世界史用語集 › 第2章 古代ギリシャとヘレニズム
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ペイシストラトスぺいしすとらとす
重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)
ひとことで言うと
ペイシストラトスとは、前6世紀のアテネで、僭主として権力をにぎった政治家です。僭主とは法によらず実力で権力をにぎった支配者のこと。貧しい農民を保護して貴族の力をおさえ、のちの民主政の土台を準備しました。
| 読み方 | ぺいしすとらとす |
|---|---|
| 英語 | Peisistratos(ペイシストラトス)/Pisistratus |
| 時代 | 前6世紀(前561年〜前527年ごろ) |
| 地域 | ギリシャ |
| 章 | 第2章 古代ギリシャとヘレニズム |
| 人物 | ペイシストラトス(アテネの僭主) |
| 僭主とは | 法によらず実力で権力をにぎった支配者 |
| 支持した人々 | 山地派(貧しい農民・牧畜民) |
| いっしょに覚える | ソロンの改革・ヒッピアスの追放・クレイステネスの改革 |
このページのポイント
- 僭主は、実力で権力をにぎった支配者のこと。ペイシストラトスは山地派(貧しい農民)の支持で、3度目に僭主になった。
- 農民の保護・公共事業・祭りの充実で、貴族の力を弱め、アテネを豊かにした。
- 息子ヒッピアスは暴政化し、前510年に追放された。その後、クレイステネスの改革へ。
ペイシストラトスをやさしく言うと
ペイシストラトスは、前6世紀のアテネで、「僭主」として権力をにぎった政治家です。僭主とは、法律にしたがわず、実力で権力をにぎった支配者のことです。「僭主政治(僭主制)」は、ソロンの改革の後、クレイステネスの改革の前にあたります。
名前に「悪い人」というイメージがつきそうですが、ペイシストラトスは、貧しい農民を助け、公共事業をおこない、アテネを豊かにしたと、評価されることが多い人物です。ただし、息子たちの代には、暴力的な支配になりました。
エンリケくん
僭主って、悪い王さまのことですか?
ロダン先生
ちがうんだ。「王の家柄でないのに、実力で権力をにぎった人」という意味なんだよ。いい政治をした僭主もいれば、悪い政治をした僭主もいる。ペイシストラトスは、どちらかというと評判のよい僭主だったんだ。
エンリケくん
「僭主」ってことばだけで、悪い人と決めつけちゃだめなんですね。
ペイシストラトスのくわしい流れ(背景 → 僭主政治 → 終わり)
① 背景:ソロンのあとも続いた対立
ソロンの改革(前594年ごろ)のあとも、アテネの貴族と貧しい農民の対立は、おさまりませんでした。さらに、アッティカ地方の中でも、地域ごとに利害がちがい、3つの党派にわかれて争いました。
- 平野派:アテネの周辺の平野に住む大地主の貴族。
- 海岸派:海に近い地方の、商工業者や穏健な人々。
- 山地派:山あいの地方の、貧しい農民や牧畜民。ペイシストラトスが率いた。
② 僭主になる(前561年〜前546年ごろ)
ペイシストラトスは、軍人としても活躍した人物で、山地派の支持を受けて、前561年に、護衛をつけて権力をにぎりました。しかし、ほかの党派が手を組み、まもなく追放されます。その後も、いちど復帰しては追放されることをくりかえし、3度目にようやく成功して、前546年ごろから、本格的にアテネを支配しました。
つまり、「僭主になる」までに、少なくとも2度は失敗しています。僭主政治の強さは、最初からあったわけではなく、苦労して勝ち取ったものだった、と考えるとよいでしょう。
③ 政策:平民のための政治
ペイシストラトスの政治は、貴族の力をおさえ、中小農民を保護するものでした。
- 農民の保護:貧しい農民に、お金を貸し付けたり、土地を耕すのを助けたりした(貸付の中身には諸説あり)。
- 公共事業:神殿の建設、水道・道路の整備などで、仕事をつくり、アテネを美しくした。
- 祭りの充実:パンアテナイア祭や、ディオニュソス祭(演劇の祭り)を盛大にして、市民の一体感を育てた。
- 文化の保護:ホメロスの叙事詩を整理させた、という伝承がある(ホメロス)。
- 制度は残した:ソロンの国制(法律・役職)は、形のうえでは残し、自分の一族が重要な役職をおさえた。
こうした政策で、貴族の力は弱まり、中小農民が力をつけました。この農民たちは、重装歩兵として国を守る市民でもあります。「国を守る自分たちは、政治にも口を出せる」という意識は、僭主政治の時代に育ったと考えられます。
④ 息子たちの時代と、僭主政治の終わり
前527年、ペイシストラトスが亡くなると、息子のヒッピアスとヒッパルコスが、あとをつぎました。はじめは父のやり方を受けつぎましたが、前514年、ヒッパルコスが、ハルモディオスとアリストゲイトンという2人の青年に殺されます(これには、個人的なうらみもあったと伝えられます)。
その後、ヒッピアスは疑い深くなり、暴力的な支配をするようになりました。人々の不満が高まり、アテネの有力貴族アルクメオン家などが亡命して、ヒッピアスをたおそうとしました。そして前510年、スパルタの軍の助けで、ヒッピアスを追放しました。ヒッピアスは、ペルシアに逃げたと伝えられます(のち、ペルシア戦争のマラトンの戦いで、ペルシア軍に同行したとも伝えられます)。
⑤ 僭主政治の意味
- 貴族の力が弱まった:貴族が政治を独占する形がくずれた。
- 中小農民が力をつけた:のちの民主政をささえる市民層が育った。
- アテネが豊かに、一つにまとまった:公共事業や祭りで、アテネ市民という意識が高まった。
- 「僭主はこりごり」という意識:僭主政治のあと、「1人に権力が集中しない」ことを大切にする考えが強まり、陶片追放の背景になったと説明されることがある。
年表・図で見るペイシストラトス

ロダン先生
ペイシストラトスは前561年の最初の権力、前546年ごろの3度目の成功、前510年の僭主政治の終わり。この3つの年を結ぼう。
整理:ペイシストラトスと僭主政治のポイント
- 僭主=法によらず、実力で権力をにぎった支配者。
- 山地派(貧しい農民)の支持で、前561年に最初に権力をにぎり、3度目で成功。
- 農民の保護・公共事業・祭りの充実で、貴族をおさえた。
- 息子ヒッピアスは暴政化し、前510年に追放された。
- この後、クレイステネスの改革(前508年ごろ)へ。
ペイシストラトスと関係する人物・用語
| 用語 | 関係 |
|---|---|
| ソロンの改革 | 僭主政治の前。ソロンの国制は形式上、残された |
| クレイステネスの改革 | 僭主政治の後の改革。民主政の基礎をつくった |
| 重装歩兵 | 僭主を支持した中小農民は、重装歩兵として戦う層 |
| スパルタ | 前510年、ヒッピアスの追放に協力した |
| 陶片追放 | 僭主の再現を防ぐ制度とされる |
| アテネの民主政 | 僭主政治をへて育った |
| アクロポリス | ペイシストラトスの時代に、アテナの神殿と祭りが整えられた |
ペイシストラトスの政治は、ヘロドトスの『歴史』にくわしく書かれています。たとえば、最初の権力奪取のとき、自分で自分を傷つけて「敵に襲われた」と見せかけ、護衛をつけてもらった、という話があります(ヘロドトスの伝える逸話)。
サクラちゃん
僭主政治って、民主政とは反対のものですか?
ロダン先生
そう言い切れないところが面白いんだ。僭主政治は、1人の権力者が支配するけど、貴族をおさえて平民を育てた点では、民主政への準備になった、と説明されるんだよ。反対というより、通り道なんだね。
ペイシストラトスでまちがえやすい点
まちがえやすい点
- 僭主を「悪い王」と決めつける:僭主は、非合法に権力をにぎった支配者のこと。ペイシストラトスは平民のために政治をした。
- ソロンとペイシストラトスの順番を逆にする:ソロン(前594年ごろ)→ペイシストラトス(前561年〜)→クレイステネス(前508年ごろ)。
- ペイシストラトスが民主政を始めたと書く:民主政の基礎をつくったのはクレイステネス。
- 僭主政治の終わりを、アテネ市民だけの力と思う:スパルタの軍の助けで、ヒッピアスが追放された。
- ペイシストラトスがソロンの改革を全部やめたと思う:国制は形の上で残した。
- 僭主政治がアテネだけのものと思う:ほかのポリス(コリントスなど)にも僭主が現れた。
ペイシストラトスは入試ではこう出る
- 共通テスト:僭主の意味、ソロン・ペイシストラトス・クレイステネスの順番や、それぞれの内容を組み合わせる正誤問題。
- 国公立の2次・論述:「アテネで民主政ができるまで」を、ソロン→僭主政治→クレイステネス→ペリクレスの流れでまとめる問題。ペイシストラトスは貴族の力を弱め、中小農民を育てたという点を入れます。
- 私大:「僭主」「山地派」「ヒッピアス」などの語句問題。
- ほかのポリスとの比較:コリントスなどの僭主政治と、アテネの僭主政治の共通点を問う問題。
基礎の覚え方は世界史の勉強法【基礎編】(教科書・一問一答・用語集の使い方)、論述の書き方は世界史の勉強法(私大・2次試験編)を見てください。
ロダン先生の「これ知ってる?」
これ知ってる? 「僭主」は英語で tyrant、のちに「暴君」の意味に
僭主はギリシャ語で「テュランノス」といい、英語の tyrant(暴君)のもとになったことばなんだ。もとは、いい悪いの意味はなく、「実力で権力をにぎった人」の意味だった。のちの人たちが、悪い僭主の印象を強く持ったので、「暴君」の意味になったんだよ。
これ知ってる? ハルモディオスとアリストゲイトンは「英雄」になった
ヒッパルコスを暗殺した2人の青年は、アテネで「僭主殺し」の英雄としてたたえられ、銅像まで建てられたんだ。ただし、暗殺のきっかけには個人的なうらみもあった、と伝えられていて、「民主政の英雄」というのは、あとの時代の評価という面もあるよ。

ロダン先生
ペイシストラトスは「農民の味方・僭主・3度目で成功」。ソロンとクレイステネスの間に入れて覚えよう!
練習問題
やさしい
- 法律によらず、実力で権力をにぎった支配者を何というか。
答えと解説を見る
答え:僭主
ギリシャ語ではテュランノスといいます。 - 前561年に、アテネではじめて権力をにぎった僭主はだれか。
答えと解説を見る
答え:ペイシストラトス
ソロンの改革のあとの人物です。
ふつう
- ペイシストラトスを支持した、貧しい農民や牧畜民の党派を何というか。
答えと解説を見る
答え:山地派
平野派は大地主の貴族、海岸派は商工業者などでした。 - 前510年に、ヒッピアスを追放する手助けをしたポリスはどこか。
答えと解説を見る
答え:スパルタ
むずかしい
- 正しいか誤りか答えよ。「ペイシストラトスは、ソロンの国制を完全にやめて、貴族だけの政治に戻した。」
答えと解説を見る
答え:誤り
ソロンの国制は形のうえでは残し、貴族をおさえて中小農民を保護する政治をおこないました。 - ペイシストラトスの僭主政治がアテネの民主政の発展に果たした役割を、「中小農民」「貴族」のことばを使って60字ほどで説明せよ。
答えと解説を見る
答えの例:貴族の力をおさえて中小農民を保護し、公共事業や祭りで市民意識を高めたことが、のちの民主政をささえる市民層を育てた。(62字)
「貴族の力をおさえる」「中小農民の保護」「民主政の準備」が入れば合格です。
「古代ギリシャとヘレニズム」の章の用語
- エーゲ文明(世界史) ★★★★★
- クレタ文明(世界史) ★★★★★
- ミケーネ文明(世界史) ★★★★★
- ポリス(世界史) ★★★★★高校受験
- アクロポリスとアゴラ(世界史) ★★★★★高校受験
- ヘレネスとバルバロイ(世界史) ★★★★★
- 重装歩兵(世界史) ★★★★★
- スパルタ(世界史) ★★★★★
- ソロンの改革(世界史) ★★★★★
- クレイステネスの改革(世界史) ★★★★★
- 陶片追放(世界史) ★★★★★
- ペルシア戦争(世界史) ★★★★★
- サラミスの海戦(世界史) ★★★★★
- デロス同盟(世界史) ★★★★★
- ペリクレス(世界史) ★★★★★
- アテネの民主政(世界史) ★★★★★高校受験
- ペロポネソス戦争(世界史) ★★★★★
- アレクサンドロス大王(世界史) ★★★★★高校受験
- ヘレニズム(世界史) ★★★★★高校受験
- ホメロス(世界史) ★★★★★
- ヘロドトスとトゥキディデス(世界史) ★★★★★
- ソクラテス(世界史) ★★★★★
- プラトン(世界史) ★★★★★
- アリストテレス(世界史) ★★★★★
この章の流れは古代ギリシャとヘレニズムの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。
← 前の語:ソロンの改革(世界史) | 次の語:クレイステネスの改革(世界史) →
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よくある質問
ペイシストラトスとは何者ですか?
ペイシストラトスは、前6世紀のアテネで僭主として権力をにぎった政治家です。山地派の貧しい農民に支持され、3度目に成功して前546年ごろから支配しました。農民の保護や公共事業で知られます。
僭主とは何ですか?
僭主とは、法律や血筋によらず、実力で権力をにぎった支配者のことです。ギリシャ語ではテュランノスといい、英語の tyrant(暴君)のもとになりましたが、もとは悪い意味ではありませんでした。
ペイシストラトスはどんな政策をしましたか?
貧しい農民への保護、神殿・水道などの公共事業、パンアテナイア祭やディオニュソス祭の充実などをおこないました。ソロンの国制は形のうえで残しました。
アテネの3つの党派とは何ですか?
平野派(大地主の貴族)、海岸派(商工業者・穏健な人々)、山地派(貧しい農民や牧畜民)です。ペイシストラトスは山地派の指導者でした。
ペイシストラトスの僭主政治はどう終わりましたか?
前527年にペイシストラトスが死ぬと、息子のヒッピアスとヒッパルコスがあとをつぎました。前514年にヒッパルコスが暗殺され、ヒッピアスが暴政化して、前510年にスパルタの助けで追放されました。
ソロン・ペイシストラトス・クレイステネスの順番とちがいは?
ソロン(前594年ごろ)は財産政治と借金帳消し、ペイシストラトス(前561年〜)は僭主として貴族をおさえて農民を保護、クレイステネス(前508年ごろ)は10部族制などで民主政の基礎をつくりました。
僭主政治は民主政とどう関係しますか?
僭主政治は貴族の力を弱め、中小農民を育てました。この農民たちが重装歩兵として政治参加を求め、のちの民主政をささえる市民層になりました。民主政への準備段階と説明されます。
ペイシストラトスは英語で何といいますか?
Peisistratos または Pisistratus と書きます。僭主は tyrant で、僭主政治は tyranny です。
ペイシストラトスは入試でどう出ますか?
共通テストでは、僭主の意味や、ソロン・ペイシストラトス・クレイステネスの順番と内容の組み合わせが問われます。論述では、アテネの民主政ができるまでの流れの中で問われます。
あわせて読みたい
出典・参考
- 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
- ヘロドトス『歴史』(ペイシストラトスの権力奪取・ヒッピアスの追放)
- アリストテレス(伝)『アテナイ人の国制』(僭主政治)
- トゥキュディデス(トゥキディデス)『戦史』(ヒッパルコスの暗殺)
最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦


