リトルウッドは何をした人?業績をわかりやすく|ハーディとの共同研究・3原則・素数の個数の逆転・奇跡の法則

リトルウッドは何をした人?業績をわかりやすく|ハーディとの共同研究・3原則・素数の個数の逆転・奇跡の法則

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リトルウッドJohn Edensor Littlewood

ひとことで言うと

約35年、ハーディと手紙で共同研究をしたイギリスの数学者。リトルウッドの3原則と、素数の個数の逆転(1914年)でも知られる。

名前ジョン・エデンサー・リトルウッド(John Edensor Littlewood)
生没年1885年6月9日〜1977年9月6日(92歳)
国イギリス(ロチェスター生まれ、ケンブリッジ大学教授)
分野解析学・解析的整数論・微分方程式
主な業績ハーディとの共同研究(円周法・ウェアリングの問題)、素数の個数の近似式の逆転(1914年)、リトルウッドの3原則、カートライトとの微分方程式の研究
名前がつくものリトルウッドの3原則・ハーディ・リトルウッド予想・円周法・リトルウッド・ペイリー理論・リトルウッドの奇跡の法則
よばれ方ハーディの相棒。「ハーディ・リトルウッド」の片方

このページのポイント

  • ハーディと約35年にわたって手紙で共同研究。ボーアは「4つの約束」を紹介した
  • 1914年、素数の個数の近似式と本当の個数の差が、プラスとマイナスを無限に行き来することを証明した
  • 解析学の直観を伝える3原則や、エッセイ集『ある数学者の雑録』(奇跡の法則)で知られる

リトルウッドは何をした人?(業績をひとことで)

ジョン・エデンサー・リトルウッド(1885〜1977年)は、イギリスの数学者です。ケンブリッジ大学で、同じケンブリッジのハーディと、約35年にわたって共同研究を続けたことで有名です。2人は、素数、ウェアリングの問題、ゼータ関数、級数、不等式など、解析的整数論の広い範囲で、数多くの定理を作りました。「ハーディ・リトルウッド」という名前は、数学の中で何十回も出てくる名前です。

リトルウッド自身の業績としては、1914年に、素数の個数の近似式とほんとうの個数の差が、プラスとマイナスを無限に行き来することを証明したこと、解析学の直観をまとめた「リトルウッドの3原則」、カートライトとの微分方程式の研究などがあります。エッセイ集『ある数学者の雑録(A Mathematician's Miscellany)』(1953年)は、数学者の考え方や、おもしろい逸話がつまった本として読まれています。

受験生にはなじみの薄い名前かもしれませんが、ハーディの業績と生涯の相棒として、またラマヌジャンと不思議な公式の才能を最初に見抜いた1人として、数学の歴史で大きな役割を果たした人です。

うかるくん

うかるくん

ハーディさんと2人でずっと研究してたんですね。手紙だけでやりとりしたって本当ですか?

合格先生

合格先生

2人はほとんど会わずに、手紙で共同研究したと伝えられているよ。デンマークの数学者ボーアが1947年の講演で、2人の「4つの約束」を紹介しているんだ。くわしくはこのページで説明するね。

リトルウッドの生涯と年表

数学者の家に生まれ、南アフリカへ

リトルウッドは1885年6月9日、イングランド南東部のロチェスターで生まれました。父エドワード・ソーントン・リトルウッドは数学者(ケンブリッジ大学で優秀な成績を取った人)で、母はシルヴィア・モード・アクランドです。リトルウッドが7歳ごろの1892年、父は、新しくできる学校の校長の仕事を選んで、一家は南アフリカのウィンバーグに引っ越します。ところが、そこでの授業のレベルは高くなく、リトルウッドは算数の試験に落ちたこともあったといいます。ケープタウン大学でもよい指導は受けられず、両親は息子をイギリスに戻すことにしました。

ロンドンのセント・ポールズ校へ

1900年、15歳でロンドンの名門セント・ポールズ校に入学しました。ここで出会った数学の先生フランシス・マコーレーが、リトルウッドの数学の力を大きく伸ばしました。

ケンブリッジ大学と、リーマン予想という宿題

1902年12月、ケンブリッジ大学の奨学金に合格し、1903年にトリニティ・カレッジに入学しました。大学の数学の試験でもトップクラスの成績で、1906年に卒業したあと、E・W・バーンズのもとで研究を始めます。バーンズがリトルウッドに出した研究課題が、なんとリーマン予想とは?素数の謎のかぎでした。リトルウッド自身は、「むずかしすぎる問題に挑戦すると、まわりの面白い結果が見つかるものだ」という意味のことを語っています。

1907年から1910年はマンチェスター大学の講師として過ごし、1908年にトリニティ・カレッジのフェローとなり、この年に数学の賞(スミス賞)を取りました。1910年にケンブリッジに戻ります。

ハーディとの共同研究が始まる

1911年ごろ(1910年という資料もあります)から、リトルウッドはハーディとの共同研究を始めます。この共同研究は約35年も続き、2人の名前をつけた定理が数多く生まれました。1913年にインドのラマヌジャンからハーディに手紙が届いたとき、リトルウッドも検討に加わり、ラマヌジャンをケンブリッジに迎える道が開かれました。

第一次世界大戦:大砲の計算

第一次世界大戦(1914〜1918年)が始まると、リトルウッドは王立駐屯砲兵隊に入り、対空砲の弾道の計算を改良する仕事をしました。のちに、同僚のミルンは、「リトルウッドの計算した弾道と、実際に砲弾が破裂した位置は、とてもよく一致していた」と報告しています。数学者が、戦場の計算に直接役立った例です。

ラウズ・ボール教授として

1928年、リトルウッドはケンブリッジ大学の初代のラウズ・ボール数学教授になりました。この教授職は、数学者ラウズ・ボールが1925年に亡くなったときの遺産で作られたもので、授業のテーマを自由に選べる、研究者にとって理想的な地位でした。1941年から1943年にはロンドン数学会の会長もつとめましたが、会長として会議を主宰したことは一度もなかったといわれます。

晩年と最期

1938年ごろから、リトルウッドは、無線の研究に関係する委員会の依頼で、メアリー・カートライトとともに非線形の微分方程式の研究を、約20年続けました。リトルウッドは若いころから、気分が沈むことに悩まされたと伝えられています。引退後は、よい治療を受けられるようになり、1957年以降はよくアメリカを訪れました。趣味はクリケット、音楽、ロッククライミング、スキーでした。1977年9月6日、ケンブリッジで92歳で亡くなりました。

年できごと
1885年6月9日、イギリスのロチェスターで生まれる
1892年一家で南アフリカのウィンバーグに引っ越す
1900年ロンドンのセント・ポールズ校に入学(15歳)
1903年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学
1908年トリニティ・カレッジのフェローになる。スミス賞を受ける
1911年ごろハーディとの共同研究が始まる(約35年続く)
1913年ラマヌジャンの手紙を、ハーディとともに検討する
1914年素数の個数の近似式との差が、符号を無限回かえることを証明
1914〜18年第一次世界大戦で、対空砲の弾道計算を改良する
1928年ケンブリッジ大学の初代ラウズ・ボール数学教授になる
1938年ごろカートライトと非線形微分方程式の研究を始める
1944年『関数論講義』を出版(3原則を紹介)
1947年ハーディが亡くなる。ボーアが2人の共同研究について講演する
1953年エッセイ集『ある数学者の雑録』を出版
1977年9月6日、ケンブリッジで亡くなる(92歳)

リトルウッドの主な業績をやさしく解説

業績1 ハーディとの共同研究(4つの約束)

リトルウッドの最大の業績は、ハーディとの共同研究です。2人は、かなり変わった「共同研究の約束」を決めていたと、デンマークの数学者ハラルド・ボーアが1947年の講演で紹介しています。MacTutor には、その約束が4つあげられています。

手紙だけの共同研究(約35年)ハーディリトルウッド2人の「4つの約束」(ボーアの講演による)① 内容の正しさは気にしない② 返事を書く義務はない③ 同じことを考えていても、気にしない④ 議論(言い合い)は、さける
ハーディとリトルウッドの手紙による共同研究と、「4つの約束」

手紙の中身が正しくてもまちがっていても気にしない、返事を書く義務はない、同じことを考えていても気にしない、そして議論(言い合い)はさけること。相手に気をつかわず、自由に考えるための約束でした。この共同研究から、ハーディの項でも紹介した、数多くの定理が生まれました。

2人の共同研究のようすを知る人々のあいだで、「今のイギリスで、本当に偉大な数学者は3人しかいない。ハーディ、リトルウッド、そして『ハーディ・リトルウッド』だ」という冗談がはやったと、ボーアは講演で紹介しています。それくらい、2人は「1つのチーム」として数学の世界に知られていました。

業績2 素数の個数と、1914年の結果

素数は、1, 2, 3, ……と数えていくと、だんだんまばらになります。ガウスの業績と生涯は少年のころ、「xx 以下の素数の個数 π(x)\pi(x) は、およそ xlog⁡x\dfrac{x}{\log x} 個だ」と予想しました。もう少しよい近似式が、li(x)=∫2xdtlog⁡t\mathrm{li}(x)=\displaystyle\int_2^x\frac{dt}{\log t}(対数積分)です(定数の取り方は流儀によって少しちがいます)。この予想は1896年にアダマールらが証明し、素数定理(素数の分布の法則)となりました。

li(x)−π(x) の差(x が200まで)差=0x →この範囲では、差はいつもプラスでも、巨大な x では逆転する(1914年)li(x) は素数の個数の近似式、π(x) は本当の個数
li(x) と、本当の素数の個数 π(x) の差。x が200までは、差はずっとプラス

ふしぎなのは、xx が小さいうちは、いつも li(x)>π(x)\mathrm{li}(x)>\pi(x) になっていることです。実際に計算できる範囲では、ずっとそうなっているので、数学者たちは「いつまでもそうなのでは」と思っていました。ところがリトルウッドは1914年、li(x)−π(x)\mathrm{li}(x)-\pi(x) がプラスとマイナスを無限に行き来することを証明しました。つまり、とほうもなく大きな xx では、かならず逆転するのです。リトルウッドの証明は、逆転が起こる具体的な場所を示すものではありませんでした。のちにリトルウッドの教え子のスキューズが、最初の逆転の場所の上限を、とても大きな数で示したとされます(スキューズ数)。

この結果は、「たくさん調べて、いつも成り立つ」ことと「証明できる」ことのちがいを示す、数学の有名な教訓です。くわしくは、素数定理の難問ページも見てください。素数が何個あるかを数えるとき、π(100)=25\pi(100)=25 に対し、100log⁡100≈21.7\dfrac{100}{\log100}\approx21.7 は、おおよその目安として使えます。

業績3 ウェアリングの問題と円周法

「どんな自然数も、4個以下の平方数の和で書ける」(ラグランジュの四平方定理)。たとえば 7=4+1+1+17=4+1+1+1 です。これを3乗、4乗、……に広げたのがウェアリングの問題です。3乗数の場合、23は 8+8+1+1+1+1+1+1+18+8+1+1+1+1+1+1+1 と、9個の立方数が必要で、どんな自然数も9個以下の立方数で書けるとわかっています(1909年にヒルベルトが、一般の kk 乗で「有限個でよい」ことを証明しました)。

ウェアリングの問題:必要な個数42乗93乗194乗375乗どんな自然数も、k乗数をこの個数まで使えば作れる
どんな自然数も、k乗数を何個まで使えば書けるか。2乗は4個、3乗は9個、4乗は19個、5乗は37個

ハーディとリトルウッドは、整数の問題を複素数の積分に置きかえて、円周上で調べる円周法という方法で、この問題を大きく前に進めました。円周法は、のちの解析的整数論の標準的な道具になり、ラマヌジャンの分割数の公式にも使われました。さらに2人は、ゴールドバッハ予想の仲間である「大きな奇数は3つの素数の和で書ける」という予想を、ある仮定のもとで証明し(1923年)、双子素数の予想についても、双子素数がどのくらいあるかを予想する式を作りました(ハーディ・リトルウッド予想)。

業績4 リトルウッドの3原則

リトルウッドは、1944年の本『関数論講義』の中で、解析学(とくに実解析)の、直観をつかむための3つの原則を紹介しました。ここでいう実解析とは、積分や極限を、きびしい論理で扱う数学です。3つの原則は、およそ次のとおりです。

  • 第1原則:どんな(測れる)集合も、ほとんど「区間の和」とみなせる。
  • 第2原則:どんな(測れる)関数も、ほとんど連続な関数とみなせる。
  • 第3原則:ある関数に近づいていく関数列は、ほとんど一様に近づいている。
リトルウッドの3原則(イメージ)① 集合区間の和に近い② 関数ほぼ連続な関数③ 収束ほぼ一様に収束「ほとんど」やさしい形で考えてよい、という見方むずかしい解析学の定理の直観の助けになる
リトルウッドの3原則。集合・関数・収束を「ほとんど」やさしい形としてとらえる

実は、この3つにはそれぞれ数学的な名前がついています(第2原則はルジンの定理、第3原則はエゴロフの定理といいます)。むずかしい定理を、「ほとんどやさしい形で考えてよい」という言葉で覚えさせるところが、リトルウッドらしい見方です。この見方は、ルベーグの積分を学ぶ大学生の道しるべとなっています。

業績5 タウバー型の定理、不等式、微分方程式

リトルウッドとハーディは、タウバー型の定理(級数の和についての性質から、元の数列の性質を導く定理)の研究でも大きな業績を上げました。ハーディ・リトルウッドのタウバー型定理は、そのひとつです。また、不等式の本『不等式(Inequalities)』(ハーディ、リトルウッド、ポリア共著、1934年)は、この分野の古典で、今も読まれています。

1938年からは、メアリー・カートライトと協力して、非線形の微分方程式の研究を行いました。電気回路の中の振動のような、複雑な動きを調べる仕事で、のちにカオスと動力学系の研究のさきがけになったといわれます。

リトルウッドの名前がつく公式・定理・用語

  • リトルウッドの3原則:集合・関数・収束を「ほとんど」やさしい形で見る見方。
  • ハーディ・リトルウッドの円周法:整数の和の問題を複素積分で調べる方法。→ 合同式(mod)の計算などの整数の基礎があると理解しやすい
  • ハーディ・リトルウッド予想:素数の組(双子素数など)の個数を表す予想。→ 双子素数の予想
  • ハーディ・リトルウッドのタウバー型定理、極大関数:解析学で習います。
  • リトルウッド・ペイリー理論:フーリエ級数を細かく分けて調べる理論(1930年代)。
  • リトルウッド・オフォードの問題:ランダムな符号をつけた和についての問題。
  • リトルウッドの奇跡の法則:奇跡のようなできごとも、1か月に1回は起こるという冗談。
  • リトルウッドの予想:2つの無理数に関する整数論の予想(未解決の部分が残っています)。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

「リトルウッド」が出てきたら、まず「ハーディの相棒」と覚えよう。名前は教科書にあまり出ないけれど、素数・整数の難しい定理の裏側にいる人なんだ。

リトルウッドの逸話と名言

ハーディとの「4つの約束」

先ほど紹介した約束のうち、いちばん有名なものは「返事を書く義務はない」でしょう。普通の人間関係では考えにくいルールですが、2人は、そのおかげで、たがいの時間を気にせず、のびのびと考えられたようです。

今のイギリスで、本当に偉大な数学者は3人しかいない。ハーディ、リトルウッド、そしてハーディ・リトルウッドだ。

ハラルド・ボーア(が紹介した冗談)(1947年のハーディ追悼の講演で、ボーアが同僚の冗談として紹介したもの)

ラマヌジャンについての言葉

ラマヌジャンについて、リトルウッドは「あらゆる自然数が、ラマヌジャンの個人的な友人のようだった」と言ったと伝えられます。ラマヌジャンが整数についてもっていた不思議な親しみと直観を、うまく言いあらわした言葉として、よく引用されます。リトルウッドの言葉として広まっていますが、いつどこで言ったかは、はっきりしないとされます。

奇跡の法則

『ある数学者の雑録』には、「奇跡の法則」という冗談の理論がのっています。人間は、起きている間、1秒に1つくらい「出来事」を体験すると考えます。1日8時間起きているとすると、1日に28,800個です。100万回に1度しか起こらないはずの出来事(これを「奇跡」と名づけます)も、約35日で100万個の出来事を体験するので、だいたい1か月に1回は起こることになります。「奇跡のような偶然」は、思ったよりも起こりやすい、という確率の考え方を、ユーモアをこめて表したものです。

リトルウッドの「奇跡の法則」1日め35日め:奇跡が起こる1秒に1つ × 1日8時間 = 28,800 個の出来事100万個 ÷ 28,800 ≒ 約35日百万に1つの奇跡は、約1か月に1回
1秒に1つの出来事を1日8時間体験すると、約35日で100万個。奇跡は約1か月に1回起こる

数学者の「趣味」

リトルウッドは、クリケット、音楽、ロッククライミング、スキーを楽しみました。数学の研究と、体を動かすことの両方を大切にした人でした。

サクラちゃん

サクラちゃん

1カ月に1回、奇跡が起きるなんて、ちょっと元気が出る話ですね。

合格先生

合格先生

そうだね。珍しいことも、数が多ければ、ふつうに起こる。入試の確率の問題でも「めったに起こらない」と「絶対に起こらない」を混ぜないことが大事だよ。

3人の生きた時代188019001920194019601980ハーディラマヌジャンリトルウッド191119131911 共同研究のはじまり/1913 ラマヌジャンの手紙
ハーディ、ラマヌジャン、リトルウッドの生きた期間。1911年に共同研究が始まり、1913年に手紙が届く

受験・勉強とリトルウッドのつながり

中学受験・高校受験:素数と確率の感覚

素数を調べる問題は、中学受験の約数・倍数の単元でも出ます。素数とは何かをしっかり押さえておくと、のちに素数の分布の話を聞いたとき、イメージがわきます。確率の問題で、「めずらしいこと」と「起こらないこと」を区別する感覚は、リトルウッドの奇跡の法則の考え方と同じです。

大学受験:平方数・余りの問題

四平方定理の勉強では、「平方数を8で割った余りは0・1・4のどれか」という事実を使います。たとえば7は、3個の平方数の和では書けません。0・1・4から3個選んで足しても、8で割った余りが7にならないからです。このように、合同式(mod)の考え方は、整数問題の強力な武器です。素数に関する入試問題は、2027は素数?双子素数と西暦の入試問題でくわしく解説しています。

大学・大学院入試:解析学・整数論

大学の解析学では、ルジンの定理・エゴロフの定理など、リトルウッドの3原則の元になる内容が出てきます。整数論では、素数の分布、リーマンのゼータ関数、円周法が大学院で学ぶ内容です。

勉強法として:「たくさん調べても、証明にはならない」

リトルウッドの1914年の結果は、「たくさん試して成り立っても、証明するまでは分からない」という数学の姿勢を、よく表しています。入試の証明問題でも、特別な数でためしてうまくいっただけで「成り立つ」と書くのはだめで、一般的に示す必要があります。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。

リトルウッドがその後の数学にあたえた影響

  • 解析的整数論:円周法やタウバー型定理は、のちの整数論の標準的な道具になり、ハーディとの共同研究とともに、素数やウェアリングの問題の研究を進めました。
  • 調和解析:リトルウッド・ペイリー理論は、のちのウェーブレットや、偏微分方程式の研究の土台になりました。
  • 力学系・カオス:カートライトとの共同研究は、非線形の力学系の研究の先がけになりました。
  • 弟子たち:アトキン、チョウラ、ダベンポート、スキューズ、イングハムなど、数学者を育てました。ラマヌジャンも、ハーディとリトルウッドの共同の教え子だったといえます。
  • 数学のエッセイ文化:『ある数学者の雑録』は、数学者の思考や逸話をまとめた本として、数学者の随筆の古典になっています。

リトルウッドは、解析学者として長い間第一線にあり、92歳まで生きました。ハーディが70歳で、ラマヌジャンが32歳で亡くなったことと比べると、2人の分まで、数学の世界を長く見守った人でもありました。

リトルウッドに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 30を、4個以下の平方数の和で表しなさい。
    答えと解説を見る30=25+4+1=52+22+1230=25+4+1=5^2+2^2+1^2(3個で書けます)。ほかに 16+9+4+1=3016+9+4+1=30 のように4個でも書けます。
  2. 1秒に1つの出来事を1日8時間体験するとき、1日に何個の出来事を体験しますか。
    答えと解説を見る8×60×60=288008\times60\times60=\mathbf{28800} 個。

ふつう

  1. 100万個の出来事を体験するには、28800個ずつ体験するとして何日かかりますか。小数第1位まで求めなさい。
    答えと解説を見る1000000÷28800≈34.71000000\div28800\approx\mathbf{34.7} 日。(約35日。奇跡の法則の「約1か月に1回」の根拠です)
  2. 50以下の双子素数の組(差が2の素数の組)をすべて書きなさい。
    答えと解説を見る(3,5), (5,7), (11,13), (17,19), (29,31), (41,43)(3,5),\ (5,7),\ (11,13),\ (17,19),\ (29,31),\ (41,43) の 6組。

むずかしい

  1. 平方数を8で割った余りは、0・1・4のどれかであることを示し、7が3個の平方数の和で書けないことを示しなさい。
    答えと解説を見る整数 nn は、偶数 2m2m なら n2=4m2n^2=4m^2(8で割って0か4)、奇数 2m+12m+1 なら n2=4m(m+1)+1n^2=4m(m+1)+1 で、m(m+1)m(m+1) は偶数なので8で割って1。したがって平方数を8で割った余りは0・1・4。この3つから重複を許して3個選んで足した値を8で割ると、0〜6のいずれか(0,1,2,3,4,5,6)で、7になる組合せはない。よって7は3個の平方数の和にならない(7=4+1+1+17=4+1+1+1 は4個)。
  2. 100以下の素数は25個です。100log⁡100\dfrac{100}{\log100} を log⁡100≈4.605\log100\approx4.605 として計算し、本当の個数25とくらべなさい。
    答えと解説を見る100÷4.605≈21.7100\div4.605\approx\mathbf{21.7}。本当の個数25より少し小さい見積もりです。(li(100)\mathrm{li}(100) のほうが、もう少し近い値になります)

リトルウッドと関係する数学者

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20世紀の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

リトルウッドは何をした人ですか?

リトルウッドは、20世紀のイギリスの数学者です。ケンブリッジ大学でハーディと約35年共同研究を続け、円周法やウェアリングの問題などで大きな成果をあげました。1914年には素数の個数の近似式についての重要な結果を示しました。

リトルウッドとハーディの関係は?

2人は1911年ごろから約35年間、共同研究をしました。手紙で研究し、返事は不要などの4つの約束があったと、ボーアが1947年の講演で紹介しています。2人でラマヌジャンの手紙を検討し、ケンブリッジへ招きました。

リトルウッドの3原則とは何ですか?

解析学の直観を表す3つの見方です。測れる集合はほとんど区間の和、測れる関数はほとんど連続、収束する関数列はほとんど一様に収束する、というものです。1944年の本で紹介されました。

1914年のリトルウッドの結果とは何ですか?

素数の個数 π(x) と、近似式 li(x) の差が、プラスとマイナスを無限に行き来することの証明です。小さい x ではつねに li(x) が大きいので逆転しないように見えますが、非常に大きな x で逆転します。

リトルウッドの「奇跡の法則」とは何ですか?

1秒に1つ出来事を体験すると、1日8時間で約3万個、約35日で100万個になります。百万回に1度の「奇跡」も、約1か月に1回は起こるという、ユーモアを込めた確率の考え方です。エッセイ集に書かれています。

リトルウッドとラマヌジャンの関係は?

1913年にラマヌジャンの手紙がハーディに届いたとき、リトルウッドも検討に加わりました。「あらゆる自然数がラマヌジャンの友人のようだ」という言葉が、リトルウッドの言葉として伝えられています。

リトルウッドは何歳で亡くなりましたか?

1977年9月6日、ケンブリッジで92歳で亡くなりました。1885年6月9日の生まれで、ハーディやラマヌジャンよりずっと長生きしました。

リトルウッドは第一次世界大戦で何をしましたか?

王立駐屯砲兵隊で、対空砲の弾道や射程の計算を改良する仕事をしました。同僚の報告によると、リトルウッドの計算した弾道と、実際の砲弾が破裂した位置は、とてもよく一致していたそうです。

リトルウッドは受験とどう関係しますか?

高校までの数学では、素数、余りの計算(合同式)、場合の数や確率の考え方に関係します。大学の解析学では3原則の元になる定理を学び、整数論では円周法が大学院の内容です。

あわせて読みたい

出典・参考

  • J. J. O’Connor, E. F. Robertson, “John Edensor Littlewood”, MacTutor History of Mathematics Archive(St Andrews 大学)
  • J. E. Littlewood, “A Mathematician’s Miscellany”(1953年、1986年に B. Bollobás 編集の新版)
  • H. Bohr, “Address on Professor Hardy”(1947年)
  • “John Edensor Littlewood”, Wikipedia(英語版)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦