ロピタルは何をした人?業績・生涯をわかりやすく|ロピタルの定理・世界初の微分の教科書

ロピタルは何をした人?業績・生涯をわかりやすく|ロピタルの定理・世界初の微分の教科書

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ロピタルGuillaume de l'Hôpital

ひとことで言うと

世界初の微分の教科書を書いたフランスの侯爵。ロピタルの定理の本当の発見者は、家庭教師のヨハン・ベルヌーイだといわれる。

名前ギヨーム・ド・ロピタル(Guillaume de l’Hôpital、ロピタル侯爵。古い綴りでロスピタルとも)
生没年1661年〜1704年2月2日(42〜43歳。生まれた日は不明)
国フランス(パリ生まれ)
分野解析学(微分法)
主な業績『無限小解析』(1696年、世界初の微分の教科書)、ロピタルの定理を世に広める、円すい曲線の研究
名前がつくものロピタルの定理(ロピタルの法則)
よばれ方ロピタル侯爵。ヨハン・ベルヌーイの教え子で、微積分をヨーロッパに広めた人

このページのポイント

  • 1696年に世界初の微分の教科書『無限小解析』を出版。微積分を学べる学問にした
  • ロピタルの定理は、0/0 型・∞/∞ 型の極限を「分子と分母をそれぞれ微分」して求める。ただし高校数学Ⅲの範囲外
  • 本当の発見者はヨハン・ベルヌーイとされる。1694年に年300リーヴルで発見を教える取りきめがあった

ロピタルは何をした人?(業績をひとことで)

ギヨーム・ド・ロピタル(1661〜1704年)は、フランスの貴族(侯爵)で、数学者です。1696年に、世界ではじめて微分(微分積分の前半)の教科書『無限小解析(Analyse des infiniment petits)』を書いて出版した人として知られています。その本にのっているロピタルの定理(00\frac00 や ∞∞\frac\infty\infty の形の極限を、分子と分母をそれぞれ微分して求める方法)は、大学入試でも知られた超有名な道具です。

ただし、この定理を発見したのは、ロピタルではなく、彼が個人教授として雇ったヨハン・ベルヌーイだといわれています。ロピタルは数学者としての業績が小さいわけではありませんが、「他人の発見に自分の名前がついた人」としても有名です。ここでは、その契約の事実と、定理の使い方を、受験に役立つ形でていねいに解説します。

0/0 は「傾きの比」で決まる赤:g=2x(傾き2)青:f=eˣ−1(傾き1)lim f/g = 1/2 = f′(0)/g′(0)
0分の0の形の極限は、分子と分母の「傾き」の比で決まる。これがロピタルの定理の考え方
ロピタル侯爵の肖像画
ロピタル侯爵(ギヨーム・ド・ロピタル)の肖像画画像:作者不明/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

名前の由来を知ると、定理の使い方もいっそう身につきます。

ロピタルの生涯と年表

貴族の家に生まれた、数学好きの騎兵隊長

ロピタルは1661年、パリの名家に生まれました。正式な名前は「ギヨーム・フランソワ・アントワーヌ、ロピタル侯爵」で、父は国王軍の中将をつとめた人です。子どものころはラテン語などが苦手だった一方、数学の才能は早くから目立っていたといわれます。伝記作家のフォントネルによれば、15歳のとき、パスカルが出したサイクロイド(転がる円の点がえがく曲線)の難問を解いたと伝えられています。

貴族の若者として、ロピタルは騎兵隊の隊長になりましたが、ひどい近視で、10歩先も見えなかったといわれます。それがきっかけで軍をやめたとされますが、本当の理由は数学への情熱だったという見方もあります。結婚して、息子1人と娘3人に恵まれました。

若いヨハンを家庭教師に雇う

1691年の終わり、スイスから24歳の若い数学者ヨハン・ベルヌーイがパリにやってきました。ヨハンはライプニッツの微分積分を、兄のヤコブ・ベルヌーイと共に学んだ、当時のヨーロッパでも数少ない達人の一人です。ヨハンは約半年のあいだ、フランスの哲学者マルブランシュの仲間たちに週4回の講義をしました。ロピタルはその講義に出て、すっかり夢中になり、自分の領地にヨハンを招いて個人教授を受けました。1692年11月にはヨハンはバーゼルに戻りましたが、二人の手紙のやりとりは続きました。

1694年の取りきめと、1696年の教科書

1694年3月17日、ロピタルはヨハンにある申し出の手紙を書きます。その内容は、歴史の資料によると次のようなものでした。

  • 年に300リーヴル(当時の通貨単位)の謝礼を、1694年1月1日にさかのぼって払う(将来は増額を約束)。
  • ヨハンは、ロピタルが頼んだ話題について何時間か考え、発見したことを教える。
  • ヨハンは、その発見をほかの人に教えない。ヴァリニョンなどに自分の文章の写しを送らない。

ヨハンはこの申し出をすぐに受け入れました。そして1696年、ロピタルは『無限小解析』を、本人の名前を出さずに出版します(作者がロピタルであることは、当時から知られていました)。

1694年の取りきめヨハンベルヌーイ(バーゼル)ロピタル侯爵(パリ)発見・講義年300リーヴル1696年『無限小解析』世界初の微分の教科書ほかの人には内容を知らせない約束(手紙の申し出より)
ヨハンが発見と講義を送り、ロピタルが謝礼を払う。その成果が1696年の教科書になった

相手のヨハン・ベルヌーイとはどんな人?

ヨハン・ベルヌーイ(1667〜1748年)は、ヤコブ・ベルヌーイの弟で、スイスのバーゼル出身の数学者です。医者になるはずでしたが、兄から数学を学んで才能を開花させ、微積分の達人になりました。1695年にオランダのフローニンゲン大学の教授になり、1705年に兄の死のあとを受けてバーゼル大学の教授に戻りました。のちにオイラーを教えたことでも有名です。息子のダニエル(ダニエル・ベルヌーイ)も大数学者になりました。ロピタルが出会ったころのヨハンは、まだ24歳の無名の若者でした。ロピタルの申し出は、若いヨハンにとって、安定した収入と、有力な貴族との関係をもたらす、ありがたい話だったともいえます。

40代前半で亡くなる

ロピタルは1704年2月2日、パリで亡くなりました。42〜43歳でした(生まれた日がはっきりしないため)。その後、遺稿から『円すい曲線の解析』(1707年)が出版されました。数学者としての仕事は、さらに続けられるはずだった途中での、早い死でした。

年できごと
1661年パリの貴族の家に生まれる
1667年(ヨハン・ベルヌーイが生まれる)
1676年ごろ15歳のとき、パスカルのサイクロイドの難問を解いたと伝えられる
1691年ヨハン・ベルヌーイがパリに来て講義。ロピタルが聴きにいく
1692年ヨハンの個人教授を受ける。11月、ヨハンはバーゼルへ帰る
1694年3月17日、ヨハンに謝礼と引きかえの取りきめを申し出る
1696年『無限小解析』を出版(世界初の微分の教科書)
1699年パリ科学アカデミーの名誉会員になる
1704年2月2日、パリで亡くなる(42〜43歳)
1707年遺稿『円すい曲線の解析』が出版される
1921年ヨハンの講義の写本が見つかり、「ロピタルの定理」の本当の発見者が注目される
ロピタルの定理をめぐる年表1661年ロピタル生まれ1667年ヨハン生まれ1692年ヨハン帰国1694年取りきめ1696年教科書出版1704年ロピタル死去1921年講義の写本発見(目もりは等間隔ではありません)
ロピタルとヨハンをめぐる出来事の並び。原稿の発見は、ロピタルの死の200年以上あと

ロピタルの主な業績をやさしく解説

業績1 世界初の微分の教科書『無限小解析』(1696年)

『無限小解析(Analyse des infiniment petits)』は、微分とは何かから、曲線の接線、最大・最小、変曲点、曲率、高階の微分まで、微積分の前半を教科書の形でまとめた本です。それまでの微積分は、ライプニッツやベルヌーイ兄弟など、ごく少数の人しか使いこなせない、いわば秘伝の技でした。ロピタルは、それをだれでも学べるように、順序立てて、わかりやすい例題と図をつけて書きました。

割線がしぼられて接線になる(1, 1)赤:接線(傾き2)ほかの線は割線傾き 3 → 2.5 → 2.1 → 2(微分係数)
点を近づけていくと、曲線を切る直線(割線)が接線に近づく。微分の考え方を教科書にまとめたのがロピタル

この本は版を重ねて、1781年まで出版が続いたといわれます。オイラーをはじめ、18世紀のヨーロッパの多くの数学者が、この本で微分を学びました。いまの高校数学Ⅱ・Ⅲで習う微分係数と導関数の考え方も、この本を通して広まったものです。

業績2 ロピタルの定理(0/0 型、∞/∞ 型の極限)

x→ax\to a のとき、分子 f(x)f(x) も分母 g(x)g(x) も 0 に近づくと、f(x)g(x)\frac{f(x)}{g(x)} は 00\frac00 の形になって、そのままでは極限がわかりません。そのとき、分子と分母を別々に微分してから極限をとってよい、というのがロピタルの定理です。

lim⁡x→af(x)g(x)=lim⁡x→af′(x)g′(x)\lim_{x\to a}\frac{f(x)}{g(x)}=\lim_{x\to a}\frac{f'(x)}{g'(x)}

(ただし、f,gf,g が aa の近くで微分でき、g′(x)≠0g'(x)\neq0 で、右辺の極限が存在する、などの条件がつきます。)くわしくはロピタルの定理の使い方と例題で確かめてください。例を見てみましょう。

lim⁡x→0ex−12x\displaystyle\lim_{x\to0}\frac{e^x-1}{2x} は 00\frac00 の形です。分子を微分すると exe^x、分母を微分すると 22 なので、lim⁡x→0ex2=12\displaystyle\lim_{x\to0}\frac{e^x}{2}=\frac12 です。図1のように、傾きの比が答えになる、と考えるとイメージしやすいです。

sin x ÷ x は 1 に近づく極限 10.8415x=10.9589x=0.50.9896x=0.250.9983x=0.11.0000x=0.01x を 0 に近づけたときの sin x/x の値
sin x/x の値。x を 0 に近づけると 1 に近づく。ロピタルの定理なら (cos x)/1 の極限で 1

なぜ成り立つのか(証明のアイデア)

f(a)=g(a)=0f(a)=g(a)=0 のとき、xx が aa に近いところで、f(x)g(x)=f(x)−f(a)g(x)−g(a)\dfrac{f(x)}{g(x)}=\dfrac{f(x)-f(a)}{g(x)-g(a)} と書けます。ここで、平均値の定理を2つの関数に拡張したコーシーの平均値の定理を使うと、aa と xx のあいだのある数 cc について、この比が f′(c)g′(c)\dfrac{f'(c)}{g'(c)} に等しいことがいえます。x→ax\to a なら c→ac\to a なので、f′(c)g′(c)\dfrac{f'(c)}{g'(c)} の極限が元の極限になる、というわけです。ロピタルの時代にはこのような厳密な証明はなく、図形的な「無限小」の考え方で説明されていました。厳密な証明は、のちにコーシーの時代になってからです。

使える形・使えない形

極限の「不定形」とよばれる形と、ロピタルの定理を使うための直し方をまとめます。

形どう直すか例
0/0、∞/∞そのまま使える(eˣ−1)/x
0×∞どちらかを分母に回して 0/0 か ∞/∞ にするx log x
∞−∞通分や有理化で分数にする1/x − 1/sin x
0⁰、1^∞、∞⁰対数をとって 0×∞ にするxˣ、(1+1/x)ˣ

有名な lim⁡x→0sin⁡xx=1\displaystyle\lim_{x\to0}\frac{\sin x}{x}=1 も、ロピタルの定理を使えば lim⁡x→0cos⁡x1=1\displaystyle\lim_{x\to0}\frac{\cos x}{1}=1 とすぐ出ます。ただし、sin⁡x\sin x の微分が cos⁡x\cos x になる証明そのものが、この極限を使っているので、入試の答案でこのやり方を使うと「循環論法」といわれる場合があります。注意しましょう。

業績3 『無限小解析』にのった最初の例

ロピタルの本の第9章に、この定理がのっています。歴史の本でよく紹介される例は、次のような式です(aa は正の定数)。

lim⁡x→a2a3x−x4−aa2x3a−ax34=169a\lim_{x\to a}\frac{\sqrt{2a^3x-x^4}-a\sqrt[3]{a^2x}}{a-\sqrt[4]{ax^3}}=\frac{16}{9}a

x=ax=a を入れると、分子も分母も 0 になります。今の高校生が見たら目がまわりそうな式ですが、ロピタルの定理の考え方は同じで、分子と分母を別々に微分して極限をとります。電卓で xx を aa に近づけて計算すると、たしかに 169a (=1.777⋯a)\frac{16}{9}a\ (=1.777\cdots a) に近づきます。(数値計算で確かめられます。)

ロピタルの定理は、極限を求める新しい考え方だけでなく、「微分を使うと、ややこしい極限が機械的に解ける」という微積分の威力を人々に見せつけたという意味で、とても大きな仕事でした。

業績4 円すい曲線の研究と、ほかの問題

ロピタルは、放物線・楕円・双曲線といった2次曲線(放物線・楕円・双曲線)の本も書いていて、死後の1707年に出版されました。そのほか、1692年には、デカルトの友人ドボーヌが出した「接線が決まった性質をもつ曲線を求める」問題の解を、ヨハンに習ってホイヘンスに送りました。1696年にヨハンが全ヨーロッパに出した最速降下曲線(ブラキストクローン)の難問にも解答を寄せたと伝えられますが、歴史家はその解答もヨハンの助けによるものだったと見ています。

ロピタルの名前がつく公式・定理・用語

この定理は、ロピタルの法則とも、昔のつづりで ロスピタルの定理ともよばれます。つづりは、フランス語の古い書き方 "l’Hospital" と、現代の "l’Hôpital" の違いです。

指し棒で説明する合格先生

合格先生

ロピタルの定理は強力だけど、使えるのは 0/0 型や ∞/∞ 型のときだけ。形を確かめずに使うと、まちがった答えになるから気をつけよう。

ロピタルの逸話と名言

本当の発見者はだれ? 論争の経緯

『無限小解析』が出たとき、ヨハンは強く文句を言いませんでした。ロピタルは本の序文で、ベルヌーイ兄弟とライプニッツに感謝し、特に「現在フローニンゲンの教授である若い方」(ヨハン)の力が大きかったことを書いています。ニュートンの似た発見にも触れています。ただし、ロピタルは基礎の考え方を自分のもののように書いたとも指摘されます。

私は、ベルヌーイ氏たち、とくに現在フローニンゲンの教授である方の仕事に、たいへん恩を受けていることを認めなければならない。

ロピタル(『無限小解析』序文)(序文の文を日本語に直したもの(MacTutor にある英訳をもとにした意訳))

ヨハンが「あの本はほとんど私のものだ」と強く主張しはじめたのは、ロピタルが亡くなったあとだといわれています。ヨハンは晩年に、ロピタルから受け取ったお金のことを、実際より多く言って自まんした、と MacTutor は伝えています。当時は、ロピタルがすでに亡くなっていて、反論できなかったのです。

1921年に見つかった講義ノート

決定的な証拠が出たのは、20世紀になってからです。1921年に、ヨハンがロピタルに教えた講義の写本が見つかりました。その内容は、『無限小解析』の微分の部分と非常によく似ていました。さらに1955年にヨハンの初期の手紙が出版されると、多くの数学者が、ロピタルの定理の発見者はヨハンだったと考えるようになりました。ですから、「ロピタルの定理」は本当は「ベルヌーイの定理」であるべきだ、という見方が、いまは有力です。

ただし、この取りきめを、ロピタルがだましたものと決めつけるのは正しくありません。ロピタルは、お金を払い、序文でもヨハンに感謝していました。ヨハン本人も、1695年の手紙で「あなたの望みをはっきり知らせてくれれば、私は生涯もう何も発表しない」という趣旨のことを書くほど、取りきめを受け入れていました。当時の貴族と学者の関係では、学者が貴族の庇護を受けて研究するのは、ふつうのことだったのです。

最速降下曲線の難問に挑んだ人々

1696年、ヨハンは「2点を結ぶ曲線のうち、重力だけで玉が最も速く転がり落ちるのはどんな曲線か」という難問を、数学者たちへの挑戦状として出しました。これが最速降下曲線(ブラキストクローン)の問題で、答えは、直線でも円弧でもなく、サイクロイドという曲線です。ライプニッツ、ニュートン、ヤコブ・ベルヌーイ、そしてロピタルが解答を寄せたと伝えられます。ニュートンは名前を伏せて答えを送りましたが、ヨハンはそれを見て、「爪を見ればライオンだとわかる」と言ったという有名な話があります。こうして、ロピタルは当時の最前線の数学者たちの輪の中にいました。

フォントネルがおくった追悼

ロピタルが亡くなったとき、パリ科学アカデミーの書記フォントネルは追悼文を書き、ロピタルの数学への情熱をたたえました。貴族の身分のせいで、ロピタルは通常の選挙でアカデミーの会員になれませんでしたが、1699年の組織改編のあとに名誉会員にむかえられました。

サクラちゃん

サクラちゃん

じゃあ、「ロピタルの定理」って名前は、ずるくないですか?

合格先生

合格先生

数学の世界では、最初の発見者の名前がつかないことがよくあるんだ。ロピタルは、それを本にして世に広めた人でもある。名前はロピタルでも、中身はヨハンの発見だと知っておくことが大事だね。

受験・勉強とロピタルのつながり

大学受験:ロピタルの定理は答案で使っていい?

ロピタルの定理は、高校数学Ⅲの教科書には出てきません。そのため、入試の採点基準は大学によって違います。「使うと減点される」「証明なしに使うと、答案としては認められない」と注意されることもあれば、実際に使って正解になる場合もあります。安全なのは、教科書の範囲の方法(微分の公式、平均値の定理、はさみうちの原理、置きかえ)で解けるようにしておき、ロピタルの定理は「答えの検算」に使うことです。

こんなときに便利(検算でも威力)

  • lim⁡x→01−cos⁡xx2=12\displaystyle\lim_{x\to0}\frac{1-\cos x}{x^2}=\frac12(2回微分:sin⁡x2x→cos⁡x2\frac{\sin x}{2x}\to\frac{\cos x}{2})
  • lim⁡x→∞x2ex=0\displaystyle\lim_{x\to\infty}\frac{x^2}{e^x}=0(∞∞\frac\infty\infty 型。2回微分して 2ex→0\frac{2}{e^x}\to0)
  • lim⁡x→0xlog⁡x=0\displaystyle\lim_{x\to0}x\log x=0(log⁡x/1x\log x\big/\frac1x に直して ∞/∞\infty/\infty 型にする)

0×∞0\times\infty や ∞−∞\infty-\infty の形は、変形して 00\frac00 や ∞∞\frac\infty\infty の形にしてから使います。累乗の形 fgf^g は、対数をとってから使うのが定石です。

使ってはいけない場面(落とし穴)

たとえば lim⁡x→∞x+sin⁡xx\displaystyle\lim_{x\to\infty}\frac{x+\sin x}{x} は ∞∞\frac\infty\infty 型ですが、分子分母を微分した 1+cos⁡x1\frac{1+\cos x}{1} には極限がありません(くり返し振動します)。しかし、元の式は 1+sin⁡xx→11+\frac{\sin x}{x}\to1 で、ちゃんと極限があります。ロピタルの定理は「微分した後の極限が存在すれば」成り立つだけで、存在しなくても元の極限が存在することがあるのです。

うかるくん

うかるくん

入試で、ロピタルの定理を使って解いたら、0点になっちゃいますか?

合格先生

合格先生

一律に0点とは限らないよ。でも大学によって扱いが違うから、教科書の範囲でも解けるようにしておくのが安全だね。使うなら、0/0 型であること、微分した後の極限が存在することを、答案に一言書いておこう。

勉強法として:道具の「出どころ」を知る

ロピタルの定理の背景には、テイラー展開の考え方があります。実は、00\frac00 型の極限はテイラー展開で分子・分母を展開して比べると、ロピタルの定理を使わなくても求められます。テイラーの展開と合わせて学ぶと、微分の理解が深まります。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)、難関大の極限・微積の出題は京大理系数学の出題分析も参考にしてください。

ロピタルがその後の数学にあたえた影響

  • 微積分の広まり:『無限小解析』は、微分を学ぶための最初の教科書として、ヨーロッパ中に微積分を広めました。教科書の形で整理されたことで、微積分が「一部の天才の技」から「学べる学問」になったのです。
  • 解析学の発展:オイラーらの18世紀の解析学は、ロピタルの本を学んだ世代によって育てられました。のちにコーシーが極限と微分の定義を厳密にして、ロピタルの定理もきちんと証明されました。
  • 科学史・倫理への影響:「発見者」と「紹介者」の関係は、研究の優先権やお金の取りきめをどう考えるかの有名な事例として、科学史の本で取りあげられます。

ロピタルの名前が数学の世界で大きく残ったのは、教科書を書いて「広める人」になったことが大きかったからです。いま私たちが、教科書で微分を学べるのは、ロピタルのような人がいたおかげでもあります。数学の公式一覧は算数・数学の公式一覧(公式辞典)、用語は数学用語辞典(用語の意味を1語1ページ)で調べられます。

ロピタルに挑戦!練習問題

やさしい

  1. lim⁡x→1x2−1x−1\displaystyle\lim_{x\to1}\frac{x^2-1}{x-1} を、ロピタルの定理を使って求めなさい。
    答えと解説を見るx=1 で 0/0 型。分子・分母を微分すると 2x/1。x→1 で 2。(因数分解 (x−1)(x+1)/(x−1)=x+1→2 と同じ答え)
  2. lim⁡x→0ex−1x\displaystyle\lim_{x\to0}\frac{e^x-1}{x} を求めなさい。
    答えと解説を見る0/0 型。微分して eˣ/1→1。答えは 1。

ふつう

  1. lim⁡x→01−cos⁡xx2\displaystyle\lim_{x\to0}\frac{1-\cos x}{x^2} を求めなさい。
    答えと解説を見る0/0 型。1回微分:sin x/2x(まだ 0/0)。もう1回:cos x/2→1/2。
  2. lim⁡x→∞xex\displaystyle\lim_{x\to\infty}\frac{x}{e^x} を求めなさい。
    答えと解説を見る∞/∞ 型。微分して 1/eˣ→0。答えは 0。(指数関数は x より速く大きくなる)

むずかしい

  1. lim⁡x→+0xlog⁡x\displaystyle\lim_{x\to+0}x\log x を求めなさい。
    答えと解説を見るx log x=(log x)/(1/x) と書き直すと −∞/∞ 型。微分して (1/x)/(−1/x²)=−x→0。
  2. lim⁡x→∞x+sin⁡xx\displaystyle\lim_{x\to\infty}\frac{x+\sin x}{x} にロピタルの定理を使ってはいけない理由を説明し、正しい極限を求めなさい。
    答えと解説を見る分子・分母を微分した (1+cos x)/1 は振動して極限がなく、定理の条件を満たさない。元の式は 1+(sin x)/x と変形でき、|sin x|≦1 なので (sin x)/x→0(はさみうち)。よって極限は 1。

ロピタルと関係する数学者

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16〜17世紀の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

ロピタルは何をした人ですか?

ロピタルは、17世紀のフランスの貴族(侯爵)で数学者です。1696年に世界初の微分の教科書『無限小解析』を出版して、微積分をヨーロッパに広めました。その本にのった、0/0型の極限を求めるロピタルの定理で知られます。

ロピタルの定理とは何ですか?

x が a に近づくとき、f(x)/g(x) が 0/0 型または ∞/∞ 型になるとき、分子と分母をそれぞれ微分した f′(x)/g′(x) の極限が存在すれば、元の極限もそれと等しい、という定理です。極限の計算に便利な道具です。

ロピタルの定理を発見したのは本当にロピタルですか?

発見したのはヨハン・ベルヌーイだと考える歴史家が多数です。ロピタルは1694年にヨハンと取りきめをして、発見を教わりました。1921年に見つかった講義の写本や、のちに出版された手紙が、その根拠とされます。

ロピタルとヨハン・ベルヌーイの契約とはどんなものですか?

ロピタルは1694年3月17日の手紙で、年300リーヴルの謝礼を払う代わりに、ヨハンが数学の発見を教え、それをほかの人に教えないという取りきめを申し出ました。ヨハンはこれをすぐに受け入れたと伝わります。

ロピタルの定理は大学入試で使っていいですか?

ロピタルの定理は高校数学Ⅲの教科書の範囲外です。大学によって扱いが違い、証明なしに使うと減点される場合もあります。教科書の範囲の方法で解けるようにして、検算に使うのが安全です。

ロピタルの定理が使えない場合はありますか?

あります。0/0型でも∞/∞型でもないとき、そして微分した後の極限が存在しないときは使えません。たとえば x が無限大に行くときの (x+sin x)/x は、微分すると極限がなくなるので、定理を使えません。

ロピタルは何歳で亡くなりましたか?

1704年2月2日にパリで亡くなりました。42〜43歳でした(生まれた日がはっきりしないため)。死後の1707年に、円すい曲線の本が遺稿から出版されました。

ロピタルは「無限小解析」で何を書きましたか?

この本は、微分とは何か、曲線の接線の求め方、最大・最小、変曲点、曲率、高階の微分などを順序立てて説明した、世界初の微分の教科書です。第9章にロピタルの定理がのっています。

ロピタルは受験とどう関係しますか?

大学入試の数学Ⅲの極限の問題が、ロピタルの定理で解けることがあります。教科書の範囲外のため、答案ではテイラー展開、はさみうち、置きかえなど教科書の方法を使うのがおすすめで、ロピタルの定理は検算に向いています。

あわせて読みたい

出典・参考

  • J. J. O’Connor, E. F. Robertson, “Guillaume François Antoine Marquis de L’Hôpital”, MacTutor History of Mathematics Archive(St Andrews 大学)
  • G. de l’Hôpital, “Analyse des infiniments petits pour l’intelligence des lignes courbes”(1696年)
  • C. Truesdell, Isis誌の論文(1958年)
  • 肖像画:作者不明「Guillaume de l’Hôpital」、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年11月2日/作成:大学受験合格大作戦