カルダノは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|3次方程式の解の公式・虚数・確率

カルダノは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|3次方程式の解の公式・虚数・確率

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カルダノCardano

ひとことで言うと

1545年の『アルス・マグナ』で3次・4次方程式の解き方を公開し、虚数と確率の考え方の芽も残した、ルネサンスの数学者・医者。

名前ジェロラモ・カルダノ(Gerolamo Cardano、ジェロラモ・カルダーノ)
生没年1501年9月24日〜1576年9月21日(74歳)
国イタリア(パヴィア生まれ、ミラノ・ボローニャ・ローマで活やく)
分野代数学・確率・医学・占星術
主な業績『アルス・マグナ』(3次・4次方程式の解法の公開、1545年)、負の数の平方根の計算(虚数の先がけ)、『さいころ遊びの書』(確率の先がけ)
名前がつくものカルダノの公式・カルダノ法・カルダン継手・カルダノ格子
著作『実用算術』(1539年)、『アルス・マグナ』(1545年)、『さいころ遊びの書』(1663年出版)、自伝『わが人生の書』

このページのポイント

  • 1545年『アルス・マグナ』で3次方程式と4次方程式の解き方を公開。タルタリアとの争いで有名
  • 5+−155+\sqrt{-15} のような負の数の平方根を計算に使い、虚数(複素数)のはじまりをつくった
  • 『さいころ遊びの書』で、全部の場合を数える確率の考え方を示した(出版は死後の1663年)

カルダノは何をした人?(業績をひとことで)

ジェロラモ・カルダノ(1501〜1576年)は、ルネサンス期のイタリアの数学者・医者・占星術師です。1545年の著書『アルス・マグナ(大いなる術)』で、3次方程式と4次方程式の解の公式をはじめて世の中に公開しました。3次方程式の解法をめぐるタルタリアとの争いは、数学史でもっとも有名な事件の一つです。

この本には、−15\sqrt{-15} のような負の数の平方根を計算に使う場面が出てきます。これが虚数(複素数)のはじまりです。さらに、サイコロ遊びを数学で考えた『さいころ遊びの書』は、確率論の先がけとされます。方程式・虚数・確率――高校数学の大切な3つの単元に、カルダノは顔を出します。

受験生にとってのカルダノは、「2次方程式の解の公式の3次バージョンをつくった人」であり、複素数と2次方程式の背景を知る入口です。「カルダノの公式」は大学入試で直接問われることはまれですが、解と係数の関係や因数分解で3次方程式を解く練習をしている人は、すでにその続きに立っています。

うかるくん

うかるくん

3次方程式の解の公式って、あるんですか? 学校では因数分解でしか解いたことがないです……。

合格先生

合格先生

あるんだよ。ただし、とても長くて複雑なので、学校では教えないんだ。それを1500年代のイタリアで発見して、争いながら世に出したのがタルタリアとカルダノ。数学者どうしが、けんか腰で解法の秘密を争っていた時代の話だよ。

カルダノの生涯と年表

弁護士の子として、パヴィアに生まれる

カルダノは1501年9月24日、北イタリアのパヴィアで生まれました。父ファツィオは弁護士で、幾何学にくわしく、レオナルド・ダ・ヴィンチに幾何学を相談されたことがあると伝えられます。カルダノは正式な結婚によって生まれた子ではなかったため、のちに職業上の苦労をすることになります。

医者として、数学者として

カルダノは大学で医学を学び、1526年ごろにパドヴァ大学で博士になりました。ところが、生まれのことなどからミラノの医師組合に入れてもらえず、小さな村で医者をしたり、賭け事で生活費をかせいだりする苦しい時期を過ごします。その後、ミラノで数学を教えながら名医として評判になり、1539年に医師組合に入ることができました。同じ年に、算術の本『実用算術』も出しています。

1539年 タルタリアとの出会い

このころイタリアでは、3次方程式の解き方が学者の「秘密兵器」でした。賞金つきの公開試合で、問題を出し合って勝ち負けを決めていたからです。1535年の試合に勝ったタルタリアの3次方程式の解き方の評判を聞いたカルダノは、1539年にミラノにタルタリアを呼び、解き方を教えてほしいとたのみます。タルタリアは「公表しない」という約束をさせて、詩の形で解き方を教えました。

1545年 『アルス・マグナ』

カルダノは、弟子のルドヴィコ・フェラリとともに3次方程式を研究し、フェラリは4次方程式の解き方も見つけました。1543年、2人はボローニャで、すでに亡くなっていた数学者デル・フェロ(1526年没)が、タルタリアより前に同じ解き方を見つけていたことを知ります。「デル・フェロが先なら約束は関係ない」と考えたカルダノは、1545年に『アルス・マグナ』を出版して、3次・4次方程式の解き方を公表しました。本の中には、タルタリアとデル・フェロの名前も書かれています。

3次方程式をめぐる争い1515年ごろデル・フェロが3次方程式の解き方を発見(秘密)1535年タルタリアが試合で勝ち、解き方を発見1539年カルダノが「秘密にする」と約束して教わる1543年デル・フェロの手稿を見て、公表できると考える1545年カルダノが『アルス・マグナ』で公表1548年フェラリがタルタリアと公開試合(フェラリが優勢)
3次方程式をめぐる争いの流れ。1545年の公表から、タルタリアとの激しい論争が始まった

タルタリアは「約束をやぶられた」とはげしく怒り、1546年に出した本でカルダノを非難しました。これに答えたのが弟子のフェラリで、1548年にミラノで公開試合が行われ、フェラリが優勢だったと伝えられます(資料により勝敗の描き方は少しちがいます)。

この争いのあと、カルダノはミラノで名医として評判を高め、ボローニャ大学でも医学を教えました。数学の仕事を続けながら医者として生計を立てるという生き方は、当時の学者としては珍しくありませんでした。数学は、仕事というより、自分の知的な興味のために続けた「情熱」だったともいえます。

名医としての名声、そして不幸

カルダノは医者としても有名で、スコットランドの大司教の病気を治すために旅をしたと伝えられます。しかし、私生活では不幸が続きました。1560年には長男が妻を毒殺した罪で処刑され、カルダノは大きな打撃を受けます。1570年には、キリストの星占いを書いたことなどを理由に異端の疑いで一時とらえられました。釈放後はローマに移り、教皇から年金をもらいながら、自伝『わが人生の書』を書きました。1576年9月21日、ローマで亡くなりました。

年できごと
1501年9月24日、イタリアのパヴィアで生まれる
1526年ごろパドヴァ大学で医学の博士になる
1535年タルタリアが公開試合に勝ち、3次方程式の解き方を発見
1539年ミラノの医師組合に入る。タルタリアから3次方程式の解き方を教わる
1540年フェラリが4次方程式の解き方を見つける(カルダノの弟子)
1543年ボローニャでデル・フェロの手稿を見る
1545年『アルス・マグナ』を出版。3次・4次方程式の解法を公開
1548年フェラリとタルタリアが公開試合を行う
1560年長男が処刑される
1563年ごろ『さいころ遊びの書』をほぼ書き上げる(出版は1663年)
1570年異端の疑いで一時とらえられる
1576年9月21日、ローマで亡くなる(74歳)
1663年『さいころ遊びの書』が出版される(死後87年)

カルダノの主な業績をやさしく解説

業績1 3次方程式の解の公式(カルダノの公式)

2次方程式 ax2+bx+c=0ax^2+bx+c=0 には、解の公式があります。では3次方程式 x3+px=qx^3+px=q はどうでしょう。『アルス・マグナ』には、次のように解けると書かれています(現代の記号で)。

x=q2+q24+p3273+q2−q24+p3273x=\sqrt[3]{\frac{q}{2}+\sqrt{\frac{q^2}{4}+\frac{p^3}{27}}}+\sqrt[3]{\frac{q}{2}-\sqrt{\frac{q^2}{4}+\frac{p^3}{27}}}

考え方は、x=u+vx=u+v とおくことです。(u+v)3=u3+v3+3uv(u+v)(u+v)^3=u^3+v^3+3uv(u+v) なので、3uv=−p3uv=-p となるように u,vu,v を選べば、u3+v3=qu^3+v^3=q という式だけが残ります。u3u^3 と v3v^3 の和と積が分かるので、2次方程式の解として求められます。3次方程式を2次方程式に変身させるのが、この方法の核心です。

3次方程式を2次方程式に変えるx³+px=q を解きたい▼x=u+v とおいて、3uv=-p になるよう選ぶ▼u³+v³=q、u³v³=-(p/3)³ の2つの式になる▼u³ と v³ は2次方程式の解(解の公式でとける)▼u³ と v³ の3乗根を足して x が出る
3次方程式を2次方程式に変えて解く流れ(カルダノの公式の考え方)

カルダノ自身の例題は「立方と6つのものの数が20に等しい」、つまり x3+6x=20x^3+6x=20 です。公式に当てはめると q=20q=20、p=6p=6 なので q24+p327=100+8=108\dfrac{q^2}{4}+\dfrac{p^3}{27}=100+8=108 で、

x=10+1083+10−1083≈2.7321−0.7321=2x=\sqrt[3]{10+\sqrt{108}}+\sqrt[3]{10-\sqrt{108}}\approx 2.7321-0.7321=2

となり、x=2x=2 と確かめられます(23+6×2=202^3+6\times 2=20)。この方程式のグラフは右上がりなので、実数の解は1つだけです。

x³+6x=20 の解はどこ?x=220y=x³+6x右上がりの曲線なので、交点は1つだけ
y=x³+6x のグラフと y=20 の交点が x=2。カルダノの例題

当時はまだ負の数が広く認められておらず、x3+px=qx^3+px=q や x3=px+qx^3=px+q など、係数がすべて正になる場合ごとに別々に解き方を書かなければなりませんでした。今のように「x3+ax2+bx+c=0x^3+ax^2+bx+c=0」と一度に書くことは、まだできなかったのです。文字を使って式を書くヴィエトの記号代数は、この数十年後に生まれます。

業績2 4次方程式の解き方(弟子フェラリの発見)

『アルス・マグナ』には、カルダノの弟子フェラリが見つけた4次方程式の解き方ものっています。方法は、4次方程式を、いったん「3次方程式を解けば作れる式」に変えて、2つの2次方程式に分けるというものです。つまり、4次→3次→2次と次数を下げていきます。

こうして、2次・3次・4次方程式に解の公式がそろいました。では5次方程式にも公式があるのでしょうか。この問題は約300年、数学者を悩ませ、アーベルの5次方程式の不可能性の証明とガロアの方程式の理論で「一般には公式がない」と決着しました。→ 5次方程式の解の公式はあるのか

業績3 虚数のはじまり(負の数の平方根)

『アルス・マグナ』の中で、カルダノは「10を2つに分けて、その積が40になるようにせよ」という問題を考えました。実数の範囲では、2つの数の和が10ならば、積は最大でも 5×5=255\times5=25 です。40にはなりません。それでもカルダノは、形のうえで

5+−15,5−−155+\sqrt{-15},\qquad 5-\sqrt{-15}

を答えとして書き、(5+−15)(5−−15)=25−(−15)=40(5+\sqrt{-15})(5-\sqrt{-15})=25-(-15)=40 と確かめました。カルダノはこの数を「役に立たない、ごまかしのような数」と考えて、深入りしませんでしたが、計算の規則どおりに進めれば答えが出ることに気づいた最初の人の一人です。

和10・積40の2数は複素数5実軸虚軸5+√(−15)5−√(−15)和=10 積=25+15=40
5+√(−15)と5−√(−15)は、実軸の5の真上と真下の点。和が10、積が40になる

その後、ボンベッリが3次方程式 x3=15x+4x^3=15x+4 でこの数を使いこなしました。公式に入れると −121\sqrt{-121} が出てきますが、最終的には x=4x=4 という立派な整数の解が得られます。「実数の解を得るために、虚数を通らなければならないことがある」と分かったことで、虚数が数学の仲間に入っていきました。虚数・複素数の意味と、数を点として見る複素数平面の考え方は、そのあとオイラーやガウスの複素数平面によって完成します。虚数 ii の書き方は虚数 i の書き方(斜体か立体か)にまとめています。

業績4 確率論の先がけ(『さいころ遊びの書』)

カルダノは賭け事が大好きで、それで生活費をかせいだこともありました。その経験から、サイコロ遊びでどれくらい勝てるかを数学で考える本を書きました。『さいころ遊びの書(Liber de ludo aleae)』です。書かれたのは1560年代と考えられ、出版は死後の1663年でした。

この本の中心的な考え方は、「起こりうる場合を全部数え、その中で目的の場合がいくつあるかを数える」ことです。サイコロ2個なら全部で36通りで、目の和が7になるのは6通りなので、確率は 636=16\dfrac{6}{36}=\dfrac{1}{6} です。

サイコロ2個の目の和(全36通り)112233445566234567345678456789567891067891011789101112和が7になるのは6通り → 6/36=1/6たて=1個め よこ=2個め
サイコロ2個の目の和の表。全36通りのうち、和が7になるのは6通り

確率の基本(場合の数と確率)やサイコロ2個の確率の求め方で習う考え方そのものです。のちにパスカルの確率論とフェルマーの確率論が文通で確率の理論を築く(1654年)より前に、カルダノは確率の考えの芽をつかんでいました。ただし、カルダノの本には誤りもあり、本格的な理論になるのはもう少しあとです。確率の直感のずれについてはモンティ・ホール問題をわかりやすくも読んでみてください。

カルダノの名前がつく公式・定理・用語

  • カルダノの公式:3次方程式 x3+px=qx^3+px=q の解を、平方根と3乗根で表す公式。→ 解の公式とは
  • カルダノ法:x=u+vx=u+v とおいて3次方程式を2次方程式に変える解き方。
  • 判別式:3次方程式の解のようすを決める q24+p327\dfrac{q^2}{4}+\dfrac{p^3}{27} の符号(正なら実数解1つ、負なら実数解3つ)。
  • 既約の場合(還元不能):実数解が3つあるのに、公式の途中で虚数が出てくる場合。ボンベッリが解決。
  • カルダノ格子・カルダン継手(自在継手):カルダノが書いた暗号法や、車軸を自由な角度でつなぐ部品として、名前が機械の世界に残っています。
  • 解と係数の関係:3次方程式の3つの解の和と積は係数で表せる。→ 解と係数の関係の公式
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

入試では、3次方程式は因数分解で解くのが基本だよ。「x=ax=a を代入して0になれば、(x−a)(x-a) で割り切れる」という因数定理が最強の道具。公式を使う前に、まず代入して解を探そう。

カルダノの逸話と名言

自分の死ぬ日を予言した?

カルダノは占星術にも熱心で、自分の死ぬ日を予言したという話があります。「予言した日に死ぬために、食事をやめた」とも語られますが、これは後世に広まった伝説で、確かな証拠はありません。亡くなったのが1576年9月21日で、じつは75歳の誕生日の3日前だったことは事実です。

「ごまかしの数」について

『アルス・マグナ』の中で、カルダノは負の数の平方根をあつかうとき、次のような意味のことを書いたとされます。現代語に直した要約です。

精神的な苦痛をわきに置いて、5+√(−15)と5−√(−15)をかけると、25−(−15)=40になる。

カルダノ『アルス・マグナ』の記述の要約(1545年『アルス・マグナ』第37章。逐語訳ではなく内容の要約です。カルダノは続けて、この数を「微妙だが役に立たない」と評したと伝えられます)

何でも書いた百科事典のような学者

カルダノは数学だけでなく、医学・物理・哲学・占星術・夢の解釈まで、あらゆる分野について大量の本を書きました。著作は200近いともいわれ、自然界のふしぎを広く集めた『精妙さについて』(1550年)はヨーロッパで広く読まれました。耳の聞こえない人でも、文字を使えば読み書きを学べると考えた、といった話も伝わっています。当時の「学者」は、分野を分けず、世界のすべてを一人で理解しようとした人たちだったのです。数学者というより、ルネサンス的な万能の知識人というほうが近いかもしれません。

賭けと決闘の人生

カルダノは自伝の中で、賭け事(さいころ、トランプ、チェス)にのめり込んだ時期があったと正直に書いています。また、短気で、ケンカもよくしたようです。そうした人間くささが、研究だけでなく自分の失敗まで書いた自伝『わが人生の書』を、ルネサンス期の貴重な記録にしています。

数学の勝ち負けと、公表の倫理

タルタリアとの争いは、「秘密にする約束」をやぶったかどうかが争点でした。カルダノは、デル・フェロが先に見つけていたこと、タルタリアの名前をきちんと書いたことを理由に正当化しました。一方、タルタリアは「教えたのは自分だ」と怒りました。どちらの言い分にも理があり、今でも「どちらが正しかったか」は意見が分かれます。いずれにせよ、この争いのおかげで、3次・4次方程式の解き方が多くの人に知られるようになったことは確かです。

サクラちゃん

サクラちゃん

タルタリアさんは、教えたのに約束をやぶられて、かわいそうです……。

合格先生

合格先生

そうだね。でも、カルダノは本の中でタルタリアの名前をちゃんと書いているよ。だれが先に見つけたかを書くことは、今の論文でも大切なルールなんだ。研究の世界では、発見した人の名前を残すことが、最低限のマナーなんだよ。

受験・勉強とカルダノのつながり

中学受験:場合の数

サイコロやカードの「全部で何通り?」を数える問題は、中学受験の定番です。カルダノの「全部の場合を書き出して、目的の場合を数える」は、そのまま樹形図や表の考え方になります。サイコロ2個の表は、サイコロの目の確率の求め方で練習しておきましょう。

高校受験:確率の基本

確率は、ある場合の数全部の場合の数\dfrac{\text{ある場合の数}}{\text{全部の場合の数}} で求めます。「どれも同じ程度に起こりやすい」ことが前提です。カルダノもこの前提を大切にしていました。表にして数えるのが基本です。

大学受験:3次方程式・複素数・確率

  • 3次方程式:因数定理で1つの解を見つけ、残りを2次方程式にする。解と係数の関係の利用。
  • 複素数:i2=−1i^2=-1 の計算、共役複素数、複素数平面(数学C)。→ 複素数と2次方程式の解
  • 確率:反復試行・条件つき確率。→ 反復試行の確率の求め方

京都大学・東京大学では、3次関数や3次方程式の実数解の個数を調べる問題がよく出ます。京大理系数学の出題分析(頻出分野)も参考になります。

たとえば x3−6x2+11x−6=0x^3-6x^2+11x-6=0 は、x=1x=1 を代入すると 1−6+11−6=01-6+11-6=0 になるので (x−1)(x-1) で割り切れます。割ると x2−5x+6=(x−2)(x−3)x^2-5x+6=(x-2)(x-3) となり、解は 1,2,31,2,3 です。カルダノの公式を使うと、この簡単な方程式でも途中に虚数が出てきて大変になります。入試では、「まず整数の解をさがす」が鉄則です。公式は、そのあとの最終手段と考えましょう。

勉強法として:次数を下げて考える

カルダノ法の本質は、「難しい問題を、解ける問題に変える」ことです。3次を2次に、4次を3次に。入試でも、置き換え(t=x+1xt=x+\dfrac{1}{x} など)で次数を下げる問題がよく出ます。解けない式を見たら、「何かにおきかえて、知っている形にできないか」と考えてみましょう。数学の勉強法は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。

カルダノがその後の数学にあたえた影響

カルダノに挑戦!練習問題

やさしい

  1. x³+6x=20 に x=2 を代入して、等しくなることを確かめなさい。
    答えと解説を見る左辺=2³+6×2=8+12=20。右辺と等しいので、x=2 は解です。
  2. サイコロ2個を投げたとき、目の和が7になる確率を求めなさい。
    答えと解説を見る全部で36通り。和が7は (1,6)(2,5)(3,4)(4,3)(5,2)(6,1) の6通り。確率は 6/36=1/6。

ふつう

  1. サイコロ2個を投げたとき、目の和が10以上になる確率を求めなさい。
    答えと解説を見る和が10:(4,6)(5,5)(6,4)の3通り、11:(5,6)(6,5)の2通り、12:(6,6)の1通り。合計6通りなので 6/36=1/6。
  2. 和が10、積が40になる2つの数(複素数)を求め、積を計算して確かめなさい。
    答えと解説を見る5+√15 i と 5−√15 i。和=10。積=25−(√15 i)²=25−(−15)=40。

むずかしい

  1. x³+3x−4=0 にカルダノの公式を使い、実数の解を求めなさい。(ヒント:2+√5=((1+√5)/2)³)
    答えと解説を見るp=3、q=−4。−q/2=2、q²/4+p³/27=4+1=5。x=∛(2+√5)+∛(2−√5)。2+√5=((1+√5)/2)³、2−√5=((1−√5)/2)³ なので x=(1+√5)/2+(1−√5)/2=1。(x=1 を代入すると 1+3−4=0)
  2. x³=15x+4 の解を x=4 と確かめ、他の解を求めなさい。
    答えと解説を見る4³=64、15×4+4=64 なので x=4 は解。x³−15x−4=(x−4)(x²+4x+1)=0。x²+4x+1=0 より x=−2±√3。解は4、−2+√3、−2−√3の3つ。(公式では途中に √−121 が出るが、最終的に実数になる)

カルダノと関係する数学者

公式をまとめて学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、記号の意味は数学でよく使う記号の意味一覧も参考にしてください。

16〜17世紀の数学者

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カルダノがかかわった数学の難問

有名な数学者一覧(年代順・国別・分野別)で、ほかの数学者も見られます。数学者たちが挑んだ問題は数学の難問・未解決問題の一覧にまとめています。

読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

カルダノは何をした人ですか?

カルダノは、16世紀イタリアの数学者・医者です。1545年の『アルス・マグナ』で3次方程式と4次方程式の解き方を公開し、負の数の平方根(虚数)の計算や、確率の考え方の先がけも残しました。

カルダノの公式とは何ですか?

3次方程式 x³+px=q の解を、平方根と3乗根を使って表す公式です。x=u+v とおいて3次方程式を2次方程式に変えるのが考え方で、カルダノの著書で公表されたことからこの名がつきました。

カルダノとタルタリアの争いとは何ですか?

タルタリアが「公表しない」という約束でカルダノに教えた3次方程式の解き方を、カルダノが1545年の本で公表したため起こった争いです。カルダノは、デル・フェロが先に発見していたことを理由に公表しました。

3次方程式の解き方を最初に見つけたのはだれですか?

資料で確かめられる最初の人は、ボローニャ大学のデル・フェロ(1526年没)で、1515年ごろに発見したとされます。のちにタルタリアが再発見し、カルダノが公表して広く知られました。

カルダノは虚数をどう考えていましたか?

カルダノは、10を2つに分けて積を40にする問題で 5±√(−15) を答えとして書きました。この数を「役に立たない微妙な数」と考えましたが、計算の規則どおりに進めれば答えが確かめられることに気づきました。

カルダノは確率論の創始者ですか?

カルダノの『さいころ遊びの書』は、全部の場合を数えて確率を考える点で確率論の先がけとされますが、本格的な確率論の始まりは、1654年のパスカルとフェルマーの手紙のやりとりとされます。

カルダノはいつ、どこで生まれ、亡くなりましたか?

1501年9月24日にイタリアのパヴィアで生まれ、1576年9月21日にローマで亡くなりました。74歳でした。

カルダノの弟子フェラリとはどんな人ですか?

ルドヴィコ・フェラリは、カルダノの弟子で、4次方程式の解き方を見つけた人です。『アルス・マグナ』にその解法がのっています。1548年にはタルタリアとの公開試合でも活やくしました。

カルダノは受験とどう関係しますか?

中学受験・高校受験の場合の数と確率、大学受験の3次方程式・解と係数の関係・複素数の単元が、カルダノの仕事につながります。入試では公式よりも因数定理を使って解くのが基本です。

カルダノの名前がついた機械の部品があるのですか?

自動車などで使われる、角度が変わる軸どうしをつなぐ部品「カルダン継手(自在継手)」は、カルダノが似た仕組みを紹介したことにちなんでいると言われます。ただし、発明者はカルダノではありません。

あわせて読みたい

出典・参考

  • G. Cardano, “Artis Magnae, Sive de Regulis Algebraicis”(1545年)
  • G. Cardano, “Liber de Ludo Aleae”(1663年出版)
  • G. Cardano, “De Vita Propria Liber”(自伝)
  • MacTutor History of Mathematics, “Gerolamo Cardano”(セント・アンドリュース大学)
  • Oystein Ore, “Cardano, the Gambling Scholar”(1953年)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦