ハーディは何をした人?業績・名言をわかりやすく|ラマヌジャンの発見・ハーディ・ワインベルクの法則

ハーディは何をした人?業績・名言をわかりやすく|ラマヌジャンの発見・ハーディ・ワインベルクの法則

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ハーディG. H. Hardy

ひとことで言うと

インドの無名の青年ラマヌジャンを見いだしたイギリスの数学者。生物でおなじみのハーディ・ワインベルクの法則の名前でも知られる。

名前ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(G. H. Hardy)
生没年1877年2月7日〜1947年12月1日(70歳)
国イギリス(クランリー生まれ、ケンブリッジで活躍・亡くなる)
分野解析的整数論・解析学
主な業績ラマヌジャンの招へいと共同研究、ハーディ・ワインベルクの法則、リトルウッドとの円周法、ゼータ関数の零点の研究、『ある数学者の生涯と弁明』
名前がつくものハーディ・ワインベルクの法則・ハーディ・ラマヌジャン数(1729)・ハーディ・リトルウッド予想・ハーディの不等式・ハーディ空間
よばれ方ラマヌジャンの発見者

このページのポイント

  • 1913年、インドの青年ラマヌジャンの手紙を読んで才能を見ぬき、ケンブリッジへ招いた。タクシー数1729の逸話でも有名
  • 1908年にハーディ・ワインベルクの法則(AA:Aa:aa=p2:2pq:q2AA:Aa:aa=p^2:2pq:q^2)を発表。大学入試の生物(集団遺伝)にも出る
  • 友人リトルウッドと35年間共同研究し、素数・ウェアリング問題・ゼータ関数で成果をあげた。1940年に『ある数学者の生涯と弁明』を出版

ハーディは何をした人?(業績をひとことで)

ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(1877〜1947年)は、イギリスの数学者です。インドの無名の青年ラマヌジャンの才能を見いだし、ケンブリッジ大学へ招いた人として世界的に知られています。自分も解析的整数論の大数学者で、友人リトルウッドと35年にわたって共同研究を続け、円周法などの強力な方法をつくりました。生物の授業でも出てくるハーディ・ワインベルクの法則(1908年)や、数学の美しさを語った名著『ある数学者の生涯と弁明』(1940年)も、ハーディの仕事です。

受験生にとってのハーディは、まず「生物のハーディ・ワインベルクの法則」の名前でしょう。大学入試の生物(集団遺伝)で、遺伝子の割合を求める問題に出てきます。数学では、二項定理(a+b)²の展開が、この法則の計算の中心です。そして、ラマヌジャンと一緒に語られるタクシー数1729の逸話は、数学好きなら一度は聞いたことのある話です。

うかるくん

うかるくん

ハーディって、生物の教科書に出てくるあのハーディ・ワインベルクですか!?数学者だったんですね。

合格先生

合格先生

そうなんだ。ハーディ本人は「純粋な数学」がいちばん好きで、遺伝の法則は数学者から見ればごく簡単なことだった。でも、そのおかげで名前が生物学で残ったんだ。

ハーディの若いころの肖像写真
1890年代、10代のころのハーディ(ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ、1877〜1947年)画像:作者不明(ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)

ハーディの生涯と年表

先生の家に生まれた、数字好きの少年

ハーディは1877年2月7日、イギリス南東部のサリー州クランリーで生まれました。両親はどちらも教育にたずさわる人で、家には知的な空気がありました。幼いころから数字が大好きで、教会に行ったときは、賛美歌の番号を分解して、素因数分解を楽しんだ、と伝えられています。成績もすばらしく、1889年に奨学金を得て、名門のウィンチェスター校へ進みました。

ケンブリッジ大学へ

1896年、ハーディはケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入ります。当時のケンブリッジの数学の試験(トライポス)は、問題を速く正確に解く技術を競う、競争的な試験でした。ハーディはこのやり方に疑問を持ったとされ、のちには、この試験を改革する運動にも加わりました。1900年には、トリニティ・カレッジのフェロー(研究員)に選ばれます。

厳密な解析学の教科書

1908年、ハーディは『純粋数学講義』(A Course of Pure Mathematics)を出版しました。微積分を、厳密な論理で教える教科書で、イギリスの大学数学の水準を大きく引き上げたといわれます。1910年には、イギリスの王立協会の会員(フェロー)に選ばれました。また、1938年には共著の『数論入門』を出版し、整数論の教科書として世界じゅうで読まれています。

リトルウッドとの共同研究

1911年ごろから、ハーディは同じケンブリッジの数学者リトルウッドと共同研究を始めました。2人の協力は、約35年も続きました。冗談のような話として、2人は「お互いに会わなくても、手紙だけで共同研究する」「手紙の返事は不要」などのルールを決めていたと伝えられています。2人の共同研究は、素数とは何かの分布、ウェアリングの問題、リーマンのゼータ関数など、数論の最も深い分野におよびます。

ラマヌジャンとの出会い(1913年)

1913年1月、ハーディのもとに、インドから1通の手紙が届きます。差出人は、マドラスの港で事務員をしていた無名の青年ラマヌジャンでした。手紙には、証明のない約120の公式が書かれていました。ハーディは最初、詐欺か冗談かと疑ったと伝えられます。しかし、式をよく見ると、いくつかは既知の定理で、いくつかは自分でも証明できない、見たこともない公式でした。ハーディはリトルウッドとともにその式を検討し、「この人は第一級の数学者だ」と確信します。そしてケンブリッジへ招き、1914年にラマヌジャンはイギリスに着きました。

オックスフォードへ、そしてケンブリッジへ戻る

1919年、ハーディはオックスフォード大学の幾何学のサヴィル教授に就任し、そこで多くの業績をあげました。1931年にはケンブリッジ大学のサドレイア教授として戻ります。1940年には、数学者としての人生を振り返る『ある数学者の生涯と弁明』を出版しました。1947年12月1日、ケンブリッジで70歳で亡くなりました。亡くなる少し前に、王立協会のコプリー・メダルが贈られています。

年できごと
1877年2月7日、イギリスのクランリーで生まれる
1889年奨学金を得て、名門のウィンチェスター校に入学
1896年ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学
1900年トリニティ・カレッジのフェロー(研究員)になる
1908年『純粋数学講義』を出版。ハーディ・ワインベルクの法則を発表
1910年イギリス王立協会の会員になる
1911年リトルウッドとの共同研究を始める(約35年続く)
1913年1月、ラマヌジャンから手紙が届く
1914年ラマヌジャンがケンブリッジに着く。リーマンのゼータ関数の零点の研究
1918年ラマヌジャンと分割数の公式を発表。ラマヌジャンは王立協会の会員に
1919年オックスフォード大学のサヴィル教授になる
1931年ケンブリッジ大学のサドレイア教授になる
1940年『ある数学者の生涯と弁明』を出版
1947年12月1日、ケンブリッジで亡くなる(70歳)

ハーディの主な業績をやさしく解説

業績1 ラマヌジャンを見いだし、ともに研究した

ハーディの最大の業績は、数学の論文ではなく、ラマヌジャンという天才を世に出したことだと、本人が語ったと伝えられます。ハーディは、のちにこう言ったとされています。「私の数学への最大の貢献は、ラマヌジャンを発見したことだ」。

ケンブリッジで、2人は約5年間、共同研究を行いました。その代表が、1918年に発表した分割数の公式です。自然数 nn を、順序を考えない自然数の和で表す方法の数を、分割数 p(n)p(n) といいます。たとえば5なら、55、4+14+1、3+23+2、3+1+13+1+1、2+2+12+2+1、2+1+1+12+1+1+1、1+1+1+1+11+1+1+1+1 の7通りで、p(5)=7p(5)=7 です。nn が大きくなると、p(n)p(n) は急に増え、p(10)=42p(10)=42、p(100)p(100) は約2億(190,569,292)です。ハーディとラマヌジャンは、この p(n)p(n) のおよその大きさを、美しい式で表すことに成功しました。

整数の分割(ハーディとラマヌジャン)54132311221211111111← 5の分け方は7通りp(1)=1 p(2)=2 p(3)=3p(4)=5 p(5)=7 p(6)=11p(7)=15 p(10)=42nが大きくなると、分割数は急に増える
5の分割は7通り。nが大きくなると分割数p(n)は急に増える

ラマヌジャンは、数学の正式な教育をほとんど受けていなかったので、証明を書かずに結果だけを書くことが多くありました。ハーディは、証明の書き方を一から教えたとされます。「天才の直観」と「論理の厳密さ」が組み合わさった、数学史でも特別な共同研究でした。

業績2 タクシー数1729の逸話

ハーディの名前と一緒に語られる、有名な逸話があります。ラマヌジャンが病気でロンドン郊外の病院に入っていたとき、ハーディがお見舞いにタクシーで行きました。ハーディは、「タクシーの番号は1729だった。つまらない数字だったよ。悪い兆しでなければよいが」と言いました。するとラマヌジャンは、すぐに答えたと伝えられています。「いいえ、とても面白い数です。2つの立方数の和で、2通りに書ける最小の数です」。

1729=13+123=93+1031729=1^3+12^3=9^3+10^3
タクシーの番号 17291129101³+12³1+17289³10³729+10002つの立方数の和で2通りに書ける最小の数1729=1³+12³=9³+10³
1729=1³+12³=9³+10³。2つの立方数の和で2通りに表せる最小の数

計算すると、13+123=1+1728=17291^3+12^3=1+1728=1729、93+103=729+1000=17299^3+10^3=729+1000=1729 で、たしかに成り立ちます。このように、立方数の和で2通りに書ける数をタクシー数(ハーディ・ラマヌジャン数)といいます。次のタクシー数は4104(23+163=93+1532^3+16^3=9^3+15^3)です。なお、この会話はハーディの回想として伝わる話で、細かな言葉づかいまで正確かどうかは確かめられません。1729は、7×13×197\times13\times19 と素因数分解できる素因数分解のやり方の例でもあります。

立方数の和の不思議さに興味があれば、プラトン数と216(3³+4³+5³=6³)の記事も読んでみてください。

業績3 ハーディ・ワインベルクの法則

1908年、ハーディは科学雑誌に短い手紙を書きました。メンデルの遺伝の法則について、「優性の遺伝子は、集団の中でだんだん増えていくのか」という生物学者の疑問に、数学者として答えたものです。ほぼ同じ時期に、ドイツの医師ワインベルクも同じ結論を導いていたので、2人の名前がつきました。

ある遺伝子の型がAとaの2つあり、Aの割合を pp、aの割合を q=1−pq=1-p とします。自由に交配が行われ、突然変異や自然選択、移住などがない大きな集団では、次の世代の遺伝子型の割合は、

AA:Aa:aa=p2:2pq:q2AA:Aa:aa=p^2:2pq:q^2

になり、遺伝子の割合 p,qp,q は、世代がかわっても変わりません。これは、(p+q)2=p2+2pq+q2=1(p+q)^2=p^2+2pq+q^2=1 という、二項定理(a+b)²の展開と同じ式です。つまり、優性の遺伝子だからといって、勝手に増えるわけではないということです。

ハーディ・ワインベルクの法則AA:p²Aa:2pqaa:q²00.51Aの遺伝子の割合 p(横軸)p²+2pq+q²=1(q=1−p)
Aの割合pと、AA(p²)・Aa(2pq)・aa(q²)の割合。合計はいつも1

ハーディ自身は、この結果を「数学者から見れば、ごく当たりまえのこと」と考えていたといわれます。それでも、確率の意味の考え方を使って生物の遺伝を整理した、見事な応用になりました。現在では、集団遺伝学の出発点の1つで、人類の遺伝病の保因者の割合を計算するときにも使われます。

業績4 リーマン予想・素数・ウェアリング問題への挑戦

ハーディの本業は、解析的整数論です。1914年には、リーマンのゼータ関数の零点が、「実部が1/2の直線(臨界線)上に無限個ある」ことを証明しました。これは、リーマン予想とは?素数の謎のかぎに向けた大きな一歩でした。リーマン予想は、零点が「すべて」この線上にあるかを問う予想で、今も未解決です。

リーマン予想と、ハーディの証明実部=1/2← 零点はここに ならぶと予想1/201ハーディは1914年、この線上に零点が無限にあると証明
ゼータ関数の零点(赤い点)は、実部1/2の線上にならぶと予想される。ハーディはその線上に無限個あると証明

リトルウッドとの共同研究では、整数をk乗数の和で表すウェアリングの問題などに、円周法という新しい方法を使いました。1923年には、ゴールドバッハ予想の問題の仲間にあたる「十分大きな奇数は3つの素数の和で表せる」という予想を、ある仮定のもとで証明しました。その仮定をはずした形は、1937年にロシアのヴィノグラードフが証明しています。

また、双子素数の予想の「差が2の素数の組はどのくらいあるか」を、およそ予想する式を2人で作りました。これはハーディ・リトルウッド予想として知られています。

ハーディの名前がつく公式・定理・用語

  • ハーディ・ワインベルクの法則:集団の遺伝子の割合は、世代がかわっても変わらないという法則。生物の大学入試で頻出。AA:Aa:aa=p2:2pq:q2AA:Aa:aa=p^2:2pq:q^2。→ 二項定理(a+b)²の展開と例題
  • ハーディ・ラマヌジャン数:1729。2つの立方数の和で2通りに書ける最小の数。
  • ハーディ・ラマヌジャンの分割公式:整数の分割数 p(n)p(n) のおよその大きさを表す式。
  • ハーディ・リトルウッド予想:素数の組の分布についての予想。双子素数がどのくらいあるかを式で表します。
  • ハーディの不等式:数列や関数の平均についての不等式で、解析学で習います。→ コーシー・シュワルツの不等式などの仲間です。
  • ハーディ空間:複素解析と関数解析に出てくる関数の空間。
  • 円周法(ハーディ・リトルウッド法):整数を和に分ける問題を、複素数の積分で調べる方法。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

生物のハーディ・ワインベルクの法則は、(p+q)2=p2+2pq+q2(p+q)^2=p^2+2pq+q^2 を使うだけなんだ。数学の公式が、遺伝のしくみを説明していると思うと面白いよ。

ハーディの逸話と名言

『ある数学者の生涯と弁明』と、数学の美しさ

1940年の『ある数学者の生涯と弁明』は、数学者としての人生を振り返りつつ、「なぜ数学をするのか」を、美しい文章で書いた本です。数学を、絵や詩と同じような美を作る活動と考えました。有名な一節に、次のような意味の文があります。

美しさは第一の試験だ。醜い数学には、この世界に永続する場所はない。

ハーディ(意訳)(『ある数学者の生涯と弁明』(1940年)より)

この本には、「自分は数学で、何か『役に立つ』ことをしたことは一度もない」という趣旨の言葉もあります。ところが皮肉にも、ハーディが「役に立たない」と誇った整数論は、のちに暗号の技術などで、社会を支える道具になりました。また、1908年の遺伝の法則は、まさに「役に立った」仕事でした。

数学者の「採点表」

ハーディは、数学者の才能を100点満点で採点した、という逸話が伝えられています。ハーディ自身が25点、リトルウッドが30点、ヒルベルトが80点、ラマヌジャンが100点だったとされます。冗談まじりの話で、実際の記録ではありません。それでも、ハーディがラマヌジャンの才能をどれほど高く評価していたかが分かります。

ハーディの「才能の採点表」ラマヌジャン100ヒルベルト80リトルウッド30ハーディ25(伝えられる話。ハーディ自身が冗談まじりに言った)数字は本人の主観で、正式な記録ではない
ハーディの「才能の採点表」(伝えられる話)。ラマヌジャンが100点、ハーディ自身は25点

神さまとの「ゲーム」

ハーディは、神の存在を信じない人でした。それでも、神さまを相手に「ゲーム」をしていたという逸話があります。たとえば、デンマークの数学者ボーアとの旅行で、荒れた海を船で渡るとき、ハーディは「リーマン予想を証明した」という絵はがきをボーアに送ったとされます。「神さまは、ハーディがリーマン予想の証明という名誉をえるのを許さないはずだから、この船は沈まない」という理屈だった、と伝えられています。冗談の好きな人だったようです。

クリケットを愛した数学者

ハーディは、クリケットのたいへんなファンでした。クリケットの試合の結果を、新聞でくわしく追いかけていたといわれます。数学の美しさについても、スポーツのたとえで語ることがありました。数学者の一日の仕事は「午前中の4時間だけ」と考える人で、午後はクリケットを楽しんだとも伝えられています。

サクラちゃん

サクラちゃん

手紙1通で、人生が変わっちゃうなんて、すごいですね。

合格先生

合格先生

ハーディが手紙をちゃんと読んだからだよ。肩書きがなくても、中身で判断した。受験でも、見た目や偏見ではなく、中身を見て判断することが大切なんだ。

受験・勉強とハーディのつながり

中学受験:数の不思議と規則性

中学受験の算数では、立方数や平方数のたし算、規則性の問題がよく出ます。1729のような「2通りに表せる数」の話は、算数の自由研究にも向いています。インド式かけ算のやり方一覧のような、ラマヌジャンの出身地インドの計算の工夫を調べるのも楽しい勉強です。

大学受験:生物のハーディ・ワインベルクと、数学の整数問題

大学入試の生物では、遺伝子頻度を求める問題が出ます。たとえば、「ある遺伝病(劣性)の人が1万人に1人いるとき、保因者の割合は?」という問題は、q2=0.0001q^2=0.0001 より q=0.01q=0.01、保因者は 2pq≈0.01982pq\approx0.0198(約2%)と求められます。数学の整数問題では、素因数分解と整数の性質が基本です。2027のような西暦の数の問題は、2027は素数?双子素数と西暦の入試問題でくわしく解説しています。

大学・大学院入試:解析学・整数論

大学の解析学では、ハーディの不等式や、スターリングの公式のような漸近式が出てきます。整数論では、素数の分布、リーマンのゼータ関数、円周法などが、大学院で学ぶ内容です。

勉強法として:「証明」と「ひらめき」の両方を

ハーディとラマヌジャンの協力は、ひらめき(直観)と、証明(論理)の両方が大切だと教えてくれます。ひらめいた式は、必ず証明して確かめる。逆に、証明のあとで、結果の意味を図や例で理解する。この両方をくり返すことが、数学の上達の近道です。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。

ハーディがその後の数学にあたえた影響

  • 解析的整数論:円周法やタウバー型定理は、のちの数論研究の標準的な道具になりました。アダマール(素数定理)らが示した素数定理の流れを受けつぎ、素数の分布の研究を進めました。
  • ラマヌジャンの遺産:ラマヌジャンのノートの公式は、ハーディの励ましがなければ世に出なかったかもしれません。ラマヌジャンの公式は、今では物理学や情報理論にも使われています。
  • イギリス数学の改革:『純粋数学講義』は、イギリスの大学の微分積分の教育を、ヨーロッパ大陸の厳密な水準に引き上げました。
  • 集団遺伝学:ハーディ・ワインベルクの法則は、進化や遺伝を数学で扱う集団遺伝学の出発点の1つになりました。
  • 数学の美学:『ある数学者の生涯と弁明』は、数学者や数学ファンに愛読され、「数学の美とは何か」を考える古典になりました。

1913年にハーディが1通の手紙を真剣に読まなければ、ラマヌジャンの名前は、世界に知られなかったかもしれません。ハーディの最大の業績が「ラマヌジャンを見つけたこと」だと本人が語ったのは、ただの謙遜ではないのかもしれません。

ハーディに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 13+1231^3+12^3 と 93+1039^3+10^3 を計算して、どちらも1729になることを確かめなさい。
    答えと解説を見る13+123=1+1728=17291^3+12^3=1+1728=1729。93+103=729+1000=17299^3+10^3=729+1000=1729。どちらも1729です。
  2. 自然数5の分割(順序を考えない和の書き方)をすべて書き、何通りか答えなさい。
    答えと解説を見る55、4+14+1、3+23+2、3+1+13+1+1、2+2+12+2+1、2+1+1+12+1+1+1、1+1+1+1+11+1+1+1+1 の7通りです(p(5)=7p(5)=7)。

ふつう

  1. ある集団で、遺伝子Aの割合が 0.60.6、aの割合が 0.40.4 です。ハーディ・ワインベルクの法則が成り立つとき、AA・Aa・aaの割合を求めなさい。
    答えと解説を見るAA=p2=0.36AA=p^2=0.36、Aa=2pq=2×0.6×0.4=0.48Aa=2pq=2\times0.6\times0.4=0.48、aa=q2=0.16aa=q^2=0.16。合計は 0.36+0.48+0.16=10.36+0.48+0.16=1 です。
  2. 劣性の遺伝病(aaの人)が1万人に1人です。ハーディ・ワインベルクの法則が成り立つとき、この遺伝子の保因者(Aa)の割合はおよそ何%ですか。
    答えと解説を見るq2=1/10000q^2=1/10000 より q=0.01q=0.01、p=0.99p=0.99。保因者の割合は 2pq=2×0.99×0.01=0.01982pq=2\times0.99\times0.01=0.0198、つまり約2%です。

むずかしい

  1. 4104は、2つの立方数の和で2通りに書けます。その2通りを求めなさい。
    答えと解説を見る4104=23+163=8+40964104=2^3+16^3=8+4096、4104=93+153=729+33754104=9^3+15^3=729+3375。2通りとも4104です。(1729の次に小さいタクシー数です)
  2. Aの割合が p=0.6p=0.6 の集団で自由に交配すると、次の世代でのAの割合はいくつですか。
    答えと解説を見る次世代のAの割合は、p2+pq=p(p+q)=p×1=p=p^2+pq=p(p+q)=p\times1=p=0.6です。割合は世代がかわっても変わりません(ハーディ・ワインベルクの平衡)。

ハーディと関係する数学者

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20世紀の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

ハーディは何をした人ですか?

ハーディは、20世紀前半のイギリスの数学者です。インドの青年ラマヌジャンを見いだしてケンブリッジへ招き、共同研究を行いました。また、ハーディ・ワインベルクの法則、リトルウッドとの円周法、『ある数学者の生涯と弁明』でも知られます。

ハーディとラマヌジャンの関係は?

1913年、無名のインドの青年ラマヌジャンが、証明のない約120の公式を書いた手紙をハーディに送りました。ハーディは才能を確信し、1914年にラマヌジャンをケンブリッジに招いて共同研究を行いました。

タクシー数1729とは何ですか?

1729は、2つの立方数の和で2通りに表せる最小の数です。1729=1³+12³=9³+10³。ハーディがタクシーの番号1729を「つまらない数」と言うと、ラマヌジャンがその面白さを答えた、という逸話が伝わっています。

ハーディ・ワインベルクの法則とは何ですか?

自由に交配する大きな集団で、突然変異や選択がなければ、遺伝子の割合が世代がかわっても変わらないという法則です。AA:Aa:aa=p²:2pq:q² となります。1908年にハーディとワインベルクが別々に導きました。

ハーディの名言は何ですか?

『ある数学者の生涯と弁明』(1940年)にある、「美しさは第一の試験であり、醜い数学にはこの世界に永続する場所はない」という趣旨の言葉が知られています。

ハーディは何歳で亡くなりましたか? どこの人ですか?

ハーディは、1877年2月7日にイギリスのクランリーで生まれ、1947年12月1日にケンブリッジで70歳で亡くなりました。ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で教えました。

『ある数学者の生涯と弁明』とはどんな本ですか?

1940年にハーディが書いた、数学者としての人生と、数学の美しさを語ったエッセイです。数学を絵や詩と同じ「美を作る活動」と考え、数学者や数学ファンに愛読されています。

ハーディとリトルウッドはどんな関係ですか?

同じケンブリッジの数学者リトルウッドと、1911年ごろから約35年間共同研究を続けました。素数の分布・ウェアリングの問題・円周法・ハーディ・リトルウッド予想など、数論の大きな成果をあげました。

ハーディは受験とどう関係しますか?

大学入試の生物で、ハーディ・ワインベルクの法則による遺伝子頻度の計算が出題されます。数学では、素因数分解や整数の性質、タクシー数のような規則性の問題が、ハーディの世界につながります。

ハーディはリーマン予想について何を証明しましたか?

1914年に、リーマンのゼータ関数の零点のうち、実部が1/2の直線上にあるものが無限個あることを証明しました。すべての零点がこの線上にあるというリーマン予想は、今も未解決です。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics Archive, “G. H. Hardy”(セントアンドリューズ大学)
  • G. H. Hardy, “A Mathematician’s Apology”(1940年)
  • G. H. Hardy, “Mendelian Proportions in a Mixed Population”, Science(1908年)
  • G. H. Hardy, “Ramanujan: Twelve Lectures”(1940年)
  • 肖像写真:作者不明「Godfrey Hardy 1890s」、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦