タルタリアは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|3次方程式・カルダノとの争い・弾道・三角形

タルタリアは何をした人?業績・生涯・名言をわかりやすく|3次方程式・カルダノとの争い・弾道・三角形

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タルタリアTartaglia

ひとことで言うと

16世紀イタリアで3次方程式の解き方を見つけ、カルダノとの争いで知られる独学の数学者。弾道学やタルタリアの三角形でも名を残した。

名前ニコロ・フォンタナ、通称タルタリア(タルターリア、Niccolò Fontana Tartaglia)
生没年1499年ごろ(1500年説もある)〜1557年12月13日(58歳ごろ)
国イタリア(ブレシア生まれ、ヴェネツィアで活躍)
分野代数・弾道学・幾何
主な業績3次方程式の解き方(1535年)、『新しい科学』(弾道学・1537年)、ユークリッド『原論』のイタリア語訳(1543年)、『数と計測についての総論』
名前がつくものタルタリアの三角形(パスカルの三角形)・タルタリアの公式(四面体の体積)・カルダノの公式(もとはタルタリアの発見)
よばれ方タルタリア(「どもる人」の意味)・独学の数学者

このページのポイント

  • 1535年、フィオールとの公開試合で3次方程式の解き方を使って30問を解き、勝った。のちにカルダノに教えたが、本に書かれて大論争になった
  • 『新しい科学』で、砲弾の道筋は曲がっていること、45度で最も遠くに飛ぶことを述べた。ユークリッドをイタリア語に訳した
  • 3次方程式の公式から虚数が生まれた。パスカルの三角形はイタリアでタルタリアの三角形とよばれる

タルタリアは何をした人?(業績をひとことで)

ニコロ・フォンタナ、通称タルタリア(タルターリア、Tartaglia)は、16世紀のイタリアの数学者です。1499年ごろ(1500年説もあります)にブレシアで生まれ、1557年にヴェネツィアで亡くなりました。3次方程式の解き方を自力で見つけた人として知られます。そして、その解き方を教えた相手のカルダノが約束をやぶって本に書いたため、数学史に残るはげしい争いになりました。今、この解き方は「カルダノの公式」とよばれていますが、見つけた人はタルタリア(そして、その前のデル・フェロ)でした。

「タルタリア」は「どもる人」という意味のあだ名です。子どものころ、戦争で顔に大けがをして、うまく話せなくなったことから、そうよばれました。タルタリアは、このあだ名を自分の本の著者名にも使いました。貧しい家に生まれ、学校にもほとんど通えなかったタルタリアが、独学で数学者になったことも、よく知られた物語です。

タルタリアは、ほかにも大砲の弾の軌道の研究(弾道学)、ユークリッド『原論』のイタリア語訳、パスカルの三角形(イタリアでは「タルタリアの三角形」)の紹介など、多くの仕事を残しました。受験とのつながりは、3次方程式の解と係数の関係・二項定理(パスカルの三角形)・放物線とは・虚数・複素数などです。

うかるくん

うかるくん

3次方程式の解の公式って、ほんとうは2次方程式みたいに学校で習わないんですか?

合格先生

合格先生

3次方程式の解の公式はとても長く複雑なので、高校では習わないんだ。そのかわり、因数分解や解と係数の関係で解く問題が出る。ただ、「公式がある」と知っているだけで、数学の世界が広がるよ。それを見つけたのが、500年前のタルタリアなんだ。

タルタリアの肖像(16世紀の版画)
ニコロ・フォンタナ(タルタリア)の肖像(16世紀の版画)。あごひげは、けがの傷あとをかくすためだったと伝えられる画像:作者不明(16世紀の肖像画)/スミソニアン図書館・Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

タルタリアの生涯と年表

貧しい郵便配達人の子に生まれて

タルタリアは、1499年ごろ、イタリア北部の都市ブレシアで、郵便配達の仕事をしていたミケーレの子として生まれました。名前はニコロ・フォンタナ。6歳ごろに父が殺され、家は貧しくなりました。

1512年、顔に大けが

1512年、フランス軍がブレシアを攻め落とし、町じゅうで虐殺がおこりました。ニコロは母や姉とともに教会ににげこみましたが、兵士に見つかり、あごと口の中を刀で切られる大けがをします。母が手当てをして命は助かりましたが、うまく話せなくなりました。そこから「どもる人」の意味のタルタリアとよばれるようになります。のちにあごひげをのばしたのは、傷あとをかくすためだったと伝えられています。

独学の数学者へ

タルタリア自身が書いたところによると、先生にお金をはらって勉強できたのは、アルファベットの「k」まででした。そのあとは先生にはらうお金がなく、あとは独学で勉強したといいます(この話は本人が語ったことです)。やがてヴェローナで算術を教える先生になり、1534年ごろにはヴェネツィアに移って、数学の先生として名を知られるようになりました。

3次方程式、そして争い

1535年、ボローニャの数学者デル・フェロの弟子フィオールとの公開試合で、タルタリアは30問の3次方程式の問題をすべて解いて勝ちます。その後、ミラノの学者カルダノから、解き方を教えてほしいとしつこく頼まれ、1539年に、秘密にするという約束で、詩の形で教えました。ところが1545年、カルダノは約束をやぶり、『アルス・マグナ(大いなる術)』という本に解き方を書いてしまいます。タルタリアはげしく怒り、カルダノとその弟子フェラーリとの間で論争が起きました。1548年のミラノでの公開討論では、タルタリアは途中で退席し、その後、故郷ブレシアの講師の職も失ったと伝えられています。

晩年

タルタリアは、1557年12月13日、ヴェネツィアで貧しいまま亡くなりました。最後の大著『数と計測についての総論』は、亡くなったあとに完成して出版されました。

年できごと
1499年ごろブレシア(イタリア)で生まれる(1500年説もある)
1506年ごろ父が殺され、家が貧しくなる
1512年フランス軍がブレシアを攻め落とし、顔に大けがをする。「タルタリア」のあだ名のはじまり
1521年ごろヴェローナで算術を教える先生になる(年は資料によってはっきりしない)
1534年ごろヴェネツィアに移る
1535年フィオールとの公開試合で、30問すべてを解いて勝つ
1537年『新しい科学』で弾道学を発表
1539年カルダノに、3次方程式の解き方を詩で教える
1543年ユークリッド『原論』のイタリア語訳と、アルキメデスの本を出版
1545年カルダノが『アルス・マグナ』で3次方程式の解き方を公表
1548年ミラノでフェラーリと公開討論。途中で退席
1556年『数と計測についての総論』の前半を出版(パスカルの三角形をのせる)
1557年12月13日、ヴェネツィアで亡くなる

タルタリアの主な業績をやさしく解説

業績1 3次方程式の解き方を見つけた

2次方程式には解の公式がありますが、3次方程式には、16世紀はじめまで公式がありませんでした。最初に解き方を見つけたのは、ボローニャのデル・フェロ(1526年ごろに亡くなる)とされます。デル・フェロは、その方法を秘密にして、弟子のフィオールにだけ教えました。1535年、フィオールは自信満々で、タルタリアに試合を申しこみます。ところがタルタリアは、試合の直前に、フィオールの得意な型の解き方を見つけ(と伝えられます)、さらに別の型の解き方も見つけ、30問すべてを短い時間で解いて圧勝しました。

3次方程式をめぐる60年1515年ごろデル・フェロが解き方を発見(秘密)1535年30問を全部解いてフィオールに勝つ1539年カルダノに詩で教える(秘密の約束)1545年カルダノが『アルス・マグナ』で公表1548年フェラーリと公開討論(ミラノ)
3次方程式をめぐる出来事の流れ。デル・フェロの発見から、タルタリアの勝利、カルダノの公表、争いまで

タルタリアの解き方は、x3+px=qx^3+px=q という形の方程式に、x=u−vx=u-v とおくやり方です。(u−v)3+3uv(u−v)=u3−v3(u-v)^3+3uv(u-v)=u^3-v^3 という式を使うと、3uv=p3uv=p、u3−v3=qu^3-v^3=q になるように uu、vv を決めれば、x=u−vx=u-v が解になります。u3u^3 と −v3-v^3 は2次方程式の解として求まり、最後に3乗根をとります。

x=q2+(q2)2+(p3)33−−q2+(q2)2+(p3)33x=\sqrt[3]{\frac q2+\sqrt{\left(\frac q2\right)^2+\left(\frac p3\right)^3}}-\sqrt[3]{-\frac q2+\sqrt{\left(\frac q2\right)^2+\left(\frac p3\right)^3}}
3次方程式の解き方(x³+6x=20)p=6、q=20方程式 x³+px=q の形x=u−v とおくuv=p÷3=2、u³−v³=q=20u³=10+√108v³=−10+√108u=1+√3v=√3−1(3乗してたしかめる)x=u−v=2(1+√3)−(√3−1)=2確かめ:2³+6×2=8+12=20
3次方程式x³+6x=20を、x=u−vとおいて解く。uは1+√3、vは√3−1で、x=u−v=2

たとえば x3+6x=20x^3+6x=20 では、p=6p=6、q=20q=20 で、u=1+3u=1+\sqrt3、v=3−1v=\sqrt3-1 となり、x=u−v=2x=u-v=2 です(23+6×2=202^3+6\times2=20 で確かめられます)。この公式を、今は「カルダノの公式」とよびますが、カルダノが公表した形で名前がついたもので、見つけたのはデル・フェロとタルタリアです。ウマル・ハイヤームが「数だけで解く方法はあるだろうか」と問いかけてから、約450年後の発見でした。

業績2 虚数が数学に登場するきっかけ

3次方程式の公式には、おどろくべき性質がありました。たとえば x3=15x+4x^3=15x+4 は、x=4x=4 という実数の解を持っているのに、公式にあてはめると、負の数の平方根(−121\sqrt{-121} など)が途中の計算に出てきてしまうのです。当時の数学者たちは、負の数の平方根を「ありえない数」と考えていました。ところが、ボローニャのボンベッリが1572年ごろ、「この変な数を、形式的に計算すると、ちゃんと答え4が出る」ことに気づきました。

これが、虚数が数学で使われる、最初のきっかけの一つです。今では i2=−1i^2=-1 となる 虚数・複素数の意味が、高校数学Ⅱ・Ⅲで習う大切な道具になっています。書き方の決まりは、虚数 i の書き方(斜体か立体か)にも書いてあります。タルタリアたちの公式が、虚数の歴史の入口になりました。

業績3 弾道学(大砲の弾はどう飛ぶ?)

タルタリアは1537年に『新しい科学(ヌオーヴァ・シエンツァ)』という本を出し、大砲の弾の動きを数学で考えました。それまでは、古代ギリシャのアリストテレスの考えにしたがって、「弾は、はじめは直線で飛び、そのあと急に落ちる」と考えられていました。タルタリアは、弾の道筋はどの部分も曲がっていると主張しました。

砲弾の軌道:角度としずむ場所45°が最も遠い(赤)30°と60°は同じ距離75°15°・30°・45°・60°・75°(同じ速さ・空気の抵抗なし)
同じ速さで大砲を15度から75度までの角度で撃ったときの弾道。45度が最も遠く、30度と60度は同じ距離に落ちる

さらに、大砲の角度が45度のとき、弾がいちばん遠くに飛ぶと主張しました。この結論は、空気の抵抗を考えなければ正しいものです。飛ぶ距離は、速さを vv、重力加速度を gg、角度を θ\theta として、v2sin⁡2θg\dfrac{v^2\sin2\theta}{g} と表され、sin⁡2θ\sin2\theta が最大になるのは θ=45∘\theta=45^\circ のときだからです。同じ距離に落ちる2つの角度(たとえば30度と60度)があることも、グラフから分かります。タルタリアはまた、砲弾の角度を測る道具として砲手の四分儀(角度を測る目盛りつきの道具)を考えました。当時の大砲は、戦争に欠かせない道具でした。ガリレオ・ガリレイが、弾の道筋が放物線になることを1638年の本で示したのは、それから約100年後のことです。

業績4 ユークリッドとアルキメデスの翻訳

タルタリアは、ユークリッド『原論』を、ラテン語ではなくイタリア語に訳した最初の人(近代ヨーロッパの言葉への最初の翻訳)とされます(1543年)。当時、学者が読む本はふつうラテン語で書かれていて、ラテン語を知らない職人や商人は、数学を学ぶことができませんでした。タルタリアは、そうした人々にも数学を広めようと考えたのです。また、アルキメデスの著作を、ラテン語の版で出版し、アルキメデスの数学がヨーロッパで読まれるのを助けました。

業績5 パスカルの三角形(タルタリアの三角形)

タルタリアの最後の大著『数と計測についての総論』(1556年〜)には、(a+b)n(a+b)^n の展開の係数がならぶパスカルの三角形がのっています。そのため、イタリアではこの三角形が「タルタリアの三角形」ともよばれます。となりあう2つの数を足すと下の数になる、という作り方は、ハイヤームの時代から知られていました。

足し算でつくる表(三角形のもと)111111123456136101521141020355620 = 上の10 + 左の10斜めに読むと 1,3,3,1 や 1,4,6,4,1 など
左の数と上の数を足してつくる表。20は上の10と左の10の和。斜めに読むとパスカルの三角形の数のならびになる

この総論は、算術・幾何・代数・商業の計算など、当時の数学の知識をひとまとめにした大きな本でした。また、辺の長さから四面体の体積を求める公式(タルタリアの公式)もこの本にのっているとされます。二項定理(a+b)ⁿ の展開)は、いまの高校で必ず習う内容です。

タルタリアの名前がつく公式・定理・用語

  • タルタリア=カルダノの公式(カルダノの公式):3次方程式の解の公式。→ 3次方程式の解と係数の関係
  • タルタリアの三角形:パスカルの三角形のイタリアでの呼び名。→ 二項定理
  • タルタリアの公式:四面体の6つの辺の長さから、体積を求める公式(ヘロンの公式の立体版)。
  • 『新しい科学』:1537年の弾道学の本。45度で最も遠くに飛ぶことを述べた。→ 2倍角の公式(sin2θ)
  • 『数と計測についての総論』:1556年からの大著。算術・幾何・代数をまとめた。
  • タルタリア:「どもる人」という意味のあだ名。本人もこの名前を使いました。
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

タルタリアの仕事は「式を作る」→「解く」→「虚数」とつながっていくんだ。3次方程式の解と係数の関係は、受験でも定番だよ。

タルタリアの逸話と名言

カルダノに教えた詩

1539年、タルタリアはカルダノに、3次方程式の解き方を詩の形で教えました。解き方がほかの人に分かりにくいように、というくふうだったとされます。詩は、つぎのような言葉で始まります。

Quando che’l cubo con le cose appresso / Se agguaglia à qualche numero discreto

タルタリア(1539年にカルダノに送った詩の書き出し(原文はイタリア語)。訳:「立方に、未知数(ものcosa)が加わって、ある確かな数に等しいとき」)

この詩には、解き方の手順が暗号のように書かれていました。カルダノは、この詩をもとに、自分でも研究を進めました。

カルダノは約束をやぶった?

カルダノは、タルタリアに「決して公表しない」と誓った、とされます。しかし1543年、カルダノは弟子のフェラーリとボローニャにいって、デル・フェロの昔の研究ノートを見せてもらい、「デル・フェロはタルタリアより前に解き方を知っていた」ことを確かめました。そこでカルダノは、「タルタリアに誓った約束は、デル・フェロの発見には関係ない」と考え、1545年の『アルス・マグナ』にその解き方を書いた、と伝えられます。本の中では、デル・フェロとタルタリアの功績にもふれています。それでもタルタリアは納得せず、1546年の『さまざまな問いと発明』で、カルダノをはげしく非難しました。どちらの言い分がどこまで正しいのかは、今も議論されています。

ミラノでの討論

1548年8月、フェラーリはタルタリアに公開討論を申しこみ、ミラノで行われました。しかし、討論の最中に、タルタリアはどうも調子が出ず、途中で席をたって、ミラノを去ったと伝えられます。人々は、フェラーリが勝ったと見ました。タルタリアの評判は大きく傷つき、その後の生活にも影響したとされます。タルタリアの側にも言い分があったはずで、一方的に断定はできないと考える歴史家もいます。

どもる人の本名は?

タルタリアは、自分の本にも「タルタリア」と署名しました。本名のフォンタナ(泉の意味)は、あまり使いませんでした。傷によるあだ名を、自分のペンネームとして堂々と使ったことは、タルタリアの強い心を物語っています。

サクラちゃん

サクラちゃん

タルタリアさん、せっかく見つけたのに、取られちゃってかわいそう……。

合格先生

合格先生

そうだね。でも発見した人がだれかは、本にいつ書いたかで残りやすいんだ。研究したことは、ちゃんとノートや論文に残して、日付を入れておくことが大切だよ。受験勉強でも、間違えたところを書き残すと、あとで宝になるよ。

受験・勉強とタルタリアのつながり

中学受験:規則性・パスカルの三角形・場合の数

中学受験では、パスカルの三角形のような規則性の問題がよく出ます。となりあう数の和でつくる表(たとえば最短経路の数を調べる問題)は、タルタリアの三角形そのものです。碁盤の目の道を通る最短経路の数を、交差点ごとに足していく解き方は、パスカルの三角形を使っています。

高校受験:放物線と二次関数・式の展開

高校受験では、放物線と直線の問題が頻出です。タルタリアが調べた砲弾の軌道は放物線で、y=ax2y=ax^2 のグラフと同じ形です。また、式の展開 (a+b)2(a+b)^2 や (a+b)3(a+b)^3 の係数は、パスカルの三角形の1・2・1、1・3・3・1と同じです。

大学受験:3次方程式・二項定理・複素数・三角関数

  • 数学II:3次方程式:因数分解、解と係数の関係、虚数解。→ 解と係数の関係
  • 数学II・A:二項定理:(a+b)n(a+b)^n の展開、nCr_nC_r。→ 二項定理
  • 数学II・C:複素数・複素数平面:虚数 ii、ド・モアブルの定理。→ 複素数の意味
  • 数学II:三角関数:sin⁡2θ=2sin⁡θcos⁡θ\sin2\theta=2\sin\theta\cos\theta を使った最大値問題。→ 2倍角の公式

とくに、3次方程式をx=u−vx=u-v の形に置くタルタリアの方法は、大学入試でも、「置き換えて2次方程式に直す」問題としてときどき登場します。京大理系数学の出題分析(方程式・複素数の出方)も見てみましょう。

勉強法として:「ひとつ上の道具」を探す

タルタリアは、3次方程式を、2次方程式(解の公式)というすでに知っている道具に変えて解きました。これは受験でも使える考え方です。新しい問題に出会ったら、「すでに知っている形に変えられないか」と考える。置きかえ・変形・図にする、といった工夫をためしてみましょう。数学の勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)にまとめてあります。

タルタリアがその後の数学にあたえた影響

  • 代数学の大発展:3次方程式の解き方は、弟子のフェラーリによる4次方程式の解き方につながりました。その後、5次以上の方程式は解の公式がないことを、アーベルとガロアの理論が証明しました(約300年後)。
  • 虚数のはじまり:3次方程式の公式から虚数が生まれ、のちにオイラーやガウスの業績によって、複素数が確かなものになりました。
  • 弾道学・物理学:弾の軌道を数学で考えた『新しい科学』は、のちの運動の研究に影響しました。ガリレオ・ガリレイが弾道を放物線と示したのは、約100年後(1638年)のことです。
  • 数学の公開と競争:公開試合や論争は、数学者が自分の発見を守り、発表の優先権を主張する習慣を生みました。
  • やさしい言葉での数学:ラテン語でなくイタリア語で本を書いたことは、数学を広く普及させる道を開きました。

タルタリアに挑戦!練習問題

やさしい

  1. 3次方程式 x³+6x=20 に x=2 を代入して、成り立つか確かめなさい。
    答えと解説を見る左辺=2³+6×2=8+12=20=右辺。成り立つので x=2 は解です。
  2. 同じ速さで大砲を30°と60°の角度で撃つとき、飛ぶ距離はどちらが大きいですか。飛ぶ距離は sin2θ に比例します。
    答えと解説を見るsin60°=√3/2、sin120°=√3/2 で等しいので、30°も60°も同じ距離です。(sin2θ が同じ値になる)

ふつう

  1. (x+1)⁴ を展開したとき、x² の係数を、パスカルの三角形を使って求めなさい。
    答えと解説を見る4段目の係数は 1, 4, 6, 4, 1。x⁴, x³, x², x, 1 の順なので、x² の係数は6。(₄C₂=6)
  2. (1+√3)³ を展開して整理しなさい。
    答えと解説を見る(1+√3)³=1+3√3+3×3+(√3)³=1+3√3+9+3√3=10+6√3。(これが x³+6x=20 の解き方に出てくる u³ です)

むずかしい

  1. x³+3x=14 を、x=u−v、uv=1、u³−v³=14 とおいて解きなさい。ヒント:u=1+√2、v=√2−1 を確かめる。
    答えと解説を見るu³=(1+√2)³=1+3√2+6+2√2=7+5√2。v³=(√2−1)³=2√2−6+3√2−1=5√2−7。u³−v³=14 ✓。uv=(1+√2)(√2−1)=2−1=1 ✓。よって x=u−v=(1+√2)−(√2−1)=2。確かめ:8+6=14。
  2. 砲弾の飛ぶ距離が R=1000 sin2θ(m)と表されるとき、θ=15°、45°、75° の飛ぶ距離をそれぞれ求めなさい。
    答えと解説を見るθ=15° → 1000 sin30°=500m。θ=45° → 1000 sin90°=1000m。θ=75° → 1000 sin150°=500m。45°が最大で、15°と75°は同じ距離です。

タルタリアと関係する数学者

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16〜17世紀の数学者

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読みもの(合格大作戦の数学の記事)

よくある質問

タルタリアは何をした人ですか?

タルタリアは、16世紀のイタリアの数学者です。3次方程式の解き方を見つけ、カルダノとの争いで有名になりました。ほかにも大砲の弾の軌道(弾道学)の研究、ユークリッドのイタリア語訳、パスカルの三角形(タルタリアの三角形)で知られます。

タルタリアという名前の意味は?

「どもる人」という意味のあだ名です。1512年にフランス軍がブレシアを攻めた時、あごと口に大けがをして話しにくくなったことから、そうよばれました。本名はニコロ・フォンタナで、本人もタルタリアの名前を自分の本に使いました。

タルタリアはいつの時代の人ですか?

1499年ごろ(1500年説もあります)に生まれ、1557年に亡くなったイタリア・ルネサンス期の人です。ブレシアで生まれ、ヴェローナやヴェネツィアで数学を教え、貧しいままヴェネツィアで亡くなりました。

3次方程式の解の公式はだれが見つけましたか?

最初に見つけたのはボローニャのデル・フェロ(1526年ごろに亡くなる)とされます。タルタリアは1535年に独自に見つけ、それをカルダノに教え、カルダノが1545年に『アルス・マグナ』で公表しました。公式は「カルダノの公式」とよばれます。

タルタリアとカルダノは何で争ったのですか?

タルタリアは、秘密にするという約束で3次方程式の解き方をカルダノに教えましたが、カルダノが1545年の本で公表したため、はげしく怒りました。カルダノ側は、デル・フェロの先行研究を知ったので約束は関係ないと考えたとされます。

タルタリアの三角形とは何ですか?

パスカルの三角形のイタリアでの呼び名です。となりあう2つの数を足すと下の数になる三角形で、(a+b)ⁿ を展開したときの係数がならびます。タルタリアの『数と計測についての総論』にのっているため、そうよばれます。

タルタリアの弾道学の業績は何ですか?

1537年の『新しい科学』で、砲弾の道筋はどの部分も曲がっていること、大砲の角度が45度のとき最も遠くに飛ぶことを述べました。空気の抵抗を考えなければ、45度で最も遠くに飛ぶという結論は正しいものです。

3次方程式の公式から虚数が生まれたのはなぜですか?

3次方程式のなかには、x³=15x+4 のように実数の解が4とはっきりあるのに、公式で計算する途中に負の数の平方根が出るものがあります。ボンベッリは、これを形式的に計算すると答えが出ることに気づき、虚数が使われるきっかけとなりました。

タルタリアの有名な言葉はありますか?

1539年にカルダノに送った3次方程式の解き方の詩が有名です。「立方(の項)とそのものが、ある数に等しいとき……」という言葉で始まります。解き方を詩の形で伝えたことは、秘密にするためのくふうだったとされます。

タルタリアと受験の関係は?

3次方程式の解と係数の関係(数学II)、パスカルの三角形・二項定理(数学II・A)、放物線のグラフ、複素数(虚数)、sin2θの最大値の問題などが関係します。中学受験の最短経路の数の問題も、三角形の考え方を使います。

あわせて読みたい

出典・参考

  • J. J. O’Connor and E. F. Robertson, “Niccolò Fontana Tartaglia”, MacTutor History of Mathematics Archive(セント・アンドリュース大学)
  • Niccolò Tartaglia, “Nova Scientia”(1537年)、“Quesiti et inventioni diverse”(1546年)、“General Trattato di numeri et misure”(1556年)
  • Girolamo Cardano, “Ars Magna”(1545年)
  • 肖像画:「Niccolò Tartaglia」(16世紀の版画)、スミソニアン図書館・Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

最終更新:2026年11月2日/作成:大学受験合格大作戦