アインシュタインと数学|何をした人?数学が苦手は誤り・E=mc²・相対性理論の数学・名言の真偽

アインシュタインと数学|何をした人?数学が苦手は誤り・E=mc²・相対性理論の数学・名言の真偽

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アインシュタインAlbert Einstein

ひとことで言うと

12歳で幾何学に夢中になり、数学者グロスマンにリーマン幾何学を教わって一般相対性理論を完成させた物理学者。「数学が苦手だった」は誤り。

名前アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)
生没年1879年3月14日〜1955年4月18日(76歳)
国ドイツ生まれ。スイス、のちアメリカ(プリンストン)で活躍
分野理論物理学(数学との関わりが深い)
主な業績特殊相対性理論(1905年)、E=mc²、一般相対性理論(1915年)、光電効果の説明(ノーベル物理学賞)
数学との関わりユークリッド幾何学(12歳)、リーマン幾何学(グロスマンに学ぶ)、ミンコフスキーの時空、ヒルベルト・ネーターとの交流
名前がつくものアインシュタイン方程式・アインシュタインの縮約記法・アインシュタイン・テンソル・アインシュタイン–ローゼン橋

このページのポイント

  • 12歳でユークリッド幾何学の小冊子に出会い、14歳ごろまでに微分積分を独学。「数学が苦手だった」は誤り
  • 友人の数学者グロスマンにリーマン幾何学を教わり、1915年に一般相対性理論の方程式を完成(ヒルベルトとほぼ同時期)
  • ミンコフスキーの時空、ネーターの定理など、数学者たちの仕事が理論を支えた。出典の怪しい名言も多い人

アインシュタインは何をした人?(数学とのかかわりで)

アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein、1879〜1955年)は、ドイツ生まれの理論物理学者です。1905年に特殊相対性理論を発表し、E=mc²で知られる質量とエネルギーの関係を示しました。1915年には一般相対性理論を完成させ、「重力とは、時間と空間の曲がりである」という新しい考え方を示しました。1921年のノーベル物理学賞は、相対性理論ではなく、光電効果の説明に対して贈られました(MacTutor)。

このページは「数学者データベース」の1ページなので、アインシュタインを「数学との関わり」の切り口で紹介します。アインシュタインは数学者ではありません。しかし、相対性理論の完成には、幾何学・テンソル・リーマン幾何学・変分法といった数学が欠かせませんでした。しかも、若いころのアインシュタインは、数学を「物理の役に立たない飾り」と見ていた時期があったと伝えられます。それが、数学の力に気づいて、数学者たちの助けを借りながら、ついに一般相対性理論にたどりつきます。この物語は、「数学は、世界を理解するための言葉である」ことを教えてくれます。

もうひとつ、このページで取り上げたいのが「アインシュタインは数学が苦手だった」という話です。これは、資料に沿って確かめると誤りです。アインシュタインは、14歳ごろまでに微分積分を自分で学び、高校の数学では最高の成績をとっていました。受験生に勇気を与える話として語られることが多い話ですが、事実はちがいます。この点は、本文の「逸話」でくわしく説明します。

アインシュタインの肖像写真(1921年、シュムッツァー撮影)
42歳ごろのアインシュタイン(1921年、ウィーンの写真家シュムッツァーによる)画像:Ferdinand Schmutzer(1921年)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
うかるくん

うかるくん

アインシュタインって、物理の人ですよね。数学者のページに載っていていいんですか?

合格先生

合格先生

いい質問だね。アインシュタインの理論は、数学がなければ書けなかったんだ。ユークリッド幾何、三平方の定理、リーマン幾何、ネーターの定理……。このページでは、数学者たちとの出会いを通して、アインシュタインの物語をたどるよ。

アインシュタインと数学者たち アインシュタイン ユークリッド(12歳)幾何学の小冊子 ミンコフスキー大学の先生。時空 グロスマンリーマン幾何学を教える ヒルベルト1915年 方程式を競う ネーター保存則の定理(1918年) 数学は、物理の考えを形にする言葉だった
アインシュタインと数学者たち。ユークリッド・ミンコフスキー・グロスマン・ヒルベルト・ネーター

アインシュタインの生涯と年表(数学との出会い)

ドイツのウルムに生まれる

アインシュタインは1879年3月14日、ドイツ南部の都市ウルムで生まれました(MacTutor)。家はまもなくミュンヘンに移り、父と叔父は電気関係の会社を営んでいました。5歳のころ、父に見せてもらった方位磁針が、アインシュタインに強い印象をあたえた、と本人が語っています。見えない力が針を動かす――その「ふしぎ」が、のちの物理学への入口になりました。

12歳、「聖なる幾何学の小冊子」との出会い

アインシュタインは晩年の自伝的な文章(1949年の『自伝ノート』)で、12歳のとき、ユークリッド幾何学の小冊子と出会ったことを「第二の驚き」として語っています。最初の驚きは、方位磁針でした。本人はこの本を、少年時代に信じていた宗教の本になぞらえて、「聖なる幾何学の小冊子(das heilige Geometrie-Büchlein)」と書いています。たとえば、「三角形の3つの高さが1点で交わる」といった定理が、証明で確かにいえることに、深い感動を覚えたと語りました。

そのころ、叔父のヤコブが代数を教えてくれたと伝えられます。「代数は、つかまえたい動物の名前が x という、たのしい狩りだ」と説明された、という話です。また、医学生のマックス・タルムード(のちにタルメイ)が家に通って、数学や科学の本を貸してくれたと伝えられます。アインシュタインは、数年のうちに、自分で微積分まで学びました。

少年が見つけた三平方の定理の証明(と伝えられる)

アインシュタインは13歳になる前に、三平方の定理の自分なりの証明を見つけたと伝えられています(友人タルメイの回想にもとづく話です)。その証明は、直角三角形を、高さの線で2つの小さな三角形に分けて、「3つの三角形が相似」になることを使うものだった、と説明されます。次の図は、その考え方の例です。細かい手順は、資料によって語りが少しずつ異なる、「伝えられる話」です。

相似を使った三平方の定理の証明 ABCH abc △ABC ∽ △ACH ∽ △CBH(どれも相似)a² = c×HB、b² = c×AH を足すと a²+b²=c²(3,4,5 の三角形では HC=2.4)
直角三角形を、直角の頂点から斜辺へ下ろした高さで2つに分けると、3つの三角形は相似になる。ここから a²+b²=c² がいえる

チューリッヒ工科大学とグロスマン

アインシュタインは1895年にスイスのチューリッヒ工科大学(ETH)を受験しましたが、数学と物理は非常によくできたのに、文学・フランス語などの一般科目が合格点に届かず、不合格になりました。そこで、スイスのアーラウの高校に1年通い、1896年にチューリッヒ工科大学に入学しました。卒業は1900年で、数学と物理の教師の資格を得ています。このとき、同級生にマルセル・グロスマンという数学者がいました。グロスマンは、授業のノートをきちんととっていて、試験の前にアインシュタインがそのノートを借りた、と伝えられます。この友情が、のちに一般相対性理論を生むことになります。

1905年「奇跡の年」と、1907〜1915年の長い道のり

1905年、アインシュタインはスイスの特許局で働きながら、3つの重要な論文(光量子、ブラウン運動、特殊相対性理論)を書き、さらに質量とエネルギーの関係を示す短い論文を発表しました。この年は「奇跡の年(annus mirabilis)」とよばれています。そのあと、特殊相対性理論には重力が入っていないことが気になり、重力をふくむ理論の研究に10年かけました。1912年にチューリッヒに戻ると、友人グロスマンに助けを求めます。グロスマンは、曲がった空間を扱う数学(リーマン幾何学、テンソル解析)を教えました。1915年11月、ついに一般相対性理論の方程式が完成します。

名声、そしてアメリカへ

1919年、日食の観測で、太陽のそばを通る星の光が曲がることが確かめられ、アインシュタインは世界中に知られるようになりました。1921年のノーベル物理学賞(授与は1922年)は、光電効果の法則の発見に対して贈られています。1933年、ナチスの政権獲得を受けてアメリカに移り、プリンストン高等研究所の教授になりました。1955年4月18日、プリンストンで亡くなりました。76歳でした。

アインシュタインの歩み1879ドイツのウルムで生まれる1896チューリッヒ工科大学に入る1905特殊相対性理論・E=mc²1912グロスマンと曲がった空間へ1915一般相対性理論の方程式1921ノーベル物理学賞(授与は1922年)1933アメリカへ移る1955プリンストンで亡くなる年は本文の年表のとおり
アインシュタインの歩み。ウルム→チューリッヒ→1905年→1915年→プリンストン
年できごと
1879年3月14日、ドイツのウルムで生まれる
1891年ごろ12歳。ユークリッド幾何学の小冊子と出会う(本人の自伝的な文章による)
1893年ごろ14歳ごろまでに、微分積分を自分で学んだと本人が語っている
1895年チューリッヒ工科大学の入試で、一般科目が届かず不合格(数学・物理は高得点)
1896年アーラウの高校を出て、チューリッヒ工科大学に入学。グロスマンと同級になる
1900年チューリッヒ工科大学を卒業(数学・物理の教師の資格)
1905年奇跡の年。特殊相対性理論・光量子・ブラウン運動、質量とエネルギーの関係
1908年ミンコフスキーが、特殊相対性理論を4次元の時空の幾何学として整理
1912年チューリッヒで、グロスマンから曲がった空間の数学を学ぶ
1915年11月、一般相対性理論の方程式(重力場の方程式)が完成。ヒルベルトとほぼ同時期
1918年ネーターが「対称性と保存則」の定理を発表。アインシュタインが高く評価
1919年日食の観測で、星の光が太陽のそばで曲がることが確かめられる
1921年ノーベル物理学賞(光電効果。授与は1922年)
1933年アメリカに移り、プリンストン高等研究所の教授に
1955年4月18日、アメリカのプリンストンで亡くなる(76歳)

アインシュタインの主な業績を、数学とのかかわりでやさしく解説

業績1 特殊相対性理論と、ミンコフスキーの「時空」

1905年の特殊相対性理論は、「光の速さは、だれが測っても同じ」という原理から出発します。ここから、動いている時計はゆっくり進み、動いている物は進む向きに縮んで見える、という結論が出てきます。時間の進みの割合は、次の式で表されます(vv は速さ、cc は光の速さ)。

γ=11−(vc)2\gamma=\frac{1}{\sqrt{1-\left(\dfrac{v}{c}\right)^2}}

vv が cc に比べて小さいときは γ≈1\gamma\approx1 で、ふだんの生活では気づきません。しかし、光の速さに近づくと、急に大きくなります。たとえば、v=0.6cv=0.6c なら γ=1.25\gamma=1.25、v=0.8cv=0.8c なら γ=53≈1.67\gamma=\dfrac53\approx1.67 です。三平方の定理の形をした式であることに注意してください。

速いほど、時間はゆっくり進む 100.5cc(光速) 0.6c → 1.250.8c → 1.670.9c → 2.29 γ=1/√(1−(v/c)²)。光速に近づくと γ は急に大きくなる
動くものの時間がゆっくり進む割合γ。0.6cで1.25、0.8cで1.67、0.9cで2.29。光速に近づくと急に大きくなる

アインシュタインの大学時代の先生だった数学者ヘルマン・ミンコフスキー(ミンコフスキーの業績と生涯)は、1908年に、この理論の見方を一変させました。時間と空間を別々に考えるのではなく、「時間」と「空間」を合わせた4次元の世界(時空)として、幾何学で整理したのです。

ミンコフスキーの時空(光円錐) 場所 x時間 t未来過去光でも届かない領域光でも届かない領域 いま・ここ光の線 間隔 s² = c²t² − x²(時間と空間を1つの世界に)
時間を縦軸、場所を横軸にした時空の図。原点から45度に光の線が出て、未来と過去の光円錐ができる

これからは、空間そのものも、時間そのものも、影のように消えていく運命にあり、ただ両者の一種の結びつきだけが独立の実体を保つだろう。

ヘルマン・ミンコフスキー(1908年の講演「空間と時間」)(1908年9月、ケルンでの講演の有名な冒頭の言葉(日本語は大意))

アインシュタインは、はじめこの仕事を「余計な学問のかざり」とみていた、と伝えられます。しかし、のちにこの考え方が一般相対性理論に欠かせないことを理解します。ミンコフスキーは、アインシュタインが学生のころ、「なまけ者の犬」と評したとも伝えられます(逸話として語られています)。数学の先生に評価されなかった生徒が、その先生の数学で理論を大きく育てた、という皮肉な話です。

業績2 E=mc²:質量とエネルギーは同じものの別の姿

1905年の短い論文で、アインシュタインは、物体が光を出してエネルギーを失うと、質量もそれにともなって減る、という結論を導きました。のちに、これがE=mc²(エネルギー=質量×光の速さの2乗)という式にまとめられます。式のうえでは、とても簡単です。

E=mc2E=mc^2

c=3×108c=3\times10^8 m/s(毎秒30万キロメートル)なので、c2c^2 はとても大きな数です。質量1グラム(0.001 kg)を全部エネルギーに変えると、E=0.001×(3×108)2=9×1013E=0.001\times(3\times10^8)^2=9\times10^{13} ジュール。これは約2万トンの火薬(TNT)に相当する大きさです。

E = mc²(質量とエネルギー) 質量 1gm = 0.001 kg ×c² 9×10¹³ Jc=3×10⁸ m/s 1gが全部エネルギーになったとき約 2万トンの火薬(TNT)と同じ= 9兆J の 10倍(9×10¹³ J) 太陽は、毎秒およそ400万トンの質量をエネルギーに変えて光っている
質量1グラムは、E=mc²から9×10¹³ジュール。約2万トンの火薬にあたる

この式は、太陽がなぜ光りつづけるか(核融合で質量が少しずつエネルギーに変わる)や、原子力発電の仕組みを理解する鍵になっています。ギリシャ文字の読み方一覧(24文字)のように、数式には、記号の意味を知ることが大切です。

業績3 一般相対性理論:重力は「時空の曲がり」(リーマン幾何学)

特殊相対性理論ができたあと、アインシュタインは「重力」をどう扱うかに悩みました。やがて、「自由に落ちている人は、重さを感じない」ことから、重力と加速度が区別できないのでは、と気づきます(等価原理)。そこから、「重力は、時空そのものの曲がりである」という考えに進みました。

曲がった空間を数学で扱うには、リーマンの業績と生涯が1854年に作ったリーマン幾何学が必要でした。曲がった面では、三角形の内角の和が180°とは限りません。球面の上の三角形が、その例です。

曲がった面では、三角形の角の和が変わる 平らな面内角の和 = 180° 北極球面の上の三角形 3つの角がすべて90°なら、内角の和は270° 重力=時空の曲がり(一般相対性理論)
平らな面の三角形の内角の和は180°。球面の上の三角形は、3つの角がすべて90°になることがあり、和は270°

アインシュタインは、この数学に詳しくありませんでした。そこで、同級生だった数学者グロスマンに、助けを求めます。1912年にグロスマンに手紙を書いて、「助けてくれ、さもなければ気が変になりそうだ」という内容を伝えた、と伝えられます(文面は資料によって異なります)。グロスマンは、リーマン幾何学とテンソル解析(ガウスの曲面の幾何学が曲面で始めた考えの発展)を教えてくれました。1913年には、2人の共同論文が出ています。

1915年11月、アインシュタインは重力場の方程式を完成させました。簡単な形で書くと、次の式です。

Gμν=8πGc4 TμνG_{\mu\nu}=\frac{8\pi G}{c^4}\,T_{\mu\nu}

左辺は「時空の曲がり」、右辺は「物質とエネルギーの分布」です。「物質が、時空に曲がり方を教え、時空が、物質に動き方を教える」と、よくたとえられます。同じころ、数学者のヒルベルト(ヒルベルトの業績と生涯)もゲッティンゲンで同じ方程式に取り組んでいて、1915年11月に論文を提出しています。誰が先かについては、のちに議論になりましたが、2人が互いの研究に刺激を受けたことは、多くの資料で認められています。

業績4 数学者たちとの交流:ネーターと「対称性と保存則」

ヒルベルトのもとにいた数学者エミー・ネーター(ネーターの業績と生涯)は、1918年に「対称性があれば、保存される量がある」というネーターの定理を発表しました。たとえば、「実験をいつ行っても結果が同じ(時間の対称性)」なら、エネルギーが保存されます。この定理は、一般相対性理論でエネルギー保存則がどうなるか、という疑問に答えるきっかけから生まれたとされます。

アインシュタインは、ネーターの仕事を高く評価していたことで知られます。1935年にネーターが亡くなったとき、アインシュタインは『ニューヨーク・タイムズ』に追悼の文を寄せました(次の「逸話と名言」を参照)。

アインシュタインの名前がつく公式・定理・用語

  • E=mc²:質量とエネルギーの等価性。
  • アインシュタイン方程式(重力場の方程式):一般相対性理論の中心の式。
  • アインシュタインの縮約記法:同じ添え字が2回出てきたら、足し合わせると約束する書き方。数式を短くする工夫です。
  • アインシュタイン・テンソル:時空の曲がりを表す量。
  • アインシュタインの関係式:ブラウン運動の拡散を表す式(1905年)。
  • アインシュタイン–ローゼン橋(ワームホール):時空のトンネルの考え方。

高校までの数学で、関係の深い公式・用語は次のとおりです。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

アインシュタインの出発点は、12歳で出会った「ユークリッド幾何学」だったんだ。証明で「確かにいえる」ことに感動した。中学で習う三平方の定理や相似は、世界でいちばん有名な物理学者が夢中になった入口なんだよ。

アインシュタインの逸話と名言(数学とのかかわり)

「数学が苦手だった」は誤り

「アインシュタインは数学が苦手で、落第した」という話を聞いたことがあるかもしれません。これは誤りです。次のような事実が確かめられています。

  • アインシュタインは、14歳ごろまでに、微分と積分を自分で学んだと本人が語っています。
  • 1895年のチューリッヒ工科大学の入試では、一般科目(フランス語など)が足りず不合格になりましたが、数学と物理の成績は非常に優秀でした。
  • アーラウの高校の卒業時には、代数・幾何・画法幾何で最高の成績をとっています。

この誤解が広まった理由として、アーラウの高校の成績の付け方が、あとで逆(6が最高)に変わったことや、1935年に新聞の「ビリーブ・イット・オア・ノット」という連載が、「アインシュタインは数学で落第した」と紹介したことがあげられます。これに対して、アインシュタインは「私は数学で落第したことはない。15歳になる前に微分積分をマスターしていた」と答えた、と伝えられています。

では、次の言葉はどうでしょう。

数学がうまくできないことを心配しないでください。私の困難は、あなたの困難よりずっと大きいと保証します。

アインシュタイン(1943年、高校生の女の子への返事の手紙)(アリス・カラプリス編『アインシュタインの言葉』などに紹介される手紙。日本語は大意)

この手紙は、数学が苦手で悩んでいた女子高校生に返事を書いたもので、「アインシュタインでさえ数学に苦労した」と読まれることもあります。しかし、これは励ましの言葉で、「物理の問題に比べて、数学はそれ自体が難しい」ことを意味している、と解釈するのが適切です。

数学への考えが変わった瞬間

1912年、アインシュタインは友人の物理学者に宛てた手紙の中で、数学について、次のような内容を書いたと伝えられます。「私は数学に対して大きな敬意を持つようになった。その微妙な部分を、これまで無知から、ぜいたく品と思っていた」(ゾンマーフェルトへの手紙、大意)。物理学者が、数学の力を認めた瞬間です。

ネーターへの追悼

1935年、エミー・ネーターが亡くなったとき、アインシュタインは『ニューヨーク・タイムズ』に追悼の文を送りました。その中に、次の有名な言葉があります。

純粋数学とは、それなりの意味で、論理的な考えの詩である。

アインシュタイン(1935年、ネーターへの追悼文)(1935年5月5日付『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された追悼文にあるとされる言葉(日本語は大意))

幾何学と現実の関係についての言葉

1921年に行われた講演「幾何学と経験」の中に、次の言葉があります。

数学の法則が現実について述べているかぎり、それは確かではない。確かであるかぎり、現実について述べていない。

アインシュタイン(1921年の講演「幾何学と経験」)(1921年1月にプロイセン科学アカデミーで行った講演。日本語は大意)

数学の証明は、約束事(公理)のもとで確かですが、それが現実の世界にそのまま成り立つかは別の問題だ、という意味です。ユークリッド幾何学が、現実の空間の完全な記述ではないことを、アインシュタインは一般相対性理論で示したともいえます。

想像力についての言葉

アインシュタインの言葉として、「想像力は知識よりも大切だ」というものがよく知られています。これは、1929年の『サタデー・イブニング・ポスト』のインタビューで、アインシュタインが語ったと伝えられる内容にもとづきます(ただし、インタビューの記事は、聞き手の編集が入っているため、一字一句が本人の言葉とは限りません)。

本人の言葉かは確かめられていない名言

アインシュタインは、「名言が作られやすい人」としても知られます。次のような言葉は、広く知られていますが、アインシュタイン本人の言葉かどうかは確かめられていません。

  • 「狂気とは、同じことを何度もくり返して、違う結果を期待することだ」:アインシュタインの言葉として広まっていますが、本人が言ったという確かな出典は見つかっていないとされます。
  • 「複利は人類最大の発明(または第8の不思議)だ」:同じく、本人の言葉という確かな出典は確かめられていません。

数学や科学の名言を引用するときは、出典(いつ、どこで言ったか)を確かめるのが大切です。入試の小論文でも、出典の分からない名言をそのまま使うのは避けたほうが安全です。

サクラちゃん

サクラちゃん

数学が苦手で、アインシュタインみたいになりたいと思っていたのに……。

合格先生

合格先生

アインシュタインは、数学が好きだったんだよ。12歳で幾何学に夢中になって、自分で微分積分まで勉強した。そのうえで、「物理のためには、もっと数学が必要だ」と気づいて、数学者の友人に教えを求めたんだ。苦手を認めて、人に聞くのも、すごい力だよ。

受験・勉強とアインシュタインのつながり

中学受験・高校受験:三平方の定理と相似

アインシュタインが12歳で出会ったユークリッド幾何学は、中学数学の「図形」の分野そのものです。三平方の定理(三平方の定理)、相似(相似の基本形)、三角形の高さ(三角形の相似条件)は、高校入試で毎年出る内容です。直角三角形を、斜辺への高さで2つに分け、3つが相似であることを使う問題は、入試の定番です。たとえば、辺が3、4、5の直角三角形では、斜辺5への高さは 3×4÷5=2.43\times4\div5=2.4 になります。

大学受験:ベクトル・行列・微積分と物理

アインシュタインの数学は、大学で学ぶ内容につながっています。行列式の計算と性質やベクトルの内積は、座標を変えても形が変わらない量を調べる考え方につながります。物理の入試で出るE=mc²や、時間の遅れの式(上の γ\gamma)は、平方根の計算と分数の計算で扱えます。

勉強法として:「ふしぎ」を大切にする

アインシュタインは、5歳のときの方位磁針、12歳のときの幾何学の本という、2つの「ふしぎ」から出発しました。受験勉強では、公式を暗記するだけになりがちですが、「なぜそうなるのか」を考える時間を、ときどき取ってみてください。たとえば、三平方の定理を、公式としてだけでなく、図で説明できるようにする。この習慣は、数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)でも勧めています。また、数学でよく使う記号の意味一覧やギリシャ文字の読み方一覧を知っておくと、物理の式を読むのが楽になります。

「できない」と決めつけない

「数学が苦手だった」という誤解は、勉強に悩む人を励ますために使われることがありますが、事実ではありません。むしろ大切なのは、アインシュタインが「自分に足りない数学を、友人から学んだ」ことです。苦手な分野が見つかったら、できる人や先生に聞く。解説を読む。何度でもやり直す。それが、実力をつける王道です。

アインシュタインがその後の数学にあたえた影響

  • 微分幾何学(リーマン幾何学)の発展:一般相対性理論は、リーマン幾何学・テンソル解析が現実の世界の記述に使えることを示し、研究者の関心を一気に高めました。20世紀の幾何学は、相対性理論と深く結びついて発展します。
  • 物理と数学の関係:「数学的に美しい理論は、自然の記述にも向いている」という見方を強めました。ネーターの定理や、ヒルベルトの変分法の仕事も、物理学の理論の作り方を変えました。
  • 特異点定理・ブラックホールの研究:アインシュタイン方程式の解を調べる研究は、ペンローズやホーキングらによる特異点定理など、幾何学的な仕事を生みました。
  • 宇宙論・測地線・計量の研究:宇宙全体の形や、膨張を、方程式の解として調べる研究が始まりました。
  • 幾何学と物理学の統一:ワイルをはじめとする数学者たちは、アインシュタインの理論をきっかけに、電磁気と重力を幾何学で統一しようと試みました。この試みは、現代のゲージ理論につながります。

ワイルの業績と生涯は、アインシュタインの理論を数学者の立場から深く研究した一人です。数学者が物理の問題に刺激を受け、物理学者が数学の道具を借りる――その関係は、今も続いています。理系時計(GeekClock)の数式の意味のように、数式で身近な世界を読み解く楽しさも、この流れの先にあります。

アインシュタインに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 直角をはさむ2辺が3と4の直角三角形で、斜辺の長さを求めなさい。
    答えと解説を見る三平方の定理より 3²+4²=9+16=25。斜辺は √25=5。
  2. 辺が3、4、5の直角三角形で、直角の頂点から斜辺5に下ろした高さを求めなさい。(面積を2通りで表す)
    答えと解説を見る面積は 3×4÷2=6。斜辺を底辺とすると 5×高さ÷2=6。高さ=12÷5=2.4。

ふつう

  1. E=mc² で、質量 m=0.002m=0.002 kg のエネルギーを求めなさい。c=3×108c=3\times10^8 m/s とします。
    答えと解説を見るE=0.002×(3×108)2=0.002×9×1016=1.8×1014E=0.002\times(3\times10^8)^2=0.002\times9\times10^{16}=1.8\times10^{14} ジュール。1.8×10¹⁴ J(1gの2倍)。
  2. 光の速さの0.6倍で動くロケットの時計は、地上の時計に比べて遅れます。γ=1.25\gamma=1.25 のとき、地上で10秒たつ間に、ロケットの時計は何秒進みますか。
    答えと解説を見るロケットの時計は、地上の 1γ=11.25=0.8\dfrac{1}{\gamma}=\dfrac{1}{1.25}=0.8 倍しか進みません。10×0.8=8秒。

むずかしい

  1. 球面の上に、北極と、赤道上で経度が90°ちがう2点を結んだ三角形を作ります。3つの角はすべて90°です。内角の和を求め、平らな面の三角形との差を答えなさい。
    答えと解説を見る内角の和は 90°×3=270°。平らな面なら180°なので、差は90°。(この余りの角は、球面の表面積の1/8にあたる部分の曲がりぐあいを表します)
  2. 光の速さを c=1c=1 とした単位で、時空の間隔を s2=t2−x2s^2=t^2-x^2 とします。出来事Aから出来事Bまでが、t=5t=5、x=3x=3 のとき、ss はいくつですか。
    答えと解説を見るs2=25−9=16s^2=25-9=16 なので、s=4s=4。(三平方の定理の「引き算版」です。t>xt>x なので、光より遅く行ける関係です)

アインシュタインと関係する数学者

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20世紀の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

アインシュタインは何をした人ですか?

アインシュタインは、ドイツ生まれの理論物理学者です。1905年に特殊相対性理論を発表してE=mc²を示し、1915年に一般相対性理論を完成させました。1921年のノーベル物理学賞は、光電効果の説明に対して贈られました。

アインシュタインは数学が苦手だったのですか?

いいえ、誤りです。12歳でユークリッド幾何学に夢中になり、14歳ごろまでに微分積分を独学しました。1895年に不合格になったのはチューリッヒ工科大学の入試ですが、数学と物理は高得点で、不合格の理由は一般科目でした。

アインシュタインと数学の関係を教えてください。

少年のころの幾何学、大学の先生だったミンコフスキーの時空、友人グロスマンに教わったリーマン幾何学、ヒルベルトやネーターとの交流など、数学者たちの助けが一般相対性理論の完成に欠かせませんでした。

アインシュタインは三平方の定理の証明を見つけたのですか?

13歳になる前に、自分なりの三平方の定理の証明を見つけたと伝えられています。直角三角形を高さで分けて、相似を使う考え方だったと説明されますが、細かい点は語りによって異なります。

E=mc²とはどういう式ですか?

質量mとエネルギーEは同じものの別の姿で、光の速さcの2乗をかけて変換できるという式です。質量1グラムは、約9×10の13乗ジュールで、約2万トンの火薬に相当します。

グロスマンとアインシュタインの関係は?

グロスマンは、チューリッヒ工科大学の同級生の数学者です。1912年から、アインシュタインにリーマン幾何学とテンソル解析を教え、1913年には共同論文を発表しました。

アインシュタインとヒルベルトは、一般相対性理論をめぐって争ったのですか?

1915年11月、アインシュタインとヒルベルトは、ほぼ同じ時期に重力場の方程式に到達しました。優先権をめぐる議論がありましたが、2人が互いに刺激し合ったことは多くの資料で認められています。

アインシュタインの有名な名言は本人の言葉ですか?

確かな出典があるものとしては、ネーターへの追悼文の「純粋数学は論理的な考えの詩である」や、講演「幾何学と経験」の言葉などがあります。一方、「狂気とは同じことをくり返すこと」「複利は第8の不思議」などは、本人の言葉か確かめられていません。

アインシュタインの理論は受験に関係がありますか?

三平方の定理や相似、平方根の計算など、中学・高校の図形や計算が出発点です。E=mc²やローレンツ因子の計算は、物理の入試でも扱われます。

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出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Albert Einstein」(セント・アンドルーズ大学)
  • A. Einstein, “Autobiographical Notes”(1949年、P. A. Schilpp 編『Albert Einstein: Philosopher-Scientist』所収)
  • A. Einstein, “Geometrie und Erfahrung”(1921年)
  • A. Einstein, “Zur Elektrodynamik bewegter Körper”, Annalen der Physik 17(1905年)
  • H. Minkowski, “Raum und Zeit”(1908年)
  • A. Einstein, “Professor Einstein Writes in Appreciation of a Fellow-Mathematician”, The New York Times(1935年5月5日)
  • 肖像写真:Ferdinand Schmutzer(1921年)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦