広中平祐は何をした人?業績・生涯をわかりやすく|特異点解消・フィールズ賞・数理の翼

広中平祐は何をした人?業績・生涯をわかりやすく|特異点解消・フィールズ賞・数理の翼

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広中平祐Heisuke Hironaka

ひとことで言うと

1964年に代数幾何学の特異点解消をすべての次元で証明し、1970年に日本人2人目のフィールズ賞を受けた数学者。若い人に数学を広める活動にも力を注いだ。

名前広中平祐(ひろなか へいすけ。Heisuke Hironaka)
生没年1931年4月9日〜2026年3月18日(94歳)
国日本(山口県生まれ。京都大学・ハーバード大学で活躍)
分野代数幾何学
主な業績標数0の体の上の代数多様体の特異点解消(1964年)
主な受賞朝日賞(1967年)、フィールズ賞・日本学士院賞(1970年)、文化勲章(1975年)、レジオンドヌール勲章(2004年)
教育・普及「数理の翼」夏季セミナー(1980年〜)、財団法人数理科学振興会(1984年設立)、山口大学学長(1996〜2002年)

このページのポイント

  • 1964年に、特異点解消を、標数0の体の上ですべての次元で証明。ザリスキが2次元・3次元で示した定理を広げた
  • 1970年に日本人2人目のフィールズ賞(小平邦彦は1954年、森重文は1990年)。1975年に文化勲章
  • 「数理の翼」夏季セミナーや財団法人数理科学振興会などで、若い人に数学を伝える活動も長く続けた

広中平祐は何をした人?(業績をひとことで)

広中平祐(ひろなか へいすけ、1931〜2026年)は、日本の数学者です。1964年に、代数幾何学の大きな問題だった「特異点解消」を、すべての次元で解決する論文を発表しました。この業績で、1970年に、小平邦彦(1954年)に続く日本人2人目のフィールズ賞を受賞しています。フィールズ賞は、数学のノーベル賞ともいわれる賞で、4年に一度、40歳未満の数学者に贈られます。

広中は、研究だけでなく、若い人に数学を伝える活動にも力を注いだことで知られます。1980年に高校生向けの「数理の翼」夏季セミナーを始め、1984年には財団法人数理科学振興会を設立しました。1996年から2002年までは山口大学の学長もつとめました。2026年3月18日に94歳で亡くなり、京都大学数理解析研究所がそのことを公表したと報じられています。

特異点解消は、大学院レベルの話です。ただ、考え方の入口は高校数学にあります。「曲線がなめらかでない点」は、微分の公式で調べる「接線が引けない点」と同じ発想です。この記事では、広中の仕事を「特異点」「ふくらまし」「すべての次元」の3つのキーワードで、図と式を使ってやさしく説明します。

うかるくん

うかるくん

特異点って、ブラックホールの話で聞いたことがあるような……数学にもあるんですか?

合格先生

合格先生

いいところに気づいたね。物理の特異点とは別の言葉だけど、考え方は似ているよ。数学の特異点は、曲線や曲面が「なめらかでなくなる点」のこと。とがっていたり、自分と交わっていたりする点だね。その点を、きれいにほどく方法を見つけたのが広中さんなんだ。

広中平祐の生涯と年表

山口県に生まれ、京都大学へ

広中平祐は、1931年4月9日、山口県玖珂郡由宇町(現在の岩国市)で生まれました。1949年に京都大学に入り、はじめは物理学を学んでいましたが、のちに数学に進みました。1954年に学士、1956年に修士の学位を受けています。京都大学では、代数学者の秋月康夫の影響を強く受けたと、MacTutor の伝記に書かれています。

ザリスキとの出会いと、ハーバード大学へ

1956年に、アメリカの数学者オスカー・ザリスキが京都を訪れ、広中をハーバード大学へ招きました。広中は1957年の夏にアメリカへ渡り、1960年にハーバード大学で博士号を受けます。論文の題は「双有理的ブローイングアップの理論について」(英語では On the Theory of Birational Blowing-up)でした。ザリスキは、特異点解消を2次元・3次元で証明した数学者で、のちに広中が証明を完成させる問題の出発点になりました。

パリで、グロタンディークのもとへ

1959〜60年には、パリの高等科学研究所(IHES)に、グロタンディークの業績と生涯の招きで滞在しました。グロタンディークは、代数幾何学を大きく作り直した数学者で、広中の研究にも影響をあたえたと紹介されています。そのあと広中はアメリカに戻り、ブランダイス大学、コロンビア大学、1968年にはハーバード大学の教授になりました。

1964年、特異点解消の論文

1964年、広中は「標数0の体の上の代数多様体の特異点解消」と題する論文(2部に分かれた長い論文)を、数学の専門誌 Annals of Mathematics に発表しました。ザリスキが2次元(1939年)と3次元(1944年)で証明していた定理を、すべての次元に広げた仕事です。この論文は、数学の歴史の中でも特に長く、むずかしい証明の1つとして知られています。

1970年、フィールズ賞

1970年、フランスのニースで開かれた国際数学者会議で、広中にフィールズ賞が贈られました。日本人としては、1954年の小平邦彦の業績と生涯に次いで2人目です。同じ1970年には、日本学士院賞も受けています。

日本に戻って、研究と教育の活動

1975年に日本に戻り、京都大学の数理解析研究所の教授になりました。同じ年に文化勲章と文化功労者の顕彰を受けています。1983〜1985年には、数理解析研究所の所長をつとめました。1996年から2002年には、山口大学の学長を務めています。そのほか、さまざまな大学や研究機関で教え、若い世代の育成に力を注いだことで知られます。

2026年、94歳で亡くなる

2026年3月18日、広中平祐は94歳で亡くなりました。数学の研究と、数学を学ぶ若者を育てる活動の両方で、多くの人に影響をあたえた生涯でした。

広中平祐の歩み1931山口県に生まれる1949京都大学に入学1957ハーバード大学へ1964特異点解消の論文1970フィールズ賞1975文化勲章1980「数理の翼」セミナー開始1996山口大学の学長に20263月18日、94歳で亡くなる日本人2人目のフィールズ賞(1970年)
広中平祐の歩み。山口→京都大学→ハーバード大学→フィールズ賞→日本での教育活動
年できごと
1931年4月9日、山口県由宇町(現・岩国市)で生まれる
1949年京都大学に入学。のち数学に進む
1954年京都大学を卒業(学士)
1957年アメリカへ渡り、ハーバード大学でザリスキに学ぶ
1960年ハーバード大学で博士号。ブランダイス大学の教員になる
1964年標数0の体の上の代数多様体の特異点解消を、すべての次元で証明する論文を発表
1967年朝日賞を受ける
1968年ハーバード大学の教授になる
1970年フィールズ賞(ニース)。日本学士院賞
1975年日本に戻り京都大学の教授に。文化勲章・文化功労者
1980年高校生向けの「数理の翼」夏季セミナーを始める
1984年財団法人数理科学振興会を設立
1996〜2002年山口大学の学長
2026年3月18日、亡くなる(94歳)

広中平祐の主な業績をやさしく解説

業績1 特異点とは?:曲線が「なめらかでなくなる点」

曲線の上の点で、接線がちゃんと1本に決まる点を「なめらかな点」といいます。ところが、曲線によっては、接線が1本に決まらない点があります。たとえば次の3つです。

「なめらかでない点」=特異点y²=x³とがった点y²=x²(x+1)自分と交わる点xy=0十字の点
特異点の例。とがった点、自分と交わる点、十字の点。どれも原点で接線が1本に決まらない
  • y2=x3y^2=x^3:原点で、くちばしのようにとがります(カスプとよばれます)。
  • y2=x2(x+1)y^2=x^2(x+1):原点で、曲線が自分と交わります(ノードとよばれます)。
  • xy=0xy=0:xx 軸と yy 軸の2本の直線が十字に交わります。

これらの「なめらかでない点」を特異点といいます。調べ方は、高校の微分の延長です。曲線を F(x,y)=0F(x,y)=0 と書き、FF を xx で微分したものと yy で微分したもの(偏微分と全微分)が、同時に0になる点が特異点です。たとえば F=y2−x3F=y^2-x^3 なら、Fx=−3x2F_x=-3x^2、Fy=2yF_y=2y で、どちらも0になるのは原点だけです。曲線の接線の式を作る方法は接線の方程式の求め方にありますが、特異点ではこの方法がうまく使えません。

業績2 特異点解消:ふくらませて、ほどく

特異点があると、図形の性質を調べるのが急にむずかしくなります。そこで、数学者たちは考えました。特異点を、うまく変形して「なめらかな点」だけの図形にできないか。この変形を特異点解消といいます。

その方法の基本がブローアップ(ふくらまし)です。原点を通る直線は、傾きごとにちがう直線です。原点は全部の直線が通る「ぶつかりの場所」ですが、傾き tt ごとに別々の場所に分けて並べると、ぶつかりがほどけます。

ふくらまし=原点を「傾き」ごとに分ける原点でぶつかるt=−1t=0t=1t=2傾き t ごとに別の場所へ原点(1点)が、傾き t の数直線(1本の線)におきかわる。これがブローアップ(ふくらまし)
ふくらまし:原点(1点)を、傾き t の数直線(1本の線)におきかえる

具体的にやってみましょう。ノード y2=x2(x+1)y^2=x^2(x+1) で、y=txy=tx とおきます。代入すると t2x2=x2(x+1)t^2x^2=x^2(x+1) で、x≠0x\ne0 なら t2=x+1t^2=x+1、つまり x=t2−1x=t^2-1 というなめらかな放物線になります。もとの原点(x=0x=0)に対応するのは t2=1t^2=1、つまり t=1t=1 と t=−1t=-1 の2点です。交わっていた1点が、2つの点に分かれて見えるようになりました。

ふくらませて、交わりをほどくもとの曲線原点で交わるy=txt=1t=−1ふくらました後なめらかな1本横が x、たてが傾き t。原点が2つの点にほどけた
y=tx とおくと、ノードは滑らかな放物線 x=t²−1 になり、原点が t=±1 の2点にほどける

3次元の例も見ておきましょう。円すい面 x2+y2=z2x^2+y^2=z^2 は、頂点(原点)が特異点です。頂点をふくらますと、頂点が1本の円(円周)におきかえられて、なめらかな曲面になります。1点だったものが、広がりを持った図形におきかわる、というのがブローアップの特徴です。曲線ではその「広がり」が点の集まり(t=1とt=−1の2点)、曲面では曲線になる、と考えるとイメージしやすくなります。

さきほどのカスプ y2=x3y^2=x^3 も、y=txy=tx とおくと t2x2=x3t^2x^2=x^3 から x=t2x=t^2、y=t3y=t^3 というなめらかな曲線になります。ここで見たのは、2変数の曲線のやさしい例です。次元が高くなると、特異点は何本もの曲線・曲面が複雑に重なった形になり、ブローアップを何回もくり返す必要があります。しかも、ふくらました後に新しい特異点が現れないかを、うまく管理しなければなりません。

業績3 1964年:すべての次元で、特異点は解消できる

曲線(1次元)の特異点は、19世紀のうちに、ほどけることが知られていました。曲面(2次元)は、1939年に、アメリカのザリスキが証明しました。3次元は1944年にザリスキが証明しています。ところが、4次元以上では、ブローアップの途中で新しい特異点が次々に現れて、証明が先に進みませんでした。

特異点解消が証明された範囲1939年2次元(曲面)1944年3次元ザリスキ1964年すべての次元(標数0)広中平祐ザリスキ階段の高さ=証明された次元の広さ(模式図)
特異点解消が証明された範囲。2次元(1939年)、3次元(1944年)、すべての次元(1964年)

広中は、1964年の論文で、どんな次元でも、有限回のふくらましで、特異点がほどけることを証明しました。条件は、「標数0の体」の上で考えること。簡単にいえば、有理数・実数・複素数のように、「何回足しても0にならない」数の世界です。高校で習う複素数平面は、この世界の例です。

広中の証明の考え方は、おおまかにいうと、特異点の「複雑さ」を測る数を決めて、ブローアップのたびにその数が小さくなることを示す、というものです(専門家向けの説明をごく単純にした言い方です)。複雑さが無限に小さくなることはない(収束と発散の考え方で、自然数は無限に減り続けられない)ので、いつか必ず終わる、という議論です。証明が非常に長く、くわしい内容は専門的ですが、「複雑さを測る数を作って、それが減ることを示す」という考え方は、数列の極限を学ぶ高校生にも、イメージしやすいでしょう。

この結果は、代数幾何学のとても広い分野で使われる基本の定理になりました。標数が0でない世界(標数が正の素数の場合)で、一般の次元でも同じことが言えるかどうかは、長く大きな問題として知られてきました。

業績4 数学を伝える活動:数理の翼・数理科学振興会

広中は、研究のかたわら、日本の若い人たちに数学を広める活動にも力を入れました。MacTutor の伝記や、日本語の資料に、おもに次のことが紹介されています。

  • 1980年:高校生が数学を学ぶ夏季セミナー「数理の翼」を始める。のちに、日本の学生とアメリカの学生がともに学ぶセミナーも加わり、20年以上続いた。
  • 1984年:財団法人数理科学振興会を設立。セミナーの運営や、博士課程で外国に留学する日本人学生の奨学金を支えた。
  • 1992年から:小学生を対象にした「算数オリンピック」の会長をつとめた。
  • 小学校・中学校の算数・数学の教科書の監修にも関わった。

こうした活動は、日本の数学教育・数学の普及に長い間かかわったものとして、広く知られています。

広中平祐の名前がつく公式・定理・用語

  • 広中の特異点解消定理:標数0の体の上の代数多様体は、有限回のブローアップで特異点がほどける(1964年)。
  • 広中の特性多面体・広中のゲーム:特異点解消の研究で使われる専門的な用語です(くわしくは大学院の教科書で学びます)。

高校数学までで、関係する公式・用語は次のとおりです。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

広中さんの仕事のポイントは「ややこしい点を、ふくらませてほどく」こと。答案でも、ややこしい部分を文字でおいて見通しを良くすることがあるよね。y=tx とおくのも、その1つだよ。

広中平祐の逸話と活動

物理学から数学へ

京都大学に入ったとき、広中ははじめ物理学を学んでいました。のちに数学に移り、代数学の秋月康夫に学びました。数学と物理のあいだを行き来した経験が、研究の視野を広げたとされます。

ザリスキの京都訪問が転機に

1956年、アメリカの数学者ザリスキが京都を訪れました。ザリスキは、広中を自分のいるハーバード大学に招きます。この招きが、広中の世界的な研究のはじまりになりました。数学者の出会いが、人生と数学の流れを変えることがあります。

1970年のフィールズ賞と日本の数学

1954年の小平邦彦に続く日本人2人目のフィールズ賞として、1970年の受賞は大きなニュースになりました。そのあと1990年には森重文の業績が3人目の日本人受賞者となり、3人とも代数幾何学に深く関わる業績でした。日本の代数幾何学の伝統が、世界から高く評価されていることが分かります。

名誉市民などの顕彰

広中は、1967年に朝日賞、1970年に日本学士院賞、1975年に文化勲章を受けました。1983年には京都市の名誉市民に、2012年には出身地である岩国市の名誉市民になっています。また、2004年にはフランスのレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)も受けました。数学の業績だけでなく、教育・普及の活動も含めて、広く評価されたことがうかがえます。

数学を、みんなのものに

広中は、数学を一部の人だけのものにせず、より多くの人、とくに若い人に開こうとした数学者として紹介されることが多いです。「数理の翼」セミナーでは、高校生たちが大学の先生や学生とともに、数学を学びました。受験の問題を解く勉強とは別に、自分で考える数学に出会う場として、長く続けられたことが知られます。数学の力は、問題を解く速さだけでなく、問いを自分で立てて、粘り強く考え続ける力でもあることを、こうした場が教えてくれます。

サクラちゃん

サクラちゃん

高校生のうちから大学の先生と数学を学べるなんて、うらやましいです!

合格先生

合格先生

今は、数学オリンピックや、大学の公開講座、数学の本など、自分から探せば機会はたくさんあるよ。広中さんが広げた「数学を楽しむ場」は、今もいろいろな形で続いているんだ。まずは気になる本を1冊読んでみよう。

受験・勉強と広中平祐のつながり

中学受験・高校受験:図形を「ほどいて」考える

中学受験や高校受験の図形の問題では、立体の展開図をかいたり、重なった部分を分けて考えたりします。複雑な図形を、重ならないように分けて調べるという考え方は、特異点を「ほどく」考え方と通じています。補助線を引くのも、ややこしい図形を単純にほどく作業です。

大学受験:微分・接線・グラフの問題

大学受験の数学IIIでは、微分を使って接線やグラフの形を調べます。「f′(x)=0f'(x)=0 になる点」は、極大・極小の候補で、極値とはを調べるときの出発点です。特異点とは別の概念ですが、微分が0になる点が特別な点になるという共通の発想があります。京都大学・東京大学の微分・グラフの問題の傾向は、京大理系数学の出題分析(1999〜2026年度)で確かめられます。

置きかえの技術:y=tx

特異点解消で使った「y=txy=tx とおく」という置きかえは、実は入試の定番テクニックです。たとえば、曲線 x2+y2=1x^2+y^2=1 上の点を表すのに y=t(x+1)y=t(x+1) とおくと、有理数の点がすべて表せる、といった使い方があります。置きかえで式が楽になる経験をたくさん積んでおくと、見たことのない問題でも手がかりを探せるようになります。「傾き tt を文字でおく」「x+yx+y や xyxy を1つの文字でおく」のように、ややこしいところを1つの文字にまとめるくせをつけておきましょう。

勉強法として:「自分で考える時間」を作る

広中の「数理の翼」の特徴は、自分で考える時間を大切にしたことでした。受験勉強でも、解答を読む前に、10分でも自分で手を動かして考えてみると、理解の深さがまるで変わります。勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も読んでください。

数学オリンピック・数学の本への入口

広中が会長をつとめた「算数オリンピック」は、小学生のための大会です。高校生以上には、国際数学オリンピックがあります。数学オリンピックの問題(長方形に詰めた正方形)で、本番に近い問題を試せます。

広中平祐がその後の数学にあたえた影響

  • 代数幾何学の基本の道具:特異点解消の定理は、標数0の代数幾何学で、何度も使われる基本の定理です。特異点のある図形を、なめらかな図形に直して調べる方法の土台になりました。
  • 日本の代数幾何学の伝統:小平邦彦、広中、森重文の業績と続く、日本のフィールズ賞受賞者の流れの中心にいます。
  • 特異点解消の簡易化:広中の証明は長くむずかしいため、のちの数学者たちが、より短く分かりやすい証明を考えるきっかけにもなりました。
  • 数学の普及・教育:数理の翼セミナーや数理科学振興会の活動は、若い数学者が育つ土壌をつくったと評価されています。
  • 国際交流:日本とアメリカの学生をつなぐセミナーなど、国際的な交流の場を作りました。

広中の仕事は、リーマンの時代から続く「曲線・曲面をどう調べるか」という長い流れの中にあります。座標で図形を式にするデカルトの発想から数百年をへて、式で表された図形のなめらかでない点を、なめらかにほどく方法が完成したのです。数学の歴史は、こうして少しずつ積み上げられていきます。

また、特異点解消の問題は、証明が分かったあとも、より簡単な証明を探す研究や、コンピューターで実際に特異点を解消する計算の研究など、さまざまな形で続いています。数学では、「解けた」で終わりではなく、「もっとよく分かる形にする」仕事が続くことが、よくあります。

広中平祐に挑戦!練習問題

やさしい

  1. 曲線 y2=x3y^2=x^3 で、x=4x=4 のときの yy の値を求めなさい。
    答えと解説を見るy2=43=64y^2=4^3=64 なので、y=y=±8。
  2. F(x,y)=y2−x3F(x,y)=y^2-x^3 について、Fx=−3x2F_x=-3x^2、Fy=2yF_y=2y が同時に0になる点を求めなさい。
    答えと解説を見る−3x2=0-3x^2=0 より x=0x=0、2y=02y=0 より y=0y=0。原点(0,0)だけです。これが曲線 y2=x3y^2=x^3 の特異点です。

ふつう

  1. 曲線 y2=x2(x+1)y^2=x^2(x+1) で、x=3x=3 のときの yy の値を求めなさい。
    答えと解説を見るy2=9×4=36y^2=9\times4=36 なので、y=y=±6。
  2. y2=x3y^2=x^3 で y=txy=tx とおくと、x≠0x\neq0 のとき x=t2x=t^2、y=t3y=t^3 になります。t=2t=2 のときの点 (x,y)(x,y) を求め、y2=x3y^2=x^3 をみたすか確かめなさい。
    答えと解説を見るx=4x=4、y=8y=8。y2=64y^2=64、x3=64x^3=64 でみたします。(問題1で求めた点(4, 8)と同じ点です)

むずかしい

  1. y2=x2(x+1)y^2=x^2(x+1) で y=txy=tx とおくと t2=x+1t^2=x+1 になります。もとの原点(x=0x=0)に対応する tt の値をすべて求めなさい。
    答えと解説を見るx=0x=0 を代入して t2=1t^2=1。t=t=1 と −1の2つです。(ふくらますと、原点が2つの点に分かれます)
  2. フィールズ賞は、受賞する年の1月1日に40歳未満であることが条件です。1931年4月9日生まれの広中平祐が、1970年のフィールズ賞を受けたとき、1970年1月1日時点で何歳でしたか。
    答えと解説を見る1970年1月1日の時点では、誕生日(4月9日)の前なので38歳(1970年4月9日に39歳になります)。40歳未満なので、条件をみたしています。

広中平祐と関係する数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

広中平祐は何をした人ですか?

広中平祐は、日本の数学者です。1964年に代数幾何学の特異点解消を、標数0の体の上のすべての次元で証明しました。この業績で、1970年に日本人2人目のフィールズ賞を受賞しています。数学の普及活動にも力を注ぎました。

広中平祐はいつフィールズ賞を受賞しましたか?

1970年に、フランスのニースで開かれた国際数学者会議で受賞しました。日本人としては、1954年の小平邦彦に次ぐ2人目です。1990年には森重文が3人目の受賞者になりました。

特異点解消とは何ですか?

曲線や曲面などにある、なめらかでない点(特異点)を、ブローアップ(ふくらまし)をくり返してなめらかな図形に直す操作です。広中は1964年に、標数0の体の上ならどんな次元でもできることを証明しました。

特異点とは何ですか?

曲線や曲面の上で、接線や接平面が1つに決まらない点のことです。たとえば曲線 y²=x³ の原点はとがっていて、y²=x²(x+1) の原点では曲線が自分と交わっています。

ブローアップ(ふくらまし)とは何ですか?

原点のような1点を、そこを通る直線の傾きごとに別々の場所へ分けて、傾きの数直線という1本の線におきかえる操作です。y=tx とおくと計算でき、交わっていた点がほどけて見えるようになります。

広中平祐は何歳で亡くなりましたか?

2026年3月18日に94歳で亡くなりました。1931年4月9日生まれです。京都大学数理解析研究所がこの訃報を公表したと報じられました。

広中平祐の「数理の翼」とは何ですか?

1980年に広中が始めた、高校生を対象にした夏季セミナーです。のちには日本とアメリカの大学生が参加するセミナーも加わり、20年以上続きました。1984年に設立された財団法人数理科学振興会がその運営などを支えました。

広中平祐はどんな賞を受けましたか?

朝日賞(1967年)、フィールズ賞と日本学士院賞(1970年)、文化勲章と文化功労者の顕彰(1975年)、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ(2004年)などがあります。京都市と岩国市の名誉市民にもなりました。

広中平祐の仕事は受験に関係がありますか?

研究は大学院レベルですが、出発点の微分・接線・偏微分は高校数学で学びます。y=tx のような置きかえで式を簡単にする工夫は、大学入試でもよく使われます。数学の普及活動は、勉強の入口にもなります。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Heisuke Hironaka」(セント・アンドルーズ大学)
  • H. Hironaka, “Resolution of singularities of an algebraic variety over a field of characteristic zero: I, II”, Annals of Mathematics 79(1964年)
  • 国際数学連合(IMU)「Fields Medal 1970」
  • 京都大学数理解析研究所の発表にもとづく各紙の報道(2026年3月18日・19日)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦