アテネの民主政とは?世界史でわかりやすく|民会・500人評議会・ペリクレスまで【図解】

世界史用語集 › 第2章 古代ギリシャとヘレニズム

高校受験大学受験

アテネの民主政あてねのみんしゅせい

重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)

ひとことで言うと

アテネの民主政とは、古代ギリシャのポリス・アテネで、成年男性の市民が民会に集まって直接投票し、国の方針を決めたしくみです。クレイステネスが基礎をつくり、ペリクレスの時代に完成しましたが、女性・在留外人・奴隷は参加できませんでした。

読み方あてねのみんしゅせい
英語Athenian democracy(アテネの民主政)、直接民主政は direct democracy
時代前6世紀末〜前4世紀(完成は前5世紀なかば)
地域ギリシャ
章第2章 古代ギリシャとヘレニズム
日本語アテネの民主政(直接民主政)
最高機関民会(エクレシア)
参加できる人成年男性の市民だけ
いっしょに覚えるクレイステネス・ペリクレス・500人評議会・民衆裁判所・陶片追放

このページのポイント

  • 民会(最高機関)に市民が集まって直接決める直接民主政。評議員・陪審員・役人の多くはくじ、将軍だけが選挙。
  • 発展:ソロン → クレイステネス(基礎)→ ペルシア戦争で無産市民が活躍 → エフィアルテス → ペリクレス(完成)。
  • 参加できたのは成年男性の市民だけ。衆愚政治への批判や、ペロポネソス戦争の敗北で衰えた。

アテネの民主政をやさしく言うと

アテネの民主政は、古代ギリシャのポリス・アテネで、成年男性の市民が、民会に集まって自分たちで国の方針を決めたしくみです。政治家を選んで任せるのではなく、市民が直接投票するので、「直接民主政」と呼ばれます。

「民主政(デモクラティア)」ということばは、ギリシャ語のデモス(民衆)とクラトス(支配・力)から生まれました。今の民主主義(democracy)のもとになった、世界で最も有名な古い例です。

ただし、今の民主主義とはちがう点も大きく、政治に参加できたのは成年男性の市民だけでした。女性・在留外人(メトイコイ)・奴隷は参加できません。この「参加できる人の範囲」が、入試でも大事なポイントになります。

民会(エクレシア)成年男性の市民全員が参加できる国の大事なことを投票で決める(最高機関) 500人評議会民会の議題を用意するくじで選ぶ任期1年 民衆裁判所市民の陪審員が裁判をおこなうくじで選ぶ多くの市民が参加 10人の将軍軍の指揮・外交の中心になる選挙で選ぶ何度でも再選できる そのほかの役人(アルコンなど)多くはくじで選ばれ、任期は1年 政治に参加できるのは「成年男性の市民」だけ女性・在留外人(メトイコイ)・奴隷は参加できない※ ペリクレスのころの説明のための図
図1 アテネの民主政のしくみ。民会を最高機関に、500人評議会・民衆裁判所・将軍・役人がいた。
エンリケくん

エンリケくん

全員が集まって投票するなんて、すごく大変そうですね。

ロダン先生

ロダン先生

そうなんだ。だからポリスは小さい必要があったんだよ。アテネほど大きくても、市民が丘(プニュクス)に集まって話し合えた。国が大きくなると、直接投票は難しくなるよね。それで現代は、代表を選ぶ形が多いんだ。

アテネの民主政のくわしい流れ(できるまで・しくみ・衰え)

① できるまで:少しずつ、市民の力が強まった

アテネの民主政は、一度に生まれたのではなく、100年以上かけて少しずつ形づくられました。

  1. ソロンの改革(前594年ごろ):貴族と平民の争いがひどくなる中、ソロンが、借金で奴隷になることを禁止し、財産の多さで政治参加の範囲を決めました(財産政治)。平民にも一部の政治参加の道が開かれます。
  2. ペイシストラトスの僭主政治(前6世紀なかば):貴族の争いの中で、ペイシストラトスが僭主として支配しました。一人の支配でしたが、貧しい農民を助ける政策もおこない、のちの民主政の土台となる力も育ちました。
  3. クレイステネスの改革(前508/507年ごろ):血縁による4つの部族を改め、地域にもとづく10の部族をつくり、各部族から50人ずつ出す500人評議会を設けました。また、陶片追放も導入したと伝わります。「民主政の基礎をつくった人」とされます。
  4. ペルシア戦争(前5世紀前半):サラミスの海戦などで、土地をもたない無産市民が、三段櫂船のこぎ手として活躍しました。「国を守ったのだから、政治にも参加させよ」という声が強まります。
  5. エフィアルテスの改革(前461年):貴族の牙城だったアレオパゴス会議から、重要な権限をうばいました。政治の力が、民会・500人評議会・民衆裁判所へ移ります。
  6. ペリクレスの時代(前5世紀なかば):役人や陪審員に日当を出すようになり、貧しい市民も政治に参加できるようになりました。民主政が完成したといわれます。
前594ごろソロンの改革財産で政治参加を分ける・債務奴隷の禁止前6世紀なかばペイシストラトスの僭主政治一人の支配。のちに追放される前508/507クレイステネスの改革10部族制・500人評議会・陶片追放前5世紀前半ペルシア戦争無産市民が海軍で活躍し、発言力が高まる前461エフィアルテスの改革貴族のアレオパゴス会議の力を弱める前5世紀なかばペリクレスの時代日当の支給など → 民主政の完成
図2 アテネの民主政が発展した階段。ソロンから、クレイステネス、ペルシア戦争、エフィアルテスを経て、ペリクレスで完成した。

② しくみ:民会・評議会・裁判所・将軍

  • 民会(エクレシア):成年男性の市民全員が参加できる最高の機関。ふつうはアテネの丘(プニュクス)に集まり、戦争や平和、法律、役人の報告など、国の大事なことを挙手などで決めました。1年に何十回も開かれました。
  • 500人評議会(ブーレー):10の部族から50人ずつ、合計500人。民会に出す議題を準備するなど、日常の運営をになった。くじで選ばれ、任期は1年でした。
  • 民衆裁判所(ヘリアイア):市民からくじで選ばれた多数の陪審員が裁判をおこなった。法廷が政治の場にもなっていた。
  • 将軍(ストラテゴス):10人(各部族から1人)。軍の指揮だけでなく外交でも大きな役割をはたした。選挙で選ばれ、再選もできたので、ペリクレスのような実力者が長く務められました。
  • アルコン(執政官)などの役人:多くはくじで選ばれ、任期は1年。

どうして役人をくじで選ぶのでしょうか。「だれでも役人になれる」ことが、民主政のしるしだと考えられたからです。能力で選ぶと、お金や家柄のある人が有利になります。くじで選べば、貧しい人にもチャンスが回ってきます。そのために、公務につく市民に日当が出されました。

③ 衰え:衆愚政治への批判と敗戦

ペリクレスの死(前429年)後、アテネでは、人気を集めることがうまい指導者(デマゴーゴス)の言うことに、民会が流される場面が増えたと批判されます。これを衆愚政治とよぶこともあります。ペロポネソス戦争の敗北(前404年)のあと、スパルタの後押しで少数の人による支配(三十人政権)が生まれましたが、まもなく民主政が回復しました(前403年)。

前399年には、哲学者ソクラテスが、民衆裁判所の裁判で死刑になっています。民主政の裁判が、すぐれた人を処刑してしまったと批判する人もいます。前4世紀には、マケドニアの支配を受け、ポリスの独立した政治は終わりに向かいました。

拍手するロダン先生

ロダン先生

民主政は完ぺきではないけれど、「みんなで決める」という考えを世界に広めた。ぼくは拍手したいよ。

年表と比べる図で見る民主政

前594ごろソロンの改革前508/507クレイステネスの改革前480サラミスの海戦(無産市民が活躍)前461エフィアルテスの改革前443〜429ペリクレスの時代(完成)前404ペロポネソス戦争に敗れる前399ソクラテスが裁判で死刑に
図3 アテネ民主政の年表。ソロン→クレイステネス→ペリクレス→敗戦とソクラテスの裁判。

年表からわかるとおり、民主政は「クレイステネスで基礎ができ、ペリクレスで完成する」と整理できます。ソロンは基礎の前の準備段階、クレイステネスが基礎、エフィアルテスとペリクレスが仕上げ、というイメージです。

アテネの民主政今の民主主義 決め方市民が民会で直接投票選挙で代表を選ぶのが多い参加できる人成年男性の市民だけ男女とも(国による)役人の選び方多くはくじ(将軍は選挙)選挙・任命が中心政治の担い手市民が順番に担当政治家・官僚が専門に追放のしくみ陶片追放(10年)なし(法と裁判による)
図4 アテネの民主政と今の民主主義の比べ。直接民主政か代表を選ぶ形か、参加できる人の範囲などがちがう。
人物時期民主政への貢献
ソロン前594ごろ債務奴隷の禁止・財産政治
クレイステネス前508/50710部族制・500人評議会・陶片追放
エフィアルテス前461アレオパゴス会議の権限を弱める
ペリクレス前5世紀なかば日当の制度・民主政の完成

整理:アテネの民主政の要点

  1. 決め方:民会で市民が直接投票(直接民主政)。
  2. 参加できる人:成年男性の市民だけ。女性・在留外人・奴隷は参加できない。
  3. 役人:多くはくじ、将軍は選挙。任期は1年が多い。
  4. 発展:ソロン → クレイステネス → ペルシア戦争 → エフィアルテス → ペリクレス(完成)。
  5. 限界:衆愚政治への批判、ペロポネソス戦争の敗北、ソクラテスの裁判。

アテネの民主政と関係する人物・用語

人物・用語民主政との関係
ソロンの改革土台づくりの前の準備
クレイステネスの改革民主政の基礎をつくった
陶片追放僭主を防ぐ安全装置
ペルシア戦争無産市民の力が高まる
サラミスの海戦三段櫂船のこぎ手が活躍
ペリクレス日当で民主政を完成
ペロポネソス戦争アテネ敗北で民主政も一時とだえる
ソクラテス民主政下の裁判で死刑になる
ポリス(都市国家)小さな国だから直接民主政ができた

アテネ以外のポリスは、どうだったのでしょうか。たとえばスパルタは、少数の市民が政治と軍事をにない、王と長老会などが力をもつしくみでした。「民主政」と「寡頭政(少数の支配)」の対比も、入試でよく出ます。

サクラちゃん

サクラちゃん

女性が参加できなかったのは、どうしてですか?

ロダン先生

ロダン先生

当時のギリシャでは、政治や戦争は「男性の市民の仕事」と考えられていたんだ。今から見ると不平等だけど、歴史を学ぶときは、その時代の考え方も合わせて見るのが大事だよ。

アテネの民主政でまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. 「すべての住民が参加できた」とは言えない:女性・在留外人・奴隷は参加できない。
  2. 民主政の基礎はクレイステネス、完成はペリクレス:ソロンやペイシストラトスと混同しない。
  3. 役人は全部くじではない:将軍は選挙。
  4. スパルタも民主政ではない:スパルタは少数の市民が支配する軍国主義の国。
  5. 直接民主政と間接民主制:アテネは直接、今の多くの国は代表を選ぶ間接(議会制)。
  6. 陶片追放は民主政の「安全装置」:刑罰ではない。

入試ではこう出る

  • 共通テスト:「アテネ民主政で最高の議決機関はどれか(民会)」「くじで選ばれた役職」「クレイステネスの改革の内容」「参加できた人の範囲」などが、文の正誤や並べかえで出ます。
  • 国公立の2次・論述:「アテネ民主政の発展過程と、その限界」がよく出ます。クレイステネス→ペルシア戦争(無産市民)→ペリクレスの流れに、女性・奴隷・外国人が参加できなかったという限界を添えるのがコツです。
  • 私大:民会、500人評議会、民衆裁判所、アレオパゴス会議、デマゴーゴス、衆愚政治などの語句。
  • よくあるひっかけ:「アテネの民主政は男女とも参加できた」「スパルタも民主政だった」といった誤り。

論述の練習は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)、基本の覚え方は世界史の勉強法【基礎編】を参考にしてください。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? くじ引きの機械があった

古代アテネでは、くじ引きを公平にするために、クレーロテーリオンという石の機械が使われたと伝わるんだ。市民の名前をしるした札を入れ、色のついた玉を転がして選ぶしくみだよ。2000年以上前から、不正を防ぐ工夫があったんだね。

ロダン先生

これ知ってる? イディオテス(私人)から「バカ」の語源へ

ギリシャ語の「イディオテス」は、政治に関わらず、自分のことだけをする人のこと。ここから英語の idiot(愚か者)が生まれた、という説明があるよ(語源には説明が分かれる部分もあるんだ)。民会に出ない人は、あまりよく思われなかったんだね。

ロダン先生

これ知ってる? 日当は「民会に出る」ためにも

民会に参加した市民にも、のちには手当が出るようになったと伝わるよ。出席者が少ないと、決議がうまく進まないからなんだ。民主政を動かすには、お金もかかる、というわけだね。

練習問題

やさしい

  1. アテネで、成年男性の市民全員が参加でき、国の大事なことを決めた最高の機関を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:民会(エクレシア)

  2. アテネの民主政で、くじで選ばれ、民会の議題を用意した機関を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:500人評議会
    10の部族から50人ずつ選ばれました。

ふつう

  1. アテネの民主政の基礎をつくった前508/507年ごろの改革者はだれか。
    答えと解説を見る

    答え:クレイステネス
    10部族制や500人評議会、陶片追放を導入したと伝わります。

  2. 民主政を完成させたといわれる、前5世紀なかばの政治家はだれか。
    答えと解説を見る

    答え:ペリクレス
    役人や陪審員に日当を出し、貧しい市民も政治に参加できるようにしました。

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「アテネの民主政では、女性や奴隷も民会で投票することができた。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    参加できたのは成年男性の市民だけです。女性・在留外人・奴隷は参加できません。

  2. アテネで民主政が発展した理由を、ペルシア戦争との関係にふれて60字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:ペルシア戦争のサラミスの海戦で、三段櫂船をこいだ無産市民が活躍し、彼らの発言力が高まったことで、民主政が進んだ。(61字)

    「無産市民」「海軍(三段櫂船)での活躍」「発言力が高まる」が入れば合格です。

「古代ギリシャとヘレニズム」の章の用語

この章の流れは古代ギリシャとヘレニズムの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

← 前の語:ペリクレス(世界史) | 次の語:ペロポネソス戦争(世界史) →

あわせて読みたい(合格大作戦の記事)

よくある質問

アテネの民主政とは何ですか?

アテネの民主政とは、古代アテネで成年男性の市民が民会に集まり、自分たちで直接国の方針を決めたしくみです。直接民主政とも呼ばれます。

アテネの民主政はいつ、だれが始めましたか?

前508/507年ごろのクレイステネスの改革が基礎とされます。前5世紀なかばのペリクレスの時代に、完成したといわれます。

民会とは何ですか?

成年男性の市民全員が参加できる、アテネの最高の議決機関です。戦争や平和、法律など、国の大事なことを投票で決めました。

500人評議会とは何ですか?

10の部族から50人ずつ、くじで選ばれた合計500人の機関です。民会に出す議題を準備するなど、政治の日常の運営をになった。任期は1年でした。

なぜ役人をくじで選んだのですか?

だれでも役人になれることが、民主政の特色だと考えられたからです。能力で選ぶと、家柄やお金のある人が有利になります。くじなら貧しい人にもチャンスがあります。

アテネの民主政に参加できたのはだれですか?

成年男性の市民だけです。女性・在留外人(メトイコイ)・奴隷は参加できませんでした。今の民主主義とのちがいとして、入試でも大事です。

アテネの民主政とスパルタのちがいは何ですか?

アテネは市民全員が民会で決める民主政でした。スパルタは少数の市民が支配する軍国主義の国で、王や長老会が力をもっていました。

衆愚政治とは何ですか?

デマゴーゴスと呼ばれる、人気を集めることがうまい指導者の言うことに、民会が流されてしまう政治への批判のことばです。ペリクレスの死後のアテネに使われます。

アテネの民主政は英語で何といいますか?

Athenian democracy です。民主政を表す democracy は、ギリシャ語のデモス(民衆)とクラトス(支配)から生まれたことばです。

アテネの民主政は入試でどう出ますか?

共通テストでは、民会・500人評議会・参加できる範囲・クレイステネスとペリクレスの区別が定番です。2次の論述では、民主政の発展と限界を説明させる問題が出ます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • アリストテレス(とされる)『アテナイ人の国制』
  • トゥキディデス(トゥキュディデス)『戦史』(ペリクレスの追悼演説)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦