岩澤健吉は何をした人?業績・生涯をわかりやすく|岩澤理論・岩澤分解・類体論・プリンストン

岩澤健吉は何をした人?業績・生涯をわかりやすく|岩澤理論・岩澤分解・類体論・プリンストン

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岩澤健吉Kenkichi Iwasawa

ひとことで言うと

体の「塔」で素数と類数のふしぎな規則を見つけた岩澤理論の創始者。東京で学び、プリンストンで世界の整数論を変えた日本の数学者。

名前岩澤健吉(いわさわ けんきち、Kenkichi Iwasawa)
生没年1917年9月11日〜1998年10月26日(81歳)
国日本(群馬県生まれ。東京大学、MIT、プリンストン大学で活躍)
分野数論(代数的整数論)・リー群
主な業績岩澤理論、岩澤の類数公式、岩澤の主予想(予想)、岩澤分解(1949年)、局所類体論
名前がつくもの岩澤理論・岩澤分解・岩澤不変量・岩澤の主予想・岩澤加群
受賞朝日賞(1959年)、日本学士院賞・コール賞(1962年)、藤原賞(1979年)

このページのポイント

  • 体の塔(Zp拡大)で類数をしらべる岩澤理論を創始。「主予想」は1984年にマズールとワイルズが証明した
  • 1949年に行列を「回す・のばす・ずらす」に分ける岩澤分解を発表(31歳)
  • 東京大学で学び、プリンストン高等研究所・MIT・プリンストン大学で活躍した日本の数学者

岩澤健吉は何をした人?(業績をひとことで)

岩澤健吉(いわさわ・けんきち、1917〜1998年)は、日本の数学者です。整数論(整数の性質を調べる数学)の中でも、素数と体(ふつうの数のなかま)の関係を調べる代数的整数論の分野で、世界の研究の流れを変えた岩澤理論を作りました。ほかに、行列の群を3つの操作に分ける岩澤分解でも知られます。

岩澤理論は、高木貞治の類体論のあとを受けて、体の「塔」(どんどん大きくなる体のならび)を調べることで、素数と整数の分解の深い性質を明らかにしました。この理論の「主予想」は1984年にマズールとワイルズによって証明され、のちにワイルズ(フェルマーの最終定理)の研究にも関わる、整数論の中心の1つになっています。

高校や大学の入試に岩澤理論そのものが出ることはありません。でも、合同式(mod)の計算やフェルマーの小定理、素数とはや素因数分解といった基礎の先に広がる世界の頂上のひとつが、岩澤理論です。

うかるくん

うかるくん

岩澤理論って、なんだかむずかしそうです……。

合格先生

合格先生

たしかに大学院の数学だよ。でも出発点は「素数で割った余り」みたいな、中学・高校で習う話なんだ。小さな数の世界の発見を、無限につづく塔にして調べたのが岩澤さん。すごいのは、日本で学んだ人が、世界の数学の中心でそれを成しとげたことだね。

岩澤健吉の生涯と年表

群馬県に生まれ、東京の武蔵高校へ

岩澤健吉は1917年9月11日、群馬県の新宿村(現在の桐生市の近く)で生まれました。東京の武蔵高等学校で学び、1937年に東京帝国大学(現在の東京大学)の数学科に入学しました。大学では、整数論の高木貞治の流れをくむ弥永昌吉(やなが しょうきち)や末綱恕一(すえつな じょいち)に教わりました。1940年に卒業したあとも大学に残り、助手として研究を続け、1945年に理学博士になりました。

ところが、博士号を得たあと、岩澤は胸の病気(胸膜炎)にかかってしまいます。大学にもどれたのは、1947年4月のことでした。戦争中から戦後の混乱の時代に、病気とたたかいながら研究を続けたことになります。

1949年 岩澤分解

1949年、岩澤は『位相群のいくつかの型について』(On some types of topological groups)という論文を、世界的な数学雑誌『アナルズ・オブ・マセマティクス』に発表しました。この論文で示されたのが、実数の半単純リー群を3つの部分に分ける岩澤分解です。当時、岩澤はまだ31歳でした。この結果は、群の理論や幾何学で世界じゅうの数学者に使われるようになります。

プリンストンでアルティンに出会う

1950年から2年間、岩澤はアメリカのプリンストン高等研究所に招かれました。ここで出会ったのが、ドイツ生まれの数学者エミール・アルティンです。アルティンの影響で、岩澤の研究は群の理論から、代数的整数論へと大きく方向を変えました。

MITとプリンストン大学で岩澤理論を作る

1952年、岩澤は日本語で『代数関数論』という本を出版し、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)の助教授になります。そして1956年、アメリカ数学会のシアトルの会議で、のちに岩澤理論とよばれる考え方を発表しました。1960年前後には、ここから「類数の公式」などの結果を次つぎに得ていきます。1967年には、MITからプリンストン大学に移り、ヘンリー・バーチャード・ファイン教授という名誉ある地位につきました。

賞と晩年

岩澤は1959年に朝日賞、1962年に日本学士院賞とアメリカ数学会のコール賞(数論部門)、1979年に藤原賞を受けています。1986年にプリンストン大学を退職して東京にもどり、同じ年に『局所類体論』(Local Class Field Theory)を出版しました。1998年10月26日、東京で亡くなりました(81歳)。

年できごと
1917年9月11日、群馬県の新宿村(現在の桐生市近く)で生まれる
1937年東京帝国大学の数学科に入学(弥永昌吉・末綱恕一に学ぶ)
1940年東京帝国大学を卒業。そのまま大学に残り研究する
1945年理学博士になる。その後、胸の病気で療養
1947年4月、病気から大学にもどる
1949年「位相群のいくつかの型について」を発表(岩澤分解)
1950年アメリカのプリンストン高等研究所へ(アルティンの影響を受ける)
1952年『代数関数論』を出版。MITの助教授になる
1956年シアトルで、のちの「岩澤理論」の考えを発表
1959年朝日賞を受ける
1962年日本学士院賞、アメリカ数学会のコール賞(数論)を受ける
1967年プリンストン大学の教授(ファイン教授)になる
1984年岩澤理論の「主予想」を、マズールとワイルズが証明
1986年プリンストン大学を退職し、東京にもどる。『局所類体論』を出版
1998年10月26日、東京で亡くなる(81歳)
岩澤健吉の歩み(東京→アメリカ→東京)1917〜群馬県に生まれ、東京で育つ1937〜47東京大学で学び、助手に1950〜52プリンストン高等研究所1952〜67マサチューセッツ工科大学(MIT)1967〜86プリンストン大学の教授1986〜98東京にもどる。1998年に亡くなる
岩澤健吉の歩み。日本で学び、アメリカ(プリンストン→MIT→プリンストン)で研究し、東京にもどった

岩澤健吉の主な業績をやさしく解説

業績1 岩澤理論(体の塔で類数を調べる)

まず、「類数(るいすう)」という数のはなしからはじめます。ふつうの整数では、素因数分解は、順番をのぞいて、ただ一通りです(たとえば 12=2×2×312=2\times2\times3)。ところが、数の世界を広げると、この性質がくずれることがあります。たとえば、−5\sqrt{-5} をふくむ数の世界では、

6=2×3=(1+−5)(1−−5)6=2\times3=(1+\sqrt{-5})(1-\sqrt{-5})

のように、6の分解が2通りできてしまいます。「素因数分解がどれくらいくずれているか」をはかる数が類数です。一意に分解できる世界では、類数は1。くずれ方が大きいほど、類数も大きくなります。

岩澤が考えたのは、「素数 pp について、数の世界を pp 倍ずつ、無限に広げていく体の塔」です。有理数 Q\mathbf{Q} から出発し、次数 pp ずつ大きくなる体 K1,K2,K3,⋯K_1,K_2,K_3,\cdots を作ります。これをZp\mathbf{Z}_p 拡大(ゼット・ピー拡大)といいます。たとえば、1の pp 乗根などをつぎつぎに加えていくと、このような塔ができます。

体の塔(Zp拡大)・・・・・無限につづく K∞K₂Q 上の次数 p²K₁Q 上の次数 pK₀=Q(有理数)出発点次数 p次数 p塔の「つなぎ方」が p進整数の足し算の形
有理数Qから出発して、次数がpずつ増えていく体の塔。塔の全体が Z_p 拡大

pp進数という言葉も、ここで少し説明しておきます。ふつうの小数は「右へ右へ」と、桁がどこまでも続きます(たとえば円周率 3.14159…)。pp進数はその逆で、pp進法で「左へ左へ」と桁が続く数です。たとえば5進法なら、…4444 という、4が左へ限りなく続く数があり、これに1を足すと、桁が次々に繰り上がって、すべて0になります。つまり、…4444 + 1 = 0。だから …4444 は ‐1 と考えられるのです。この奇妙な数の世界は、「pnp^n で割った余り」を nn がどんなに大きくなっても整理するための、とても便利な言葉です。岩澤理論では、塔の各段のようすを、pp進数の世界の1つのまとまりとして扱います。

岩澤は、この塔の nn 段目の体 KnK_n の類数のうち、素数 pp の部分が penp^{e_n} と書けるとして、nn が大きいとき次の式が成り立つことを示しました。

en=μpn+λn+νe_n=\mu p^n+\lambda n+\nu

μ,λ,ν\mu,\lambda,\nu は塔によって決まる定数です。つまり、塔を上るにつれて、類数のふえ方に規則があることが分かったのです。これを岩澤の類数公式といいます。ばらばらに見えた類数に、美しい規則を見つけたのが岩澤理論の出発点でした。

岩澤の公式の形(例)01234504812ne = λn + ν(例:λ=2, ν=1)n が1増えると e が λ ずつ増える縦軸 e:K_n の類数にふくまれる p の指数(p^e)
類数にふくまれる p の指数 e が、塔の段数 n とともに一直線にふえていく例。これが岩澤の類数公式の形

この公式をイメージでいうと、「長い階段を上るとき、1段上がるごとに、高さがいつも同じだけ増える」ようなものです。数が大きくなると、ふつうは複雑に変化しそうなものですが、岩澤は、無限に上る階段の途中から、類数のふえ方が一定の規則になることを見つけました。もし規則がなければ、段ごとにすべてを調べなおす必要があります。規則があれば、はじめの数段を調べるだけで、遠くの段のことも予想できます。これが、岩澤理論が「強力」だといわれる理由です。数学では、このように無限の先を、有限の手がかりで見通せることを、なによりも大切にします。

業績2 岩澤の主予想

岩澤は1960年代に、この塔の類数のふるまいと、pp進L関数というまったく別の世界の関数が、おどろくほどぴったり対応するのではないか、と予想しました。これが岩澤の主予想です。一方は「数の世界の分解のくずれ」、もう一方は「関数の世界の値」という、遠くはなれたものが結びつくのです。

この主予想は、1984年にアメリカのバリー・マズールと、イギリス生まれのアンドリュー・ワイルズによって、有理数の円分体の場合に証明されました。ワイルズはさらに1990年、より一般の体(総実体)でも証明しました。そのワイルズが1994年にフェルマーの最終定理を解決したことは有名ですが、もともとワイルズは、ケンブリッジ大学の学生のころ、岩澤理論を研究していた数学者でした。くわしくはフェルマーの最終定理とは(解決までの物語)・フェルマーの最終定理をやさしくも読んでください。

整数論のバトンリレーガウス整数論のはじまり(1801)クンマー円分体でフェルマーに挑む高木貞治類体論(1920)岩澤健吉体の塔の理論(1950年代)ワイルズら主予想を証明(1984)
整数論のバトンリレー。ガウス→クンマー→高木貞治→岩澤健吉→マズール・ワイルズ

業績3 岩澤分解(行列を3つに分ける)

1949年の論文で示された岩澤分解は、整数論とは別の分野の結果です。2行2列の行列(行列式が1のもの)は、どんな行列でも、次の3つの種類の操作に分けることができます。

  • K(回転):図形をくるっと回す。
  • A(のばし・縮め):たて・横を何倍かにする。ただし面積は変わらない。
  • N(ずらし):ななめにずらして平行四辺形にする。

つまり、「どんな変換も、回して、のばして、ずらせば作れる」ということです。これを式で G=KANG=KAN と書きます。

岩澤分解 G=K·A·NK回すAのばす・縮めるNななめにずらすどんな行列も「回す→のばす→ずらす」に分けられる
岩澤分解。正方形を、回す(K)→のばす(A)→ずらす(N) の3つに分けて表す

実際に確かめてみましょう。(21012)\begin{pmatrix}2&1\\0&\frac{1}{2}\end{pmatrix} という行列は、(20012)(11201)\begin{pmatrix}2&0\\0&\frac{1}{2}\end{pmatrix}\begin{pmatrix}1&\frac{1}{2}\\0&1\end{pmatrix} のように、「のばし(A)」と「ずらし(N)」の積に書けます(回転はなし)。行列の意味と計算の積の計算をすれば、たしかにもとの行列になります。この分解は、ガウスの消去法の考え方やグラム・シュミットの直交化ともよく似ています(実は、グラム・シュミットの直交化は、岩澤分解の特別な場合と見ることができます)。

業績4 類体論の発展と教育

岩澤は、高木貞治が築いた類体論(体の拡大を、その体の中の数の性質だけで決める理論)を、さらにくわしく研究しました。1986年の著書『局所類体論』は、その集大成のひとつです。また、プリンストン大学では多くの大学院生を指導し、志村五郎など日本人の数学者も、同じ大学で活躍していました。日本で学んだ整数論の流れを、アメリカで世界の最先端へ発展させた数学者のひとりといえます。

岩澤健吉の名前がつく公式・定理・用語

  • 岩澤理論:体の塔(Zp\mathbf{Z}_p 拡大)での類数やガロア群の性質を調べる理論。
  • 岩澤の類数公式:penp^{e_n} の指数が en=μpn+λn+νe_n=\mu p^n+\lambda n+\nu になる。
  • 岩澤の主予想:塔の類群の構造と、pp進L関数が対応するという予想。マズール・ワイルズが証明。
  • 岩澤分解:リー群 G=KANG=KAN(回転・のばし縮め・ずらしの積)。
  • μ=0 の定理:岩澤不変量のうち μ が、アーベル拡大では0になることは、1979年にフェラーロとワシントンが証明したとされます。
  • 岩澤不変量(λ,μ,ν\lambda,\mu,\nu):類数の公式に出てくる定数。
  • 岩澤加群:塔のガロア群が作用する加群。現代整数論の基本的な対象。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

岩澤理論は大学院の数学。でも、素数とあまり、そして素因数分解という入口は、中学・高校の勉強と同じだよ。基礎をていねいに積むことが、いちばんの近道なんだ。

岩澤健吉の逸話と名言

病気の後に大きな仕事を

岩澤は博士号を得たあとに胸の病気にかかり、1947年4月まで大学にもどれませんでした。そして復帰から2年後の1949年に発表した岩澤分解の論文が、世界の数学者に認められるきっかけになったとされます。戦後の混乱で、外国の学術雑誌もなかなか手に入らなかった時代です。それでも、数学の研究を続けた人がいたことは、日本の数学史の大きな財産です。

クンマーの夢と岩澤理論

フェルマーの最終定理に挑んだ19世紀のドイツの数学者クンマーは、1の冪根を加えた数の世界(円分体)の類数を調べて、「素数 p が類数を割り切らなければ(正則素数)、フェルマーの最終定理は成り立つ」と示したと伝えられています。つまり類数は、フェルマーの最終定理の入口でもあったのです。岩澤の塔の理論は、クンマーが調べた円分体を、無限の塔にして調べる試みでした。100年以上前の夢が、新しい形で受けつがれたといえます。

アルティンとの出会いで「転向」

プリンストンで出会ったアルティンの影響で、岩澤は群の理論から整数論に研究の中心を移したと記録されています。「どんな研究をするか」は、「だれと出会うか」で大きく変わることがある、という例です。一度決めた専門を変えるのは勇気のいることですが、岩澤はその転向によって、もっとも大きな仕事に出会いました。もし群の理論だけを続けていたら、岩澤理論は生まれなかったかもしれません。ただし、これは後の人が振り返って語る見方で、岩澤本人の気持ちは確かめられません。

戦後の日本から世界へ

岩澤が病気から復帰した1947年ごろの日本は、戦争の傷あとが深く、外国の論文を読むことさえむずかしい時代でした。それでも、東京大学の数学教室には、弥永昌吉らを中心に、整数論の研究を続ける人たちがいたと伝えられます。岩澤はその環境で育った研究者の一人でした。1950年にアメリカに渡れたのは、当時の日本の数学者にとって、とても貴重な機会だったとされます。なお、日本語版ウィキペディアによれば、岩澤の仕事は日本では長いあいだ、あまり注目されなかったともいわれます。

教え子たちのこと

プリンストン大学では、のちに自分でも岩澤理論の大きな研究をした数学者ラルフ・グリーンバーグらを指導したと記録されています。岩澤の考えは、弟子の世代、そのまた弟子の世代へと受けつがれ、いまも世界じゅうで研究されています。数学は、論文だけでなく「人から人へ」伝わる学問でもあることが分かります。

日本の数学者として

1956年にシアトルで発表されたときは、岩澤はまだ、アメリカ数学会で報告をする一人の若手研究者でした。それが、いまでは世界の整数論の大きな柱の1つになっています。日本の数学者の名前がついた理論が、世界の数学の中心にあるのは、高木貞治や岡潔の業績と生涯、小平邦彦などと並ぶ、日本の数学の誇りです。

サクラちゃん

サクラちゃん

外国に行って、研究のテーマを変えるのって、こわくなかったのかな。

合格先生

合格先生

岩澤さんの気持ちは分からないけれど、新しい環境で新しいテーマに出会うのは、成長のチャンスでもあるよね。受験でも「苦手分野に向きあう」ことで、一気に力がつくことがあるよ。

受験・勉強と岩澤健吉のつながり

中学受験・高校受験:割り算・余り・素因数分解

岩澤理論の入口は、中学受験・高校受験で出てくる素因数分解と余りです。「pp で割った余りで分類する」という考えは、余りの問題の解き方や最大公約数・最小公倍数と同じです。「素因数分解が一通りに決まる」ことは、実はとても大切な性質で、あたりまえではありません(上の −5\sqrt{-5} の例)。

大学受験:合同式・n進法・フェルマーの小定理

大学入試でも、整数問題は難関大学の定番です。合同式の計算、フェルマーの小定理、n進法の変換と計算、中国剰余定理など、pp で割った余りを使う道具は、岩澤理論の「pp進数」の考えにつながっています。たとえば、岩澤理論に出てくる Zp\mathbf{Z}_p(pp進整数)は、「pp進法で、桁がどこまでも左に続く数」と考えることができます。京都大学・東京大学の整数問題は、京大理系数学の出題分析(整数問題の出方)や素数の問題の解き方も参考にしてください。

大学・大学院:代数的整数論へ

数学科に進むと、環・体・ガロア理論を経て、デデキントのイデアル、類体論、そして岩澤理論へとつながっていきます。ガロアの群論も大切な土台です。大学院の数論の入試では、類数・円分体・ガロア群の問題が出ることがあります。

勉強法として:基礎の「先」を知ると見え方が変わる

ふだん学んでいる「余り」や「素数」が、ずっと先で世界の数学の最先端につながっていると知るだけで、勉強の見え方は変わります。基礎の練習に飽きたときは、数学者の話を読むのも1つの方法です。勉強法は合格するための勉強法も参考にしてください。

岩澤健吉がその後の数学にあたえた影響

  • 整数論の中心理論:岩澤理論は、ワイルズらによる現代の整数論の中心的な道具になりました。主予想は、楕円曲線やモジュラー形式の研究にも広がっています。
  • 楕円曲線のBSD予想との関係:楕円曲線の岩澤理論は、リーマン予想と同じくミレニアム賞問題である「バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想」の研究に使われています。
  • 表現論・幾何学:岩澤分解は、リー群の表現論、数論的群、双曲幾何学で今日も基本の道具です。
  • 暗号理論:整数論の研究は、暗号(公開鍵暗号)の安全性を支える数学にもつながっています。
  • 日本の数学者の国際的な活躍:岩澤の教え子や共同研究者によって、岩澤理論は世界じゅうに広がりました。

岩澤理論は、日本で生まれた数学者の名前がついた理論が、世界の最前線で今も使われている数少ない例です。研究が進むたびに、岩澤の名前は新しい論文のタイトルに登場します。数学者が亡くなっても、その考えが生きつづけて、次の世代の発見を生む――それが数学という学問のふしぎで、すばらしいところです。いまは遠い世界のお話に思えるかもしれませんが、「割り算の余り」をていねいに勉強する皆さんも、同じ道の入口に立っています。

岩澤健吉に挑戦!練習問題

やさしい

  1. 体の塔で、p=3p=3 のとき、K3K_3 の有理数 Q\mathbf{Q} 上の次数は p3p^3 です。いくつですか。
    答えと解説を見る33=273^3=\mathbf{27} です。
  2. −5\sqrt{-5} をふくむ世界では、6が 2×32\times3 と (1+−5)(1−−5)(1+\sqrt{-5})(1-\sqrt{-5}) の2通りに分かれます。後者を展開して、確かに6になることを確かめなさい。
    答えと解説を見る(1+−5)(1−−5)=1−(−5)2=1−(−5)=6(1+\sqrt{-5})(1-\sqrt{-5})=1-(\sqrt{-5})^2=1-(-5)=\mathbf{6}。

ふつう

  1. 類数の素数 pp の部分が penp^{e_n} で、en=2n+1e_n=2n+1(μ=0,λ=2,ν=1\mu=0,\lambda=2,\nu=1)のとき、p=3p=3、n=4n=4 での penp^{e_n} はいくつですか。
    答えと解説を見るe4=2×4+1=9e_4=2\times4+1=9 なので 39=196833^9=\mathbf{19683}。
  2. 行列 (21012)\begin{pmatrix}2&1\\0&\frac{1}{2}\end{pmatrix} を、(20012)(1x01)\begin{pmatrix}2&0\\0&\frac{1}{2}\end{pmatrix}\begin{pmatrix}1&x\\0&1\end{pmatrix} の形に書くとき、xx を求めなさい。
    答えと解説を見る右辺を計算すると (22x012)\begin{pmatrix}2&2x\\0&\frac{1}{2}\end{pmatrix}。右上を比べて 2x=12x=1 より x=12x=\mathbf{\dfrac{1}{2}}。

むずかしい

  1. 100を3進法で表しなさい。
    答えと解説を見る100=81+18+1=1×34+0×33+2×32+0×3+1100=81+18+1=1\times3^4+0\times3^3+2\times3^2+0\times3+1 なので、10201(3進法)。(pp進数の考え方の入口です)
  2. −1-1 を、53=1255^3=125 で割った余りの最小の非負の数で表しなさい。また、それを5進法で書きなさい。
    答えと解説を見る−1≡124(mod125)-1\equiv124\pmod{125}。124=4×25+4×5+4124=4\times25+4\times5+4 なので、5進法で444。(5進整数の世界では、−1=⋯4444-1=\cdots4444 と、4が無限につづくと考えます)

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よくある質問

岩澤健吉は何をした人ですか?

岩澤健吉は、日本の数学者です。整数論で、体の「塔」を使って類数のふるまいを調べる岩澤理論を作りました。ほかに、リー群を回転・のばし縮め・ずらしの3つに分ける岩澤分解でも知られます。東京大学、MIT、プリンストン大学で研究しました。

岩澤理論とは何ですか?

素数 p について、有理数から出発して次数 p ずつ大きくなる体の塔を作り、その各段の類数やガロア群のふるまいを調べる理論です。類数の p の部分が、塔の段数に対して規則正しく増えるという岩澤の公式が出発点です。

岩澤の主予想とは何ですか?

体の塔の類群の構造と、p進L関数という別の世界の関数が、ぴったり対応するという予想です。1984年にマズールとワイルズが有理数の場合に証明し、ワイルズは1990年にさらに一般の体でも証明しました。

岩澤分解とは何ですか?

2行2列の行列(行列式が1のもの)などのリー群を、K(回転)、A(のばし縮め)、N(ななめにずらし)の3つの積に分ける方法です。1949年に岩澤が発表し、表現論や幾何学で今も基本的に使われています。

類数とは何ですか?

数の世界の素因数分解が、一通りに決まらなくなる度合いを表す数です。ふつうの整数では素因数分解が一通りなので類数は1ですが、たとえば√−5 をふくむ世界では 6=2×3=(1+√−5)(1−√−5) と2通りに分かれ、類数が2になります。

岩澤健吉はいつ、どこで生まれましたか?

1917年9月11日、群馬県の新宿村(現在の桐生市の近く)で生まれました。東京の武蔵高等学校から東京帝国大学(現在の東京大学)に進み、1940年に卒業しました。

岩澤健吉は何歳で亡くなりましたか?

1998年10月26日に東京で亡くなりました。81歳でした。1986年にプリンストン大学を退職して東京にもどっていました。

岩澤健吉とワイルズの関係は?

ワイルズは学生のころ岩澤理論を研究し、1984年にマズールとともに岩澤の主予想を証明しました。のちに1994年に証明したフェルマーの最終定理のほうが有名ですが、ワイルズの出発点は岩澤理論だったとされます。

岩澤健吉はどんな賞を受けましたか?

朝日賞(1959年)、日本学士院賞とアメリカ数学会のコール賞(数論部門、いずれも1962年)、藤原賞(1979年)などを受けています。

岩澤理論は受験に関係がありますか?

大学入試に岩澤理論そのものは出ません。ただし、合同式・フェルマーの小定理・n進法・素因数分解など、素数で割った余りを使う整数問題の考え方は、岩澤理論の入口と同じ世界につながっています。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Kenkichi Iwasawa」(セント・アンドルーズ大学)
  • K. Iwasawa, “On some types of topological groups”(Annals of Mathematics, 1949年)
  • K. Iwasawa, “Local Class Field Theory”(1986年)
  • 日本語版ウィキペディア「岩澤健吉」

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦