ラッセルは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|ラッセルのパラドックス・床屋・プリンキピア

ラッセルは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|ラッセルのパラドックス・床屋・プリンキピア

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ラッセルBertrand Russell

ひとことで言うと

集合論のラッセルのパラドックスで数学の土台を揺るがした論理学者。『プリンキピア・マテマティカ』を書き、ノーベル文学賞と平和運動でも知られる。

名前バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)
生没年1872年5月18日〜1970年2月2日(97歳)
国イギリス(ウェールズ生まれ)
分野数学基礎論・論理学・哲学(のち平和運動)
主な業績ラッセルのパラドックス、タイプ理論、『プリンキピア・マテマティカ』(ホワイトヘッドと共著)、記述理論
名前がつくものラッセルのパラドックス・床屋のパラドックス・ラッセルのやかん・ラッセル=アインシュタイン宣言
受賞などノーベル文学賞(1950年)、メリット勲章(1949年)

このページのポイント

  • 1901年、「自分自身をふくまない集合の集合」から矛盾が出るラッセルのパラドックスに気づき、集合論の土台を見直すきっかけを作った
  • ホワイトヘッドと『プリンキピア・マテマティカ』(1910〜1913年)を書き、数学を論理だけで作ることに挑んだ。「1+1=2」の証明が有名
  • 哲学者・平和運動家としても有名。1950年にノーベル文学賞、1955年にラッセル=アインシュタイン宣言

ラッセルは何をした人?(業績をひとことで)

バートランド・ラッセル(1872〜1970年)は、イギリスの数学者・論理学者・哲学者です。「数学はすべて論理から作れる」ことを示そうとして、ホワイトヘッドと一緒に大著『プリンキピア・マテマティカ(数学の原理)』(1910〜1913年)を書きました。その途中で見つけた「ラッセルのパラドックス」は、集合論の土台をゆるがせ、数学の基礎の研究を大きく進めました。

ラッセルは数学者としてだけでなく、哲学者・平和運動家としても世界的に有名です。1950年にノーベル文学賞を受け、1955年にはアインシュタインと一緒に核兵器の廃絶をうったえる「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表しました。97歳まで生きて、数学・哲学・平和運動と、3つの分野で活躍した人物です。

受験生にとってのラッセルは、まず「集合」と「論理」の先生です。高校数学Iで習う集合とは何かや、命題とは何か・必要条件と十分条件の考え方・逆・裏・対偶の意味は、ラッセルたちが形にした「論理で数学を書く」方法のやさしい入口です。「床屋のパラドックス」は、共通テストや入試の話題としてもよく紹介されます。

サクラちゃん

サクラちゃん

「パラドックス」って、ただの言葉遊びじゃないんですか?

合格先生

合格先生

ラッセルのパラドックスは言葉遊びに見えて、数学の土台を傷つけたんだ。「集まり」を自由に作ってよい、というあたりまえの前提から、矛盾が出てしまった。そこで数学者たちは、「どんな集まりなら作ってよいか」を決め直すことになったんだよ。

ラッセルの歩み18725月18日、ウェールズで生まれる1901「ラッセルのパラドックス」に気づく1903『数学の原理』を出版1910『プリンキピア』第1巻(〜13年)1918反戦運動で6か月の投獄1950ノーベル文学賞1955ラッセル=アインシュタイン宣言19702月2日、97歳で亡くなる
ラッセルの歩み。数学者としてのはじまりから、文学賞と平和運動まで

ラッセルの生涯と年表

貴族の家に生まれ、祖父母に育てられる

ラッセルは1872年5月18日、イギリスのウェールズ南東部モンマスシャーで生まれました。名門の貴族の家で、祖父のジョン・ラッセルはイギリスの首相を務めた人です。幼いころに両親を亡くし、おもに祖父母の家で育てられたと伝えられています。家庭教師に教わり、11歳のころ、兄からユークリッド幾何学を教わって、数学がすっかり好きになりました。ラッセル自身は、その時の喜びを「初恋のようだった」という意味のことを書いていると伝えられます。

ケンブリッジ大学で数学と哲学を学ぶ

ラッセルはケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進み、数学と哲学で優秀な成績をおさめました。ここで、のちに『プリンキピア・マテマティカ』をともに書くホワイトヘッドに出会います。1908年には王立協会の会員にえらばれました。

1900年のパリと、ペアノの衝撃

1900年、パリで開かれた国際哲学会議に参加したラッセルは、イタリアの数学者ペアノの公理と生涯と出会いました。ペアノの記号と、正確な議論に強い衝撃を受けたラッセルは、会議のあとペアノの著作をすべて取りよせて読み、数学を論理だけで作り直すという計画に取りくみます。

パラドックスの発見と『プリンキピア』

『数学の原理』(1903年)を書いている途中の1901年5月、ラッセルはあのラッセルのパラドックスに気づきます。1902年にフレーゲに手紙で知らせると、フレーゲは、ちょうど出版する直前だった自分の本の土台がくずれたことを知り、深く悩んだと伝えられています。ラッセルはホワイトヘッドとともに、パラドックスを避ける方法を探しながら、1910年から1913年にかけて『プリンキピア・マテマティカ』全3巻を出版しました。

反戦運動と投獄、そしてノーベル賞

第一次世界大戦(1914〜1918年)が始まると、ラッセルは戦争に反対しました。1916年に反戦の活動で有罪となり、勤めていたケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジを辞めさせられます(1944年に復帰)。1918年にも有罪となり、6か月間刑務所に入れられました。この獄中で書いたのが、数学の哲学の入門書『数理哲学序説』(1919年)です。

その後も執筆や講演を続けたラッセルは、1949年に最高の栄誉のひとつメリット勲章を受け、1950年にノーベル文学賞を受賞しました。1955年のラッセル=アインシュタイン宣言、1957年のパグウォッシュ会議の開催、1958年の核軍縮キャンペーン(CND)の初代会長、と、晩年は核兵器をなくすための平和運動に力を注ぎました。1961年には、核兵器に反対する抗議行動で89歳にして再び投獄されています。1970年2月2日、ウェールズで97歳の生涯を閉じました。

年できごと
1872年5月18日、ウェールズのモンマスシャーで生まれる
1890年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学(数学・哲学を学ぶ)
1900年パリの国際哲学会議でペアノに出会う
1901年5月、集合論のパラドックス(ラッセルのパラドックス)に気づく
1903年『数学の原理(The Principles of Mathematics)』を出版
1905年論文「表示について」(記述理論)を発表
1908年タイプ理論(階型理論)を発表。王立協会会員になる
1910年『プリンキピア・マテマティカ』第1巻(第2巻は1912年、第3巻は1913年)
1916年反戦活動で有罪。トリニティ・カレッジを辞めさせられる
1918年反戦の文章で6か月間投獄される。獄中で『数理哲学序説』を書く
1950年ノーベル文学賞を受賞
1955年ラッセル=アインシュタイン宣言
1958年核軍縮キャンペーン(CND)の初代会長になる
1970年2月2日、97歳で亡くなる

ラッセルの主な業績をやさしく解説

業績1 ラッセルのパラドックス

集合とは「ものの集まり」です。ふつう、集合は自分自身を要素にはしません。「犬の集まり」は犬ではないからです。ところが、世の中には自分自身を要素にふくむ集合もありえます(「集合ではないものの集まり」は、それ自体が集合ではないので、自分自身を要素にします)。そこでラッセルは、「自分自身を要素にふくまない集合を、全部集めた集合 RR」を考えました。式にすると次のとおりです。

R={x∣x∉x}R=\{x\mid x\notin x\}

では、この RR は自分自身の要素でしょうか。もし R∈RR\in R なら、RR の条件から R∉RR\notin R です。もし R∉RR\notin R なら、RR の条件を満たすので R∈RR\in R です。どちらに考えても矛盾します。これがラッセルのパラドックスです。

ラッセルのパラドックス R = 「自分自身をふくまない集合」の集まりR = { x | x ∉ x } では、R は R の要素か?(R ∈ R ?) 要素だとすると…R の条件は「ふくまない」→ 要素ではない! 要素でないとすると…R の条件を満たす→ 要素である! どちらでも矛盾する(パラドックス) 1901年にラッセルが気づいた
ラッセルのパラドックス。R が自分自身の要素かどうか、どちらに考えても矛盾する

カントールが作った集合論は、「どんな条件でも、その条件を満たすものの集まりを作ってよい」という考え方にもとづいていました。ラッセルのパラドックスは、その前提そのものが危ういことを示したのです。フレーゲは、算術を論理だけで作ろうとして、この前提を使っていました。ラッセルから手紙を受けとったフレーゲは、本の第2巻のおわりに「学問をする者にとって、仕事が終わったあとで土台がくずれることほど悲しいことはない」という意味のことを書き足したと伝えられています。

業績2 床屋のパラドックス(ラッセルが考えたたとえ話)

パラドックスをやさしくしたたとえ話が、床屋のパラドックスです。「ある村の床屋は、自分でひげをそらない人全員のひげをそり、自分でそる人のひげはそらない」としましょう。さて、この床屋さんは、自分のひげをそるでしょうか。

床屋のパラドックス ある村の床屋は、「自分でひげをそらない人」だけのひげを、全員そる(自分でそる人のひげはそらない) 自分でそる人 自分でそらない人 ←→ 床屋さんは、どちら? 入れると:ルール違反入れないと:ルール違反 そんな床屋は村にいるはずがない 「いない」が答え。集合では同じ話が起こる
床屋のパラドックス。自分でそる人にも、そらない人にも、床屋さんを入れられない

自分でそると「自分でそる人」になるので、そってはいけません。そらないと「自分でそらない人」になるので、そらなければなりません。どちらでも矛盾します。この場合の答えは簡単で、「そんな床屋は村にいない」ということです。ところが集合の場合は、「そんな集合 RR は作れない」と、はっきり決めないと数学が成り立たなくなる、というところが深刻でした。なお、床屋のたとえ話は、のちの紹介でよく使われるもので、ラッセル自身が広めた説明と伝えられますが、最初に使ったのがだれかには諸説あります。

業績3 タイプ理論(階型理論)

ラッセルは、パラドックスをさけるためにタイプ理論(階型理論)を考えました。ものを階(レベル)に分けて、「集合は、自分より1つ下の階のものしか要素にできない」と決めるのです。

階型理論(タイプ理論) 第3階 集合の集合の集合 第2階 集合の集合(例:{{1,2},{3}}) 第1階 集合(例:{1,2,3}) 第0階 ふつうのもの(1,2,3…) 上 集合は「ひとつ下の階」のものしか入れられない
階型理論。集合は「ひとつ下の階」のものしか要素にできない

こう決めると、「自分自身を要素にふくむ集合」という言い方自体が作れなくなるので、RR のような問題のある集合は考えられなくなります。のちに、ヒルベルトの仲間のツェルメロが、別のやり方で「集合を作ってよい条件」を決める公理系(ZF 集合論)を作り、いまの数学はおもにそちらを使っています。ただ、タイプ理論の考え方は、現代のコンピューター科学(プログラミング言語の「型」)に生きています。

業績4 『プリンキピア・マテマティカ』と「1+1=2」

ラッセルとホワイトヘッドの『プリンキピア・マテマティカ』(ニュートンの本『自然哲学の数学的諸原理』と同じ題にちなんだものです)は、論理の記号だけを使って、数学を土台から作ろうとした、3巻・あわせて約2000ページの大著です。自然数、整数、有理数、実数と、段階を追って定義し、証明していきます。

「2」とは何か(フレーゲ・ラッセルの考え) … 1対1にならべられる集まり すべての仲間 2 =「2個の集まり」すべての仲間(個数の定義) 1+1=2:1個の集まりと1個の集まりを重ならないよう合わせると2個の集まり
数とは何か。「2個の集まり」すべての仲間が2。1+1=2は、1個の集まりと1個の集まりを合わせた集まり

この本の中で、「1+1=2」がようやく証明されるのは、第1巻の中ほど、初版で379ページのあたりだとされています。「この命題は、ときどき便利である」というひとことが添えられている、という話でも有名です。なお、「1+1=2」の証明が完全に終わるのは第2巻だとも説明されますが、これは「数の足し算」の定義との関係で説明が分かれるところで、くわしくは本を読まないと分かりません。

ラッセルたちが使った論理の形は、今の高校数学の「論理と集合」と深く関係します。たとえば「pp ならば qq」は、「pp でない、または qq」と同じ意味だと決めて使っていました。対偶(「ならば」の裏返し)や、ド・モルガンの法則も、この世界で使われる道具です。

「p ならば q」の真理値表 pqp ならば q 真真真真偽偽偽真真偽偽真 「p ならば q」=「(p でない) または q」
「p ならば q」の真理値表。p が真で q が偽のときだけ偽

業績5 記述理論・数理哲学・平和の思想

ラッセルは、1905年に記述理論という、言葉の意味を論理で分析する理論を発表しました。「現在のフランス王はハゲである」という文は、フランスに王がいないとき、正しいのか、まちがっているのか、という問いを論理で整理したものです。この仕事は、分析哲学の出発点のひとつとされています。

『数理哲学序説』(1919年)は、獄中で書かれた入門書で、数学を専門としない人にも読める本として今も読まれています。ラッセルの弟子には、のちに有名な哲学者となるウィトゲンシュタインがいます。1911年にケンブリッジを訪れ、ラッセルのもとで学びました。

ラッセルの名前がつく公式・定理・用語

  • ラッセルのパラドックス:R={x∣x∉x}R=\{x\mid x\notin x\} から出る矛盾。→ 集合の意味(集合論の入口)
  • 床屋のパラドックス:ラッセルのパラドックスのたとえ話。
  • タイプ理論(階型理論):集合に階をつけて矛盾をさける理論。
  • 『プリンキピア・マテマティカ』:ラッセル=ホワイトヘッド著、論理で数学を作る大著。
  • 記述理論:「現在のフランス王」のような言い方の論理的な分析。
  • ラッセルのやかん(茶瓶):証明できないことを「ない」と言い切れないことをたとえた話。ただし、数学の定理ではなく哲学のたとえです。
  • ラッセル=アインシュタイン宣言:核兵器の廃絶をうったえた1955年の宣言。

こうした言葉に出てくる「かつ・または・ならば・すべての・ある」は、高校数学の「すべて」と「ある」の否定の考え方そのものです。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

ラッセルのパラドックスは、「ふつうの文にみえて、実は作ってはいけない集合がある」という発見だよ。集合や論理の勉強で、「その集合ははっきり決まっているか?」と考えるくせをつけよう。

ラッセルの逸話と名言

数学の美しさについて

ラッセルは、数学の美しさを語った文章でも有名です。1907年に書かれた「数学の研究」というエッセイの一節が、よく引用されます。

数学は、正しく見れば、真理だけでなく、最高の美をそなえている。それは彫刻のように冷たく厳しい美しさである。

バートランド・ラッセル(「数学の研究」(1907年、のち『神秘主義と論理』に収録)の一節、訳)

人生をささえた3つの情熱

ラッセルは自伝の冒頭で、自分の人生を支配した3つの情熱を語っています。

単純だが圧倒的に強い3つの情熱が、私の人生を支配してきた。愛への渇望、知識の探究、そして人類の苦しみへの耐えがたい同情である。

バートランド・ラッセル(自伝の序文、訳)

ラッセルのやかん

1952年に書いた原稿の中で、ラッセルは、「地球と火星の間に、小さな陶器のやかんが、太陽のまわりを回っているとしよう。望遠鏡でも見えないほど小さいので、ないという証明はできない」というたとえ話をしました。これは、「あると言う側が証明する責任を負う」ことを示すたとえとして、今でもよく引用されます。数学の証明の世界でも、「ない」ことより「ある」ことのほうが示しやすい場面があります。なお、このたとえ話の細かい経緯には諸説あるとされ、書いた原稿が雑誌に載らなかったとも伝えられます。

1+1=2を証明するのに何ページ?

『プリンキピア・マテマティカ』の「1+1=2」の話は、数学の世界で語り草になっています。「そんなあたりまえのことを、なぜ何百ページもかけて証明するのか」という疑問に対して、ラッセルたちの答えは、「あたりまえと思われることを、だれも反論できない形で土台から作る」ことが目的だったから、というものです。ただし、のちにゲーデルが、1931年の不完全性定理で、この計画が完全には実現できないことを示しました。

うかるくん

うかるくん

1+1=2 の証明に何百ページもかかるなんて、びっくりです……。

合格先生

合格先生

「あたりまえ」を、まったく疑う余地のない形で作ろうとしたからだね。入試でも、「あたりまえ」を使って答案を書くと減点されることがあるよね。根拠を書くことの大切さを、ラッセルは極端な形で見せてくれたんだ。

受験・勉強とラッセルのつながり

中学受験:条件整理と「すべて・ある」

中学受験の算数・論理問題では、「Aさんの発言がうそなら、Bさんは?」といった、条件を整理する問題がよく出ます。「どれかがうそをついている」など、パラドックスのような設定も出ます。条件整理・推理の問題の解き方の基本は、ラッセルたちが整理した「命題と真偽」の考え方です。

高校受験:集合・文字式と証明

高校受験でも、「すべての自然数について成り立つ」ことの説明や、場合分けの問題があります。ラッセルの論理は、「かつ」「または」「ならば」を正確に使う練習の基礎です。

大学受験:集合と論理・共通テスト

  • 集合と命題(数学I):集合の記号、必要条件・十分条件、逆・裏・対偶、背理法。集合の要素の個数の公式も頻出です。
  • ド・モルガンの法則:集合の補集合と「かつ・または」の否定の関係。
  • 「すべて」「ある」の否定:「すべての xx について〜」の否定は「ある xx について〜でない」。
  • 背理法:「ないとしたら矛盾する」と示す証明。ラッセルのパラドックスも背理法に似た形です。

難関大の証明問題で、論理がはっきりした答案を書く練習としては、京大理系数学の出題分析(証明問題の出方)も役立ちます。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。

勉強法として:「その言葉は定まっているか」を確かめる

ラッセルのパラドックスの教訓は、言葉の使い方があいまいだと、矛盾が出るということです。答案を書くときも、「記号の意味を先に書く」「条件をはっきり書く」ことで、論理的な答案になります。

ラッセルがその後の数学にあたえた影響

  • 数学基礎論:ラッセルのパラドックスをきっかけに、ZF 集合論(ツェルメロとフレンケル)、直観主義(ブラウワー)、形式主義(ヒルベルト)など、数学の土台を考える3つの立場が活発になりました。
  • ゲーデルの不完全性定理:『プリンキピア』の体系で、ゲーデルが1931年に「証明も反証もできない命題がある」ことを示しました。論文の題にも『プリンキピア・マテマティカ』の名前が入っています。
  • コンピューター科学:チューリングたちの計算の理論、プログラミング言語の型システムは、ラッセルの論理学が先がけです。
  • 分析哲学:言葉や論理を使って哲学の問題を分析する流れは、ラッセルの記述理論から始まったとされます。
  • 平和運動:ラッセル=アインシュタイン宣言は、1957年のパグウォッシュ会議へつながり、核軍縮の議論の出発点のひとつになりました。

ラッセル=アインシュタイン宣言には、「あなたがたの人間性を思い出し、あとのことは忘れなさい」という意味の一節があります。数学者・科学者が、社会に責任を持つことを示した宣言として、いまも読まれています。

ラッセルに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 「p ならば q」の対偶を書きなさい。
    答えと解説を見る「p ならば q」の対偶は「q でないならば p でない」。元の命題と対偶は、真偽がかならず一致します。
  2. A={1,2,3}、B={3,4} のとき、n(A∪B) を求めなさい。(n は要素の個数)
    答えと解説を見るA∪B={1,2,3,4} なので 4個。(公式 n(A∪B)=n(A)+n(B)−n(A∩B)=3+2−1=4)

ふつう

  1. 「すべての生徒が数学が好きである」の否定を、日本語で書きなさい。
    答えと解説を見る「すべての〜が…である」の否定は、「数学が好きでない生徒が少なくとも1人いる」。「すべての生徒が数学が好きでない」ではないことに注意します。
  2. ある村に、「自分でひげをそらない人」を全員そり、「自分でひげをそる人」はそらない床屋がいます。この床屋が自分でひげをそるとすると、どんな矛盾が起こりますか。
    答えと解説を見る床屋が自分でそると、床屋は「自分でそる人」になります。しかし規則では「自分でそる人のひげはそらない」ので、そってはいけません。つまりそること自体がルール違反になるという矛盾です。(そらない場合も、自分でそらない人は全員そるきまりなので矛盾します)

むずかしい

  1. x² = x のとき x=0 または x=1 です。「x²=x ならば x=0」は正しいですか。反例をあげて答えなさい。
    答えと解説を見る正しくありません。x=1 は x²=x を満たしますが x=0 ではないので反例です。反例が1つあれば「ならば」の命題は偽です。
  2. 「p ならば q」を「(p でない) または q」と同じ意味と考えると、p が偽(まちがい)のとき「p ならば q」の真偽はどうなりますか。理由もあわせて答えなさい。
    答えと解説を見るp が偽なら「p でない」は真なので、「(p でない) または q」は q の真偽によらず真です。つまり、前提がまちがっているとき、「ならば」の命題は真と考えます(真理値表の下の2行)。

ラッセルと関係する数学者

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よくある質問

ラッセルは何をした人ですか?

ラッセルは、イギリスの数学者・論理学者・哲学者です。集合論のパラドックス(ラッセルのパラドックス)を発見し、ホワイトヘッドとの共著『プリンキピア・マテマティカ』で数学を論理だけで作ることに挑みました。1950年にノーベル文学賞を受け、核兵器廃絶の平和運動でも知られます。

ラッセルのパラドックスとは何ですか?

「自分自身を要素にふくまない集合すべての集まり R」を考えると、R が自分自身の要素かどうか、どちらに考えても矛盾が出るというパラドックスです。1901年にラッセルが気づき、カントールの素朴な集合論の土台が危ういことを示しました。

床屋のパラドックスとは何ですか?

「自分でひげをそらない人全員のひげをそり、自分でそる人のひげはそらない床屋」が、自分のひげをそるかどうかを考えると、そっても、そらなくても矛盾するというたとえ話です。ラッセルのパラドックスをやさしく説明するために使われます。結論は、そんな床屋は存在しない、ということです。

『プリンキピア・マテマティカ』とは何ですか?

ラッセルとホワイトヘッドが書いた全3巻(1910〜1913年)の大著です。論理の記号だけを使って、自然数から実数まで、数学を土台から作ることを目指しました。「1+1=2」が証明される場面でも有名です。

ラッセルはなぜノーベル賞をもらったのですか?

1950年にノーベル文学賞を受けました。理由は、人道的な理想と思想の自由を守った多彩で重要な著作が評価されたためです。数学の賞ではなく、文学賞でした。

ラッセル=アインシュタイン宣言とは何ですか?

1955年に、ラッセルとアインシュタインらが発表した、核兵器の危険をうったえ、戦争をなくすことをよびかけた宣言です。この宣言をきっかけに、1957年にパグウォッシュ会議が開かれました。

ラッセルは何歳まで生きましたか?

1872年5月18日に生まれ、1970年2月2日に97歳で亡くなりました。晩年まで平和運動を続け、1961年には89歳で抗議行動により刑務所に入れられたことでも知られます。

ラッセルとペアノの関係は?

1900年のパリの国際哲学会議で、ラッセルはイタリアの数学者ペアノに出会い、強い衝撃を受けました。ペアノの記号と議論の正確さを学んだことが、ラッセルが論理で数学を作る計画に進むきっかけになりました。

ラッセルは受験とどう関係しますか?

高校数学Iの集合と論理(集合の記号・必要条件と十分条件・対偶・背理法・すべてとある)は、ラッセルたちが整えた論理学の入口です。ラッセルのパラドックスや床屋のパラドックスは、集合の学習で紹介されることがあります。

ゲーデルの不完全性定理とラッセルはどんな関係ですか?

ゲーデルは1931年に、『プリンキピア・マテマティカ』のような体系の中には、証明も反証もできない命題があることを示しました。論文の題にも『プリンキピア・マテマティカ』の名前が入っていて、ラッセルたちの計画の限界を示した形になりました。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Bertrand Arthur William Russell」(セント・アンドルーズ大学)
  • B. Russell, “The Principles of Mathematics”(1903年)
  • A. N. Whitehead and B. Russell, “Principia Mathematica”(1910〜1913年)
  • B. Russell, “The Autobiography of Bertrand Russell”(1967〜1969年)
  • ノーベル財団「Bertrand Russell – Facts」(ノーベル文学賞1950年)

最終更新:2026年11月2日/作成:大学受験合格大作戦