ペレルマンは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|ポアンカレ予想・フィールズ賞辞退・ミレニアム賞

ペレルマンは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|ポアンカレ予想・フィールズ賞辞退・ミレニアム賞

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ペレルマンGrigori Perelman

ひとことで言うと

1904年から解けなかったポアンカレ予想を、リッチフローと「手術」で解決した、ロシアの数学者。フィールズ賞とミレニアム賞を辞退したと報じられた。

名前グリゴリー・ペレルマン(Grigori Perelman)
生年1966年6月13日〜(存命)
国ロシア(ソ連のレニングラード生まれ)
分野幾何学・トポロジー(幾何解析)
主な業績ポアンカレ予想・サーストンの幾何化予想の解決(2002〜2003年の論文)、ソウル予想の証明(1994年ごろ)
主な賞国際数学オリンピック金メダル(1982年)。フィールズ賞(2006年)とミレニアム賞(2010年)は辞退と報じられる
名前がつくものペレルマンのエントロピー、手術つきリッチフロー(ペレルマンの方法)

このページのポイント

  • 2002〜2003年の3本の論文で、ポアンカレ予想(「輪ゴムが縮められる3次元空間は球」)を解決した。ミレニアム懸賞問題で解決された唯一の問題
  • ハミルトンのリッチフロー(曲がりをならす流れ)に、くびれを切ってふたをする「手術」を加えて、特異点の壁をのりこえた
  • 2006年のフィールズ賞と2010年のミレニアム賞を辞退したと報じられた。業績は『サイエンス』誌の2006年のブレークスルーに

ペレルマンは何をした人?(業績をひとことで)

グリゴリー・ペレルマン(Grigori Perelman、1966年生まれ)は、ロシアの数学者です。1904年にポアンカレの業績と生涯が問いを出して以来、100年以上解けなかったポアンカレ予想を、2002〜2003年に公開した3本の論文で解決したことで世界に知られています。ポアンカレ予想は、アメリカのクレイ数学研究所が2000年に発表した7つの「ミレニアム懸賞問題」の1つで、これまでに解決されたのはこの1問だけです。

ペレルマンは、その成果に対して贈られるはずだった2006年のフィールズ賞と、2010年のミレニアム賞(賞金100万ドル)を、どちらも辞退したと報じられています。数学の賞を辞退した人は、ほかにほとんどいません。そのため、ペレルマンの名前は、業績の大きさと同じくらい、この出来事でも知られるようになりました。

この記事では、ペレルマンの人柄や私生活についての推測は書きません。公表された論文・受賞の記録・公に報じられた事実だけで、「何が問題で、どう解かれたのか」を、図とたとえ話で説明します。球やドーナツの形の話ですので、小学生でも想像しながら読めるように書きました。数式は少なめです。

うかるくん

うかるくん

ポアンカレ予想って、球の話なんですよね。でも、球ならもう知ってるような……。

合格先生

合格先生

私たちが知っている球は2次元(表面)の球だね。ポアンカレ予想は、3次元の球の話。宇宙の形を考えるのにも関係する、とても大きな問いなんだ。

ペレルマンの生涯と年表

ここでは、公式の経歴と、公に報じられた受賞・辞退の事実だけを書きます。

レニングラードで生まれ、数学の特別学校へ

ペレルマンは1966年6月13日、ソビエト連邦のレニングラード(今のサンクトペテルブルク)で生まれました。10代のころに、数学と物理を重点的に教えるレニングラード第239特別学校に入りました。1982年には、ブダペストでの国際数学オリンピック(IMO)で満点をとり、金メダルを受けたと記録されています。数学オリンピックについては数学オリンピックの問題(長方形に詰めた正方形)も参考になります。

レニングラード大学からスチェクロフ研究所へ

1982年にレニングラード大学(今のサンクトペテルブルク大学)に入り、1987年に卒業しました。1990年には、スチェクロフ数学研究所のレニングラード支部で「ユークリッド空間の鞍型曲面」という論文で博士の学位を受けています。1990年代には、アメリカの大学などでも研究したことが知られています。この時期に、「アレクサンドロフ空間」という、とがった点があっても幾何学が考えられる空間の研究などで業績をあげました。また、1994年ごろには、幾何学の長年の問題「ソウル予想」(チーガーとグロモルが出した予想)を解いたことでも知られます。

2002〜2003年、3本の論文をインターネットで公開

2002年11月、ペレルマンは「リッチフローのエントロピー公式とその幾何学的な応用」という論文をインターネット上に公開しました。続いて2003年に、「3次元多様体の手術つきリッチフロー」「ある3次元多様体の上のリッチフローの有限時間消滅」を公開しました。この3本は、ポアンカレ予想とサーストンの幾何化予想の証明の道すじを示すものでした。ふつうの数学の論文のように雑誌に投稿するのではなく、ネット上で公開したことも話題になりました。

検証と、数学界の評価

ペレルマンの論文は短く、細かい部分が省略されていたため、世界の数学者たちが数年かけて詳しい解説と検証を行いました。クライナーとロット、モーガンとティアン、曹懐東(ツァオ)と朱熹平(ジュー)らによる検証論文が発表され、2006年ごろまでに、証明は正しいと広く認められました。同じ2006年、アメリカの科学雑誌『サイエンス』は、この成果をその年の「ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー」に選びました。

フィールズ賞とミレニアム賞の辞退

2006年8月、スペインのマドリードで開かれた国際数学者会議で、ペレルマンにフィールズ賞が決まりました。しかしペレルマンは受け取らず、フィールズ賞を辞退した最初の人物になりました。2010年3月には、クレイ数学研究所が、ペレルマンがミレニアム賞の条件を満たしたと発表しました。ペレルマンは同年7月にこの賞も辞退したと報じられています。辞退の理由については、ペレルマン自身の短い発言や報道があるものの、くわしい説明はなく、憶測は書きません。

ポアンカレ予想の流れ1904ポアンカレが問いを出す1982ハミルトンがリッチフローを考える2002〜03ペレルマンの3本の論文2006フィールズ賞(辞退)2010ミレニアム賞(辞退)106年かかった問いに、答えが出た
ポアンカレ予想の流れ。1904年の問い→1982年のリッチフロー→2002〜03年のペレルマンの論文→2006年・2010年の賞の辞退
年できごと
1966年6月13日、ソ連のレニングラード(今のサンクトペテルブルク)で生まれる
1980年ごろレニングラード第239特別学校に入る(年は資料により確かめきれない)
1982年国際数学オリンピックで満点・金メダル。レニングラード大学に入学
1987年レニングラード大学を卒業
1990年スチェクロフ数学研究所で博士の学位を受ける
1994年ごろ「ソウル予想」の証明を発表
2002年11月、リッチフローの論文第1作をインターネットで公開
2003年第2作・第3作の論文を公開。アメリカで講演を行う
2005年12月、スチェクロフ研究所を辞める
2006年8月、フィールズ賞が決まるが辞退。『サイエンス』誌の年間ブレークスルーに
2010年3月、クレイ数学研究所が賞の条件を満たしたと発表。7月、賞を辞退したと報じられる

ペレルマンの主な業績をやさしく解説

業績1 ポアンカレ予想とは?「輪ゴムを縮められる立体は球だけ?」

まず、2次元の話から始めましょう。地球儀のような球の表面に、輪ゴムをかけたとします。ゴムを表面にそってずらしていけば、どんな輪ゴムも1点まで縮められます。ところが、ドーナツの表面では、穴にとおした輪ゴムはひっかかって、1点には縮められません。この「輪ゴムが縮められるかどうか」は、形の性質を調べるときの大事な目印です(くわしい球の公式は球の体積と表面積の公式)。

輪ゴムを縮められる?球面:縮められる→ 1点になるドーナツ:縮められない→ 穴にひっかかる「縮められる」立体は球だけ?(3次元でも?)
球の表面では輪ゴムを1点に縮められるが、ドーナツの表面では穴にひっかかって縮められない

2次元の曲面については、「輪ゴムがどれも縮められる曲面は、球だけ(と同じ形のもの)」ということが、19世紀までに分かっていました。では、3次元ではどうでしょうか。1904年、ポアンカレの業績と生涯はこう問いました。「輪ゴムがどれも縮められる、閉じた3次元の空間は、3次元の球と同じ形か?」。これがポアンカレ予想です。ここでいう3次元の球は、私たちが知る「球体」(中身のつまった球)の表面ではなく、4次元空間の中の球の表面のことで、想像するのはむずかしい形です。

ポアンカレ予想は、数学のリーマンの業績と生涯にはじまる「多様体」の研究と深く結びついています。多様体は、「小さく見ればふつうの空間(平面や空間)に見えるが、全体では曲がっていたりつながっていたりする図形」のことです。地球の表面は、小さく見れば平面ですが、全体は球です。

ここで出てくる2つの言葉も、たとえで覚えておきましょう。「閉じている」とは、果てがなく、ふちがない(球の表面のように、どこまで行っても行き止まりにならない)ということです。「単連結」とは、「どんな輪ゴムも、空間の外に出ずに1点まで縮められる」ということで、穴や取っ手がない、と言いかえることもできます。つまりポアンカレ予想は、「穴も取っ手もない、閉じた3次元の空間は、3次元の球しかない」という、とても短くて美しい問いなのです。問いが短くて分かりやすいことは、フェルマーの最終定理とも共通しています。ところが、その答えを出すのに、世界の数学者が100年以上かかりました。

業績2 ほかの次元で先に解かれ、3次元が最後に残った

おもしろいことに、ポアンカレ予想の「4次元以上の球」の場合は、3次元より先に解かれました。5次元以上はスティーヴン・スメールが1960年ごろに、4次元はマイケル・フリードマンが1982年に解決しました(どちらもフィールズ賞を受けています)。次元が低いほど、図形の動かせる自由が少ないので、かえってむずかしくなるのです。

次元ごとの決着(高い次元から)5次元以上スメール(1960年ごろ)4次元フリードマン(1982年)3次元ペレルマン(2002〜03年)1904年の問いが、いちばん低い次元で最後に残った
5次元以上はスメール、4次元はフリードマンが解決。3次元が最後に残り、ペレルマンが解いた

3次元に挑む道を開いたのが、アメリカのサーストンの業績と生涯です。サーストンは1982年ごろに「幾何化予想」を提案しました。これは「3次元の多様体は、どんなものでも、8種類の標準的な幾何学の部品に切り分けられる」という、ポアンカレ予想よりも大きな予想です。ポアンカレ予想は、この幾何化予想の特別な場合になります。

業績3 リッチフローで形をならす(ハミルトンの方法を使って)

同じ1982年、アメリカの数学者リチャード・ハミルトンは、リッチフローという方法を考えました。これは、熱が高いところから低いところへ流れて温度がならされるように、図形の曲がり具合をならしていく方法です。でこぼこの形に「熱」を流すと、時間がたつにつれて、でこぼこがなくなって、まんまるの球に近づいていきます。

リッチフロー:形がなめらかになっていくでこぼこならされる球熱がひろがって温度がならされるのと似ている(ハミルトンが1982年に考えた方法)
リッチフローは、熱の広がりのように、図形の曲がりぐあいをならしていく。でこぼこの形が、やがて球になる

ハミルトンは、このリッチフローを使って、サーストンの幾何化予想やポアンカレ予想を解くという計画を立てました。リッチフローがうまく働けば、どんな3次元空間も、輪ゴムが縮められるのなら、最後にまんまるの3次元の球になるはずです。ただし、リッチフローには大きな壁がありました。流れていく途中で、形の一部がどんどん細くなって、とがった点(特異点)になってしまうことがあるのです。そうなると、計算がそこでこわれて、先に進めなくなります。

業績4 「手術つきリッチフロー」で壁をのりこえた

ペレルマンは、この壁をのりこえる新しい考え方を作りました。まず、形が細くなりすぎて危なくなったところを、あらかじめ見つけるための新しい量(エントロピーとよばれる量など)を発明しました。次に、くびれが細くなったら、そこを切りはなして、切り口にまんまるのふたをかぶせ、またリッチフローを続けるという、「手術」の方法を完成させました。

手術:くびれを切って、ふたをする①くびれが細くなる②切る③ふたふたをして、またリッチフローを続ける
細くなったくびれを切り、ふたをして、なめらかな球に分ける。これが「手術つきリッチフロー」の考え方

手術を何回かくりかえしても、有限の回数で終わることを示し、最後に残る部品が、サーストンが予想した標準的な幾何学の部品になることを示しました。これで、ポアンカレ予想も幾何化予想も、証明の道すじが通りました。幾何学・解析学・物理学(エントロピーなど)の考え方を組み合わせた、とても独創的な証明だと評価されています。

業績5 それより前の研究:アレクサンドロフ空間とソウル予想

ペレルマンは、ポアンカレ予想より前から、幾何学の分野で第一線の研究者として知られていました。1990年代には、アレクサンドロフ空間の研究で大きな成果をあげ、1994年ごろには、チーガーとグロモルが1972年に出したソウル予想(曲がり方に条件のある空間の「芯」についての予想)を、短い論文で解決したことで評価されました。ポアンカレ予想の仕事は、こうした幾何学の深い力の上に立っています。

ペレルマンの名前がつく公式・定理・用語

ペレルマンの名前がつく用語は、大学院レベルの数学のものです。主なものを整理しておきます。

  • ペレルマンのエントロピー(F\mathcal{F} 汎関数・W\mathcal{W} 汎関数):リッチフローの途中で形がどうなるかを調べるための量。
  • 手術つきリッチフロー:リッチフローの途中でできるくびれを切って、ふたをする方法。
  • ポアンカレ予想(定理):単連結な閉3次元多様体は3次元球面と同相。ペレルマンの結果により、いまは定理です。
  • 幾何化定理(サーストンの幾何化予想):3次元多様体は標準的な幾何学の部品に切り分けられる。

高校数学までで関係するのは、「球」と「多面体」の性質です。球の公式は球の体積と表面積の公式で、また、多面体の面・辺・頂点の関係はオイラーの多面体定理 V−E+F=2で学べます。この「V−E+F」という数は、ふくらませた形のトポロジー(形の性質)を表す、いちばんかんたんな例です。たとえば正多面体の種類と性質は、どれも V−E+F=2 で、球面と同じ仲間です。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

立方体も、正二十面体も、ふくらませれば球になるね。だから V−E+F=2。ドーナツ型の多面体なら V−E+F=0 になる。この「数」の差が、形の穴の数の目印になるんだ。トポロジーの入口だよ。

ペレルマンの逸話と名言

ペレルマンについては、報道などでさまざまなことが書かれていますが、ここでは公式の記録として確かめられることと、報道で趣旨が広く伝えられていることだけを紹介します。人柄や私生活についての推測は書きません。

数学オリンピック満点、数学の特別学校

1982年の国際数学オリンピックで、ペレルマンは満点で金メダルを受けたとされます。数学に早くから強くひかれていたこと、特別な学校で学んでいたことは、公式の経歴に記録されています。

論文を雑誌に投稿しなかった

2002〜2003年の3本の論文は、雑誌に投稿せず、インターネットで公開されました。のちにこの形が「新しい論文の出し方」として注目されました。論文を読んだ数学者たちは、短い論文の行間をうめる大きな作業を、数年かけて行いました。

フィールズ賞の辞退

2006年のフィールズ賞を辞退したとき、報道では、ペレルマンが「賞金や名声には関心がない」という趣旨のことを述べたと伝えられました。ただし、発言の原文や正確な言いまわしは出典によって差があります。ここでは辞退したという事実だけを書きます。

ミレニアム賞の辞退

2010年にクレイ数学研究所の賞が発表されたときも、ペレルマンは辞退したと報じられました。ロシアの通信社の取材に、リチャード・ハミルトンの貢献も自分と同じくらい大きいという趣旨のことを答えたと伝えられています。くわしい理由は、ペレルマン自身が詳しく説明していないため、確かめられません。

公の場にほとんど出ない

ペレルマンは、2005年末にスチェクロフ研究所を辞めて以来、公の場やメディアに出ることがごく少ない、と報じられています。ここでは、これが公に報じられていることのみを書き、理由や生活については推測しません。

サクラちゃん

サクラちゃん

100万ドルをもらわなかったなんて、ふしぎです……。

合格先生

合格先生

人それぞれ、大事にするものはちがうよね。大切なのは、ペレルマンが解いた問題の答えは、だれでも読める形で残っているということ。数学の成果は、賞より先に「正しさ」で評価されるんだ。

受験・勉強とペレルマンのつながり

中学受験・高校受験:立体と展開図、多面体

中学受験では、立方体や角柱、円柱などの立体の展開図や、切断の問題が出ます。立体を「ひらく」「切る」「つなぐ」という操作は、トポロジーの発想の入口です。ペレルマンの手術も、形を切ってふたをする操作でした。中学数学では、オイラーの多面体定理を使って、辺の数を求める問題が出ることもあります。

大学受験:空間図形と微分

大学受験では、回転体の体積や、空間図形の問題が出ます。ペレルマンの仕事に関係する本格的な数学(微分幾何学・トポロジー)は大学で学びますが、その土台になるのは、微分とはの考え方と球の性質の理解です。「曲がり具合を測る」という発想は、高校の微分で習う曲線の凹凸(2階微分)と地続きです。

数学オリンピックと勉強法

ペレルマンは数学オリンピックで満点をとったことでも知られます。数学オリンピックをめざす人は、数学オリンピックの問題(長方形に詰めた正方形)のような問題で、発想力を磨くのが近道です。ペレルマンの研究では、一つの問題に長い年月をかけて向き合うという姿勢が見られます。受験勉強でも、むずかしい問題を時間をかけて考えぬく経験は大きな力になります。勉強法は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。

ほかの大問題とくらべる:フェルマーの最終定理

ペレルマンのポアンカレ予想と並ぶ大問題が、ワイルズの業績と生涯が解いたフェルマーの最終定理です(フェルマーの最終定理とは?わかりやすく解説)。どちらも「問いは分かりやすいのに、解くのに100年以上かかった」問題でした。

ペレルマンがその後の数学にあたえた影響

  • 3次元多様体の分類の完成:幾何化予想が証明されたことで、3次元の閉じた空間の形が、標準的な部品の組み合わせで理解できるようになりました。
  • リッチフロー研究の発展:ペレルマンの手法は、その後の幾何解析の研究の大きな柱になり、高次元や、ほかの曲がり具合の流れ(曲率流)の研究にも広がっています。
  • 宇宙の形への関心:「宇宙の形」を考えるときの数学として、3次元多様体の理論が注目されるきっかけにもなりました。
  • 論文の出し方への影響:インターネットで論文を公開し、世界の研究者が検証する、という新しい研究の流れを広めたと語られます。
  • ミレニアム懸賞問題:7問のうち、いまのところ解決されたのはポアンカレ予想の1問だけです。残りには、リーマン予想やPとNP問題などがあります。リーマンの業績と生涯の名前がつくリーマン予想も、その1つです。

ペレルマンの証明は、ガウスの業績と生涯に始まる曲面の幾何学(曲がり具合を数で表す)が、約200年かけて発展した先にある、大きな到達点のひとつとして位置づけられています。

ペレルマンに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 立方体の頂点の数 V、辺の数 E、面の数 F を答え、V−E+F を計算しなさい。
    答えと解説を見るV=8、E=12、F=6 なので、V−E+F=8−12+6=2。(どんな凸多面体でも2になります)
  2. 正二十面体は、頂点が12個、面が20個あります。辺は何本ですか。
    答えと解説を見るV−E+F=2 に代入して、12−E+20=2。よって E=30。

ふつう

  1. 半径3の球の体積を求めなさい。
    答えと解説を見る体積の公式 43πr3\dfrac{4}{3}\pi r^3 に r=3 を入れて、43π×27=\dfrac{4}{3}\pi\times27=36π。
  2. 地球儀で、北極から赤道に向かう2本の経線が、北極で直角に交わっています。この2本と赤道で作る球面上の三角形の3つの角の和は何度ですか。
    答えと解説を見る赤道と経線はどこでも直角に交わるので、3つの角は90°、90°、90°。和は270°。(球面の三角形の内角の和は、180°より大きくなります)

むずかしい

  1. 穴が1つあるドーナツ形の多面体(V−E+F=0)で、頂点が16、辺が32のとき、面は何枚ですか。
    答えと解説を見るV−E+F=0 より 16−32+F=0。よって F=16。(球と同じ形の多面体なら2、ドーナツ形なら0になります)
  2. 半径1の球面の上に、3つの角がすべて直角の三角形があります。この三角形の面積を求めなさい。
    答えと解説を見る3つの角が直角の三角形は、球面を8等分した1つ分になります(赤道と経線を使った8つの部分)。球面全体の面積は 4π4\pi なので、4π÷8=4\pi\div8=π/2。

ペレルマンと関係する数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

ペレルマンは何をした人ですか?

ペレルマンは、ロシアの数学者です。100年以上解けなかったポアンカレ予想を、2002〜2003年に公開した3本の論文で解決しました。この業績で2006年のフィールズ賞が決まりましたが、辞退したと報じられています。

ポアンカレ予想とは何ですか?

「輪ゴムがどれも1点に縮められる、閉じた3次元の空間は、3次元の球と同じ形か」という、1904年にポアンカレが出した問いです。2次元の球面では輪ゴムを縮められますが、ドーナツの表面では縮められない、という身近な例から考えます。

ペレルマンはどうやってポアンカレ予想を解いたのですか?

ハミルトンが考えたリッチフロー(図形の曲がりをならす流れ)を使いました。流れの途中でくびれが細くなりすぎる壁を、くびれを切ってふたをする「手術」の方法でのりこえ、サーストンの幾何化予想とともに証明の道すじを示しました。

ペレルマンはなぜフィールズ賞を辞退したのですか?

2006年のフィールズ賞を受け取らなかったことは、広く報じられています。理由について、ペレルマン自身が詳しく説明した記録はなく、報道で趣旨が伝えられている程度です。ここでは辞退したという事実のみを書きます。

ミレニアム賞(100万ドル)も辞退したのですか?

2010年3月にクレイ数学研究所がペレルマンが条件を満たしたと発表し、同年7月に辞退したと報じられました。ミレニアム懸賞問題の7問のうち、解決されたのはポアンカレ予想の1問だけです。

リッチフローとは何ですか?

リチャード・ハミルトンが1982年に考えた方法で、熱が広がって温度がならされるように、図形の曲がり具合をならしていく流れです。でこぼこの形が、だんだんなめらかな形に近づいていきます。

ペレルマンは数学オリンピックに出たのですか?

1982年の国際数学オリンピック(ブダペスト)で、満点の成績で金メダルを受けたと記録されています。当時はソ連の代表の一人でした。

ペレルマンはどこの国の数学者ですか?

1966年にソビエト連邦のレニングラード(今のロシアのサンクトペテルブルク)で生まれ、スチェクロフ数学研究所で研究したロシアの数学者です。1990年代にはアメリカの大学でも研究しました。

ペレルマンの業績は受験にも関係がありますか?

証明そのものは大学院レベルですが、球・多面体・展開図・オイラーの多面体定理(V−E+F=2)は中学・高校で習います。立体を切ったりつないだりして考える発想は、中学受験の立体問題の入口でもあります。

ポアンカレ予想は「証明された」のですか?

はい。ペレルマンの論文を、クライナーとロット、モーガンとティアン、曹懐東と朱熹平らが詳しく検証し、2006年ごろまでに正しいと広く認められました。いまでは「ポアンカレ予想」ではなく定理として扱われます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Grigori Perelman」(セント・アンドルーズ大学)
  • G. Perelman, “The entropy formula for the Ricci flow and its geometric applications”(2002年)
  • G. Perelman, “Ricci flow with surgery on three-manifolds”(2003年)
  • クレイ数学研究所「Poincaré Conjecture」(claymath.org)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦