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大学受験
クロネッカーLeopold Kronecker
ひとことで言うと
「整数は神が作った」で知られるドイツの数学者。クロネッカーのデルタやクロネッカー・ウェーバーの定理に名を残し、カントールの集合論と対立した。
| 名前 | レオポルト・クロネッカー(Leopold Kronecker) |
|---|---|
| 生没年 | 1823年12月7日〜1891年12月29日(68歳) |
| 国 | ドイツ(プロイセン王国のリーグニッツ生まれ、ベルリン大学教授) |
| 分野 | 整数論・代数学・楕円関数 |
| 主な業績 | クロネッカー・ウェーバーの定理、青春の夢(ヒルベルトの第12問題のもと)、クロネッカーのデルタ、連立方程式の解の条件、有限主義の立場 |
| 名前がつくもの | クロネッカーのデルタ・クロネッカー・ウェーバーの定理・クロネッカー・カペリの定理・クロネッカーの近似定理・クロネッカー積 |
| よばれ方 | 有限主義の数学者。「整数は神が作った」の人 |
このページのポイント
- クロネッカーのデルタ (同じなら1、ちがえば0)は、線形代数でよく使う記号
- 「整数は神が作った。ほかは人間のもの」という言葉で知られる(ウェーバーが追悼文で伝えた)
- 整数と有限の手順だけを重んじ、カントールの無限の集合論をはげしく批判した
クロネッカーは何をした人?(業績をひとことで)
レオポルト・クロネッカー(1823〜1891年)は、ドイツ(プロイセン)の数学者です。整数論と代数学で大きな仕事をして、「クロネッカーのデルタ」「クロネッカー・ウェーバーの定理」などに名前を残しました。ベルリン大学の教授として、ディリクレの弟子、クンマーの教え子として、19世紀のドイツ数学の中心にいた人です。
一方で、クロネッカーは「整数は神が作った。ほかのすべては人間の作ったものだ」という言葉でも有名です。「数学は整数と、有限回の手順だけでやるべきだ」という強い考え(有限主義)をもち、無限をあつかうカントールと集合論の物語をはげしく批判したことで知られます。
受験生には、まず大学の線形代数で出てくるクロネッカーのデルタ(行列の意味の単位行列と同じ形の記号)、連立方程式の解が存在する条件(階数(ランク)と連立方程式の解)でおなじみです。このページでは、「名前は知っているけれど、どんな人か分からない」という人のために、人物と業績を整理します。
うかるくん
「整数は神さまが作った」って、すごい言葉ですね。数学者は信じてたんですか?
合格先生
クロネッカーは「数は、整数を土台にして、有限の手順で作れるものだけを認める」という考えをもっていたんだ。くわしくは、このページの途中で説明するね。

クロネッカーの生涯と年表
豊かなユダヤ人商人の家に生まれて
クロネッカーは1823年12月7日、プロイセン王国のリーグニッツ(今のポーランドのレグニツァ)で生まれました。両親はどちらも豊かなユダヤ人の家の出身で、父イシドールは成功した商人でした。クロネッカーは家庭教師に学んだあと、地元のギムナジウム(大学進学のための学校)に入ります。
先生クンマーとの出会い
このギムナジウムで数学を教えていたのが、のちに有名な数学者になるエルンスト・クンマーでした。クンマーはクロネッカーの才能に気づき、授業の枠をこえて研究に誘いました。この出会いが、クロネッカーを数学者にしたといわれます。クロネッカーは1841年にベルリン大学に入り、ディリクレやシュタイナーに学んだほか、ボン大学やブレスラウ大学(クンマーが教えていた)にも通いました。
1845年、博士論文「複素数の単数について」をディリクレのもとで書き上げ、博士号を取りました。哲学・天文学・化学にも興味をもった、広い学問の人でした。
銀行の仕事をしながら研究
博士号のあと、クロネッカーは数学の職にはつかず、母方のおじの銀行の仕事や、一族の土地の管理を手伝いました。1848年には、そのおじの娘のファニーと結婚しています。実業の世界で十分な財産を作ったので、1855年にベルリンへ戻ったときは、大学の給料なしで研究だけに打ちこむことができました。同じ年にクンマーもベルリンに来て、1856年にはワイエルシュトラスも加わり、ベルリン大学は数学の一大中心になります。
ベルリン大学の教授に
1861年にベルリン科学アカデミーの会員に選ばれ、それをきっかけに1862年から大学で講義をするようになりました。1868年にはゲッティンゲン大学の教授席の誘いを断っています。1883年にクンマーが退職すると、その後任としてベルリン大学の正教授になり、数学の専門誌『クレレ誌』の編集もつとめました。1884年にはイギリスの王立協会の外国人会員にも選ばれています。
最後の年
1891年の夏、妻ファニーが登山中の事故で大けがをして、8月23日に亡くなりました。クロネッカー自身もその数か月後、1891年12月29日にベルリンで亡くなりました(68歳)。カントールが企画していたドイツ数学者協会の第1回の集まりに招かれていましたが、出席はできませんでした。亡くなる1年ほど前に、ユダヤ教からキリスト教に改宗したといいます。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1823年 | 12月7日、プロイセンのリーグニッツで生まれる |
| 1841年 | ベルリン大学に入学(ディリクレ・シュタイナーに学ぶ) |
| 1845年 | 博士論文「複素数の単数について」。博士号を取る |
| 1848年 | おじの娘ファニーと結婚。銀行の仕事の手伝いをする |
| 1853年 | のちの「クロネッカー・ウェーバーの定理」の内容を論文で述べる |
| 1855年 | ベルリンに戻り、研究に専念。クンマーもベルリンへ |
| 1861年 | ベルリン科学アカデミーの会員に選ばれる |
| 1862年 | ベルリン大学で講義を始める |
| 1868年 | パリ科学アカデミーの会員に選ばれる |
| 1877年 | カントールの論文を専門誌に載せることに反対する |
| 1880年 | 『クレレ誌』の編集者になる |
| 1882年 | リンデマンが円周率 π が超越数だと証明する |
| 1883年 | クンマーの後任として、ベルリン大学の教授になる |
| 1884年 | 英国王立協会の外国人会員に選ばれる |
| 1891年 | 8月に妻を亡くし、12月29日、ベルリンで亡くなる(68歳) |
クロネッカーの主な業績をやさしく解説
業績1 クロネッカーのデルタ(スイッチの記号)
クロネッカーの名前が、高校・大学の数学でいちばんよく出てくるのは、クロネッカーのデルタという記号です。 と という2つの番号があるとき、
と決めた記号です。「番号が同じなら1、ちがえば0」という、オン・オフのスイッチのような約束です。
これを表にならべると、図のようにななめだけが1の表になります。これは行列とは何かの勉強で習う単位行列そのものです。たとえば、数のならび の中から、3番目だけを取り出したいとき、
と書けます。 のときだけ になって、ほかの項は0になるからです。このように、たくさんの項の中から、1つだけを選び出すときに使うと、長い式がすっきり書けます。ベクトルの内積で、基本ベクトル と書く使い方もよくあります。なお、数学の記号の意味一覧(δ・Σ・∫)で、δ という文字の読み方や使い方を確認できます。
業績2 クロネッカー・ウェーバーの定理
クロネッカーの整数論の中心になる定理です。むずかしい話ですが、イメージだけつかんでください。
ガウスの業績と生涯は、円を5等分する点(1の5乗根)を使って、 のような数が作れることを見つけていました。複素数 を使うと、
になります(ガウス和とよばれます)。つまり、円周の等分から、ルートの数が出てくるのです。
クロネッカーは1853年の論文で、「整数を係数にもつ方程式の解のうち、ある条件(アーベル的という、解の関係がきれいな場合)を満たすものは、すべて『円の等分の数』(1の累乗根)を組み合わせて作れる」という内容を述べました。これがクロネッカー・ウェーバーの定理です。クロネッカーは当時、完全な証明を書かず、のちにヒルベルトが証明を完成させたといわれます。名前のウェーバーは、証明にかかわったドイツの数学者ハインリヒ・ウェーバーです。この定理は、ガロア理論と方程式の群の考え方を使って整数論を整理する類体論のきっかけになりました。
業績3 最愛の青春の夢(ユーゲントトラウム)
クロネッカーは友人のデデキントに宛てた手紙の中で、「私の最愛の青春の夢(liebster Jugendtraum)」とよんだ予想を書いたと伝えられます。「円の等分」の定理をさらに広げて、「虚2次体」とよばれる、少しむずかしい数の世界のしくみは、楕円関数の特別な値で書けるという予想です。これは、のちにヒルベルトが「第12問題」として23の問題の1つに入れました。クロネッカーの夢は、日本の高木貞治の類体論などの仕事で実現していきます。
業績4 連立方程式と階数、近似定理、極限公式
クロネッカーの名前がつく定理は、ほかにもあります。
- クロネッカー・カペリの定理:連立1次方程式 が解をもつための条件を、行列の階数(ランク)で述べた定理。「 の階数と、 をつけたくわえた行列の階数が等しいとき、解がある」。→ 階数と連立方程式の解の有無。ルーシェ・カペリの定理ともよばれます。
- クロネッカーの近似定理:無理数 について、 の小数部分は、0から1のあいだのどの場所にもいくらでも近くまで来る、という定理。
- クロネッカーの極限公式:複素数の関数(ゼータ関数の仲間)の値についての公式。
- クロネッカー積:行列から、大きな行列を作る演算。のちに量子コンピュータなどでも使われます。
階数の使い方を、かんたんな例で見てみましょう。連立方程式 では、左の2本の式は同じ向きで、係数の行列 の階数は1です。ところが右辺まで加えた行列の階数は2になります。階数がちがうので、この連立方程式には解がありません( のはずなのに 5 だと言っているからです)。右辺を4にすると階数がそろい、解が無数にあるようになります。「解があるか・ないか」を、式をいじらずに階数だけで判定できるのが、この定理の強みです。
近似定理の例として、 の倍数を考えます。小数部分は、、、、…とばらばらに飛び、数がふえるほど0から1の線の上をうめつくしていきます。「無理数」という実数の意味の性質が、整数の世界の話と結びつく例です。
クロネッカーの名前がつく公式・定理・用語
- クロネッカーのデルタ : なら1、 なら0。→ 行列(単位行列)の意味
- クロネッカー・ウェーバーの定理:円の等分の数で、アーベル拡大が全部作れるという整数論の定理。
- クロネッカー・カペリの定理(ルーシェ・カペリの定理):連立方程式の解の有無を階数で判定。→ 階数と連立方程式の解の存在条件
- クロネッカーの近似定理:無理数の倍数の小数部分は、0から1のあいだにすき間なくちらばる。
- クロネッカーの青春の夢:のちにヒルベルトの第12問題になった予想。
- クロネッカー積(テンソル積):行列と行列から大きな行列を作る演算。

合格先生
は「同じなら1、ちがえば0」。大学の線形代数で最初に出てくる記号だから、いまのうちに顔なじみにしておくといいよ。
クロネッカーの逸話と名言
「整数は神が作った」
クロネッカーの言葉として、いちばん有名なものがこれです。
Die ganzen Zahlen hat der liebe Gott gemacht, alles andere ist Menschenwerk.(整数は神さまが作った。ほかのすべては人間の作ったものだ)
この言葉は、クロネッカー本人が書き残した文ではなく、友人で数学者のウェーバーが追悼の文章で紹介したものです。そのため、言い回しは伝えた人によって少し変わることもありますが、クロネッカーの考えをよくあらわす言葉として広まりました。意味は、「整数 1, 2, 3, … は自然に最初からあるもの。分数・負の数・無理数・実数などは、人間が整数をもとに『作った』もの」ということです。
有限主義とカントールとの対立
クロネッカーは、数学は整数と、有限回の手順だけでやるべきだと考えました(有限主義)。「見つけ方が分からないのに、あると言い切る」ような証明(存在証明)には疑いをもち、1870年代からは無理数・極限・ボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理などにも反対の立場を取ったといわれます。
そのため、無限を1つのまとまりとしてあつかい、「無限にも大きさのちがいがある」と主張したカントールとは、はげしくぶつかりました。クロネッカーは1877年、カントールの論文が専門誌に載るのに反対したとされます(結果としては出版されました)。クロネッカーがカントールを「科学のペテン師」「若者をそそのかす者」などと批判した、という話も伝わっていますが、言葉づかいは資料によって異なり、のちの歴史家の書き方が強調されている面もあります。MacTutor は、クロネッカーの反対は個人的なにくしみではなく、数学についての考え方のちがいから出たものだと説明しています。
π は超越数、でも「そんなものは存在しない」?
1882年、ドイツの数学者リンデマンが「円周率 は超越数(整数を係数にする方程式の解にならない数)」だと証明しました。これは「円と同じ面積の正方形は定規とコンパスで作れない」という、古代ギリシャ以来の問題に決着をつけた大事件でした。ところがクロネッカーは、1886年にこの証明を認めつつ、「証明は美しいけれど、超越数は存在しないので、何の意味もない」という意味のことを言った、とMacTutor は書いています。クロネッカーの立場のはげしさがよく分かる話です。
弟子たちの中の人間関係
クロネッカーは、ベルリンの同僚ワイエルシュトラスとも、考え方がちがいました。ワイエルシュトラスは、「クロネッカーが若い世代に、自分の解析学は無意味だと吹きこんでいる」と感じ、1888年にはベルリンを去ろうかと考えたといわれます。また、1885年に数学者シュワルツがクロネッカーの背が低いことを冗談にしたことで、クロネッカーは以後シュワルツと口をきかなくなった、とされます。強い信念と、気難しさを合わせ持った人だったようです。
サクラちゃん
でも、のちにカントールのほうが正しいって、みんな思うようになったんですよね?
合格先生
うん、今の数学はカントールの集合論が土台になっているよ。でも、クロネッカーの「本当に作れるのか?」という問いも、のちの計算機科学や構成的数学につながった。反対した人にも、意味のある問いがあったんだ。
受験・勉強とクロネッカーのつながり
中学受験・高校受験:整数は「すべての土台」
クロネッカーの言葉どおり、数学の土台は整数です。中学受験の算数の約数・倍数・素数とはの問題、高校受験の整数の規則性・文字式の説明は、すべて整数の性質を使った勉強です。「整数の性質を使いこなす力」は、そのまま上の学年の数学の力になります。
大学受験:行列・階数・整数問題
- 単位行列と δ:行列の勉強(数学C)で単位行列が出てきます。大学の線形代数では、 で書かれる式が当たり前に使われます。
- 連立方程式の解の有無:階数(ランク)と解の関係。大学入試の範囲外のことも多いですが、大学の数学では必須です。→ 階数と連立方程式(解の存在条件)
- 整数問題:京都大学・東京大学などの難関大でよく出る整数問題は、整数の性質を使いこなす力が必要です。合同式(mod)の計算は強力な道具です。京大理系数学の出題分析(整数問題の出方)を見ると、整数がどれほどよく出るかが分かります。
勉強法として:「作り方」を意識する
クロネッカーが大事にした「どうやって作るか」という見方は、受験数学でも役に立ちます。たとえば、「解が存在することを示せ」という問題で、実際に解を1つ見つけて見せるのは、いちばん確実な証明です。また、整数の問題では「小さい数で試して、規則を見つけてから一般化する」やり方も有効です。数学全体の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)も参考にしてください。
クロネッカーがその後の数学にあたえた影響
- 代数的整数論・類体論:クロネッカー・ウェーバーの定理と「青春の夢」は、ヒルベルトの第12問題、そして高木貞治などの類体論につながりました。デデキントやヒルベルトとともに、ドイツの代数的整数論の流れを作りました。
- 構成的数学・直観主義:「作れるものだけを認める」という立場は、20世紀の直観主義や構成的数学、さらに計算機科学の「計算可能性」の考えにつながったといわれます。
- 線形代数:クロネッカーのデルタ、クロネッカー積は、行列・テンソルの計算の標準的な道具です。物理学・工学・量子情報でも使われます。
- ドイツ数学の中心づくり:ベルリン大学の教授・『クレレ誌』の編集者として、19世紀後半のドイツ数学の発展に大きな役割を果たしました。
クロネッカーの批判は、結果的に「数学とは何か」「証明とは何か」という大きな問いを数学者に考えさせることになりました。
また、ベルリン大学でクロネッカーが残した講義や論文は、のちの数学者たちが整数論を学ぶときの手がかりになりました。裕福な家に生まれ、研究だけに集中できる環境をもっていたことも、クロネッカーが長い時間をかけて考えぬいた理由の1つだったといえます。数学の歴史では、1人の人の強い信念が、仲間や反対者との議論を通して、学問全体を進めることがよくあります。
クロネッカーに挑戦!練習問題
やさしい
- の値を求めなさい。
答えと解説を見る
()、、()。合計は 1。 - 分数 と は、整数の組 、 と考えると、 が成り立ちます。これは何を意味するか、ひとことで答えなさい。
答えと解説を見る
2つの分数が等しいことを意味します( と は同じ意味)。分数は「整数の組」から人間が作ったもの、というクロネッカーの考え方の例です。
ふつう
- の値を求めなさい。
答えと解説を見る
のときだけ 。ほかは0。よって 3。 - の単位行列について、(対角成分の和)を求めなさい。
答えと解説を見る
3。(対角成分の和はトレースとよばれます)
むずかしい
- について、 の小数部分を求め、小さい順にならべなさい。
答えと解説を見る
、、、、。小さい順は (0.071、0.243、0.414、0.657、0.828)。 - とするとき、 を示しなさい。
答えと解説を見る
等比数列の和の公式より、和は 。 なので分子が0、よって和は 0。(ただし )
クロネッカーと関係する数学者
- ディリクレ(クロネッカーの先生):ベルリン大学で、クロネッカーの博士論文を指導しました。
- カントール(集合論でぶつかった相手):無限をめぐって、はげしく対立しました。
- ワイエルシュトラス(ベルリン大学の同僚):ベルリンの解析学の中心でしたが、考え方のちがいで緊張がありました。
- デデキント(青春の夢を書き送った友人):クロネッカーとは別のやり方で整数論を整理しました。
- ヒルベルト(定理を完成させた人):クロネッカー・ウェーバーの定理を証明し、青春の夢を第12問題にしました。
- ガウス(円の等分の先がけ):1の累乗根の研究で、クロネッカーの整数論の出発点になりました。
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19世紀の数学者
- ソフィ・ジェルマンの業績と生涯
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ロバチェフスキーと別に非ユークリッド幾何学を発見 - ヤコビの業績と生涯
楕円関数・ヤコビアン(変数変換) - ディリクレの業績と生涯
鳩の巣原理(ディリクレの部屋割り論法)・算術級数定理 - ハミルトンの業績と生涯
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「理想数」を考え、正則素数の指数でフェルマーの最終定理を証明した
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よくある質問
クロネッカーは何をした人ですか?
クロネッカーは、19世紀のドイツの数学者で、整数論・代数学で業績をあげました。クロネッカー・ウェーバーの定理やクロネッカーのデルタに名を残し、カントールの集合論を批判したことでも知られます。
クロネッカーのデルタとは何ですか?
2つの番号 i, j が等しいとき1、ちがうとき0になる記号 δ_ij のことです。表にならべると単位行列の形になります。たくさんの項の中から1つだけを取り出すときに使う、線形代数の基本的な記号です。
「整数は神が作った」はクロネッカーの言葉ですか?
ドイツ語で「Die ganzen Zahlen hat der liebe Gott gemacht, alles andere ist Menschenwerk」とされる言葉で、数学者ウェーバーが1893年の追悼文で紹介しました。本人の著作にあるわけではないので、言い回しは伝えた人によって少し変わることもあるとされます。
クロネッカーとカントールはなぜ対立したのですか?
クロネッカーは整数と有限回の手順だけで数学をすべきだと考え、無限を1つのまとまりとして扱うカントールの集合論に反対しました。MacTutor は、個人的なにくしみより数学の考え方のちがいだったと説明しています。
クロネッカー・ウェーバーの定理とは何ですか?
整数を係数にもつ方程式の解のうち、解どうしの関係がきれいな場合(アーベル的)は、すべて1の累乗根(円の等分の数)を組み合わせて作れるという定理です。クロネッカーが1853年に述べ、のちにヒルベルトらが証明しました。
クロネッカーは何歳で亡くなりましたか?
1891年12月29日、ドイツのベルリンで、68歳で亡くなりました。同じ年の8月に、妻のファニーを登山中の事故で亡くしています。
クロネッカーとヒルベルトの関係は?
クロネッカーの予想「青春の夢」を、ヒルベルトは1900年に発表した23の問題の第12問題にとり入れました。クロネッカー・ウェーバーの定理を証明したのもヒルベルトだといわれます。
クロネッカーは受験とどう関係しますか?
高校数学では、行列の単位行列(δ の形)や、連立方程式の解の有無(階数)に関係します。大学の線形代数では、クロネッカーのデルタが必ず出てきます。整数問題の土台の考え方でもあります。
クロネッカーの先生はだれですか?
高校時代にクンマーに数学を教わり、ベルリン大学ではディリクレとシュタイナーに学びました。博士論文はディリクレのもとで書いています。のち、クンマーの後任としてベルリン大学の教授になりました。
あわせて読みたい
出典・参考
- J. J. O’Connor, E. F. Robertson, “Leopold Kronecker”, MacTutor History of Mathematics Archive(St Andrews 大学)
- H. Weber, “Leopold Kronecker”, Jahresbericht der Deutschen Mathematiker-Vereinigung 2(1893年)
- “Leopold Kronecker”, Wikipedia(英語版)
- 肖像写真:「Leopold Kronecker」(1865年、撮影者不明)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦



