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志村五郎Goro Shimura
ひとことで言うと
友人の谷山豊とともに谷山–志村予想に名を残し、志村多様体など現代整数論の土台を築いた日本の数学者。ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明は、この予想の上に立つ。
| 名前 | 志村五郎(しむら ごろう / Gorō Shimura) |
|---|---|
| 生没年 | 1930年2月23日〜2019年5月3日(89歳) |
| 国 | 日本(静岡県浜松市生まれ、アメリカ・プリンストン大学で活躍) |
| 分野 | 整数論・モジュラー形式・複素乗法 |
| 主な業績 | 谷山–志村予想、複素乗法の高次元化、志村多様体、アイヒラー–志村の関係式、志村対応(1973年) |
| 名前がつくもの | 谷山–志村予想、志村多様体、志村曲線、志村対応、アイヒラー–志村の関係式 |
| 主な受賞 | コール賞(1977年)、朝日賞(1991年)、藤原賞(1995年)、スティール賞(1996年) |
| 勤務先 | 東京大学、大阪大学、プリンストン大学 |
このページのポイント
- 友人の谷山豊と並んで名前がついた谷山–志村予想は、フェルマーの最終定理の証明(ワイルズ、1995年)の土台になった
- 楕円曲線の「点の数」と、モジュラー形式の「係数」が一致する。そのふしぎな対応を、何十年もかけて精密に育てた
- 志村多様体・志村対応など、名前がつく仕事は現代整数論の基本的な道具。プリンストン大学で長く教えた
志村五郎は何をした人?(業績をひとことで)
志村五郎(しむら ごろう、1930〜2019年)は、日本生まれの数学者で、専門は整数論です。アメリカのプリンストン大学で長く教えました。いちばん有名なのは、友人の数学者の谷山豊と並んで名前がついた谷山–志村予想です。この予想は、イギリスのワイルズによって1995年に重要な場合が証明され、それがフェルマーの最終定理の解決につながりました。
志村の仕事は、それだけではありません。楕円曲線という3次式のグラフと、モジュラー形式という対称性の高い関数を結びつける理論を、数十年にわたって築きました。志村多様体、志村対応、アイヒラー–志村の関係式など、志村の名前がつく仕事は現代整数論の土台のひとつです。
フェルマーの最終定理そのものについては、フェルマーの最終定理とは?わかりやすく解説とフェルマーの最終定理を中学生向けに図解にくわしく書いてあります。このページでは、その舞台裏にいた「予想を精密に育てた人」としての志村五郎を、図と年表で紹介します。
うかるくん
フェルマーの最終定理を解いたのはワイルズさんですよね。志村さんは何をしたんですか?
合格先生
いい質問だね。ワイルズは「谷山–志村予想という橋」の一部を作って、最終定理に渡ったんだ。その橋の設計図を、何十年もかけて精密にしたのが志村五郎だよ。設計図がなければ、橋は作れないね。
志村五郎の生涯と年表
ここでは、MacTutor(セント・アンドルーズ大学の数学史サイト)の伝記と、日本語版ウィキペディアで確かめられる事実を中心に書きます。資料のあいだで年がちがう場合は、そのことも書きます。
浜松に生まれ、東京大学へ
志村五郎は1930年2月23日、静岡県の浜松市で生まれました。1949年に東京大学に入り、1952年に数学科を卒業しています。最初の論文は、卒業の年である1952年に発表されました。1954年に東京大学の講師になり、1957年に助教授、1958年に博士の学位を受けています。
谷山豊との出会いと共同研究
同じころ東京大学で学んでいた同世代の数学者が、数学者の谷山豊です。2人は、1957年に日本語の教科書『近代的整数論』を共著で出しています。MacTutor によると、志村は谷山の死後の1961年に、2人の複素乗法の研究をまとめた『アーベル多様体の複素乗法と数論への応用』を出しています。
パリ、プリンストン、大阪、そしてプリンストン大学
1956年にアンドレ・ヴェイユが志村をパリに招き、志村は1957〜58年にパリの国立科学研究センター(CNRS)で研究しました。アメリカのプリンストン高等研究所にも7か月間滞在しています。1961年に大阪大学の教授になり、1962年にプリンストン大学に移りました。プリンストン大学での教授の就任年については、1964年から1999年まで教授を務めたとする資料もあります。
受賞と、その後の歩み
志村は、1970年にグッゲンハイム・フェローに選ばれ、1977年にアメリカ数学会のコール賞(代数学部門)、1991年に朝日賞、1995年に藤原賞、1996年にスティール賞(生涯の業績にもとづく賞)を受けています。国際数学者会議には、招待講演者として4回まねかれました。2019年5月3日、アメリカのニュージャージー州プリンストンで亡くなりました。89歳でした。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1930年 | 2月23日、静岡県浜松市で生まれる |
| 1949年 | 東京大学に入学 |
| 1952年 | 東京大学数学科を卒業。最初の論文 |
| 1954年 | 東京大学の講師になる |
| 1955年 | 東京と日光の代数的整数論の研究集会(谷山–志村予想の出発点とされる) |
| 1957年 | 谷山豊と『近代的整数論』を出版。助教授に。1957〜58年にパリで研究 |
| 1958年 | 博士の学位。11月に谷山豊が亡くなる |
| 1961年 | 大阪大学の教授。複素乗法の研究をまとめた本(谷山との共著として)を出版 |
| 1962年 | プリンストン大学に移る(教授は1964年からとする資料もある) |
| 1977年 | コール賞(アメリカ数学会、代数学) |
| 1991年 | 朝日賞 |
| 1995年 | 藤原賞 |
| 1996年 | スティール賞(アメリカ数学会、生涯の業績) |
| 2019年 | 5月3日、プリンストンで亡くなる(89歳) |
志村五郎の主な業績をやさしく解説
業績1 谷山–志村予想(楕円曲線とモジュラー形式の対応)
まず、楕円曲線とは のような式で表される曲線です。楕円(だ円)と名前が似ていますが、グラフは楕円ではありません。2次曲線(楕円・放物線・双曲線)の式は2次式でしたが、楕円曲線は3次式で、整数論ではとても大切な対象です。
この曲線を、素数 でわった余りの世界で考えます。 と を にかぎって、式がちょうど成り立つ点を数えるのです。たとえば という曲線で のとき、点は4個あり、無限遠点を1個加えて5個です。この点の数から、 という整数を作ります。
一方、モジュラー形式は、上半平面(複素数平面の上半分)の上で定義された、とても対称性の高い関数です。これを のべき級数に展開すると、係数の列 が出てきます。
ここに、おどろくことが起きます。上の曲線については、素数 のどれでも、点を数えて作った と、モジュラー形式の係数 が一致します(値は )。まったくちがう世界のものが、同じ数列を生み出すのです。
谷山–志村予想は、これを一般化して、「有理数を係数にもつ楕円曲線は、すべてモジュラー形式に対応する」と主張します。MacTutor の伝記は、この予想の出発点が1955年に東京と日光で開かれた研究集会にあったと紹介しています。谷山豊が出した問題を、志村が後の年に精密な形に育てたと理解されています。
のちにアンドレ・ヴェイユが、この予想の条件(導手とよばれる数)を明確にして支持する結果を出したため、谷山–志村–ヴェイユ予想ともよばれます。
業績2 フェルマーの最終定理への道
谷山–志村予想がなぜフェルマーの最終定理につながるのかは、ワイルズの証明の道すじで説明しています。簡単に言うと、次のような流れです。
- 1984〜85年ごろ、ドイツのフレイが「もしフェルマーの最終定理に反例があれば、モジュラー形式に対応できない奇妙な楕円曲線ができる」と指摘した。
- 1986年、アメリカのリベットが、フレイの考えを正しいと示した(セールの予想にもとづく)。
- つまり、谷山–志村予想が正しければ、最終定理も正しいと分かった。
- 1993〜95年、ワイルズがこの予想の大事な場合(半安定な楕円曲線)を証明して、最終定理を解決した。
- 2001年に、ブルイユ・コンラッド・ダイアモンド・テイラーが、予想のすべての場合を証明した。
最終定理は358年解かれなかった問題ですが、その最後のカギは、日本の2人の数学者が育てた予想だった、というのは日本人として誇らしい話です。なお、予想を「谷山–志村」とよぶか、「谷山–志村–ヴェイユ」とよぶかは、数学者のあいだでも意見がありました。
業績3 複素乗法と志村多様体
志村は若いころから、複素乗法という理論に取り組みました。これは、ガウスの研究やアーベルがレムニスケート(8の字形の曲線)の長さを調べたときの発見に始まる理論です。特別な楕円曲線は、ふつうの整数倍だけでなく、 倍(虚数倍)のはたらきをもっています。
図のように、整数 を使った の点を平面にならべると、90°回しても格子全体は重なります。ふつうの格子ではこうはなりません。この「余分な対称性」をもつ楕円曲線では、整数論的な性質が、ふつうの曲線よりもずっときれいに分かります。
志村は、この理論を高次元の場合に広げました。それが志村多様体です。いちばん簡単な志村多様体は、モジュラー曲線です。上半平面に、群 が作用してできる平面のしきつめを考え、そのひとかけら(基本領域)をはりあわせると、モジュラー曲線になります。
志村多様体の理論は、のちにドリーニュらによって整理され、数学者のセールやグロタンディークの代数幾何の言葉で書き直されました。今ではラングランズ・プログラム(数論と表現論を結ぶ大きな予想の体系)の中心的な舞台です。
業績4 アイヒラー–志村の関係式と志村対応
志村は、モジュラー曲線を素数 でわった余りの世界で見たとき、ヘッケ作用素という「演算」と、フロベニウス写像( を にうつす写像)のあいだに、ある関係式が成り立つことを示しました。マルティン・アイヒラーの仕事とあわせて、アイヒラー–志村の関係式とよばれます。この関係式が、モジュラー形式の係数 と、曲線の点の数を結びつける理由になっています。
もうひとつ有名なのが、志村対応(1973年)です。モジュラー形式には、重さが整数のものと半整数( の入ったもの)のものがあります。志村は、この2つの種類のあいだに、ふしぎな対応があることを示しました。日本の整数論の研究者が世界に誇る仕事のひとつとして知られています。
志村五郎の名前がつく公式・定理・用語
- 谷山–志村予想(現在はモジュラー性定理):有理数係数の楕円曲線はすべてモジュラー形式に対応する。2001年に完全に証明された。
- 志村多様体:モジュラー曲線を一般化した、整数論と幾何学をつなぐ対象。
- 志村曲線:四元数代数から作られる、モジュラー曲線の仲間。
- アイヒラー–志村の関係式:ヘッケ作用素とフロベニウス写像の関係式。
- 志村対応:整数の重さと半整数の重さのモジュラー形式のあいだの対応。
- 志村の相互法則:複素乗法から得られる、類体論の具体的な形。高木貞治の類体論とつながる。
どれも大学院以上の言葉ですが、高校数学の合同式(mod の計算)、フェルマーの小定理、三平方の定理を知っていると、入口の意味はつかめます。

合格先生
谷山–志村予想の中身をひとことで言うと、「3次の曲線を数えると、ふしぎな対称性をもつ関数の係数と同じ数が出てくる」ということだよ。数えるだけで、別の世界の姿が見えてくる。数学の面白さが詰まっているね。
志村五郎の逸話と名言
谷山豊についての言葉
志村は、亡くなった谷山豊の思い出を文章に残しています。志村が書いた谷山の追想「谷山豊とその時代」(Yutaka Taniyama and his time、1989年)の中の言葉が、よく紹介されます。谷山は数学者としてあまり注意深い人ではなかったが、たくさんまちがいをおかし、しかもそれは「よい方向へのまちがい」だった、と志村は書きました。そして自分もまねしようとしたが、「よいまちがい」をするのはかなりむずかしいと気づいた、という内容だとされます(英語の原文の日本語訳で、語句の細かい言いまわしは資料によって少しちがいます)。
私は谷山をまねしようとしたが、よいまちがいをするのはかなりむずかしいと気づいた。
卒業の年の最初の論文
MacTutor は、志村が1953年に、シュヴァレーの講義録の補題について、より良い証明を見つけたことを紹介しています。シュヴァレーの出版した講義録では、その証明は志村の功績として書かれました。大学を出たばかりの若い志村が、すでに世界の数学者の注目を集めていたことが分かります。
将棋と中国の説話、そして焼き物
MacTutor は、志村が将棋が好きだったこと、2008年に伊万里焼の本を書いたことを紹介しています。日本語版ウィキペディアは、中国の説話文学を趣味で集め、関連する著作も発表したとしています。数学以外の分野でも、深く調べて文章にする人だったようです。また、2008年には自伝『The Map of My Life』を出版したと広く紹介されています。
なぜ「よいまちがい」が大事なのか
谷山–志村予想は、最初から完全な形で述べられたわけではありません。1955年の問題提起のあと、条件を正しく整える作業が、1960年代にかけて続きました。ヴェイユがのちに導手という数を使って予想をきちんと述べ直したことも、その流れの一部です。数学では、はじめの予想がそのまま正しいことは少なく、反例や修正を重ねて正しい形にたどりつきます。ですから、予想を立てる人と、それを磨く人と、最後に証明する人が、それぞれ必要なのです。谷山、志村、ワイルズの3人は、まさにその役割分担の例と言えます。
スティール賞の受賞あいさつ
1996年のスティール賞(生涯の業績にもとづく賞)の受賞あいさつで、志村は「この賞は年配の人のためのものだとずっと思っていた」と話し、この賞を「友人たちからの贈り物」と呼んだと、MacTutor は紹介しています。
サクラちゃん
「よいまちがい」って、まちがいなのに「よい」なんですか?
合格先生
いい着眼点だね。まちがいを怖がらず、大きな予想を立てることで、数学は進むんだ。谷山の予想も、最初は不完全な形だった。それを志村らが磨いていった。入試の勉強でも、まちがえた問題の直しこそ、いちばん力になるよ。
受験・勉強と志村五郎のつながり
中学受験・高校受験との関係
志村の最先端の研究は、中学受験や高校受験には出ません。ただ、出発点になる三平方の定理 は、中学3年の必修です。三平方の定理とはの整数解(3, 4, 5 や 5, 12, 13 など)をたくさん見つけておくと、フェルマーの最終定理の「 だけは解がたくさんある」という話が実感できます。
大学受験との関係
志村の世界の入り口は、高校数学にたくさんあります。
- 合同式(余りの計算):「 でわった余りの世界で点を数える」は、合同式の計算の応用です。
- フェルマーの小定理:フェルマーの小定理は、素数 でわった世界の基本ルールで、整数問題の定番です。
- オイラーの定理:オイラー関数とオイラーの定理も、余りの世界の道具です。
- 2次曲線:楕円・放物線・双曲線の式を理解してから、3次曲線(楕円曲線)へと進めます。
京都大学・東京大学の整数問題は、まさにこの余りの世界の問題がよく出ます。京大理系数学の出題分析(整数問題の出方)や、唯一の偶数の素数「2」の話の記事も参考になります。
京大・東大を目指す人へ:整数問題の見取り図
入試の整数問題は、大きく3つの型に分けると整理できます。①余りで分類する(合同式で、 を や 、 でわった余りで場合分けする)、②因数分解で絞りこむ( を のように直して、約数の組を調べる)、③不等式で範囲をはさむ(解の大きさを評価して、小さい数に絞る)。志村の世界で使われる「余りの世界で数える」は、①の考え方を究極まで押し広げたものです。中国剰余定理やユークリッドの互除法も、同じ系統の道具です。
数学オリンピックと整数論
数学オリンピックの整数問題でも、余りの世界で考える技がよく使われます。数学オリンピックの問題(長方形に詰めた正方形)の記事で雰囲気を確かめてみてください。
勉強法として:「数えて、気づく」
谷山–志村予想の出発点は、「点を数えてみたら、同じ数列が出てきた」という観察でした。入試の整数問題でも、小さい数で実験して、規則を見つけてから証明するのが基本です。まず手を動かして実験する習慣は、数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)でもすすめています。
志村五郎がその後の数学にあたえた影響
- フェルマーの最終定理の解決:谷山–志村予想は、1995年のワイルズの証明の土台になりました。
- ラングランズ・プログラム:志村多様体は、数論と表現論を結ぶこの大きな構想の、もっとも重要な舞台のひとつです。
- モジュラー性の研究:その後も、より一般的な曲線・多様体について、「モジュラー性」を調べる研究が世界で続いています。
- 日本の整数論:高木貞治の類体論から、岩澤健吉の岩澤理論、そして志村へ。日本の整数論の伝統は、世界の数学の主役のひとつです。
楕円曲線の整数論は、いまも大きな未解決問題を残しています。BSD予想(バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想)はその代表で、クレイ数学研究所のミレニアム懸賞問題です。また、フェルマーの最終定理についてはフェルマーの最終定理(難問ページ)も読んでください。
志村五郎に挑戦!練習問題
やさしい
- で、、 のとき はいくつですか。
答えと解説を見る
なので、13。三平方の定理の整数解(ピタゴラス数)です。 - です。9は、ある整数の3乗になりますか。
答えと解説を見る
、 なので、9は整数の3乗ではありません。 は、この例のように、うまく成り立たないことが多いのです。
ふつう
- 楕円曲線 を3でわった余りの世界で考え、 が0,1,2のときの解の個数 を数えて、 を求めなさい。
答えと解説を見る
: なので (1個)。: は3でわった余りの世界で平方数(0,1)にならないので0個。: なので (2個)。。よって 0。 - 格子点 を 倍すると、どの格子点になりますか。
答えと解説を見る
。90°回転した位置で、これも格子点です。
むずかしい
- を満たす自然数の組 を、 として2組見つけなさい。
答えと解説を見る
、 なので、(16, 63) と (33, 56)(ほかに (25, 60)、(39, 52) もあります)。 - 整数の3乗を9でわった余りは、0, 1, 8のどれかであることを示しなさい。
答えと解説を見る
整数 は 、、()の形。。(mod 9)。 なので、余りは0, 1, 8のどれかです。
志村五郎と関係する数学者
- 谷山豊(谷山–志村予想の共同の名前):志村の友人・共同研究者。1958年に31歳で亡くなりました。
- ワイルズ(フェルマーの最終定理の証明):谷山–志村予想の大事な場合を証明しました。
- フェルマー(最終定理を書いた人):1637年ごろ、余白に「証明を見つけた」と書き残しました。
- セール(フランスの大数学者):フレイの楕円曲線と最終定理を結ぶ予想を出しました。
- 岩澤健吉(岩澤理論)・高木貞治(類体論):日本の整数論の先輩です。
- 佐藤幹夫(同じ時代の日本の数学者):楕円曲線の佐藤–テイト予想などで関わります。
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よくある質問
志村五郎は何をした人ですか?
志村五郎は、日本生まれの整数論の数学者です。谷山豊とともに名前がついた谷山–志村予想で知られ、この予想はフェルマーの最終定理の証明の土台になりました。志村多様体や志村対応など、現代整数論の基本的な仕事も多く残しています。
谷山–志村予想とは何ですか?
有理数を係数にもつ楕円曲線は、すべてモジュラー形式に対応する、という予想です。楕円曲線を素数でわった世界で点を数えた数と、モジュラー形式の係数が一致する、というふしぎな現象を述べたものです。2001年に完全に証明されました。
谷山–志村予想とフェルマーの最終定理の関係は?
1980年代に、フレイ、セール、リベットの仕事で、谷山–志村予想が正しければフェルマーの最終定理も正しいと分かりました。1995年にワイルズが予想の大事な場合を証明し、最終定理が解決しました。
志村五郎と谷山豊はどんな関係でしたか?
2人は東京大学で学んだ同世代の数学者で、友人であり共同研究者でした。1957年に日本語の教科書『近代的整数論』を共著で出しています。谷山は1958年に31歳で亡くなり、志村はその後も予想の研究を続けました。
志村多様体とは何ですか?
志村多様体は、モジュラー曲線を高次元・一般の場合に広げた、整数論と幾何学をつなぐ空間です。志村五郎が作り、のちにドリーニュらが整理しました。ラングランズ・プログラムの中心的な舞台です。
志村五郎はどんな賞を受けましたか?
1977年にアメリカ数学会のコール賞(代数学)、1991年に朝日賞、1995年に藤原賞、1996年にアメリカ数学会のスティール賞(生涯の業績)を受けています。国際数学者会議の招待講演者にも4回まねかれました。
志村五郎は何歳で亡くなりましたか?
2019年5月3日に、アメリカのニュージャージー州プリンストンで亡くなりました。1930年2月23日生まれなので、89歳でした。
志村五郎はどこの出身ですか?
静岡県の浜松市で生まれ、東京大学で学びました。その後、フランス、日本の大阪大学をへて、アメリカのプリンストン大学で長く教えました。
志村五郎の研究は受験に関係がありますか?
研究そのものは受験には出ません。ただし、三平方の定理、合同式(余りの計算)、フェルマーの小定理など、高校数学や入試の整数問題で習う内容は、志村の世界の入り口になっています。
谷山–志村予想は現在、何とよばれていますか?
予想が証明された現在は、モジュラー性定理とよばれます。ワイルズが1995年に半安定な場合を証明し、2001年にブルイユ・コンラッド・ダイアモンド・テイラーがすべての場合を証明しました。
あわせて読みたい
出典・参考
- MacTutor History of Mathematics「Goro Shimura」(セント・アンドルーズ大学)
- 日本語版ウィキペディア「志村五郎」
- A. Wiles, “Modular elliptic curves and Fermat’s Last Theorem”, Annals of Mathematics 141(1995年)
- C. Breuil, B. Conrad, F. Diamond, R. Taylor, “On the modularity of elliptic curves over Q”, J. Amer. Math. Soc. 14(2001年)
- 谷山豊・志村五郎『近代的整数論』(1957年)
最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦



