ワイルズは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|フェルマーの最終定理・谷山志村予想・アーベル賞

ワイルズは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|フェルマーの最終定理・谷山志村予想・アーベル賞

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ワイルズAndrew Wiles

ひとことで言うと

358年のあいだ解かれなかったフェルマーの最終定理を、谷山–志村予想の大事な場合を証明することで解決した、イギリスの数学者。2016年にアーベル賞。

名前アンドリュー・ワイルズ(Andrew Wiles)
生年1953年4月11日〜(存命)
国イギリス(ケンブリッジ生まれ)
分野数論(楕円曲線・モジュラー形式・岩澤理論)
主な業績フェルマーの最終定理の証明(1993年発表、1995年に論文)、谷山–志村予想(半安定な場合)の証明
主な受賞ウルフ賞(1996年)、IMU銀賞(1998年)、ショウ賞(2005年)、アーベル賞(2016年)、コプリー・メダル(2017年)
名前がつくものテイラー–ワイルズの方法、コーツ–ワイルズの定理

このページのポイント

  • フェルマーの最終定理(n≥3n\geq3 で xn+yn=znx^n+y^n=z^n に整数解なし)を、1993年に発表、1995年の論文で証明した
  • 証明の中心は谷山–志村予想(楕円曲線とモジュラー形式の対応)の大事な場合。フレイ・リベットの仕事の上に立つ
  • 発表後に誤りが見つかったが、1994年9月に修正。2016年にアーベル賞を受けた

ワイルズは何をした人?(業績をひとことで)

アンドリュー・ワイルズ(Andrew Wiles、1953年生まれ)は、イギリスの数学者です。フェルマーの最終定理――「3以上の自然数 n について、xn+yn=znx^n+y^n=z^n を満たす0でない整数の組 (x, y, z) は存在しない」――を、1995年に論文で証明した人として世界に知られています。この定理は1637年ごろにフェルマーの業績と生涯が書きこんで以来、約358年のあいだ、世界中の数学者が挑んでも解けない「最後の問題」でした。

ワイルズの証明は、フェルマーが生きていた時代の道具だけでは歯が立たない、20世紀の整数論の最先端を総動員したものです。中心になったのは楕円曲線とモジュラー形式を結びつける谷山–志村予想で、ワイルズはその「大事な場合」を証明しました。2016年には、この業績にもとづいて数学のノーベル賞ともいわれるアーベル賞を受けています。

この記事では、証明そのものの中身(大学院レベルの数学です)は深入りせず、「何が問題で、どんな道すじで解かれたのか」を図とたとえ話で説明します。フェルマーの最終定理そのものの説明は、フェルマーの最終定理とは?わかりやすく解説とフェルマーの最終定理を中学生向けに図解にくわしく書いてあります。あわせて読むと、立体的に分かります。

うかるくん

うかるくん

フェルマーの最終定理って、式はかんたんなのに、なんでそんなにむずかしいんですか?

合格先生

合格先生

「答えがないことを証明する」のは、答えを1つ見つけるよりずっと大変なんだ。n=3 のときも、4のときも、5のときも、無限にある n すべてで解がないと言わなければならないからね。

ワイルズの生涯と年表

ここでは、公に報じられた経歴、本人の講演やインタビューで語られている内容、受賞の記録にもとづいて紹介します。私生活にかかわることは扱いません。

ケンブリッジで生まれ、10歳で最終定理に出あう

ワイルズは1953年4月11日、イギリスのケンブリッジで生まれました。ワイルズ本人はインタビューなどで、10歳のころ、地元の図書館で数学の本を手にとり、フェルマーの最終定理を知ったと語っています。小学生にも意味が分かる問題なのに、何百年もだれも解けていない。そのことに強く心をひかれた、という話です。

オックスフォードとケンブリッジで学ぶ

1971年にオックスフォード大学マートン・カレッジに進み、1974年に学士の学位を受けました。その後ケンブリッジ大学で研究を続け、1980年に博士号を取っています。指導を受けたのは、整数論の研究者ジョン・コーツです。博士のころの専門は、楕円曲線の整数論(岩澤理論とよばれる分野、日本の岩澤健吉の業績と生涯にちなむ理論)でした。

プリンストン大学の教授に

アメリカのハーバード大学などをへて、1981年にプリンストン高等研究所、1982年にプリンストン大学の教授になりました。ここで、のちの証明につながる研究を進めます。

1986年、「最終定理への道」が開く

1984年から85年ごろ、ドイツのゲルハルト・フレイが「もしフェルマーの最終定理の反例があれば、ふしぎな楕円曲線ができるはずだ」という考えを発表しました。そして1986年、アメリカのケン・リベットが、フレイの考えをセールの予想(イプシロン予想)にもとづいて証明します。これにより、谷山–志村予想が正しければ、フェルマーの最終定理も正しいことになりました。ワイルズは、この知らせを聞いて、最終定理への挑戦を決意したと語っています。それからおよそ7年のあいだ、ほとんど人に話さず、この問題に集中したと、本人が述べています。

1993年の発表、誤りの発見、1994年の修正

1993年6月、ワイルズはケンブリッジのアイザック・ニュートン研究所で連続講演を行い、最後の日(6月23日)に証明を発表しました。世界中のニュースになりました。ところが、その後、論文を専門家たちが細かく調べる審査の過程で、証明の一部にすきま(誤り)が見つかります。ワイルズは数学者リチャード・テイラーの協力を得て修正に取り組み、1994年9月19日に、問題をのりこえる方法を見つけました。1995年、証明は『アナルズ・オブ・マセマティクス』という数学の専門誌に2本の論文(ワイルズ単独のものと、テイラーとの共著)として出版されました。

受賞とその後

1996年にウルフ賞、1998年には国際数学者会議で特別の銀の盾(IMU銀賞)を受けました。フィールズ賞は「40歳未満」という年齢の決まりがあり、このときのワイルズは対象外だったためです。2000年にはイギリスでナイト爵(「サー」の称号)、2005年にショウ賞、2016年にアーベル賞、2017年に王立協会のコプリー・メダルを受けました。プリンストン大学で教えたのち、2011年に母国イギリスのオックスフォード大学に戻り、2018年にはオックスフォード大学の最初の「欽定講座教授(Regius Professor)」になっています。

1993〜1995年のドラマ1993年6月ケンブリッジで証明を発表審査のとちゅう証明の一部に穴が見つかる1994年9月修正の道が見つかる1995年論文が雑誌にのる一度の失敗のあと、1年ほどで直した
ワイルズの証明のドラマ。1993年に発表→審査で穴が見つかる→1994年9月に修正→1995年に論文
年できごと
1953年4月11日、イギリスのケンブリッジで生まれる
1963年ごろ10歳のころ、フェルマーの最終定理を知ったと本人が語る
1974年オックスフォード大学を卒業
1980年ケンブリッジ大学で博士号を取る
1982年プリンストン大学の教授になる
1986年リベットの証明により、最終定理が谷山–志村予想につながると分かる
1993年6月23日、ケンブリッジで最終定理の証明を発表
1994年9月19日、審査で見つかった穴を直す方法を見つける
1995年『アナルズ・オブ・マセマティクス』に証明の論文が出る
1996年ウルフ賞
1998年国際数学者会議(ベルリン)で特別の銀の盾(IMU銀賞)
2000年ナイト爵(サーの称号)
2005年ショウ賞
2016年アーベル賞
2018年オックスフォード大学の最初の欽定講座教授に

ワイルズの主な業績をやさしく解説

業績1 フェルマーの最終定理を証明した

三平方の定理 x2+y2=z2x^2+y^2=z^2 には、32+42=523^2+4^2=5^2、52+122=1325^2+12^2=13^2 のように、整数の解が無限にあります(くわしくは三平方の定理の証明と例題)。ところが、指数を3にした x3+y3=z3x^3+y^3=z^3 には、0でない整数の解がありません。4乗でも、5乗でも、どの指数でも同じです。この「解がない」ことを、すべての指数について言いきったのがフェルマーの最終定理です。

x ⁿ+y ⁿ=z ⁿ に整数の解はある?n=2(三平方の定理)3²+4²=5² 5²+12²=13²8²+15²=17² …… 無限にあるn=3, 4, 5, 6, ……0でない整数の解は1つもない!(フェルマーの最終定理)1637年ごろの書きこみ → 1995年に証明の論文
指数が2なら解は無限にあるが、3以上ではどれも解がない。これがフェルマーの最終定理

フェルマーは、数学の古典『算術』の余白に「私はこの定理の真に驚くべき証明を発見したが、この余白はそれを書くには狭すぎる」と書いたと伝えられています。ただし、この書きこみは本人の死後に、息子が本を出版したときに世に出たものです。フェルマーが本当に正しい証明を持っていたかは分からず、ほとんどの数学者は「あったとしても、まちがいを含む証明だったのではないか」と考えています。ワイルズの証明は、フェルマーの時代にはなかった数学の道具を使ったものだからです。

358年かかった証明1637フェルマーが本の余白に書きこむ1670書きこみが本になって世に出る1770年ごろオイラーが n=3 を示す1847クンマーが多くの n をまとめて扱う1983ファルティングス:解は有限個だけ1995ワイルズの論文、ついに証明1637→1995:およそ358年
1637年の書きこみから1995年のワイルズの論文まで、およそ358年。多くの数学者の仕事がつみ重なった

なお、証明の過程には、オイラーの業績と生涯が n=3 の場合を調べたことや、ソフィ・ジェルマンの業績と生涯の研究など、多くの数学者の努力が積み重なっています。

業績2 谷山–志村予想(モジュラー性)の大事な場合を証明した

ワイルズの証明の中心は、日本の数学者谷山豊の業績と生涯と志村五郎の業績と生涯の名前がついた谷山–志村予想です。これは、まったくちがう2つの世界――楕円曲線(y2=x3+ax+by^2=x^3+ax+b のような式で表される曲線)と、モジュラー形式(ふしぎな対称性をもつ関数)――が、じつは「同じものの別の顔」だという予想です。

ここでいう「同じ」とは、次のような意味です。楕円曲線の式を、素数 p で割った余りの世界で考えて、解がいくつあるかを数えます。その数から作った数の列が、モジュラー形式から作った数の列と、すべての素数 p でぴったり一致するのです。たとえば曲線 y2+y=x3−x2y^2+y=x^3-x^2 では、次の表のように2つの行が一致します。

楕円曲線とモジュラー形式の「辞書」y²+y=x³−x²素数 p23571113解の数4449109p−解の数-2-11-214モジュラー形式の係数-2-11-214上の2行がぴったり同じ(p=2〜13)
曲線 y²+y=x³−x² を素数 p で割った余りの世界で数えた解の個数から作った数の列と、モジュラー形式の係数の列が一致する

ワイルズは、1986年にリベットが道を開いたあと、フレイ曲線がかかわる「半安定な楕円曲線」というクラスについて、この一致が成り立つことを証明しました。そこで使われたのは、ガロアの業績と生涯にはじまる「方程式を群で調べる」考え方の発展形(ガロア表現)や、数の世界を少しずつずらして調べる方法などです。名前だけ聞くとむずかしそうですが、考え方の芯は「むずかしい世界の問題を、見やすい別の世界に写して解く」という、数学で何度も出てくる発想です。

谷山–志村予想は、その後2001年に、ワイルズの方法を発展させた数学者たち(ブルイユ、コンラッド、ダイアモンド、テイラー)によって、半安定でない場合もふくめて完全に証明され、いまは「モジュラー性定理」とよばれています。

業績3 証明の道すじ:「反例があったら矛盾する」

ワイルズの証明は、背理法(「そうではないと仮定すると矛盾する」という論法)の大きな実例です。道すじは3段に分けられます。

証明の道すじ(3つの段)① フレイ(1984〜85年ごろ)もし反例 aᵖ+bᵖ=cᵖ があれば、ふしぎな楕円曲線(フレイ曲線)ができる② リベット(1986年)フレイ曲線は、谷山–志村予想が正しいなら「存在できない」と証明③ ワイルズ(1993〜95年)谷山–志村予想の大事な場合を証明→ 反例はありえない結論:最終定理は正しい(1995年に論文)
証明の3つの段。フレイが反例から曲線を作り、リベットがその曲線は存在できないと示し、ワイルズが谷山–志村予想を証明した

第1段(フレイ):もしフェルマーの最終定理の反例 ap+bp=cpa^p+b^p=c^p があれば、それを使って楕円曲線 y2=x(x−ap)(x+bp)y^2=x(x-a^p)(x+b^p) を作れます。この曲線は、性質が「あまりによすぎて、ふしぎ」な曲線になります。第2段(リベット):そんな曲線は、谷山–志村予想が正しいなら、モジュラー形式と対応できないことが示されました。第3段(ワイルズ):その谷山–志村予想(半安定な場合)を証明しました。フレイ曲線は半安定なので、これで反例の存在が否定され、最終定理が成り立ちます。

これは、ものごとを「ほかの問題に言いかえる」ことで解決する、数学らしい勝ち方です。受験の整数問題でも、「直接やるのがむずかしければ、条件を言いかえて別の問題にする」という発想が役に立ちます。

業績4 岩澤理論・楕円曲線の研究、そして証明のあとの数学

フェルマーの最終定理で知られるワイルズですが、研究の幅は広く、最終定理より前から楕円曲線と岩澤理論で大きな成果を出していました。コーツとの共同研究で、ある種の楕円曲線について、「ベッチ–スウィンナートン=ダイアー予想」という大問題の一部を証明しています(この予想は、いまでもクレイ数学研究所の「ミレニアム懸賞問題」の1つで、全体は未解決です)。

ワイルズの手法は、その後の数論に大きな影響をあたえました。証明で使われた「テイラー–ワイルズの方法」は、ほかの予想の証明にも使われる強力な道具になっています。

ワイルズの名前がつく公式・定理・用語

ワイルズ本人の名前がつくのは、大学院レベルの数学の用語です。受験で直接問われることはありませんが、関係する高校数学の公式といっしょに整理しておきます。

  • ワイルズの定理(フェルマーの最終定理):n≥3n\geq 3 のとき xn+yn=znx^n+y^n=z^n は自然数の解をもたない。くわしくはフェルマーの最終定理の解説記事へ。
  • テイラー–ワイルズの方法:谷山–志村予想の証明で使われた、数論の強力な道具。
  • モジュラー性定理:楕円曲線はすべてモジュラー形式に対応する(ワイルズの結果を土台に2001年に完成)。
  • コーツ–ワイルズの定理:楕円曲線の整数論に関する結果。

高校数学で、ワイルズの仕事の「入口」になるのは次の3つです。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

フェルマーの小定理(余りの定理)と最終定理はちがう定理だよ。小定理は高校でも使う便利な公式、最終定理は「解がない」ことを言う大定理。名前が似ているから、区別して覚えておこう。

ワイルズの逸話と名言

ここに書くのは、ワイルズ本人がインタビューや講演、ドキュメンタリー番組で公に語ったことと、報道で広く知られていることだけです。細かい言いまわしは伝え方で差があるため、「〜とされます」と書いているものは、原典で確かめてください。

「少年の夢」としての最終定理

ワイルズは、10歳のころ図書館でこの問題に出あい、「自分の人生でいちばんのものになった」という趣旨のことを語っています。小学生にも読める問題が、何百年も解けない――この「分かりやすいのに解けない」ところに、多くの人がひきつけられる理由があります。

7年間の研究と、「不意の発表」

ワイルズは1986年から約7年間、ほとんど人に研究のことを話さず、この問題に集中したと語っています。1993年6月の連続講演で、最後に証明を発表したとき、会場には大きな拍手が起こり、その様子は世界中のニュースで伝えられました。

誤りが見つかったあと

発表の後に誤りが見つかったときのことを、ワイルズは「数学の研究は暗い部屋に入るようなものだ」という趣旨のたとえで語ったとされます。暗い部屋で、家具の場所を手探りで覚えていき、やがて明かりのスイッチを見つける、というたとえです。1994年9月、ワイルズは問題をのりこえる方法をひらめいたと述べており、その瞬間を「言葉にできないほど美しかった」という趣旨で語っています。

私は、数学の研究を、暗い部屋に入っていくことにたとえます。(中略)すべての家具の場所を覚えるころには、やっとスイッチが見つかり、部屋じゅうが明るくなる。

アンドリュー・ワイルズ(インタビューでの発言として紹介されるもの)(趣旨を日本語にまとめた紹介です。言いまわしは出典によって差があります。原文は公開されているインタビュー映像・記事で確かめてください)

賞金とフィールズ賞のこと

フェルマーの最終定理には、ドイツの愛好家ヴォルフスケールが遺言で10万マルクの懸賞金をかけた(1908年に公表)ことでも知られます。ワイルズは1997年にこの賞を受けたと伝えられていますが、そのころには、インフレなどで金額は大きく減っていたとされます。また、証明の時点では年齢の規則でフィールズ賞は受けられず、代わりに1998年に特別の銀の盾が贈られました。

まちがえることも研究の一部

一度は不完全だった証明を、1年ほどかけて直したワイルズの経験は、受験生にも通じます。まちがいに気づいたら、あきらめずに原因を探して、直す。数学では、これが研究の日常です。答案の見直しや、まちがえた問題のやり直しを、「研究者と同じこと」と考えてみてください。

サクラちゃん

サクラちゃん

358年もかかった問題を、一人で解いたんですか?

合格先生

合格先生

ワイルズは中心になって証明を作ったけれど、谷山さん・志村さん・フレイさん・リベットさんなど、たくさんの人の仕事の上に立っているんだ。修正にも、テイラーさんの協力があった。数学はチームの積み重ねでもあるんだよ。

受験・勉強とワイルズのつながり

中学受験・高校受験:三平方の定理と整数の見かた

ワイルズの仕事のいちばん身近な入口は、中学3年の三平方の定理です。直角三角形の3辺の長さが整数になる「ピタゴラス数」(3,4,5)や(5,12,13)を覚えておくと、入試の計算がぐっと速くなります。そして、指数を3にすると解がなくなる――この「ちがい」を想像するだけでも、数学の奥深さを感じられます。ちなみに、33+43+53=633^3+4^3+5^3=6^3 のように、3つの数の3乗の和が1つの数の3乗になる例はあります。これは最終定理の反例ではありません(左辺が3項だからです)。くわしくはプラトン数と216の不思議を読んでください。

大学受験:整数問題と合同式

大学入試の整数問題は、余りで場合分けする、因数分解して約数を調べる、範囲をしぼるという3つの方法でほとんど解けます。フェルマーの最終定理の n=4 の場合の証明にも、「無限降下法」という整数の技が使われました。入試で使うのは合同式(mod)の計算やフェルマーの小定理などです。また、素数の性質は唯一の偶数の素数「2」の話や2027は素数?双子素数と西暦の入試問題でも学べます。京都大学・東京大学の整数問題の傾向は京大理系数学の出題分析が参考になります。

勉強法として:言いかえて、つなぐ

ワイルズの証明は、「反例があったら、別の世界の対象ができる」「その対象は別の定理と矛盾する」というつなぎ方でした。受験でも、わからない問題をそのまま解こうとせず、「条件を言いかえたらどうなるか」と考えると、道が開けることがよくあります。数学の進め方は数学の勉強法も読んでください。

ワイルズがその後の数学にあたえた影響

  • モジュラー性定理の完成:ワイルズの方法をさらに発展させて、2001年に、すべての楕円曲線がモジュラーであることが示されました。
  • ラングランズ・プログラム:数論と表現論を結ぶ大きな研究計画の中で、ワイルズの仕事は大きな前進として位置づけられます。
  • 佐藤–テイト予想の解決:テイラーらは、ワイルズの方法を使って、楕円曲線に関する別の有名な予想(佐藤–テイト予想)を解決しました。
  • 暗号理論への間接的な影響:楕円曲線は「楕円曲線暗号」として、インターネットの安全な通信にも使われています。ワイルズの研究と暗号は直接の関係はありませんが、同じ数学の道具が基礎にあります。
  • 数学への関心:最終定理の証明は、世界中の人に数学の魅力を伝え、数学を志す若い人を増やしたといわれます。

2016年のアーベル賞では、ワイルズの業績は「モジュラー性予想を通した、フェルマーの最終定理の目をみはる証明」という趣旨で紹介されました。「数学の問題は、時間がかかっても、地道に積み上げれば解ける」ことを、世界に示した出来事だったといえます。

ワイルズに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 直角三角形の2辺が5と12のとき、斜辺(いちばん長い辺)は何ですか。
    答えと解説を見る52+122=25+144=169=1325^2+12^2=25+144=169=13^2 なので、斜辺は13。(5,12,13 は整数の組になるピタゴラス数)
  2. x2+y2=z2x^2+y^2=z^2 を満たす自然数の組で、x=6, y=8x=6,\ y=8 のときの z を求めなさい。
    答えと解説を見る36+64=100=10236+64=100=10^2 より、z=10。(3,4,5 の2倍)

ふつう

  1. 31003^{100} を7で割った余りを求めなさい。(ヒント:フェルマーの小定理 ap−1≡1 (mod p)a^{p-1}\equiv 1\ (\mathrm{mod}\ p))
    答えと解説を見る7は素数で3は7の倍数でないから、36≡1 (mod 7)3^6\equiv 1\ (\mathrm{mod}\ 7)。100=6×16+4100=6\times16+4 なので、3100≡34=813^{100}\equiv 3^4=81。81÷7=11 余り 4。答えは4。
  2. 33+43+533^3+4^3+5^3 を計算しなさい。この結果は、フェルマーの最終定理の反例になりますか。
    答えと解説を見る27+64+125=216=6327+64+125=216=6^3。しかし、最終定理が扱うのは左辺が2項(xn+yn=znx^n+y^n=z^n)の式です。左辺が3項のこの式は反例にはなりません。

むずかしい

  1. m=5, n=2m=5,\ n=2 として、x=m2−n2, y=2mn, z=m2+n2x=m^2-n^2,\ y=2mn,\ z=m^2+n^2 を計算し、x2+y2=z2x^2+y^2=z^2 になることを確かめなさい。
    答えと解説を見るx=25−4=21、y=2×5×2=20、z=25+4=29。212+202=441+400=841=29221^2+20^2=441+400=841=29^2 となり、成り立ちます。(この式は、ピタゴラス数をすべて作る公式です)
  2. 720267^{2026} を13で割った余りを求めなさい。
    答えと解説を見る13は素数なので 712≡1 (mod 13)7^{12}\equiv 1\ (\mathrm{mod}\ 13)。2026=12×168+102026=12\times168+10 なので 72026≡7107^{2026}\equiv 7^{10}。72=49≡107^2=49\equiv 10、74≡100≡97^4\equiv 100\equiv 9、78≡81≡37^8\equiv 81\equiv 3 より 710=78⋅72≡3×10=30≡47^{10}=7^8\cdot7^2\equiv 3\times10=30\equiv 4。答えは4。

ワイルズと関係する数学者

数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、数学で使う記号の読み方は数学でよく使う記号の意味一覧(Σ・∫・≡)もどうぞ。

現代(1940年以降生まれ)の数学者

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ワイルズがかかわった数学の難問

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

ワイルズは何をした人ですか?

ワイルズは、イギリスの数学者です。358年間解かれなかったフェルマーの最終定理を、谷山–志村予想の大事な場合を証明することで解決し、1995年に論文を発表しました。2016年にはこの業績などでアーベル賞を受けています。

フェルマーの最終定理とは何ですか?

3以上の自然数 n について、xⁿ+yⁿ=zⁿ を満たす0でない整数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理です。n=2 なら三平方の定理で解が無限にありますが、n=3 以上では解がありません。

ワイルズはいつフェルマーの最終定理を証明しましたか?

1993年6月にケンブリッジの講演で証明を発表しましたが、審査の過程で一部に誤りが見つかりました。ワイルズはテイラーの協力を得て、1994年9月に修正の方法を見つけ、1995年に証明の論文が出版されました。

谷山–志村予想とワイルズの証明の関係は?

谷山–志村予想は、楕円曲線がモジュラー形式に対応するという予想です。フレイとリベットの仕事により、この予想が正しければ最終定理も正しいと分かっていました。ワイルズは、その予想の大事な場合を証明しました。

ワイルズはなぜフィールズ賞をもらえなかったのですか?

フィールズ賞は、受賞する年の1月1日に40歳未満という決まりがあります。ワイルズは証明の時に40歳をこえていたため対象外でした。1998年に国際数学者会議から、特別の銀の盾(IMU銀賞)が贈られています。

ワイルズはどんな賞を受けましたか?

1996年のウルフ賞、1998年のIMU銀賞、2000年のナイト爵(サーの称号)、2005年のショウ賞、2016年のアーベル賞、2017年のコプリー・メダルなどがあります。

ワイルズは何歳でフェルマーの最終定理を知りましたか?

本人のインタビューなどによると、10歳のころ地元の図書館の本でこの問題を知ったと語られています。意味が分かりやすいのに誰も解けない問題に、強くひかれたということです。

フェルマー本人は証明を持っていたのですか?

フェルマーは、本の余白に「真に驚くべき証明を発見した」と書いたと伝えられます。しかしその証明は残っておらず、多くの数学者は、当時の道具で完全な証明は難しかったと考えています。ワイルズの証明は、20世紀の数学を使ったものです。

ワイルズの業績は中学受験や高校受験に関係しますか?

証明そのものは大学院レベルですが、出発点の三平方の定理(x²+y²=z²)は中学3年で習います。高校では、フェルマーの小定理や合同式など、整数問題で使う考え方が大学入試に出ます。

ワイルズの名言はありますか?

数学の研究を「暗い部屋に入って家具の場所を手探りで覚え、やがて明かりのスイッチを見つけること」にたとえたと紹介されます。言いまわしは出典で差があるため、原典のインタビューで確かめてください。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Andrew Wiles」(セント・アンドルーズ大学)
  • A. Wiles, “Modular elliptic curves and Fermat’s Last Theorem”, Annals of Mathematics 141(1995年)
  • R. Taylor and A. Wiles, “Ring-theoretic properties of certain Hecke algebras”, Annals of Mathematics 141(1995年)
  • アーベル賞委員会「Andrew Wiles」(2016年、abelprize.no)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦