールズ賞):東京大学で高木らの教えを受けた数学者です。
- 岡潔(多変数関数論)・伊藤清(確率微分方程式):同じく日本から世界に通じる仕事をした数学者です。
- ワイルズ(フェルマーの最終定理):類体論の流れをくむ現代数論の大きな成果を出した数学者です。
数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、数学で使う記号の読み方は数学でよく使う記号の意味一覧(Σ・∫・≡)もどうぞ。
20世紀の数学者
- ヒルベルトの業績と生涯
1900年に「ヒルベルトの23の問題」を発表。ヒルベルト空間 - ミンコフスキー(1864〜1909)
数の幾何学・相対性理論の時空(ミンコフスキー空間) - アダマール(1865〜1963)
素数定理を証明(ド・ラ・ヴァレー・プーサンと同じ1896年) - ラッセル(1872〜1970)
集合論の「ラッセルのパラドックス」・『プリンキピア・マテマティカ』 - ルベーグ(1875〜1941)
ルベーグ積分(測度論) - ハーディの業績と生涯
ラマヌジャンを見いだした。『ある数学者の生涯と弁明』 - ネーターの業績と生涯
抽象代数学の母。対称性と保存則のネーターの定理 - ワイル(1885〜1955)
リーマン面・群論と量子力学 - 掛谷宗一(1886〜1947)
長さ1の針を回す最小の面積を問う「掛谷問題」 - ラマヌジャンの業績と生涯
ほぼ独学で数千の公式を残した天才。タクシー数1729 - バナッハ(1892〜1945)
関数解析(バナッハ空間)・バナッハ=タルスキーのパラドックス - 岡潔の業績と生涯
多変数複素関数論の難問を一人で解いた。随筆『春宵十話』
← 前の時代:ヒルベルトの業績と生涯 | 次の時代:ハーディの業績と生涯 →
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読みもの(合格大作戦の数学の記事)
- 算数・数学の公式一覧(公式辞典)
公式・証明・例題を1つずつ - 数学用語辞典(用語の意味を1語1ページ)
素数・漸近線など200語 - 京大理系数学の出題分析(1999〜2026年度)
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2027=45²+2 - 唯一の偶数の素数「2」の話
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∞・Σ・∫ などの記号と読み方 - 数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)
青・黄・赤チャートの使い分け
よくある質問
高木貞治は何をした人ですか?
高木貞治は、日本の数学者です。整数論の大理論である類体論を完成させ、日本の数学が世界の最先端に立つ先がけとなりました。教科書『解析概論』を書いたことでも知られ、「日本の近代数学の父」とよばれます。
類体論とは何ですか?
数の世界を広げたとき、素数がどのようにわれるかを、割り算の余りのクラス分けという別の言葉で説明する理論です。たとえば、素数を4で割った余りが1か3かで、2つの平方数の和で書けるかどうかが決まるという法則の一般形です。
高木貞治はいつ類体論を発表しましたか?
1920年にストラスブールの国際数学者会議で発表し、同じ年に論文を出しました。当初はすぐには注目されませんでしたが、1922年ごろから世界に知られ、1927年にアルティンが理論を完成させました。
『解析概論』とはどんな本ですか?
高木貞治が1938年に書いた、微分・積分(解析学)の教科書です。極限などを厳密な議論で、日本語でていねいに説明した名著として、いまも岩波書店から出版され、多くの大学で使われたり読みつがれたりしています。
高木貞治はどこの出身ですか?
岐阜県の数屋村(いまの本巣市)の出身です。京都の第三高等学校を経て東京大学で学び、1898年にドイツに留学しました。ゲッティンゲンでヒルベルトに学びました。
高木貞治は何歳で亡くなりましたか?
1960年2月29日、東京で亡くなりました。1875年4月21日生まれなので、84歳でした。
高木貞治はフィールズ賞とどんな関係がありますか?
1936年に、はじめてフィールズ賞が贈られたとき、高木は選考委員会に加わっていました。日本人としては、1954年に小平邦彦が最初の受賞者になっています。
高木貞治の弟子や関係する数学者はだれですか?
彌永昌吉らが高木に学びました。小平邦彦も東京大学で高木から教えを受けたと記録されています。日本の数学は、高木の時代以降、岡潔や伊藤清など世界に通じる数学者を生んでいきます。
類体論は受験にも関係がありますか?
類体論そのものは大学院レベルですが、入口の「素数」と「割り算の余り」は、中学受験の算数から大学入試の整数問題(合同式など)まで出てきます。「素数を4で割った余りで分類する」考え方は、入試でもよく使われます。
高木貞治の名前がつく用語にはどんなものがありますか?
高木の類体論(高木–アルティン理論)、高木の存在定理、高木の相互法則などがあります。いずれも大学院で学ぶ代数的整数論の用語です。
あわせて読みたい
出典・参考
- MacTutor History of Mathematics「Teiji Takagi」(セント・アンドルーズ大学)
- 高木貞治『解析概論』(岩波書店、1938年)
- 高木貞治『初等整数論講義』(共立出版、1931年)
- T. Takagi, “Über eine Theorie des relativ Abel’schen Zahlkörpers”(1920年)
最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦



