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小平邦彦Kunihiko Kodaira
ひとことで言うと
1954年に日本人ではじめてフィールズ賞を受けた数学者。調和積分論を複素多様体に応用し、消滅定理・埋め込み定理・小平次元などを残した。
| 名前 | 小平邦彦(こだいら くにひこ。Kunihiko Kodaira) |
|---|---|
| 生没年 | 1915年3月16日〜1997年7月26日(82歳) |
| 国 | 日本(東京生まれ) |
| 分野 | 幾何学・複素多様体・代数幾何学 |
| 主な業績 | 調和積分論の応用(1954年フィールズ賞)、消滅定理、埋め込み定理、複素曲面の分類、小平–スペンサー理論 |
| 主な受賞 | フィールズ賞(1954年)、日本学士院賞・文化勲章(1957年)、ウルフ賞(1984年) |
| 名前がつくもの | 小平の消滅定理・小平の埋め込み定理・小平次元・小平–スペンサー理論 |
このページのポイント
- 1954年に、日本人としてはじめてフィールズ賞を受賞(授賞の理由は調和積分論とその応用)
- 小平の消滅定理・埋め込み定理で、複素多様体の「形」と代数幾何の「式」を結びつけ、小平次元で図形を分類した
- 東京大学とプリンストン大学で教え、『解析入門』や随筆『怠け数学者の記』も執筆。1957年に文化勲章
小平邦彦は何をした人?(業績をひとことで)
小平邦彦(こだいら くにひこ、1915〜1997年)は、日本の数学者です。1954年に、日本人としてはじめて「フィールズ賞」を受賞しました。フィールズ賞は、数学のノーベル賞ともいわれる賞で、4年に一度、40歳未満の数学者に贈られます。授賞のおもな理由は、調和積分論と、それを複素多様体・代数多様体の研究に応用した業績でした。
小平の名前は、小平の消滅定理、小平の埋め込み定理、小平次元、小平–スペンサー理論など、現代の幾何学の基本用語としていくつも残っています。研究のほかにも、『解析入門』などの教科書や、数学のエッセイ『怠け数学者の記』を書き、数学教育にも熱心でした。
小平の数学は大学院レベルで、受験に直接出ることはありません。ただ、出発点の複素数平面とはや虚数・複素数とは、図形の穴の数を数えるオイラーの多面体定理は、高校までの数学で学べます。この記事では、小平の仕事を「穴の数」「式で書ける形」「形の分類」の3つのキーワードで、やさしく説明します。
うかるくん
日本人で最初のフィールズ賞って、すごいですね。でも、何を研究した人なのかが想像できません。
合格先生
ひとことで言えば、「曲面や空間の形を、複素数の式で調べて、仲間わけした人」だよ。ドーナツの穴の数を数えたり、図形を方程式で書けるか調べたり。そのための強い道具を、いくつも作ったんだ。
小平邦彦の生涯と年表
東京で生まれ、数学と物理の両方を学ぶ
小平邦彦は1915年3月16日、東京で生まれました。1921年に小学校に入り、1927年に中学校に進みます。第一高等学校では、数学の先生荒又秀夫の指導を受けました。1935年に東京帝国大学に入り、1938年に数学科、1941年には物理学科も卒業しています。数学と物理の両方を学んだことが、のちの研究にも生きました。大学では、高木貞治の業績と生涯や彌永昌吉らから教えを受けたと記録されています。
調和積分論と博士の学位
戦時中から戦後にかけて、小平は東京で研究を続けました。1949年4月、「リーマン多様体の調和場」という論文で博士の学位を受けます。これは、イギリスのホッジが提案した調和積分の理論を、数学的に厳密な形で完成させる仕事でした。この仕事を高く評価したのが、ドイツ生まれの大数学者ワイルの業績と生涯です。
1949年、プリンストンへ
1949年9月、小平はアメリカのプリンストン高等研究所に招かれました。戦後まもない時期に、日本人数学者が世界の数学の中心に入った、大きな出来事でした。その後、ジョンズ・ホプキンス大学を経て、1952年にプリンストン大学の準教授、1955年に教授になります。
1954年、日本人で最初のフィールズ賞
1954年、オランダのアムステルダムで国際数学者会議が開かれ、小平にフィールズ賞が贈られました。賞を手渡したのは、前述のワイルです。日本人のフィールズ賞受賞は、これが最初でした。その後、1957年には日本学士院賞と文化勲章を受けています。
日本へ戻り、教育にも力を入れる
1961年にハーバード大学、1962年にジョンズ・ホプキンス大学、1965年にスタンフォード大学で教えたのち、1967年に東京大学の教授として日本に戻りました。1971〜1973年には東京大学理学部の学部長もつとめます。1975年に東京大学を退職し、そのあと学習院大学で約10年教えました。1984年にはウルフ賞を受け、1997年7月26日、山梨県の甲府で亡くなりました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1915年 | 3月16日、東京で生まれる |
| 1938年 | 東京大学の数学科を卒業 |
| 1941年 | 東京大学の物理学科を卒業 |
| 1949年 | 4月に博士の学位。9月、プリンストン高等研究所へ |
| 1952年 | プリンストン大学の準教授に |
| 1953年 | 小平の消滅定理を発表(のちにこうよばれる) |
| 1954年 | 国際数学者会議(アムステルダム)でフィールズ賞 |
| 1955年 | プリンストン大学の教授に |
| 1957年 | 日本学士院賞・文化勲章 |
| 1960年代 | 複素曲面の分類(小平次元)の研究を進める |
| 1967年 | 東京大学の教授になり、日本に戻る |
| 1975年 | 東京大学を退職。藤原賞。のち学習院大学で教える |
| 1984年 | ウルフ賞 |
| 1997年 | 7月26日、山梨県の甲府で亡くなる |
小平邦彦の主な業績をやさしく解説
業績1 調和積分論:穴の数を「解析」で数える
図形には「穴の数」という大事な性質があります。ドーナツには1個、二重のドーナツには2個。穴の数は、形を連続的に変えても変わらない目印です。オイラーの多面体定理 V−E+F=2も、この「穴」と関係しています(穴が g 個の曲面では になります)。
イギリスの数学者ホッジは、「調和形式」という特別な関数のようなものを使えば、穴の数を、微分積分(解析)で数えられると考えました。調和とは、「落ち着いた状態」のことです。熱が広がって温度が落ち着いたとき、温度分布が調和関数になる――そんなイメージです。ホッジの考えは直感的な面が多く、数学的に厳密な証明が求められていました。小平は、これを厳密な形で完成させたのです。これが、フィールズ賞の出発点になった仕事でした。
調和ということばは、音楽の「ハーモニー」と同じ語源で、「つりあいがとれている」という意味です。たとえば、金属の板のふちの温度を決めて、じゅうぶん時間がたつと、板の中の温度は変化しない落ち着いた状態になります。この温度分布が調和関数です。高校の微分の意味を2回使って、 になる関数、と言いかえられます(練習問題で実際に確かめてみましょう)。
ここで大事なのは、「曲面ごとに、調和なものが何個あるかは、穴の数だけで決まる」というホッジ理論の主張です。穴の数は、形をぐにゃぐにゃ変えても変わりません。一方、調和形式は、曲面に「長さの測り方」を決めてから、微分で定義するものです。長さの測り方は選び方しだいなのに、数だけは変わらない――この不思議な一致が、解析(微分)と形(トポロジー)を結びつけます。小平の仕事は、この一致を、すきまのない証明にしたものでした。
業績2 小平の消滅定理と埋め込み定理:形から式へ
調和積分論を複素多様体に応用して、小平は2つの大きな定理を見つけました。
① 小平の消滅定理(1953年):ある条件(空間に「正の」性質がある)をみたすとき、特定の「穴の数」がかならず0になる(消える)という定理です。「ある種の穴は、条件が良ければ存在しない」と言い切れる強力な道具で、いまも代数幾何学・複素幾何学の最も基本的な定理の1つです。
② 小平の埋め込み定理(1954年):「形」として定義された複素多様体が、ある条件をみたすなら、多項式の方程式で書ける図形になる、という定理です。たとえば、ドーナツ形の曲面(複素トーラス)は、条件を満たせば、 のような3次曲線として方程式で書けます。
これは、リーマンの業績と生涯に始まる「複素曲線の幾何学」と、方程式を調べる代数幾何学とを結びつけるものでした。形の性質(トポロジー・解析)と、式の性質(代数)が、ある条件のもとで同じものになる、というのがポイントです。2次曲線や放物線など、式で表される図形については2次曲線の性質や放物線と直線の問題で学べます。
消滅定理は、たとえるなら「条件がそろえば、やっかいな“余り”が出ない」という定理です。割り算で余りが出ると話がややこしくなりますが、割り切れる条件がわかれば、計算がずっと楽になります。消滅定理も、「ある種のやっかいな量は、条件が良いときは0になる」と保証することで、複雑な問題を単純にします。数学者はこの定理を、いろいろな証明の途中で「道具」として使います。
埋め込み定理のうれしさは、「形の言葉」で定義された図形を、「式の言葉」で調べられるようになることです。式にできれば、オイラーの業績やガウスの業績の時代から磨かれてきた代数の道具を、そのまま使えます。高校数学でも、グラフの形を方程式にして調べたり、方程式の解の数からグラフの交点の数を考えたりしますね。その考え方の、はるかに大きな形が埋め込み定理だと考えると、イメージがわきます。
業績3 複素曲面の分類と小平次元
図形の「仲間わけ」は、数学の大事な仕事です。複素数で考える曲線(実際には実2次元の曲面)は、穴の数で、球(穴0個)、ドーナツ(穴1個)、穴2個以上の3つの型に分けられます。小平は、この考え方をもっと次元の高い複素曲面(実4次元)に広げ、1960年代に、それらを分類する大きな理論を作りました。
このとき使われるのが小平次元という数です。小平次元は、図形の「複雑さ」を測るものさしで、−∞、0、1、2、…と値をとります。曲線の場合は、穴0個のとき−∞、1個のとき0、2個以上のとき1です。図形を数で仲間わけするという発想は、線対称・点対称とはを調べる高校数学とも通じます。
小平は同じころ、アメリカのスペンサーとともに、複素構造の変形理論(小平–スペンサー理論)も作りました。これは、図形の形を少しずつ動かしたとき、複素構造がどう変わるかを調べる理論で、のちの数学・物理学(超弦理論など)にも大きな影響をあたえました。
業績4 教科書と随筆:数学を伝える人
小平は、研究だけでなく、数学を多くの人に伝えることにも力を入れました。大学の教科書『解析入門』は、多くの大学で使われています。また、数学者としての半生をつづった随筆集『怠け数学者の記』(1986年)は、数学者の考え方や日々の暮らしを知ることのできる読み物として知られています。数学の教育についても、学校の教科書の作り方に意見を述べたことが知られます。
数学者が自分の経験や考えを一般の読者向けに書いた本は、受験生にも読みやすく、勉強の励みになります。数学の本は、公式や解法を覚えるためだけでなく、「数学者がどう考え、どう迷い、どう発見したか」を知る窓でもあります。気になる数学者がいたら、その人が書いたエッセイや伝記を一冊手にとってみてください。
小平邦彦の名前がつく公式・定理・用語
- 小平の消滅定理:正の直線束に関する、ある種の穴(コホモロジー)の消滅を述べる定理。
- 小平の埋め込み定理:ある条件を満たす複素多様体は、射影空間に埋め込める(代数多様体になる)という定理。
- 小平次元:代数多様体や複素多様体を分類するための、複雑さを測る数。
- 小平–スペンサー理論:複素構造の変形(形を少しずつ動かすこと)を調べる理論。
- 小平の標準形公式:楕円曲面(楕円曲線の族)についての公式。
- ホッジ–小平の分解:調和形式による、微分形式の分解定理。
高校数学までで関係する公式は次のとおりです。
- オイラーの多面体定理:穴のない多面体は V−E+F=2。穴の数と関係します。
- 複素数平面とは:小平の幾何学の舞台、複素平面の入口です。
- 微分とは・積分とは:調和積分論の土台になる、微分積分の考え方です。

合格先生
小平邦彦の仕事は、「形」と「式」をつなぐこと。高校の数学でも、グラフ(形)と方程式(式)を行き来するよね。その力が、数学の世界を広げる鍵になるんだ。
小平邦彦の逸話と名言
数学と物理の両方を学んだ
小平は、東京大学で数学科と物理学科の両方を卒業しています。若いころは、物理の研究にも強くひかれていたと伝えられています。物理学の考え方(場、ポテンシャル、調和など)が、調和積分論の仕事に生かされたともいわれます。
ワイルが認めた才能
小平の調和積分論の論文を読んで、その価値をいち早く認めたのが、プリンストンにいた大数学者ワイルでした。ワイルは、戦後の日本から現れた若い数学者を、世界の舞台に招きました。1954年のフィールズ賞の授賞式で、賞を手渡したのもワイルです。
「怠け数学者」という題名
小平の随筆集の題名は『怠け数学者の記』です。世界的な数学者が自分を「怠け者」とよぶのは、ユーモアと謙そんさをこめた題名だと受けとられています。内容は、数学者の仕事や、数学の学び方についての考えが中心です。くわしい言葉づかいは本で確かめてください。
日本の数学教育への思い
小平は、日本の数学教育についても、たびたび意見を述べたと伝えられています。計算の練習と、数学の考え方の両方を大事にする立場だったといわれますが、細かい主張は時期によって異なるため、出典の本で確かめてください。
戦争をはさんだ研究の時期
小平が大学を卒業したのは1930年代の終わりから1940年代の初めで、日本が戦争に向かう時期でした。研究の環境はきびしく、外国の雑誌が手に入りにくい時期もあったと伝えられます。そのなかで、小平は調和積分論の仕事を進めました。1949年に論文が評価されて渡米したことは、戦後の日本の数学者にとって、世界とふたたびつながる大きな一歩になったといわれます。
日本人のフィールズ賞のはじまり
小平の受賞から16年後の1970年に広中平祐の業績と生涯、さらに20年後の1990年に森重文の業績と生涯がフィールズ賞を受けました。3人とも代数幾何学に深くかかわる業績で、小平が道を開いた日本の幾何学の伝統が、世界に認められ続けていることが分かります。
サクラちゃん
数学と物理、両方やるのって大変じゃないですか?
合格先生
大変だけど、ちがう分野の考え方がぶつかるところから、新しい発見が生まれることも多いんだ。受験でも、数学と物理で同じ考え方(ベクトルや微分)が出てくるよね。両方を大切にしてみよう。
受験・勉強と小平邦彦のつながり
中学受験・高校受験:立体の「穴」と展開図
中学受験では、立体の展開図や、切断、色ぬりの問題が出ます。立体を「ひらいて平面にする」考え方は、図形の形を調べるトポロジーの入口です。オイラーの多面体定理は、頂点・辺・面の数の関係式で、穴のない立体ならいつも V−E+F=2 になります。
大学受験:複素数平面と微分積分
大学受験では、数学Cの複素数平面、数学IIIの微分積分が重要です。複素数の計算・絶対値・偏角・ド・モアブルの定理は、複素数平面とはから学べます。京都大学・東京大学の複素数平面の問題は、京大理系数学の出題分析(1999〜2026年度)で出題の傾向が分かります。虚数単位 i の書き方は虚数 i の書き方(斜体か立体か)にまとめてあります。
大学の数学:解析入門へ
小平の『解析入門』は、大学1〜2年生が学ぶ微分積分の教科書です。高校で習った微分積分を、もう一段くわしく学ぶ内容です。京大の数学の勉強の進め方は京大数学の参考書ロードマップも参考になります。
数学と物理をつなぐ:偏微分と調和
理系の大学入試では、数学と物理の両方が必要です。小平が学んだ「場」や「ポテンシャル」の考え方は、高校物理の電場・重力場にもつながっています。大学に入ると、温度や電位のように場所ごとに値が決まるもの(場)を、偏微分で調べます。調和関数は、その中でもいちばん基本的な例です。高校のうちに、微分の意味(変化の割合)をしっかり理解しておくと、大学の勉強に入りやすくなります。
むずかしい言葉は「たとえ」で覚える
消滅定理、埋め込み定理、小平次元――名前だけ見ると、近寄りがたく感じます。でも、「余りが出ない」「形を式にする」「型に分ける」と、自分のことばで言いかえると、ぐっと身近になります。受験の公式や定理も同じです。ことばを覚えるだけでなく、自分のことばで説明できるかを確かめると、理解の深さがわかります。
勉強法として:ちがう分野をつなげる
小平の仕事は、数学と物理、解析と代数、形と式のように、ちがう分野をつなげることで生まれました。受験勉強でも、「この単元は、あの単元と同じ考え方だ」と気づくと、一気に理解が深まります。勉強法は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も読んでください。
小平邦彦がその後の数学にあたえた影響
- 代数幾何学の発展:消滅定理は、広中平祐の特異点解消、森重文の業績の極小モデル理論などの基礎として、いまも使われる基本の道具です。
- 複素幾何学・ケーラー幾何学:埋め込み定理や小平–スペンサー理論は、複素多様体の研究の出発点になりました。
- 日本の代数幾何学の伝統:高木貞治の業績に始まり、小平、広中、森へとつながる、日本の幾何学・整数論の層の厚さを作りました。
- 物理学への影響:複素構造の変形の理論は、超弦理論のカラビ–ヤウ多様体の研究にも使われています。
- 数学教育:『解析入門』などの本は、日本の理系学生の基礎教育になりました。
小平の先輩にあたる岡潔の業績と生涯も、複素数の関数の研究で世界的な成果を出しました。同じ時代に、日本から複素解析・複素幾何の大きな仕事が出たことは、世界の数学史の中でも印象的なことです。
小平の分類の考え方は、数学のほかの分野にも通じます。たとえば、生き物を「種」や「科」に分けるように、図形も「型」に分けると、一つひとつを別々に調べなくても、型ごとにまとめて調べられるようになります。受験勉強でも、問題を「パターン」に分類して考える習慣をつけると、見たことのない問題でも「あの型に似ている」と気づけます。小平の仕事は、そんな分類の力の大切さを教えてくれます。
もうひとつ、小平の研究生活から学べることがあります。それは、基礎となる大きな理論を、すきまのない形で仕上げることの価値です。ホッジの理論は、小平以前にも直感的には知られていましたが、厳密な証明が加わったことで、はじめて安心して使える道具になりました。受験でも、「なんとなく分かった」で終わらせず、なぜそうなるのかを説明できるところまで仕上げると、応用問題での強さが変わります。ノートに「なぜ?」を書きこむ習慣をつけるだけでも、理解の深さは大きく変わってきます。
小平邦彦に挑戦!練習問題
やさしい
- (2+3i)(1−i) を計算しなさい。
答えと解説を見る
5+i。( を使います) - 複素数 3+4i の絶対値を求めなさい。
答えと解説を見る
複素数平面で原点からの距離なので、5。
ふつう
- 穴が3つある立体の多面体では になります。V=20、F=20 のとき、辺の数 E は何本ですか。
答えと解説を見る
より 44。(穴が0個なら2、1個なら0、2個なら−2、3個なら−4です) - について、 を求めなさい。
答えと解説を見る
、。和は0。(この式が0になる関数を調和関数といいます)
むずかしい
- 曲線 上で、x座標が2の点の y 座標を求めなさい。
答えと解説を見る
より ±√6。(この曲線は、ドーナツ形の複素曲線の一例になります) - を求めなさい。
答えと解説を見る
。よって −4。
小平邦彦と関係する数学者
- 高木貞治(日本の近代数学の父):東京大学で小平が教えを受けた数学者です。
- ワイル(フィールズ賞を手渡した人):小平の調和積分論の仕事をいち早く認め、プリンストンに招きました。
- リーマン(複素曲線の幾何学):複素曲線(リーマン面)の考え方をはじめた人です。
- 広中平祐(2人目の日本人フィールズ賞)・森重文(3人目の日本人フィールズ賞):小平に続く日本人の受賞者です。
- 岡潔(多変数複素関数論):同じ時代に複素解析の大きな仕事をした日本の数学者です。
- セール(代数幾何の大数学者):小平と同じころ、層の理論で代数幾何学を変えた数学者です。
数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、数学全体の入口は算数・数学 公式と用語の一覧(学年別・分野別)もどうぞ。
20世紀の数学者
- ヒルベルトの業績と生涯
1900年に「ヒルベルトの23の問題」を発表。ヒルベルト空間 - ミンコフスキー(1864〜1909)
数の幾何学・相対性理論の時空(ミンコフスキー空間) - アダマール(1865〜1963)
素数定理を証明(ド・ラ・ヴァレー・プーサンと同じ1896年) - ラッセル(1872〜1970)
集合論の「ラッセルのパラドックス」・『プリンキピア・マテマティカ』 - 高木貞治の業績と生涯
類体論を完成させた。日本の近代数学の父 - ルベーグ(1875〜1941)
ルベーグ積分(測度論) - ハーディの業績と生涯
ラマヌジャンを見いだした。『ある数学者の生涯と弁明』 - ネーターの業績と生涯
抽象代数学の母。対称性と保存則のネーターの定理 - ワイル(1885〜1955)
リーマン面・群論と量子力学 - 掛谷宗一(1886〜1947)
長さ1の針を回す最小の面積を問う「掛谷問題」 - ラマヌジャンの業績と生涯
ほぼ独学で数千の公式を残した天才。タクシー数1729 - バナッハ(1892〜1945)
関数解析(バナッハ空間)・バナッハ=タルスキーのパラドックス
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読みもの(合格大作戦の数学の記事)
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よくある質問
小平邦彦は何をした人ですか?
小平邦彦は、日本の数学者です。調和積分論を複素多様体に応用し、小平の消滅定理・埋め込み定理、小平次元などを築きました。1954年に日本人ではじめてフィールズ賞を受賞しています。
小平邦彦はいつフィールズ賞を受賞しましたか?
1954年に、オランダのアムステルダムで開かれた国際数学者会議で受賞しました。日本人としては最初のフィールズ賞受賞者です。その後、1970年に広中平祐、1990年に森重文が受賞しています。
フィールズ賞とは何ですか?
数学のノーベル賞ともいわれる賞で、4年に一度の国際数学者会議で贈られます。受賞する年の1月1日に40歳未満であることが条件で、1度に2〜4人が選ばれます。
小平の消滅定理とは何ですか?
空間がある「正の」性質を持つとき、特定のコホモロジー(穴のような量)がかならず0になる、という定理です。代数幾何学や複素幾何学で最もよく使われる基本定理の1つです。
小平の埋め込み定理とは何ですか?
形として定義された複素多様体が、ある条件を満たすとき、多項式の方程式で書ける代数多様体として射影空間にうめこめる、という定理です。形の性質と式の性質を結びつけます。
小平次元とは何ですか?
代数多様体や複素多様体の複雑さを測る数で、図形を分類するのに使います。複素曲線の場合、穴が0個のとき−∞、1個のとき0、2個以上のとき1になります。
小平邦彦はどこの大学の出身ですか?
東京大学(東京帝国大学)の出身です。1938年に数学科、1941年に物理学科を卒業し、1949年に博士の学位を受けました。のちにプリンストン大学の教授をへて、1967年に東京大学の教授になりました。
小平邦彦が書いた本には何がありますか?
大学の教科書『解析入門』と、数学者としての半生をつづった随筆集『怠け数学者の記』(1986年)などがあります。
小平邦彦は何歳で亡くなりましたか?
1997年7月26日、山梨県の甲府で亡くなりました。1915年3月16日生まれなので、82歳でした。
小平邦彦の仕事は受験に関係がありますか?
小平の研究は大学院レベルですが、出発点の複素数平面(数学C)、微分積分、オイラーの多面体定理(V−E+F=2)は中学・高校で学びます。ちがう分野をつなげて考える姿勢は、受験勉強にも役立ちます。
あわせて読みたい
出典・参考
- MacTutor History of Mathematics「Kunihiko Kodaira」(セント・アンドルーズ大学)
- K. Kodaira, “Harmonic fields in Riemannian manifolds (generalized potential theory)”, Annals of Mathematics 50(1949年)
- 小平邦彦『怠け数学者の記』(岩波書店、1986年)
- 国際数学連合(IMU)「Fields Medal 1954」
最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦



