アンドレ・ヴェイユは何をした人?業績・生涯をわかりやすく|ヴェイユ予想・ブルバキ・妹シモーヌ

アンドレ・ヴェイユは何をした人?業績・生涯をわかりやすく|ヴェイユ予想・ブルバキ・妹シモーヌ

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ヴェイユAndré Weil

ひとことで言うと

余りの世界で方程式の解を数えるヴェイユ予想を発表し、数学者集団ブルバキの中心人物となったフランスの数学者。妹は哲学者シモーヌ・ヴェイユ。

名前アンドレ・ヴェイユ(André Weil)
生没年1906年5月6日〜1998年8月6日(92歳)
国フランス生まれ。のちアメリカ(プリンストン高等研究所)で活躍
分野数論・代数幾何学
主な業績有限体の上の曲線のリーマン予想の証明、ヴェイユ予想(1949年)、ブルバキ『数学原論』、谷山・志村予想の普及
主な受賞ウルフ賞(1979年)、スティール賞(1980年)、京都賞(1994年)
名前がつくものヴェイユ予想・ヴェイユ群・ヴェイユ・ペアリング・ハッセ・ヴェイユのゼータ関数

このページのポイント

  • 1949年にヴェイユ予想を発表。「余りの世界」で方程式の解の個数を数える。グロタンディークとドリーニュが解決し、代数幾何学を大きく変えた
  • 数学者集団ブルバキの創立のころの中心人物。数学を「構造」で整理し直した
  • 谷山・志村予想を1967年に論文で取り上げ、フェルマーの最終定理の解決への道を開いた。妹は哲学者シモーヌ・ヴェイユ

アンドレ・ヴェイユは何をした人?(業績をひとことで)

アンドレ・ヴェイユ(André Weil、1906〜1998年)は、フランスの数学者です。数論(整数の性質を調べる数学)と代数幾何学(式で表せる図形を調べる数学)を結びつけ、20世紀の数学の流れを大きく変えました。特に有名なのが、1949年に発表したヴェイユ予想です。これは「素数を割る世界(余りだけを見る世界)で、方程式の解の個数がどう決まるか」についての3つの予想で、その後25年にわたって数学者を引きつけ、新しい理論をいくつも生みました。

もうひとつの顔が、ブルバキです。ブルバキは、1930年代にフランスの若い数学者たちが作った「覆面の数学者集団」で、「ニコラ・ブルバキ」という架空の名前で数学の教科書シリーズ『数学原論』を書きつづけました。ヴェイユは、その創立のころの中心人物のひとりです。さらに、ヴェイユの妹は、哲学者として知られるシモーヌ・ヴェイユ(1909〜1943年)です。

日本とも縁があります。フェルマーの最終定理の解決につながった谷山・志村予想は、ヴェイユが1967年に論文で取り上げて西洋の数学界に広く知られた、と説明されます。そのため、「谷山・志村・ヴェイユ予想」とよばれることもあります。受験生にとってのヴェイユは、合同式(mod)の計算(余りの世界)が、最先端の数学で大活躍することを教えてくれる人です。中学・高校で習う「余り」の計算が、世界の数学者が一生をかける研究の入口なのです。

サクラちゃん

サクラちゃん

余りの計算が、最先端の数学になるんですか?

合格先生

合格先生

そうなんだ。たとえば、「x2+y2=1x^2+y^2=1 を、5で割った余りの世界で数えると何組の解があるか」を調べる。これが有限体の上の方程式だよ。ヴェイユは、この「個数」に、美しい法則があることを見ぬいた。この記事では、その入口を図と計算でやさしく説明するね。

ヴェイユの生涯と年表

パリで生まれ、首席で高等師範学校を卒業

ヴェイユは1906年5月6日、パリで生まれました(MacTutor)。1922年に、フランスの最高峰の学校のひとつ高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリユール)に入り、1925年に首席で卒業しています。1928年にはパリ大学から博士号を受けました。論文の題は『代数曲線の数論(Arithmétique des courbes algébriques)』、指導した先生はアダマールです。アダマールの業績と生涯は、素数定理を証明した数学者として知られます。

インドで教え、サンスクリットを学ぶ

1930年から1932年まで、ヴェイユはインドのアリーガル・ムスリム大学で教えました。この時期にサンスクリットを学び、インドの古典に親しんだと伝えられます。インド式かけ算のやり方一覧のように、インドと数学のつながりは深く、ヴェイユもその一端に触れた人でした。

ストラスブール大学とブルバキ

1933年からストラスブール大学で教えます。そこで同僚の数学者アンリ・カルタンと、解析学の教科書の書き方を話し合ったことが、ブルバキの出発点になりました。カルタン本人は、1934年にヴェイユと新しい解析の教科書について話し合ったことを回想しています(MacTutor)。やがて仲間が集まり、1934年末から定期的に会合が開かれるようになった、とされます。

フィンランドでの逮捕と、獄中の研究(1939〜40年)

1939年11月、ヴェイユは友人の数学者を訪ねてフィンランドにいました。第二次世界大戦の直前で、フィンランドはソ連との戦争の最中でした。ヴェイユはスパイの疑いで逮捕されたと伝えられます(MacTutor によると、投獄は1939年11月、釈放は12月12日)。その後、スウェーデンとイギリスを経てフランスへ送り返されました。フランスでは、兵役をのがれた罪で裁判にかけられ、1940年5月3日にルーアンで裁かれたのち、軍に入りました。

この期間、獄中でヴェイユは曲線にまつわるリーマン予想の類似(有限体の上の曲線の場合)を研究して証明に成功した、と MacTutor は記しています。獄中から妹シモーヌにあてた手紙には、数学の研究のようすが書かれていて、「牢屋のほうが仕事がはかどる」という内容のことを冗談まじりに書いた、と伝えられます(言葉そのものは版により訳が異なるので、大意としてご理解ください)。

アメリカへ、そしてプリンストンへ

1941年1月にアメリカへ移り、ハヴァフォード大学、リーハイ大学で教えました。1945年から1947年はブラジルのサンパウロ大学、その後シカゴ大学で1958年まで教え、1958年にはプリンストン高等研究所に移って、1976年に退職しました。1949年に、ヴェイユ予想を発表しています。受賞は、1979年のウルフ賞、1980年のスティール賞、1994年の京都賞などです。1998年8月6日、プリンストンで亡くなりました。92歳でした。

ヴェイユの歩み1906パリで生まれる1928パリ大学で博士号1930インドの大学で教える1934ブルバキの活動がはじまる1939フィンランドで逮捕される1949ヴェイユ予想を発表1958プリンストン高等研究所へ1998プリンストンで亡くなる年は本文の年表のとおり
ヴェイユの歩み。パリ→インド→ブルバキ→獄中の研究→アメリカ・プリンストン
年できごと
1906年5月6日、フランスのパリで生まれる
1922年高等師範学校(エコール・ノルマル)に入学
1925年高等師範学校を首席で卒業
1928年パリ大学で博士号(論文『代数曲線の数論』、指導はアダマール)
1930〜32年インドのアリーガル・ムスリム大学で教える
1934年ストラスブール大学で、カルタンと新しい教科書を話し合う。ブルバキの活動がはじまる
1939年11月、フィンランドで逮捕される(12月12日に釈放)
1940年5月3日、ルーアンで裁判のあと軍へ。獄中で曲線のリーマン予想を研究
1941年1月、アメリカへ移る
1945〜47年ブラジルのサンパウロ大学で教える
1949年ヴェイユ予想を発表
1958年プリンストン高等研究所の教授になる(1976年に退職)
1979年ウルフ賞
1994年京都賞(基礎科学部門)
1998年8月6日、アメリカのプリンストンで亡くなる(92歳)

ヴェイユの主な業績をやさしく解説

業績1 ヴェイユ予想:「余りの世界」で解の個数をかぞえる

合同式(mod)の計算では、整数を pp(素数)で割った余り 0,1,…,p−10,1,\dots,p-1 だけで計算します。この世界を有限体(素数 pp のときは Fp\mathbb{F}_p)といいます。たとえば円の式 x2+y2=1x^2+y^2=1 の解を、pp で割った余りで数えると、次のようになります。

  • p=3p=3 のとき:解は4組((±1,0),(0,±1)(\pm1,0),(0,\pm1))。
  • p=5p=5 のとき:解は4組。
  • p=7p=7 のとき:解は8組。

個数は、p−1p-1 か p+1p+1 になります。「円のはずなのに、pp のまわりに集まる」のです。これは偶然ではありません。ヴェイユは、一般の曲線でも、解の個数は p+1p+1 に近く、そのずれの大きさは決まった範囲におさまることを証明しました。曲線の「穴の数」(種数)を gg とすると、

∣N−(q+1)∣≤2gq\left|N-(q+1)\right|\le 2g\sqrt{q}

という式が成り立ちます(qq は有限体の大きさ、NN は解の個数)。穴が1つの楕円曲線(g=1g=1)の場合は、ドイツのハッセが先に示した(1930年代)もので、ハッセ・ヴェイユの評価とよばれます。次の図は、楕円曲線 y2=x3+x+1y^2=x^3+x+1 を、いろいろな素数で数えたものです。

点の数は p+1 の近くに集まる571113171923290横軸:素数 p(5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29)青=(p+1)−(点の数)。赤い線=±2√p
楕円曲線 y²=x³+x+1 の点の数は、p+1 からのずれが ±2√p の帯の中におさまる

この図のとおり、点の数のずれは、どの素数 pp でも ±2p\pm2\sqrt p の帯の中に入っています。ヴェイユがこの不等式を一般の曲線で証明したことは、「有限体の上の曲線のリーマン予想」の解決にあたります。獄中にいた1940年ごろに証明のアイデアを得て、1940年代に完成させたと伝えられます。この研究は、整数論のもっとも大きな未解決問題のひとつであるリーマン予想とはの「親戚」にあたるものです。

1949年、ヴェイユは、曲線だけでなく、もっと一般の「図形」(代数多様体)について、ゼータ関数とよばれる式を作り、その性質を3つの予想として発表しました。ゼータ関数は、各 mm について、Fqm\mathbb{F}_{q^m} での解の個数 NmN_m を一つの式にまとめたものです。

Z(T)=exp⁡(∑m=1∞NmmTm)Z(T)=\exp\left(\sum_{m=1}^{\infty}\frac{N_m}{m}T^m\right)

3つの予想は、①この式が分数の形(有理関数)になる、②ある対称な関係式(関数等式)が成り立つ、③根の大きさがそろう(リーマン予想にあたる部分)、というものです。

ヴェイユ予想(1949年)を解いた人たち ① 有理性ゼータ関数は、分数の形(有理関数)になる1960年 ドワーク(p進の方法) ② 関数等式値を s と 1−s の側で入れかえた式が成り立つ1965年 グロタンディーク(コホモロジー) ③ リーマン予想にあたる部分零点(根)の大きさが、きれいにそろう1974年 ドリーニュ(フィールズ賞は1978年) 1949年の予想から25年。数学の大きな道具が生まれた(曲線の場合の③は、ヴェイユ自身が1940年代に証明)
ヴェイユ予想の3つの部分と、解決した人。1960年ドワーク、1965年グロタンディーク、1974年ドリーニュ

①は1960年にドワーク、②は1965年にグロタンディークの業績と生涯(と共同研究者たち)、③は1974年にドリーニュが証明しました。ドリーニュは1978年にフィールズ賞を受けています。この問題を解くために、グロタンディークはスキームやエタール・コホモロジーといった巨大な理論を作り、セールの業績と生涯も重要な助言をした、とされます。ヴェイユの問題が、20世紀後半の代数幾何学そのものを作った、といっても大げさではありません。

業績2 数学の「ロゼッタ石」:3つの世界の対応

ヴェイユは、1940年に妹のシモーヌにあてた手紙の中で、数学の世界を古代エジプト文字の解読に使われたロゼッタ石にたとえて説明した、と伝えられます(手紙そのものは公表されており、数学史の本でよく紹介されます)。同じ内容が、3つの言語で書かれているとします。

数学の「ロゼッタ石」 数の世界整数・素数代数的整数論?リーマン予想(未解決) 有限体の曲線余りの世界mod p の曲線✓類似を証明(ヴェイユ) リーマン面複素数の曲面穴の数=種数✓位相・幾何で理解できる 同じ話が3か国語で書かれている、という見方中央の言葉が読めたので、左の言葉に近づく手がかりになる
数の世界、有限体の曲線、リーマン面。3つの世界が、ロゼッタ石の3つの文字のように対応する

左の言語は、整数と素数の世界(代数的整数論)。右の言語は、複素数の曲面(リーマン面)の幾何です。中央が、有限体の上の曲線です。ヴェイユは、中央の言語(有限体の曲線)は、左(数の世界)と右(幾何)の両方に似ていて、しかも比較的に読みやすいと考えました。実際、中央で先に証明できたことが、のちに他の世界の理解につながっていきます。

この考えは、現代の整数論の中心にあるラングランズ・プログラムにも受けつがれています。「ちがう世界を、辞書でつなぐ」という発想は、数学の大きな力のひとつです。

業績3 ブルバキ:数学を「構造」で書き直す

1930年代のフランスの若い数学者たちは、大学で使う教科書に不満をもっていました。解析学の教科書が古く、新しい数学が入っていなかったのです。そこで、仲間で集まって、新しい教科書を書こうとしました。仲間は「ニコラ・ブルバキ」という架空の人物の名前で本を出すことにしました。名前は、普仏戦争のブルバキ将軍にちなむとされます。ヴェイユは、アンリ・カルタン、クロード・シュバレー、ジャン・デュドネ、ジャン・デルサルトらとともに、創立のころの中心人物でした。

ブルバキの考え方:構造で数学を作る 集合(すべての土台) 代数の構造+ ×の決まり 順序の構造大小の決まり 位相の構造近さ・連続 実数・関数・多様体 … 数学全体を「構造」ごとに整理し直した
ブルバキの考え方。集合から、代数・順序・位相の3つの構造を取り出して数学を組み立てる

ブルバキの特徴は、数学を「構造」で整理したことです。足し算やかけ算の決まりを調べる「代数的構造」、大小の決まりの「順序構造」、近さと連続の「位相構造」。この3つを「母構造」として、数学の世界を組み立て直しました。『数学原論(Éléments de mathématique)』の最初の巻は1939年に出ています。

ブルバキの書き方は、現代の大学の数学の教科書に大きな影響をあたえました。空集合を表す記号 ∅は、ヴェイユがブルバキで使い始めた、といわれます(ノルウェー語の文字からとったとされます)。記号の読み方は数学でよく使う記号の意味一覧にまとめています。集合の基本は集合とはでも確かめられます。

業績4 谷山・志村・ヴェイユ予想と、フェルマーの最終定理

日本の数学者、谷山豊の業績と生涯と志村五郎の業績と生涯は、「楕円曲線」と「モジュラー形式」という、まったく違う世界の2つが、実は同じものを別の言葉で書いているのではないか、という予想を考えました。谷山が1955年に、日光で開かれた国際シンポジウムで問題を出したと伝えられます。谷山は1958年に31歳で亡くなりましたが、志村がこの予想を深く研究し、整えていきました。

谷山・志村・ヴェイユ予想の流れ 1955年 谷山豊が問題を提出楕円曲線とモジュラー形式の関係? 1950年代後半〜 志村五郎が予想の形に谷山の死(1958年)のあとも研究を進める 1967年 ヴェイユが論文で根拠を示す西洋の数学界に広く知られるきっかけに 1986年 リベット:予想→最終定理予想が正しければ、フェルマー予想も正しい 1995年 ワイルズが解決(2001年に予想も完全に証明)呼び名は国や本で違う(本文を参照)
谷山の問題提出(1955年)から、志村の研究、ヴェイユの1967年の論文、リベット、ワイルズへ

1967年、ヴェイユはこの予想について論文で取り上げ、予想の根拠を示しました。このため、西洋の数学の本では、「谷山・志村・ヴェイユ予想」とよばれることがあります。日本では「谷山・志村予想」とよぶことが多く、のちにはモジュラー性定理という名前でよばれるようになりました。呼び名は国や本によって違いますが、3人がそれぞれ重要な役割をはたしたことは、広く認められています。

1986年にケン・リベットは、この予想が正しければフェルマーの最終定理も正しい、ということを示しました。1995年にワイルズの業績と生涯が予想の一部を証明して、フェルマーの最終定理が解決します(予想の全体は2001年に証明されました)。フェルマーの最終定理の話は、フェルマーの最終定理とは?わかりやすく解説やフェルマーの最終定理を中学生向けに図解で、やさしく読めます。難問としての解説はフェルマーの最終定理の難問ページも参考になります。

ヴェイユの名前がつく公式・定理・用語

ヴェイユの名前がつくものは、数論と代数幾何学の本に数えきれないほど出てきます。代表的なものを紹介します。

  • ヴェイユ予想:有限体の上の代数多様体のゼータ関数についての3つの予想。現在はすべて証明されています(定理)。
  • ヴェイユ・コホモロジー:ヴェイユ予想を解くための、グロタンディークらによる理論の目標。
  • ヴェイユ群・ヴェイユ表現:整数論や物理で使われる、群と表現の理論。
  • ヴェイユ・ペアリング:楕円曲線の上で使う道具。暗号(楕円曲線暗号)にも使われます。
  • ハッセ・ヴェイユのゼータ関数(L関数):楕円曲線などから作られる関数。
  • ヴェイユ高さ・ヴェイユの明示公式・ヴェイユ・ピーターソン計量など。

高校までの数学で、関係の深い公式・用語は次のとおりです。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

ヴェイユの「余りの世界で解の個数を数える」は、合同式の計算そのものなんだ。入試で習う余りの計算が、最先端の数学の入口でもある。「なぜ余りを考えるのか」を意識して勉強すると、数学が面白くなるよ。

ヴェイユの逸話と名言

牢屋の中で、数学がはかどった?

ヴェイユはフィンランドで逮捕されたのち、フランスでも拘留されました。この期間に、曲線についてのリーマン予想の類似を研究して、成果をあげたと MacTutor は記しています。ヴェイユ本人は、後年の自伝でも、この時期のことを語っています。外の世界から切りはなされたことが、研究の集中に役立ったという話は、手紙や自伝をもとに広く紹介されますが、細かい言葉づかいは版によって違うので、ここでは大意だけを紹介します。「環境が悪くても、集中できる条件がそろえば、人は深く考えられる」という教訓として、受験生にも参考になるでしょう。

妹シモーヌ・ヴェイユとの関係

ヴェイユの妹、シモーヌ・ヴェイユ(1909〜1943年)は、哲学者・神秘思想家として世界的に知られ、第二次世界大戦中は自由フランスに協力しました。兄と妹は、年が3つしか違わず、少年少女のころから、たがいに強く影響を与えあったと伝えられます。兄から妹への手紙には、数学の内容も書かれていて、のちに公開されました。1943年、シモーヌはイギリスで34歳で亡くなっています。

名言と、本人の言葉かどうか

ヴェイユの言葉として、次の言葉が広まっています。

神は存在する。数学に矛盾がないからだ。悪魔も存在する。それを証明できないからだ。

ヴェイユの言葉として広まっているもの(数学者の逸話集などで紹介される言葉ですが、出典がはっきりしません(本人の言葉かは確かめられていません))

ゲーデルの不完全性定理(数学の中では、数学が矛盾しないことを証明できない)を、冗談めかして言った言葉だとされます。もとの話はゲーデルの業績と生涯の不完全性定理にあります。出典がはっきりしないので、「ヴェイユが言ったと伝えられる言葉」として楽しむのがよいでしょう。

厳密さについて

ヴェイユは、数学の厳密さを大事にしたことでも知られます。ブルバキの教科書が「きびしい」と言われるのは、その気風によるところが大きいといわれます。一方で、ヴェイユ自身は、自伝『ある数学者の修業時代(Souvenirs d'apprentissage)』(1991年)で、数学を学んだ日々や、友人たちとの交流を、生き生きと書いています。

50歳でブルバキを引退?

ブルバキには、「メンバーは50歳で引退する」というきまりがあった、とされます。若い人が新しい血を入れ続けるための工夫です。ヴェイユも、この決まりに従って、ブルバキの活動から離れていきました。こうしたルールがあったことは、ブルバキの歴史を語る本によく出てきますが、守られ方は時期によって違った、という説明もあります。

うかるくん

うかるくん

数学者が集まって、架空の人物の名前で本を書くなんて、おもしろいですね。

合格先生

合格先生

そうだね。ブルバキは「一人の天才」ではなく、チームで数学をまとめる実験だった。たとえば入試でも、友だちと問題を出しあって教えあうと、1人で勉強するよりずっと身につくよ。

受験・勉強とヴェイユのつながり

中学受験:余りと倍数

中学受験の算数で習う、「割ると○余る数」「商と余りの問題」は、ヴェイユの「余りの世界」の入口です。曜日の問題(日暦算(曜日の計算))も、7で割った余りの計算です。余りの問題(割ると〜余る数・余りが等しい数)を練習しておくと、数論の基礎が自然に身につきます。

高校受験・大学受験:合同式と整数問題

高校数学では、合同式 a≡b(modm)a\equiv b \pmod m を使って、大きな累乗の余りを求めます。たとえば 21002^{100} を7で割った余りは、23≡1(mod7)2^3\equiv1\pmod 7 を使って 2100=(23)33⋅2≡22^{100}=(2^3)^{33}\cdot2\equiv2 と求められます。フェルマーの小定理の使い方を使うと、さらに速く計算できる問題もあります。京都大学・東京大学などの整数問題の出題傾向は、京大理系数学の出題分析(1999〜2026年度)で確かめられます。

大学受験:二次方程式の解と平方剰余

x2≡a(modp)x^2\equiv a\pmod p の解の有無(平方剰余)は、整数問題の定番の話題です。ヴェイユの「円の式の解の個数が p±1p\pm1 になる」という事実の背後には、この平方剰余の理論があります。ガウスの業績と生涯の『整数論の研究』から続く理論です。

勉強法として:「同じ構造」を見つける

ヴェイユの数学の特徴は、一見ちがうものを「同じ構造」としてまとめる力です。受験勉強でも、図形・方程式・数列の問題に、同じ「型」が隠れていることがよくあります。1問解くたびに、「この問題は、前に解いた問題と、どこが同じか」を考えてみてください。この習慣は、ポリアの「ふり返り」の考え方にも通じます(ポリアの業績と生涯)。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も読んでください。

ヴェイユがその後の数学にあたえた影響

  • 代数幾何学の大きな発展:ヴェイユ予想を解くために、グロタンディークがスキーム理論を作り、ドリーニュらがそれを使って予想を完成させました。この流れが、20世紀後半の代数幾何学そのものをつくりました。
  • ラングランズ・プログラム:整数論と表現論を結びつける大きな構想。ヴェイユの「ロゼッタ石」の考えが、その発想の背景にあるとされます。
  • フェルマーの最終定理の解決:谷山・志村・ヴェイユ予想(モジュラー性定理)が、ワイルズの証明の中心になりました。
  • 数学の教科書と書き方:ブルバキの『数学原論』は、定義・定理・証明の形式で書く現代の大学教科書のスタイルを広めました。「集合から出発して構造で整理する」やり方は、日本の大学の数学教育にも大きな影響を与えました。
  • 暗号への応用:楕円曲線の上の点の数を数える方法は、現代の暗号(楕円曲線暗号)の安全性の基礎として使われています。

ヴェイユの仕事は、フェルマーの業績と生涯、オイラーの業績と生涯、リーマンの業績と生涯といった数論の巨人たちの伝統を、20世紀に結びつけたものです。また、ネーターの業績と生涯が切りひらいた抽象代数学の考え方も、ヴェイユたちの世代が受けついでいます。

ヴェイユに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 時計の針が5時を指しています。13時間後は何時ですか。(12で割った余りで考える)
    答えと解説を見る5+13=18。18を12で割った余りは6。答えは6時。(5+13≡6 mod 12)
  2. 3+4 と 3×4 を、それぞれ5で割った余りで答えなさい。
    答えと解説を見る3+4=7、7を5で割った余りは2。3×4=12、12を5で割った余りは2。(余りの世界でも、たし算・かけ算ができる)

ふつう

  1. x2+y2=1x^2+y^2=1 を、3で割った余りの世界で考えます。x,yx,y は0,1,2のどれかです。解の組 (x,y)(x,y) は全部で何組ありますか。
    答えと解説を見るx²の値(3で割った余り)は、x=0,1,2 のとき 0,1,1。x²+y²≡1 になるのは、(x²,y²)=(0,1) か (1,0)。(0,1) になるのは x=0 で y=1,2 の2組。(1,0) になるのは y=0 で x=1,2 の2組。合わせて4組。(p+1=4 に一致します)
  2. 同じ式 x2+y2=1x^2+y^2=1 を、5で割った余りの世界で考えます。解は全部で何組ですか。
    答えと解説を見るx²の値(5で割った余り)は x=0,1,2,3,4 のとき 0,1,4,4,1。和が1(mod 5)になるのは (0,1)・(1,0)。(0,1):x=0、y=1,4 の2組。(1,0):y=0、x=1,4 の2組。他の組合せ(たとえば (4,4))は和が3にしかならず、1になりません。合計4組。(p−1=4 に一致します)

むずかしい

  1. 楕円曲線 y2=x3+x+1y^2=x^3+x+1 を、5で割った余りの世界で考え、解の組 (x,y)(x,y)(x,y∈{0,1,2,3,4}x,y\in\{0,1,2,3,4\})の数を数えなさい。さらに、無限遠点を1点と数えて、全体の点の数 NN を求めなさい。
    答えと解説を見るx=0..4 で右辺 x³+x+1 を5で割った余りは、1, 3, 1, 1, 4 です。y²は0,1,4,4,1(y=0..4)。右辺が1になる x=0,2,3 は、それぞれ y=1,4 の2組。右辺が4になる x=4 は、y=2,3 の2組。右辺が3になる x=1 は解なし。合計 2×4=8組。無限遠点を足してN=9。
  2. 上の問題で、NN が p+1=6p+1=6 からどれだけずれているか求めなさい。ハッセ・ヴェイユの評価 ∣N−(p+1)∣≤2p|N-(p+1)|\le2\sqrt p を満たしていますか。(5≈2.236\sqrt5\approx2.236)
    答えと解説を見る|9−6|=3。2√5 ≈ 4.47 なので、3 ≤ 4.47 で満たしています。

ヴェイユと関係する数学者

数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、数学全体の入口は算数・数学 公式と用語の一覧(学年別・分野別)もどうぞ。

20世紀の数学者

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有名な数学者一覧(年代順・国別・分野別)で、ほかの数学者も見られます。数学者たちが挑んだ問題は数学の難問・未解決問題の一覧にまとめています。

読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

アンドレ・ヴェイユは何をした人ですか?

アンドレ・ヴェイユは、20世紀のフランスの数学者です。数論と代数幾何学を結びつけ、1949年にヴェイユ予想を発表しました。覆面の数学者集団ブルバキの創立期の中心人物でもあり、谷山・志村予想を西洋に広めたことでも知られます。

ヴェイユ予想とは何ですか?

素数で割った余りの世界(有限体)で、方程式の解の個数がどう決まるかについての3つの予想です。ゼータ関数が有理関数になること、関数等式が成り立つこと、リーマン予想にあたる性質が成り立つことの3つで、1960年から1974年にかけて解決されました。

ヴェイユ予想はだれが解決しましたか?

有理性は1960年にドワーク、関数等式は1965年にグロタンディーク(と共同研究者)、リーマン予想にあたる部分は1974年にドリーニュが証明しました。ドリーニュは1978年にフィールズ賞を受けています。

ブルバキとは何ですか?

1930年代にフランスの若い数学者たちが作った覆面の数学者集団で、架空の人物ニコラ・ブルバキの名前で数学の教科書『数学原論』を書きました。ヴェイユは、アンリ・カルタンらとともに創立のころの中心人物でした。

ヴェイユと妹のシモーヌ・ヴェイユはどんな関係ですか?

シモーヌ・ヴェイユ(1909〜1943年)は、アンドレの3歳年下の妹で、哲学者・神秘思想家として世界的に知られています。兄は獄中から妹へ手紙を書き、数学のことを語ったと伝えられます。

ヴェイユは谷山・志村予想とどう関わっていますか?

谷山豊が1955年に問題を出し、志村五郎が予想として深めたものを、ヴェイユが1967年の論文で取り上げて根拠を示し、西洋の数学界に広く知られるきっかけになりました。そのため、谷山・志村・ヴェイユ予想とよばれることもあります。

ヴェイユはなぜ逮捕されたのですか?

1939年11月、フィンランドで、ソ連との戦争の最中にスパイの疑いをかけられて逮捕されたと伝えられます。12月12日に釈放され、フランスに送り返されました。獄中で、曲線のリーマン予想の類似に取り組んだとされます。

ヴェイユは受験とどう関係しますか?

中学受験の「余りの問題」、高校数学の合同式やフェルマーの小定理、大学入試の整数問題は、ヴェイユが研究した「余りの世界」の入口です。同じ構造を見つけて整理する姿勢は、勉強法にも役立ちます。

ヴェイユはどんな賞を受けましたか?

1979年にウルフ賞、1980年にアメリカ数学会のスティール賞、1994年に京都賞(基礎科学部門)を受けています。

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出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「André Weil」(セント・アンドルーズ大学)
  • A. Weil, “Numbers of solutions of equations in finite fields”, Bulletin of the AMS 55(1949年)
  • A. Weil, “Souvenirs d'apprentissage”(1991年)
  • A. Weil, “Sur les courbes algébriques et les variétés qui s'en déduisent”(1948年)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦