ヒルベルトは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|23の問題・ヒルベルト空間・無限ホテル

ヒルベルトは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|23の問題・ヒルベルト空間・無限ホテル

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ヒルベルトDavid Hilbert

ひとことで言うと

1900年に「23の問題」を示して20世紀の数学の進む道を決めた数学者。ヒルベルト空間や幾何学の公理化でも知られる。

名前ダフィット・ヒルベルト(David Hilbert)
生没年1862年1月23日〜1943年2月14日(81歳)
国ドイツ(ケーニヒスベルク生まれ、ゲッティンゲン大学で活躍)
分野代数学・整数論・幾何学・解析学・数学基礎論・数理物理
主な業績ヒルベルトの23の問題、不変式論の有限基底定理、『幾何学の基礎』、ヒルベルト空間、ヴァーリングの問題、ヒルベルトのプログラム
名前がつくものヒルベルト空間・ヒルベルトの23の問題・ヒルベルト曲線・ヒルベルトの基底定理・ヒルベルトの零点定理・ヒルベルトのホテル
よばれ方20世紀数学の巨人

このページのポイント

  • 1900年に提示した23の問題は、約8問が解決とされる一方、いまも未解決の問題が残る(リーマン予想など)
  • ヒルベルト空間は、高校で習う内積を無限次元に広げたもの。量子力学の数学の土台になった
  • 「点・直線・平面をいす・テーブル・ジョッキと言いかえても成り立つ」という公理主義で、現代数学の書き方を決めた

ヒルベルトは何をした人?(業績をひとことで)

ダフィット・ヒルベルト(1862〜1943年)は、ドイツの数学者です。代数学・整数論・幾何学・解析学・数学基礎論と、数学のほぼ全分野で大きな成果を上げ、20世紀初めを代表する数学者の一人と評価されています。最も有名な仕事は、1900年にパリの国際数学者会議で発表した「ヒルベルトの23の問題」です。この問題は、その後100年以上にわたって、世界の数学者が挑戦する目標になりました。

ヒルベルトは、「数学の土台を、公理だけでしっかり作り直す」ことにも力を注ぎました。1899年の『幾何学の基礎』は、ユークリッド幾何学を現代の目で整理し直した本です。さらに、無限次元の空間であるヒルベルト空間は、量子力学の数学的な土台になりました。ヒルベルトの名前がつく定理や空間は数多くあり、大学の数学科では、どの分野でも一度は「ヒルベルト」の名前に出会います。

受験生にとってのヒルベルトは、「23の問題」「無限ホテルの話」「ヒルベルト曲線」で知られる人です。大学入試に名前そのものが出ることは少ないものの、命題と証明、必要条件・十分条件、内積とは、ベクトルなどの数学の基礎は、ヒルベルトが整えた考え方につながっています。

うかるくん

うかるくん

23の問題って、全部解けたんですか? もう終わった問題集なんですか?

合格先生

合格先生

いい質問だね。いまでも完全には終わっていないんだ。解決されたもの、答えが「できない」と証明されたもの、まだ未解決のもの、そして問題の書き方があいまいなものが混ざっているよ。くわしくは図で見ていこう。

ダフィット・ヒルベルトの肖像写真
1912年より前のヒルベルト(写真)画像:作者不明/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

ヒルベルトの生涯と年表

ケーニヒスベルクに生まれる

ヒルベルトは1862年1月23日、当時プロイセン王国の都市だったケーニヒスベルク(今のロシア領カリーニングラード)で生まれました。生まれた場所については、郊外のヴェーラウという説もあります。父は裁判官でした。ケーニヒスベルクは、かつて哲学者カントが暮らし、オイラーが「一筆書きの問題(ケーニヒスベルクの橋)」を考えた町としても知られます。

ケーニヒスベルク大学と、2人の親友

1880年、ヒルベルトはケーニヒスベルク大学に入学し、1885年に博士号を取りました。研究テーマは不変式論(図形や式を変換したとき変わらない量を調べる分野)です。この大学で、生涯の親友となるヘルマン・ミンコフスキーとアドルフ・フルヴィッツに出会い、3人は毎日のように散歩をしながら数学の議論を交わしたと伝えられます。

1888年:不変式論の問題を一気に解決

当時、不変式論の第一人者だったゴルダンは、「不変式をすべて具体的に計算で作る」方法を研究していました。ヒルベルトは、1888年に有限基底定理を発表し、「必ず有限個で足りる」ことを、計算で作らずに存在を証明する方法で示します。ゴルダンは「これは数学ではない、神学だ」と言ったと伝えられますが、のちに「神学にも価値がある」と認めたともいわれ、細かいことばは資料によって差があります。

ゲッティンゲン大学へ

1892年にケーニヒスベルク大学の教授、1895年にはゲッティンゲン大学の教授になりました。ゲッティンゲンは、ガウスの業績と生涯が長く教えた町で、ヒルベルトはミンコフスキーを呼び寄せ、エミー・ネーターやワイルの業績と生涯らを集めて、ここを20世紀前半の世界の数学の中心に育てました。

幾何学の基礎、23の問題、積分方程式

1897年に代数的整数論の報告書(ツァールベリヒト)、1899年に『幾何学の基礎』を出版します。1900年8月、パリの国際数学者会議で23の問題を発表。1900年代には積分方程式を研究し、のちにヒルベルト空間とよばれる考え方を生みました。1915年には、一般相対性理論の方程式を、アインシュタインとほぼ同じ時期に導いたことでも知られます。

晩年:ナチスの時代

1930年に退職したのち、ドイツではナチスが力を増します。1933年以降、ゲッティンゲンからユダヤ系の数学者が追放され、かつての教え子や同僚が次々と去っていきました。ヒルベルトは1943年2月14日、ゲッティンゲンで81歳で亡くなりました。墓には、「われわれは知らねばならない。われわれは知るであろう」という言葉がきざまれています。

年できごと
1862年1月23日、プロイセンのケーニヒスベルクで生まれる
1880年ケーニヒスベルク大学に入学。ミンコフスキー、フルヴィッツと親友になる
1885年博士号(不変式論)
1888年有限基底定理を証明(不変式論の中心問題を解決)
1892年ケーニヒスベルク大学の教授になる
1895年ゲッティンゲン大学の教授になる
1897年代数的整数論の報告書(ツァールベリヒト)
1899年『幾何学の基礎』を出版
1900年8月、パリの国際数学者会議で「23の問題」を発表
1909年ヴァーリングの問題を解決(すべての自然数は一定個数のk乗数の和)
1915年一般相対性理論の場の方程式を導く(アインシュタインと同じ時期)
1924年クーラントとの共著『数理物理学の方法』を出版
1930年退職。9月8日、ケーニヒスベルクの講演で「われわれは知るであろう」と語る
1943年2月14日、ゲッティンゲンで亡くなる(81歳)

ヒルベルトの主な業績をやさしく解説

業績1 ヒルベルトの23の問題(1900年)

1900年8月8日、パリで開かれた第2回国際数学者会議で、ヒルベルトは「これからの100年の数学が取り組むべき問題」を講演しました。講演では10問ほどが話され、のちに印刷された論文では、全部で23問にまとめられました。その講演の中で、ヒルベルトは次のように述べたと紹介されます。

数学には「わからない(イグノラビムス)」はない。

ヒルベルトの1900年の講演より(意味を取った訳)(原文はドイツ語で “in der Mathematik gibt es kein Ignorabimus”。「問題があるなら、純粋な思考で解を見つけられる」という確信を述べた部分)

23の問題のその後は、問題によってちがいます。ウィキペディアの整理(英語版)を参考にすると、ほぼ次のように分けられます(問題を分けて数えたり、解釈によって見方が変わったりするため、数え方は資料によって少しずつ異なります)。

23の問題のその後1234567891011121314151617181920212223解決とされる(8問)見方が分かれる・一部(7問)未解決(6問)あいまい(2問)※数え方は資料や解釈でちがいます
23の問題のその後。緑は解決とされるもの、黄は見方が分かれるもの、赤は未解決、灰色は問題の書き方があいまいなもの
  • 解決とされるもの:第3問(ヒルベルトの弟子デーンが1900年に解決)、第7問(ゲルフォント・シュナイダーの定理、1934年)、第10問(マチャセビッチ、1970年)、第11問、第14問、第17問(アルティン、1927年)、第18問、第19問(デ・ジョルジとナッシュ、1957年)。
  • 見方が分かれる・一部のみのもの:第1問(連続体仮説:ゲーデルとコーエンが「決められない」ことを証明)、第2問(算術の無矛盾性:ゲーデルの不完全性定理)、第5問、第6問、第13問、第15問、第21問。
  • 未解決のもの:第8問(リーマン予想を含む)、第9問、第12問、第16問、第20問、第22問。
  • あいまいなもの:第4問、第23問(問題の書き方が広すぎて、解決かどうか判断できない)。

つまり、23の問題は、「全部が解かれた」わけでも「全部が未解決」でもありません。解けた問題の中には、「答えは『できない』である」と証明されたもの(第10問など)もあります。これも立派な解決です。なお、2000年に研究者によってヒルベルトの手稿から「第24問(証明を簡単にする方法)」が見つかったとされていますが、これは公式の23問には入っていません。

業績2 『幾何学の基礎』:公理から作り直すユークリッド幾何学

ユークリッドの『原論』は2000年以上、幾何学の手本でした。しかし厳密に読むと、図を見て当たり前だと思って使っている部分(「間にある」など)が証明されずに残っていました。ヒルベルトは1899年、これを5つのグループの公理だけを土台にして整理し直しました。

ヒルベルトの幾何学の公理(5グループ)結合公理点と直線・平面のつながり順序公理「間にある」の決まり合同公理長さと角が等しい平行公理平行線は1本だけ連続公理すき間がない1899年『幾何学の基礎』
ヒルベルトは、ユークリッド幾何学を結合・順序・合同・平行・連続の5グループの公理から組み立て直した

この本の大きな特徴は、「点」「直線」「平面」の意味を決めない点です。大切なのは、これらの間の関係だけで、「点・直線・平面の代わりに、いす・テーブル・ビールジョッキと言ってもよいはずだ」とヒルベルトが語ったと伝えられています。

公理は「ものの関係」だけで決まる点いす直線テーブル平面ビールジョッキ言いかえても、公理から導ける結論は同じ(ヒルベルトが語ったと伝えられる言葉)
ことばの意味ではなく、関係だけで数学を作る。これが「公理主義」の考え方

この考え方は、三平方の定理のような図形の定理を「何から証明できるのか」まで掘り下げる態度につながり、現代数学の書き方の見本になりました。

業績3 不変式論と「有限基底定理」

不変式論は、式の中の文字を一次変換で変えても変わらない量を調べる分野です。たとえば、2次式 ax2+bx+cax^2+bx+c の判別式 b2−4acb^2-4ac は、文字の置き換えをしても本質が変わらない量の一つです(判別式とは)。ヒルベルトは1888年、「そのような量は、有限個から全部が作れる」ことを証明しました。計算で一つずつ見つけるのではなく、「もし無限に必要だとすると矛盾する」という背理法とはに近い方法でした。

その後ヒルベルトはヒルベルトの零点定理(代数と幾何をつなぐ定理)、連接関係定理などを証明し、現代の代数幾何学と可換環論の出発点を作りました。この仕事は、大学院で学ぶ数学の基礎になっています。

業績4 ヴァーリングの問題:すべての自然数は、k乗数の和

ラグランジュは、すべての自然数が4個以下の平方数の和で書けること(四平方定理)を証明しました。たとえば 7=4+1+1+17=4+1+1+1 です。では、3乗数ならどうでしょうか。1909年、ヒルベルトは「どんな kk についても、すべての自然数は、kk に応じた一定の個数以下の kk 乗数の和で書ける」ことを証明しました。これをヒルベルト・ヴァーリングの定理とよびます。

たとえば3乗数なら、9個以下で足ります(たとえば 23=8+8+1+1+1+1+1+1+123=8+8+1+1+1+1+1+1+1 は9個必要です)。このように「整数を、決まった形の数の和で表す」研究は、加法的整数論として発展しました。素数とはの性質を調べる研究とも深く関わっています。

業績5 ヒルベルト曲線と、ヒルベルト空間

1891年、ヒルベルトは線が正方形の中をすき間なく通るという、不思議な曲線を発表しました。ペアノの業績と生涯が1890年に最初の例を発見し、ヒルベルトが図で分かりやすく作ったものです。

ヒルベルト曲線(線が面をうめる)1回め2回め3回めくりかえしを無限に続けると、線が正方形を全部通る
正方形を4つに分けてU字形にたどる操作をくりかえす。無限に続けると、曲線が正方形のすべての点を通る

1次元の線が2次元の面をうめてしまう、という発見は、カントールが示した「線分と正方形の点は同じ数」という事実とも響き合っています。ヒルベルト曲線は、いまではコンピュータの画像処理やデータの並べ方(座標を1列に並べる方法)にも使われています。

もう一つの代表的な仕事がヒルベルト空間です。ヒルベルトは積分方程式の研究の中で、無限個の成分を持つベクトルの空間を考えました。成分の2乗の和が有限であれば、「長さ」と「内積」を普通のベクトルと同じように考えられます。のちにフォン・ノイマンがこの空間を「ヒルベルト空間」と名づけ、量子力学の数学的な土台にしました。

ヒルベルト空間(無限個の成分)x=(1, 1/2, 1/3, 1/4, …)x1x2x3x4x5x6x7x8x9…成分の2乗の和 = 1+1/4+1/9+… = π²/6有限なので「長さ」が決まる
無限個の成分を持つベクトルでも、成分の2乗の和が有限なら「長さ」を考えられる。これがヒルベルト空間の入口

上の図の和 1+14+19+⋯=π261+\frac14+\frac19+\cdots=\frac{\pi^2}{6} は、バーゼル問題(Σ1/n²=π²/6)として知られる有名な結果です。

業績6 ヒルベルトのプログラム(数学の無矛盾性の証明)

カントールの集合論やラッセルのパラドックスで、数学の土台に不安が出てきたとき、ヒルベルトは「数学全体を、矛盾のない形でしっかり固めよう」と考えました。これがヒルベルトのプログラム(1920年代)です。数学を記号の体系として表し、「この体系からは矛盾が出ない」ことを、誰もが納得できる単純な方法で証明しようとしました。

しかし1931年、ゲーデルが不完全性定理を発表し、「十分に強い体系は、自分自身の無矛盾性を自分の中では証明できない」ことが分かりました。これでヒルベルトのプログラムは、当初の形では実現できないことになりました。しかしこの失敗は、数学がどこまで証明できるかを明らかにし、チューリングらによる計算機科学の誕生にもつながりました。

ヒルベルトの名前がつく公式・定理・用語

ヒルベルトの名前がつく数学の用語は、とても数が多いことで知られます。主なものを挙げます。

  • ヒルベルトの23の問題:1900年に提示された、20世紀の数学の課題。
  • ヒルベルト空間:無限次元に拡張されたベクトル空間(内積があり完備)。量子力学の舞台。
  • ヒルベルトの基底定理:多項式環のイデアルは有限個の元で生成される。
  • ヒルベルトの零点定理:代数方程式の解の集合と、イデアルの対応を述べる定理。
  • ヒルベルト・ヴァーリングの定理:すべての自然数は、一定個数以下の kk 乗数の和で書ける。
  • ヒルベルトの公理系:ユークリッド幾何学の公理の整理。
  • ヒルベルト曲線:正方形をうめる曲線。
  • ヒルベルトのプログラム:数学の無矛盾性を有限の方法で証明しようとする計画。
  • ヒルベルト・アインシュタイン作用:一般相対性理論の基本式を導く作用。
  • ヒルベルトのホテル:無限集合の不思議さを説明する例え話。

高校数学では、ベクトルの内積 a⃗⋅b⃗=∣a⃗∣∣b⃗∣cos⁡θ\vec a\cdot\vec b=|\vec a||\vec b|\cos\theta を学びます。この内積を、成分が無限個あるベクトルに広げたものがヒルベルト空間です。ベクトルの内積の公式と使い方を理解しておくと、大学の数学の入口がぐっと近づきます。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

ヒルベルト空間は、高校で習う内積を無限の長さに広げたものなんだ。「2次元・3次元のベクトルの内積」をしっかり理解しておくと、大学で量子力学や信号処理を学ぶときの土台になるよ。

ヒルベルトの逸話と名言

「われわれは知らねばならない。われわれは知るであろう」

われわれは知らねばならない。われわれは知るであろう。

ヒルベルト(1930年9月8日、ケーニヒスベルクでの講演「自然認識と論理」の結びの言葉。ドイツ語は “Wir müssen wissen. Wir werden wissen.”。ゲッティンゲンの墓石にも刻まれている)

これは、ゲーデルの不完全性定理の発表と同じ会議で語られた言葉として有名です。ゲーデルは、ヒルベルトの講演の前日(9月7日)に、不完全性定理に近い結果をはじめて口頭で示したと伝えられます。同じ会議に、数学の基礎をめぐる2つの流れが居合わせた場面として語られます。

カントールの「楽園」

ヒルベルトは、カントールの集合論を強く支持し、「カントールが私たちのためにつくった楽園から、だれも私たちを追い出すことはできない」と述べたとされます(1925年ごろの講演)。当時の批判から、カントールの理論を守る言葉として知られます。

ヒルベルトのホテル

「部屋が無限にあるホテルが満室でも、新しい客を泊められる」――これは、ヒルベルトが1924年ごろの講演で、無限の不思議さを説明するのに使った例え話として知られます(ガモフの本などで広まりました)。1人増えたなら、全員に1つ隣の部屋へ移ってもらえば、1号室があきます。無限人の団体が来ても、n 号室の客を 2n 号室に移せば、奇数の部屋があいて全員が泊まれます。

ヒルベルトのホテル(満室でも泊まれる)満室(ずっと続く)1122334455……n→n+1あき全員が1つずつ動くと、1号室があく無限の集まりでは「全体+1」も全体と同じ数
満室でも、全員が「n号室→n+1号室」と動けば、1号室があく

「物理学は物理学者には難しすぎる」

ヒルベルトは、物理学の数学化にも力を注ぎました。「物理学は物理学者にはむずかしすぎる」と語ったと伝えられますが、本当に本人の言葉かは確かめられません。実際、ヒルベルトは物理学者と協力し、物理学の公理化(23の問題の第6問)に取り組んでいました。

詩人になった学生

ヒルベルトの教え子の一人が数学を辞めて詩人になったと聞いたとき、ヒルベルトは「それでよかった。あの学生には、数学者になるための想像力が足りなかったのだから」と答えたと伝えられます。数学者に想像力が必要だということを語る逸話ですが、実際のことばは資料によって差があります。

女性数学者エミー・ネーターを守る

1915年、ヒルベルトはエミー・ネーターをゲッティンゲン大学の講師に迎えようとして、ほかの教授から「女性が大学の教員になるのは望ましくない」と反対されました。そのときヒルベルトは「候補者の性別が、採用を拒む理由になるとは思いません。ここは大学であって、公衆浴場ではないのですから」と答えたと伝えられます。ネーターはのちに、数学の歴史でも最高の女性数学者となります。

ナチスの大臣との会話

1934年、ナチスの教育大臣がヒルベルトに「ユダヤ人の影響が去ったゲッティンゲンの数学はどうですか」と尋ねたとき、ヒルベルトは「数学ですか。そんなものは、もうありませんよ」と答えたと伝えられます。ただし、このやりとりの細部には諸説あります。

サクラちゃん

サクラちゃん

「23の問題」が全部解けるのは、いつになるんでしょうね。

合格先生

合格先生

それは誰にもわからないね。でも、ヒルベルトは「問題を立てること」自体に価値があると考えていたんだ。よい問いが、次の100年の数学を動かす。自分で「なぜ?」と考える習慣が、入試でも一番の武器になるよ。

受験・勉強とヒルベルトのつながり

中学受験:規則性と「無限の考え方」

中学受験の算数では、数列とはや規則性の問題がよく出ます。「どこまでも続く」ものを、有限の式で表す練習は、ヒルベルトのホテルの発想とどこか似ています。「n 番目」を文字で表す練習が、そのまま数学の抽象的な考え方につながります。

高校受験:証明と図形の性質

高校受験の証明問題は、公理(認めてよい前提)から結論までを順に示すという点で、ヒルベルトが整理した幾何学の考え方と同じです。三平方の定理を証明で使うとき、どの性質を前提にしているのかを意識すると、論理の書き方がていねいになります。

大学受験:命題・条件・ベクトルの内積・整数

大学受験では、必要条件・十分条件や命題とはの考え方が直接出題されます。これらは、数学を論理の言葉で書くヒルベルトの流儀そのものです。また内積とはは、ヒルベルト空間につながります。整数問題で出る平方数・立方数の和の問題(たとえば「7は3つの平方数の和で書けない」)は、ヒルベルト・ヴァーリングの定理の仲間です。合同式(mod)の計算やユークリッドの互除法も、整数論の基本の道具です。

京都大学・東京大学の整数問題の出題傾向は、京大理系数学の出題分析(整数問題の出方)を見ると、頻出分野が分かります。

勉強法として:問いを立てる

ヒルベルトは「よい問題が数学を進める」と考えました。勉強でも、問題を解いたあとに「なぜこの方法で解けるのか」「条件を変えるとどうなるか」と自分に問いかけると、理解が深まります。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)で、数学の記号は数学でよく使う記号の意味一覧(Σ・∫・≡)で確かめられます。

ヒルベルトがその後の数学にあたえた影響

  • 20世紀の数学の問題設定:23の問題をめぐる研究から、ゲーデル(不完全性定理)の仕事、数論のアダマールらの素数の研究、第10問に関わる計算理論など、多くの分野が育ちました。
  • 現代数学の書き方:公理から定理を導く現代数学の様式は、ヒルベルトの『幾何学の基礎』が手本になりました。
  • 代数学・代数幾何学:不変式論の仕事は、可換環論・代数幾何学の出発点です。ヒルベルトの基底定理・零点定理は、いまも大学院の必修です。
  • 量子力学・関数解析:ヒルベルト空間は、フォン・ノイマンによって量子力学の数学の土台になりました。
  • 計算機科学:ヒルベルトの第10問や「決定問題」は、チューリングによる計算可能性の理論につながりました。
  • ゲッティンゲン学派:ネーター・ワイルの業績と生涯・フォン・ノイマンなど、多くの数学者がヒルベルトのもとから巣立ちました。

ポアンカレと並び、19世紀から20世紀への転換期を代表する数学者です。ポアンカレが直観を重んじたのに対し、ヒルベルトは公理と形式化を重んじた、と対比されます。フェルマーの最終定理とは?わかりやすく解説のような難問がどう解かれたかを読むと、ヒルベルトが考えた「問いの力」がよく分かります。

ヒルベルトに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 部屋が無限にあるホテルが満室です。そこへ新しい客が1人来ました。100号室の客は何号室に移ればよいですか。
    答えと解説を見るn 号室の客が n+1 号室へ移れば、1号室があきます。100号室の客は 101号室へ移ります。
  2. ヒルベルト曲線で、2回めのくりかえし(2×2を2回、つまり4×4のマス)では、線は全部で何個のマスを通りますか。
    答えと解説を見る4×4=16個のマスを、すき間なく1回ずつ通ります。(3回めなら 8×8=64個)

ふつう

  1. 満室の無限ホテルに、無限人の団体が来ました。n 号室の客を 2n 号室に移すことにしました。7号室の客は何号室に移りますか。また、あくのはどの部屋ですか。
    答えと解説を見る7号室の客は 2×7=14号室へ。あくのは、2n で表せない奇数号室です。奇数号室は無限にあるので、無限人の団体が泊まれます。
  2. 7を平方数(0, 1, 4, 9, …)の和で表すとき、最低いくつの平方数が必要ですか。
    答えと解説を見る7以下の平方数は 0, 1, 4 のみ。3個の和では 4+1+1=6、4+4=8 などで 7 は作れません。4個必要で、4+1+1+1=7。(四平方定理の例)

むずかしい

  1. 23を立方数(1, 8, 27, …)の和で表すとき、最低いくつ必要ですか。
    答えと解説を見る23以下の立方数は 1 と 8 だけ。8 を a 個、1 を b 個使うとして 8a+b=23。a=2 のとき b=7 で合計 9個。a=1 なら 16個、a=0 なら 23個で、これより多くなります。
  2. 一辺が1の正方形で、ヒルベルト曲線の3回めのくりかえしは、64個のマスの中心を順にむすぶ折れ線です。この折れ線の長さを求めなさい。
    答えと解説を見るマスの1辺は 1/8。64個の中心を順に結ぶので線分は63本、各長さは 1/8。長さは 63×1/8=63/8(約7.9)。回数をふやすと長さはどんどん増え、無限に長くなります。

ヒルベルトと関係する数学者

数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)もどうぞ。

20世紀の数学者

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ヒルベルトがかかわった数学の難問

有名な数学者一覧(年代順・国別・分野別)で、ほかの数学者も見られます。数学者たちが挑んだ問題は数学の難問・未解決問題の一覧にまとめています。

読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

ヒルベルトは何をした人ですか?

ヒルベルトは、19世紀末から20世紀前半のドイツの数学者です。1900年に「23の問題」を発表し、ヒルベルト空間、不変式論の基底定理、幾何学の公理化などで業績を残しました。20世紀の数学の方向を決めた数学者の一人です。

ヒルベルトの23の問題とは何ですか?

1900年にパリの国際数学者会議でヒルベルトが示した、20世紀の数学が取り組むべき23の未解決問題です。連続体仮説、リーマン予想を含む素数の問題、ディオファントス方程式の解法などが含まれます。

ヒルベルトの23の問題は、いくつ解けましたか?

数え方は資料や解釈によって少しちがいますが、解決とされるのはおよそ8〜10問です。連続体仮説のように「決められない」ことが証明された問題や、リーマン予想のように未解決の問題、問題の書き方があいまいで判断できないものも含まれます。

ヒルベルト空間とは何ですか?

成分が無限個あるベクトルの空間のうち、内積が定義され、すき間のない(完備な)ものをいいます。高校で習うベクトルの内積を無限次元に広げたもので、量子力学や信号処理の数学の土台です。名前はフォン・ノイマンがつけました。

ヒルベルトのホテルとは何ですか?

部屋が無限にあるホテルが満室でも、全員に1つ隣の部屋へ移ってもらえば、新しい客が泊まれるという例え話です。無限の集まりでは、一部が全体と同じ数になることを説明するのに使われます。ヒルベルトが講演で使ったと伝えられます。

ヒルベルトの名言は何ですか?

「われわれは知らねばならない。われわれは知るであろう」が最も有名で、ゲッティンゲンの墓にもきざまれています。1900年の講演の「数学にはわからないということはない」も知られます。

ヒルベルトとアインシュタインの関係は?

2人は1915年ごろ、一般相対性理論の場の方程式をほぼ同じ時期に導きました。ヒルベルトは数学的な形を整え、アインシュタインは物理的な考え方を作りました。先取権をめぐる議論もありますが、2人は互いを尊敬していたといわれます。

ヒルベルトの弟子にはだれがいますか?

ヘルマン・ワイル、リヒャルト・クーラント、マックス・デーンなどがいます。ゲッティンゲンでは、エミー・ネーターやフォン・ノイマンらも、ヒルベルトのもとで活躍しました。

ヒルベルトは受験の数学と関係がありますか?

直接名前は出ませんが、必要条件・十分条件、命題と証明、ベクトルの内積、整数問題(平方数・立方数の和)など、ヒルベルトが整えた考え方が土台になっている単元が多くあります。

あわせて読みたい

出典・参考

  • J. J. O’Connor and E. F. Robertson, “David Hilbert”, MacTutor History of Mathematics Archive(セントアンドルーズ大学)
  • C. Reid, “Hilbert”(1970年)
  • D. Hilbert, “Mathematische Probleme”(1900年の講演)
  • 肖像写真:作者不明「David Hilbert」、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦