劉徽は何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|割円術・円周率3.14・海島算経・九章算術注

劉徽は何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|割円術・円周率3.14・海島算経・九章算術注

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劉徽Liu Hui

ひとことで言うと

三国時代の魏で『九章算術』に注を書き、割円術で円周率を求め、「なぜその計算で正しいのか」を説明した数学者。測量の本『海島算経』も残した。

名前劉徽(りゅうき、Liu Hui)
生没年220年ごろ〜280年ごろ(はっきりしない)
国中国(魏)
分野幾何・円周率・体積・測量・方程式
主な業績『九章算術』の注釈(263年とされる)、割円術(円周率約3.14・3.14159)、『海島算経』(重差術)、陽馬・鱉臑による体積の説明
名前がつくもの徽率(3.14)・割円術・重差術(劉徽が考えた方法)
よばれ方中国数学の注釈者・割円術の人

このページのポイント

  • 正六角形から辺の数を2倍にふやす割円術で、96角形で約3.14、3072角形で約3.14159を求めた。「割りてまた割り」は極限の考え方
  • 円を切ってならべかえる図で円の面積=半径×円周の半分を説明し、立方体を切り分けてすいの体積の÷3の理由を示した
  • 測量の本『海島算経』で、2本の表と相似・勾股を使って島の高さときょりを求めた。連立方程式の消去法も『九章算術』の方程にある

劉徽は何をした人?(業績をひとことで)

劉徽(りゅうき、Liu Hui)は、3世紀なかばごろ、中国の魏(三国時代)で活やくした数学者です。生まれた年と亡くなった年ははっきりせず、220年ごろ〜280年ごろと考えられています。劉徽の名を高めたのは、中国最古の数学書『九章算術』に注釈(説明と証明)を書いたことです。『九章算術』は「こうやって計算しなさい」という手順を並べた本でしたが、劉徽は「なぜその計算で正しいのか」を一つずつ説明しました。

とくに有名なのが、円に内接する正六角形から始めて、辺の数を2倍・2倍にふやしていき、円周率を求める割円術(かつえんじゅつ)です。劉徽は96角形まで進めて約3.14、のちに3072角形まで進めて約3.14159を得たと伝えられます。さらに『九章算術』注の最後にそえた測量の問題は、のちに『海島算経』として独立した本になりました。島の高さや遠くの谷の深さを、相似の考え方で測る方法が書かれています。

受験生にとっての劉徽は、「円の面積の公式を図で説明する人」「円周率を正多角形で求める人」「三平方の定理(勾股定理)と相似で長さを測る人」です。小学校で習う円の面積と円周の長さの公式や、中学の三平方の定理の証明と使い方、高校の円周率とはの話題の先に、劉徽の工夫があります。

うかるくん

うかるくん

円周率って、ただ3.14って覚えるだけじゃだめなんですか?

合格先生

合格先生

もちろん覚えるのも大事。でも、「3.14はどうやって求めたの?」に答えられた人が、約1700年前の中国にいたんだ。それが劉徽だよ。電卓もない時代に、正多角形の辺の長さを何度も計算して、円周率に近づいたんだ。

劉徽の生涯と年表

くわしいことは分かっていない

劉徽について、はっきり分かっていることはほとんどありません。生まれた場所も、どんな仕事をしていたのかも、ほかの本にはほとんど書かれていないのです。分かっているのは、魏の人であったことと、自分で書いた注釈が残っていることだけです。数学の歴史を調べる人たちは、劉徽の人生を「本人が残した本から読みとる」しかありません。

注釈を書いた年も、劉徽自身は書いていません。のちの資料には263年に書かれたという記録があり、この年が劉徽の活やくした時期の目安になっています。263年は、魏が蜀を滅ぼした年にあたります。三国時代の中国は戦乱の世でしたが、そのなかでも数学の研究はつづいていました。

『九章算術』とは、どんな本か

『九章算術』は、紀元前後ごろまでに少しずつまとめられたと考えられている中国の数学書で、成立の時期やまとめた人には諸説あります。全9章に、役人が土地・税・穀物・工事・測量で使う246ほどの問題と、その解き方がのっています。章の名前はつぎのとおりです。

  • 方田:田畑の面積と分数の計算 粟米:穀物の交換(比) 衰分:比例配分 少広:面積から辺を求める(平方根・立方根)
  • 商功:土木工事の体積 均輸:運ぶ量の割りふり 盈不足:あまりと不足から答えを求める 方程:連立方程式 勾股:直角三角形(三平方の定理)

劉徽は、これらの手順に「なぜそうなるのか」を足していきました。注を読むと、劉徽が図形を切って動かしたり、同じものを2通りに数えたりして、計算の理由を説明していることが分かります。

測量の章が『海島算経』に

劉徽は、勾股の章に、直接測れない高さや距離を測る「重差」という方法をつけ加えました。この部分は、のちに独立した本『海島算経』として伝わっています(唐の時代に注釈がつけられたとされます)。9つの問題が収められ、第1問は海の向こうの島の高さを求める問題です。

年できごと
前後1世紀ごろ『九章算術』が少しずつまとめられたと考えられている(諸説あり)
220年ごろ劉徽が生まれたと考えられている(はっきりしない)
220年後漢が滅び、魏が建国。三国時代が始まる
263年劉徽が『九章算術』に注釈を書いたとされる
263年ごろ割円術で円周率を求める。96角形で約3.14、のちに3072角形で約3.14159
263年ごろ勾股の章に重差の方法を加える(のちの『海島算経』)
280年ごろ劉徽が亡くなったと考えられている(はっきりしない)
5世紀後半祖沖之・祖暅の父子が円周率を小数第7位まで求め、球の体積も求める
7世紀唐の李淳風らが『九章算術』と劉徽の注に注釈をつけ、『海島算経』も伝える
13世紀秦九韶・李冶・朱世傑ら、宋・元の数学者たちが中国数学の高みへ進む

劉徽の主な業績をやさしく解説

業績1 割円術(円周率を正多角形で求める)

円周率 π\pi は「円周÷直径」です。でも、曲がった円周を直接ものさしで測るのはむずかしいので、劉徽は円の中にぴったり入る正多角形を考えました。辺の数が少ないうちは円よりかなり小さい図形ですが、辺の数をふやすほど円にぴったりくっつきます。

割円術:辺の数をふやして円に近づける半径1青:六角形 赤:十二角形辺の数 と 周の半分6角形3.000012角形3.105824角形3.132648角形3.139496角形3.1410192角形3.14153072角形3.1416周の半分=辺の数×sin(180°÷辺の数)(現代の計算)
円に内接する正六角形から辺の数を2倍ずつふやす割円術。辺の数が多いほど、周の半分は円周率に近づく

劉徽はまず、半径と同じ長さの辺をもつ正六角形から始めました。辺の長さが分かれば、辺の数を2倍にした正十二角形の辺は、三平方の定理(勾股定理)だけで計算できます。正十二角形から正二十四角形、正四十八角形、正九十六角形……と進めていくのです。半径1の円では、辺の長さ sns_n から、辺が2倍の多角形の辺の長さが

s2n=2−4−sn 2s_{2n}=\sqrt{2-\sqrt{4-s_n^{\,2}}}

で求まります(現代の書き方です)。劉徽は、これを算木(計算用の棒)と平方根の計算で、何回もくりかえしました。そして96角形で約3.14を得て、のちの人から「徽率(きりつ)」とよばれる値になります。さらに3072角形まで進めて約3.14159を得たと伝えられます(96角形で3.14、のちの計算で3.1416としたとする説明もあり、資料によって細かい言い方は分かれます)。

劉徽の工夫は、辺の数をふやすだけではありません。となりあう多角形の面積の差を使って、円の面積がどのあたりにあるかを上と下からはさむ方法を考えました。これは、アルキメデスが円周を正96角形ではさんで 31071<π<3173\frac{10}{71}<\pi<3\frac17 を示した方法と、よく似た考え方です。なおアルキメデスの円周率と取りつくし法も96角形まで進めた点が同じなのは、おもしろい一致ですが、ふたりは遠くはなれた土地で、おたがいを知らずに研究したと考えられています。

つづいて5世紀後半、祖沖之の円周率(3.1415926)が劉徽の方法をさらに進め、小数第7位まで正しい値を求めました。この精度は、その後およそ1000年ものあいだ、世界のどこでも超えられなかったとされます。

業績2 円の面積の公式を「切ってならべかえ」で説明

円の面積が「半径×半径×円周率」になることは、小学校で習います。劉徽は、これを円を細かく切ってならべかえる図で説明しました。円をピザのように細かい扇形に切って、上向き・下向きと交互にならべると、細かくするほど長方形に近づきます。たては半径、よこは円周の半分です。

円を切ってならべかえる半径円周の半分面積=半径×円周の半分=r×πr=πr²
円を扇形に切って交互にならべると長方形に近づく。面積は「半径×円周の半分」=πr²

円周は 2πr2\pi r なので、円周の半分は πr\pi r、面積は

S=r×πr=πr2S=r\times \pi r=\pi r^2

になります。『九章算術』にはすでに「円の面積は、円周の半分に半径をかけたもの」という計算の手順が書かれていましたが、劉徽はその理由を、図形を細かく切る考え方で説明しました。この「細かく切って足しあわせる」考え方は、ほぼそのまま積分(区分求積法)の考え方です。ニュートンやライプニッツより約1400年前に、劉徽は極限の入口に立っていました。

業績3 『海島算経』(相似と勾股で遠くの高さを測る)

海の向こうの島の高さは、ものさしでは測れません。劉徽の方法はこうです。同じ高さの2本の表(目印の棒)を、1000歩はなして前後に立てます。それぞれの棒の後ろの地面に目を置いて、棒の先と島の頂上が一直線に見える位置(点A、点B)を探します。2つの見る位置のずれを測れば、相似な三角形の比で島の高さと距離が求まります。

海島算経:2本の表で島の高さを測る島の頂上前の表後ろの表見る点A見る点B表の間のきょり島の高さ = 表の高さ×表の間÷(ずれ)+表の高さ例:3丈(5歩)×1000÷(127−123)+5=1255歩
2本の表と2つの見る位置から、島の頂上までの高さときょりを求める。海島算経の第1問のしくみ

第1問は、表の高さが3丈(5歩)、表の間が1000歩、見る位置が前の表の後ろ123歩・後ろの表の後ろ127歩として、島の高さは

5×1000127−123+5=1255 (歩)\frac{5\times 1000}{127-123}+5=1255\ \text{(歩)}

となり、島までの距離は 123×1000127−123=30750\dfrac{123\times 1000}{127-123}=30750 歩と求まります(数値は『海島算経』の第1問として伝わるものです)。同じ要領で、山の上から谷の深さ、遠くの城壁の大きさなども測りました。これは相似な三角形の性質と使い方の応用そのもので、タレスのピラミッドの高さの測定と同じ発想です。

業績4 立体の体積と「陽馬」「鱉臑(べつじゅ)」

『九章算術』の商功の章は、堤防・城壁・倉などの体積をあつかいます。劉徽は、立方体を切って組みなおすことで、さまざまな立体の体積の関係を説明しました。立方体を斜めに二つに切ると、三角柱が2つできます(これを塹堵(ざんと)とよびます)。この三角柱をさらに切ると、底面が四角形の陽馬(ようば)と、四面体の鱉臑(べつじゅ)に分かれます。

陽馬(四角すい)=立方体の1/3頂点立方体=1陽馬 3つでぴったり1個分陽馬=1/3劉徽は切って組みかえて、すいの1/3を説明した
立方体の1つの頂点と向かい合う面の4つの頂点を結ぶと、四角すい(陽馬)ができる。陽馬の体積は立方体の3分の1

劉徽は、陽馬の体積と鱉臑の体積の比が2:1になることを、切って組みあわせる方法で示しました。ここから、四角すいの体積は「底面積×高さ÷3」になることが分かります。小学校や中学校で習う角すい・円すいの体積の公式(÷3)の理由は、このように図形を切って考える方法で説明できるのです。劉徽の算数・数学の公式一覧のような公式は、ただ覚えるのではなく、理由ごと理解する価値があります。

業績5 連立方程式(方程)と正負の数

『九章算術』の方程の章は、世界で最も古い連立1次方程式の解き方の一つをのせています。たとえば「上等な稲3束と中等な稲2束と下等な稲1束で39斗」といった、3つの未知数の問題を、算木を縦横にならべ、ある行を何倍かして別の行から引くことで解いていきます。これは、のちにヨーロッパでガウスの消去法(掃き出し法)とよばれる方法と同じ手順です。

この計算では、引き算の結果が「ない」を通りこして負の数になることがあります。劉徽は、正負の数の足し算・引き算のきまり(正負術)を注に書き、赤い算木と黒い算木で正の数と負の数を区別する、といった説明を残しています。正の数・負の数の計算のきまりを、1700年前の中国ではもう体系的に考えていたのです。連立方程式を中学で習うとき、「消去して解く」という方法のご先祖様は、中国の方程の章だと思い出してください。

劉徽の名前がつく公式・定理・用語

劉徽の名前がそのままつく公式は、中学・高校の教科書にはほとんどありません。ただし、数学の歴史ではつぎのようによばれます。

  • 割円術:円に内接する正多角形で円周率を求める方法。→ 円周率の意味と近似
  • 徽率(きりつ):劉徽が求めた円周率の近似値。3.14(15750\frac{157}{50})をさす。
  • 祖暅の原理:同じ高さの切り口の面積がいつも等しい2つの立体は、体積も等しいという考え方。西洋の「カヴァリエリの原理」にあたり、中国では祖沖之の子の祖暅の名でよばれます。劉徽が立体を切って組みなおして体積を比べた仕事が、その土台になったとされます。
  • 牟合方蓋(ぼうごうほうがい):球の体積を調べるために劉徽が考えた立体。立方体の中で、たて・よこの2本の円柱が交わる部分の形。球の体積を直接求めたのは、のちの祖暅。→ 球の体積・表面積の公式
  • 重差術:2回の測量で、直接測れない高さ・距離を求める方法。『海島算経』のもと。
  • 出入相補(しゅつにゅうそうほ):図形の一部を切って別の場所に移して、面積が変わらないことを使う考え方。勾股定理の証明にも使われた。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

劉徽の仕事で一番大切なのは、答えだけでなく「理由」を書いたことだよ。答案でも、答えより「なぜそうなるか」を書ける人が高い点をとれるんだ。

劉徽の逸話と名言

「割りてまた割り……」

劉徽が割円術について書いた文章のなかに、極限の考え方をそのまま言葉にしたような一節があります。

割之彌細、所失彌少。割之又割、以至於不可割、則與圓周合體而無所失矣。

劉徽(『九章算術』注(円の面積の注)より、原文)

日本語にするとおよそつぎのような意味になります。「割れば割るほど細かくなり、はみ出す部分(失うところ)は少なくなる。割って、さらに割って、もう割れないところまで行けば、多角形は円とぴったり重なって、失うところはなくなる」。数学の言葉で言うと、辺の数を限りなくふやすと多角形は円に一致するという意味で、極限の意味と考え方です。高校の数学IIIで習う「限りなく近づく」という言葉を、劉徽は1700年前に自分の言葉で書いていたことになります。ただし、現代の数学のように「極限」という厳密な定義があったわけではなく、図形の直感にもとづく説明だった点には注意が必要です。それでも、「細かくするほど誤差は小さくなり、最後には消える」と言い切った点に、劉徽の数学者としての鋭さがあらわれています。

球の体積は「あとの人に任せた」

劉徽は、球の体積を求めようとしました。そのために考えたのが、牟合方蓋という不思議な立体です。球の体積とこの立体の体積の比がわかれば、球の体積が求まります。しかし劉徽は、牟合方蓋そのものの体積を求めることができず、「あとの人にゆずる」といった趣旨の言葉で注を結んだとされます。のちに、祖沖之の子の祖暅が、この問題を解いたと伝えられます。解けなかった問題をはっきり書いて次の人に託した姿勢は、数学者としての誠実さを感じさせます。

名前しか残らなかった数学者

劉徽は、同じ時代の歴史書にほとんど名前が出てきません。数学者が、ほとんど注釈だけで名前を後世に残した、まれな例です。伝記が残っていない分、数学そのものが劉徽の「人柄」を語っています。注の文章からは、前の人の誤りを見つけたら静かに直すという態度や、できないことは「できない」と書く態度が読みとれるとされます。こうした人物像は、注の文章からの推測で、実際のことは分かっていません。

サクラちゃん

サクラちゃん

電卓もなしで、辺の数を何回も2倍にして計算するなんて、すごい根気ですね……!

合格先生

合格先生

そうだね。しかも平方根を何度も手計算で出したはずだよ。地道な計算を続ける力も、数学の大切な力なんだ。受験の計算ミスを減らすコツは、途中式を丁寧に書くことだよ。

受験・勉強と劉徽のつながり

中学受験:円の面積・立体の体積・植木算のような規則性

小学校の算数で、円の面積の公式を習うとき、先生が円を扇形に切って長方形にならべかえる図を見せてくれます。これが劉徽の説明そのものです。中学受験では、「円の面積を、切ってならべかえで説明しなさい」という問題や、円とおうぎ形の面積を図形の移動で求める問題が出ます。円の面積と円周の公式の使い分けをしっかり押さえましょう。また、三角すいの体積が「底面積×高さ÷3」になる理由は、中学受験でも立体の切断・組みかえとして出ます。

高校受験:三平方の定理・相似・連立方程式

高校受験では、三平方の定理と相似を組みあわせた問題が毎年出ます。遠くの建物の高さを、影の長さや目の高さから求める問題は、『海島算経』の考え方と同じです。連立方程式を加減法・代入法で解く方法も、劉徽の消去法と同じ仕組みです。

大学受験:円周率の評価・極限・区分求積

大学入試では「円周率が3.05より大きいことを示せ」のような円周率の評価の問題が出ます(東京大学で出題されたことで有名です)。正十二角形などの周や面積と、円周や面積を比べて不等式で示す、まさに劉徽の割円術の発想を使う問題です。数学IIIの区分求積法(細かく切って足して極限をとる)も、劉徽の「割りてまた割り」の考え方を式にしたものです。京都大学・東京大学の難問は、京大理系数学の出題分析(図形と極限の出方)を見ると傾向がつかめます。

勉強法として:「なぜ?」を図で説明するくせ

劉徽の最大の教えは、公式を暗記して終わりにしないことです。①公式を使って答えを出す、②その公式が正しい理由を図でかいてみる、③ほかの問題にも使えるか考える、という3段階で勉強すると、忘れにくく応用もききます。公式の理由は、算数・数学の公式一覧(公式辞典)で確かめられます。勉強の進め方全般は、数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も読んでください。円周率の記号 π\pi の読み方は、ギリシャ文字の読み方一覧(π=パイ)にまとめてあります。

劉徽がその後の数学にあたえた影響

劉徽の注釈は、中国の数学の「お手本」になりました。

  • 円周率の研究:割円術を受けついだ祖沖之の円周率の研究は、小数第7位まで正しい値を出しました。
  • 体積の研究:祖沖之の子・祖暅が、劉徽が残した宿題(球の体積)を解きました。
  • 測量術:『海島算経』は、唐代の測量の教科書として長く読まれ、日本にも伝わりました。江戸時代の和算家の関孝和の和算も、中国の数学書を学んでいます。
  • 証明の文化:「なぜそうなるのか」を説明する姿勢は、ユークリッド『原論』の証明と同じ方向をむいた、東アジアでの貴重な例です。
  • 日本の和算:江戸時代の日本では、『九章算術』をもとにした中国の数学書が学ばれ、和算の発展につながりました。

なお、劉徽の本は長い間ほとんど読まれなくなった時期もありましたが、清の時代の学者たちが注釈を読みなおし、劉徽の仕事の価値が改めて評価されました。

劉徽に挑戦!練習問題

やさしい

  1. 半径10cmの円の面積を、劉徽の考え方(半径×円周の半分)で求めなさい。円周率は3.14とします。
    答えと解説を見る円周は 2×10×3.14=62.8cm。その半分は31.4cm。面積は 10×31.4=314cm²。(公式 10×10×3.14=314 と同じ)
  2. 円周の半分が15.7cmの円の面積を求めなさい。
    答えと解説を見る半径は 15.7÷3.14=5cm。面積は 半径×円周の半分=5×15.7=78.5cm²。

ふつう

  1. 海島算経の方法で、表の高さ5歩、表の間200歩、見る位置が前の表の後ろ24歩・後ろの表の後ろ26歩のとき、島の高さと島までの距離を求めなさい。
    答えと解説を見るずれは 26−24=2歩。高さは 5×200÷2+5=505歩。距離は 24×200÷2=2400歩。
  2. 半径1の円の内側にぴったり入る正六角形の周の長さと、円周の長さをくらべて、円周率が3より大きいことを説明しなさい。
    答えと解説を見る正六角形の1辺は半径と同じ1なので、周の長さは6。円周は2πで、これは6より大きい(円は多角形の外側を通る)。2π>6 より π>3。

むずかしい

  1. 半径1の円に内接する正十二角形の1辺の長さを、正六角形の1辺(1)から、s2n=2−4−sn 2s_{2n}=\sqrt{2-\sqrt{4-s_n^{\,2}}} を使って求めなさい。
    答えと解説を見るs₁₂=√(2−√(4−1²))=√(2−√3)。ここで √(2−√3)=(√6−√2)/2 なので、(√6−√2)/2(約0.5176)。周の長さは 12倍で約6.2117、半分で約3.1058(円周率の下からの近似)。
  2. 底面が1辺6cmの正方形、高さが6cmの四角すい(陽馬)の体積を求めなさい。また、同じ大きさの四角すいが何個で一辺6cmの立方体になるか答えなさい。
    答えと解説を見る体積は 6×6×6÷3=72cm³。立方体の体積は 6×6×6=216cm³ なので 216÷72=3個。

劉徽と関係する数学者

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古代の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

劉徽は何をした人ですか?

劉徽は、3世紀なかばの中国(魏)の数学者です。中国最古の数学書『九章算術』に注釈を書いて計算の理由を説明し、割円術で円周率を約3.14まで求めました。測量の本『海島算経』のもとになる方法も残しています。

劉徽はいつの時代の人ですか?生没年は?

三国時代の魏の人で、生没年はおよそ220年ごろ〜280年ごろですが、はっきりしません。『九章算術』の注を書いたのは263年ごろとされています。生まれ育った場所など、くわしいことは分かっていません。

割円術とは何ですか?

割円術は、円に内接する正多角形の辺の数をふやしながら、円周や円の面積に近づけていく方法です。劉徽は正六角形から始めて辺の数を2倍ずつふやし、96角形で約3.14、3072角形で約3.14159を得たと伝えられます。

劉徽はどうやって円周率を求めたのですか?

半径と同じ長さの辺をもつ正六角形から始めて、三平方の定理(勾股定理)で辺の数を2倍にした多角形の辺の長さを求めていきました。その長さと面積の差から、円周率がどの範囲にあるかをはさみこむ方法も使いました。

『九章算術』とはどんな本ですか?

『九章算術』は、紀元前後ごろまでにまとめられたと考えられる中国の数学書で、全9章に田畑の面積・穀物の交換・税・工事・連立方程式・直角三角形などの問題と解き方がのっています。劉徽の注釈がつけられて、有名になりました。

『海島算経』とは何ですか?

『海島算経』は、劉徽が『九章算術』注の勾股の章に加えた測量法「重差」の部分が、のちに独立した本になったものです。9つの問題があり、第1問は2本の表を使って海の向こうの島の高さを求める問題です。

劉徽の有名な言葉はありますか?

割円術の注にある「割れば割るほど失う所は少なくなる。割って、さらに割って、もう割れないところまで行けば、円周と合体して失う所はなくなる」という文章が有名です。辺の数を限りなくふやすと多角形が円に一致するという、極限の考え方を述べています。

劉徽と祖沖之の関係は?

祖沖之(429〜500年)は、劉徽より約200年あとの人で、劉徽の割円術をさらに進めて円周率を小数第7位まで正しく求めました。祖沖之の子の祖暅は、劉徽が残した球の体積の問題を解いたと伝えられています。

劉徽は受験にも関係がありますか?

あります。円の面積の公式の説明、すいの体積の÷3の理由、三平方の定理や相似を使った測量、連立方程式の消去法は、どれも劉徽の仕事とつながっています。大学入試の円周率の評価問題は、割円術の考え方で解けます。

劉徽の「徽率」とは何ですか?

徽率は、劉徽が割円術で求めた円周率の近似値で、3.14(分数で157/50)のことです。のちの人が劉徽の名前をとってそうよぶようになりました。さらに精密な値として3.14159も伝えられています。

あわせて読みたい

出典・参考

  • J. J. O’Connor and E. F. Robertson, “Liu Hui”, MacTutor History of Mathematics Archive(セント・アンドリュース大学)
  • 『九章算術』(劉徽注)、『海島算経』
  • Joseph Needham, “Science and Civilisation in China, Vol. 3 Mathematics and the Sciences of the Heavens and the Earth”(1959年)

最終更新:2026年11月2日/作成:大学受験合格大作戦