関孝和は何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|和算・行列式・円周率・ベルヌーイ数

関孝和は何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|和算・行列式・円周率・ベルヌーイ数

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関孝和Seki Takakazu

ひとことで言うと

江戸時代の和算家で、「算聖」とよばれる。文字を使った式で方程式を解き、行列式・円周率・ベルヌーイ数を西洋とほぼ同じころ(独立に)発見した。

名前関孝和(せき たかかず。Seki Takakazu)
生没年1640年ごろ(1637年説・1642年説)〜1708年12月5日(宝永5年10月24日)
国日本(江戸時代。生地は上野国藤岡か江戸、諸説あり)
分野和算(代数・円の計算・整数・方陣)
主な業績『発微算法』(1674年)、傍書法・点竄術、『解伏題之法』(行列式の考え方、1683年)、円周率の高精度計算、冪和・ベルヌーイ数(『括要算法』)、方陣
名前がつくもの関流(和算の流派)
よばれ方算聖(さんせい)

このページのポイント

  • 1674年の『発微算法』で、沢口一之の出した15の難問をすべて解き、文字を使った式で方程式を解く点竄術を確立した
  • 行列式の考え方(1683年)は、ライプニッツ(1693年)より約10年早いとされる。ベルヌーイ数も西洋とほぼ同じころ、独立に見つけた
  • 円に内接する正多角形に加速法(累遍増約術)を使い、円周率を小数点以下11けたまで求めたとされる

関孝和は何をした人?(業績をひとことで)

関孝和(せき たかかず、1640年ごろ〜1708年)は、江戸時代前期の和算家(日本独自に発展した数学「和算」の学者)です。方程式を文字を使った式で書いて解く筆算の代数(点竄術)を確立し、行列式の考え方、円周率の高精度の計算、ベルヌーイ数、方陣(魔方陣)の研究など、西洋とほぼ同じ時期か、それより早い時期に、いくつもの重要な発見をしました。その業績から「算聖」(数学の聖人)とよばれます。

関孝和の名前は、日本の数学の歴史の入口として、中学や高校の授業でも出てきます。大学受験の数学では、直接の公式は出ませんが、行列式の計算と性質(余因子展開)、Σの公式(k・k²・k³の和)、円周率3.14の計算のくふうなど、関孝和の仕事とつながる内容がたくさん出ます。江戸時代の日本に、世界の最先端と肩をならべる数学があったのです。

サクラちゃん

サクラちゃん

江戸時代にも、日本に数学者がいたんですか? 外国の数学を習っていたのかと思っていました。

合格先生

合格先生

鎖国の時代だからこそ、日本の中で独自に育った数学があるんだ。それが「和算」。関孝和は、その中心にいた人だよ。行列式や円周率の計算は、西洋とは別の道から見つけたものなんだ。

関孝和をえがいたとされる墨絵(後世のもの)
関孝和をえがいたとされる墨絵。後の時代にえがかれたもので、本人をどのくらい正確にえがいているかは分かっていません画像:「Seki Kowa」(作者不明の墨絵)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

関孝和の生涯と年表

生まれは諸説:上野国か江戸か

関孝和の生まれた年は、はっきり分かっていません。1637年説と1642年説があり、1640年ごろとされることもあります。生まれた場所も、上野国藤岡(今の群馬県藤岡市)と江戸の2つの説があります。武士の内山永明の次男として生まれ、のちに関五郎左衛門の養子となって、関の姓を名のりました。

師はいなかった? 独学で数学者に

関孝和に決まった師はいなかった、と伝えられています。当時ベストセラーだった吉田光由の『塵劫記』(1627年)などの算術の本を独学で学んだ、とされます。また、中国の数学書にある天元術(算木を使って方程式を表す方法)も学び、それを大きく発展させたと考えられています。

『発微算法』(1674年):遺題を解く

当時の和算には、「遺題」という習慣がありました。数学の本の最後に、解答のない問題を残して「解ける人は解いてみなさい」とよびかけるのです。1670年、沢口一之が『古今算法記』で15題の難問を出しました。関孝和は、1674年、『発微算法』でその15題すべてに答えました。このとき使ったのが、文字を使って式を書く傍書法と、式を変形して解く点竄術です。

幕府・甲府藩につかえた武士

関孝和は、甲府藩の徳川綱重・綱豊(のちの6代将軍・家宣)につかえ、藩の会計をしらべる役を務めました。1704年、家宣が将軍の後つぎになると、関孝和は旗本となり、西の丸の役人になりました。数学の仕事をしながら、実務の役人でもあったのです。

晩年と死

1706年に役職をしりぞき、1708年12月5日(宝永5年10月24日)、病気で亡くなりました。弟子たちが原稿をまとめ、『括要算法』が1712年に出版されました。養子の関新七郎が罪に問われて関家が断絶したため、関孝和の資料が散逸し、生涯の細かいことが伝わらなくなった、といわれます。1907年(明治40年)には、従四位が贈られました。

年できごと
1627年吉田光由『塵劫記』が出版される(関孝和が学んだとされる本)
1637〜42年ごろ関孝和が生まれる(生年・生地は諸説)
1670年沢口一之が『古今算法記』で15題の遺題を出す
1674年『発微算法』を出版。15題すべての答えを示す(傍書法・点竄術)
1681年ごろ円周率を小数点以下11けたまで求めたとされる(正131072角形を使用)
1683年『解伏題之法』で、行列式の考え方による消去法を示す
1683年ごろ方陣(魔方陣)の研究をまとめたとされる
1704年徳川家宣が将軍の世継ぎになり、関孝和は旗本となる(西の丸の役人)
1706年役職をしりぞく
1708年12月5日(宝永5年10月24日)に亡くなる
1710年弟子の建部賢弘・賢明らが『大成算経』を編集(関の学問の集大成)
1712年『括要算法』が出版される(冪和・ベルヌーイ数・円周率など)
1722年建部賢弘が『綴術算経』で円周率の計算をさらに進める

関孝和の主な業績をやさしく解説

業績1 傍書法と点竄術:文字を使った式で方程式を解く

和算のもとになった中国の天元術は、算木(小さな棒)をならべて方程式を表す方法でした。ただし、未知数が1つの方程式しか扱えません。たとえば「x²+2x−3=0」は、上から順に「xの2乗の係数1」「xの係数2」「定数項−3」を棒でならべて表します。

算木(さんぎ)で方程式をあらわすx² + 2x − 3 = 0x² の係数+1x の係数+2定数項−3赤い棒(斜線つき)がマイナス
算木のならべ方。x²の係数1、xの係数2、定数項−3(赤い斜線がマイナス)を上から並べて、方程式をあらわす

関孝和は、この方法を大きく発展させました。傍書法は、漢字の記号(甲・乙・丙・丁など)で未知数や既知の数を表し、その右がわに係数や指数を書く方法です。算木にたよらず、紙の上で式を書いて変形できるようになりました。これで、未知数が複数ある方程式を書き表せるようになります。この筆算の代数が点竄術で、和算の標準的な道具になりました。

この仕事が、現代の文字式(文字を使った式)や方程式の意味と解き方の考え方に近いことが分かります。ふつう西洋の代数が文字式を使いはじめたのは、ヴィエト(記号代数の創始者)などが活躍した16世紀末〜17世紀です。関孝和は、日本の中で独自に文字式の道具を整えたのです。

業績2 行列式の考え方:ライプニッツより早い?

連立方程式から未知数を1つずつ消していくとき、最後に出る式を行列式といいます。たとえば、2つの文字の連立方程式「ax+by=p、cx+dy=q」では、ad−bcが行列式です。関孝和は、1683年の『解伏題之法』で、複数の方程式から文字を消す方法を、行列式の形で一般的に示しました。

ななめにかけて、足して引くabcabdefdeghigh赤の線(右下がり)3本の積を足す青の線(右上がり)3本の積を引く(aei+bfg+cdh)−(ceg+afh+bdi)
3×3の行列式の計算。右下がりの斜め線3本の積を足し、右上がりの斜め線3本の積を引く(サラスの方法)

関孝和は、式の係数を縦横にならべ、ななめの積を足し引きする方法(交式斜乗)を使いました。3次と4次は正しく、5次には符号のまちがいがあったことが、のちの研究で知られています。西洋では、ライプニッツが1693年の手紙で同じようなアイデアを書いています。関孝和の発見は約10年早いとされます。ただし、2人はまったく別々に見つけたと考えられており、関孝和の仕事が西洋に伝わったという証拠はありません。

現代の高校数学(数学C)の行列式の計算と性質や、連立1次方程式と階数(ランク)と、この仕事はつながっています。

業績3 円周率を小数点以下11けたまで

円周率は、円の周の長さ÷直径です。古代のアルキメデス(円周率の挑戦者)は、円に内接する正多角形の周の長さを使って、3.14に近い値を求めました。関孝和も、円に内接する正多角形の辺の数を2倍ずつふやして周の長さを計算しました。

辺をふやして円周率にせまる6角形(青)・12角形(赤)周 ÷ 直径6角形3.000012角形3.105824角形3.132648角形3.1393上の3つから計算3.1417累遍増約術(加速法)でぐっと近づく
辺の数を2倍にするほど、周÷直径は円周率に近づく。上の3つの数から加速法で3.1417が出る

ただ、辺の数をふやすだけでは、なかなか近づきません。そこで関孝和は、数列の次の値をうまく予想して、早く近づける方法を考えました。これは累遍増約術とよばれ、20世紀に知られる「エイトケンのΔ²加速法」と同じ考えです。図の3つの数(3、3.1058、3.1326)からこの方法で計算すると、3.1417と、かなり円周率に近づきます。

実際に関孝和は、正131072角形を使い、この加速法で円周率を小数点以下11けたまで求めたとされます(3.14159265359)。その後、弟子の建部賢弘(円周率41けたの弟子)が、さらに多くのけたまで計算しています。円周率の話は円周率3.14の計算のくふうや、円周率とはも参考にしてください。

業績4 冪和とベルヌーイ数

「1+2+…+n」「1²+2²+…+n²」のような、べき乗の和を冪和といいます。Σの公式(k・k²・k³の和)として、高校数学で習う公式です。たとえば、2乗の和は次のようになります。

12+22+⋯+n2=n33+n22+n61^2+2^2+\cdots+n^2=\frac{n^3}{3}+\frac{n^2}{2}+\frac{n}{6}
冪和(べきわ)とベルヌーイ数1+2+…+nn²/2 + n/21²+2²+…+n²n³/3 + n²/2 + n/61³+2³+…+n³n⁴/4 + n³/2 + n²/4ここにあらわれる数(ベルヌーイ数)1/6−1/301/42−1/305/66関孝和も独立に表にしていた
1乗・2乗・3乗の和の公式。ここにあらわれる1/6、−1/30、1/42…がベルヌーイ数

4乗、5乗、…と進めると、公式の係数に1/6、−1/30、1/42、−1/30、…という数がならびます。これがベルヌーイ数で、スイスのヤコブ・ベルヌーイ(確率と無限級数)が発見したことで知られます。実は、関孝和も同じ数の表を作っていました。関孝和の『括要算法』(1712年、関の死後に出版)は、ヤコブ・ベルヌーイの本(1713年、やはり死後に出版)よりわずかに早いうえ、関孝和は生前からこの研究をしていたと考えられています。2人は独立にこの数にたどり着いたとされます。

『括要算法』の算木で書かれた二項係数の表のページ
『括要算法』(1712年)のページ。算木の数字で、二項係数の三角形(パスカルの三角形)の表がならぶ画像:関孝和『括要算法』/Wikimedia Commons「Seki Kowa Katsuyo Sampo Bernoulli numbers」(パブリックドメイン)

上のページには、パスカルの三角形と同じ、二項係数の表がならんでいます。冪和の公式を求めるのに、この表を使ったのです。

業績5 方陣(魔方陣)と、そのほかの仕事

1から9までの数を3行3列にならべて、たて・よこ・ななめの和がどれも等しく15になるようにしたものを方陣(魔方陣)といいます。関孝和は、3×3、4×4から、さらに大きな方陣まで、作り方の決まりを研究しました(『方陣之法』)とされます。

方陣(魔方陣)49235781616321351011896712415141どの行・列・ななめも 15どの行・列・ななめも 34(3×3)(4×4)
3×3の方陣は1〜9で和が15、4×4の方陣は1〜16で和が34

3×3の方陣は、1〜9の合計が45で、3行に分けるのでどの行も45÷3=15になります。4×4の方陣は、1〜16の合計が136で、4行に分けるので136÷4=34です。

ほかにも関孝和は、剰余の問題(「3で割ると2余り、5で割ると3余り…」という問題)の解き方、高次方程式の近似解、球の体積・円の弧の長さなど、さまざまな研究を行ったとされます。剰余の問題は、合同式(mod の計算)の考え方そのものです。

関孝和の名前がつく公式・定理・用語

関孝和の名前そのものがつく公式は、現代の教科書にはありません。かわりに、関孝和が作った(広めた)用語が、和算の世界で使われています。

  • 関流:関孝和を祖とする和算の流派。江戸時代の和算の中心になりました。
  • 傍書法:文字(甲・乙・丙・丁…)で数をあらわし、係数・指数を右がわに書く記法。
  • 点竄術:文字式を変形して方程式を解く、筆算の代数。(→ 文字式とは)
  • 解伏題之法:行列式による消去法。(→ 行列式の計算と性質)
  • 累遍増約術:数列を早く収束させる加速法。円周率の計算に使った。
  • 冪和:べき乗の和。(→ Σの公式(k・k²・k³の和))
  • 方陣:魔方陣。
  • 算額:数学の問題や解法を板に書いて、神社やお寺にささげたもの。関孝和の時代の後、江戸時代中ごろから全国に広がったとされます。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

和算の「点竄術」は、今の文字式で方程式を解く勉強と同じ発想だよ。「xを使って式を立てて、変形する」ことは、江戸時代の日本ですでに大きく進んでいたんだ。

関孝和の逸話と名言

「算聖」とよばれる理由

関孝和は、江戸時代から「算聖」とよばれてきました。あとの時代の和算家は、多くが関孝和の弟子の流れ(関流)を名のりました。ただし、この呼び名は後世の人々がつけたもので、関孝和自身の言葉として確かなものはほとんど残っていません。

関孝和は「算聖」とよばれました。

のちの人々によるよび名(関孝和本人の言葉ではありません。名言として確かなものは伝わっていないとされます)

ニュートンと同い年?

関孝和の生年には1642年説があります。この年は、イギリスのニュートンが生まれた年(当時のイギリスの暦では1642年のクリスマス、今の暦では1643年)とほぼ同じです。「関孝和は、ニュートンと同じ大きな仕事をしたので、同じ年の生まれにした」という話が、後の学者のあいだで語られたと伝えられています。つまり、2人を並べて、日本の数学者の偉大さをほめた話だと考えられます。

1458次の方程式?

関孝和が『発微算法』で解いた問題の中には、式を整理すると1458次の方程式になるものがあった、と伝えられています。あまりに次数が大きくて、書き下すことすらできなかった、といわれます。関孝和が、そうした気の遠くなるような計算にとりくんでいたことを示す話です。(ただし、この話の細かい内容には諸説があります。)

和算ってどんな数学? 『塵劫記』と算額

和算は、江戸時代に日本で独自に発展した数学です。入門書の『塵劫記』(吉田光由、1627年)は、そろばんの使い方から、米や金の計算、面積・体積、ねずみ算(ふえていく数の計算)までを、絵入りでやさしく説明した本で、大ベストセラーになりました。『塵劫記』は、つるかめ算の仲間のような「文章題」の宝庫で、現代の中学受験算数に通じる問題もたくさんあります。

その一方で、関孝和のように高度な代数や無限の計算を考える数学者も現れました。さらに、問題がとけた喜びを神さまに感謝して、問題と答えを板に書いて神社やお寺にささげる算額という習慣も広がりました。身分や職業をこえて数学を楽しむ文化があったのは、和算のおもしろいところです。

弟子たちが受けついだ

関孝和の弟子には、荒木村英、建部賢弘・建部賢明の兄弟らがいます。荒木村英は、関孝和の没後に原稿をまとめて『括要算法』を編集した、とされます。建部賢弘は、師の仕事を引きつぎ、円周率や円の計算(円理)をさらに発展させました。

うかるくん

うかるくん

関孝和が行列式を見つけたのに、どうして日本の数学は世界で有名にならなかったんですか?

合格先生

合格先生

いい質問だね。当時の日本は鎖国で、研究が外国に伝わらなかったことも大きいよ。それに、関孝和の仕事は弟子たちの中だけで秘伝のように受けつがれたこともあるんだ。今は、世界の数学史の中できちんと評価されているよ。

受験・勉強と関孝和のつながり

中学受験:魔方陣・つるかめ算・植木算

中学受験の算数には、方陣算(魔方陣)や、和算から来た問題(つるかめ算・鶴亀算など)がよく出ます。つるかめ算の解き方は、『塵劫記』など江戸時代の算術書にもある、日本の伝統的な問題です。関孝和の時代の人たちも、同じ問題を解いていました。3×3の魔方陣は、「真ん中は5、ななめの和も15」と覚えておくと、すぐ作れます。

高校受験:文字式・規則性

高校受験では、文字式を使って「なぜそうなるか」を説明する問題が出ます。関孝和の点竄術は、文字式を立てて変形する勉強の原点です。冪和の公式も、規則性と文字式(n番目の図形)の考え方の延長にあります。

大学受験:行列式・Σ・数列の極限

  • 行列式:数学Cの行列で、2×2の行列式 ad−bc が出ます。大学の線形代数では3×3以上の行列式、逆行列(余因子行列)を学びます。
  • Σの公式:数学Bの数列で、Σの公式(k・k²・k³の和)を使います。ベルヌーイ数は、この公式を一般化したものです。
  • 剰余の問題:整数問題で、1次不定方程式(整数解)や合同式(mod の計算)を使います。
  • 円周率の評価:円周率が3.05より大きいことを示す問題(東大の入試で出題されたことで有名)は、正多角形で円周率をはさむ考え方です。

勉強法として:「手を動かして、法則を見つける」

関孝和の数学の特徴は、たくさんの計算を自分の手でやって、きまりを見つけることです。算木も、行列式も、ベルヌーイ数も、実際に何度も計算して、規則を見つけた結果です。受験でも、まず小さい数でためしてみる(n=1、2、3…)と、答えが見えてくることがよくあります。勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)、暗算のくふうはインド式かけ算のやり方一覧も参考にしてください。

関孝和がその後の数学にあたえた影響

  • 和算の発展:関孝和の弟子たちの関流は、江戸時代の和算の主流になりました。建部賢弘は、円周率の計算や、無限級数を使った円の研究(円理)を進めました。
  • 算額と庶民の数学:江戸時代を通じて、武士だけでなく、農民や町人も数学を楽しみました。神社にささげる算額は、日本独特の数学文化です。
  • 明治以降の数学:明治時代に西洋の数学が入ってきたとき、日本人が短期間で吸収できたのは、和算の土台があったからだ、ともいわれます。高木貞治(類体論)のような世界的な数学者や、岡潔(多変数複素関数論)につながる日本の数学の伝統が築かれました。
  • 数学史での評価:20世紀になり、数学史の研究が進むと、関孝和は行列式やベルヌーイ数を西洋とは独立に発見した数学者として世界で知られるようになりました。1992年には、記念の切手の題材にもなっています。

関孝和の数学がおもしろいのは、「手でていねいに計算して、きまりを見つける」スタイルが一貫していることです。たとえば円周率の計算は、毎回ちがう長さの数を、何けたもの数字で手計算しなければなりません。ふつうの人ならあきらめる計算を、関孝和とその弟子たちは、算木やそろばん、筆算を使ってやりとげました。そして、計算の結果をながめて、「この数列はこう進むはずだ」という予想を立て、加速法のような新しい道具を生みだしました。計算と発見は、おたがいを育てるという点は、現代のコンピュータを使った数学研究とも通じています。

関孝和の話から分かるのは、数学は世界のどこでも、同じ問いにたどり着くということです。オイラーのような西洋の数学者と、関孝和のような日本の数学者が、遠くはなれた場所で似た発見をしていたのです。

関孝和に挑戦!練習問題

やさしい

  1. 1〜9を3行3列にならべて、たて・よこ・ななめの和がすべて等しくなる方陣を作ります。1つの行の和はいくつですか。
    答えと解説を見る1〜9の合計は45。3行に分けるので、1行の和は45÷3=15。(真ん中は5です)
  2. 2×2の行列式 |3 4/1 2|(上の段が3と4、下の段が1と2)の値を求めなさい。
    答えと解説を見るad−bc=3×2−4×1=6−4=2。

ふつう

  1. 3×3の行列式 |1 2 3/0 1 4/5 6 0| の値を、ななめの積の足し引きで求めなさい。
    答えと解説を見る右下がりの積の和:1×1×0+2×4×5+3×0×6=0+40+0=40。右上がりの積の和:3×1×5+1×4×6+2×0×0=15+24+0=39。差は40−39=1。
  2. 1²+2²+3²+…+10² の値を、公式 n(n+1)(2n+1)÷6 で求めなさい。
    答えと解説を見る10×11×21÷6=2310÷6=385。(公式の展開形 n³/3+n²/2+n/6 でも同じです)

むずかしい

  1. 3で割ると2余り、5で割ると3余り、7で割ると2余る数のうち、いちばん小さい正の整数を求めなさい。
    答えと解説を見る5で割って3余る数は 3, 8, 13, 18, 23, … 。このうち3で割って2余るのは 8, 23, … 。さらに7で割って2余るのは、8÷7=1余り1(×)、23÷7=3余り2(○)。答えは23。(3・5・7の最小公倍数105ごとに同じ条件を満たすので、最小は23です)
  2. 1³+2³+…+10³ の値を、(1+2+…+10)² を使って求めなさい。
    答えと解説を見る3乗の和は、1乗の和の2乗に等しいので、(10×11÷2)²=55²=3025。(関孝和の冪和の表でも確かめられる、よく知られた関係です)

関孝和と関係する数学者

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16〜17世紀の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

関孝和は何をした人ですか?

関孝和は、江戸時代前期の和算家です。文字を使った式で方程式を解く点竄術を確立し、行列式の考え方、円周率の高精度の計算、ベルヌーイ数、方陣などの研究をしました。そのため「算聖」とよばれます。

関孝和はなぜ「算聖」とよばれるのですか?

和算の基礎を築き、多くの分野で西洋に匹敵する発見をしたからです。弟子たちの流派である関流が、江戸時代の和算の主流になりました。この呼び名は後世の人々がつけたものです。

関孝和は何年に生まれ、何歳で亡くなりましたか?

生年は1637年説と1642年説があり、1640年ごろとされることもあります。1708年12月5日(宝永5年10月24日)に亡くなりました。生年がはっきりしないので、享年は66〜71歳くらいと考えられています。

関孝和は行列式をライプニッツより先に見つけたのですか?

関孝和は1683年の『解伏題之法』で行列式の考え方を使っています。ライプニッツが同じ考えを手紙に書いたのは1693年で、約10年の差があります。ただし、2人は別々に見つけたと考えられています。

関孝和が見つけたベルヌーイ数とは何ですか?

べき乗の和(1乗の和、2乗の和…)の公式にあらわれる数で、1/6、−1/30、1/42…と続きます。スイスのヤコブ・ベルヌーイが発見したことで知られますが、関孝和も独立に同じ数の表を作っていたとされます。

関孝和は円周率をどのくらい正確に求めましたか?

円に内接する正131072角形の周の長さと、累遍増約術(加速法)を使って、小数点以下11けたまで求めたとされます(3.14159265359)。この加速法は、現代のエイトケンの方法と同じ考えです。

関孝和の肖像画は本人の姿ですか?

関孝和の肖像として伝わる墨絵は、のちの時代にえがかれたものです。本人をどのくらい正確にえがいているかは分かっていません。

和算とは何ですか?

江戸時代の日本で独自に発展した数学です。算木や算盤を使い、のちには筆算の代数も発達しました。数学の問題を神社にささげる算額も、和算の文化です。

関孝和は受験にどう関係しますか?

関孝和の名前が入試に出ることはまれですが、行列式・Σの公式(べき乗の和)・剰余の問題・円周率の評価・魔方陣など、関孝和の仕事とつながる内容は、中学受験から大学受験まで広く出題されます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • 日本学士院編『明治前日本数学史』(関孝和の項)
  • 平山諦『関孝和』(恒星社厚生閣)
  • MacTutor History of Mathematics「Seki Takakazu」(セント・アンドルーズ大学)
  • 肖像(墨絵):Wikimedia Commons「Seki Kowa」、『括要算法』(1712年)の図版:Wikimedia Commons(ともにパブリックドメイン)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦