有名な数学者一覧 › 20世紀 › 日本
大学受験
岡潔Kiyoshi Oka
ひとことで言うと
多変数複素関数論の3つの大きな難問をほぼ一人で解いた、日本を代表する数学者。文化勲章を受け、随筆『春宵十話』でも知られる。
| 名前 | 岡潔(おか きよし。Kiyoshi Oka) |
|---|---|
| 生没年 | 1901年4月19日〜1978年3月1日(76歳) |
| 国 | 日本(大阪生まれ、郷里は和歌山県) |
| 分野 | 解析学(多変数複素関数論) |
| 主な業績 | クザンの問題・ハルトークスの逆問題(レビの問題)・近似問題の解決、岡の原理、『春宵十話』(1963年) |
| 名前がつくもの | 岡の原理・岡の連接定理・岡の補題・岡多様体 |
| 出身・勤務 | 京都帝国大学(今の京都大学)で学び、のち奈良女子大学教授(1949〜1964年) |
このページのポイント
- 多変数複素関数論(複素数を2つ以上使う関数の理論)で、世界の数学者が解けなかった3つの中心問題を解いた
- その成果は「岡の原理」として、のちの複素幾何学・代数幾何学の土台になった。1960年に文化勲章
- 随筆『春宵十話』(1963年)で「数学は情緒の世界」と語り、小林秀雄との対談『人間の建設』でも知られる
岡潔は何をした人?(業績をひとことで)
岡潔(おか きよし、1901〜1978年)は、日本の数学者です。多変数複素関数論という分野で、世界の数学者が何十年も解けなかった3つの大きな問題(クザンの問題・ハルトークスの逆問題(レビの問題)・近似問題)を、ほぼ一人で解いたことで知られます。その成果は「岡の原理」とよばれ、のちの代数幾何学や複素幾何学の土台になりました。
岡潔は、京都大学で学び、のちに奈良女子大学の教授を務めました。1960年に文化勲章を受け、1963年には随筆集『春宵十話』がベストセラーになりました。数学の天才であると同時に、「数学は情緒(心の動き)で考える」と語った文章家・思想家としても知られています。
岡潔の専門は大学院レベルの数学で、受験では直接出ません。ただ、その出発点の複素数平面(ガウス平面)の意味と使い方や虚数・複素数とはは、高校の数学Cで習う内容です。この記事では、岡潔の仕事を図とたとえ話で、やさしく説明します。数式が苦手な人も、図だけ追えば大きな流れがつかめるように書きました。気になった節から読んでかまいません。
うかるくん
「多変数複素関数論」って、名前からしてむずかしそうです……。
合格先生
名前はむずかしいけど、はじまりはかんたんだよ。複素数を1つ使う関数が「複素関数」、2つ以上使うのが「多変数複素関数」。岡潔は、この世界のいちばんむずかしい問題を解いた人なんだ。
岡潔の生涯と年表
大阪に生まれ、和歌山で育つ
岡潔は、1901年(明治34年)4月19日、大阪で生まれました。父祖の地は和歌山県の紀見村(今の橋本市)で、子どものころはこの山あいの村で育ちます。のちに岡潔は、このふるさとの自然を、生涯なつかしみ、語りつづけました。
三高から京都帝国大学へ
岡潔は、京都の第三高等学校(三高)で学びました。このころ、友人に「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語ったと伝えられています。その後、京都帝国大学(今の京都大学)の理学部で数学を学び、1925年に講師になりました。1929年には助教授に昇進しています。
フランス留学:多変数関数論との出あい
1929年、岡潔はフランスに留学し、パリのソルボンヌ大学のポアンカレ研究所に所属しました。ここで出あったのが、多変数複素関数論という分野でした。ポアンカレ(フランスの大数学者)が20世紀のはじめに、2変数の関数について重要な結果を出していた分野です。1932年に帰国し、広島文理科大学の助教授になります。
病気と長い研究の時期
岡潔は1938年に広島文理科大学を休職し、1940年に辞職しました。その後は、郷里の和歌山などで、ほとんどひとりで研究を続けたと伝えられています。この戦中・戦後の約10年間に、3つの大きな問題を解く研究を進めたといわれます。論文は、フランス語で書かれ、「多変数解析関数について」という共通の題名で、1930年代から1962年にかけて発表されました。
奈良女子大学教授、文化勲章、『春宵十話』
1949年、岡潔は奈良女子大学の教授になり、1964年まで務めました。この間、1951年に日本学士院賞、1954年に朝日文化賞、1960年に文化功労者と文化勲章を受けます。1963年、随筆集『春宵十話』を毎日新聞社から出版し、毎日出版文化賞を受けました。1965年には、評論家の小林秀雄との対談『人間の建設』が出版されています。1978年3月1日、76歳で亡くなりました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1901年 | 4月19日、大阪で生まれる(郷里は和歌山県紀見村) |
| 1925年 | 京都帝国大学の講師になる |
| 1929年 | 助教授になり、フランスに留学(ソルボンヌ大学) |
| 1932年 | 帰国し、広島文理科大学の助教授になる |
| 1938年 | 広島文理科大学を休職(1940年に辞職) |
| 1940年 | 論文博士(理学)の学位を受ける |
| 1942年ごろ | 多変数関数論の中心の問題(レビの問題)についての論文を発表 |
| 1949年 | 奈良女子大学の教授になる |
| 1951年 | 日本学士院賞を受ける |
| 1954年 | 朝日文化賞を受ける |
| 1960年 | 文化功労者・文化勲章を受ける |
| 1962年 | 「多変数解析関数について」第10論文を発表 |
| 1963年 | 『春宵十話』を出版(毎日出版文化賞) |
| 1965年 | 小林秀雄との対談『人間の建設』が出版される |
| 1978年 | 3月1日、76歳で亡くなる |
岡潔の主な業績をやさしく解説
業績1 「多変数複素関数論」とは何か
まず、複素数(実数と虚数の組)のおさらいをしましょう。複素数は、a+bi(iは2乗すると−1になる数)の形で、平面上の1点として表せます。この平面が複素数平面です。複素数 z を入れると、別の複素数 f(z) が出てくる関数が複素関数です。複素関数の中でも、なめらかに微分できる関数を正則関数といいます。これは、19世紀のコーシー(複素関数論の創始者)やリーマン、ワイエルシュトラスによって、美しい理論に育てられた分野です。
正則関数の身近な例は、多項式(z²+3z+1 など)や、指数関数 e^z、三角関数 sin z・cos z です。実数のときと同じ式なのに、複素数を入れると、円や波がたがいに結びついた美しい関係が見えてきます。たとえば、オイラーの公式は、指数関数と三角関数が同じものの別の顔だと教えてくれます。オイラー(複素数の達人)が見つけたこの公式は、複素関数論の入口として、高校・大学で何度も出てきます。正則関数のもう1つの特徴は、「小さな範囲のふるまいが分かると、遠くのふるまいまで決まる」という強い性質です。1変数でもすでに不思議ですが、変数が増えると、この性質はさらに深く、おもしろくなります。
では、変数を2つ以上にするとどうなるでしょうか。f(z₁, z₂) のように、複素数を2つ入れる関数を考えると、舞台は4次元の空間になります。目で見えない世界ですが、式を使えば調べられます。ここで、1変数のときにはなかった、不思議なことがたくさん起こります。それを解き明かすのが、多変数複素関数論です。
業績2 1変数とは別世界:ハルトークスの現象
1変数の複素関数では、どんな形の領域(図形の中の部分)でも、その領域の外には続かない関数を作れます。ところが、2変数以上になると、そうはいきません。たとえば「ドーナツのように中が空いた領域」で決まった正則関数は、自動的に空いた穴の中までつながって定義されるのです(ハルトークスの現象)。
つまり、2変数以上の世界では、「関数が自然に定義される領域」と「そうでない領域」の区別が生まれます。どんな領域なら、その領域の外にはみ出せない関数があるのか。この問いが、多変数関数論の中心になりました。20世紀のはじめに、ポアンカレらが2変数のとき、1変数とはちがう現象があることに気づきました。
業績3 3つの難問:クザンの問題・ハルトークスの逆問題・近似問題
多変数複素関数論には、長い間、誰にも解けなかった中心の問題がありました。岡潔は、そのうちの3つを解いたとされます。
① クザンの問題。「小さな部分ごとに決まった情報(たとえば、特別な点でどんなふるまいをするか)が、重なる部分でつじつまが合うとき、それらを1つの関数にはりあわせられるか」という問題です。地図のページを重ねて、1枚の大きな地図にするイメージです。
② ハルトークスの逆問題(レビの問題)。「領域の境界のまがり方が、ある条件(擬凸という性質)を満たすなら、その領域は関数が自然に定義される領域になるか」という問題です。境界の形という目に見える性質と、関数という解析の性質が、実は同じだと示す問題でした。
③ 近似問題。「広い領域で決まった関数を、多項式のような簡単な関数で、いくらでもよく近づけられるか」という問題です。1変数では「ルンゲの近似定理」で知られた話を、多変数に広げます。
岡潔は、1930年代から1950年代にかけて、これらの問題を、独自の方法で次つぎと解きました。その方法の中心にある考えが、のちに「岡の原理」とよばれるものです。ごくおおまかにいうと、「解けるかどうかの壁は、形(トポロジー)だけで決まり、解析の細かい部分は問題にならない」という原理です。
業績4 岡の原理とその後:層の理論へ
岡潔の論文がむずかしいといわれるのには、理由があります。まず、前の人の道具がほとんど使えなかったことです。多変数の世界では、1変数のときの便利な方法(たとえば、留数の計算)が、そのままでは通用しません。そこで岡潔は、新しい道具をみずから作りながら問題に挑みました。次に、論文がとても長く、証明がていねいに積みあがっていることです。1つの定理のために、前に証明した別の定理を何本も使うので、全体を理解するには時間がかかります。そのため、当時の世界の数学者たちも、岡の仕事の本当の価値を理解するのに、時間がかかったといわれます。
岡潔の論文は、フランス語で書かれ、むずかしく、すぐには理解されませんでした。フランスの数学者アンリ・カルタンたちが岡の論文を深く研究し、1950年代に「層」の理論(部分ごとの情報をまとめて整理する数学の道具)を使って、岡の仕事を現代的に整理しなおしました。岡潔が発見した連接性(岡の連接定理)などは、現在の複素幾何学・代数幾何学の基本の道具です。
岡潔の仕事は、日本の数学の世界水準の成果として、小平邦彦(複素多様体の研究)・高木貞治(類体論)らとともに、日本の近代数学を代表するものになりました。
業績5 『春宵十話』と「情緒」の数学観
岡潔は数学だけでなく、随筆でも有名です。1963年に出版された『春宵十話』は、数学者の目で、教育・日本の文化・人間の心を語った本です。この本で岡潔がくりかえし語るのが「情緒」の大切さです。岡潔は、数学の発見は理屈だけでなく、情緒(心のはたらき)によって生まれると考えました。数学者でありながら、「論理や計算は数学の中心ではない」という立場をとった、めずらしい人でした。
この考えが、現代の私たちにそのまま正しいかどうかは、人によって意見がちがいます。ただ、数学は計算力だけの学問ではないと考えさせてくれる、貴重な言葉です。1965年には、評論家の小林秀雄との対談『人間の建設』が出版され、今でも読みつがれています。
岡潔の名前がつく公式・定理・用語
岡潔の名前がつくのは、大学以上の数学の用語です。高校の公式にはなりませんが、名前だけでも知っておくと、数学の世界が広がります。
- 岡の原理:複素多様体の上で、「解けるかどうか」の問題が、トポロジー(形)だけで決まるという原理。
- 岡の連接定理:正則関数のつくる情報が、有限個でまとまる(連接である)という定理。
- 岡の補題:近似問題などで使われる、岡の方法の基本の道具。
- 岡–カルタンの理論:岡潔の仕事を、カルタンが層の理論でまとめなおしたもの。
- 岡の多様体(岡多様体):岡の原理が成り立つ多様体。現代の数学の研究対象になっています。
岡潔の仕事の出発点は、高校で習う複素数です。ド・モアブルの定理と複素数の累乗やオイラーの公式 e^(iθ)=cosθ+i sinθを使うと、複素数の世界が見えてきます。

合格先生
岡潔の仕事は大学院の数学だけど、はじまりは高校の複素数平面。 を平面の点と見る、この見方を大切にしよう。そこから「変数が2つ」の世界が見えてくるよ。
岡潔の逸話と名言
「論理も計算もない数学」
岡潔は、第三高等学校の時代に、友人に「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語ったと伝えられています。数学者が「論理も計算もない」と言うのは不思議ですが、岡潔は、論理や計算は、数学の本当の中身ではないと考えていたといわれます。
僕は論理も計算もない数学をやってみたい。
数学は「情緒」だ
『春宵十話』などで、岡潔は「人の中心は情緒である」という考えをくりかえし語ったと紹介されています。数学を学ぶ人は、頭の良さだけでなく、自然を美しいと感じる心や、ものごとをじっくり味わう心を育てることが大事だ、という考えです。この考えは、論理だけに頼る勉強法への、ひとつの問いかけです。
10年の孤独な研究
岡潔は、広島文理科大学を休職・辞職したあと、1940年代に郷里などで、ほとんどひとりで研究したと伝えられます。世界の最先端から遠くはなれた場所で、それでも世界の数学者が解けなかった問題を解いたことは、数学史でも有名な話です。ただし、細かい経緯には、伝え方によって差があります。
ふるさとと自然を愛した人
岡潔は、ふるさとの紀見村の自然や、芭蕉の俳句、日本の古典を深く愛していた、と紹介されています。「数学と文学は、同じ根っこから生まれる」と考える人でもありました。日本の伝統的な心と世界最先端の数学を同時に持っていたことが、岡潔の魅力です。
ふるさとの自然と、ゆっくり考える時間
岡潔は、のちの随筆で、ふるさとの紀見村の自然や、子どものころの思い出をたびたび語ったと紹介されています。そして、数学の力は、ゆっくり考える時間や、自然の美しさを感じる心から育つという趣旨のことを述べたとされます。細かい言葉づかいは本によって異なりますので、くわしくは『春宵十話』などの原文で確かめてください。現代の私たちは、スマホやゲームで忙しい毎日を送りがちです。そのなかで「ゆっくり考える」ことの価値を、岡潔の話は思い出させてくれます。
「教育」についての発言
岡潔は、晩年に日本の教育や社会についてたびたび意見を述べ、1957年ごろには、現代社会が「理性主義」や「物質主義」にかたよりすぎていると警鐘を鳴らした、と紹介されています。岡潔の意見には、今ではそのまま同意できないものもありますし、賛否が分かれる部分もあります。ここでは、数学の天才が、数学以外のことについても真剣に考え、語ったという事実だけを紹介しておきます。
サクラちゃん
論理も計算もない数学って、ちょっと想像できません……。テストでは計算しないと点が取れないし。
合格先生
そうだね。受験では論理も計算もとても大事だよ。でも岡潔が言いたかったのは、「そこから先の、ひらめきや美しさを感じる心が数学を動かす」ということなんだ。問題を解いて「きれいだな」と感じたら、それが数学の入口だよ。
受験・勉強と岡潔のつながり
中学受験・高校受験:「じっくり考える」習慣
岡潔の話から、中学受験や高校受験の勉強に使えるのは、「すぐに答えを出さずに、じっくり考える」習慣です。岡潔は、ひとつの問題に長い時間をかけて向き合う人でした。むずかしい問題でも、あきらめずに、ひと晩考えてみると、ふとした時にひらめくことがあります。
大学受験:複素数平面と複素数の計算
大学受験では、数学Cの複素数平面が、岡潔の仕事の入口になります。
- 複素数の計算:(a+bi)+(c+di)、かけ算、割り算。複素数と2次方程式の解も大事です。
- 複素数平面:複素数を平面の点で表し、絶対値と偏角を考える。
- ド・モアブルの定理:ド・モアブルの定理(複素数の累乗)で、回転と拡大を扱う。
- オイラーの公式:オイラーの公式は、大学の数学でも基本の公式です。
京大理系数学の出題分析(1999〜2026年度)を見ると、複素数平面の問題の出方が分かります。岡潔の母校である京都大学の入試対策は、京大数学の参考書ロードマップも参考になります。なお、虚数 i の書き方は虚数 i の書き方(斜体か立体か)にくわしく書いてあります。
大学の勉強へ:複素関数論
大学の理系では、2年生ごろに複素関数論(1変数)を学びます。コーシーの積分定理や、留数の定理を使うと、実数だけでは求めにくい積分が計算できます。この延長に、岡潔の多変数複素関数論があります。数学の道をめざす人は、ぜひ一度、岡潔の随筆と論文の名前を目にしてみてください。
勉強法として:数学は「心」でも解く
岡潔の「情緒」の考え方は、勉強法にもヒントをくれます。行きづまったときは、少し歩く、図をかく、ほかのことをしてみることで、ひらめきがやってくることがあります。数学の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も読んでください。
岡潔がその後の数学にあたえた影響
- 複素幾何学・代数幾何学:岡の原理と連接性は、複素多様体や代数多様体の研究の基本になりました。
- 層の理論:アンリ・カルタンやジャン=ピエール・セールらによる層の理論は、岡潔の仕事を整理するなかで大きく発展しました。
- 現代の岡理論:20世紀の終わりごろから、岡の原理が成り立つ多様体(岡多様体)を調べる研究が、世界で盛んになっています。
- 日本の数学への影響:岡潔の仕事は、日本の数学者に「世界で通用する仕事ができる」という自信をあたえました。小平邦彦や、のちのフィールズ賞受賞者たちにも、その流れがつながっています。
- 教育・文化への影響:『春宵十話』は、数学を学ぶ人だけでなく、多くの読者に影響をあたえました。
岡潔の仕事のもうひとつの意味は、「別々に見える問題が、じつは同じ根っこを持つ」ことを示した点です。クザンの問題、レビの問題、近似問題は、それぞれ別の問題として生まれましたが、岡潔は、これらを同じ方法でまとめて解きました。数学では、ばらばらに見えるものを、1つの見方でつなぐことが、とても大きな発見になります。受験の勉強でも、「ちがう単元だと思っていた問題が、同じ考え方で解けた」という経験は、数学の理解が一段深まった合図です。岡潔の仕事は、その大きな例だといえます。
日本の数学の歴史は、江戸時代の関孝和(和算の祖)から、明治以降の高木貞治、そして岡潔へとつながっています。日本の数学がどのように発展してきたかを知ると、数学がもっと身近に感じられます。
岡潔に挑戦!練習問題
やさしい
- (3+2i)+(1−i) を計算しなさい。
答えと解説を見る
実部どうし、虚部どうしを足して、(3+1)+(2−1)i=4+i。 - i の2026乗の値を求めなさい。
答えと解説を見る
i の累乗は、i, −1, −i, 1 の4つをくりかえします。2026÷4=506余り2なので、i²⁰²⁶=i²=−1。
ふつう
- 複素数 3+4i の絶対値を求めなさい。(複素数平面で、原点からの距離です)
答えと解説を見る
三平方の定理より、√(3²+4²)=√25=5。 - (1+i)⁸ の値を求めなさい。
答えと解説を見る
(1+i)²=1+2i+i²=2i。よって (1+i)⁸=((1+i)²)⁴=(2i)⁴=16×i⁴=16×1=16。
むずかしい
- z²=−3+4i を満たす複素数 z をすべて求めなさい。
答えと解説を見る
z=a+bi とおくと、a²−b²=−3、2ab=4。b=2/a を代入して a²−4/a²=−3、a⁴+3a²−4=0、(a²+4)(a²−1)=0。a は実数なので a²=1、a=±1。a=1 のとき b=2、a=−1 のとき b=−2。答えはz=1+2i、−1−2i。 - 複素数平面で、1+i を原点のまわりに90°回転させた点は何ですか。(i をかけると90°回転します)
答えと解説を見る
(1+i)×i=i+i²=−1+i。点 (1, 1) を 90° 反時計まわりに回すと (−1, 1) になることと一致します。
岡潔と関係する数学者
- コーシー(複素関数論の創始者):岡潔の仕事の出発点になった、複素関数論の基礎を作りました。
- リーマン(リーマン面とゼータ関数)・ワイエルシュトラス(解析学の厳密化):複素関数論を発展させた19世紀の数学者です。
- ポアンカレ(2変数関数の研究):多変数複素関数論の先がけとなる研究をしました。
- 高木貞治(日本の世界的数学者)・小平邦彦(日本人初のフィールズ賞):同じく日本から世界に通用する仕事をした数学者です。
- 関孝和(江戸時代の和算の祖):日本の数学の歴史で、岡潔よりずっと前の時代をつくった人です。
数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、数学全体の入口は算数・数学 公式と用語の一覧(学年別・分野別)もどうぞ。
20世紀の数学者
- ヒルベルトの業績と生涯
1900年に「ヒルベルトの23の問題」を発表。ヒルベルト空間 - ミンコフスキー(1864〜1909)
数の幾何学・相対性理論の時空(ミンコフスキー空間) - アダマール(1865〜1963)
素数定理を証明(ド・ラ・ヴァレー・プーサンと同じ1896年) - ラッセル(1872〜1970)
集合論の「ラッセルのパラドックス」・『プリンキピア・マテマティカ』 - 高木貞治の業績と生涯
類体論を完成させた。日本の近代数学の父 - ルベーグ(1875〜1941)
ルベーグ積分(測度論) - ハーディの業績と生涯
ラマヌジャンを見いだした。『ある数学者の生涯と弁明』 - ネーターの業績と生涯
抽象代数学の母。対称性と保存則のネーターの定理 - ワイル(1885〜1955)
リーマン面・群論と量子力学 - 掛谷宗一(1886〜1947)
長さ1の針を回す最小の面積を問う「掛谷問題」 - ラマヌジャンの業績と生涯
ほぼ独学で数千の公式を残した天才。タクシー数1729 - バナッハ(1892〜1945)
関数解析(バナッハ空間)・バナッハ=タルスキーのパラドックス
← 前の時代:ラマヌジャンの業績と生涯 | 次の時代:フォン・ノイマンの業績と生涯 →
有名な数学者一覧(年代順・国別・分野別)で、ほかの数学者も見られます。数学者たちが挑んだ問題は数学の難問・未解決問題の一覧にまとめています。
読みもの(合格大作戦の数学の記事)
- 算数・数学の公式一覧(公式辞典)
公式・証明・例題を1つずつ - 数学用語辞典(用語の意味を1語1ページ)
素数・漸近線など200語 - 算数・数学 公式と用語の一覧(学年別・分野別)
公式辞典と用語辞典の入口 - 虚数 i の書き方(斜体か立体か)
国際規格と手書きのコツ - 京大理系数学の出題分析(1999〜2026年度)
大問別一覧と頻出分野ランキング - 京大数学の参考書ロードマップ
青チャート→1対1→過去問 - 数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)
青・黄・赤チャートの使い分け
よくある質問
岡潔は何をした人ですか?
岡潔は、日本の数学者です。多変数複素関数論という分野の3つの大きな難問(クザンの問題・ハルトークスの逆問題・近似問題)を解き、「岡の原理」を築きました。1960年に文化勲章を受け、随筆『春宵十話』でも知られます。
岡潔の3つの難問とは何ですか?
クザンの問題(部分の情報を全体の関数にはりあわせられるか)、ハルトークスの逆問題(レビの問題。境界の形から、関数の自然な定義域を決められるか)、近似問題(広い領域の関数を簡単な関数で近づけられるか)の3つです。
多変数複素関数論とは何ですか?
複素数を1つではなく2つ以上入れる関数(f(z₁, z₂)など)を研究する数学です。1変数にはない不思議なことが起こり、たとえば穴のあいた領域の関数は穴の中まで続いて定義されます(ハルトークスの現象)。
岡の原理とは何ですか?
ごくおおまかにいうと、複素多様体の上で、ある種の問題が解けるかどうかは、形(トポロジー)の条件だけで決まるという原理です。岡潔の仕事がもとになり、現代の複素幾何学・代数幾何学の基本になっています。
岡潔は何大学の出身で、どこの教授でしたか?
京都帝国大学(今の京都大学)の理学部で学び、同大学の講師・助教授を務めました。その後、広島文理科大学の助教授をへて、1949年から1964年まで奈良女子大学の教授でした。
『春宵十話』とはどんな本ですか?
岡潔が1963年に出版した随筆集です。数学者の目から、教育・日本の文化・人間の心について語った本で、「情緒」の大切さがくりかえし語られています。この本で毎日出版文化賞を受けています。
岡潔はどんな賞や栄誉を受けましたか?
1951年に日本学士院賞、1954年に朝日文化賞、1960年に文化功労者と文化勲章、1973年に勲一等瑞宝章などを受けています。
岡潔が語った「情緒」とは何ですか?
岡潔は、数学の発見は論理や計算だけでなく、心のはたらき(情緒)から生まれると考えました。「人の中心は情緒である」という考えは、『春宵十話』などで語られています。どう受けとるかは人によって意見がわかれます。
岡潔は受験に関係がありますか?
岡潔の専門は大学院レベルですが、その出発点の複素数と複素数平面は、高校の数学Cで習います。複素数の計算・絶対値・ド・モアブルの定理は大学受験の頻出分野で、岡潔の仕事を理解する入口になります。
あわせて読みたい
出典・参考
- 岡潔『春宵十話』(毎日新聞社、1963年)
- 岡潔・小林秀雄『対話 人間の建設』(新潮社、1965年)
- Kiyoshi Oka, “Sur les fonctions analytiques de plusieurs variables”(I〜X、1936〜1962年)
- MacTutor History of Mathematics「Kiyoshi Oka」(セント・アンドルーズ大学)
最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦



