ワイエルシュトラスは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|ε-δ論法・最大値の定理・どこでも微分できない関数

ワイエルシュトラスは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|ε-δ論法・最大値の定理・どこでも微分できない関数

有名な数学者一覧 › 19世紀 › ドイツ

大学受験大学院入試

ワイエルシュトラスKarl Weierstrass

ひとことで言うと

ε-δ論法で極限をきちんと定義し、どこでも微分できない連続関数を作った、現代解析学の父。万能置換にも名が残る。

名前カール・ワイエルシュトラス(Karl Weierstrass、ヴァイエルシュトラスとも)
生没年1815年10月31日〜1897年2月19日(81歳)
国ドイツ(ヴェストファーレン地方のオステンフェルデ生まれ、ベルリンで没)
分野解析学・複素関数論・楕円関数
主な業績ε-δ論法、どこでも微分できない連続関数(1872年ごろ)、最大値の定理、近似定理(1885年)、複素関数論のべき級数による構成
名前がつくものワイエルシュトラス関数・ボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理・ワイエルシュトラスの近似定理・ワイエルシュトラス置換・℘関数・M判定法
よばれ方現代解析学の父、ベルリン大学の教授

このページのポイント

  • 極限・連続を不等式だけで定義するε-δ論法を整え、微分積分学の土台を固めた「現代解析学の父」
  • すべての点で連続なのに、どの点でも微分できない関数で、「図に頼る直観」の危うさを示した
  • 入試では最大値の定理・万能置換 t=tan(x/2)に名前が残る。田舎の学校の先生から40代で大学教授になった遅咲きの人

ワイエルシュトラスは何をした人?(業績をひとことで)

カール・ワイエルシュトラス(1815〜1897年)は、ドイツの数学者です。微分積分学の基礎をがっちり固めた人で、「現代解析学の父」とよばれます。高校数学Ⅲで習う極限の「ぎりぎり近づく」という言い方を、ε-δ(イプシロン・デルタ)論法という、あいまいさのない言葉に整えた人物とされます。さらに、どの点でも微分できない連続関数という、人々の常識をひっくり返す関数も作りました。

ワイエルシュトラスの名前は、受験生にも身近なところに出てきます。数学Ⅲの積分で、sin⁡x\sin x や cos⁡x\cos x を含む式を t=tan⁡x2t=\tan\frac{x}{2} とおいて分数式に直す方法は、ワイエルシュトラス置換と呼ばれます。また、最大値・最小値の問題の裏にある最大値の定理も、ワイエルシュトラスが厳密に示したものです。極限の意味や連続の意味という言葉の正確な意味は、ワイエルシュトラスの流儀で決まっています。

ワイエルシュトラスは、大学の先生になる前、田舎の中学校(ギムナジウム)の教員を十年以上つとめました。40代の終わりに突然世に出た、遅咲きの大数学者です。ベルリン大学では、コワレフスカヤやカントールら、多くの数学者を育てました。

うかるくん

うかるくん

極限って、「どんどん近づく」で十分じゃないんですか? どうして難しい言い方がいるんですか。

合格先生

合格先生

「どんどん近づく」は、人によってイメージがちがうんだ。「近づく」って、どれくらい近づけばいいの?と聞かれると、答えられなくなる。そこでワイエルシュトラスは、「どんな小さなものさし ε を持ってきても、それに合わせて δ が決められる」という形にした。これなら、数学の証明に使えるんだよ。

カール・ワイエルシュトラスの肖像画(1895年)
1895年のワイエルシュトラス(コンラート・フェーアによる肖像画)画像:コンラート・フェーア(1895年)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

ワイエルシュトラスの生涯と年表

法律を学ぶはずが、数学に夢中に

ワイエルシュトラスは1815年10月31日、ドイツ西部ヴェストファーレン地方のオステンフェルデで生まれました。父は、国の役人をつとめる人で、息子もプロイセンの役人にさせたいと考えていました。1834年、ボン大学に入った19歳のワイエルシュトラスは、父の希望で、法律・財政・経済を学ぶ課程に進みます。ところが本人は、こっそり数学の勉強に打ちこんでいました。

数学の道に進む決心をしたのは、大学の第7学期ごろだったとされます。結局、ワイエルシュトラスは、試験を受けないまま1838年にボンを去りました。その後、ミュンスターのグーデルマンのもとで学び、1840年に提出した楕円関数についての論文は、グーデルマンから「栄冠を得た発見者たちに並ぶ価値がある」という趣旨で高く評価されたと伝えられています。

地方の教員として十数年

1841年に中学校の教員の資格を得たワイエルシュトラスは、1842年からドイッチュ・クローネ、1848年からはブラウンスベルクのギムナジウムで教えました。ここでの仕事は、数学のほかに、物理や地理、体操や習字まで教える、たいへん忙しいものだったとされます。そんな日々のなかで、夜の時間を使って研究を続け、アーベルやヤコビの楕円関数の仕事をさらに進めていきました。

1854年の論文と、ベルリン大学へ

1854年、ワイエルシュトラスは、有名な雑誌(クレレ誌)に「アーベル関数の理論について」を発表します。この論文はすぐ数学者たちの注目を集め、同じ年にケーニヒスベルク大学から名誉博士号が贈られました。1856年6月にベルリンの産業学校(のちの工科大学)の教授に迎えられ、同じ年の秋にはベルリン大学の教授に就任します。40歳をすぎての、遅い出発でした。

講義で解析学を作りなおす

ベルリン大学でのワイエルシュトラスの講義は、解析学の「土台」をつくる、まったく新しい講義でした。1859〜60年の冬学期の『解析学入門』では、実数や極限を厳密に定義しなおす議論を始めました。ワイエルシュトラスは論文をあまり書かず、自分の成果を講義で伝える先生でした。その講義を聞いた学生たちが、ヨーロッパ中に新しい解析学を広めたのです。

どこでも微分できない関数と、コワレフスカヤ

1872年、ワイエルシュトラスは、すべての点で連続なのに、どの点でも微分できない関数を発表したとされます(のちに論文で紹介されました)。1861年に、リーマンがこうした関数がありうると言っていた、と伝えられていますが、はっきりした例を示したのはワイエルシュトラスだとされます。

1870年から、ロシアの女性数学者コワレフスカヤは、大学に入れなかったため、ワイエルシュトラスから個人的な指導を受けはじめました。2人の手紙のやりとりは1871年から1890年まで続き、ワイエルシュトラスは1883年にコワレフスカヤがストックホルム大学の職を得るのも助けました。

晩年

1861年12月、ワイエルシュトラスはひどいめまいで倒れ、その後は、座ったままで講義をするようになりました。1894年と1895年に『全集』の最初の2巻が出て、ワイエルシュトラスはその出版を見届けることができた、数少ない数学者のひとりです。1897年2月19日、ベルリンで肺炎のために81歳で亡くなりました。

年できごと
1815年10月31日、ドイツのオステンフェルデで生まれる
1834年ボン大学に入学(法律・財政を学ぶ課程)
1838年試験を受けずボン大学を去る
1840年グーデルマンのもとで楕円関数の論文を書き、高く評価される
1842年ドイッチュ・クローネの学校で教えはじめる
1848年ブラウンスベルクのギムナジウムで教える
1854年「アーベル関数の理論について」を発表。ケーニヒスベルク大学から名誉博士号
1856年ベルリン大学の教授になる
1859年『解析学入門』の講義を始める(1859〜60年)
1861年12月、めまいで倒れる。以後は座って講義
1872年どこでも微分できない連続関数を発表したとされる
1885年多項式による近似定理(ワイエルシュトラスの近似定理)を発表
1897年2月19日、ベルリンで亡くなる(81歳)

ワイエルシュトラスの主な業績をやさしく解説

業績1 ε-δ論法(極限の厳密な定義)

関数 f(x)f(x) が、xx を aa に近づけると LL に近づく、というのを、次のように言いなおします。

∀ε>0, ∃δ>0: 0<∣x−a∣<δ ⟹ ∣f(x)−L∣<ε\forall\varepsilon>0,\ \exists\delta>0:\ 0<|x-a|<\delta\ \Longrightarrow\ |f(x)-L|<\varepsilon

日本語にすると、「どんなに小さな正の数 ε\varepsilon を言われても、それに合わせて十分小さい δ\delta を選べば、xx が aa から δ\delta より近いとき、f(x)f(x) は LL から ε\varepsilon より近くなる」です。図で見ると、yy の帯の中に、グラフがおさまるように、xx の範囲をせまくとれる、ということです。

ε-δ論法:極限のものさしaa−δa+δLL+εL−ε
y が L−ε〜L+ε の帯におさまるように、x の範囲 a−δ〜a+δ を決める

この考え方のもとは、コーシーの極限と連続が与えました。コーシーは言葉で「限りなく近づく」と書きましたが、ワイエルシュトラスは、それを不等式だけで書く形にしました。これで、「どこまで近づけば十分か」を、計算でたしかめられるようになったのです。大学1年の微分積分の最初に習う、いちばん大切な考え方です。

業績2 どこでも微分できない連続関数

ニュートンやライプニッツの時代から、「連続な関数は、たいていの点で微分できる」と信じられていました。グラフが切れずにつながっていれば、ところどころ角があっても、ほとんどの点では接線が引けると考えたのです。ワイエルシュトラスは、その常識を次の式でくつがえしました。

W(x)=∑n=0∞ancos⁡(bnπx)(0<a<1, b は奇数, ab>1+3π2)W(x)=\sum_{n=0}^{\infty}a^n\cos(b^n\pi x)\qquad(0<a<1,\ b\text{ は奇数},\ ab>1+\tfrac{3\pi}{2})

a=12, b=7a=\frac12,\ b=7 のような場合(ab=3.5 なので、ワイエルシュトラス自身の条件 ab>約5.7 はみたしませんが、ハーディの条件 ab≧1 はみたします)を、1項ずつ足していくと、グラフはどんどんギザギザになります。無限に足すと、どこまで拡大しても、ギザギザが消えないふしぎな曲線ができあがります。のちにハーディが、条件 ab≥1ab\ge1 で十分なことを示しました。

項をふやすほどギザギザになる1項(なめらか)2項(ゆれが出る)3項(ギザギザ)W(x)=Σ (1/2)ⁿ cos(7ⁿπx) を途中まで足したもの
項を1つ、2つ、3つと足すたびに、グラフのギザギザが細かくなる

この発見で、数学者たちは「図に頼る直観」の危うさを思い知りました。「グラフをかけば見える」とは限らないのです。だからこそ、ε-δ論法のような、言葉と式で確かめる証明が必要だと考えられるようになりました。この関数は、のちのフラクタル(拡大しても同じように複雑な図形)や、ブラウン運動の研究(伊藤清の確率解析)にもつながる重要な例です。

業績3 最大値の定理とボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理

高校で何気なく使う次の事実には、証明が必要でした。

最大値・最小値の定理:閉区間 [a,b][a,b] で連続な関数は、その区間のなかで最大値と最小値をとる。

最大値・最小値の定理最大値最小値ab閉じた区間で連続なら、最大値と最小値がかならずある
閉じた区間で連続なら、最大値・最小値がかならず存在する

増減表で最大・最小を調べるとき、私たちは「最大値はある」と思いこんで計算しています。その前提を保証しているのがこの定理です。ボルツァノが先に示していたとされ、ワイエルシュトラスが講義で厳密に整えたため、ワイエルシュトラスの名でよばれます。証明に使われる大切な道具が、ボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理です。

ボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理:有界な(上にも下にも限られた)実数の列は、収束する部分列をもつ。

区間を半分ずつに割って、点が無限にたくさん入っているほうを選んでいくと、区間がどんどんせまくなって、ある1つの点に集まる、という考え方です。もとはボルツァノ(チェコの数学者)が先に考えていたため、2人の名前で呼ばれます。数列の極限を学ぶときに、背景として思い出してください。

業績4 ワイエルシュトラスの近似定理

1885年、ワイエルシュトラスは次の定理を示しました。

閉区間で連続な関数は、多項式で、いくらでもぴったり近づけられる。

とがった角のある ∣x−0.5∣|x-0.5| のような関数でも、次数をあげた多項式で、よく近づけることができます。図は、1912年にバーンスタインが示した作り方で、4次・12次・40次の多項式をかいたものです。

多項式で連続関数に近づけるもとの関数 |x−0.5|4次12次40次次数をあげると、角のある関数にもぴったり近づく
角のある関数も、次数をあげた多項式でぴったり近づく

多項式は「計算しやすい式」の代表です。コンピュータで複雑な関数の値を計算するとき、実際には多項式で近似しています。テイラー展開やマクローリン展開も、その仲間です。この定理は、「どんな連続関数も、結局は多項式で扱える」ことを保証するものです。

業績5 複素関数・楕円関数・べき級数

ワイエルシュトラスは、複素数の関数(複素関数論)の研究者でもありました。コーシーが積分で組み立てた複素関数論に対し、ワイエルシュトラスは、べき級数を使って組み立てなおしました。関数は、各点のまわりでべき級数(べき級数の収束半径)に展開できるものとして、すべての性質をそこから導いたのです。

楕円関数では、ヤコビの楕円関数のものとは別の、ワイエルシュトラスの ℘\wp(ペー)関数という標準形を作りました。いまの楕円曲線の理論では、この ℘\wp 関数が基本になっています。また、一様収束を調べるM判定法(優級数の判定)や、無限の積で関数を作る因数分解定理も、ワイエルシュトラスの名前がついています。

業績6 ワイエルシュトラス置換(万能置換)

三角関数をふくむ積分で、t=tan⁡x2t=\tan\frac{x}{2} とおくと、すべて tt の分数式に直ります。

sin⁡x=2t1+t2,cos⁡x=1−t21+t2,dx=21+t2 dt\sin x=\frac{2t}{1+t^2},\quad \cos x=\frac{1-t^2}{1+t^2},\quad dx=\frac{2}{1+t^2}\,dt
t=tan(x/2) の意味Pt=tan(x/2)(−1, 0)xx/2sin x=2t/(1+t²) cos x=(1−t²)/(1+t²)
t=tan(x/2)。単位円の点Pと(−1,0)を通る直線が y 軸と交わる高さ

これは万能置換ともいわれ、置換積分のなかでも、特別に強力な方法です。ただし、計算が大変になることが多いので、ほかの方法がないときの最後の手段にします。ワイエルシュトラスの名がついていますが、同じ置換はオイラーもすでに使っていたとされます。

ワイエルシュトラスの名前がつく公式・定理・用語

  • ε-δ論法:極限・連続を、不等式だけで定義する方法。→ 極限とは・連続とは。
  • ワイエルシュトラス関数:どこでも微分できない連続関数。
  • ボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理:有界な数列は収束する部分列をもつ。
  • 最大値の定理(ワイエルシュトラスの最大値定理):閉区間で連続な関数は最大値・最小値をもつ。→ 最大値・最小値。
  • ワイエルシュトラスの近似定理:閉区間の連続関数は多項式でいくらでも近づけられる。
  • ワイエルシュトラス置換:t=tan⁡x2t=\tan\frac{x}{2} とおく置換積分。→ 置換積分の公式。
  • M判定法(ワイエルシュトラスの優級数定理):各項が収束する級数でおさえられれば、一様収束する。
  • ℘\wp(ペー)関数:楕円関数の標準形。
  • カゾラーティ・ワイエルシュトラスの定理:複素関数が真性特異点のまわりでとる値についての定理。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

「ワイエルシュトラス」は、入試では最大値の定理・ε-δ論法・万能置換の3つで出会う。特に理系は、tan⁡x2\tan\frac{x}{2} の置き換えをスラスラ使えるようにしておこう。

ワイエルシュトラスの逸話と名言

遅咲きの天才

ワイエルシュトラスは、40代なかばまで、田舎の学校の先生でした。それでも夜ごとに研究を続け、1854年の論文でいっきに世に出ます。この論文がきっかけで、ケーニヒスベルク大学から名誉博士号が贈られました。才能は、環境に関係なく、続けることで実を結ぶ、ということを示す例です。

講義が数学を変えた

ワイエルシュトラスは、論文を書くよりも講義を重んじる人で、ベルリン大学の講義室には、世界中から学生が集まったと伝えられます。カントール・コワレフスカヤ・シュヴァルツ・ミッタク=レフラーなど、のちに活躍した数学者の多くが、ワイエルシュトラスの講義やセミナーで学びました。ワイエルシュトラスの講義ノートは、学生たちがコピーを作って、ほかの大学へ持ち帰ったともいわれます。

友との別れ

ベルリン大学で、ワイエルシュトラスはクロネッカーと長年の友人でしたが、1877年ごろから、クロネッカーがカントールの無限の理論をはげしく批判したことで、2人の友情にひびが入りました。ワイエルシュトラスは、カントールの仕事を高く評価していたとされます。1885年には、ベルリンを去ることも考えたと伝えられています。

名言とされる言葉

ワイエルシュトラスの言葉として、次のものが広く紹介されています。1883年8月27日にコワレフスカヤへ書いた手紙の一節とされ、のちにミッタク=レフラーが紹介しました。ただし、日本語は資料によって訳し方がちがい、手紙の原文は今回確かめていません。

数学者が、少しは詩人でもなければ、けっして完全な数学者にはなれない、というのは本当です。

ワイエルシュトラス(1883年8月27日、コワレフスカヤへの手紙とされる(訳))

厳密な証明を重んじた人が、想像力と美しさを大事にしていた、という話は、コワレフスカヤとの交流を知ると、納得できます。コワレフスカヤは、数学者であり文学者でもありました。

サクラちゃん

サクラちゃん

厳しく証明を大切にする人が、「詩人であれ」と言ったんですか?

合格先生

合格先生

と、伝えられているんだ。新しい数学は、まず想像力から始まる。そして、それが本当かどうかは、厳密な証明で確かめる。この2つが両方そろって、数学が前に進む。ワイエルシュトラスは、その両方を大切にした人だったんだね。

受験・勉強とワイエルシュトラスのつながり

数学Ⅲ:極限の「近づく」を正確に読む

数学Ⅲで習う極限の意味は、ε-δ論法を、ふつうの言葉に直したものです。高校の教科書では ε-δ をそのまま使いませんが、「いくらでも近づく」「どんな小さい数より小さくなる」と書かれているところを読むとき、背景にはワイエルシュトラスの考えがあります。難関大の一部では、「lim⁡n→∞an=α\lim_{n\to\infty}a_n=\alpha を、ε-N の言葉で書け」という趣旨の問題が出ることもあります。数列の極限の極限の考え方も確認しておきましょう。

数学Ⅲ・積分:万能置換 t=tan(x/2)

∫dx1+sin⁡x\int\frac{dx}{1+\sin x} や ∫dx2+cos⁡x\int\frac{dx}{2+\cos x} のように、三角関数の分数式の積分は、t=tan⁡x2t=\tan\frac{x}{2} とおくと必ず解けます。置換積分のやり方と一緒に、sin⁡x=2t1+t2\sin x=\frac{2t}{1+t^2}、cos⁡x=1−t21+t2\cos x=\frac{1-t^2}{1+t^2}、dx=2dt1+t2dx=\frac{2dt}{1+t^2} の3つを覚えておくと、理系の大学入試で役立ちます。

大学入試:最大値・最小値と平均値の定理

入試で「最大値を求めよ」と言われたときに、増減表でていねいに調べますが、微分と増減・極値の裏にある、「閉区間なら最大値は必ずある」という事実を保証するのが、最大値の定理です。平均値の定理も、この定理を使って証明されます。「答えが存在する」ことを先に確認する習慣が、記述式の答案に強さをあたえます。

勉強法として:言葉と式で「確かめる」

ワイエルシュトラスの教えは、「図や直観で分かった気になっても、式で確かめよう」ということです。問題を解いたあとで、結果をもう一度式にあてはめて検算する習慣は、まさにワイエルシュトラス流です。勉強の進め方は、数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)を、ギリシャ文字 ε・δ の読み方はギリシャ文字の読み方一覧を見てください。

ワイエルシュトラスがその後の数学にあたえた影響

  • 解析学の厳密化:ε-δ論法は、現代の大学の微分積分・解析学の標準の言葉になりました。実数の連続性を定義しなおすデデキントの切断・カントールの理論とともに、解析学の基礎が固まりました。
  • 病的な関数の発見:どこでも微分できない連続関数は、「例外」ではなく普通のものだと、のちに証明されました(ベールの範疇という考え方で見ると、「ほとんどすべて」の連続関数が、どこでも微分できません)。フラクタル・ブラウン運動へつながります。
  • 関数解析・位相:最大値の定理は、「コンパクト集合の上の連続関数は最大値をもつ」という形に一般化されました。近似定理は、ストーン・ワイエルシュトラスの定理へ広がります。
  • 複素関数論:ワイエルシュトラスのべき級数の方法は、リーマンの幾何学的な方法とならぶ、複素関数論の二大流儀になりました。
  • 楕円曲線:℘\wp 関数は、現代の楕円曲線・保型形式の理論や、フェルマーの最終定理とは?わかりやすく解説の証明の背景にもつながっています。
  • 数学教育・研究者の育成:ワイエルシュトラスのセミナーは、世界中の大学のゼミのモデルとなり、ヒルベルトの世代へ受けつがれました。

ワイエルシュトラスは、「厳密さ」という数学の新しい文化を作った人です。いま高校で習うグラフの図解のうしろには、この文化があります。

ワイエルシュトラスに挑戦!練習問題

やさしい

  1. lim⁡x→2(3x+1)=7\displaystyle\lim_{x\to2}(3x+1)=7 を、ε-δ論法で確かめるとき、ε=0.03\varepsilon=0.03 に対して、δ\delta をいくつにとればよいですか。
    答えと解説を見る∣(3x+1)−7∣=3∣x−2∣|(3x+1)-7|=3|x-2| です。これが ε=0.03\varepsilon=0.03 より小さければよいので、∣x−2∣<0.01|x-2|<0.01 ならばOKです。つまり δ=0.01\delta=0.01(一般には δ=ε/3\delta=\varepsilon/3)。
  2. 閉区間 0≤x≤30\le x\le3 で、f(x)=x2−2xf(x)=x^2-2x の最大値と最小値を求めなさい。
    答えと解説を見るf(x)=(x−1)2−1f(x)=(x-1)^2-1。x=1x=1 で最小値 −1-1。端の値は f(0)=0, f(3)=3f(0)=0,\ f(3)=3 なので、最大値は x=3x=3 のときの 3 です。

ふつう

  1. t=tan⁡x2t=\tan\dfrac{x}{2} とおくとき、cos⁡x\cos x を tt で表しなさい。
    答えと解説を見る2倍角の公式より cos⁡x=1−tan⁡2x21+tan⁡2x2=1−t21+t2\cos x=\dfrac{1-\tan^2\frac{x}{2}}{1+\tan^2\frac{x}{2}}=\mathbf{\dfrac{1-t^2}{1+t^2}} です。
  2. ∫0π/2dx1+sin⁡x\displaystyle\int_0^{\pi/2}\dfrac{dx}{1+\sin x} を求めなさい。
    答えと解説を見るt=tan⁡x2t=\tan\frac{x}{2} とおくと、sin⁡x=2t1+t2, dx=2dt1+t2\sin x=\frac{2t}{1+t^2},\ dx=\frac{2dt}{1+t^2}。1+sin⁡x=(1+t)21+t21+\sin x=\frac{(1+t)^2}{1+t^2} なので、積分は ∫012 dt(1+t)2=[−21+t]01=−1+2=1\displaystyle\int_0^1\frac{2\,dt}{(1+t)^2}=\left[-\frac{2}{1+t}\right]_0^1=-1+2=\mathbf{1} です。

むずかしい

  1. lim⁡x→1x2=1\displaystyle\lim_{x\to1}x^2=1 を、ε-δ論法で証明しなさい。(ε>0\varepsilon>0 に対する δ\delta を具体的に求めること)
    答えと解説を見る∣x2−1∣=∣x−1∣ ∣x+1∣|x^2-1|=|x-1|\,|x+1|。∣x−1∣<1|x-1|<1 なら 0<x<20<x<2 なので ∣x+1∣<3|x+1|<3。したがって δ=min⁡(1, ε3)\delta=\min\left(1,\ \dfrac{\varepsilon}{3}\right) とすれば、∣x−1∣<δ|x-1|<\delta のとき ∣x2−1∣<3⋅ε3=ε|x^2-1|<3\cdot\dfrac{\varepsilon}{3}=\varepsilon となり、極限が 11 であることが示せました。
  2. ワイエルシュトラス関数 W(x)=∑n=0∞(12)ncos⁡(7nπx)W(x)=\displaystyle\sum_{n=0}^{\infty}\left(\dfrac12\right)^n\cos(7^n\pi x) について、W(0)W(0) と W(1)W(1) の値を求めなさい。
    答えと解説を見るx=0x=0 では、すべての項が (12)ncos⁡0=(12)n\left(\frac12\right)^n\cos0=\left(\frac12\right)^n なので、W(0)=11−12=2W(0)=\dfrac{1}{1-\frac12}=\mathbf{2}。x=1x=1 では、7n7^n はつねに奇数なので cos⁡(7nπ)=−1\cos(7^n\pi)=-1。よって W(1)=−11−12=−2W(1)=-\dfrac{1}{1-\frac12}=\mathbf{-2} です。どの項も絶対値が (12)n\left(\frac12\right)^n 以下なので、∣W(x)∣≤2|W(x)|\le2 もわかります。

ワイエルシュトラスと関係する数学者

数学の公式を1つずつ学ぶなら算数・数学の公式一覧(公式辞典)、数学用語は数学用語辞典(高校数学の言葉)、数学で使う記号は数学でよく使う記号の意味一覧(Σ・∫・≡)もどうぞ。

19世紀の数学者

← 前の時代:ブールの業績と生涯 | 次の時代:ケーリーの業績と生涯 →

有名な数学者一覧(年代順・国別・分野別)で、ほかの数学者も見られます。数学者たちが挑んだ問題は数学の難問・未解決問題の一覧にまとめています。

読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

ワイエルシュトラスは何をした人ですか?

ワイエルシュトラスは、19世紀のドイツの数学者で、「現代解析学の父」とよばれます。ε-δ論法で極限を厳密に定義し、どこでも微分できない連続関数を示し、最大値の定理や近似定理でも名前を残しました。

ε-δ論法とは何ですか?

極限を不等式だけで定義する方法です。「どんな小さな ε を与えられても、それに合わせて十分小さな δ を選べば、x が a の δ 以内のとき f(x) は L の ε 以内になる」と言います。大学の微分積分の最初に習います。

どこでも微分できない連続関数とは何ですか?

グラフが切れずにつながっている(連続)のに、どの点でも接線が引けない(微分できない)関数です。ワイエルシュトラスが1872年ごろに示したとされ、cos の和 Σ aⁿ cos(bⁿπx) の形をしています。

ワイエルシュトラスの名言はありますか?

「詩人の心も持たない数学者は、完全な数学者にはなれない」という趣旨の言葉が、コワレフスカヤにあてた1883年の手紙の一節として伝えられています(ミッタク=レフラーの紹介による)。

ワイエルシュトラスは何歳で亡くなりましたか?

1897年2月19日に、ベルリンで81歳で亡くなりました。死因は肺炎でした。1861年に倒れて以降は、座ったまま講義をしていたとされます。

ワイエルシュトラス置換とは何ですか?

t=tan(x/2) とおいて、sin x=2t/(1+t²)、cos x=(1−t²)/(1+t²)、dx=2dt/(1+t²) と書きかえる置換積分のことです。三角関数の分数式の積分がかならず解けるため、万能置換ともよばれます。

ワイエルシュトラスはどんな人生でしたか?

父の希望で法律を学ぶはずが数学に夢中になり、学位を取らずにボン大学を去りました。その後、田舎のギムナジウムで十数年教え、1854年の論文で注目され、1856年にベルリン大学の教授になりました。遅咲きの大数学者です。

ワイエルシュトラスとコワレフスカヤの関係は?

1870年から、ロシアの女性数学者コワレフスカヤは、大学に入れなかったためワイエルシュトラスの個人指導を受けました。2人は1871年から1890年まで手紙をやりとりし、ワイエルシュトラスは彼女がストックホルムで職を得るのを助けました。

ワイエルシュトラスは大学受験に関係がありますか?

関係があります。数学Ⅲの極限・連続の背景にε-δ論法があり、積分では万能置換 t=tan(x/2) がワイエルシュトラス置換とよばれます。最大値・最小値が存在することを保証するのも、ワイエルシュトラスの最大値の定理です。

ボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理とは何ですか?

上にも下にも限られた(有界な)実数の列は、かならず収束する部分列をもつ、という定理です。区間を半分ずつに割ってせばめていく方法で証明でき、最大値の定理の証明に使われます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Karl Weierstrass」(セント・アンドルーズ大学)
  • K. Weierstrass, “Mathematische Werke”(全集、1894〜1927年)
  • 肖像:Conrad Fehr「Karl Weierstrass」(1895年)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年11月2日/作成:大学受験合格大作戦