ペアノは何をした人?業績・生涯をわかりやすく|ペアノの公理・ペアノ曲線・数学的帰納法

ペアノは何をした人?業績・生涯をわかりやすく|ペアノの公理・ペアノ曲線・数学的帰納法

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ペアノGiuseppe Peano

ひとことで言うと

自然数を5つの公理で決め、数学的帰納法の土台を作ったイタリアの数学者。正方形をうめつくすペアノ曲線も発見した。

名前ジュゼッペ・ペアノ(Giuseppe Peano)
生没年1858年8月27日〜1932年4月20日(73歳)
国イタリア(ピエモンテ地方生まれ、トリノで活躍)
分野数学基礎論・論理学・解析学・線形代数
主な業績ペアノの公理(自然数の定義)、ペアノ曲線、ペアノの存在定理、集合の記号 ∪・∩、数学公式集(フォルムラリオ)
名前がつくものペアノの公理・ペアノ算術・ペアノ曲線・ペアノの存在定理・ペアノの剰余項
よばれ方記号論理学の先駆者

このページのポイント

  • 1889年、自然数を5つの公理で定めた。5番めの公理が数学的帰納法のもと
  • 1890年、正方形のすべての点を通るペアノ曲線を発見。「線が面をうめつくす」とおどろかれた
  • 集合の記号 ∪(和集合)・∩(共通部分)を広め、ラッセルに強い影響をあたえた

ペアノは何をした人?(業績をひとことで)

ジュゼッペ・ペアノ(1858〜1932年)は、イタリアの数学者です。「自然数とは何か」を、5つのきまり(公理)だけで言い表したことで知られます。これがペアノの公理で、数学的帰納法のもとにもなっています。ほかにも、正方形を1本の曲線でうめつくすペアノ曲線の発見、集合の記号 ∪(和集合)・∩(共通部分)の考案、ベクトル空間の公理の最初期の形、そして数学の記号をそろえた『数学公式集(フォルムラリオ)』づくりなど、「数学を正確な言葉で書く」ことに生涯をささげました。

受験生にとってのペアノは、まず数学的帰納法を公理として整理した人です。高校数学Bで習う数学的帰納法の証明のしかたと例題は、ペアノの公理の5番めそのものです。さらに、数学Iの「集合と論理」で出会う ∪・∩ の記号も、ペアノが広めた形が今に残っています。集合とは何かを学ぶとき、百年以上前のイタリアの数学者の工夫を使っているわけです。

うかるくん

うかるくん

自然数なんて、1、2、3……って、だれでも知ってますよね? それを「定義する」ってどういうことですか?

合格先生

合格先生

いい質問だね。「1、2、3……と続く」と言っただけだと、「……」の中身が人によってちがうかもしれない。ペアノは、だれが読んでも同じ数になるように、たった5つのきまりで自然数を決めたんだ。算数の土台を作った人だよ。

ペアノの肖像写真(1910年ごろ)
50代前半のころのジュゼッペ・ペアノ(1910年ごろの写真)画像:作者不明(1910年ごろ)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

ペアノの生涯と年表

農家に生まれ、おじさんに導かれてトリノへ

ペアノは1858年8月27日、イタリア北西部ピエモンテ地方のクーネオ近くにある農家「テット・ガラン」で生まれました。農家の子として育ちましたが、聖職者だったおじさんが、ペアノの才能に気づいて、都会トリノの学校で学べるよう手助けをしたと伝えられています。ペアノはトリノの高校を出て、1876年にトリノ大学に入りました。

大学の助手から教授へ

1880年9月29日に数学の博士号をとり、そのまま大学に残って、ドヴィディオ教授、のちにジェノッキ教授の助手になりました。1884年に大学教授の資格を得て、1886年からはトリノの陸軍士官学校でも教えはじめます(1901年まで)。1890年12月にジェノッキの後を継いで、トリノ大学の正教授になりました。

1886〜1890年:微分方程式、公理、曲線

1886年、ペアノは「y′=f(x,y)y'=f(x,y) の形の微分方程式は、ff が連続ならば解を持つ」ことを証明しました(ペアノの存在定理)。1889年には、ラテン語で書いた小冊子『算術原理(Arithmetices principia)』を出し、自然数の公理を示しました。そして1890年には、正方形をうめつくす曲線ペアノ曲線を発見します。微分方程式では「解は一つとは限らない」ことも、1890年に示しています。

『フォルムラリオ』と国際語

1891年に数学雑誌『数学評論(Rivista di matematica)』を創刊し、1892年ごろからは『数学公式集(Formulario Mathematico)』づくりに取りかかりました。これは数学の定理を、記号だけで短く正確に書いて集めようとする大きな計画で、1908年に完成します。1900年にはパリで開かれた国際哲学会議に出て、そこで若いラッセルと出会い、強い影響を与えました。1903年ごろから、ラテン語の語形変化をなくした人工の国際語ラテン語風国際語(Latino sine flexione)を提案し、最終版の『フォルムラリオ』はこの言葉で書かれています。

晩年

ペアノは生涯のほとんどをトリノで過ごしました。1932年4月20日、トリノで亡くなりました(73歳)。

年できごと
1858年8月27日、イタリア・ピエモンテ地方クーネオ近くの農家で生まれる
1876年トリノ大学に入学
1880年9月29日に博士号。大学の助手になる
1886年微分方程式の解の存在を示す(ペアノの存在定理)。陸軍士官学校でも教えはじめる
1888年『ベクトル計算(グラスマンの拡張論による幾何学的計算)』を出版。集合の記号 ∪・∩ を使う
1889年『算術原理』で自然数の公理を発表
1890年ペアノ曲線を発表。12月にトリノ大学の正教授になる
1891年『数学評論』を創刊
1900年パリの国際哲学会議・国際数学者会議に参加。ラッセルと出会う
1903年ラテン語風国際語(Latino sine flexione)を提案
1908年『数学公式集(フォルムラリオ)』の最終版が完成
1932年4月20日、トリノで亡くなる(73歳)

ペアノの主な業績をやさしく解説

業績1 ペアノの公理(自然数を5つのきまりで決める)

私たちは、1,2,3,…1,2,3,\dots という数を当たり前のように使っています。でも「自然数とは何か」と聞かれると、意外と答えにくいものです。ペアノは1889年、「次の数」という考え方だけを使って、自然数にあたる性質を5つの文にまとめました。現代の書き方では、次のようになります(ペアノ自身は 1 から数えはじめていました)。

ペアノの公理(現代の書き方) ①0 は自然数である②どの自然数 n にも「次の数 S(n)」がある③0 はどんな数の「次の数」でもない④S(a)=S(b) ならば a=b⑤0 で成り立ち、n で成り立てば S(n) でも成り立つ性質は、すべての自然数で成り立つ ⑤が数学的帰納法のもと
ペアノの公理。「次の数」S(n) と数学的帰納法のもとになる5番めのきまりが柱

ここで出てくる S(n)S(n) は「nn の次の数」を表す記号(後者)です。このきまりだけで、1=S(0)1=S(0)、2=S(S(0))2=S(S(0))、3=S(S(S(0)))3=S(S(S(0))) と、すべての自然数が作れます。足し算も、「a+0=aa+0=a」と「a+S(b)=S(a+b)a+S(b)=S(a+b)」という2つのきまりだけで決められます。

0から「次の数 S」をくり返す0S1S2S3S… 1=S(0) 2=S(1) 3=S(2) … 足し算も「次の数」だけで決まる 2+2 = 2+S(1)← 2=S(1) = S(2+1)← a+S(b)=S(a+b) = S(2+S(0)) = S(S(2+0)) = S(S(2)) = 4← a+0=a
0から次の数Sをくり返して自然数を作り、足し算も次の数だけで計算できる

つまり、「2+2=4」さえ、きまりから出発して証明できるのです。ここでは、「公理から出発して、ひとつずつ推論でたしかめる」という数学の進め方が、いちばんの土台である自然数にまで徹底されています。自然数の定義は、自然数と整数の意味の背景にあるものです。

なお、自然数の公理化には、デデキントの自然数の理論が先にありました。デデキントは1888年に『数とは何か、何であるべきか』で似た内容を発表していて、ペアノはその影響を受けたことを認めています。そのため、ペアノの公理は「デデキント・ペアノの公理」とよばれることもあります。

業績2 数学的帰納法の土台

ペアノの公理の5番めは、「0で成り立ち、nn で成り立てば nn の次の数でも成り立つ性質は、すべての自然数で成り立つ」というものです。これが数学的帰納法の考え方です。ドミノにたとえると、「①最初の1枚がたおれる」「②どの1枚がたおれても、次の1枚もたおれる」の2つがそろえば、無限にならんだドミノがすべてたおれる、ということです。

数学的帰納法=ドミノたおし1234…nn+1 右へ、次々にたおれていく ① 最初の 1 番がたおれる(成り立つ) ② n番がたおれたら n+1 番もたおれる この2つで、すべての自然数について成り立つ
数学的帰納法はドミノたおし。最初の1枚と「次へ進む」ことの2つで、すべてに成り立つ

たとえば「1+2+⋯+n=n(n+1)21+2+\cdots+n=\dfrac{n(n+1)}{2}」を数学的帰納法で示してみます。

① n=1n=1 のとき、左辺は 1、右辺は 1⋅22=1\dfrac{1\cdot2}{2}=1 で成り立ちます。

② n=kn=k のとき成り立つと仮定すると、1+2+⋯+k+(k+1)=k(k+1)2+(k+1)=(k+1)(k+2)21+2+\cdots+k+(k+1)=\dfrac{k(k+1)}{2}+(k+1)=\dfrac{(k+1)(k+2)}{2} となり、n=k+1n=k+1 のときも成り立ちます。

この方法は、等差数列の和の公式をはじめ、数列の問題や不等式の証明でよく使われます。ペアノの公理は、この証明方法に「なぜ正しいのか」という根拠をあたえたものです。ガウスの1から100の和の公式も、帰納法で確かめられます。

業績3 ペアノ曲線(正方形をうめつくす曲線)

曲線は「太さのない線」ですから、面積はゼロのはずです。ところが1890年、ペアノは正方形の中のすべての点を通る曲線を作ってみせました。線が面をぜんぶうめつくす、というおどろきの結果です。作り方はこうです。正方形を 3×33\times3 の9マスに分けて、1本の線ですべてのマスを順にたどります(段階1)。次に、各マスをさらに9つに分けて、また1本の線でたどります(段階2)。これを無限にくり返すと、線は正方形のすべての点を通ります。

ペアノ曲線(1890年) 段階1:9マス段階2:81マス 段階をふやすと、線が正方形をうめつくす
ペアノ曲線。段階1は9マス、段階2は81マス。くり返すと正方形全体をうめつくす

当時の数学者たちは、「曲線は1次元、面は2次元で、ちがうものだ」と考えていました。カントールは1877年に、線分の上の点と正方形の上の点は1対1に対応させられることを示しましたが、その対応はなめらかではありませんでした。ペアノは「つながったまま(連続に)」うめつくす曲線を作ったので、次元というものの考え方が見直されるきっかけになったのです。のちにヒルベルトのうめつくし曲線(1891年)も作られました。連続とはという言葉の意味を、きびしく考える必要が生まれたのです。

業績4 集合の記号と、ベクトル空間の公理

ペアノは、数学の記号づくりの名人でした。集合の和集合 ∪・共通部分 ∩の記号は、ペアノが1888年ごろに使いはじめたものが広まったとされます。また、「xx は集合 AA の要素である」を表す記号 ∈ は、ギリシャ語の「〜である」の頭文字(ε)をもとに、ペアノが考えた形が広まったとされています。

集合の記号 ∪ と ∩ ABAB A ∪ B(和集合)AまたはBA ∩ B(共通部分)AかつB 1888年ごろにペアノが使いはじめた記号
和集合 A∪B と共通部分 A∩B。ペアノが広めた集合の記号

1888年の『ベクトル計算』では、グラスマンの理論を整理して、ベクトル空間とは何かを公理で書きました。足し算とスカラー倍について「こういう性質を満たしているもの」と決める書き方で、今の大学の線形代数の書き方と、ほとんど同じです。高校数学のベクトルの先に、大学の「抽象的なベクトル空間」があるわけですが、その入口をつくった人のひとりがペアノでした。ベクトルとはは、このように公理で整理できます。

業績5 ペアノの存在定理、剰余項、そして『フォルムラリオ』

微分方程式の分野では、1886年のペアノの存在定理が有名です。大学で習う常微分方程式の最初のほうに出てきます。また、テイラー展開の誤差を表すペアノの剰余項(「xx が aa に近いとき、残りは (x−a)n(x-a)^n より速く 0 に近づく」という言い方)も、大学の微分積分でよく使われます。

そして、ペアノのいちばん大きな仕事のひとつが『数学公式集(フォルムラリオ)』です。数学の定理を、文章ではなく論理の記号で書いて、集めて整理する――という計画でした。何人もの協力者と一緒に、何度も改訂をかさねて、1908年に最終版を出しました。この中で使われた論理記号が、のちにラッセルが『プリンキピア・マテマティカ』を書くときの手本になりました。

ペアノの名前がつく公式・定理・用語

  • ペアノの公理:自然数を5つのきまりで定める。→ 数学的帰納法の使い方(ペアノの公理の5番め)
  • ペアノ算術(PA):ペアノの公理にもとづいて、足し算とかけ算を使った算術の体系。論理学の大切な研究対象で、ゲーデルの不完全性定理はこの種の体系について示されました。
  • ペアノ曲線:正方形をうめつくす曲線。「空間充填曲線」の代表。
  • ペアノの存在定理:微分方程式 y′=f(x,y)y'=f(x,y) の解の存在を、ff の連続性だけから示す定理。
  • ペアノの剰余項:テイラー展開で残りの誤差を表す形のひとつ。
  • ペアノ・ジョルダン測度:図形の面積を「内側から」「外側から」はさんで定める考え方(ジョルダンと並んで名前がついています)。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

ペアノの公理の5番めを、数学的帰納法のドミノとして覚えておこう。「最初」と「次へ進むしくみ」。この2つを書けば、帰納法の答案は完成だよ。

ペアノの逸話と名言

ラッセルの「知的人生の転換点」

1900年、パリでの国際哲学会議に参加したラッセルは、ペアノの講演を聞いて強い衝撃を受けました。ラッセルは自伝の中で、この会議が自分の知的人生の転機になったと書いています。

その会議は、私の知的人生の転換点だった。そこでペアノに出会ったからだ。

バートランド・ラッセル(ペアノについての回想)(ラッセルの自伝、訳)

ラッセルは、ペアノの議論がいつも正確で、議論になると必ず相手より一枚上手だった、とも回想しています。ラッセルは会議のあと、ペアノの著作をすべて取りよせて読みふけり、そこから論理学で数学を作り直す計画に進みました。くわしくはラッセルの業績と生涯を見てください。

授業は「かんたんに、厳密に」

ペアノは、大学の授業でも、できるだけ記号を使って短く、正確に話す人だったといわれます。一方で、その厳密さが学生には「むずかしすぎる」と受け取られることもあった、と伝えられます。くわしい事情は資料によって書き方が分かれるので、ここでは「厳密さにこだわる先生だった」とだけ紹介しておきます。

人工の国際語に力を入れた晩年

ペアノは晩年、ラテン語から語形変化をなくした人工の国際語「ラテン語風国際語」に力を入れました。1908年には「国際語アカデミー」の会長になったと伝えられます。数学の記号を世界でそろえようとした仕事と、同じ夢が背景にあったのかもしれません。この点は本人の言葉が少なく、推測の部分もあります。

サクラちゃん

サクラちゃん

線が正方形をぜんぶうめつくすなんて、信じられないです……!

合格先生

合格先生

当時の数学者たちもそう思ったんだ。でも、ペアノは「直感」ではなくきまりと証明で、それが本当だと示した。直感が正しいとは限らないから、数学には証明が必要なんだね。

受験・勉強とペアノのつながり

中学受験:規則性と「次の数」

中学受験の算数の「規則性」「数列」の問題は、「次の数はどうなるか」を考える勉強です。ペアノの公理の、「次の数」を使って数を決めるという考え方は、その土台です。等差数列の和や、数列とはの最初の一歩になります。

高校受験:集合と、文字式による説明

高校受験でも、「連続する3つの整数の和は3の倍数になる」のように、文字を使って説明させる問題があります。これは数学的帰納法ではありませんが、「どんな数でも成り立つ」ことを一般に示す点で、同じ考え方です。

大学受験:数学的帰納法・集合・極限

  • 数学的帰納法(数学B):等式・不等式・倍数の証明・漸化式で定まる数列の一般項の確かめ。
  • 集合の記号(数学I):∪・∩・∈・⊂ を使った集合の要素の個数(集合の要素の個数の公式)。
  • 極限(数学III):ペアノ曲線のような「段階を無限にくり返す」考え方は、極限の意味の基本です。

難関大の整数問題・証明問題では、数学的帰納法が高い割合で使われます。京大理系数学の出題分析(証明・整数問題の出方)を見ると、論理的に書く力がどれほど求められるかが分かります。

帰納法の答案でよくあるまちがい

数学的帰納法の答案で点を落とす原因は、だいたい決まっています。①最初の確認(n=1n=1 のとき)を書き忘れる。ドミノでいえば、最初の1枚をたおしていないのに「全部たおれる」と言っているのと同じです。②「n=kn=k のとき成り立つと仮定する」をとばして、いきなり結論を書く。③n=k+1n=k+1 のときの式を作るとき、仮定を使わずに計算してしまう。仮定を使わなければ、それは帰納法ではありません。④最後の「したがって、すべての自然数 nn で成り立つ」という一文を書かない。

また、最初の数が 1 とは限らない問題もあります。「n≥5n\ge 5 のとき 2n>n22^n>n^2」のような不等式では、最初の確認を n=5n=5 で行います。ペアノが自然数を 1 から数えはじめたのも、0 から数えるのも、考え方は同じです。出発点さえはっきり書けば、ドミノはそこから倒れていきます。

勉強法として:「定義にもどる」くせをつける

ペアノの仕事から学べるのは、「当たり前」と思うものを、きまりから組み立て直す姿勢です。問題がとけなくなったら、「この言葉の定義は何だったか」にもどってみましょう。数学の勉強の進め方は、数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考になります。

ペアノがその後の数学にあたえた影響

  • 数学基礎論・論理学:ペアノの記号と公理は、ラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』に受けつがれ、ゲーデルの不完全性定理(1931年)の対象になりました。
  • 現代の数学の書き方:定義・公理・定理・証明という書き方や、∪・∩・∈ などの記号は、今の教科書にそのまま残っています。
  • 次元の理論:空間充填曲線は、次元とは何かという研究を進め、のちのヒルベルト曲線、さらにフラクタルの研究にも関係します。
  • コンピューター科学:自然数を「ゼロと次の数」だけで作る書き方は、プログラミング言語の再帰的な定義や、証明支援ソフトの基本的な考え方です。
  • 国際語運動:ペアノのラテン語風国際語は、のちの国際補助語の運動に影響をあたえたといわれます。

ペアノ曲線は、現在もコンピューターで二次元のデータを一次元にならべる方法(空間充填曲線による並べかえ)の研究に使われています。100年以上前のアイデアが、いまの技術にも関わっているのです。

ペアノに挑戦!練習問題

やさしい

  1. ペアノの公理の考え方で、3+1 を S を使って表し、計算しなさい。(3=S(S(S(0))) です)
    答えと解説を見る3+1=3+S(0)=S(3+0)=S(3)=4。(a+S(b)=S(a+b)、a+0=a を使います)
  2. 集合 A={1,2,3,4}、B={3,4,5} のとき、A∪B と A∩B を求めなさい。
    答えと解説を見るA∪B={1,2,3,4,5}、A∩B={3,4}。

ふつう

  1. 数学的帰納法で、1+3+5+…+(2n−1)=n² を証明しなさい。
    答えと解説を見る①n=1:左辺 1、右辺 1²=1 で成り立つ。②n=k で成り立つと仮定すると、1+3+…+(2k−1)+(2k+1)=k²+2k+1=(k+1)²。n=k+1 でも成り立つ。したがってすべての自然数 n で成り立ちます。
  2. ペアノ曲線の段階3は、正方形を何個の小さな正方形に分けてたどりますか。
    答えと解説を見る段階1は 3×3=9、段階2は 9×9=81、段階3は 27×27=729個。段階が1つ進むごとに、縦も横も3倍に細かくなります。

むずかしい

  1. 数学的帰納法で、n が自然数のとき 7ⁿ−1 は 6 の倍数であることを証明しなさい。
    答えと解説を見る①n=1:7−1=6 で 6 の倍数。②n=k で 7ᵏ−1=6m(m は整数)と仮定すると、7ᵏ⁺¹−1=7·7ᵏ−1=7(6m+1)−1=42m+6=6(7m+1)。n=k+1 でも 6 の倍数。よってすべての自然数 n で成り立ちます。
  2. ペアノの公理にならって、2+3 を a+0=a、a+S(b)=S(a+b) だけで計算し、5になることを示しなさい。(2=S(S(0))、3=S(S(S(0))) です)
    答えと解説を見る2+3=2+S(2)=S(2+2)。2+2=4(本文の計算)なので、S(4)=5。「2+3 は 2+2 の次の数」という流れで、足し算が「次の数」だけで決まっていることが分かります。

ペアノと関係する数学者

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19世紀の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

ペアノは何をした人ですか?

ペアノは、19〜20世紀のイタリアの数学者です。自然数を5つの公理で定めた「ペアノの公理」、正方形をうめつくす「ペアノ曲線」、集合の記号 ∪・∩ の普及、数学公式集(フォルムラリオ)の編集などで知られます。

ペアノの公理とは何ですか?

ペアノの公理は、自然数を「0」と「次の数」という考え方だけで決める5つのきまりです。0は自然数である、どの数にも次の数がある、0はどの数の次でもない、次の数が等しければもとの数も等しい、そして数学的帰納法にあたる公理の5つからなります。

ペアノの公理と数学的帰納法の関係は?

数学的帰納法は、ペアノの公理の5番め(帰納法の公理)にあたります。「最初の数で成り立ち、n で成り立てば n の次でも成り立つなら、すべての自然数で成り立つ」という内容で、高校数学Bの証明方法の根拠です。

ペアノ曲線とは何ですか?

ペアノ曲線は、1890年にペアノが発見した、正方形のすべての点を通る連続な曲線です。正方形を9マス、81マスと細かく分けながら1本の線でたどる作業を無限にくり返して作ります。線が面をうめつくすことで、次元の考え方に大きな影響をあたえました。

ペアノとラッセルの関係を教えてください

1900年のパリの国際哲学会議でペアノに出会ったラッセルは、ペアノの正確な記号と議論に強い衝撃を受けました。この会議をラッセルは自分の知的人生の転換点とよび、その後ペアノの記号を使って『プリンキピア・マテマティカ』を書きました。

ペアノは集合の記号にどう関わりましたか?

和集合の ∪、共通部分の ∩ の記号は、ペアノが1888年ごろに使いはじめたものが広まったとされます。「要素である」を表す ∈ も、ギリシャ語の頭文字をもとにペアノが考えた形が広まったとされています。

ペアノは何歳で亡くなりましたか?どこの人ですか?

ペアノは1858年8月27日にイタリア北西部のクーネオ近くの農家に生まれ、1932年4月20日にトリノで亡くなりました。73歳でした。生涯のほとんどをトリノ大学の教授として過ごしました。

ペアノは受験とどう関係しますか?

高校数学Bの数学的帰納法は、ペアノの公理がもとになっています。数学Iの集合の記号 ∪・∩ もペアノが広めた形です。大学受験では、帰納法による等式・不等式・倍数の証明が頻出で、難関大の証明問題の基本の道具です。

ペアノの存在定理とは何ですか?

1886年にペアノが示した、微分方程式 y′=f(x,y) の解が存在するための定理です。f が連続であれば、ある範囲で解が少なくとも1つ存在することを保証します。ただし解が1つとは限らないことも、ペアノが1890年に示しました。

ペアノが作った国際語とは?

1903年ごろにペアノが提案した「ラテン語風国際語(Latino sine flexione)」です。ラテン語から語形変化をなくして、だれでも学びやすくした人工の言葉で、最終版の『フォルムラリオ』はこの言葉で書かれています。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Giuseppe Peano」(セント・アンドルーズ大学)
  • G. Peano, “Arithmetices principia, nova methodo exposita”(1889年)
  • G. Peano, “Sur une courbe, qui remplit toute une aire plane”, Mathematische Annalen 36(1890年)
  • B. Russell, “The Autobiography of Bertrand Russell”
  • 肖像写真:作者不明「Giuseppe Peano」(1910年ごろ)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年11月2日/作成:大学受験合格大作戦