グロタンディークは何をした人?業績・生涯をわかりやすく|スキーム・EGA・SGA・数学の再構築

グロタンディークは何をした人?業績・生涯をわかりやすく|スキーム・EGA・SGA・数学の再構築

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グロタンディークAlexander Grothendieck

ひとことで言うと

スキームという新しい枠組みで代数幾何学を作り直し、20世紀後半の数学の姿を変えたフランスの数学者。1966年にフィールズ賞。2014年没。

名前アレクサンドル・グロタンディーク(Alexander Grothendieck)
生没年1928年3月28日〜2014年11月13日(86歳)
国フランス(ドイツのベルリン生まれ)
分野代数幾何学・圏論・数論幾何学
主な業績スキーム理論、グロタンディーク=リーマン=ロッホの定理、エタール・コホモロジー、トポス、モチーフの構想、EGA・SGA
名前がつくものスキーム・グロタンディーク位相・グロタンディーク群・グロタンディーク=リーマン=ロッホの定理
受賞などフィールズ賞(1966年)。クラフォード賞(1988年)は辞退

このページのポイント

  • 図形のかわりに、その上で使える式の集まり(環)を主役にし、整数や余りの世界も「図形」として扱えるスキームを作った
  • EGA・SGAで代数幾何学を書き直し、「数学の再構築」とよばれた。1966年にフィールズ賞(モスクワには行かなかった)
  • ヴェイユ予想(ドリーニュが1974年に解決)やフェルマーの最終定理の証明も、グロタンディークが整えた道具の上に成り立つ

グロタンディークは何をした人?(業績をひとことで)

アレクサンドル・グロタンディーク(1928〜2014年)は、フランスで活躍した数学者です。「スキーム」という新しい枠組みで、代数幾何学(方程式で決まる図形を調べる数学)を根本から作り直した人として知られています。ほかにも、圏(カテゴリー)・トポス・モチーフといった大きな考え方を持ち込み、20世紀後半の数学の姿を大きく変えました。

1966年に数学界最高の賞フィールズ賞を受けました。その一方で、研究所の軍事資金のことなどをきっかけに1970年に職を辞し、のちには公の場から身を引いたことでも知られます。2014年に86歳で亡くなりました。

受験の直接の出題範囲ではありませんが、グロタンディークの出発点は、高校で習う「方程式と図形」です。円の方程式と図形や方程式とは何かのように、式と図形を行き来する見方(デカルトの座標)を、極限まで広げて考え直した人、と考えるとイメージしやすいでしょう。また、フェルマーの最終定理を解いたワイルズの証明も、グロタンディークが作った道具の上に立っています。フェルマーの最終定理とは?わかりやすく解説もあわせてお読みください。

うかるくん

うかるくん

「スキーム」って、なんだか難しそうです……。高校の数学と関係あるんですか?

合格先生

合格先生

ある。y=x² は放物線、これは高校でやるよね。グロタンディークは「図形をかくかわりに、その図形の上で使える式の集まりを調べれば、図形のことが全部わかる」と考えた。そうすると、整数や余りの世界にまで「図形」の考え方が使えるようになったんだ。

グロタンディークの歩み19283月28日、ベルリンで生まれる1945モンペリエ大学で数学を学びはじめる1957グロタンディーク=リーマン=ロッホ1959IHES(高等科学研究所)の教授に1966フィールズ賞(モスクワには行かず)1970IHES を辞める1988クラフォード賞を辞退201411月13日、サン=ジロンで亡くなる
グロタンディークの歩み。ベルリンに生まれ、フランスで数学者になり、フィールズ賞を受ける

グロタンディークの生涯と年表

グロタンディークは、きびしい時代に生まれ育った人です。ここでは、資料で確かめられる事実を中心に、やさしく書きます。

ベルリンに生まれ、戦争の中で育つ

グロタンディークは1928年3月28日、ドイツのベルリンで生まれました。父アレクサンダー・シャピロはロシア出身のユダヤ系の人で、無政府主義の活動家でした。母ハンカ・グロタンディークは、作家・ジャーナリストでした。1933年、ナチスが政権をとると、両親はドイツを離れ、幼いグロタンディークは、ハンブルクのハイドルン牧師の一家に預けられて、1939年まで育てられました。その後、フランスで母と暮らします。戦争中、父はフランスで収容され、のちにアウシュヴィッツで亡くなりました。母とグロタンディークも収容所に入れられた時期があります。

モンペリエで数学を学びはじめる

1945年、グロタンディークはシャンボン=シュル=リニョンの学校でバカロレア(大学入学資格)をとり、モンペリエ大学で数学を学びはじめました。大学の授業は、彼にはものたりなく、自分で積分の理論(のちのルベーグ積分にあたるもの)をほとんど一人で作ってしまったと伝えられています。1948年から1949年にかけてパリの高等師範学校でカルタンのセミナーに出て、セールの代数幾何学ら同世代の数学者たちと交わり、本格的に数学者の道に進みます。

関数解析から代数幾何へ

1949年にナンシー大学に移り、関数解析(関数の集まりを調べる数学)の研究をします。1953年2月28日に、核型空間に関する博士論文を提出しました。その後、ブラジルのサンパウロ大学(1953〜1955年)、アメリカのカンザス大学(1955〜1956年)をへて、フランスにもどります。1950年代なかばに、研究の中心を代数幾何学に移しました。

IHESの黄金時代(1959〜1970年)

1959年ごろ、パリ近郊の高等科学研究所(IHES)の教授になります。ここでのグロタンディークの毎週のセミナー(SGA)は、世界中の若い数学者を集めました。1966年にフィールズ賞に選ばれましたが、ソ連の政治に抗議して授賞式のあるモスクワに行かなかった、と記録されています。

1970年、研究所を去る

1970年5月25日の日付で、グロタンディークはIHESを辞める手紙を書きました。研究所の資金の一部が軍事関係から来ていることを知ったためだと伝えられています。その後は、環境運動の団体「生き残り(Survivre)」の活動に力を入れ、コレージュ・ド・フランスやオルセー大学、モンペリエ大学で教えました。

退職、そして晩年

1988年に60歳で退職し、スウェーデン王立科学アカデミーのクラフォード賞を辞退しました。1991年ごろから、公の場から身を引き、ほとんど人と会わない暮らしになったと報じられています。報道では、フランス南西部のピレネー山脈のふもとの村で静かに暮らしていたと伝えられています。2014年11月13日、フランス南西部のサン=ジロンで亡くなりました。86歳でした。晩年の暮らしについては、本人の意志を尊重して、くわしい報道や伝記の範囲にとどめます。

年できごと
1928年3月28日、ドイツのベルリンで生まれる
1933年ナチスの政権のもと、ハンブルクの牧師の家に預けられる(〜1939年)
1939年フランスで母と暮らす。戦争中、収容所の時期がある
1945年バカロレアをとり、モンペリエ大学で数学を学びはじめる
1948年パリのカルタンのセミナーに参加
1953年2月28日、博士論文(核型空間)を提出
1957年グロタンディーク=リーマン=ロッホの定理を発表。このころから代数幾何学へ
1959年ごろIHES(高等科学研究所)の教授になる
1960年EGA(代数幾何学原論)・SGA(代数幾何学セミナー)がはじまる
1966年フィールズ賞に選ばれる(ソ連への抗議でモスクワには行かなかった)
1970年5月25日の日付で IHES を辞める。環境運動「生き残り」に参加
1973年モンペリエ大学の教授になる
1988年退職。クラフォード賞を辞退
2014年11月13日、サン=ジロンで亡くなる(86歳)

グロタンディークの主な業績をやさしく解説

業績1 「式」で図形をとらえる:環とスペクトラム

高校では、y=x2y=x^2 のグラフが放物線になることを習います。「式」から「図形」を作る見方です。グロタンディークは、この見方を逆にしました。図形の上で考えられる「式」の集まりを調べれば、図形のことがすべて分かる、と考えたのです。数学では、足し算・引き算・かけ算ができる数の集まりを環(かん)といいます。放物線の上の式の集まりは、環 R=R[x,y]/(y−x2)R=\mathbb{R}[x,y]/(y-x^2) で表せます。

図形 ⇄ 式の集まり(環) y = x² 図形(放物線) 式の集まり(環)R = ℝ[x, y]/(y − x²) デカルト:図形 → 式グロタンディーク:式の集まりを主役に
図形(放物線)と、その上の式の集まり(環)を行き来する。グロタンディークは式の集まりを主役にした

この考え方のよいところは、環さえあれば、そこから「図形」が作れることです。グロタンディークはその図形をスペクトラム(Spec)とよび、環に対する「図形」を作るしくみを整えました。たとえば整数全体の環 Z\mathbb{Z} にも、図形があります。

業績2 スキーム:整数も「図形」になる

整数全体の環 Z\mathbb{Z} の「図形」は、素数ひとつひとつが点になっています。さらに、すべての素数にまたがる特別な点 (0)(0) があります。それぞれの素数 pp の点では、「pp で割った余りの世界」Z/pZ\mathbb{Z}/p\mathbb{Z} が見えます。素数とはの一覧が、「整数という図形の点の並び」になるのです。

整数 Z を「図形」と見る …2Z/23Z/35Z/57Z/711Z/1113Z/13 特別な点 (0)(すべてに「ひろがる」点) 素数 p =「点」、Z/p = その点のまわりの世界
整数の「図形」。点は素数(赤)と特別な点 (0)。各点には「余りの世界」が見える

こうした図形をすべて扱える枠組みがスキームです。これにより、それまでは別々の学問だった「図形の幾何学」と「整数の数論」が、同じ言葉で書けるようになりました。たとえば、方程式 y=x2y=x^2 の解を、実数だけでなく、「5で割った余り」の世界でも考えられます。

余りの世界の放物線(mod 5)0011223344 y ≡ x² (mod 5)x=0,1,2,3,4y=0,1,4,4,1 点の数は5個。余りの世界でも図形の点を数えられる(ヴェイユ予想へ)
5で割った余りの世界で、y≡x² の点は5個。余りの世界でも図形の点を数えられる

この図のように、「余りの世界(合同式(mod)の計算)」で図形の点の数を数える、という見方は、のちにセールの代数幾何学や弟子たちが取り組んだヴェイユ予想につながりました。グロタンディークが作った道具(エタール・コホモロジー)を使って、1974年にドリーニュがこの予想を解決しました。

図形の範囲がぐんと広がった スキーム(グロタンディーク)整数・余りの世界の方程式も「図形」 代数多様体(それ以前の代数幾何)実数・複素数の方程式で決まる図形 直線・円・放物線高校の座標と式 内側の世界を、すべて含むように広げた
実数・複素数の図形(代数多様体)を内側に含む、より広いスキームの世界

業績3 圏・トポス・モチーフ:大きな見方

グロタンディークは、数学の対象を一つひとつ調べるのでなく、対象と、対象のあいだの「変換のしかた(矢印)」をまとめて見るという圏(カテゴリー)の考え方を、代数幾何学に積極的に持ち込みました。「何であるか」よりも「ほかのものとどう関係するか」を見ることで、問題の本質が見えやすくなる、という発想です。1957年の論文(東北数学雑誌に載ったことから「東北論文」とよばれます)は、その土台を整えたことで有名です。

さらに、図形の「形」を空間の点でなく「観察のしかた」の全体でとらえるトポス、種類のちがうさまざまな図形に共通する「もと」を探るモチーフ(動機)という大きな構想も考えました。モチーフは、いまも未完成の大きな夢として、多くの数学者が研究を続けています。

業績4 EGAとSGA:数学の再建

グロタンディークは、ディユドネとの共著『代数幾何学原論(EGA)』と、IHESでのセミナーの記録『代数幾何学セミナー(SGA)』で、新しい代数幾何学のすべてを書き残しました。1960年代に書かれたこれらの本は、全部あわせて何千ページにもなります。そこでは、スキーム、エタール・コホモロジー、トポスなど、のちの数学の基本的な道具が次々と整えられていきました。「数学の再構築」とよばれるほどの大仕事です。

クルミの割り方 金づちとのみ ぐいぐい押して割る 満ちてくる海 水がしみて、自然に開く 難問も「枠組みを整える」と自然にとける
金づちとのみで直接割るやり方と、水が満ちてくるのを待つやり方

グロタンディークは、問題の解き方を、上の図のように、固いクルミを割る2つの方法でたとえました(著書『収穫と種まき』にある比喩を、やさしく言いかえたものです)。金づちとのみでむりに割るのではなく、クルミを水にひたして、水がしみこんで自然に開くのを待つ。同じように、難問も、まわりの理論をじゅうぶんに整えておけば、やがて自然にとける、という考え方です。

原文の言葉づかいは長い文章なので、ここでは要点だけを私たちの言葉で書きます。グロタンディークは、「満ちてくる海」のたとえで、海が音もなくじわじわと進み、気がつくと固い殻のまわりをすっかり水が取りかこんでいる、と語りました。本人の文章の訳ではなく、要約です。

業績5 グロタンディーク=リーマン=ロッホの定理と、そのほかの仕事

1957年、グロタンディークは、リーマンが19世紀に示した「リーマン=ロッホの定理」を、はるかに広い形に一般化しました(グロタンディーク=リーマン=ロッホの定理)。この仕事で、代数幾何学の世界に圏の考え方を持ち込み、のちにアティヤらのK理論・指数定理にもつながりました。また、環と図形の関係、グロタンディーク位相、導来圏、グロタンディーク群など、名前がついた概念が数多くあります。

グロタンディークの名前がつく公式・定理・用語

  • スキーム:環から図形を作る枠組み。
  • グロタンディーク=リーマン=ロッホの定理:リーマン=ロッホの定理の一般化(1957年)。
  • グロタンディーク位相・トポス:図形の「観察のしかた」で空間をとらえる考え方。
  • エタール・コホモロジー:ヴェイユ予想の解決(ドリーニュ、1974年)に使われた道具。
  • グロタンディーク群:たし算ができるものの集まりを「ひき算もできる」ように広げた群。
  • モチーフ:さまざまな図形に共通する「もと」を探る大きな構想。
  • EGA・SGA:新しい代数幾何学を書き残した本とセミナー。
  • グロタンディーク素数:「57」の逸話に由来する、数学者の間の冗談の呼び名(下の逸話を参照)。
指し棒で説明する合格先生

合格先生

グロタンディークの合言葉は「大きな見方で整理する」。勉強でも、公式を1つずつ覚えるより、「公式どうしの関係」を一枚の図にまとめると、ぐんと忘れにくくなるよ。

グロタンディークの逸話と名言

「素数を言ってください」「57です」

数学者の間で有名な逸話があります。セミナーで、具体的な例として素数が必要になったとき、「大きな素数を1つ、例として挙げてください」と聞かれたグロタンディークが、「57」と答えた、というものです。実際は 57=3×1957=3\times19 で素数ではありません。この話は、抽象的な理論の達人が、具体的な数にはあまりこだわらなかったことを伝えるエピソードとして広まり、数学者の間で57を「グロタンディーク素数」とよぶ冗談が生まれました。ただし、本当にグロタンディークが言ったのか、どこまで正確な話かは、確かめられていません。

ほとんど独学で作った積分論

モンペリエ大学の学生のころ、グロタンディークは、講義の内容に満足できず、積分の理論を自分でゼロから考えたと伝えられています。あとになって、それがルベーグがすでに作っていた理論と同じだったと知った、という話です。細部は後年の本人の回想にもとづくとされます。

数学者グロタンディークと、のちの隠遁

グロタンディークは1970年にIHESを辞めたのち、環境や反戦の運動に力を入れ、のちには公の場から身を引いた、と報じられています。晩年は数学の研究も続けていたとされ、大量の手書きの原稿を残したと報じられています。生前の意向を尊重して、ここでは報道や伝記で知られている範囲にとどめます。

『収穫と種まき』

1980年代に書かれた『収穫と種まき(Récoltes et Semailles)』は、数学についての思い出と、数学界への思いをつづった大部の手記です。数学者にとって、新しい理論を作るとはどういうことかを、本人の言葉で語った貴重な記録として知られています。内容の受け止め方は読む人によってさまざまです。

サクラちゃん

サクラちゃん

「57は素数」って、えへへ、わたしもたまに言っちゃいそうです……。

合格先生

合格先生

57=3×19 だね。でも安心して。偉大な数学者でも、具体的な数のまちがいはあるんだ(という逸話だよ)。グロタンディークの大きな仕事は、大きな枠組みを整える力にあった。計算ミスは、見直しで減らせるから、ちゃんと検算しよう。

受験・勉強とグロタンディークのつながり

グロタンディークの理論そのものは大学院レベルです。でも、出発点の考え方は、中学・高校の勉強の延長線上にあります。

中学受験:素数と素因数分解

中学受験の算数では、素数や因数分解の問題が出ます。整数を素数の積に分ける、という作業は、グロタンディークの「整数の図形」の見方の入口です。「57は素数か」は、57÷3=19で割り切れることを確かめれば分かります(唯一の偶数の素数「2」の話もどうぞ)。

高校受験:式とグラフ

1次関数・2次関数のグラフは、式から図形を作る練習です。「y=x2y=x^2 のグラフは放物線」から、「式と図形は表と裏」という感覚が身につきます。

大学受験:座標・合同式・ベクトル

  • 座標と方程式(数学II):円・放物線・楕円の方程式、図形と式の対応。
  • 合同式(mod):整数を「余りの世界」で考える。合同式(mod)の計算。
  • 整数問題:素因数分解、互いに素、素数の問題。難関大の整数問題では、余りの世界で考える技がよく使われます。
  • 多項式:因数定理・解と係数の関係など、環の考え方の入口。

京大理系数学の出題分析(整数・図形の出題傾向)を見ると、整数と図形がどのくらい出ているかが分かります。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。

勉強法として:「大きな見方」を持つ

グロタンディークは、個々の問題を解く職人というより、問題を解くための大きな枠組みを整えた人でした。受験勉強でも、「この問題は、どんな型の問題の仲間か」と分類しながら解くと、解法が整理され、初見の問題にも対応しやすくなります。

グロタンディークがその後の数学にあたえた影響

  • ヴェイユ予想とドリーニュ:グロタンディークの道具で、1974年にドリーニュがヴェイユ予想を解決しました(ドリーニュは1978年にフィールズ賞)。
  • フェルマーの最終定理:ワイルズ(1994年)の証明は、谷山豊の予想・志村五郎の予想の予想を通して、スキームやガロア表現など、グロタンディークの時代に整えられた道具を使っています。くわしくはフェルマーの最終定理を中学生向けに図解。
  • 数論幾何学:数と図形をあわせて考える現代の数論は、グロタンディークの枠組みの上に立っています。
  • 日本の数学者:望月新一のABC予想の研究も、グロタンディークの考え方(遠アーベル幾何)にもとづくとされます。評価は分かれています。
  • 圏論・計算機科学:圏の考え方は、プログラミング言語の理論や、数学の新しい基礎づけ(ホモトピー型理論)にも広がっています。
  • 現代の若い数学者:ショルツェの数論幾何学など、現代の数論幾何学の研究者たちは、グロタンディークの考えを発展させた道具を使っているとされます。

グロタンディークの全集や講義録は、現在も世界の大学で読まれ、研究のもとになっています。「わずか10数年で、数学のある分野をまるごと作り変えた」という評価は、多くの数学者に共通しています。

グロタンディークに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 57が素数でないことを、割り算で確かめなさい。
    答えと解説を見る57の各位の数の和は 5+7=12 で、3の倍数なので 57 は3で割りきれます。57÷3=19 より 57=3×19。素数ではありません。
  2. 放物線 y=x² 上の点で、x座標が3の点のy座標を求めなさい。
    答えと解説を見るy=3²=9。したがって点は (3,9)。

ふつう

  1. 5で割った余りの世界で、x=0,1,2,3,4 のとき y=x² の余りをそれぞれ求めなさい。
    答えと解説を見るx=0→0、x=1→1、x=2→4、x=3→9 を5で割って4、x=4→16 を5で割って1。よって余りは順に 0,1,4,4,1。
  2. 7で割った余りの世界で、y=x² となる点 (x,y)(x,y は 0〜6)は何個ありますか。
    答えと解説を見るx=0〜6 のとき x² を7で割った余りは 0,1,4,2,2,4,1。それぞれのxに対してyが1つに決まるので、点は7個です。

むずかしい

  1. 円 x²+y²=1 の上にある有理点(x,y がともに有理数の点)で、x=3/5 のものをすべて求めなさい。
    答えと解説を見るy²=1−9/25=16/25 より y=±4/5。点は (3/5,4/5) と (3/5,−4/5)。(3,4,5 の直角三角形に対応します。有理点を考えるのは、整数の問題を図形の問題に変える見方の一例です)
  2. 整数 n が合成数(素数でない数)であるとき、n は n 以下の平方根より小さい(または等しい)素数で必ず割り切れることを説明しなさい。
    答えと解説を見るn=ab(1<a≦b)と書けます。もし a と b がともに √n より大きいなら ab>n となり矛盾。よって a≦√n。この a をさらに素因数分解すれば、√n 以下の素数で n が割り切れます。たとえば 57 なら √57≒7.5 以下の素数 2,3,5,7 を試せば、3 で割り切れると分かります。

グロタンディークと関係する数学者

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20世紀の数学者

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よくある質問

グロタンディークは何をした人ですか?

グロタンディークは、20世紀後半のフランスで活躍した数学者です。スキームという新しい枠組みで代数幾何学を根本から作り直し、圏・トポス・モチーフなどの大きな考え方を整えました。1966年にフィールズ賞を受けました。

スキームとは何ですか?

環(足し算・引き算・かけ算ができる数や式の集まり)から「図形」を作る枠組みです。実数や複素数の図形だけでなく、整数や余りの世界の方程式も同じ言葉で図形として扱えるようになりました。

グロタンディークはなぜ有名なのですか?

わずか10数年のうちに、代数幾何学をまるごと作り変えたからです。EGAとSGAという本とセミナーで、スキーム、エタール・コホモロジー、トポスなどの道具を整え、ヴェイユ予想の解決やフェルマーの最終定理の証明の土台になりました。

グロタンディークはフィールズ賞を辞退したのですか?

辞退はしていません。1966年にフィールズ賞に選ばれましたが、ソ連の政治への抗議で、授賞式のあるモスクワには行かなかったと記録されています。賞は研究所の所長が代わりに受け取りました。一方で、1988年のクラフォード賞は辞退しました。

EGAとSGAとは何ですか?

EGAは「代数幾何学原論」、SGAは「代数幾何学セミナー」の略です。1960年代にグロタンディークがディユドネらと書いた本と、IHESでの講義記録で、新しい代数幾何学のすべてがまとめられています。何千ページにもなります。

グロタンディーク素数とは何ですか?

「57」のことで、数学者の間の冗談の呼び名です。グロタンディークが「素数を例に挙げて」と言われて「57」と答えた(実際は3×19で素数ではない)という逸話に由来します。ただし、本当にあった話かどうかは確かめられていません。

グロタンディークは何歳で亡くなりましたか?

1928年3月28日にドイツのベルリンで生まれ、2014年11月13日にフランスのサン=ジロンで亡くなりました。86歳でした。

グロタンディークとフェルマーの最終定理の関係は?

ワイルズによる1994年のフェルマーの最終定理の証明には、スキームやエタール・コホモロジーなど、グロタンディークらが整えた代数幾何学の道具が使われています。フェルマーの最終定理は、図形と数を結ぶ現代数学の成果でもあります。

グロタンディークの理論は受験と関係がありますか?

理論そのものは大学院レベルで、入試には出ません。ただし出発点は、高校の「方程式と図形」「素数・合同式」と同じです。式と図形を行き来する見方や、余りの世界で考える技は、大学入試の整数・座標の問題の土台です。

グロタンディークの有名な言葉は何ですか?

著書『収穫と種まき』で、難問を固いクルミにたとえ、金づちとのみで割るのではなく、水が満ちてくるように理論を整えれば自然に開く、という趣旨を語っています。「大きな枠組みを整える」姿勢をよく表すたとえとして知られます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Alexander Grothendieck」(セント・アンドルーズ大学)
  • A. Grothendieck, J. Dieudonné, “Éléments de géométrie algébrique (EGA)”(1960〜1967年)
  • A. Grothendieck ほか, “Séminaire de géométrie algébrique du Bois Marie (SGA)”(1960〜1969年)
  • A. Grothendieck, “Récoltes et Semailles”(1980年代)
  • 国際数学者連合(IMU)「Fields Medal 1966」

最終更新:2026年11月2日/作成:大学受験合格大作戦