パトリキとプレブスとは?世界史でわかりやすく|ローマの貴族と平民・身分闘争【図解】

世界史用語集 › 第3章 古代ローマ

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パトリキとプレブスぱとりき

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ひとことで言うと

パトリキとプレブスとは、古代ローマの貴族と平民です。共和政の初め、役職や神官は貴族が独占しましたが、平民は身分闘争によって、護民官・十二表法・リキニウス・セクスティウス法・ホルテンシウス法で権利を広げていきました。

読み方ぱとりき
英語patricians and plebeians(ラテン語 patricii と plebs)
時代前5世紀〜前3世紀(身分闘争の時代)
地域ローマ
章第3章 古代ローマ
パトリキ貴族。はじめは役職・神官を独占
プレブス平民。市民の大多数。重装歩兵の主力
争いの名身分闘争(前5〜前3世紀)
いっしょに覚える護民官・十二表法・リキニウス・セクスティウス法・ホルテンシウス法・ノビレス

このページのポイント

  • パトリキ=貴族、プレブス=平民(ローマ市民の大多数)。はじめ役職・法・神官は貴族が独占した。
  • 平民は兵士の主力だったので、戦争への協力をこばんで権利を広げた。護民官 → 十二表法 → リキニウス・セクスティウス法 → ホルテンシウス法の順。
  • 結果として、貴族と豊かな平民が「ノビレス」になり、貧しい平民との差が残って、のちの内乱につながった。

パトリキとプレブスをやさしく言うと

パトリキは古代ローマの貴族、プレブスは平民のことです。共和政ローマの初めのころ、政治の高い役職や神官は、貴族だけのものでした。平民は人数が多いのに、政治に参加できませんでした。この平民が権利を求めて貴族と争ったことが、共和政ローマの身分闘争です。

  • パトリキ(貴族):ローマの昔からの名門。「パトレス」(父たち)の子孫という意味といわれます。大地主で、コンスルと元老院を独占しました。
  • プレブス(平民):農民・職人・商人など、市民の大多数。はじめは役職につけませんでした。

「平民」といっても、今の「ふつうの人」とは少しちがいます。プレブスは、ローマの市民です。奴隷や、市民権を持たない外国人とは別です。

パトリキ(貴族)プレブス(平民) 人数少数の名門市民の大多数暮らし大地主・元老院農民・職人・商人最初は役職・神官を独占役職につけない戦争では騎兵・指揮官重装歩兵の主力
図1 パトリキとプレブスの比べ方。
エンリケくん

エンリケくん

平民のほうが人数が多いのに、どうして貴族が政治を独占できたんですか?

ロダン先生

ロダン先生

最初は、貴族が法・宗教・軍の指揮をにぎっていたからなんだ。法が文字になっていないから、裁判も貴族が決められたし、神々の意志を占う権利も貴族だけのものだった。

エンリケくん

エンリケくん

占いまで、貴族のものだったんですね!

身分闘争のくわしい流れ(原因・経過・結果)

① 原因:平民の不満

共和政の初期、平民には3つの大きな不満がありました。

  • 政治に出られない:コンスルなどの役職は、貴族だけが就きました。
  • 法が貴族の頭の中にある:法律が文字になっておらず(慣習法)、裁判は貴族が決めていました。
  • 借金で奴隷になる:貧しい平民は貴族から借金をして、返せないと債務奴隷になりました。土地も貴族に集まりました。

ここで、同じ時代のギリシャを思い出しましょう。アテネでも貴族と平民が争い、ソロンの改革で借金で奴隷になることが禁止されました。身分の争いは、古代の都市国家に、よく見られる問題でした。

② 平民の力:戦争ではたよりになる兵士

ローマは、いつも周辺の国と戦っていました。そのとき、重い武具をつけた歩兵(重装歩兵と同じような兵士)の主力になったのが、平民です。平民が戦わなければ、国は守れません。平民は、この力を使って権利を求めました。

戦争が続くローマはいつも戦っていた平民が兵士重装歩兵として国を守る協力をこばむ戦わない・町を出る(聖山)貴族が譲る権利を少しずつ認める
図3 貴族が譲った理由。平民の力は「いなくなると国が成り立たない」ことにあった。

③ 経過:5つの段階

第1段階(前494年):護民官の設置。平民が、市から出ていって聖山(モンス=サケル)にたてこもったと伝えられます(聖山事件)。国の戦力が失われるので、貴族は譲歩し、平民を守る役人が置かれました。これが護民官の役目です。護民官は、貴族の役人のかってな行いに反対できました。

第2段階(前450年ごろ):十二表法。慣習法が文字にされ、広場に掲げられました。貴族だけが法を知っている状態を、やめさせたのです(十二表法)。

第3段階(前445年):カヌレイウス法。貴族と平民の結婚が認められました。それまでは、結婚が禁止されていたと伝えられます。

第4段階(前367年):リキニウス・セクスティウス法。コンスル2人のうち、1人は平民から選ぶことになりました。また、公有地を占有できる広さを制限しました(リキニウス・セクスティウス法)。このあと、最初の平民のコンスルが生まれます。神官職も、前300年ごろまでに平民に開かれました。

第5段階(前287年):ホルテンシウス法。平民会の決議が、貴族もふくめた国全体の法になりました(ホルテンシウス法)。これで、法の上の身分の差は、ほぼなくなったとされます。

前494 護民官平民の守り役ができる前450ごろ 十二表法法が文字になる前445 カヌレイウス法貴族と平民の結婚をみとめる前367 リキニウス・セクスティウス法コンスルの1人は平民前287 ホルテンシウス法平民会の決議が国法に ↑ 1段のぼるごとに平民の権利が広がった(約200年かけて)
図2 身分闘争の5つの段階。階段をのぼるように、平民の権利が広がった。
手をふるロダン先生

ロダン先生

約200年もかけて、少しずつ権利を広げたんだ。武力で貴族をたおしたのではなく、話し合いと法で変えていったところが、ローマらしい特色だよ。

④ 結果:新しい支配層ノビレス

身分闘争のあと、ローマの政治は平民にも開かれました。ところが、実際に高い役職に就けたのは、お金のある平民の上の層だけでした。選挙には、お金が必要だったからです。そして、パトリキと豊かな平民が結びついて、新しい支配層「ノビレス(新貴族)」ができ、元老院の議席をほぼ独占しました。多くの貧しい平民は、これまでと同じく苦しいままでした。この不満が、のちのグラックス兄弟の改革につながります。

パトリキもとの貴族 豊かな平民上の層 ノビレス新貴族 多くの貧しい平民は、支配層の外に残った
図4 ノビレス。パトリキと豊かな平民の上の層が合わさった新しい支配層。

もう1つ大切な関係が、クリエンテス(保護民)です。ローマでは、貧しい人が有力者(パトロヌス)の世話になり、その代わりに、選挙で支持するなどの仕事をする、という関係がありました。有力者は、たくさんの保護民を従えることで、力を示しました。

身分闘争を図で整理する

前のセクションの図2・図3・図4を使って、流れを整理しておきましょう。「法のもとの平等」を求めて、少しずつ進んだこの争いは、原因(不満)→ 方法(協力をこばむ)→ 成果(5つの法)→ 結果(ノビレス)の順でとらえるとよいです。

整理:身分闘争のまとめ

当事者:パトリキ(貴族)とプレブス(平民)。期間:前5〜前3世紀(約200年)。成果:護民官(前494)→ 十二表法(前450ごろ)→ カヌレイウス法(前445)→ リキニウス・セクスティウス法(前367)→ ホルテンシウス法(前287)。結果:ノビレス(新貴族)が政治をにぎる。

ローマの年号の表記には、ローマ数字が使われます。たとえば、建国からの年を数えるときなどにも、ローマ数字が登場します。

パトリキとプレブスと関係する人物・用語

用語パトリキとプレブスとの関係
共和政ローマ身分闘争が起きた時代の政治
護民官(平民を守る役人)平民の代表。貴族の役人に拒否権を持つ
十二表法慣習法の成文化。貴族のかってな裁判を防ぐ
リキニウス・セクスティウス法コンスルの1人を平民から
ホルテンシウス法平民会の決議が国法に。身分闘争の終わり
コンスル(執政官)当初は貴族だけ。のち平民も就ける
グラックス兄弟身分闘争のあと残った、貧富の差の改革
サクラちゃん

サクラちゃん

アテネの貴族と平民の争いと、ローマの身分闘争は、似ていますか?

ロダン先生

ロダン先生

どちらも、平民が兵士として力をつけたのが理由だよ。ちがうのは、アテネはみんなで直接決める民主政に進んだこと。ローマは、貴族と富裕な平民が元老院を中心に治めた。くわしくはアテネの民主政と見くらべてね。

パトリキとプレブスでまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. 「プレブス」を奴隷のことだと思う:プレブスはローマ市民。奴隷や、市民権のない人はふくまれない。
  2. 身分闘争を、平民が貴族をたおした革命と思う:長い年月をかけて、法で少しずつ権利を得た。武力革命ではない。
  3. ホルテンシウス法で、貧富の差もなくなったと思う:法の上の差が、ほぼなくなっただけ。実際は、ノビレスの支配が続いた。
  4. 護民官・十二表法・ホルテンシウス法の順番をまちがえる:護民官(前494)→ 十二表法(前450ごろ)→ リキニウス・セクスティウス法(前367)→ ホルテンシウス法(前287)。
  5. コンスルは最初から平民も就けたと思う:最初は貴族だけ。リキニウス・セクスティウス法で、1人は平民から選ぶことになった。
  6. パトリキとノビレスを同じにする:ノビレスは、パトリキと豊かな平民が合わさった新しい支配層。

入試ではこう出る

  • 共通テスト:身分闘争の流れ(護民官 → 十二表法 → リキニウス・セクスティウス法 → ホルテンシウス法)の順番、各法の内容の組み合わせが、並べかえや正誤の形でよく問われます。
  • 国公立の2次・論述:「なぜ貴族が平民の要求をみとめたか」(平民が兵士の主力だったため)、「身分闘争の結果、ローマの政治がどう変わったか」を説明させる問題が考えられます。
  • 私大:パトリキ・プレブス・ノビレス・クリエンテスなどの語句。アテネのソロンの改革との比較や、後のグラックス兄弟とのつながりも問われます。

世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)で、論述の型を確かめましょう。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? 「プロレタリア」はローマから来たことば

貧しい人を表す「プロレタリア」は、ラテン語の proles(子孫・子ども)が元になっているんだ。財産がなく、国に差し出せるのは子ども(働き手)だけ、という意味だよ。ローマでは、貧しい市民をこう呼んだんだ。

ロダン先生

これ知ってる? 「パトリキ」は今も英語の中に

英語の patrician(貴族の)も、patron(後援者)も、ラテン語の「パテル」(父)が元だよ。ローマの貴族は「父たち」の子孫、という意味だったんだね。

ロダン先生

これ知ってる? 聖山の場所は、今のどこ?

聖山(モンス=サケル)は、ローマの北東の丘だと伝えられるよ。でも、この話は伝承で、本当はどんなことがあったか、くわしくは分かっていないんだ。カレーを食べながら歩いて、見に行ってみたいなあ。

拍手するロダン先生

ロダン先生

身分闘争は、「権利は、あきらめずに求めると広がる」という、歴史の大事な例なんだ。拍手!

練習問題

やさしい

  1. 古代ローマの貴族を何といい、平民を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:貴族=パトリキ、平民=プレブス

  2. 共和政の初期、平民を守るために置かれた役人を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:護民官
    前494年の聖山事件のあとに置かれたと伝えられます。

ふつう

  1. 貴族と平民の政治上の権利をめぐる争いを何というか。また、その争いで平民が貴族に認めさせた力の源は何か。
    答えと解説を見る

    答え:身分闘争。平民が戦争の主力(重装歩兵)だったこと
    平民の協力が必要だったので、貴族は譲りました。

  2. 前367年のリキニウス・セクスティウス法で、平民に認められた権利を答えよ。
    答えと解説を見る

    答え:コンスルの1人を平民から選べるようになった
    公有地の占有を制限することも決められました。

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「ホルテンシウス法で法の上の身分の差がなくなったので、ローマの貧富の差も解消した。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    法の上の差はほぼなくなりましたが、豊かな平民と貴族がノビレスとして政治をにぎり、貧富の差は残りました。

  2. 身分闘争で平民が権利を広げられた理由を、「重装歩兵」ということばを使って60字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:平民は重装歩兵として戦争の主力になっていたため、戦争への協力をこばむことで、貴族に権利を認めさせることができたから。(60字)

    「平民が兵士の主力」「協力をこばむ」の2点が入れば合格です。

「古代ローマ」の章の用語

この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

← 前の語:共和政ローマ(世界史) | 次の語:コンスルと元老院(世界史) →

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よくある質問

パトリキとは何ですか?

パトリキとは、古代ローマの貴族です。ローマの昔からの名門で、はじめは高い役職や神官を独占し、元老院でも力を持ちました。「父たち」の子孫という意味だといわれます。

プレブスとは何ですか?

プレブスとは、古代ローマの平民です。農民・職人・商人など、ローマ市民の大多数を占めます。はじめは役職に就けませんでしたが、戦争では重装歩兵の主力でした。

パトリキとプレブスのちがいは何ですか?

パトリキは少数の名門の貴族で、はじめは役職・神官・法を独占しました。プレブスは市民の大多数の平民で、はじめは政治に参加できませんでした。どちらもローマ市民で、奴隷とはちがいます。

身分闘争とは何ですか?

前5〜前3世紀に、平民が政治上の権利を求めて、貴族と争ったことです。護民官の設置、十二表法、カヌレイウス法、リキニウス・セクスティウス法、ホルテンシウス法などで、平民の権利が広がりました。

身分闘争は、いつ、どのように終わりましたか?

前287年のホルテンシウス法で、平民会の決議が国全体の法になり、法の上での身分の差がほぼなくなったときに終わったとされます。

なぜ貴族は平民の要求をみとめたのですか?

平民が戦争の主力の兵士だったからです。平民が戦争への協力をこばんだり、聖山にたてこもったりすると国が成り立たなくなるため、貴族は少しずつ譲りました。

ノビレスとは何ですか?

パトリキと、豊かな平民の上の層が結びついてできた、新しい支配層(新貴族)です。身分闘争のあとも、高い役職や元老院をほぼ独占しました。

身分闘争の後も、平民の不満は残りましたか?

残りました。法の上の差はなくなっても、お金のある人だけが選挙で役職に就けたからです。のちの貧富の差の広がりが、グラックス兄弟の改革につながります。

パトリキとプレブスは英語で何といいますか?

パトリキは patricians、プレブスは plebeians です。英語の plebs(庶民)や patrician(貴族の)は、ここから来たことばです。

パトリキとプレブスは入試でどう出ますか?

共通テストでは、身分闘争で出た法の順番と内容の組み合わせが問われます。論述では、貴族が平民の要求をみとめた理由や、身分闘争の結果が出ることがあります。

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出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • リウィウス『ローマ建国史』(聖山事件などの伝承)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦