十二表法とは?世界史でわかりやすく|ローマ最初の成文法・慣習法の成文化【図解】

世界史用語集 › 第3章 古代ローマ

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十二表法じゅうにひょうほう

重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)

ひとことで言うと

十二表法とは、前450年ごろにつくられたローマ最初の成文法です。貴族が独占していた慣習法を12枚の板に書いて広場に掲げ、貴族のかってな裁判を防ぐことをめざした、平民の身分闘争の成果で、のちのローマ法の出発点になりました。

読み方じゅうにひょうほう
英語Law of the Twelve Tables(ラテン語 Leges duodecim tabularum)
時代前450年ごろ(共和政ローマ初期)
地域ローマ
章第3章 古代ローマ
日本語十二表法(十二銅表法とも)
できた年前450年ごろ
意味ローマ最初の成文法。慣習法を文字にした
いっしょに覚える身分闘争・護民官・リキニウス・セクスティウス法・ホルテンシウス法・ローマ法大全

このページのポイント

  • 十二表法=前450年ごろにつくられたローマ最初の成文法。慣習法を12枚の板に書いて公開した。
  • 身分闘争の成果の1つ。貴族のかってな裁判を防ぐのが目的で、内容は新しい法ではなく慣習法の成文化。
  • 身分闘争の順:護民官 → 十二表法 → リキニウス・セクスティウス法 → ホルテンシウス法。のちのローマ法(市民法・万民法・ローマ法大全)の出発点。

十二表法をやさしく言うと

十二表法は、前450年ごろにつくられた、ローマ最初の成文法(文字に書かれた法)です。それまでのローマの法は、昔からの習慣(慣習法)で、貴族だけが中身を知っていました。平民たちは、法を文字にして、だれでも読めるようにするよう求めました。その結果、法が12枚の板に書かれて、広場に掲げられました。

  • 成文法:文字に書かれた法。だれでも読めて、同じ基準で裁判できる。
  • 慣習法:昔からの習慣でできた法。文字になっていないので、人によって使い方が変わりやすい。

十二表法は、パトリキとプレブスの身分闘争の大きな成果の1つです。平民が自分の権利を主張するには、まず、法が何であるかを知る必要があったのです。

前:慣習法 貴族 法は貴族の頭の中平民は内容を知れない裁判は貴族しだい 後:十二表法 12枚の板に書いて掲げるだれでも読めるかってな裁判を防ぐ 前450年ごろ・ローマ最初の成文法
図1 十二表法で変わったこと。法が文字になり、だれでも読めるようになった。
エンリケくん

エンリケくん

法が文字になっただけで、そんなに大きなことなんですか?

ロダン先生

ロダン先生

大きいよ。法が文字になっていないと、裁判では「昔からそうだ」と言う貴族の言葉が、そのまま通ってしまう。決まりがだれにでも見えることが、平民を守る第一歩なんだ。

エンリケくん

エンリケくん

ルールブックがあるのとないのとでは、ぜんぜんちがいますね!

十二表法のくわしい流れ(原因・経過・内容・結果)

① 原因:貴族だけが知っている法

共和政の初め、法は貴族が司る役職(神官や役人)が管理していました。裁判では、貴族の役人が「これが法だ」と言えば、そのとおりになります。平民には、貴族が自分に都合よく解釈していないか、確かめる方法がありませんでした。また、借金で苦しむ平民が、きびしく扱われる例もありました。そこで平民は、護民官の役目の力もかりて、「法を文字にして、公開せよ」と要求を強めました。

② 経過:十人委員会がつくる(前451〜前450年ごろ)

伝承によると、前451年ごろ、十人委員会という特別な組織がつくられました。この間は、コンスルなどのふつうの役職を、いったん止めたとされます。委員会は、まず10枚分の法をつくり、翌年にさらに2枚分を足して、12枚にしました。これが十二表法です。

法は、青銅の板に刻んだと伝えられます(木の板だったという説もあり、諸説あります)。そして、ローマの広場(フォルム)に掲げられました。

12枚の表の内容(数字は表の番号) 1・2裁判の手続き3借金(債務)4家族・父の力5相続・後見6所有・占有7土地・隣人8傷害・盗み9公の法10神への法・葬儀11・12補足(結婚ほか)
図2 十二表法の内容。原文は残っておらず、後の時代の著作の引用から復元されている。

③ 内容:どんなことが決められていたか

十二表法の原文は、今は残っていません。のちの時代の学者や歴史家が引用した文章から、復元されています。そのため、正確な順番や文章には諸説があります。伝えられる内容には、次のようなものがあります。

  • 裁判の手続き:裁判にどう呼び出し、どう進めるか。
  • 借金(債務):返せない人を、債権者が一定期間つないで、返済を求められる。きびしい内容だった。
  • 家族:父(家長)の権力が強かった。
  • 傷害:体を傷つけたら、同じ傷で返す「同害報復」の考えも見られる。(和解の道もあった)
  • 葬儀:町の中での埋葬を禁じる決まりなど。
  • 結婚:貴族と平民の結婚を禁じる条文があったと伝えられる。のちに、前445年のカヌレイウス法で認められた。

つまり十二表法は、平民に有利な新しい法をつくったものではなく、それまでの慣習法を文字にしたものです。内容は、貴族に有利な点も多く残っていました。それでも、「法が公開された」意味は、とても大きなものでした。

本を持って説明するロダン先生

ロダン先生

十二表法の内容は、「新しい法をつくった」というより「昔からの決まりを書き残した」と考えるのが大事だよ。

④ 結果:ローマ法の出発点へ

十二表法は、貴族のかってな裁判を防ぎ、平民の権利を守る土台になりました。その後も、ローマ人は十二表法を、あらゆるローマ法のもとだと考えました。のちに、共和政ローマの領土が広がると、ローマ市民のための市民法に加えて、外国人にも通用する万民法が発達しました。6世紀には、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が、それまでのローマ法をまとめた「ローマ法大全」をつくりました。この流れは、のちのヨーロッパの法に大きな影響を与えます。

十二表法前450年ごろ・最初の成文法市民法ローマ市民のための法万民法市民以外の人にも広く通じる法ローマ法大全6世紀・東ローマ帝国で集大成のちの世界の法ヨーロッパの法の土台に
図3 ローマ法のつながり。十二表法が、ローマ法の出発点になった。

年表で見る十二表法

前494聖山事件 → 護民官前451ごろ十人委員会がつくられる(伝承)前450ごろ十二表法がつくられる前445カヌレイウス法(通婚を認める)前367リキニウス・セクスティウス法前287ホルテンシウス法212アントニヌス勅令(市民権の拡大)6世紀ローマ法大全
図4 十二表法のまわりの年表。身分闘争の流れの中にある。

同じころのギリシャでは、アテネでドラコンが成文法をつくり(前7世紀)、そのあとソロンの改革で法が整えられました。西アジアにも、ハンムラビ法典(前18世紀ごろ)という有名な成文法があります。成文法は、古代の多くの社会で、「王や貴族のかってにさせない」ために生まれたのです。

整理:十二表法のポイント

いつ:前450年ごろ。何:ローマ最初の成文法(慣習法を文字にした)。だれが:十人委員会(伝承)。なぜ:貴族のかってな裁判を防ぎたい平民の要求。意味:ローマ法の出発点・法の公開。注意:原文は残っておらず、内容は後世の引用から復元。

十二表法は、ローマ数字でいえば「XII」の板です。ローマ数字の一覧表と書き方で、「XII」をどう読むか確かめてみましょう。

十二表法と関係する人物・用語

用語十二表法との関係
パトリキとプレブス身分闘争。十二表法は平民の要求の成果
護民官(平民を守る役人)護民官の力が、法の成文化の要求を支えた
リキニウス・セクスティウス法十二表法のあとの成果。コンスルの1人を平民から
ホルテンシウス法身分闘争の最終段階。平民会の決議が国法に
コンスルと元老院十人委員会の間は、一時止められたとされる
カラカラ帝のアントニヌス勅令後の時代、市民権が広がった
ソロンの改革ギリシャの成文法・改革の例
サクラちゃん

サクラちゃん

十二表法は、今の日本の法律にもつながっていますか?

合格先生

合格先生

直接ではないけれど、つながりはあるわ。ローマ法はヨーロッパの法の土台になって、日本の明治時代の法律づくりも、ヨーロッパの法を参考にしたの。「法を文字にして公開する」という考え方は、今も法治国家の基本ね。

サクラちゃん

サクラちゃん

そんな昔から、つながっているんですね!

十二表法でまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. 「新しい法をつくった」と思う:十二表法は、慣習法を文字にしたもの。内容は貴族に有利な点も多い。
  2. 身分闘争の順番をまちがえる:護民官(前494)→ 十二表法(前450ごろ)→ リキニウス・セクスティウス法(前367)→ ホルテンシウス法(前287)。
  3. 十二表法で平民もコンスルになれたと思う:コンスルを平民も選べたのは、前367年のリキニウス・セクスティウス法から。
  4. ハンムラビ法典と混ぜる:ハンムラビ法典は前18世紀ごろのメソポタミアの成文法。十二表法はローマ。
  5. 原文が残っていると思う:原文は残っておらず、後世の引用から復元されたもの。
  6. ローマ法大全と同じにする:ローマ法大全は6世紀のユスティニアヌス帝の時代。十二表法は前450年ごろ。

入試ではこう出る

  • 共通テスト:十二表法の意味(ローマ最初の成文法、慣習法の成文化)と、身分闘争の法の順番が、並べかえや正誤で問われます。ハンムラビ法典と比べさせる問題もあります。
  • 国公立の2次・論述:「なぜ法の成文化が平民にとって意味があったか」を説明させる問題が考えられます。
  • 私大:十二表法・市民法・万民法・ローマ法大全などの語句。ユスティニアヌス帝との組み合わせもよく出ます。

勉強の進め方は世界史の勉強法その2【共通テスト対策】を見てください。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? 「目には目を」は十二表法にも?

「目には目を、歯には歯を」というと、ハンムラビ法典が有名だよね。でも、十二表法にも、体を傷つけたときの同じような「同害報復」の考えがあったと伝えられるよ。古代の法には、こうした共通点があるんだ。ただし、実際は罰金でおさめる場合も多かったよ。

ロダン先生

これ知ってる? 「フォルム」が今の「フォーラム」に

十二表法が掲げられたといわれる広場「フォルム」は、英語の forum(討論会)の元だよ。ローマの広場は、市場であり、裁判所であり、政治の場所でもあったんだ。今のローマには、遺跡のフォロ=ロマーノが残っているよ。

ロダン先生

これ知ってる? 子どもが暗記した十二表法

ローマの子どもたちは、十二表法を暗記して学校で習った、と伝えられるんだ。後世のキケロが、子どものころに習ったと書いているよ。法を知ることは、市民の大切な教養だったんだね。ちなみに僕は、世界一周で食べたカレーの数なら暗記しているよ。

「どうぞ」と手で示すロダン先生

ロダン先生

十二表法は、「法を見えるようにした」ことが一番の意味。ローマ法のスタート地点として、どうぞ覚えてね。

練習問題

やさしい

  1. 前450年ごろにつくられた、ローマ最初の成文法を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:十二表法

  2. 十二表法がつくられる前、ローマの法は何だったか。
    答えと解説を見る

    答え:慣習法
    昔からの習慣でできた法で、文字になっていませんでした。

ふつう

  1. 十二表法をつくらせた、貴族と平民の政治上の権利をめぐる争いを何というか。
    答えと解説を見る

    答え:身分闘争

  2. 次の3つの法を、古い順に並べよ。ア ホルテンシウス法 イ 十二表法 ウ リキニウス・セクスティウス法
    答えと解説を見る

    答え:イ → ウ → ア
    十二表法(前450年ごろ)→ リキニウス・セクスティウス法(前367年)→ ホルテンシウス法(前287年)。

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「十二表法は、平民に有利な新しい法をまったくゼロからつくったものである。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    十二表法は、それまでの慣習法を文字にしたもので、内容は貴族に有利な点も多く残っていました。

  2. 十二表法が平民にとって大きな意味を持った理由を、60字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:法が文字になって公開され、貴族だけが法を知っている状態がなくなり、貴族のかってな裁判を防げるようになったから。(59字)

    「法の公開(成文化)」と「貴族のかってな裁判を防ぐ」が入れば合格です。

「古代ローマ」の章の用語

この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

← 前の語:護民官(世界史) | 次の語:リキニウス・セクスティウス法(世界史) →

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よくある質問

十二表法とは何ですか?

十二表法とは、前450年ごろにつくられた、ローマ最初の成文法です。それまで貴族だけが知っていた慣習法を12枚の板に書いて、広場に掲げて公開しました。

十二表法はなぜつくられたのですか?

法が文字になっておらず、裁判で貴族がかってに解釈できたため、平民が「法を文字にして公開せよ」と求めたからです。身分闘争の成果の1つです。

十二表法は、だれがつくりましたか?

伝承では、前451年ごろにつくられた十人委員会がつくったとされます。ただし、くわしい経過は伝承が中心で、確かなことは分かっていません。

十二表法には、どんなことが書かれていましたか?

裁判の手続き、借金、家族、相続、所有、傷害や盗み、葬儀などの決まりがありました。貴族と平民の結婚を禁じる条文があったとも伝わります。原文は残っておらず、後世の引用から復元されています。

成文法と慣習法のちがいは何ですか?

成文法は文字に書かれた法で、だれでも読めます。慣習法は、昔からの習慣でできた法で、文字になっていないため、人によって使い方が変わりやすい法です。

十二表法はハンムラビ法典とどうちがいますか?

ハンムラビ法典は前18世紀ごろのメソポタミアの王がつくった成文法で、石の柱に刻まれました。十二表法は前450年ごろのローマで、平民の要求により慣習法を成文化した法です。時代も場所も、つくった背景もちがいます。

十二表法は、その後のローマ法にどう影響しましたか?

ローマ人は十二表法をローマ法の出発点と考えました。のちに市民法・万民法が発達し、6世紀には東ローマ帝国のユスティニアヌス帝がローマ法大全にまとめ、ヨーロッパの法の土台になりました。

十二表法のあとの身分闘争の成果は何ですか?

前367年のリキニウス・セクスティウス法で、コンスルの1人を平民から選ぶことになりました。前287年のホルテンシウス法で、平民会の決議が国全体の法になりました。

十二表法は英語で何といいますか?

Law of the Twelve Tables(または Twelve Tables)です。ラテン語では Leges duodecim tabularum と呼ばれます。

十二表法は入試でどう出ますか?

共通テストでは、ローマ最初の成文法であること、慣習法の成文化であること、身分闘争の法の順番が問われます。論述では、法の公開が平民にとって持つ意味を説明させる問題が考えられます。

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出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • リウィウス『ローマ建国史』(十人委員会などの伝承)
  • キケロ『法律について』(十二表法の引用)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦