ボーヤイは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|非ユークリッド幾何学・平行線公準・ボーヤイ・ゲルヴィンの定理

ボーヤイは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|非ユークリッド幾何学・平行線公準・ボーヤイ・ゲルヴィンの定理

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ボーヤイJános Bolyai

ひとことで言うと

「平行線は1本だけ」という2000年の常識をくつがえし、非ユークリッド幾何学を独立に発見したハンガリーの数学者。父は数学者のファルカシュ。

名前ボーヤイ・ヤーノシュ(János Bolyai、ボヤイとも)
生没年1802年12月15日〜1860年1月27日(57歳)
国ハンガリー王国(コロジュヴァール生まれ、マロシュヴァーシャールヘイで没。いまのルーマニア)
分野幾何学(非ユークリッド幾何学)
主な業績非ユークリッド幾何学(双曲幾何学)の独立発見(付録、1832年)
名前がつくものボーヤイ・ロバチェフスキーの幾何学
よばれ方非ユークリッド幾何学の発見者のひとり、ファルカシュ・ボーヤイの息子

このページのポイント

  • 「点を通る平行線は1本だけ」を使わない非ユークリッド幾何学を、ロバチェフスキーとは別に発見した
  • 1832年、父の数学書の約24ページの付録で発表。ガウスは「ほめれば自分をほめることになる」と評したと伝えられる
  • ボーヤイ・ゲルヴィンの定理(名前のボーヤイは父ファルカシュ):面積が等しい多角形は切りはりで作りかえられる(中学受験の等積変形の仲間)

ボーヤイ・ヤーノシュは何をした人?(業績をひとことで)

ボーヤイ・ヤーノシュ(János Bolyai、1802〜1860年)は、ハンガリーの数学者です。2000年以上「あたりまえ」と思われていたユークリッドの平行線の公準がなくても成り立つ幾何学、つまり非ユークリッド幾何学(ひゆーくりっどきかがく)を、ロバチェフスキーとは別に、独立して発見したことで知られます。ハンガリーでは「ボーヤイ・ヤーノシュ」と、苗字を先に書きます。日本語では「ボヤイ」とも書かれます。

ボーヤイの発見は、1832年に父ファルカシュの数学書の付録(アペンディックス)として、わずか約24ページで発表されました。その中身は、「点Pを通って直線 ll と交わらない直線は、1本ではなくたくさん引ける」という、ふつうの感覚とはちがう世界の幾何学でした。平行線公準の問題は、数学の歴史の大問題でした。ボーヤイは、その答えを「公準は他の公理から証明できない。むしろ成り立たない幾何学もある」と出した人のひとりです。

受験生にとっても、ボーヤイの名前が示す内容は身近です。平行線と角の性質、多角形の内角の和は、「平行線の公準が成り立つ平面」だからこそ使える公式です。さらにボーヤイ家の名前は、平行の意味・図形の切りはり(等積変形)に関するボーヤイ・ゲルヴィンの定理にも残っています(この定理の「ボーヤイ」は、ヤーノシュの父ファルカシュです)。

うかるくん

うかるくん

平行線がたくさん引けるなんて、なんだか信じられません……。

合格先生

合格先生

そう感じるのが普通だよ。ボーヤイの時代の数学者も、みんなそう思っていた。でも、ふつうの平面は「平らな紙の上」の話なんだ。球の表面や、馬の鞍(くら)のように曲がった面の上では、「直線」のようなものの性質がちがってくる。ボーヤイは、そういう曲がった世界の幾何学が、矛盾なく成り立つことを見つけたんだよ。

ボーヤイの生涯と年表

数学者の父のもとで

ボーヤイは1802年12月15日、当時ハンガリー王国の一部だったコロジュヴァール(いまのルーマニアのクルジュ=ナポカ)で生まれました。父のファルカシュ・ボーヤイは、マロシュヴァーシャールヘイ(いまのトゥルグ・ムレシュ)のカルヴァン派の学校で数学を教える先生で、息子を数学者にしたいと考えていました。ヤーノシュは小さいころから数学の才能を見せ、父から直接教わったとされます。

ファルカシュは若いころ、ドイツのゲッティンゲン大学でガウスの業績と生涯と友人になった人物です。ファルカシュ自身が平行線の公準を証明しようと何十年も苦しんだため、息子には同じ苦労をさせたくなかったのでした。

軍の技術学校へ

ヤーノシュは1818年から1822年まで、ウィーンの王立工兵学校で学びました。数学の才能は目立ち、将校になるための勉強の傍ら、平行線の問題の研究を続けました。1823年9月に工兵隊の少尉になり、各地の要塞に配属されます。

この時期のヤーノシュは、軍隊で有名なほどの剣の名手で、ダンスも上手、ヴァイオリンも弾く人物だったと伝えられています。「13人の将校から決闘を申しこまれたとき、1戦ごとにヴァイオリンを1曲弾かせてほしいと頼み、全員に勝った」という有名な話がありますが、これは伝説として語り継がれているもので、確かな資料では確かめられていません。

「無から新しい宇宙を作った」(1823年)

1823年11月3日、20歳のヤーノシュは、父に宛てて手紙を書きました。「無から、新しい別の宇宙を作りました」という趣旨の有名な手紙です。ファルカシュは以前から、息子が平行線の問題にのめりこむことを心配していて、「後生だから、あきらめてくれ。この問題は、肉体の欲望と同じくらい恐れなさい。時間も、健康も、心の安らぎも、人生の幸せも奪うだろう」という趣旨の手紙を書いたと伝えられています(1820年ごろ)。ヤーノシュはそれでも研究を続け、ついに答えを見つけたのです。

付録の出版とガウスの返事

1831年にヤーノシュの研究は印刷され、1832年に父の数学書『テンタメン』の付録として世に出ました。ファルカシュは、この付録を友人のガウスに送ります。ガウスは1832年に返事を書き、その内容は「この仕事をほめることは、自分自身をほめることになる。内容は、私がここ30〜35年のあいだ考えてきたこととほとんど一致する」という趣旨だったと伝えられています。ガウスは別の友人には、ヤーノシュを「第一級の天才」とよんだとされます。

ヤーノシュは、ガウスにほめられるどころか、「先に思いついていた」と言われたことに、大きな衝撃を受けたようです。のちには、ガウスが自分のアイデアを盗んだのでは、と疑ったとも伝えられます(疑いが事実だったという証拠はありません)。1848年に、ロバチェフスキーが1829年に似た研究を公表していたことを知り、その論文を熱心に読みました。

軍をやめ、病気の晩年

ヤーノシュは、くりかえしかかる熱病のため、軍務がつらくなり、1833年6月に軍を退役しました。その後は、故郷のそばで暮らしながら研究を続けましたが、数学の論文として公に発表されたものはほとんどありません。ただし、後世に残る多くの草稿を書き残しました。1860年1月27日、肺炎のために57歳でマロシュヴァーシャールヘイで亡くなりました。

年できごと
1802年12月15日、コロジュヴァール(いまのクルジュ)で生まれる
1818年ウィーンの王立工兵学校に入る(1822年まで)
1820年ごろ父が、平行線の研究をやめるよう手紙で願ったと伝えられる
1823年11月3日、父へ「無から新しい宇宙を作った」と手紙。工兵隊の少尉になる
1829年ロバチェフスキーが非ユークリッド幾何学を公表(ボーヤイは後で知る)
1831年研究の付録が印刷される(刊行は1832年とされることが多い)
1832年ガウスが父への手紙で、自分も同じ考えを持っていたと述べる
1833年6月、軍を退役する
1848年ロバチェフスキーの仕事を知る
1860年1月27日、マロシュヴァーシャールヘイで亡くなる(57歳)

ボーヤイの主な業績をやさしく解説

業績1 平行線公準を使わない幾何学(絶対幾何学)

ユークリッドが書いた『原論』には、5つの公準(最初に認めるルール)があります。そのうちの第5公準は、とても長い文章で書かれています。

ユークリッドの第5公準(平行線公準)αβα+β が 180° より小さいなら、右で交わる
2直線に1本が交わるとき、同じ側の内角の和が180°より小さければ、その側で交わる

これを現代の言葉に言いかえたものが、「直線の外の点を通って、その直線に平行な直線は、ちょうど1本だけ引ける」という形(プレイフェアの公理)です。2000年以上の間、多くの数学者が「これは他の公準から証明できるはずだ」と考えて、証明に挑みました。ユークリッドの原論と公準の後でも、ルジャンドルをはじめとする大数学者たちが証明を試みましたが、うまくいきませんでした。

ボーヤイは、「第5公準を使わないでも成り立つ幾何学」(絶対幾何学)の範囲を整理しました。そして、そこから先、第5公準が成り立つ場合と成り立たない場合の2つの世界がある、と考えました。

業績2 もう1つの幾何学(双曲幾何学)の発見

ボーヤイは、第5公準のかわりに、「直線の外の点を通って、その直線と交わらない直線が2本以上ある」と仮定して、論理を進めました。すると矛盾が出るどころか、美しく、豊かな幾何学が現れたのです。これが双曲幾何学(そうきょくきかがく)です。

Pを通ってlと交わらない直線Plボーヤイの世界では、平行線がたくさん引ける
円板の中で直線を円弧でかいた図。Pを通ってlと交わらない直線がたくさんある

この世界では、たとえば次のようなことが成り立ちます。

  • 三角形の内角の和は180°より小さい。しかも、小さくなる分が、三角形の面積に比例します。
  • 相似な三角形はなく、形が同じなら大きさも同じ(合同になる)。
  • 点を通る平行線は無数にあり、境目にあたる「限りなく近づく平行線」が2本ある。

ボーヤイとロバチェフスキーは、平行線がずれる角度(平行角 Π(d)\Pi(d))が、距離 dd と次の関係にあることも示しました。

tan⁡Π(d)2=e−d/k\tan\frac{\Pi(d)}{2}=e^{-d/k}

kk は、この世界の「ものさし」の大きさを決める定数です。距離 dd が大きいほど、平行角 Π(d)\Pi(d) は0°に近づきます。距離が0に近いと、Π(d)\Pi(d) は90°に近づきます。これは、小さい範囲ではふつうの平面とほぼ同じに見える、ということを示しています。

三角形の内角の和は世界で変わる球面:180°より大(球の表面の三角形)平面:ちょうど180°(ユークリッド幾何学)双曲面:180°より小(双曲幾何学)
球面・平面・双曲面で、三角形の内角の和はちがう

業績3 矛盾していないという確信

ボーヤイたちの時代は、「ふつうの感覚とちがう幾何学なんて、どこかに矛盾があるはずだ」と思われていました。ボーヤイは、この幾何学のなかで長い計算を続けても、矛盾がまったく出てこないことに気づき、論理的に成り立つ世界だと確信しました。

その確信が、数学的に正しいと証明されたのは、ボーヤイの死後です。1868年、イタリアのベルトラミが、双曲幾何学のモデル(曲面)を作って、「ユークリッド幾何学が矛盾しないなら、双曲幾何学も矛盾しない」ことを示しました。その後、クラインのモデルやポアンカレの円板モデルも作られ、この幾何学は数学者に広く受け入れられました。リーマンの幾何学も、同じ流れの中で生まれています。

非ユークリッド幾何学のあゆみ1824ガウスひそかに1829ロバチェフスキー公表1831ボーヤイ付録(1832)1868ベルトラミ矛盾なしガウスの1824年は手紙で知られる最初の記録
ガウス→ロバチェフスキー→ボーヤイ→ベルトラミの順に、非ユークリッド幾何学が認められていった

業績4 ボーヤイ・ゲルヴィンの定理(父ファルカシュの名がつく切りはりの定理)

ボーヤイ家の名前が残るもうひとつの定理があります。ただし、この定理の「ボーヤイ」はヤーノシュではなく父のファルカシュです。イギリスのウォレスが1807年に最初に証明し、ファルカシュ・ボーヤイ(1833年)とゲルヴィン(1835年)が、それぞれ独立に証明したとされます(年は資料により前後します)。ウォレス・ボーヤイ・ゲルヴィンの定理ともよばれます。

面積が等しい2つの多角形は、一方を有限個の多角形に切り分けて並べかえると、もう一方に作りかえられる

三角形を長方形に作りかえる例を図で示します。三角形の高さの半分のところに横線を入れ、頂点から垂線を下ろして上の部分を2枚に切り、それぞれ回してはめこむと、底辺が同じで高さが半分の長方形になります。三角形の面積が「底辺×高さ÷2」であることの、切りはりによる説明です。

面積が同じなら、切りはりで必ず作りかえられる① 三角形に2本の線を入れる② 小さな2枚を回して下へ長方形底辺は同じ高さは半分三角形面積は底辺×高さ÷2
三角形を切って回すと、底辺が同じで高さが半分の長方形になる

同じ考えを使えば、どんな多角形も、同じ面積の正方形に作りかえられます。立体では事情が変わり、同じ体積の多面体どうしでも、切りはりでは作りかえられない場合があることが、ヒルベルトが1900年に出した問題(第3問題)として、弟子のデーンにより示されました。中学受験の図形の折り返しと切りはりや、三角形と平行四辺形の面積の問題も、この考え方の仲間です。

ボーヤイの名前がつく公式・定理・用語

  • ボーヤイ・ゲルヴィンの定理:面積が等しい多角形どうしは、切りはりで作りかえられる(名前のボーヤイは父のファルカシュ)。
  • ボーヤイ・ロバチェフスキーの幾何学(双曲幾何学):平行線公準のかわりに「平行線が2本以上ある」とした幾何学。→ 平行線公準の問題とは。
  • 絶対幾何学:平行線公準を使わなくても証明できる幾何学の部分。ボーヤイが「絶対的な空間の学」とよんだ。
  • 平行角:双曲幾何学で、直線までの距離 dd に応じて決まる、限りなく近づく平行線の角度。
  • ボーヤイ付録(Appendix):1832年に父の数学書に載せた、約24ページの論文。正式な題名は「空間の絶対的に真な学を示す付録」とされる。

関係する高校数学の用語は、平行とは・多角形の用語・平行線と同位角・錯角で復習できます。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

ボーヤイの名前は、入試では出ないけれど、「図形の切りはり」と「平行線がある世界」という2つの考え方で中学・高校の図形とつながっているよ。

ボーヤイの逸話と名言

「無から新しい宇宙を」

1823年11月3日、20歳のヤーノシュが、父にあてた手紙の言葉です。まだ完全に証明を終えていない時点でしたが、新しい幾何学に手ごたえを感じたことがわかります。ヤーノシュは、この手紙の中で、「完成したら、すぐ出版したい」とも書いたとされます。

私は無から、新しい別の宇宙を作りました。

ボーヤイ・ヤーノシュ(1823年11月3日、父ファルカシュへの手紙(訳。資料により訳し方にちがいがある))

父からの「あきらめなさい」

父ファルカシュが平行線の研究をやめるように願った手紙は、数学の歴史の中でも特に有名です。ファルカシュ自身が何十年も取り組んで失敗したことが背景にあります。「平行線の問題は、感覚の誘惑と同じように、お前から時間も健康も安らぎも奪うだろう」という意味の手紙だったと伝えられています。それでも、ヤーノシュはあきらめませんでした。

ガウスの返事

ガウスは、友人ファルカシュにあてた返事で、息子の仕事をこう評したと伝えられています(英語訳からの意訳、1832年)。ガウスの意図は、先に考えていたと主張することではなく、「同じ結論にたどり着いた」と最大限に認めたものだとする見方もあります。ただ、ヤーノシュの心には深い傷が残りました。

この仕事をほめれば、それは私自身をほめることになる。

ガウス(1832年3月6日、ファルカシュ・ボーヤイへの手紙(英訳からの訳))

「証明できなかった」ことの価値

ボーヤイの話は、「証明できない」という結果が、数学では立派な発見になることを教えてくれます。平行線公準を、ほかの公準から証明しようとした人たちの試みは、すべて失敗に終わりました。しかし、「証明できない」ことがはっきりしたとき、数学は、複数の幾何学が同時に成り立つ豊かな世界へ広がったのです。受験の勉強でも、「どうしても解けない問題」にぶつかったときは、「条件が足りないのではないか」「別の見方があるのではないか」と考えてみることが、突破口になる場合があります。

後世の評価

ボーヤイの業績が世の中に広く認められたのは、死後のことです。ハンガリーでは、国の数学の発展を代表する人物として、ボーヤイの名前を冠した大学・学会・賞などがあります。第二次世界大戦後の1945年には、クルジュのハンガリー語の大学にボーヤイの名前が付けられ、1959年にバベシュ大学と合併して「バベシュ・ボーヤイ大学」になりました。また、月のクレーターにも名前がついています。

サクラちゃん

サクラちゃん

ボーヤイさんは、ガウスに「先に考えていた」と言われて、がっかりしたんですね。

合格先生

合格先生

そうだね。でも、先に公表した人の名前が残るのが数学の世界のルールなんだ。ガウスは発表しなかったから、ボーヤイやロバチェフスキーの名前が歴史に刻まれた。みんなも、自分のアイデアや解き方を、ノートにちゃんと書き残しておこう。

受験・勉強とボーヤイのつながり

中学受験・高校受験:平行線・等積変形・切りはり

中学受験では、「平行な線を引いて面積を変えずに形を変える」三角形と平行四辺形の面積や、「図形を切って並べかえる」問題が多く出ます。これは、ボーヤイ・ゲルヴィンの定理の考え方の初歩です。高校受験では、平行線と角(同位角・錯角)や、平行線と線分の比が必ず出ます。これらはすべて、「平行線が1本だけ引ける平面」だから成り立つ性質です。

高校数学:内角の和と図形の証明

「三角形の内角の和は180°」という、小学校で習う事実も、実は平行線の公準から出てくる性質です。多角形の内角の和の公式、角度の求め方は、すべて平行線の公準の上に立っています。球の表面(地球の表面)では、三角形の内角の和は180°より大きくなります。たとえば、北極点と赤道上の2点(経度が90°ちがう)を結んだ三角形は、3つの角がすべて90°で、内角の和が270°になります。

大学入試・大学:非ユークリッド幾何学はどこにあるか

大学入試では、非ユークリッド幾何学がそのまま出題されることはほとんどありません。しかし、リーマンの幾何学を経て、アインシュタインの一般相対性理論(空間が曲がっているという考え方)につながっていきます。カーナビやGPSの時刻の補正にも、相対性理論が使われています。数学の「あたりまえを疑う」姿勢が、現代の技術を支えているのです。

勉強法として:「あたりまえ」を疑ってみる

ボーヤイの教えは、「どうしても証明できないことは、前提を変えてみる」という発想の転換です。入試問題でも、あきらめるだけでなく、前提を整理し、別の道を試す力が役に立ちます。数学の勉強法は、数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。ギリシャ文字(α・β・γ・Π)はギリシャ文字の読み方一覧で確かめられます。

ボーヤイがその後の数学にあたえた影響

  • 幾何学の大変革:ユークリッド幾何学が「唯一の正しい幾何学」ではなくなり、複数の幾何学を並べて考える時代が始まりました。
  • 公理主義の誕生:「公理から出発して、論理だけで結論を出す」という数学の考え方が強まり、ヒルベルトの公理主義につながりました。
  • クラインのエルランゲン・プログラム:さまざまな幾何学を、変換の群で整理する見方(クラインの業績と生涯)が生まれました。
  • 相対性理論:リーマンの幾何学を経て、アインシュタインが「空間が曲がる」という考え方で重力を説明しました。
  • 現代の数学・情報科学:双曲幾何学は、複雑なネットワーク(インターネット・SNS)の形を表すのに使われるなど、現代でも新しい応用が広がっています。

ボーヤイ本人は、生涯に公表した論文がほとんどなく、不遇のうちに亡くなりました。しかし、その発見は、いまの数学の土台になっています。

ボーヤイに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 平らな平面で、三角形の3つの内角の和は何度ですか。また、ボーヤイの双曲幾何学の世界では、180°より大きいですか、小さいですか。
    答えと解説を見る平らな平面では180°です。双曲幾何学では180°より小さくなります(球面では大きくなります)。
  2. 底辺が10、高さが6の三角形があります。この三角形と同じ面積の長方形で、よこの長さが10のものは、たての長さが何ですか。
    答えと解説を見る三角形の面積は 10×6÷2=3010\times6\div2=30。長方形のよこが10なら、たては 30÷10=330\div10=\mathbf{3} です。(本ページの図の「高さが半分の長方形」と同じ結果です)

ふつう

  1. 面積が同じ、よこ8たて2の長方形と、正方形があります。この正方形の1辺はいくつですか。
    答えと解説を見る長方形の面積は 8×2=168\times2=16。正方形の1辺を xx とすると x2=16x^2=16 なので、x=4x=4 です。ボーヤイ・ゲルヴィンの定理により、この長方形は切りはりで1辺4の正方形に作りかえられます。
  2. 球面上に、3つの角がすべて90°の三角形があります。内角の和は何度ですか。また、この三角形は球面全体の何分の1ですか。
    答えと解説を見る内角の和は 90°×3=270°90°\times3=\mathbf{270°}。球を、たて・よこ・水平の3つの大円で切ると8個のおなじ三角形ができるので、全体の 18\dfrac18 です。

むずかしい

  1. 半径1の球面上に、3つの角が 90°, 90°, 60°90°,\ 90°,\ 60° の三角形があります。この三角形の面積を求めなさい。(球面三角形の面積は「内角の和−π」に半径の2乗をかけたもの)
    答えと解説を見る角を弧度で表すと π2+π2+π3=4π3\dfrac{\pi}{2}+\dfrac{\pi}{2}+\dfrac{\pi}{3}=\dfrac{4\pi}{3}。面積は 4π3−π=π3\dfrac{4\pi}{3}-\pi=\dfrac{\pi}{3} です。答えは π3\dfrac{\pi}{3}。
  2. 双曲幾何学(曲率が −1-1)では、三角形の面積は「π−\pi-内角の和」で表せます。角が π2, π3, π7\dfrac{\pi}{2},\ \dfrac{\pi}{3},\ \dfrac{\pi}{7} の三角形の面積を求めなさい。
    答えと解説を見る内角の和は π2+π3+π7=21π+14π+6π42=41π42\dfrac{\pi}{2}+\dfrac{\pi}{3}+\dfrac{\pi}{7}=\dfrac{21\pi+14\pi+6\pi}{42}=\dfrac{41\pi}{42}。面積は π−41π42=π42\pi-\dfrac{41\pi}{42}=\dfrac{\pi}{42} です。答えは π42\dfrac{\pi}{42}。

ボーヤイと関係する数学者

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よくある質問

ボーヤイは何をした人ですか?

ボーヤイ・ヤーノシュは、19世紀のハンガリーの数学者です。ユークリッドの平行線公準を使わない非ユークリッド幾何学(双曲幾何学)を、ロバチェフスキーとは別に発見しました。1832年に父の数学書の付録として発表しています。

非ユークリッド幾何学とは何ですか?

ユークリッドの第5公準(平行線公準)が成り立たない幾何学のことです。直線の外の点を通って、その直線と交わらない直線が2本以上引ける双曲幾何学と、1本も引けない球面幾何学などがあります。

ボーヤイとロバチェフスキーの関係は?

2人は互いに知らないまま、ほぼ同じ時期に同じ幾何学を見つけました。ロバチェフスキーは1829年に公表し、ボーヤイは1832年に発表しました(印刷は1831年とされる)。ボーヤイは1848年にロバチェフスキーの仕事を知りました。

ガウスはボーヤイの発見にどう反応しましたか?

ガウスは、ボーヤイの父ファルカシュにあてた1832年の手紙で、この仕事をほめれば自分をほめることになる、内容は自分が何十年も考えてきたことと一致する、という趣旨を述べたと伝えられます。ボーヤイは大きな衝撃を受けたとされます。

ボーヤイの名言はありますか?

1823年11月に父へ送った手紙の「無から、新しい別の宇宙を作りました」という趣旨の言葉が有名です。訳し方には資料によるちがいがあります。

ボーヤイは何歳で亡くなりましたか?どこの国の人ですか?

ボーヤイは1802年にコロジュヴァール(当時ハンガリー王国、いまのルーマニアのクルジュ)で生まれ、1860年1月27日に57歳で、肺炎のためマロシュヴァーシャールヘイ(いまのトゥルグ・ムレシュ)で亡くなりました。

ボーヤイ・ゲルヴィンの定理とは何ですか?

面積が等しい2つの多角形は、一方を有限個の多角形に切って並べかえると、もう一方になる、という定理です。ウォレスが1807年に最初に証明し、ファルカシュ・ボーヤイ(ヤーノシュの父)とゲルヴィンが1830年代に独立に証明したとされます。

ボーヤイは中学受験・高校受験・大学受験に関係がありますか?

直接出題されることは少ないですが、中学受験の等積変形・切りはり、高校受験の平行線と角・内角の和は、平行線公準の上に成り立つ性質です。大学入試では、非ユークリッド幾何学の背景知識として役立ちます。

ボーヤイが決闘に勝ったという話は本当ですか?

13人の将校と決闘し、1戦ごとにヴァイオリンを弾いた、という話が伝えられますが、確かな資料では確認できません。剣の名手として知られたことは伝えられていますが、伝説の部分が含まれると考えられます。

双曲幾何学では三角形の内角の和はどうなりますか?

180°より小さくなります。小さくなった分が三角形の面積に比例します。球面では逆に180°より大きくなり、平らな平面では180°ちょうどです。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「János Bolyai」(セント・アンドルーズ大学)
  • J. Bolyai, “Appendix scientiam spatii absolute veram exhibens”(1832年)
  • Wikidata・Wikipedia(生没年の照合)

最終更新:2026年11月2日/作成:大学受験合格大作戦