コワレフスカヤは何をした人?業績・生涯・名言|女性初の数学博士・コワレフスカヤのこま

コワレフスカヤは何をした人?業績・生涯・名言|女性初の数学博士・コワレフスカヤのこま

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コワレフスカヤSofia Kovalevskaya

ひとことで言うと

19世紀ロシアに生まれ、女性で初めて数学の博士号を得た一人。偏微分方程式の定理と、回転する「コワレフスカヤのこま」で名を残した。

名前ソフィア・コワレフスカヤ(Sofia Kovalevskaya)
生没年1850年1月15日〜1891年2月10日(41歳)
国ロシア(モスクワ生まれ、ストックホルムで教授・亡くなる)
分野解析学・偏微分方程式・力学
主な業績コーシー・コワレフスカヤの定理、コワレフスカヤのこま(ボルダン賞)、アーベル積分、土星の環の研究
名前がつくものコーシー・コワレフスカヤの定理・コワレフスカヤのこま・コワレフスカヤ賞
よばれ方女性で初めて数学の博士号を得た一人/ヨーロッパの大学で数学の教授になった最初の女性の一人

このページのポイント

  • 1874年、ドイツのゲッティンゲン大学で数学の博士号を得た。女性の数学博士の先がけとされる
  • 偏微分方程式に解があることを示したコーシー・コワレフスカヤの定理と、解ける回転運動の3つ目の場合コワレフスカヤのこまで知られる
  • 1888年にボルダン賞、1889年にスウェーデンの終身教授。41歳で亡くなるまで、数学と文学の両方で活躍した

コワレフスカヤは何をした人?(業績をひとことで)

ソフィア・コワレフスカヤ(1850〜1891年)は、ロシア生まれの数学者です。女性で初めて数学の博士号を得た人の一人であり、ヨーロッパの大学で女性として初めて数学の教授になった人としても知られています。偏微分方程式の「コーシー・コワレフスカヤの定理」と、回転する物体の運動を解いた「コワレフスカヤのこま」で、数学と物理の歴史に名前を残しました。小説や回想録も書いた作家でもあります。わずか41年の人生でしたが、その仕事は今も教科書にのっています。

受験生にとってのコワレフスカヤは、まず「女性が学問をする道を切りひらいた人」です。同時に、大学の理系で学ぶ微分の意味や微分の公式、1階線形微分方程式の解き方が、「いつ解けるのか」「解は1つに決まるのか」という大きな問いにつながっていることを教えてくれます。力学では、こまの回転運動(回転体の体積と回転運動の発展)の最後の「解ける場合」を見つけた人です。

サクラちゃん

サクラちゃん

女の人が数学の博士になるのって、今は普通ですけど、昔は大変だったんですか?

合格先生

合格先生

とても大変だったよ。コワレフスカヤが生きた19世紀のロシアには、女性が入れる大学がなかった。ドイツの大学も女性の入学を認めていなかった。彼女は知恵とねばりで、その壁を一つずつこえていったんだ。

コワレフスカヤの肖像写真
1880年から1885年ごろのコワレフスカヤ(ワイエルシュトラスのための写真アルバムより)画像:作者不明(ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)

コワレフスカヤの生涯と年表

壁紙が微分積分のノートだった家

ソフィア・コワレフスカヤは、1850年1月15日(新しい暦)、ロシアのモスクワに生まれました。父はロシア軍の将軍で、一家は地方の領地で暮らしました。自分の回想録によると、子ども部屋の壁紙が足りなくなったとき、物置にあったオストログラツキーの微分積分の講義ノート(石版刷り)が貼られ、ソフィアは毎日その式をながめて育った、と書かれています。意味は分からなくても、式の見た目が頭に残り、のちに家庭教師から微分積分を習ったとき、「これは見たことがある」と感じて、すぐに理解した、というエピソードです。

結婚して、外国へ出る

当時のロシアでは、女性は大学に入れず、外国で学ぶには、父か夫の許可が必要でした。ソフィアは、同じように学問を志す若い研究者ウラジミール・コワレフスキー(のちの古生物学者)と、1868年に「名目上の結婚」をします。これで外国へ出る道が開けました。のちに2人は本当の夫婦のように暮らし、1878年には娘が生まれたと伝えられています。

ハイデルベルクからベルリンへ

1869年、ソフィアはドイツのハイデルベルクで、物理学や数学の講義を、正式の学生としてではなく特別の許可で聴講しました。そして1870年(1871年にかけて)、ベルリンへ移り、当時の数学界の中心にいたワイエルシュトラス(ε-δ論法)を訪ねます。ベルリン大学は女性の入学を認めなかったため、ワイエルシュトラスは個人的に彼女を教えることにしました。約4年間、毎週のように教えたとされます。ソフィアは、ワイエルシュトラスにとって、いちばん大切な教え子の一人になりました。

1874年、博士号をとる

1874年、ソフィアは3つの論文を書き上げ、ゲッティンゲン大学から博士号を授与されました。本人が大学へ行かなくても(欠席のまま)、口頭試験も免除されて、最優秀の評価でした。3つの論文は、偏微分方程式・アーベル積分・土星の環についてです。博士号は、ヨーロッパの近代の大学で、女性が数学の分野で受けた最初の博士号の一つとされています。

数学の仕事が見つからない日々

博士号を持っていても、ロシアに帰ったソフィアには、大学での仕事がありませんでした。約6年間、数学の研究から離れ、新聞に評論や科学の紹介記事を書いたり、家庭を支えたりして暮らしたと伝えられています。1880年、数学者チェビシェフに招かれて学会で講演をし、ふたたび研究へ戻ります。

ストックホルムの教授に

1883年、夫ウラジミールが亡くなり、ソフィアは深い悲しみの中にありました。その後、スウェーデンの数学者ミッタク=レフラーの招きで、ストックホルム大学(当時の新しい学校)に着任します。1883年に講師、1884年に教授(最初は5年の任期つき)となり、ヨーロッパの大学で数学の教授になった女性として世に知られるようになりました。ソフィアは、短い期間でスウェーデン語を身につけ、やがてスウェーデン語で講義をしたといわれます。

こまの研究と、ボルダン賞

1888年、回転するこまの運動を解いた論文で、フランス科学アカデミーのボルダン賞を受けました。この論文は、審査員たちがその内容のすばらしさに感動し、賞金が増額されたと伝えられています。1889年には、スウェーデン科学アカデミーの賞と、ロシア科学アカデミーの通信会員の地位を得て、ストックホルムでは終身の教授に任命されました。

41歳の死

1891年2月10日、旅行から帰った直後にかぜをひき、肺炎が重なって、ストックホルムで亡くなりました。41歳でした。「もっと多くの仕事ができたはずだった」と、のちの数学者たちが惜しんだ人です。

年できごと
1850年1月15日、ロシアのモスクワで生まれる
1868年ウラジミール・コワレフスキーと結婚(外国へ出るため)
1869年ドイツのハイデルベルクで講義を聴講する
1870年ベルリンで、ワイエルシュトラスの個人指導を受けはじめる
1874年ゲッティンゲン大学の博士号(偏微分方程式・アーベル積分・土星の環)
1878年娘が生まれたと伝えられる
1880年数学者の学会で講演し、研究を再開する
1883年夫が亡くなる。ストックホルム大学の講師になる
1884年ストックホルム大学の教授に(5年の任期つき)
1888年回転するこまの論文で、フランス科学アカデミーのボルダン賞
1889年終身の教授に。ロシア科学アカデミーの通信会員にも選ばれる
1891年2月10日、ストックホルムで亡くなる(41歳)
旅の道すじ(ロシア→ドイツ→スウェーデン)モスクワ(ロシア)1850年 生まれるハイデルベルク1869年 講義を聴くベルリン1870年〜 ワイエルシュトラスに学ぶゲッティンゲン1874年 博士号ストックホルム1883年〜 教授に
コワレフスカヤの旅の道すじ(おおまかな位置)。ロシアで生まれ、ドイツで学び、スウェーデンで教授になった
41年の人生1850年誕生1874年博士号1888年ボルダン賞1868年結婚1883年ストックホルムへ1891年死去(41歳)女性が大学で学びにくい時代に、道を切りひらいた
コワレフスカヤの41年の人生。1874年に博士号、1888年にボルダン賞

コワレフスカヤの主な業績をやさしく解説

業績1 コーシー・コワレフスカヤの定理(偏微分方程式)

微分の意味をふくむ方程式を、微分方程式といいます。変数が1つなら「常微分方程式」、変数が2つ以上なら「偏微分方程式」です。波の動き・熱の伝わり方・水の流れ・音など、自然の多くの現象が偏微分方程式で表されます。

では、偏微分方程式には、本当に解があるのでしょうか。解があるなら、1つに決まるのでしょうか。コワレフスカヤは、博士論文でこの問いに答えました。

その内容はこうです。「時間とともに変化を表す形の偏微分方程式で、方程式の形も、はじめの状態も、なめらかな(解析的な)関数なら、ごく短い時間のあいだ、解がただ1つ決まる」。これをコーシー・コワレフスカヤの定理といいます。コーシー(極限の厳密化)が特別な場合を先に証明していたので、2人の名前がつきました。

はじめの形が決まれば、先が決まるt=0:u=x²t=1:u=(x+1)²xu_t=u_x ・ はじめ u=x² → 解 u=(x+t)²
はじめの形(t=0)が決まれば、少し先の解がただ1つ決まる。u_t=u_x ではt=1で左へ1だけ動く

たとえば、ut=uxu_t=u_x という方程式で、はじめの形が u(x,0)=x2u(x,0)=x^2 なら、解は u=(x+t)2u=(x+t)^2 です。放物線が、時間とともに左へ動いていきます。このように、はじめを決めれば、先がただ1つに決まるという考えは、天気予報や物体の運動の計算の土台です。解の「存在」と「一意性」を調べるという、現代の微分方程式論の出発点になった定理です。

ここで大切なのは「解析的」という言葉です。関数が解析的とは、その点のまわりで、べき級数(a0+a1x+a2x2+⋯a_0+a_1x+a_2x^2+\cdots の形)で表せるほどなめらかなことをいいます。多項式や exe^x、sin⁡x\sin x はすべて解析的です。コワレフスカヤは、解をべき級数でさがし、その係数が一つずつ決まっていくことを示し、さらに、そのべき級数が実際に収束することまで証明しました。「係数が決まる」だけでなく「その級数が意味を持つ」ことを示したのが、証明の難しいところで、のちの優れた方法(優級数の方法)として教科書に残っています。また、この定理は「はじめの状態を決めれば、そのあとの動きが決まる」という、自然科学の決定論の考え方を数学として裏づけるものでもあります。ただし、解析的でない関数ではこの定理は成り立たない例もあり、その点もまた、のちの研究の出発点になりました。

業績2 コワレフスカヤのこま(剛体の回転)

回転するこまの運動は、オイラー・ラグランジュの時代から、数学者と物理学者の大きな問題でした。重力の下で回転する重い剛体(形が変わらない物体)の運動は、一般にはとても複雑で、式を完全に解くことができません。

ただし、特別な場合だけは解けることが分かっていました。オイラーは「重心が支点にある場合」を、ラグランジュは「軸のまわりが対称で、重心が軸の上にある場合」を解きました。そのあと、100年近く、新しい「解ける場合」は見つかっていませんでした。

解けるこまは3種類だけオイラー重心が支点にあるラグランジュ軸のまわりが対称コワレフスカヤI₁=I₂=2I₃重心は赤道面3つ目は、1888年にコワレフスカヤが見つけた(ほかの場合は、ふつうの式では解けないとされる)
回転する重い剛体で、式が解ける場合は3つ。3つ目が、コワレフスカヤが見つけた場合

1888年、コワレフスカヤは、3つ目の解ける場合を見つけました。物体の3つの軸のまわりの回りにくさ(慣性モーメント)を I1,I2,I3I_1,I_2,I_3 とするとき、I1=I2=2I3I_1=I_2=2I_3 で、重心が赤道面(対称軸に垂直な面)にあるこまです。この場合は、テータ関数などの高度な関数を使うと、運動が解けることを示しました。これを「コワレフスカヤのこま」といいます。

この仕事は、フランス科学アカデミーのボルダン賞を受賞しました。その後、ポアンカレらは、「ほかに解ける場合は、おそらくない」ことを示す研究を進めています。「解ける場合」を見つける研究は、のちの「可積分系」とよばれる分野に発展し、今も世界で研究されています。

業績3 アーベル積分と、土星の環

博士論文のほかの2つも、数学史に残る仕事です。アーベル積分の論文では、ある種の積分を、より簡単な楕円積分に直せる条件を調べました。これは、アーベルやワイエルシュトラスが整えた、複素関数の積分の理論に関わる専門的な話です。

もう1つは、土星の環の形についての論文です。ラプラスは、土星の環を「回転する流体の輪」と考えて、その形を数学で説明しようとしていました。コワレフスカヤは、ラプラスが使った近似を見直し、より正確に環の形を考え直しました。

土星の環の形を数学で調べた土星環はどんな形なら安定してまわれるか(ラプラスの考えを、1874年の論文で見直した)
土星と環。環は、どんな形ならこわれずに回りつづけられるかを数学で調べた

なお、土星の環が細かい氷や岩のつぶの集まりであることは、のちの時代に分かりました。しかし、「天体の形を方程式で決める」という考え方は、物理と数学を結びつける、とても大切な方法です。

業績4 教える人として、書く人として

コワレフスカヤは、ストックホルム大学で、解析学・偏微分方程式・楕円関数などを教えました。ミッタク=レフラーが創刊した数学雑誌『アクタ・マテマティカ』の編集にも加わりました。教え方は、「わかるまで説明する」ていねいなものだったと伝えられています。

一方で、彼女は文章を書く人でもありました。子ども時代を描いた回想録『子どものころの思い出』(1889年)、小説『ニヒリストの少女』、友人の作家とともに書いた戯曲など、数学以外の作品も残しています。数学と文学の両方で才能を発揮した人です。

コワレフスカヤの名前がつく公式・定理・用語

  • コーシー・コワレフスカヤの定理:解析的な偏微分方程式の初期値問題が、短い時間のあいだ、ただ1つの解を持つという定理。大学の偏微分方程式論の最初に出ます。→ 偏微分と全微分の考え方
  • コワレフスカヤのこま:I1=I2=2I3I_1=I_2=2I_3、重心が赤道面にある重いこまの運動。解析力学・可積分系の代表的な例です。
  • コワレフスカヤの指数:微分方程式の解の「特異点」の調べ方に使う数。力学の教科書の「可積分性の判定」で出てきます。
  • コワレフスカヤ賞:女性の研究者を応援するための賞やフェローシップに、名前が使われています。
  • 月のクレーターと小惑星の名前にも、コワレフスカヤの名前がつけられています。

解析学の道具として、テイラー展開の公式(関数をべき級数で表す)は、コーシー・コワレフスカヤの定理の証明にも使われます。この定理の「解析的」というのは、べき級数で表せるくらいなめらかという意味です。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

コワレフスカヤの定理は、「解が本当にあるのか?」を確かめる定理なんだ。入試の問題では「解を求めよ」だけど、大学では「そもそも解はあるのか」を考えることもあるよ。

コワレフスカヤの逸話と名言

「ひと目見ただけで、分かった」

回想録によると、少女のころ、物置の壁紙になった微分積分のノートをながめつづけたといいます。ところが、家庭教師が教えてくれた「極限」の考えは、そのノートの式の意味だったので、「あなたは私より先に知っているみたいですね」と先生におどろかれた、と伝えられています。ただし、これは本人が後年に書いた思い出で、細かいところは確かめられません。

数学者は、心の中の詩人

コワレフスカヤは、数学についてこのような言葉を残したといわれます。

心の中で詩人でなければ、数学者になることはできない。

コワレフスカヤの言葉として伝えられるもの(手紙などに出てくるとされるが、出典の細部は確かめられていない)

数学の問題を解くときの、想像力やひらめきが大切だという意味に受け取れます。もう1つ、「知っていることを言い、やらなければならないことをやり、あとは成り行きにまかせなさい」という言葉も、コワレフスカヤのものとして広く伝えられています(こちらも、本人の言葉かどうかは確かめられていないとされます)。

ワイエルシュトラスとの友情

ワイエルシュトラスは、年の離れた教え子コワレフスカヤを、とても大事にしました。2人は、彼女が亡くなるまで、数多くの手紙をやりとりしたことが知られています。ワイエルシュトラスは、ベルリン大学が女性を受け入れなかったため、自分の家で個人的に教えました。コワレフスカヤが博士号をとるための論文も、彼がゲッティンゲン大学に推薦しました。師弟の関係は、数学の歴史の中でも特に美しいものとして語られます。

なぜ女性は閉め出されたのか

コワレフスカヤの時代、ヨーロッパの多くの大学は、女性を正式な学生として受け入れませんでした。その後、少しずつ変化していきます。ヒュパティア(古代の女性数学者)、ソフィ・ジェルマン、エイダ・ラブレス、エミー・ネーター、そして2014年に女性として初めてフィールズ賞を受けたミルザハニへと、道はつながっています。コワレフスカヤは、その長い列の大切な1人です。

うかるくん

うかるくん

壁紙が微分積分のノートだったなんて、ほんとですか!?

合格先生

合格先生

本人が書いた回想録の話だね。ただ、後年の思い出だから細かいところは確かめられない。それでも「小さいころに見た式が頭に残る」というのは、くり返し見ることの力を教えてくれるね。

受験・勉強とコワレフスカヤのつながり

中学受験・高校受験:回転と速さ

こまの話は、一見むずかしそうですが、中学受験や高校受験の理科・算数にも「回転」は出てきます。歯車の回転数、時計の針の角度、速度と加速度の基本は、回転運動の入口です。

大学受験:微分方程式と力学

高校数学では「微分方程式」という単元はありませんが、物理の単振動やばねの運動は、微分方程式の考え方でつくられています。大学受験の数学III(微分の意味・積分)をしっかり学ぶことが、微分方程式への近道です。「関数の変化の割合(微分)」と、「元の関数の形(積分)」の関係が、微分方程式の基本です。京都大学や東京大学の物理では、回転運動や慣性モーメントの考え方が出題されます。

大学・大学院入試:偏微分方程式・解析力学

大学では、2年生ごろに「常微分方程式」、3年生ごろに「偏微分方程式」「解析力学」を習います。大学院入試の数学では、偏微分方程式の解の存在や特異点の解析が出題されることがあります。コワレフスカヤの定理は、偏微分方程式の最初の教科書に出てくる定理です。

勉強法として:「基礎」を大事に、「味方」を探す

コワレフスカヤの人生で学べることは、基礎をきちんと身につけると、あとで大きく伸びるということです。少女のころから微分積分に親しみ、ベルリンではワイエルシュトラスに基礎から学び直しました。また、ワイエルシュトラスやミッタク=レフラーのような理解者の存在が、彼女の道を支えました。勉強に行きづまったときは、先生や友だちに相談することも、大切な勉強法です。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)を、入試の傾向は京大理系数学の出題分析(大問別一覧)も参考にしてください。ギリシャ文字(ω\omega や θ\theta など)は、回転や角度で毎日使います。ギリシャ文字の読み方一覧(24文字)で確かめておきましょう。

コワレフスカヤがその後の数学にあたえた影響

  • 偏微分方程式論:コーシー・コワレフスカヤの定理は、「解の存在と一意性」を調べる偏微分方程式論の出発点です。のちのヒルベルトの23の問題にも、偏微分方程式の問題がふくまれています。
  • 可積分系:コワレフスカヤのこまは、「解ける力学系」の代表例です。20世紀後半になると、ソリトン(形を保つ波)の理論など、新しい「解ける系」の研究が進み、コワレフスカヤの考えが再評価されました。
  • 女性数学者の道:コワレフスカヤが教授になったことは、ヨーロッパの大学が女性を受け入れていくきっかけの1つになりました。のちにネーターが活躍できたのも、先人たちの積み重ねがあったからです。
  • 科学と文学:数学者が文章も書く、という道を示した人でもあります。

1850年生まれの女性が、「数学をやりたい」という思いで、国や大学の壁をこえていった物語は、今の受験生にも、「やりたいことをあきらめない」という勇気をくれます。

コワレフスカヤに挑戦!練習問題

やさしい

  1. コワレフスカヤは1850年1月15日に生まれ、1891年2月10日に亡くなりました。何歳で亡くなりましたか。
    答えと解説を見る1891−1850=41で、2月10日は誕生日(1月15日)をすぎているので41歳です。
  2. 点(質量2kg)が、回転の軸から3mはなれた場所で回っています。この点の慣性モーメント I=mr2I=mr^2 はいくつですか。
    答えと解説を見るI=2×32=2×9=I=2\times3^2=2\times9=18(kg·m²)。

ふつう

  1. ut=uxu_t=u_x、はじめ u(x,0)=x2u(x,0)=x^2 のとき、u=(x+t)2u=(x+t)^2 がこの方程式をみたすことを確かめなさい。
    答えと解説を見るut=2(x+t)u_t=2(x+t)、ux=2(x+t)u_x=2(x+t) で、ut=uxu_t=u_x が成り立ちます。t=0t=0 では u=x2u=x^2 です。よってこれは解です。
  2. 半径 0.50.5 m・質量 44 kg の一様な円板が、中心を通る板に垂直な軸のまわりで回っています。慣性モーメント I=12mr2I=\dfrac12mr^2 を求めなさい。
    答えと解説を見るI=12×4×0.52=12×4×0.25=I=\dfrac12\times4\times0.5^2=\dfrac12\times4\times0.25=0.5(kg·m²)。

むずかしい

  1. ut=uxu_t=u_x、はじめ u(x,0)=11−xu(x,0)=\dfrac1{1-x} の解を xx と tt の式で求め、∣x+t∣<1|x+t|<1 のとき、べき級数 ∑n=0∞(x+t)n\sum_{n=0}^{\infty}(x+t)^n に等しいことを確かめなさい。
    答えと解説を見る解は u=11−(x+t)u=\dfrac1{1-(x+t)} です(ut=ux=1(1−x−t)2u_t=u_x=\dfrac1{(1-x-t)^2} で確かめられる)。∣x+t∣<1|x+t|<1 のとき、等比級数の和の公式より 11−(x+t)=∑n=0∞(x+t)n\dfrac1{1-(x+t)}=\sum_{n=0}^{\infty}(x+t)^n です。このように、解が xx と tt のべき級数で表せることが、「解析的な解」の意味です。

コワレフスカヤと関係する数学者

数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、用語の意味は数学用語辞典(用語の意味を1語1ページ)も役立ちます。

19世紀の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

コワレフスカヤは何をした人ですか?

コワレフスカヤは、19世紀のロシアの数学者です。偏微分方程式の解の存在を示す「コーシー・コワレフスカヤの定理」と、回転するこまの運動を解いた「コワレフスカヤのこま」で知られ、女性で初めて数学の博士号を得た一人でもあります。

コワレフスカヤはなぜ有名なのですか?

女性が大学に入れなかった時代に、ドイツで数学の博士号を得て、ヨーロッパの大学で数学の教授になったからです。数学の業績としても、偏微分方程式とこまの運動の研究が高く評価されています。

コワレフスカヤは何歳で亡くなりましたか? どこの人ですか?

コワレフスカヤは、1850年1月15日にロシアのモスクワで生まれ、1891年2月10日にスウェーデンのストックホルムで41歳で亡くなりました。ロシアの出身で、晩年はスウェーデンで教えました。

いつ、どこで数学の博士号を得たのですか?

1874年に、ドイツのゲッティンゲン大学で博士号を得ました。偏微分方程式・アーベル積分・土星の環の3つの論文が評価され、口頭試験は免除されました。

コーシー・コワレフスカヤの定理とは何ですか?

解析的な偏微分方程式で、はじめの状態が解析的に与えられれば、ごく短い時間のあいだ、解がただ1つ決まるという定理です。偏微分方程式論の出発点になりました。

コワレフスカヤのこまとは何ですか?

慣性モーメントが I₁=I₂=2I₃ で、重心が赤道面にある重いこまの回転運動です。オイラー・ラグランジュに続く、運動が解ける3つ目の場合として、1888年にコワレフスカヤが見つけました。

ボルダン賞とは何ですか?

フランス科学アカデミーの賞です。コワレフスカヤは1888年、回転するこまの論文でこの賞を受け、審査員がその内容に感動して賞金が増額されたと伝えられています。

コワレフスカヤの先生はだれですか?

ドイツの数学者ワイエルシュトラスです。ベルリン大学が女性を受け入れなかったため、約4年間、個人的にコワレフスカヤを教えました。2人は生涯の友でもありました。

コワレフスカヤの名言はありますか?

「心の中で詩人でなければ、数学者になることはできない」という言葉が、コワレフスカヤのものとして伝えられています。ただし、出典の細部は確かめられていません。

コワレフスカヤは受験とどう関係しますか?

高校の物理(回転・単振動)と数学III(微分・積分)が、コワレフスカヤの仕事の入口です。大学院入試の数学では、偏微分方程式の解の存在や一意性を問う問題で、コーシー・コワレフスカヤの定理が背景になります。

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出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics Archive, “Sofia Vasilyevna Kovalevskaya”(セントアンドリューズ大学)
  • S. Kovalevskaya, “A Russian Childhood”(回想録)
  • A. Cooke, “The Mathematics of Sonya Kovalevskaya”(1984年)
  • 肖像写真:作者不明「Sofja Wassiljewna Kowalewskaja」(ワイエルシュトラスのための写真アルバムより)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦