世界史用語集 › 第3章 古代ローマ
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共和政ローマきょうわせいろーま
重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)
ひとことで言うと
共和政ローマとは、前509年ごろ王を追放して始まり、前27年まで続いたローマの政治です。市民が選ぶコンスル(執政官)2人と元老院・民会が国を治め、身分闘争を経て平民の権利が広がり、地中海へ勢力を広げました。
| 読み方 | きょうわせいろーま |
|---|---|
| 英語 | Roman Republic(ラテン語 res publica) |
| 時代 | 前509年ごろ〜前27年(伝承による。約480年) |
| 地域 | ローマ |
| 章 | 第3章 古代ローマ |
| 日本語 | 共和政ローマ(共和制ローマ) |
| 期間 | 前509年ごろ〜前27年 |
| 政治のしくみ | コンスル2人(任期1年)・元老院・民会・護民官 |
| いっしょに覚える | パトリキとプレブス・身分闘争・ポエニ戦争・内乱の1世紀 |
このページのポイント
- 共和政ローマ=王のいない政治。コンスル2人(任期1年)・元老院・民会・護民官が力を分け合った。
- 貴族と平民の身分闘争で、護民官・十二表法・リキニウス・セクスティウス法・ホルテンシウス法の順に平民の権利が広がった。
- 半島統一 → ポエニ戦争で地中海へ。貧富の差から内乱の1世紀になり、前27年に帝政へ。
共和政ローマをやさしく言うと
共和政ローマとは、王をおかず、市民が選んだ役人が国を治めたローマの政治のしくみと、その時代です。前509年に王を追い出して始まり、前27年にアウグストゥスの帝政が始まるまで、約480年続きました。「共和政」とは、1人の王が治めるのではなく、みんなで国の仕事を分け合って治める政治のことです。ローマ人は、自分たちの国をレス=プブリカ(公共のもの)と呼びました。英語の republic(共和国)は、このことばから来ています。
共和政ローマの政治は、3つの柱でできていました。
- コンスル(執政官):市民が毎年2人選ぶ、国のリーダー。任期は1年。(コンスルと元老院)
- 元老院:経験を積んだ有力者が集まる、国の相談役。
- 民会:市民が集まって、役人を選んだり、法を決めたりする集まり。
最初は貴族(パトリキとプレブスの「パトリキ」)が政治を独占していました。その後、平民(プレブス)が戦いで活躍して発言力を強め、長い身分闘争の末、政治は平民にも開かれていきます。
エンリケくん
共和政って、王様がいないだけのことなんですか?
ロダン先生
それに加えて、1人に力が集まらないしくみなんだ。リーダーのコンスルは2人いて、任期は1年。おたがいに反対もできる。権力を持ちすぎないようにする工夫だよ。
エンリケくん
1年でやめるんですか! ずいぶん短いですね。
共和政ローマのくわしい流れ(始まり・身分闘争・拡大・内乱)
① 王政から共和政へ(前509年ごろ)
ローマは、イタリア半島の中ほど、テヴェレ川のほとりにできた都市国家(ギリシャのポリスに似た国)でした。伝承では、前753年にロムルスが建国したとされます。はじめは王が治め、最後の王は、北にいたエトルリア人の出身のタルクィニウス=スペルブスだったと伝えられます。この王の乱暴に反発した貴族たちが、前509年ごろ王を追放して、共和政を始めた、という話です。ただし、この年や経過は伝承で、くわしくは分かっていません。ローマ人は、このあと長く「王」という名前をきらいました。
② 身分闘争(前5〜前3世紀)
共和政の初めは、貴族(パトリキ)だけが役人になれました。一方、平民(プレブス)は、戦争になると重装歩兵として戦う大事な存在です。それでも政治には参加できず、借金のために奴隷になる人もいました。そこで平民たちは、戦争への協力をこばむなどして、権利を求めていきます。これを身分闘争といいます。主な成果は次のとおりです。
| 年(前) | できごと | 内容 |
|---|---|---|
| 494 | 聖山事件 → 護民官の役目 | 平民が聖山にたてこもり、平民を守る役人ができた(伝承) |
| 450ごろ | 十二表法 | 法を文字にして、貴族のかってな裁判を防ぐ |
| 367 | リキニウス・セクスティウス法 | コンスルの1人を平民から選ぶ、土地占有の制限 |
| 287 | ホルテンシウス法 | 平民会の決議が国全体の法になる |
こうして平民も、コンスルなど高い役職につけるようになり、前287年ごろには、貴族と平民の政治的な差は、ほぼなくなりました。ただし実際には、豊かな平民が貴族と結びつき、新しい支配層(ノビレス)ができました。くわしくは、パトリキとプレブスの身分闘争で説明します。
ギリシャ人の歴史家ポリュビオスは、ローマの政治を、王政(コンスル)・貴族政(元老院)・民主政(民会)が混ざり合った「混合政体」と説明し、安定している理由だと考えました。
③ 半島の統一と地中海への進出(前3〜前2世紀)
ローマは、まわりの都市と戦って、少しずつ広がりました。負けた相手を、ただ従わせるだけではなく、市民権を与えたり、同盟を結んだりして味方に変えたのです。都市ごとに別々の条件を結んだため、都市どうしが団結しにくくなりました。これが分割統治です。前3世紀前半には、南イタリアのギリシャ人の都市まで支配して、イタリア半島をほぼ統一しました。
次に、西地中海の大国カルタゴと、3回にわたるポエニ戦争(前264〜前146年)を戦い、勝ちました。シチリア島などを、最初の属州(イタリア半島の外に置いた支配地)としました。ローマは、地中海世界の大国に成長します。
④ 貧富の差と、内乱の1世紀(前2〜前1世紀)
戦争が長く続くと、農民は兵士として戦場に行ったまま、畑を荒らしてしまいます。戦争で手に入れた奴隷を使って大農場を営む有力者が、土地を集めました(ラティフンディア)。土地を失った市民が増え、軍の戦力も弱ってしまいます。前133年、グラックス兄弟が土地改革を始めましたが、反対されて失敗し、政治は争いの時代に入ります。有力な軍人が兵士を私兵のように従えて競い合い、三頭政治やカエサルの登場へとつながります。この時代を「内乱の1世紀」といいます。最後に勝ったオクタウィアヌス(アウグストゥス)が、前27年に事実上の帝政を始め、共和政は終わりました。

ロダン先生
共和政ローマは、前509年から前27年まで。ざっと500年の歴史を、「身分闘争 → 半島統一 → 地中海制覇 → 内乱」の4つの流れでつかんでおこう。
年表と図で見る共和政ローマ
共和政の時代、ローマはまだ「都市国家」の形を残していましたが、ポリスとは大きくちがいます。ギリシャのポリスは、小さいまま独立をまもろうとしました。一方、ローマは征服した人々に市民権を広げて、国をどんどん大きくしました。
整理:共和政ローマのキーワード
期間:前509〜前27。政治:コンスル2人(任期1年)・元老院・民会・護民官。内部の争い:身分闘争(貴族と平民)。外の戦い:イタリア半島統一 → ポエニ戦争 → 属州。終わり:内乱の1世紀 → 前27年の帝政(アウグストゥス)。
古代ローマのことをもっと知りたい人は、ローマ数字の一覧表と書き方も見てください。ローマ人は、年号や章の数字にもこの文字を使いました。
共和政ローマと関係する人物・用語
| 用語 | 共和政ローマとの関係 |
|---|---|
| パトリキとプレブス | 貴族と平民。身分闘争のおもな当事者 |
| コンスルと元老院 | 共和政の中心になる役職と相談役 |
| 護民官の役目 | 平民を守る役人。拒否権を持つ |
| 十二表法 | ローマ最初の成文法(前450年ごろ) |
| リキニウス・セクスティウス法 | コンスルの1人は平民から |
| ポエニ戦争 | カルタゴとの戦い。地中海へ進出 |
| グラックス兄弟の改革 | 貧富の差と内乱の始まり |
サクラちゃん
共和政ローマとアテネの民主政は、似ていますか?
ロダン先生
市民が政治に参加する点は似ているよ。でもアテネは、市民がみんな同じ1票で直接決める。ローマは、選挙で選ばれた役人と元老院が中心だった。くわしくはアテネの民主政と比べてみてね。
共和政ローマでまちがえやすい点
まちがえやすい点
- 「共和政」を民主主義と同じにする:共和政は「王がいない」政治のこと。身分や財産によって権利に差があり、今の民主主義とはちがう。
- 共和政の終わりを前31年にする:前31年はアクティウムの海戦。共和政が終わり帝政が始まるのは、前27年(オクタウィアヌスが「アウグストゥス」の称号を受けた年)とされる。
- コンスルを王のようだと思う:コンスルは任期1年で、2人いて、おたがいに反対できる。王とはちがう。
- 身分闘争をすぐ決着したと思う:前494年から前287年ごろまで、200年以上かかった。
- 前509年や建国の話を史実と思う:前753年のロムルス建国や前509年の王の追放は伝承。年号は教科書の目安として覚える。
- ローマの市民権を、全員が持っていたと思う:共和政のころは、市民権を持つ人は限られた。全自由人に広げたのは、後のカラカラ帝のアントニヌス勅令(212年)。
入試ではこう出る
- 共通テスト:共和政の政治しくみ(コンスル・元老院・民会・護民官)、身分闘争で出た法の順番(十二表法 → リキニウス・セクスティウス法 → ホルテンシウス法)、「分割統治」の説明が、文の正誤や並べかえで問われます。
- 国公立の2次・論述:「ローマが地中海の大国になった理由」や、「共和政が帝政に変わった理由(貧富の差・内乱)」を説明させる問題が考えられます。
- 私大:ポリュビオスの混合政体、属州、ラティフンディア、グラックス兄弟などの用語。史料文を読んで、どの時期の制度かを選ぶ問題もあります。
勉強の進め方は世界史の勉強法その2【共通テスト対策】、論述の書き方は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)を見てください。
ロダン先生の「これ知ってる?」
これ知ってる? SPQR とは何のこと?
ローマの旗やマンホールにも書かれる「SPQR」は、ラテン語の「Senatus Populusque Romanus」(ローマの元老院と市民)の頭文字なんだ。国の持ち主は、元老院と市民、という意味だよ。今のローマ市でも、公共の物にこの印が使われているんだ。
これ知ってる? 「共和国」の国名は、ローマ生まれ
英語の republic(共和国)は、ラテン語の res publica(公共のもの)が元だよ。フランス共和国やアメリカ合衆国のような、王のいない国は、2000年以上前のローマの考えを受けついでいるんだ。ちなみに、アメリカ合衆国の上院(Senate)の名前も、ローマの元老院(Senatus)から来ているよ。
これ知ってる? 「すべての道はローマに通ず」
共和政の時代から、ローマは軍隊を早く動かすために道路を整えたんだ。「すべての道はローマに通ず」というのは、ことわざだね。僕も旅行好きだから、ローマ街道を歩いてみたいなあ。もちろん、泳がなくていい道だけね。

ロダン先生
共和政ローマは、「王を追い出し、みんなで国を運営し、でも最後は内乱で終わる」。この大きな流れが頭に入れば、細かい用語もつながるよ。
練習問題
やさしい
- ローマが王政から共和政になったとされるのは、前何年ごろか。
答えと解説を見る
答え:前509年(ごろ)
伝承では、エトルリア人の王を追放して共和政が始まったとされます。 - 共和政ローマで、市民が毎年2人選ぶ国のリーダーを何というか。
答えと解説を見る
答え:コンスル(執政官)
任期は1年です。
ふつう
- 貴族(パトリキ)と平民(プレブス)が、政治上の権利をめぐって争った、前5〜前3世紀の争いを何というか。
答えと解説を見る
答え:身分闘争
- 次の3つの法を、古い順に並べよ。ア ホルテンシウス法 イ 十二表法 ウ リキニウス・セクスティウス法
答えと解説を見る
答え:イ → ウ → ア
十二表法(前450年ごろ)→ リキニウス・セクスティウス法(前367年)→ ホルテンシウス法(前287年)の順です。
むずかしい
- 正しいか誤りか答えよ。「共和政ローマの政治は、すべての市民が民会で直接決める民主政だった。」
答えと解説を見る
答え:誤り
民会はありましたが、コンスルなどの役人と元老院が政治の中心でした。ポリュビオスは、王政・貴族政・民主政が混ざった混合政体と説明しています。 - 共和政ローマが内乱の時代に入った理由を、「ラティフンディア」「土地」のことばを使って60字ほどで説明せよ。
答えと解説を見る
答えの例:戦争で奴隷が増え、有力者がラティフンディアで土地を集めたため、土地を失う農民が増え、貧富の差が広がって争いが起きた。(60字)
「大土地所有(ラティフンディア)」「農民の没落」「貧富の差」が入れば合格です。
「古代ローマ」の章の用語
- パトリキとプレブス(世界史) ★★★★★
- コンスルと元老院(世界史) ★★★★★
- 護民官(世界史) ★★★★★
- 十二表法(世界史) ★★★★★
- リキニウス・セクスティウス法(世界史) ★★★★★
- ホルテンシウス法(世界史) ★★★★★
- ポエニ戦争(世界史) ★★★★★
- ハンニバル(世界史) ★★★★★
- ラティフンディア(世界史) ★★★★★
- グラックス兄弟(世界史) ★★★★★
- スパルタクスの反乱(世界史) ★★★★★
- 三頭政治(世界史) ★★★★★
- カエサル(世界史) ★★★★★
- アウグストゥス(世界史) ★★★★★高校受験
- ローマの平和(世界史) ★★★★★
- 五賢帝(世界史) ★★★★★
- カラカラ帝とアントニヌス勅令(世界史) ★★★★★
- 軍人皇帝時代(世界史) ★★★★★
- ディオクレティアヌス帝(世界史) ★★★★★
- コンスタンティヌス帝(世界史) ★★★★★
- ミラノ勅令(世界史) ★★★★★
- ニケーア公会議(世界史) ★★★★★
- テオドシウス帝(世界史) ★★★★★高校受験
- コロナトゥス(世界史) ★★★★★
この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。
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よくある質問
共和政ローマとは何ですか?
共和政ローマとは、前509年ごろにローマが王を追放して始まった、王のいない政治のしくみと、その時代です。前27年に帝政が始まるまで、約480年続きました。
共和政ローマはいつからいつまでですか?
前509年ごろから前27年までです。前509年は伝承で王を追放した年、前27年はオクタウィアヌスがアウグストゥスの称号を受け、帝政が始まった年とされます。
共和政ローマの政治は、だれが行っていましたか?
市民が選ぶコンスル(執政官)2人、経験者の集まりである元老院、市民の集まりである民会、平民を守る護民官などが行いました。権力が1人に集中しないしくみでした。
「共和政」とは、どういう意味ですか?
王のような1人が治めるのではなく、みんなで国の仕事を分け合って治める政治のことです。ローマ人は、自分の国を「レス=プブリカ(公共のもの)」と呼び、英語の republic の元になりました。
身分闘争とは何ですか?
前5〜前3世紀、貴族(パトリキ)と平民(プレブス)が、政治上の権利をめぐって争ったことです。護民官の設置、十二表法、リキニウス・セクスティウス法、ホルテンシウス法などで、平民の権利が広がりました。
共和政ローマの民主政とアテネの民主政のちがいは何ですか?
アテネは市民が民会で直接決める直接民主政でした。共和政ローマは、選挙で選ばれた役人と元老院が中心で、貴族の力も強く残っていました。
共和政ローマはなぜ終わったのですか?
戦争で領土が広がるとともに、土地を失う市民が増えて貧富の差が広がり、有力な軍人が争う「内乱の1世紀」に入ったからです。最後に勝ったオクタウィアヌスが、前27年に帝政を始めました。
共和政ローマはどうやって大きくなりましたか?
負けた相手の都市に市民権を与えたり同盟を結んだりして、味方にしていきました。都市ごとに条件を変える分割統治で、まとまりにくくしたことも特徴です。前3世紀前半にイタリア半島をほぼ統一し、ポエニ戦争で地中海に進出しました。
共和政ローマは英語で何といいますか?
Roman Republic です。共和政は republic、元老院は Senate、執政官は consul と呼ばれます。
共和政ローマは入試でどう出ますか?
共通テストでは、政治のしくみ、身分闘争の法の順番、分割統治などが正誤問題で問われます。論述では、ローマが大国になった理由や、共和政が帝政に変わった理由が出ることがあります。
あわせて読みたい
出典・参考
- 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
- ポリュビオス『歴史』(混合政体)
- リウィウス『ローマ建国史』(王の追放などの伝承)
最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦


