クンマーは何をした人?業績・生涯・逸話をわかりやすく|理想数・正則素数・クンマー曲面

クンマーは何をした人?業績・生涯・逸話をわかりやすく|理想数・正則素数・クンマー曲面

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クンマーErnst Kummer

ひとことで言うと

「理想数」を考えて、素因数分解が1通りにならない世界をすくったドイツの数学者。正則素数のすべてでフェルマーの最終定理を証明し、クロネッカーやカントールの先生でもあった。

名前エルンスト・エドゥアルト・クンマー(Ernst Eduard Kummer)
生没年1810年1月29日〜1893年5月14日(83歳)
国ドイツ(プロイセン王国のゾーラウ生まれ、ブレスラウ大学・ベルリン大学の教授)
分野整数論(代数的整数論)・幾何学・解析学
主な業績理想数の理論、正則素数でのフェルマーの最終定理の証明(1850年)、クンマー曲面(1864年)、超幾何級数の研究
名前がつくものクンマー曲面・クンマー理論(クンマー拡大)・クンマーの定理(二項係数)・クンマーの合同式・クンマー関数
よばれ方理想数の人。クロネッカー・カントールの先生

このページのポイント

  • 理想数:素因数分解が1通りでなくなる数の世界をすくうために考えた。のちのイデアルのもと
  • 正則素数のすべてでフェルマーの最終定理が成り立つことを示した(1850年)
  • 高校の生徒だったクロネッカーをはじめ、カントールなどを育てた先生

クンマーは何をした人?(業績をひとことで)

エルンスト・クンマー(1810〜1893年)は、ドイツ(プロイセン)の数学者です。「理想数」という新しい数の考え方を作り、素因数分解が1通りにならない数の世界を整理しました。さらに、正則素数という素数のグループを見つけて、そのすべてでフェルマーの最終定理が成り立つことを示しました。ベルリン大学の教授として、クロネッカーの業績と名言やカントールを育てた先生でもあります。

クンマーの理想数は、のちにデデキントのイデアルの理論に引きつがれ、現代の代数学(環とイデアルの理論)の出発点になりました。ほかにも、クンマー曲面、クンマー理論、二項係数についてのクンマーの定理など、名前のつく仕事がたくさんあります。

高校の勉強では、クンマーの名前はあまり出てきません。でも「素数」「素因数分解」「二項係数」「合同式」といった身近な言葉の奥には、クンマーが開いた世界が広がっています。このページでは、「名前は聞いたことがあるけれど、何をした人か分からない」という人のために、人物と業績を整理します。フェルマーの最終定理の長い歴史は、フェルマーの最終定理とは?ワイルズの証明までの歴史にまとめてあるので、ここではクンマーが果たした役割だけを見ていきます。

うかるくん

うかるくん

「理想数」って、理想の数ってことですか? なんだか夢みたいな名前ですね。

合格先生

合格先生

いい感覚だね。クンマーは、本当は存在しないけれど、あると考えると話がすっきりする「理想の数」を考えたんだ。素因数分解が1通りでなくなって困ったときの、すくいの手だったんだよ。

クンマーの肖像写真
クンマー(1893年より前に撮られた写真)画像:撮影者不明(1893年より前)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

クンマーの生涯と年表

医者の家に生まれて、神学から数学へ

クンマーは1810年1月29日、プロイセン王国のゾーラウ(今のポーランドのジャリ)で生まれました。父は医者でしたが、クンマーが3歳のころに亡くなり、母に育てられました。9歳でゾーラウのギムナジウム(大学へ進む人のための学校)に入ります。

1828年、ハレ大学に入り、最初はプロテスタントの神学を学びました。ところが、哲学の基礎として数学を学ぶうちに、教授のシェルクにすすめられて、数学にのめりこみます。1831年、シェルクが出した課題に答えた論文が賞を取り、その論文で博士号も取りました。同じ年に教員の資格も取っています。

10年間、高校の先生として

1831年から翌年にかけて、ゾーラウのギムナジウムで見習いの教師をつとめたあと、クンマーはリーグニッツ(今のレグニツァ)のギムナジウムで、約10年間、数学と物理を教えました。この学校の生徒に、のちの大数学者クロネッカーがいました。クンマーは授業の枠をこえてクロネッカーを研究に誘い、2人は生涯の友人になります。MacTutor によると、クロネッカーともう1人の生徒ヨアヒムスタールは、学校に通いながら、クンマーの指導で数学の研究をしていました。

学校の先生をしながらも、クンマーは研究を続けました。1836年に書いた超幾何級数の論文がヤコビに認められ、のちにはディリクレとも文通をするようになります。1839年には、高校の先生のままベルリン科学アカデミーの会員に選ばれました。同じ1840年に結婚しています。

ブレスラウ大学からベルリン大学へ

1842年、クンマーはブレスラウ大学(今のポーランドのヴロツワフ)の正教授になりました。ヤコビとディリクレの強い後おしがあったといわれます。ブレスラウ時代の1840年代に、クンマーは理想数の理論を作ります。1844年にその第一歩となる論文を書き、1846〜47年にかけて、理論の中心になる結果を発表しました。

1855年、ガウスの後任としてゲッティンゲンに移るディリクレの推薦で、クンマーはベルリン大学の教授になりました。翌1856年には、クンマーの望みどおり、ワイエルシュトラスもベルリンに来ます。1861年には、クンマーとワイエルシュトラスが、ドイツで最初の純粋数学のゼミナール(少人数で議論しながら学ぶ授業)をベルリンで始めました。クンマーは自分の研究を学生に話して、自分で考える力を育てようとしました。

名声と、最後の年月

1857年には、パリ科学アカデミーが、クンマーに大賞(3000フランの賞金)をおくりました。これはフェルマーの最終定理の解決をめざす研究に出された賞でしたが、クンマー自身は応募していませんでした。それでも、理想数の仕事がたたえられて、賞はクンマーに贈られたのです。1863年には英国王立協会の外国人会員にもなっています。

ベルリン大学では、1857〜58年と1865〜66年に学部長、1868〜69年に学長をつとめています。解析幾何・力学・曲面論・整数論などを教え、多いときには250人ほどの学生が聞きにきたといいます。わかりやすい話しぶりとユーモアがあり、お金に困る学生を助けることもあったと伝えられます。1883年に、記憶力のおとろえを理由に大学を退いたとされます(引退を1890年とする資料もあります)。おとろえに気づいた人は本人のほかにいなかったと伝えられます。

クンマーは1893年5月14日にベルリンで亡くなりました(83歳)。生涯で2回結婚し、子どもは13人いたとされます。1人目の妻オッティーリエ・メンデルスゾーンは作曲家メンデルスゾーンの従姉妹で、ディリクレの妻の従姉妹にあたります。娘の1人マリーは、教え子の数学者シュワルツと結婚しました。

年できごと
1810年1月29日、プロイセンのゾーラウで生まれる
1828年ハレ大学に入学。はじめは神学を学ぶ
1831年数学の賞論文で博士号を取る。教員の資格も取る
1832年ごろリーグニッツのギムナジウムで教え始める(約10年間。生徒にクロネッカー)
1836年超幾何級数の論文がヤコビに認められる
1839年ベルリン科学アカデミーの会員に選ばれる
1842年ブレスラウ大学の正教授になる
1844年円分体で素因数分解が1通りでなくなる場合があることを論文で示す
1847年ラメの証明の欠点がリウヴィルらに指摘され、クンマーの結果が引かれる
1850年正則素数のすべてでフェルマーの最終定理が成り立つことを示す
1852年二項係数の約数についてのクンマーの定理を発表する
1855年ベルリン大学の教授になる
1857年パリ科学アカデミーの大賞(3000フラン)を受ける
1861年ワイエルシュトラスとベルリンに純粋数学のゼミナールを開く
1864年16個の特異点をもつ4次曲面(クンマー曲面)を発表する
1883年大学を退く(引退を1890年とする資料もある)
1893年5月14日、ベルリンで亡くなる(83歳)

クンマーの主な業績をやさしく解説

業績1 素因数分解が1通りでなくなる世界の発見

素因数分解のやり方と使い方には、中学で習う大事な約束があります。「整数は、素数の積に分けると、並べ方を無視すればただ1通りに決まる」というものです。たとえば 60=22×3×560=2^2\times3\times5 は、どうやってもこの形になります。

ところが、整数に「−5\sqrt{-5}」のような数をまぜた世界では、この約束がこわれます。いちばん有名な例が、整数 a,ba,b を使った a+b−5a+b\sqrt{-5} という形の数の世界です。ここでは

6=2×3=(1+−5)(1−−5)6=2\times3=(1+\sqrt{-5})(1-\sqrt{-5})

と、6が2通りに分かれます。右の式のかけ算を計算すると、1−(−5)=61-(-5)=6 になることが確かめられます。しかも、2も3も 1±−51\pm\sqrt{-5} も、この世界ではこれ以上分けられない数(既約元)であることが示せます(練習問題で確かめます)。

素因数分解が1通りでない世界62 × 3(1+√−5)(1−√−5)1つめの分け方2つめの分け方どの因数もこれ以上は分けられないなのに、分け方が2通りある
6が2×3と(1+√−5)(1−√−5)の2通りに分かれる。どの因数もこれ以上分けられない

クンマーが研究したのは、これより少し複雑な、1の累乗根(円を等分する点にあたる複素数、複素数平面の意味で習う回転の数)をまぜた数の世界です。1844年の論文で、クンマーは、素数 p=23p=23 のときの世界で素因数分解が1通りにならない場合があることを示したとされます。当時の数学者たちは、「素因数分解は1通り」と、確かめずに使っていた場合があったため、これは大きな発見でした。

業績2 「理想数」で素因数分解をすくう

素因数分解が1通りでなくなると、整数論の道具がうまく使えません。そこでクンマーは、「理想数(ideal number)」という新しい考え方を作りました。

アイデアは、「本当の数としては存在しないけれど、あると考えれば分解がそろう、まぼろしの素数」を作ることです。先ほどの例で、この世界に理想の素数 P,Q,Q′P,Q,Q' があると考えると、

2=P⋅P,3=Q⋅Q′,1+−5=P⋅Q,1−−5=P⋅Q′2=P\cdot P,\quad 3=Q\cdot Q',\quad 1+\sqrt{-5}=P\cdot Q,\quad 1-\sqrt{-5}=P\cdot Q'

と分けられます。すると、6の2通りの分解は、どちらもP⋅P⋅Q⋅Q′P\cdot P\cdot Q\cdot Q' の4つの積になり、1通りにそろいます。

理想の素数で分け直す2=PP3=QQ′1+√−5=PQ1−√−5=PQ′どちらの分け方でも、中身はP・P・Q・Q′ の4つにそろう
理想の素数P、Q、Q′を考えると、6のどの分け方も P・P・Q・Q′ の積にそろう

この例は、ずっとあとの数学で整理された形ですが、考え方の中心は同じです。クンマーは、1846〜47年の論文で、自分が扱った世界(円分体)では、理想数まで含めれば、素因数分解がただ1通りに決まることを示しました。のちにデデキントのイデアルの理論がこの考えを一般の数の世界に広げ、「理想数」は「イデアル」(数の集まりとして理想を考える)という名前に変わりました。大学の代数学で習う環・イデアルの話の元をたどると、クンマーにつながります。

業績3 正則素数とフェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理の歴史と挑戦者たちで、クンマーは大きな役割を果たします。フェルマーの最終定理は、「n≥3n\ge3 のとき、xn+yn=znx^n+y^n=z^n を満たす正の整数 x,y,zx,y,z はない」というものです。くわしくはフェルマーの最終定理をやさしく解説を見てください。

この定理は、nn が素数のときを示せばよいことが分かっています。クンマーは、素数 pp を、次のように2種類に分けました。

  • 正則素数:その素数 pp の円分体の類数(素因数分解が1通りからどれだけはずれているかをあらわす数)が、pp で割り切れない素数
  • 非正則素数:割り切れてしまう素数

クンマーは1850年、pp が正則素数なら、xp+yp=zpx^p+y^p=z^p は整数の解をもたないことを示しました。つまり、フェルマーの最終定理が、正則素数のすべてで成り立つのです。いままでは1つ1つの指数で証明していましたが、「ある条件を満たす指数ぜんぶ」を一気に片づけたのは、クンマーが初めてでした。

しかも、クンマーは、正則かどうかを調べる、実際に使える方法も見つけました。pp が、ベルヌーイ数 B2,B4,…,Bp−3B_2,B_4,\dots,B_{p-3} の分子のどれも割り切らないとき、pp は正則です(クンマーの判定法)。これで、あとは計算で調べられます。100より小さい奇素数24個のうち、非正則なのは37、59、67の3つだけです。たとえば、37は B32B_{32} の分子を割り切ります。

100までの奇素数と「正則素数」357111317192329313741434753596167717379838997正則(21個)非正則(3個)正則ならフェルマーの最終定理が成立(1850年)
100より小さい奇素数24個のうち、37、59、67だけが非正則素数。ほかの21個は正則素数

これらの非正則素数については、クンマーは別の方法で調べ、100までの素数のすべてでフェルマーの最終定理が成り立つことを示したと伝えられます。のちに、正則でない素数は無限にあることが知られました。一方、「正則素数は無限にあるか」は、いまも分かっていません。予想では、素数のうち約61%が正則素数になるとされています。

業績4 クンマー曲面(16個のとがった点をもつ4次曲面)

クンマーは整数論だけでなく、幾何学でも大きな仕事をしました。1860年代、クンマーは光の進み方(光線の束)を数学で調べる研究をしていました。その中で、1864年に発表したのがクンマー曲面です。

クンマー曲面は、x,y,zx,y,z の4次式であらわされる曲面で、とがった点(特異点)をちょうど16個もっています。4次曲面がもてるとがった点の数は、最大でも16個で、クンマー曲面はそのいちばん多い場合にあたります。のちに、この曲面は、「種数2の曲線から作られるヤコビ多様体」を、符号をひっくり返す操作でまとめて得られる図形だと分かりました。難しい言い方ですが、代数幾何学の大事な研究の対象として、いまも使われています。

クンマー曲面のとがった点4次式の曲面に、とがった点が 16個(位置を整理した模式図。実際の曲面の形ではありません)1864年にクンマーが研究
クンマー曲面には、とがった点が16個ある。4行4列にならべた模式図

業績5 超幾何級数、クンマー理論、二項係数の定理

クンマーの仕事は、ほかにもたくさんあります。

  • 超幾何級数:ガウスが研究した、式の形がそろった無限級数。クンマーは1836年の論文で、これを微分方程式の考えと結びつけて深めました。MacTutor によると、クンマーは、この級数にともなう群(モノドロミー群)を、初めて計算した人です。
  • クンマー理論:数の世界に「aa の nn 乗根」をつけくわえると、どんな世界が新しくできるかを調べる理論。2次方程式の解の公式の考え方を広げたもので、のちの類体論の土台になりました。2次方程式の解の公式の、nn 乗根版にあたります。
  • 二項係数についてのクンマーの定理(1852年):素数 pp と二項係数 (m+nm)\binom{m+n}{m} について、「pp で何回割り切れるか」は、mm と nn を pp 進法で足したときのくり上がりの回数に等しい、という定理です。
  • 弾道学:ドイツ(プロイセン)の軍の士官に、弾道の計算を教える仕事もしました。空気の抵抗のもとでの砲弾の運動を、数学で調べています。

クンマーの定理を、例で確かめてみましょう。(105)=252\binom{10}{5}=252 が2で何回割り切れるかを考えます。5=101(2)5=101_{(2)} なので、5+55+5 を2進法で足すと、図のようにくり上がりが2回起こります。だから、252は 22=42^2=4 で割り切れて、23=82^3=8 では割り切れないはずです。実際に、252=4×63252=4\times63 で、63は奇数です。合同式(mod)の計算の考え方とつながる、きれいな定理です。

5+5 を2進法で足す11くり上がり101(5)+101(5)0101(10)くり上がりは 2 回252=2²×63(C(10,5)=252)
5+5を2進法で足す。くり上がりは2回で、252は2²で割り切れる

クンマーの名前がつく公式・定理・用語

  • 理想数(ideal number):クンマーが考えた「まぼろしの素数」。素因数分解の一意性をすくうための考え方。→ 素因数分解の意味
  • 正則素数・非正則素数:円分体の類数が pp で割り切れるかどうかで分ける素数。正則素数なら、フェルマーの最終定理が成り立つ。→ 素数とは
  • クンマーの判定法:pp が、ベルヌーイ数 B2,…,Bp−3B_2,\dots,B_{p-3} の分子を割り切るかどうかで、正則かどうかが分かる。
  • クンマー曲面:16個の特異点をもつ4次曲面(1864年)。
  • クンマー理論・クンマー拡大:1の累乗根をふくむ世界に、nn 乗根を加えてできる世界の理論。
  • 二項係数についてのクンマーの定理:二項係数が素数 pp で何回割り切れるかは、pp 進法のくり上がりの回数。→ 二項定理と二項係数
  • クンマーの合同式:ベルヌーイ数にかんする合同式。クンマー関数(合流型超幾何関数)・クンマーの判定法(級数の収束の判定)など、解析学にも名前が残る。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

素因数分解が1通りに決まるのは、あたりまえではない! 整数の世界では成り立つけれど、数の世界を広げると成り立たなくなる。その発見と、「理想数」で直した工夫が、クンマーの一番の仕事だよ。

クンマーの逸話と名言

「7×9は?」の逸話

クンマーについて、世界中で語られている逸話があります。それは「計算が苦手だった」という話です。ある日、クンマーが黒板の前で7×9を計算しようとして、「7かける9は……」と言ったまま止まってしまいました。教室の学生が「61です」と答え、別の学生が「いや、69では?」と言います。クンマーは「両方が正しいはずがない」と言って、こう考えたといいます。

61は素数だから7では割れない。65は5で割れる。67も素数。69は大きすぎる。……残るのは63だ。

クンマーの逸話として語られる話(講義中にとっさに九九が計算できなかったという逸話は、日本語版ウィキペディアにも紹介されています。ただし、この数字の入った形は本人が書き残したものではなく、語り手によって数字や言い回しが少しちがいます。出どころがはっきりしない話なので、本当にあったことかは分かりません)

この話は、「計算が苦手でも、すぐれた数学者になれる」という例として語られます。一方で、クンマーは円分体について、とても大変な計算をやり通した人です。そのため、「たぶん作り話だろう」という見方もあります。ただ、この逸話から、数学の力は「計算の速さ」とは別のところにあることが伝わってきます。

フェルマーのためではなかった?

「クンマーはフェルマーの最終定理を解こうとして、理想数を作った」という話は、とても有名です。ところが、数学史の研究者のあいだでは、これは言いすぎだという見方があります。理想数の研究は、ガウスやヤコビが進めていた高次の相互法則(平方剰余の相互法則の仲間)の研究から生まれた、というのです。「クンマーとディリクレがラメの証明をみて……」といった劇的な話は、1910年にヘンゼルが語った形で広まったもので、そのまま信じていいかは分かれています。

とはいえ、クンマー自身が、フェルマーの最終定理に取り組んだことは確かです。1847年4月2日のクロネッカーあての手紙で、クンマーは、ある範囲の指数について証明を見つけたと書いたと伝えられます。その後、1850年に、正則素数のすべてへと証明を広げました。「解きたい問題が新しい数学を生み、新しい数学が問題を進める」という好例です。

クンマーをめぐる人の輪ヤコビ論文を認めた人ディリクレ推薦した人クンマー1810〜1893ワイエルシュトラスデデキント理論を継ぐクロネッカー学校の教え子カントールベルリンの教え子ほかに、娘がシュワルツと結婚した
クンマーを中心とした人の輪。ヤコビ・ディリクレに支えられ、クロネッカー・カントールを育てた

ラメの証明をめぐる1847年の事件

1847年、フランスの数学者ラメが、フェルマーの最終定理をすべての nn で証明したと科学アカデミーで発表しました。ラメの方法は、素因数分解が1通りだと仮定するものでした。これに対して、リウヴィルが、「その世界では素因数分解は本当に1通りか?」と疑問を出します。そこで、クンマーが前もって示していた結果が引かれ、素因数分解が1通りにならない場合があることが分かって、ラメの証明は成り立たなくなりました。くわしい経緯はフェルマーの最終定理の歴史にあります。

数学のゼミを生んだ先生

クンマーは、教科書を書かない先生でしたが、論文と講義で多くの人を育てました。MacTutor によると、博士号を取った教え子には、カントール、シュワルツ、シェーンフリース、ゴルダン、バッハマン、デュ・ボア=レイモンなどがいます。クロネッカーはクンマーの高校の生徒でした。ワイエルシュトラスをベルリンに迎える手助けをし、ともにドイツ最初の純粋数学のゼミナールを始めました。数学者を育てることにも、大きな力を注いだ人でした。

サクラちゃん

サクラちゃん

クンマー先生の「理想数」って、結局、役に立ったんですか?

合格先生

合格先生

うん、とても。「正しいと思いこんでいたことが、実は成り立たない」と気づくのは、数学ではとても大事なことなんだ。そこで投げ出さず、新しい数を作って直したから、のちの代数学が生まれたんだよ。

クンマーと同じ時代の数学者たち180018501900ガウスディリクレクンマークロネッカーデデキントカントール
ガウス、ディリクレ、クンマー、クロネッカー、デデキント、カントールの生きた期間の比べ

受験・勉強とクンマーのつながり

中学受験・高校受験:「素因数分解は1通り」の力

クンマーの仕事は、素因数分解が1通りに決まるという、整数の大事な性質の上に立っています。中学受験の算数の約数・倍数・最大公約数・最小公倍数の問題は、すべてこの性質を使います。素因数分解の意味をしっかり身につけることが、整数の問題を解く土台です。「あたりまえ」に見える性質には、実は長い数学の歴史があります。

大学受験:整数問題と二項係数

  • 素因数分解と約数の個数:N=paqb⋯N=p^aq^b\cdots の約数の個数は (a+1)(b+1)⋯(a+1)(b+1)\cdots です。「一意性」を使う典型の問題です。
  • 二項係数と素数:「(nk)\binom{n}{k} が偶数になる条件」「n!n! が pp で何回割り切れるか」といった問題は、クンマーの定理や、くり上がりの考え方に近いものです。大学入試では、二項定理と二項係数の約数の問題としてよく出ます。
  • 合同式:合同式(mod)の計算は、余りで整数を調べる強い道具です。難関大の整数問題では必須です。京大理系数学の出題分析(整数問題の出方)で、出方を確認できます。
  • フェルマーの小定理:素数のべき乗の余りの定理。クンマーが扱った pp 乗の世界と同じ仲間です。フェルマーの小定理の証明と例題も見ておくとよいでしょう。

大学・大学院:環とイデアル

大学の数学科で習う環とイデアルは、クンマーの理想数が元になっています。「割り算ができる世界」「素因数分解が1通りな世界」とは何かを調べるのが、代数学の入口です。大学院入試の代数学でも、素元・既約元・イデアルは基本の用語です。

勉強法として:「成り立たなくなる場面」を探す

クンマーのように、「いつも成り立つ」と思っていたことが、ある場面で成り立たなくなることに気づくのは、数学の大事な力です。受験勉強でも、公式や定理を覚えるときに、「どんな条件で使えるのか」「条件がくずれたらどうなるのか」を確かめてみてください。たとえば、「ab\dfrac{a}{b} で b=0b=0 のときは?」「x2=x\sqrt{x^2}=x は x<0x<0 のとき?」と問いかけるだけで、理解が深まります。数学全体の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。

クンマーがその後の数学にあたえた影響

  • 代数的整数論:理想数は、デデキントのイデアルと、クロネッカーの「因子」の理論という2つの流れを生みました。デデキントの流れは環論・抽象代数学の基礎に、クロネッカーの流れは代数幾何学の道具になったと説明されます。
  • 類体論:クンマー理論(nn 乗根をつけた世界)は、ヒルベルトの類体論への道すじや、高木貞治の類体論の土台になりました。円分体の類数と正則素数の研究は、のちに岩澤健吉の岩澤理論へつながります。
  • フェルマーの最終定理:クンマーの方法は、nn のかたまりをいっぺんに片づける最初の道でした。最終的に1995年にワイルズによるフェルマーの最終定理の証明が出るまで、約150年間、多くの人がクンマーの道をたどりました。
  • 代数幾何学:クンマー曲面は、種数2の曲線のヤコビ多様体と結びつき、現在も代数幾何学・複素幾何学で研究されています。
  • 数学者を育てた:ベルリン大学を、ワイエルシュトラス、クロネッカーとともに、19世紀の世界の数学の中心にしました。

クンマーの理想数は、「まぼろしの数を考えて、問題を解く」という、20世紀の代数学の発想の先がけでした。クンマーが開いた道は、デデキントやヒルベルトを通って、現代の整数論につながっています。数学の世界では、うまくいかなかった証明のあとに、新しい考え方が生まれることがよくあります。

クンマーに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 100より小さい奇素数は24個あります。そのうち非正則素数は37、59、67の3個です。正則素数は何個ですか。
    答えと解説を見る24−3=21個。(正則素数なら、フェルマーの最終定理が成り立つことをクンマーが示しました)
  2. 数 a+b−5a+b\sqrt{-5}(a,ba,b は整数)に対して、N=a2+5b2N=a^2+5b^2 と定めます。1+−51+\sqrt{-5} の NN を求めなさい。
    答えと解説を見るa=1, b=1a=1,\ b=1 より、N=12+5×12=N=1^2+5\times1^2= 6。(1−−51-\sqrt{-5} も同じく6です)

ふつう

  1. (105)=252\dbinom{10}{5}=252 を割り切る2のいちばん大きなべきを、クンマーの定理を使って求めなさい。
    答えと解説を見る5=101(2)5=101_{(2)}。101+101101+101 を2進法で足すと、くり上がりが2回。よって 222^2 で割り切れて、232^3 では割り切れません。実際に 252=4×63252=4\times63 です。答えは222^2。
  2. (63)=20\dbinom{6}{3}=20 は、3で割り切れますか。クンマーの定理を使って答えなさい。
    答えと解説を見る3=10(3)3=10_{(3)}。10+1010+10 を3進法で足すと、0+0=00+0=0、1+1=21+1=2 で、くり上がりは0回。よって3では割り切れません。実際に 20=3×6+220=3\times6+2 で、余りが2です。

むずかしい

  1. a2+5b2=2a^2+5b^2=2 と a2+5b2=3a^2+5b^2=3 には、整数の解 (a,b)(a,b) がないことを示しなさい。
    答えと解説を見るb=0b=0 なら a2=2a^2=2 または 33 で、整数にならない。b≠0b\ne0 なら 5b2≥55b^2\ge5 で、左辺は5以上になり、2や3にならない。よってどちらも解なし。(N=a2+5b2N=a^2+5b^2 の値が2や3になる数はない、ということです)
  2. a+b−5a+b\sqrt{-5} の世界で、N(αβ)=N(α)N(β)N(\alpha\beta)=N(\alpha)N(\beta) が成り立ちます。この性質と前の問題を使い、2がこれ以上分けられない数(既約元)であることを説明しなさい。
    答えと解説を見る2=αβ2=\alpha\beta とすると、N(2)=4=N(α)N(β)N(2)=4=N(\alpha)N(\beta)。NN は0以上の整数で、2にはなれないので、組は (1,4)(1,4) か (4,1)(4,1)。N=1N=1 になるのは a2+5b2=1a^2+5b^2=1、つまり α=±1\alpha=\pm1 だけ。よって一方は±1\pm1(かけても変わらない数)で、2はこれ以上分けられません。同じように、3も(N=9N=9 の分け方は (1,9)(1,9)、(3,3)(3,3) で、3は問題の通りありえない)、1±−51\pm\sqrt{-5}(N=6N=6 は (2,3)(2,3) がありえない)も分けられません。だから 6=2×3=(1+−5)(1−−5)6=2\times3=(1+\sqrt{-5})(1-\sqrt{-5}) は本当にちがう2通りの分解です。

クンマーと関係する数学者

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19世紀の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

クンマーは何をした人ですか?

クンマーは、19世紀のドイツの数学者で、素因数分解が1通りでなくなる数の世界を「理想数」という考えですくった人です。正則素数のすべてでフェルマーの最終定理を証明し、クンマー曲面なども研究しました。

理想数とは何ですか?

理想数とは、素因数分解が1通りにならない数の世界で、分解をそろえるために考えた「まぼろしの素数」のことです。のちにデデキントが一般化し、現在の「イデアル」という考えになりました。大学の代数学の出発点です。

正則素数とは何ですか?

正則素数とは、その素数 p の円分体の類数が p で割り切れない素数のことです。100までの奇素数では、37・59・67だけが正則ではありません。正則素数のすべてで、フェルマーの最終定理が成り立ちます。

クンマーはフェルマーの最終定理をどこまで解いたのですか?

1850年に、正則素数であるすべての指数でフェルマーの最終定理が成り立つことを示しました。それまでは指数を1つずつ証明していたので、条件を満たす指数をまとめて片づけた初めての大きな進展でした。完全な解決は、1995年のワイルズによる証明です。

クンマー曲面とは何ですか?

クンマー曲面とは、1864年にクンマーが研究した4次式の曲面です。とがった点(特異点)を16個もち、これは4次曲面でもてる最大の数です。現在も代数幾何学の研究対象になっています。

クンマーの「7×9」の逸話は本当ですか?

クンマーが黒板で7×9を計算できなかったという逸話は有名ですが、本人が書き残したものではなく、出どころがはっきりしない話です。語る人によって数字も少しちがうので、本当にあったことかは分かりません。

クンマーは何歳で亡くなりましたか?どこの人ですか?

1893年5月14日にベルリンで、83歳で亡くなりました。生まれは1810年、プロイセン王国のゾーラウ(今のポーランドのジャリ)です。ブレスラウ大学とベルリン大学の教授をつとめました。

クンマーとクロネッカー・カントールの関係は?

クロネッカーは、クンマーが教えていたギムナジウムの生徒で、研究に誘われた教え子です。カントールはベルリン大学でクンマーのもとで博士号を取った人の1人とされます。2人とも、のちに数学の世界で大きな役割を果たしました。

クンマーは受験とどう関係しますか?

素因数分解が1通りに決まるという性質は、中学受験から大学受験まで整数問題の土台です。二項係数が素数で割り切れる回数の問題は、クンマーの定理に近い内容です。大学では、環とイデアルの理論の出発点として学びます。

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出典・参考

  • J. J. O’Connor, E. F. Robertson, “Ernst Eduard Kummer”, MacTutor History of Mathematics Archive(St Andrews 大学)
  • “Ernst Kummer”, “Ideal number”, “Regular prime”, “Kummer’s theorem”, “Kummer surface”, Wikipedia(英語版)
  • 「エルンスト・クンマー」、ウィキペディア(日本語版)
  • 肖像写真:「Ernst Eduard Kummer photo」(1893年より前)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦