デロス同盟とは?世界史でわかりやすく|アテネ・貢納金・ペロポネソス同盟との違い【図解】

世界史用語集 › 第2章 古代ギリシャとヘレニズム

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デロス同盟でろすどうめい

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ひとことで言うと

デロス同盟とは、前478/477年ごろ、ペルシアに備えるため、アテネを盟主としてエーゲ海のポリスが結んだ海軍同盟です。はじめは金庫をデロス島に置きましたが、前454年ごろアテネへ移り、同盟はしだいにアテネの帝国のようになりました。

読み方でろすどうめい
英語Delian League(デロス同盟)
時代前478/477年〜前404年
地域ギリシャ
章第2章 古代ギリシャとヘレニズム
日本語デロス同盟
盟主アテネ
金庫はじめデロス島、前454年ごろアテネへ
いっしょに覚えるペルシア戦争・ペロポネソス同盟・貢納金(フォロス)・アテネ帝国

このページのポイント

  • ペルシア戦争のあと、アテネを盟主に結成された海軍同盟。加盟市は船か貢納金(フォロス)を出した。
  • 金庫ははじめデロス島、前454年ごろアテネへ。やめようとしたポリスは武力でおさえられ、アテネの帝国のようになった。
  • スパルタのペロポネソス同盟(陸軍中心)と対立し、前431年のペロポネソス戦争へ。

デロス同盟をやさしく言うと

デロス同盟は、前478/477年ごろ、ペルシアに備えるために、アテネを盟主として結ばれた、エーゲ海の島々や小アジアのポリスの海軍同盟です。同盟の金庫を、アポロン神をまつるデロス島に置いたので、この名前がつきました。

ペルシア戦争に勝ったあとも、ペルシアがまた攻めてくるおそれはありました。とくに、小アジアやエーゲ海の島々のポリスは、ペルシアに近くて心配です。そこで、ポリスどうしで力を合わせ、海軍を続けることにしました。

ところが、この同盟はだんだん、アテネが同盟市を支配する仕組みに変わっていきます。同盟のお金をアテネが動かし、やめようとするポリスは武力でおさえつけました。これが「アテネ帝国」と呼ばれるものです。さらに、アテネとスパルタの対立が深まり、ペロポネソス戦争につながりました。

アテネ(盟主)海軍の指揮・同盟の運営 大きなポリスキオス・レスボス・サモスなど 多くのポリスエーゲ海の島々、小アジアの町々 その他の同盟市トラキアの沿岸、黒海の入口など 船を出す貢納金を納める貢納金を納める 同盟の金庫(デロス島 → アテネ)はじめアポロン神の島に置き、前454年ごろアテネへ ペルシアに備える海軍
図1 デロス同盟のしくみ。同盟市が船か貢納金を出し、金庫(はじめデロス島)に集めて海軍をまかなった。
エンリケくん

エンリケくん

同盟って、みんなが対等な仲間なんじゃないんですか?

ロダン先生

ロダン先生

最初は「みんなで守る」同盟だったんだ。でも、いちばん強いアテネが指揮をとって、お金も管理した。だんだん「対等な仲間」ではなくなったのが、デロス同盟のポイントだよ。

デロス同盟のくわしい流れ(原因・経過・結果)

① 原因:ペルシアの再来への不安と、アテネの力

前479年のプラタイアの戦いのあとも、ペルシアの力はまだ強く、小アジアのギリシャ人の町々は不安でした。いっぽう、サラミスの海戦で活躍したアテネは、海軍が強く、人々の信頼を集めていました。スパルタは、海外での長い戦いに積極的ではなく、指導をアテネにゆずる形になったと伝わります。

そこで前478/477年、アテネの呼びかけで、多くのポリスが集まり、同盟が結ばれました。同盟の本部と金庫は、デロス島の聖域に置かれます。デロス島は、古くからギリシャ人の共通の聖地だったので、特定のポリスの支配を受けない中立の場所として選ばれたのでしょう。同盟に加わったポリスは、多いときで200をこえるともいわれます(数は説によってちがい、はっきりしません)。

② 同盟のしくみ:船か、お金か

  • 盟主:アテネが同盟軍の指揮をとる。
  • 負担:同盟市は、大きなポリス(キオス・レスボス・サモスなど)は軍船を出し、ほかの多くのポリスは貢納金(フォロス)を納めた。
  • 金額の決定:アテネの政治家アリステイデスが、公平になるように各ポリスの負担額を決めたと伝わる。当初の合計は460タレントだったと、トゥキディデス(トゥキュディデス)は伝える。
  • 金庫:デロス島のアポロン神殿に置いた。

はじめは、ペルシア軍を小アジアの沿岸から追い出す戦いで成果をあげました。前466年ごろ、アテネの将軍キモンがエウリュメドン川の河口付近でペルシアの艦隊に大勝します。ペルシアはエーゲ海から遠ざけられました。

エーゲ海 アテネデロス島同盟の金庫ナクソスレスボスキオスサモスミレトスロドスタソスビザンティオン スパルタコリントス 盟主アテネ同盟市(主なもの)ペロポネソス同盟側の中心
図2 デロス同盟の地図。同盟の中心アテネと金庫のデロス島。同盟市はエーゲ海の島々・小アジア・トラキア・黒海の入口にひろがった。

③ 変化:同盟から「アテネの帝国」へ

ペルシアの危険が少なくなると、同盟からぬけたいと考えるポリスが出ます。しかしアテネは、これをゆるしませんでした。

  • 前470年代〜前467年ごろ(年は諸説あり):ナクソスが同盟をぬけようとしたが、アテネの軍がおさえつけた。
  • 前465〜前463年:北のタソスが反乱をおこして離脱をはかったが、アテネが長い包囲のすえに鎮圧した。
  • 前454年:同盟の金庫が、デロス島からアテネに移された。これは、エジプトでの遠征の失敗でペルシアの海軍を警戒したためなど、諸説あり。金庫がアテネに移ったことで、アテネが同盟のお金を自由につかえるようになった。
  • アテネは、同盟市の領地に、アテネ市民を入植させる軍の植民(クレルーキア)もおこなった。

集めた貢納金は、海軍の維持だけでなく、アテネの町の整備にもつかわれたと考えられます。ペリクレスの時代に、アクロポリスのパルテノン神殿などが建てられたとき、費用の一部に同盟の資金が使われたという見方があり、当時から批判する人もいました(ただし、どれだけ使われたかは説が分かれます)。

④ 結果:ペロポネソス戦争と同盟の終わり

アテネの力が強まるにつれて、ギリシャ本土のスパルタは、アテネをおそれるようになります。スパルタを盟主とするペロポネソス同盟(陸軍が中心)と、アテネを盟主とするデロス同盟(海軍が中心)の対立は、前431年のペロポネソス戦争で爆発しました。

戦いはアテネの敗北で終わり(前404)、デロス同盟は解散します。アテネはその後、前4世紀に「第2次アテネ海上同盟」をつくって再び同盟を結びましたが、昔ほどの力はもてませんでした。

デロス同盟ペロポネソス同盟 盟主アテネスパルタ中心の力海軍(三段櫂船)陸軍(重装歩兵)同盟市の負担船か貢納金兵(貢納金は求めず)同盟のようす民主政をすすめる寡頭政(少数支配)が多いはじまり前478/477ごろ前6世紀ごろ → 2つの対立がペロポネソス戦争へ
図3 デロス同盟とペロポネソス同盟のくらべ。海軍と陸軍、民主政と寡頭政。二つの対立がペロポネソス戦争へ。
年表の巻物を広げるロダン先生

ロダン先生

デロス同盟の年は、前478/477。「同盟をつくった年」と「金庫をアテネに移した年(前454)」を分けて覚えるのがコツだよ。

年表と対立の図で見るデロス同盟

前478/477デロス同盟ができる前466ごろエウリュメドン川の戦い(アテネが勝つ)前465〜463タソスの離脱とアテネの鎮圧前454金庫をデロス島からアテネへ前449カリアスの和約(諸説あり)前431ペロポネソス戦争が始まる前404アテネが降伏し、同盟も解散
図4 デロス同盟の年表。前478/477年の結成から、前404年のアテネ降伏と同盟解散まで。

年表のなかで、入試によく出るのは前478/477年(結成)、前454年(金庫の移動)、前431年(ペロポネソス戦争)です。「同盟が少しずつアテネの帝国になっていく」流れを、この年表で追ってみましょう。

時期デロス同盟のようすアテネの立場
前478/477結成。金庫はデロス島盟主(リーダー)
前466ごろペルシアに大勝同盟軍の中心
前467〜前463ごろナクソス・タソスを力でおさえる離脱をゆるさない
前454金庫がアテネへ同盟の資金を管理
前431〜前404ペロポネソス戦争で衰える敗れて同盟は解散

整理:デロス同盟の5つのポイント

  1. いつ:前478/477年ごろ。
  2. 目的:ペルシアの再来に備える海軍同盟。
  3. 盟主:アテネ。金庫ははじめデロス島、前454年ごろアテネへ。
  4. 負担:船か貢納金(フォロス)。
  5. 結果:アテネの帝国化 → スパルタとの対立 → ペロポネソス戦争。

デロス同盟と関係する人物・用語

人物・用語デロス同盟との関係
ペルシア戦争の流れ同盟ができたきっかけ
サラミスの海戦アテネ海軍の力を示し、盟主になる土台となった
アリステイデス貢納金の額を公平に決めたと伝わる
キモンエウリュメドン川の戦いでペルシアに勝った将軍
ペリクレス同盟の資金で、アテネの町を整えた
アテネの民主政同盟市にもすすめた
ペロポネソス戦争同盟とペロポネソス同盟の対立
スパルタペロポネソス同盟の盟主

「同盟」と聞いて、日本史の「鎌倉幕府の御家人」のような、主従のイメージを持つ人もいるかもしれません。デロス同盟は、最初は対等な軍事同盟でしたが、実態は、アテネが一方的にしたがわせる関係に変わっていった点が特徴です。

サクラちゃん

サクラちゃん

アテネの民主政は、ほかのポリスに、いいことだったんですか?

ロダン先生

ロダン先生

そこが難しいところなんだ。アテネ市民にとっては自由な政治。でも、同盟市にとっては、アテネにお金を払い、したがう関係だった。だから「民主政の国が、ほかの国を支配する」という矛盾が、よく話題になるんだよ。

デロス同盟でまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. デロス同盟とペロポネソス同盟の盟主:デロス同盟はアテネ、ペロポネソス同盟はスパルタ。
  2. 金庫の場所:はじめはデロス島、前454年ごろにアテネへ移った。「ずっとデロス島」ではない。
  3. 同盟の目的:はじめはペルシアに備えるため。「スパルタと戦うため」ではない。
  4. 陸軍と海軍:デロス同盟は海軍中心、ペロポネソス同盟は陸軍中心。
  5. デロス同盟のできた年(前478/477)とペルシア戦争の終わり:ペルシア戦争は前479年まで(和約は前449年とされるが諸説)。結成はその直後。
  6. 「同盟市はずっと対等」とは書けない:のちにアテネの支配が強まり、帝国のようになった。

入試ではこう出る

  • 共通テスト:「デロス同盟の盟主はどこか(アテネ)」「金庫はどこに置かれたか」「デロス同盟とペロポネソス同盟を比べた文の正誤」が定番です。地図で、同盟市の位置を選ぶ問題もあります。
  • 国公立の2次・論述:「アテネの海上帝国化」や、「ペロポネソス戦争の背景」を、デロス同盟の変化(金庫の移動・貢納金・離脱の鎮圧)から説明させる問題が出ます。
  • 私大:貢納金(フォロス)、クレルーキア(軍事植民)、前454年、第2次アテネ海上同盟などの語句。
  • よくあるひっかけ:「金庫がアテネにあった」を、はじめからのように書いた選択肢。

論述の練習は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)、基本の覚え方は世界史の勉強法【基礎編】を参考にしてください。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? デロス島は「生まれてはいけない島」?

ギリシャ神話では、デロス島は、アポロンとアルテミスの双子が生まれた島とされるんだ。そのため聖なる島で、人が生まれたり亡くなったりしてはいけないと決められたこともあったと伝わるよ(前426年、アテネが島を清めたという記録がある)。ちょっと不思議な島だよね。

ロダン先生

これ知ってる? 「帝国」とは言い切れない?

アテネは、同盟のポリスから貢納金をとったけれど、同盟市の中には民主政を歓迎する人たちもいた、と考える研究者もいるんだ。「アテネ帝国」という呼び方は、今も研究者のあいだで意見が分かれる部分があるよ(諸説あり)。

ロダン先生

これ知ってる? 貢納金の記録が石に刻まれた

同盟市がアテネに納めた貢納金の一部(60分の1)は、女神アテナにささげられ、その金額は石碑に刻まれたんだ。その石碑が見つかっているおかげで、どのポリスがいくら納めたか、後の人にもわかるんだよ。

練習問題

やさしい

  1. ペルシアに備えて、前478/477年ごろにアテネを盟主として結ばれた同盟を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:デロス同盟
    金庫がデロス島に置かれたので、この名前がつきました。

  2. デロス同盟の加盟市が、船を出すかわりに納めたお金を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:貢納金(フォロス)

ふつう

  1. デロス同盟の金庫は、前454年ごろにどこへ移されたか。
    答えと解説を見る

    答え:アテネ
    はじめはデロス島にありました。

  2. デロス同盟と対立した、スパルタを盟主とする同盟を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:ペロポネソス同盟
    陸軍が中心の同盟です。

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「デロス同盟は、はじめからアテネの帝国として、加盟市を支配するための組織だった。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    はじめはペルシアに備えるための同盟でした。のちに、金庫の移動や離脱の鎮圧などを通じて、アテネが同盟市を支配するようになりました。

  2. デロス同盟が、アテネの「帝国」のようになっていった理由を、70字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:アテネは同盟の金庫をデロス島からアテネに移して資金を管理し、同盟からぬけようとしたナクソスやタソスなどを武力でおさえたから。(66字)

    「金庫の移動(資金の管理)」と「離脱を武力でおさえた」の2点が入れば合格です。

「古代ギリシャとヘレニズム」の章の用語

この章の流れは古代ギリシャとヘレニズムの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

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よくある質問

デロス同盟とは何ですか?

デロス同盟とは、前478/477年ごろ、ペルシアの再来に備えるために、アテネを盟主としてエーゲ海のポリスが結んだ海軍同盟です。金庫をデロス島に置いたので、この名前がつきました。

デロス同盟はいつ、なぜつくられましたか?

前478/477年ごろ、ペルシア戦争のあとにつくられました。ペルシアがまた攻めてくるのを防ぎ、小アジアのギリシャ人の町を守るのが目的でした。

デロス同盟の盟主はどこですか?

アテネです。サラミスの海戦などで海軍の力を示したアテネが、同盟の指揮をとりました。

同盟市は何を負担しましたか?

大きなポリスは軍船を出し、多くのポリスは貢納金(フォロス)を納めました。貢納金の額はアリステイデスが決めたと伝わります。

デロス同盟の金庫はどこにありましたか?

はじめはデロス島のアポロン神殿に置かれ、前454年ごろ、アテネに移されました。移した理由には諸説あります。

なぜデロス同盟は「アテネ帝国」と呼ばれるのですか?

アテネが金庫をアテネに移して資金を管理し、同盟からぬけようとしたナクソスやタソスなどを武力でおさえたからです。同盟は、しだいにアテネの支配する組織になりました。

デロス同盟とペロポネソス同盟のちがいは何ですか?

デロス同盟はアテネを盟主とする海軍中心の同盟で、貢納金を求めました。ペロポネソス同盟はスパルタを盟主とする陸軍中心の同盟で、貢納金は求めませんでした。

デロス同盟はどうなりましたか?

ペロポネソス戦争(前431〜前404)でアテネが敗れ、同盟は解散しました。アテネはのちに前4世紀に、第2次アテネ海上同盟をつくりました。

デロス同盟は英語で何といいますか?

Delian League(デーリアン・リーグ)です。貢納金はギリシャ語でフォロス(phoros)といいます。

デロス同盟は入試でどう出ますか?

共通テストでは、盟主、金庫の場所、ペロポネソス同盟との比較が正誤問題でよく出ます。2次の論述では、アテネの帝国化とペロポネソス戦争の背景を説明させる問題が定番です。

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出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • トゥキディデス(トゥキュディデス)『戦史』
  • アリストテレス(とされる)『アテナイ人の国制』

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦