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セルバーグAtle Selberg
ひとことで言うと
セルバーグの篩・素数定理の初等的な証明・跡公式で知られるノルウェー生まれの数学者。1950年にフィールズ賞を受けた。
| 名前 | アトル・セルバーグ(Atle Selberg) |
|---|---|
| 生没年 | 1917年6月14日〜2007年8月6日(90歳) |
| 国 | ノルウェー(ランゲスン生まれ)、のちアメリカ(プリンストンで没) |
| 分野 | 数論・解析的整数論・保型形式 |
| 主な業績 | セルバーグの篩(1947年)、ゼータ関数のゼロ点が臨界線上に正の割合(1942年)、素数定理の初等的な証明(1948〜49年)、跡公式、セルバーグ・ゼータ関数 |
| 名前がつくもの | セルバーグの篩・セルバーグの対称公式・セルバーグの跡公式・セルバーグ・ゼータ関数・セルバーグ積分・ランキン・セルバーグ法・セルバーグ予想・セルバーグ類 |
| 受賞 | フィールズ賞(1950年)、ウルフ賞(1986年)、名誉アーベル賞(2002年) |
| よばれ方 | 20世紀を代表する数論の大家、プリンストン高等研究所の数学者 |
このページのポイント
- 数を「ふるう」ことで素数を調べるセルバーグの篩を考え、解析的整数論の基本の道具にした
- 1948〜49年に、複素数を使わない素数定理の初等的な証明を見つけ、1950年にフィールズ賞を受けた
- のちに跡公式とセルバーグ・ゼータ関数を生み出し、数論と幾何学をむすんだ
セルバーグは何をした人?(業績をひとことで)
アトル・セルバーグ(1917〜2007年)は、ノルウェー生まれの数学者です。のちにアメリカへ渡り、プリンストン高等研究所で長く研究しました。専門は数論(整数や素数の性質を調べる分野)です。素数の性質を調べる「ふるい」の方法(セルバーグの篩)、リーマンのゼータ関数のゼロ点が、ある直線の上に正の割合であることの証明(1942年)、そして素数定理の初等的な証明(1948〜49年)で知られます。
素数定理の初等的な証明は、エルデシュの業績と生涯との先取権の行きちがいでも有名です。この仕事などで、セルバーグは1950年にフィールズ賞(数学の最高の賞のひとつ)を受けました。さらに、のちにセルバーグの跡公式(トレース公式)とセルバーグ・ゼータ関数を生み出し、現代の数学に大きな影響をあたえました。1986年にはウルフ賞も受けています。
受験生にとってのセルバーグは、素数(中学受験から大学入試まで)と、素数を数える篩(エラトステネスの篩の親戚)の裏側にいる人です。
うかるくん
篩って、素数を見つけるときにも使いますよね。セルバーグの篩は、それと同じものですか?
合格先生
親戚だね。エラトステネスの篩は、素数をぜんぶ見つけるための作業だ。セルバーグの篩は、「素数が、だいたいどのくらいあるか」を、上から見積もるための方法なんだ。同じ「ふるい」でも、使い方がぜんぜん違うんだよ。
セルバーグの生涯と年表
ノルウェーの数学一家に生まれる
セルバーグは1917年6月14日、ノルウェー南部の港町ランゲスンで生まれました。9人きょうだいの末っ子で、父オーレは数学の先生でした。兄のヘンリクとシグムンドも数学者になり、双子の兄のアルネも大学の教授になりました。なかでもシグムンドは、弟にチェビシェフ(素数の個数を研究したロシアの数学者)の仕事を読むようすすめた、と伝えられます。
少年のころのセルバーグは、父の数学の本を読んで、独学で勉強しました。17歳ごろにインドの天才ラマヌジャンの業績と生涯の論文集を読み、強い影響を受けたとされます。1936年、19歳になる年に、最初の論文「ある整数の恒等式について」をドイツ語で発表しました。1935年にオスロ大学に入り、1939年の春に修士の学位を得ています。
戦争のなかで、ひとり研究を続ける
1939年の秋に第二次世界大戦が始まり、ドイツの数学者ヘッケのもとへ行く計画は、中止になりました。1940年4月にドイツ軍がノルウェーに侵攻すると、セルバーグは砲兵の部隊で戦い、のちに捕虜になった、と伝えられます。その後は占領下のノルウェーで、ほかの国の数学者との連絡もほとんどないまま、ひとりでリーマンのゼータ関数のゼロ点を研究しました。1943年10月22日に、このゼロ点についての論文で、博士の学位を得ています。
しかし、学位の審査が終わった直後に、ドイツ軍に逮捕されました。オスロを離れることを条件に釈放され、戦争が終わるまで、高校時代を過ごしたジョービクで、ひとりで研究を続けたと伝えられます。1942年の大きな成果が世界に知られたのは、戦後のことでした。
アメリカへ。プリンストン高等研究所
1947年にアメリカへ渡り、プリンストン高等研究所で研究しました。1948年から1949年にかけてはシラキュース大学の準教授をつとめ、1949年に高等研究所へ戻りました。1951年には教授になり、1987年に70歳で退職するまで、研究所の中心的な数学者として働きました。長いあいだノルウェーの国籍のままでしたが、1990年代にアメリカの市民権を得たとされます。
フィールズ賞、ウルフ賞、そして晩年
1950年にフィールズ賞、1986年にウルフ賞(数学部門)を受けました。2002年(アーベルの生誕200年)には、名誉アーベル賞も贈られています。2007年8月6日、アメリカのニュージャージー州プリンストンの自宅で、90歳で亡くなりました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1917年 | 6月14日、ノルウェーのランゲスンで生まれる(9人きょうだいの末っ子) |
| 1936年 | 最初の論文を発表。この前後にラマヌジャンの論文集を読む |
| 1939年 | オスロ大学で修士の学位。第二次世界大戦が始まる |
| 1942年 | ゼータ関数のゼロ点が、臨界線の上に正の割合である、という結果を得る |
| 1943年 | 10月22日、ゼータ関数のゼロ点についての論文で博士の学位 |
| 1947年 | セルバーグの篩の論文。アメリカへ渡り、プリンストン高等研究所へ |
| 1948年 | 3月、新しい公式(のちのセルバーグの対称公式)を示す。シラキュース大学へ |
| 1949年 | 素数定理の初等的な証明を発表。プリンストン高等研究所へ戻る |
| 1950年 | フィールズ賞を受ける |
| 1951年 | プリンストン高等研究所の教授になる |
| 1956年 | このころ、跡公式(トレース公式)を発表する |
| 1986年 | ウルフ賞(数学部門)を受ける |
| 1987年 | 高等研究所を退職する |
| 2007年 | 8月6日、プリンストンで亡くなる(90歳) |
セルバーグの主な業績をやさしく解説
業績1 セルバーグの篩(ふるい)
素数の性質を調べるとき、「ふるい」の考え方がよく使われます。もっとも古いのは、古代ギリシャのエラトステネスの業績と生涯の「エラトステネスの篩」です。2の倍数、3の倍数、5の倍数……と、順番に消していくと、最後に素数だけが残ります。
ただし、この方法で数えると、大きな数では、消す作業がとても大変になります。そこで、「消した数の個数を、うまく見積もる」ことで、素数の個数を調べる方法が考えられました。たとえば、1から30までで、2・3・5の倍数をすべて消すと、残るのは 1、7、11、13、17、19、23、29 の8個です。残る数の個数は、その範囲にある5より大きい素数(7〜29の7個)の個数より、多くなります。このように、「残る数の個数」を押さえれば、素数の個数を上から押さえられるのです。
この考えを大きく進めたのが、20世紀初めのブルン(ノルウェーの数学者)です。ブルンは、双子素数(差が2の素数のペア)の逆数の和が有限の値に収まることを、ふるいの方法で示しました。そして1947年、セルバーグが、ブルンの方法をより強く、整った形にしました。
セルバーグのアイデアは、こうです。ふるいで残る数を数えるとき、ふつうは「消す・消さない」を、足したり引いたりして数えます(集合の要素の個数で習う、ベン図の考え方です)。セルバーグは、その足し引きの代わりに、数にうまく「重み」をつけて、2乗の形の式をつくりました。2乗は、いつでも0以上です。この性質を使うと、「残る数の個数」を、上から押さえられます。そして、重みの選び方を工夫して、押さえる値をいちばん小さくします。
この方法は、セルバーグの篩とよばれ、いまでも解析的整数論の基本の道具のひとつです。「等差数列の中の素数の個数」を上から押さえるブルン・ティッチマーシュの定理などに使われています。さらに、陳景潤の業績と生涯がゴールドバッハ予想に迫った「1+2」の定理(ゴールドバッハ予想とは?)や、張益唐の業績と生涯らによる双子素数の研究も、この篩の方法の発展の上に立っています。
業績2 ゼータ関数のゼロ点が、臨界線の上に正の割合(1942年)
リーマンの業績と生涯は、ゼータ関数 という関数を考え、そのゼロ点( となる )が、素数の出方を決める、と考えました。そして、「複素数平面で、実部が の直線(臨界線)の上に、ゼロ点がすべてある」と予想しました。これがリーマン予想です。いまも未解決の、数学の大問題です。
ハーディの業績と生涯は、1914年に、「臨界線の上に、ゼロ点が無限にある」ことを示しました。ただ、無限にあるといっても、ゼロ点の全体からみて「どのくらいの割合か」は分かりませんでした。1942年、セルバーグが、「臨界線の上に、ゼロ点が正の割合(ある決まった正の値以上)である」ことを証明しました。「少なくとも一定の割合はある」と分かった、はじめての結果です。
その後、割合の下限は、少しずつ引き上げられてきました。レヴィンソンが1974年に3分の1以上、コンリーが1989年に40%以上と示しています。けれども、リーマン予想が主張する「すべて」には、まだ届いていません。
この証明のとき、セルバーグはモリファイア(なめらかにする道具)という工夫を使いました。ゼータ関数の値に、うまく選んだ関数をかけて、ゼロ点の様子を見やすくする方法です。これは今も、ゼータ関数の研究で使われる考え方です。戦争中、ほかの国の数学者と連絡をとれないなかで、ひとりで得た成果だと伝えられます。
業績3 素数定理の初等的な証明(1948〜49年)
素数定理とは、「 以下の素数の個数 が、 に近づく」という定理です。1896年にアダマールの業績と生涯とド・ラ・ヴァレ・プーサンが、ゼータ関数と複素数の関数をつかって証明しました。「素数という整数の話を、複素数なしで証明できるはずだ」という考えもありましたが、長いあいだ、見つかりませんでした。
1948年3月、セルバーグは、初等的な(複素数の関数を使わない)方法で、新しい漸近式を示しました。のちにセルバーグの対称公式とよばれる式です。ここで、 は、 以下のすべての素数 について、 を足し合わせたものです。
1948年の7月ごろまでに、セルバーグとエルデシュは、どちらもこの公式から出発して、初等的な素数定理の証明に到達しました。「初等的」とは「やさしい」という意味ではありません。複素数の関数を使わない、という意味です。実際には、この証明は、複素数を使う証明よりも込み入っています。
この発見をめぐって、二人のあいだで先取権(だれが先か)の行きちがいが生まれたことが、よく知られています。MacTutor(数学史のサイト)などは、次のように伝えています。二人は1948年7月ごろまでに、同じ公式から出発して、それぞれ証明に到達しました。エルデシュはこの仕事を共同のものと考えたのに対し、セルバーグは自分の道すじで証明をまとめ、1949年にそれぞれ論文を発表しました。MacTutorは、エルデシュが共同論文を多く書く人で、セルバーグはほとんど書かない人だったことが、行きちがいの背景にあると見ています。細かな事情は、のちの人の語りによってちがい、歴史家の整理(ゴールドフェルドの論文など)でも、時間がたつうちに話がゆがんで伝わったと指摘されています。ここでは、どちらが正しいかを決めず、「行きちがいがあった」という事実だけを書いておきます。
なお、エルデシュは、1951年にアメリカ数学会のコール賞(数論部門)を受けています。
業績4 セルバーグの跡公式とセルバーグ・ゼータ関数
1950年代、セルバーグは、数論にスペクトル論(図形が出す「音」を調べる考え方)を持ちこみ、跡公式(トレース公式)を発表しました。これは、セルバーグの代表的な業績といわれています。
たとえば、ドラムの膜の形がちがうと、出る音の高さがちがいます。「音の高さ」の集まりを調べれば、膜の形について何かが分かります。同じように、曲がった面(リーマン面)には、その面に特有の「音の高さ」(ラプラシアンの固有値)があります。セルバーグの跡公式は、この音の高さの集まりと、面の上の閉じた測地線(面の上の最短の周回路)の長さの集まりを、1本の式で結びつけます。
この式は、数論で、素数とゼータ関数のゼロ点を結びつける式と、とてもよく似た形をしています。そこでセルバーグは、閉じた測地線の長さを使って、セルバーグ・ゼータ関数を定義しました。この関数には、リーマン予想に対応する「予想」が、証明できます。つまり、本物のゼータ関数では分からないことが、このゼータ関数では分かるのです。MacTutorは、このことを、跡公式の大きな成果として紹介しています。
業績5 セルバーグ積分と、そのほかの仕事
セルバーグには、ほかにも、名前のついた仕事がたくさんあります。
- セルバーグ積分:1944年の論文にある、多くの変数の積分の公式。のちに、確率論や物理の分野でも使われるようになりました。
- ランキン・セルバーグ法:2つの保型形式(対称性の強い関数)から、新しいL関数をつくる方法。ランキンと、セルバーグが別々に見つけたとされます。
- セルバーグ予想(固有値予想):ある曲面の「いちばん低い音」の高さの下限についての予想。いまも研究が続いています。
- セルバーグ類:ゼータ関数のなかま(L関数)を、公理でまとめて研究するための枠組みで、1990年前後に提案されました。
セルバーグの名前がつく公式・定理・用語
- セルバーグの篩:ふるいに残る数の個数を、重みをつけた2乗の式で、上から押さえる方法(1947年)。
- セルバーグの対称公式:。素数定理の初等的な証明の出発点(1948年)。
- セルバーグの跡公式(トレース公式):面の上の閉じた測地線の長さと、ラプラシアンの固有値を結びつける公式。
- セルバーグ・ゼータ関数:閉じた測地線の長さからつくるゼータ関数。リーマン予想に似た性質が証明されている。
- セルバーグ積分:多変数の積分の公式(1944年)。
- ランキン・セルバーグ法:保型形式のL関数をつくる方法。
- セルバーグ予想:曲面の最小の固有値についての予想。
- セルバーグ類:L関数を公理でまとめた枠組み。
素数の基本は、素因数分解と約数の個数、素数の意味、素因数分解の意味で確かめられます。ふるいの考え方に近い集合の数え方は、集合の要素の個数の求め方にあります。

合格先生
「セルバーグ」は、入試では素数とふるいで数える方法の裏にいる人。1から順に消していくエラトステネスの篩と、「いくつ残るか」を数える集合の考え方をしっかり覚えておこう。
セルバーグの逸話と名言
ラマヌジャンの本が、人生を決めた
MacTutorによると、セルバーグは17歳ごろ、ラマヌジャンの論文集を読み、数論に強く心を引かれました。ラマヌジャンの人柄にも「ふしぎな雰囲気」を感じた、と語ったとされます。ラマヌジャンは、ほとんど独学で、次々と不思議な公式を見つけたインドの数学者です。自分もまた、独学で数学を学んだセルバーグにとって、特別な存在だったのでしょう。
ひとりで見つけたゼロ点の結果
セルバーグは、占領下のノルウェーで、ゼータ関数のゼロ点の結果をひとりで得ました。戦時中は、外国の雑誌がほとんど入ってきません。ほかの数学者の仕事を知らないまま、自分で考えた、と伝えられます。この結果は、戦争が終わってから世界に知られました。
共同で書くのが苦手?
エルデシュは、世界中の数学者と共同研究をして、1,500本以上の論文を書いた人です。反対にセルバーグは、共同論文をほとんど書かない人でした。この二人の性格のちがいが、先取権をめぐる行きちがいの背景にあったのでは、といわれることもありますが、本当のところは分かりません。
植物と貝がら
MacTutorによると、セルバーグは少年のころ、植物を集めて、大きな標本をつくっていました。のちには、貝がらを集めたそうです。数学以外にも、自然の観察が好きだったようです。
自分の仕事について
セルバーグは、自分の仕事について、基本の考えはいつもかなり単純で、やさしい言葉で説明できるものだった、と控えめに語った、と伝えられます。難しい成果が、じつは単純な考え方から生まれている、というのも、数学のおもしろいところです。
基本的な考えは、いつもかなり単純で、やさしい言葉で説明できるものだった。
サクラちゃん
ひとりぼっちで研究していたなんて、さびしくなかったのかな。
合格先生
どう感じていたかは、本人にしか分からないね。ただ、事実として、情報が少ないなかで、自分で考え抜いたから、独自の結果が出た、といえるかもしれない。受験勉強でも、自分の頭でとことん考える時間は大事だよ。
受験・勉強とセルバーグのつながり
中学受験・高校受験:素数とふるい
中学受験では、「1から100までの素数を、すべて書く」問題が出ます。このとき、エラトステネスの篩を使えば、機械的に素数を見つけられます。素因数分解や、最大公約数・最小公倍数の問題でも、素数が活躍します。唯一の偶数の素数「2」の話、2027は素数?双子素数と西暦の入試問題もどうぞ。
高校数学・大学入試:集合の要素の個数
「1から100までの整数で、2でも3でも割り切れない数はいくつか」という問題は、集合の要素の個数の問題です。これは、セルバーグの篩の、いちばん素朴な形ともいえます。集合の要素の個数の公式 を、きちんと使えるようにしておきましょう。
大学入試・大学:不等式と極限
セルバーグの篩は、「上から押さえる」考え方でした。入試でも、不等式の使い方を使って、値を上下から挟んで求める問題がよく出ます。素数定理は、極限の意味の言葉で書かれる定理です。
勉強法として:ひとりで考え抜く時間
セルバーグは、ひとりで考え抜いて、大きな結果を得ました。受験勉強でも、解説を見る前に、自分でしばらく考えることが、力になります。数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。
セルバーグがその後の数学にあたえた影響
- 篩の方法:セルバーグの篩は、解析的整数論の基本の道具になりました。陳景潤の業績のゴールドバッハ予想への挑戦や、張益唐の業績らの双子素数の研究へつながります(双子素数予想とは?)。
- ゼータ関数の研究:臨界線の上のゼロ点の割合を示す研究は、レヴィンソンやコンリーへ引きつがれ、ゼロ点の研究の標準的な方法になりました(リーマン予想とは?)。
- 初等的な方法の再評価:複素数を使わない素数定理の証明は、「初等的な方法で、どこまで言えるか」という問いを広げました(素数定理とは?)。
- 跡公式と保型形式:セルバーグの跡公式は、保型形式の理論の基本の道具です。ラングランズの業績と生涯のプログラムでは、この公式が辞書づくりの道具として使われました。
- 幾何と数論の結びつき:曲面の「音」と数論を結ぶ考え方は、のちの量子カオスなど、物理とのつながりにも広がりました。
セルバーグの跡公式の背景には、ヴェイユの業績と生涯の考え方(有限体上の曲線のゼータ関数)とのつながりもあります。同じ高等研究所で、ヴェイユと同じ時期に研究した、と伝えられます。
セルバーグに挑戦!練習問題
やさしい
- エラトステネスの篩を使って、50以下の素数をすべて書き、その個数を答えなさい。
答えと解説を見る
2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37、41、43、47 の 15個。 なので、2・3・5・7の倍数を消せば十分です。 - 素数定理の近似 を使って、1000以下の素数の個数を見積もりなさい()。実際は168個です。
答えと解説を見る
約144.7。実際の168個より、少し小さめです。 が大きいほど、実際の個数との比は1に近づきます。
ふつう
- 1から30までの整数のうち、2でも3でも5でも割り切れない数の個数を、集合の要素の個数の公式で求めなさい。
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2の倍数は15個、3の倍数は10個、5の倍数は6個。2と3の倍数(6の倍数)は5個、2と5の倍数(10の倍数)は3個、3と5の倍数(15の倍数)は2個、すべての倍数(30の倍数)は1個。よって 倍数の個数は 。残りは 8個(1、7、11、13、17、19、23、29)。 - 200以下の素数をエラトステネスの篩で見つけるとき、倍数を消すのに必要な素数をすべて答えなさい。
答えと解説を見る
合成数は、 以下の素数で必ず割り切れます。よって 2、3、5、7、11、13 の6個の倍数を消せば十分です。
むずかしい
- 1から100までの整数のうち、2でも3でも5でも7でも割り切れない数は何個か。
答えと解説を見る
倍数の個数:2は50、3は33、5は20、7は14(合計117)。2つの積:6は16、10は10、14は7、15は6、21は4、35は2(合計45)。3つの積:30は3、42は2、70は1、105は0(合計6)。4つの積:210は0。よって 倍数は 個。残りは 22個です(1と、11以上100以下の素数21個)。 - 1から210までの整数のうち、2でも3でも5でも7でも割り切れない数は何個か。割合の考え方で求めなさい。
答えと解説を見る
2で割り切れない割合は 、3で割り切れない割合は 、5は 、7は 。 なので、ちょうどこの割合で残ります。 48個。
セルバーグと関係する数学者
- エルデシュ(初等的な証明):素数定理の初等的な証明で、セルバーグと先取権の行きちがいがあった人。
- アダマール(素数定理):1896年に、複素数の関数を使って素数定理を証明した人。
- リーマン(ゼータ関数):ゼータ関数とリーマン予想を考えた人。
- ガウス(素数の予想):素数の個数が に近いと、予想した人。
- エラトステネス(素数のふるい):古代ギリシャで、素数を見つける篩を考えた人。
- ハーディ(臨界線のゼロ点):臨界線の上にゼロ点が無限にあることを示した人。
- 陳景潤(篩の方法):篩の方法でゴールドバッハ予想に迫った人。
- 張益唐(双子素数):篩の方法の発展で、双子素数の研究を前に進めた人。
- ヴェイユ(ゼータ関数):高等研究所の仲間で、ゼータ関数の理論を築いた人。
- ラングランズ(跡公式の活用):セルバーグの跡公式を大きな計画の道具にした人。
数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、用語は数学用語辞典(高校数学の言葉)もどうぞ。
20世紀の数学者
- ヒルベルトの業績と生涯
1900年に「ヒルベルトの23の問題」を発表。ヒルベルト空間 - ミンコフスキーの業績と生涯
数の幾何学・相対性理論の時空(ミンコフスキー空間) - アダマールの業績と生涯
素数定理を証明(ド・ラ・ヴァレ・プーサンと同じ1896年) - ラッセルの業績と生涯
集合論の「ラッセルのパラドックス」・『プリンキピア・マテマティカ』 - 高木貞治の業績と生涯
類体論を完成させた。日本の近代数学の父 - ルベーグの業績と生涯
ルベーグ積分(測度論) - ハーディの業績と生涯
ラマヌジャンを見いだした。『ある数学者の生涯と弁明』 - アインシュタインの業績と生涯
相対性理論。リーマン幾何学を重力の理論に使った。E=mc² - ネーターの業績と生涯
抽象代数学の母。対称性と保存則のネーターの定理 - ワイルの業績と生涯
リーマン面・群論と量子力学 - リトルウッドの業績と生涯
ハーディとの共同研究で解析数論を進めた - 掛谷宗一の業績と生涯
長さ1の針を回す最小の面積を問う「掛谷問題」
← 前の時代:岩澤健吉の業績と生涯 | 次の時代:マンデルブロの業績と生涯 →
有名な数学者一覧(年代順・国別・分野別)で、ほかの数学者も見られます。数学者たちが挑んだ問題は数学の難問・未解決問題の一覧にまとめています。
読みもの(合格大作戦の数学の記事)
- 算数・数学の公式一覧(公式辞典)
公式・証明・例題を1つずつ - 数学用語辞典(用語の意味を1語1ページ)
素数・漸近線など200語 - 唯一の偶数の素数「2」の話
素数から学ぶ逆転合格の考え方 - 2027は素数?双子素数と西暦の入試問題
2027=45²+2 - 数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)
青・黄・赤チャートの使い分け - 算数・数学 公式と用語の一覧(学年別・分野別)
公式辞典と用語辞典の入口 - 数学でよく使う記号の意味一覧
∞・Σ・∫ などの記号と読み方
よくある質問
セルバーグは何をした人ですか?
アトル・セルバーグは、ノルウェー生まれの数学者です。素数を調べる「セルバーグの篩」、素数定理の初等的な証明、ゼータ関数のゼロ点の研究、跡公式などで知られ、1950年にフィールズ賞を受けました。
セルバーグの篩とは何ですか?
数の集まりから、小さな素数の倍数を取りのぞいたとき、何個残るかを上から見積もる方法です。1947年にセルバーグが考え、素数や双子素数の研究に使われる基本の道具になりました。
素数定理の初等的な証明とは何ですか?
複素数の関数を使わずに、素数定理を証明することです。1948年にセルバーグが新しい公式を示し、セルバーグとエルデシュがそれぞれ初等的な証明を得ました。「初等的」は、やさしいという意味ではありません。
セルバーグとエルデシュの間に何があったのですか?
素数定理の初等的な証明をめぐって、先取権の行きちがいがあったことが知られています。二人はそれぞれ1948年に証明に到達し、1949年にそれぞれ論文を発表しました。エルデシュは共同の仕事と考え、セルバーグは別の見方をとりました。くわしい事情は、のちの語りによってちがいます。
セルバーグは何の賞を受けましたか?
1950年にフィールズ賞、1986年にウルフ賞(数学部門)を受けました。2002年には、アーベル賞の創設にあたり、名誉アーベル賞も贈られています。
セルバーグの跡公式とは何ですか?
曲がった面の上の閉じた測地線(最短の周回路)の長さと、ラプラシアンの固有値(音の高さ)を、1本の式で結びつける公式です。素数とゼータ関数のゼロ点を結ぶ式とよく似た形をしています。
セルバーグは何歳で亡くなりましたか?どこの国の人ですか?
セルバーグは1917年にノルウェーのランゲスンで生まれ、2007年8月6日にアメリカのプリンストンで90歳で亡くなりました。長くプリンストン高等研究所で研究しました。
セルバーグとほかの数学者との関係は?
素数定理の初等的な証明ではエルデシュと、ゼータ関数の研究ではリーマンやハーディと結びつきます。セルバーグの跡公式は、ラングランズの大きな計画の道具にもなりました。
セルバーグは中学受験・高校受験・大学受験に関係がありますか?
素数は中学受験から大学入試まで出題されます。エラトステネスの篩や、集合の要素の個数を求める問題は、セルバーグの篩の考え方につながっています。
セルバーグ・ゼータ関数とは何ですか?
閉じた測地線の長さからつくるゼータ関数です。リーマンのゼータ関数と似た形をもち、リーマン予想に対応する性質が証明されています。
あわせて読みたい
出典・参考
- MacTutor History of Mathematics「Atle Selberg」(セント・アンドルーズ大学)
- A. Selberg, “An elementary proof of the prime-number theorem”, Annals of Mathematics 50(1949年)
- A. Selberg, “On the zeros of Riemann’s zeta-function”, Skr. Norske Vid. Akad. Oslo(1942年)
最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦



