秦九韶は何をした人?業績・生涯・逸話をわかりやすく|数書九章・大衍求一術・剰余定理・三斜求積術

秦九韶は何をした人?業績・生涯・逸話をわかりやすく|数書九章・大衍求一術・剰余定理・三斜求積術

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秦九韶Qin Jiushao

ひとことで言うと

南宋の数学者で、『数書九章』(1247年)の著者。中国の剰余定理にあたる大衍求一術、ホーナー法にあたる高次方程式の解法、ヘロンの公式と同じ形の三斜求積術を残した。

名前秦九韶(しん きゅうしょう。Qin Jiushao)。字は道古
生没年1202年説・1208年説〜1261年説・1268年説(生没年とも説が分かれる)
国中国(南宋)。四川省の安岳の出身。晩年は梅州(広東省)
分野代数・数論・暦学・測量
主な業績『数書九章』(1247年)、大衍求一術(連立合同式の解き方)、増乗開方法(高次方程式の数値解法)、三斜求積術(3辺から面積)、遥度円城の問題
名前がつくもの秦九韶の公式(三斜求積術)、秦九韶のアルゴリズム(ホーナー法の別名として使われることがある)
よばれ方中国の剰余定理・ホーナー法の先駆者

このページのポイント

  • 大衍求一術で、割る数が互いに素でない場合もふくむ連立合同式を解く方法を示した。西洋でガウスが同じ内容を整理したのは約550年後
  • 高次方程式を1けたずつ解く増乗開方法(のちの西洋のルフィニ=ホーナー法にあたる)を、一般の方程式に使えるように整えた
  • 3辺から面積を求める三斜求積術(ヘロンの公式と同じ形)を書いた。人柄については、同時代の人のきびしい記録もある

秦九韶は何をした人?(業績をひとことで)

秦九韶(しん きゅうしょう、1202年または1208年ごろ〜1261年または1268年ごろ)は、中国・南宋(なんそう)の数学者です。1247年に『数書九章』(すうしょ きゅうしょう)という数学書を書き、連立合同式の解き方(大衍求一術)、高次方程式の数値解法(のちの西洋のホーナー法にあたる方法)、三角形の3辺から面積を出す公式(ヘロンの公式と同じ形)などを残しました。

とくに有名なのは大衍求一術です。「3で割ると2余り、5で割ると3余り、7で割ると2余る数は?」のような問題を、どんな数の組でも解けるようにした方法で、現代の数学では中国の剰余定理とよばれる内容にあたります。ヨーロッパで同じ内容が示されたのは、ガウスの『整数論の研究』(1801年)のころとされるので、約550年も早い仕事でした。

一方で、秦九韶は、数学の天才であると同時に、かなりの問題人物でもあったと伝えられます。役人としての評判は悪く、同時代の人の記録には、きびしい悪口がならんでいます。「天才と人柄は別」という、おもしろい例です。

大学受験や中学受験でも、秦九韶の仕事とつながる内容がたくさん出ます。中国の剰余定理の解き方、合同式(mod の計算)、三角形の面積(ヘロンの公式)などです。

うかるくん

うかるくん

800年近く前の中国に、そんな数学があったんですか? ヨーロッパよりずっと進んでいたんですね。

合格先生

合格先生

そうなんだ。宋の時代の中国は、数学が世界の最先端のひとつだった。秦九韶は、その集大成のような人。ただし、人柄については、きびしい記録も残っているんだ。あとで紹介するよ。

『数書九章』にのっている「遥度円城図」(遠くから円い城のまわりを測る問題の図)
『数書九章』の「遥度円城図」。円い城の外から、城の大きさ(直径)を測る問題の図です。この問題は、10次の方程式になり、答えは直径9里とされます画像:『数書九章』(宜稼堂本)「遥度円城図」/Wikimedia Commons(File:Measuring round town from afar-SSJZ.jpg、パブリックドメイン)

秦九韶の生涯と年表

四川の安岳に生まれる

秦九韶は、普州安岳県(今の中国・四川省安岳県)で生まれたとされます。字(あざな、成人後の名前)は道古です。生まれた年は、1202年とする資料と、1208年とする資料があり、はっきりしません。亡くなった年も、1261年ごろとする説と、1268年ごろとする説があります(日本語版ウィキペディアは1208〜1268年、ほかの資料に1202〜1261年とするものがあります)。どちらか一方に決められないので、このページでは両方の説を並べて書いています。

都の太史局で数学・暦学を学ぶ

秦九韶の父は、官僚の秦季槱(しん きゆう)でした。父が南宋の都・臨安(りんあん、今の杭州)に赴任したとき、秦九韶は、朝廷の太史局(天文・暦をつかさどる役所)で、数学や天文学を学んだとされます。当時の暦づくりは、高度な数学の知識が必要でした。

役人として各地へ

秦九韶は、梓州(四川省)の県の役人などをへて、1244年(淳祐4年)には建康府(今の南京)の副長官にあたる役につきました。そのころ、母が亡くなり、親の喪にふくすため(当時の決まりでした)、役所をいったん辞めました。

『数書九章』を完成:1247年

この喪中の期間に、秦九韶は、長年の数学の研究を一冊の本にまとめました。それが『数書九章』で、1247年(淳祐7年)の9月に完成したとされます。全18巻、九つの分類にわかれています。のちに『数学九章』『数書九章』などの名前でよばれます。

晩年:左遷と死

その後、秦九韶は、1254年ごろには長江ぞいの軍の役所の参議になり、政争に巻きこまれたとされます。1259年には、瓊州(今の海南島)の役人を、わずか100日ほどで、不正と重い取り立てを理由に辞めさせられた、という記録があります。1260年ごろには梅州(今の広東省梅州市)へ左遷され、そこで病気のため亡くなった、とされます。

年できごと
1世紀ごろヘロンが三角形の面積の公式を書く(秦九韶の三斜求積術と同じ形)
4〜5世紀ごろ『孫子算経』に「物不知数」(3で割ると2余り…)の問題がのる(大衍求一術のもと)
1202年または1208年秦九韶が四川省の安岳に生まれる(1202年説・1208年説)
1244年建康府の副長官になる。母の死で喪にふくす(淳祐4年)
1247年『数書九章』が完成する(淳祐7年9月)。全18巻・九類
1254年ごろ長江ぞいの軍の役所の参議となる
1259年瓊州の役人を、不正を理由に辞めさせられたとされる
1260年ごろ梅州に左遷され、まもなく亡くなる(没年は1261年ごろ、または1268年ごろとされる)
1801年ガウスが『整数論の研究』で合同式と剰余の理論を整える
1819年ホーナーが高次方程式の解法を発表(秦九韶の方法と同じしくみ)

秦九韶の主な業績をやさしく解説

業績1 大衍求一術:連立合同式の解き方

「3で割ると2余り、5で割ると3余り、7で割ると2余る数はいくつ?」という問題を考えます。これは、古い数学書『孫子算経』(4〜5世紀ごろとされます)にのっている有名な問題で、「物不知数」(ものの数がわからない)とよばれます。答えは23です。

3で割ると2、5で割ると3、7で割ると2余る数数÷3の余り÷5の余り÷7の余り22 ○22 ○9042 ○16112 ○232 ○3 ○2 ○30002 ○37122 ○7で割って2余る数を順にならべ、3つの条件を確かめる3つとも○になる最小の数が 23
3で割ると2余り、5で割ると3余り、7で割ると2余る数をさがす表。7で割って2余る数2・9・16・23・30・37のうち、3つの条件がすべてそろうのは23だけ

図のように、ひとつずつ確かめていくこともできますが、数が大きくなると大変です。『孫子算経』の方法は、この「3・5・7」だけに使える方法でした。秦九韶は、これをどんな数の組にも使える一般の方法にして、『数書九章』の最初の巻に書きました。それが大衍求一術(たいえんきゅういつじゅつ)です。

大衍求一術のしくみは、次のとおりです。

  1. 割る数どうし(3・5・7)の積(105)を考える。
  2. それぞれの割る数について、ほかの2つの積(5×7=35、3×7=21、3×5=15)を使う。
  3. この数が、その割る数で割ると余りが1になるような倍数を探す。これが「求一」(1を求める)の部分です。
  4. 余りの条件に合わせて足し合わせ、105で割った余りをとる。
大衍求一術のしくみ(23を求める)他の2つの数の積(35・21・15)を使うmod 3:相手の積 3535÷3 余り 22k≡1 → k=22×35×2=140mod 5:相手の積 2121÷5 余り 11k≡1 → k=13×21×1=63mod 7:相手の積 1515÷7 余り 11k≡1 → k=12×15×1=30140+63+30=233233÷105 の余り = 23
3と5と7で割った余りの条件から、他の2つの積35・21・15の倍数を使って140・63・30を作り、足した233を105で割った余り23が答えになる

4番目の「求一」にあたる部分は、ユークリッドの互除法と同じ種類の計算で行います。秦九韶は、割る数どうしが互いに素でない場合(たとえば12と18のように、共通の約数がある場合)にも使えるように、方法を工夫した、とされます。これは、現代の中国の剰余定理の、より一般的な形にあたります。

西洋では、ガウス(合同式の整数論)が1801年の『整数論の研究』で、同じ内容を整理して発表しました。秦九韶の方法は、それより約550年も前のものです。日本でも、和算家が「翦管術」(せんかんじゅつ)の名前でこの方法を研究し、関孝和(和算の祖)も剰余の問題を研究したとされます。くわしくは合同式(mod の計算)、1次不定方程式(整数解)、ユークリッドの互除法も見てください。

業績2 高次方程式の数値解法:ホーナー法にあたる方法

3次、4次、5次…のように次数が高い方程式は、解の公式がないことも多く、数値で近づいていく方法が必要です。秦九韶は『数書九章』で、「増乗開方法」(ぞうじょうかいほうほう)という方法を使って、3次・4次、さらに高い次数の方程式の正の解を、1けたずつ求めていきました。

その方法は、「2を足してかける」計算(組立除法とよばれる計算)を何度もくり返すものです。図で、x3−6x2+11x−6x^3-6x^2+11x-6 の例を見てみましょう。

増乗開方法(組立除法をくり返す)x³ − 6x² + 11x − 6 を、x を x+2 に置きかえる1−611−6もとの係数1−4301回目1−2−12回目103回目各行:2を足してかける右がわの数(0、−1、0)と最初の1からx³ + 0x² − 1x + 0 = x³ − x
x³−6x²+11x−6のxをx+2に置きかえた式の係数を、2を足してかける計算を3回くり返して求める図。結果は係数1、0、−1、0でx³−xになる

この計算をすると、元の式の xx を x+2x+2 に置きかえた式が、x3−xx^3-x になることが分かります。これを、「解の1けた目」を決めるたびにくり返すのが、増乗開方法です。たとえば解が「2.37…」ならば、まず2を引き、次に0.3を引き、…とするたびに、式の係数がつくりかえられ、解に近づいていきます。

この方法は、西洋では、ルフィニ(1804年)やホーナー(1819年)の名前で知られます(ルフィニ=ホーナー法)。秦九韶の『数書九章』(1247年)は、それより約570年も前です。ただし、この方法のもとは、11世紀の賈憲など、秦九韶より前の中国の数学者が考えていたとされ、秦九韶は、それを一般の方程式に使えるように整えた人と考えられています。

『数書九章』の、3次方程式を算籌(数の棒)で書いて解く図
『数書九章』の「正負開方三乗方図」。算籌(さんちゅう、数をあらわす棒)の形で、方程式の係数をならべています。正の数と負の数は、色や棒のむきで区別されます画像:『数書九章』(宜稼堂本)「正負開方三乗方図」/Wikimedia Commons(File:Third order equation-Shu-shu-jiu-zhang.jpg、パブリックドメイン)

この方法の計算は、現代の剰余の定理・因数定理や、恒等式の考え方の考え方に通じます。「xx に値を代入したときの余り」を、すばやく求める道具としても使えます。

業績3 三斜求積術:3辺から三角形の面積を求める

三角形の3つの辺の長さだけが分かっているとき、面積を求める公式があります。古代ギリシャのヘロン(三角形の面積の公式)が書いたことで知られる「ヘロンの公式」です。じつは、秦九韶も、これと同じ形の公式を『数書九章』に書いています。これが三斜求積術です。

三角形の3辺を、小斜aa、中斜bb、大斜cc(それぞれ短い辺、中くらいの辺、長い辺)とすると、面積 SS は次の式で求められます。

S=14[a2c2−(c2+a2−b22)2]S=\sqrt{\frac14\left[a^2c^2-\left(\frac{c^2+a^2-b^2}{2}\right)^2\right]}
三斜求積術:3辺から面積14(中斜)13(小斜)15(大斜)¼ ×(13²×15² − ((15²+13²−14²)÷2)²)= ¼ ×(38025 − 99²)= ¼ × 28224 = 7056面積 = √7056 = 84
3辺が13、14、15の三角形で、秦九韶の三斜求積術を使うと面積が84になる

図の例では、a=13a=13、b=14b=14、c=15c=15 で、面積は84です。この式は、ヘロンの公式 S=s(s−a)(s−b)(s−c)S=\sqrt{s(s-a)(s-b)(s-c)}(ss は3辺の和の半分)と式の形はちがいますが、同じ値になります。じつは、三角形の面積(ヘロンの公式)の問題は、中学受験・高校受験・大学受験のどの段階でも出ます。2つの公式を見比べるのも、おもしろい勉強になります。

業績4 『数書九章』:暮らしと政治の算数を集めた本

『数書九章』は、九つの分類(九類)にわかれた、全18巻の本です。それぞれの分類は、ほぼ9つの問題から成り、全部で81問ほどの問題がのっている、とされます。

『数書九章』の九つの分類大衍類剰余・暦天時類暦・雨雪田域類土地・面積測望類測量賦役類税・労役銭穀類お金・穀物営建類建築軍旅類軍事市易類商い全18巻・九類。暮らしと政治の算数がつまっている
数書九章の九類。大衍類(剰余)、天時類(暦・雨雪)、田域類(土地)、測望類(測量)、賦役類(税)、銭穀類(お金・穀物)、営建類(建築)、軍旅類(軍事)、市易類(商い)

最初の2類は、暦と天文にかかわる問題で、前半の「大衍類」が剰余の問題、「天時類」が雨や雪の量を測る問題です。残りの7類は、土地の面積、測量、税、お金、建築、軍事、商いなど、実際の役所の仕事に必要な計算を扱っています。たとえば、「雨がふって、円筒形の容器に水が何センチたまるか」といった、現実的な問題があります。

また、『数書九章』では、0(ゼロ)を小さな円「〇」で書くことも行われていた、とされます。ゼロの歴史は0(ゼロ)の発見と歴史でくわしく読めます。

業績5 遥度円城:10次方程式を解く測量問題

『数書九章』には、とても有名な測量の問題があります。「遥度円城」(円い城を遠くから測る)という問題です。円形の城壁に、東西南北の4つの門があり、城の外のある地点から、城の大きさ(直径)を測る、という内容です。

この問題は、式を整理すると10次の方程式(x2x^2 を変数と見れば5次の方程式)になるとされます。秦九韶は、これを増乗開方法で解き、x=3x=3、つまり城の直径は9里という答えを出した、とされます。10次の方程式を解く、という計算力に、ただ驚かされます。ページの最初の図は、この問題の図です。

秦九韶の名前がつく公式・定理・用語

現代の教科書に、「秦九韶の公式」という名前はあまり出てきません。けれど、数学の世界には、秦九韶の名前がついたものがあります。

  • 秦九韶の公式:三角形の3辺から面積を求める公式(三斜求積術)。ヘロンの公式と同じ値になる式。(→ 三角形の面積(ヘロンの公式))
  • 大衍求一術:連立合同式の解き方。現代の中国の剰余定理にあたる。(→ 中国の剰余定理)
  • 増乗開方法:高次方程式の数値解法。ルフィニ=ホーナー法にあたる。(→ 剰余の定理・因数定理)
  • 物不知数:「3で割ると2余り、5で割ると3余り…」の形の問題の名前。『孫子算経』に由来する。
  • 『数書九章』:秦九韶の著書。1247年に完成。
  • 翦管術(せんかんじゅつ):日本の和算で、大衍求一術にあたる方法をよんだ名前。
  • 合同式:剰余の関係を式にあらわしたもの。(→ 合同とは)
「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

「割った余りの条件から、数を求める」のが、中国の剰余定理だよ。まず小さい数を順にためして、パターンを見つけるのが基本。秦九韶は、その一般の方法を作ったんだね。

秦九韶の逸話と名言

とても多才な人だった

秦九韶は、数学だけでなく、詩、剣術、弓、乗馬、音楽、建築にもすぐれていたと伝えられます。当時の読書人(知識人)としては、理想的な教養人ともいえます。『数書九章』の序文にも、数学を「天地の大きなきまりに通じるもの」と考える、ひろい視野が書かれています。

若いころは、やんちゃだった

若いころの秦九韶は、反抗的で、恋愛のうわさも多かったと伝えられます。ある宴会の席で、石が客のあいだに飛んできたことがあり、調べると、秦九韶が、少女に「ひも投げ(投石器)」の使い方を教えていたためだった、という話も伝えられます。

同時代の人が書いた、きびしい悪口

秦九韶の人物について、同時代の人が書いた記録には、とてもきびしい悪口がならんでいます。ある人は、「乱暴で毒をもつ人物」と書き、トラ、オオカミ、マムシ、サソリにたとえたといいます。また、塩の不正な取引で財をなした、軍の反乱を招いた、気に入らない人を毒殺しようとした、といった話も伝えられます。ただし、これらは敵対する人の記録でもあるため、本当かどうかは分かりません。「そういう評判があった」という範囲で読む必要があります。

友人の土地をだました?

ほかにも、友人の呉潜(ご せん)をだまして、土地を手に入れたとか、家族の女性を食べ物も与えずに閉じこめたとか、といった話も伝えられます。これらも、確かな資料で確かめられているわけではありません。

数学の天才と、人柄のちがい

以上のような話を信じるなら、秦九韶は、数学の才能は一流、人柄は問題だらけの人物ということになります。けれど、数学の業績の価値は、人柄によって変わりません。大衍求一術や増乗開方法は、世界の数学史にのこる大きな仕事です。「人としての評価」と「仕事の評価」を分けて考えるきっかけにもなります。

数は、天地の大きなきまりにつながっている。

『数書九章』序文の趣旨(現代語のまとめ)(原文をそのまま引用したものではなく、序文の趣旨を現代の言葉でまとめたものです。正確な言いまわしは確かめていません)
サクラちゃん

サクラちゃん

性格に問題がある人の業績を、そのまま認めていいんでしょうか?

合格先生

合格先生

いい質問だね。数学の定理は、だれが見つけても正しいものは正しい。だから業績は業績として学ぶ。そのうえで、人の行いは行いとして、別に考えるのが大切なんだ。

受験・勉強と秦九韶のつながり

中学受験:「あまりのある数」の問題

中学受験の算数には、「3で割ると2余り、5で割ると3余る数は?」のような、余りの問題がよく出ます。これは、まさに大衍求一術の入口です。余りの問題の解き方と和差算の解き方で練習しましょう。小さい数を順にためしていくのが基本です。

高校受験:三角形の面積

高校受験の図形問題では、3辺がわかっている三角形の面積を求めることがあります。13・14・15のような、整数で面積が出る三角形はよく出題されます。三角形の面積(ヘロンの公式)を知っていると、高さを求める手間をはぶけます。

大学受験:合同式・方程式・剰余の定理

  • 合同式:整数問題で、「nn を7で割った余りは2」のような条件を、n≡2(mod7)n\equiv 2 \pmod 7 と書きます。合同式(mod の計算)は、大学入試の整数問題の必須道具です。
  • 中国の剰余定理:2つ以上の余りの条件を、1つの式にまとめる定理です。中国の剰余定理で練習しましょう。
  • 高次方程式:数学IIで、因数定理を使って3次・4次方程式の解を求めます。剰余の定理・因数定理の考え方は、増乗開方法と同じ種類の計算です。
  • ヘロンの公式:数学Aの図形の性質や、数学Ⅱの三角比で、三角形の面積を3辺から求める問題が出ます。
  • ユークリッドの互除法:1次不定方程式の整数解を求めるときに使います。ユークリッドの互除法は、大衍求一術の「求一」の部分と同じ計算です。

勉強法として:「条件を順に絞る」

大衍求一術の考え方は、条件を1つずつ絞りこむというものです。余りの問題では、「7で割って2余る数」をまず書き出し、その中から「5で割って3余る数」を選び、さらに「3で割って2余る数」を選びます。1度に全部の条件を考えようとせず、1つずつ絞るのは、整数問題に限らず、すべての勉強に役立つ方法です。勉強の進め方は数学の勉強法(解法の暗記→演習→過去問)、京大の整数問題の対策は京大理系数学の出題分析と対策も参考にしてください。

秦九韶がその後の数学にあたえた影響

  • 中国の数学の頂点:宋・元の時代の中国は、数学が大きく発展しました。秦九韶の『数書九章』は、劉徽(『九章算術』の注釈者)以来の中国数学の集大成のひとつです。
  • 日本の和算へ:秦九韶の大衍求一術は、日本では「翦管術」とよばれ、関孝和(和算の祖)らが研究しました。中国の数学書は、江戸時代の日本の数学に大きな影響をあたえました。
  • 世界の数学史での評価:中国の剰余定理や、ホーナー法にあたる方法を、西洋より数百年早く、一般的な形で使いこなしていた点が、世界の数学史で高く評価されています。
  • 「中国の剰余定理」という名前:西洋の数学者が、中国の問題(『孫子算経』のもの)の名前をとって、中国の剰余定理と名づけました。秦九韶の仕事が、世界の数学の中で認められた証といえます。

秦九韶の数学を見ていると、数学は、役人の仕事や暮らしの必要から生まれることがよく分かります。暦をつくる、土地を測る、税を計算する。そうした具体的な問題を解くために、剰余の計算も、高次方程式の解法も、生まれました。ユークリッド(互除法の祖)がギリシャで作った互除法と、秦九韶が中国で使った「求一」は、同じ種類の計算です。遠く離れた2つの文明で、似た道具が生まれていたのです。

フィボナッチ(算盤の書の著者)がヨーロッパにアラビア数字を広めたのと、ほぼ同じ時代、中国では秦九韶が『数書九章』を書いていました。13世紀は、世界のあちこちで、数学が大きく進んだ時代でした。

秦九韶に挑戦!練習問題

やさしい

  1. 3で割ると2余り、5で割ると3余り、7で割ると2余る最小の正の整数を求めなさい。
    答えと解説を見る7で割って2余る数は2、9、16、23、…。このうち5で割って3余るのは23(23÷5=4余り3)。さらに23÷3=7余り2で、3の条件も合います。答えは23。
  2. 3辺が3、4、5の直角三角形の面積を、三斜求積術の式 √(¼[a²c²−((c²+a²−b²)/2)²]) で求めなさい。(a=3、b=4、c=5)
    答えと解説を見るa²c²=9×25=225。(25+9−16)÷2=9、その2乗は81。225−81=144。¼×144=36。√36=6。(底辺3×高さ4÷2=6と一致します)

ふつう

  1. 2で割ると1余り、3で割ると2余り、5で割ると3余る最小の正の整数を求めなさい。
    答えと解説を見る5で割って3余る数は3、8、13、18、23、28、…。3で割って2余るのは8、23、…。そのうち2で割って1余る(奇数)のは23。答えは23。(2×3×5=30ごとに同じ条件になります)
  2. x³−6x²+11x−6 の x に x+2 を代入して整理した式を求めなさい。
    答えと解説を見る(x+2−1)(x+2−2)(x+2−3)=(x+1)x(x−1)=x³−x。(元の式は(x−1)(x−2)(x−3)と因数分解できます)

むずかしい

  1. 3辺が13、14、15の三角形の面積を、ヘロンの公式で求めなさい。
    答えと解説を見るs=(13+14+15)÷2=21。面積=√(21×8×7×6)=√7056=84。(秦九韶の公式でも同じ値になります)
  2. n を7で割ると3余り、n を5で割ると2余ります。n の最小の正の整数を求めなさい。
    答えと解説を見る7で割って3余る数は3、10、17、24、31、…。このうち5で割って2余るのは17(17÷5=3余り2)。答えは17。(35ごとに同じ条件になります)

秦九韶と関係する数学者

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よくある質問

秦九韶は何をした人ですか?

秦九韶は、中国・南宋の数学者です。1247年に『数書九章』を書き、中国の剰余定理にあたる大衍求一術、高次方程式の数値解法、三角形の3辺から面積を出す三斜求積術などを示しました。

秦九韶はなぜ有名なのですか?

西洋より数百年早く、中国の剰余定理や、ホーナー法にあたる方程式の解法を、一般的な形で使いこなしていたからです。三斜求積術も、ヘロンの公式と同じ形の式として知られます。

秦九韶は何年に生まれ、何歳で亡くなりましたか?

生年は1202年説と1208年説があり、はっきりしません。亡くなったのは1261年ごろとする説と1268年ごろとする説があります。そのため享年も、50代前半から60代なかばまでの幅があり、はっきり言えません。

大衍求一術とは何ですか?

「3で割ると2余り、5で割ると3余り…」のような、複数の余りの条件を満たす数を求める方法です。現代の中国の剰余定理にあたり、割る数が互いに素でない場合にも使えるように工夫されました。日本では翦管術とよばれました。

秦九韶の公式とは何ですか?

三角形の3辺の長さから面積を求める、三斜求積術の式です。小斜a、中斜b、大斜cとして、S=√{¼[a²c²−((c²+a²−b²)/2)²]}と書きます。ヘロンの公式と同じ値になります。

増乗開方法とは何ですか?

高次方程式の解を、1けたずつ求めていく方法です。「2を足してかける」計算をくり返します。西洋ではルフィニ(1804年)やホーナー(1819年)の名で知られ、秦九韶の時代(1247年)よりずっとあとです。

秦九韶についての「悪い評判」は本当ですか?

同時代の人の記録には、乱暴で不正をしたという、きびしい悪口があります。ただし、敵対する人の記録でもあり、確かな資料で確かめられているわけではありません。数学の業績の価値は、人柄の評判と別に考えられます。

『数書九章』とはどんな本ですか?

1247年に完成した全18巻の数学書です。九つの分類(大衍類・天時類・田域類・測望類・賦役類・銭穀類・営建類・軍旅類・市易類)にわかれ、暦・土地・測量・税・建築・軍事・商いの実用的な問題がのっています。

秦九韶の仕事は、受験にどう関係しますか?

名前が入試に出ることはまれですが、余りの問題(中学受験)、3辺から面積を求める問題、合同式・中国の剰余定理・因数定理・ユークリッドの互除法(大学受験)は、秦九韶の仕事とつながる定番の内容です。

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出典・参考

  • MacTutor History of Mathematics「Qin Jiushao」(セント・アンドルーズ大学)
  • 日本語版ウィキペディア「秦九韶」、コトバンク「秦九韶」
  • 秦九韶『数書九章』(1247年)
  • 図版:『数書九章』(宜稼堂本)の「遥度円城図」「正負開方三乗方図」、Wikimedia Commons(ともにパブリックドメイン)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦