世界史用語集 › 第2章 古代ギリシャとヘレニズム
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ペリクレスぺりくれす
重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)
ひとことで言うと
ペリクレスとは、前5世紀なかばのアテネで、将軍に連続して選ばれ、民主政を完成させた政治家です。日当の制度で貧しい市民も政治に参加できるようにし、パルテノン神殿を建て、ペロポネソス戦争の初期の前429年に疫病で亡くなりました。
| 読み方 | ぺりくれす |
|---|---|
| 英語 | Pericles(ペリクレス/ペリクレース、ギリシャ語 Περικλῆς) |
| 時代 | 前495年ごろ〜前429年(活躍は前5世紀なかば) |
| 地域 | ギリシャ |
| 章 | 第2章 古代ギリシャとヘレニズム |
| 日本語 | ペリクレス(ペリクレース) |
| 役職 | 将軍(前443〜前429年に連続して選ばれる) |
| 主な業績 | 民主政の完成・パルテノン神殿の建設・長城壁による作戦 |
| いっしょに覚える | クレイステネス・デロス同盟・ペロポネソス戦争・アスパシア |
このページのポイント
- 前443〜前429年に将軍へ連続して選ばれ、アテネ民主政を完成させた。王ではなく、選挙で選ばれた指導者。
- 日当で貧しい市民も政治に参加でき、デロス同盟の資金でパルテノン神殿などを建設。アテネの黄金時代。
- ペロポネソス戦争が始まった翌年から疫病が広がり、前429年に死去。民主政の土台はクレイステネス、完成はペリクレス。
ペリクレスをやさしく言うと
ペリクレス(ペリクレース)は、古代アテネの民主政が最も栄えた前5世紀なかばに、政治の中心にいた政治家です。前443年から前429年まで、ほぼ毎年、将軍に選ばれつづけ、アテネを導きました。
ペリクレスの時代、アテネでは貧しい市民も政治に参加できるしくみが整い、アテネの民主政は完成したといわれます。いっぽう、デロス同盟の力をつかって、アテネは海の大国になりました。また、パルテノン神殿などの建築が進み、学者や芸術家が集まります。この時期を「アテネの黄金時代」と呼びます。
ただし、ペリクレスの晩年にペロポネソス戦争が始まり、彼は戦争の途中で疫病にかかって亡くなりました。繁栄と戦争の始まり、その両方の時代を生きた人物です。
エンリケくん
ペリクレスは王様だったんですか?
ロダン先生
いいや、王ではないんだ。アテネの民主政では、役人の多くはくじで選ばれるけど、軍の指揮をとる将軍は選挙で選ばれた。ペリクレスは、その将軍に何度も選ばれたんだ。「王」ではなく「みんなに選ばれた第一人者」だね。
ペリクレスのくわしい流れ(登場・改革・戦争)
① 登場:名門の出身で、民主派の指導者に
ペリクレスは前495年ごろ、アテネの名門に生まれたとされます(生年には諸説)。父クサンティッポスは、ペルシア戦争のとき、ミュカレの戦いで活躍した将軍でした。ペリクレスは若いころから政治に関わり、民主派の指導者エフィアルテスのあとをうけて、民衆の支持を集めます。
前461年、エフィアルテスの改革で、貴族の牙城だったアレオパゴス会議の力が弱められ、政治の中心は民会(市民全員の集会)や500人評議会、民衆裁判所へ移りました。この改革の後、エフィアルテスは暗殺されたと伝わります。ペリクレスの政敵だった保守派のキモンは、このころ陶片追放で国を去りました。
② 民主政の完成:日当と市民権法
ペリクレスは、次のような政策を進めたと伝わります。
- 日当(手当)の支給:陪審員や評議員などの公務をつとめる市民に、日当を出した。仕事を休んでも生活ができるようになり、貧しい市民も政治に参加できるようになった。
- 市民権法(前451/450年):市民権を、両親ともにアテネ人の子に限った。「市民」の範囲をせばめた法律でもある。
- 将軍職には、これまでどおり選挙が使われた。将軍は何度でも再選できたため、ペリクレスのような実力者が長く政治をとれた。
アテネは、成年男性の市民が民会で直接決める「直接民主政」でした。ペリクレスの時代、民会は国の政策を決める最高の機関で、市民が自分の意見を言い、投票しました。くわしくはアテネの民主政のしくみを見てください。
③ 黄金時代:海の大国と文化
ペルシア戦争のあとにできたデロス同盟は、しだいにアテネの力のもとになりました。前454年に金庫がアテネに移り、貢納金がアテネの資金として使えるようになります。この資金で、海軍が維持され、アテネの町も整えられていきました。
前447年ごろから、アクロポリスの丘に、守り神アテナ(アテネ)の神殿パルテノン神殿が建てられます(完成は前432年ごろ)。彫刻家フェイディアス(ペイディアス)が、女神像の制作や彫刻の監督に関わったと伝わります。劇場では、ソフォクレスなどの悲劇が上演され、哲学者・歴史家・医者なども、アテネに集まりました。
④ ペロポネソス戦争と最期
アテネの勢力が大きくなると、スパルタをはじめとするペロポネソスの国々はおそれを強めました。前431年、ペロポネソス戦争が始まります。
ペリクレスの作戦は、陸ではたたかわず、海で戦うというものでした。アテネの町とその港ペイライエウスは、2本の長城壁でつながれていて、スパルタが陸から攻めてきても、市民はみな城壁の中に入り、海から食料を運べば持ちこたえられるという考えです。
前431年か前430年の冬、ペリクレスは戦没者をいたむ追悼演説をしました。歴史家トゥキディデス(トゥキュディデス)の『戦史』には、その内容が書かれています。それによると、アテネの政治は少数の人でなく多くの人にゆだねられているので「民主政」と呼ばれる、法の前では個人のあいだに平等があり、能力のある人は貧しくても役職につける、と述べています。ただし、演説の言葉は、トゥキディデスが再構成したものとされ、一字一句そのままではありません。
ところが、城壁の中に人が集まりすぎたため、前430年から疫病が広がりました。ペリクレスは一時、将軍をやめさせられ、罰金を科されますが、まもなく再び選ばれます。しかし前429年、彼自身も疫病で亡くなりました。アテネは、すぐれた指導者を失います。トゥキディデスは、ペリクレスについて、名前は民主政でも、実際は「第一人者の支配」だったと評しています。その後のアテネでは、人気を集めたいだけの指導者(デマゴーゴス)が目立つようになりました。

ロダン先生
ペリクレスは、「ギリシャの学校」とも呼ばれたアテネをつくった人。ぼくも見に行きたいな。パルテノンの前でカレーを食べたいなあ。
年表と作戦の図で見るペリクレス
年表をながめると、ペリクレスの人生は、民主政を整えた時期(前461〜前443)、黄金時代を築いた時期(前447〜前432ごろ)、戦争の時期(前431〜前429)の3つに分けられます。
| 時期 | 主なできごと | アテネのようす |
|---|---|---|
| 前461〜前443 | エフィアルテスの改革・市民権法・日当 | 民主政が整う |
| 前447〜前432ごろ | パルテノン神殿・プロピュライア建設 | 黄金時代 |
| 前443〜前429 | 将軍に連続して選ばれる | ペリクレスの時代 |
| 前431〜前429 | ペロポネソス戦争・疫病 | 戦争と指導者の死 |
整理:ペリクレスの要点
- いつ:前5世紀なかば。将軍に前443〜前429年に連続して選ばれた。
- 民主政:日当の制度などで、貧しい市民も政治に参加できるようにした(民主政の完成期)。
- 海上帝国:デロス同盟の資金と海軍の力でアテネが強くなった。
- 文化:パルテノン神殿の建設、学者・芸術家の活躍。
- 戦争:ペロポネソス戦争の初期に疫病で亡くなる(前429)。
ペリクレスと関係する人物・用語
| 人物・用語 | ペリクレスとの関係 |
|---|---|
| アテネの民主政 | ペリクレスの時代に完成したといわれる |
| デロス同盟 | 資金と海軍の力でアテネが栄えた |
| ペロポネソス戦争 | ペリクレスの時代に始まり、アテネが衰える |
| 陶片追放 | ライバルのキモンが対象となった |
| クレイステネスの改革 | ペリクレスの民主政の土台(母方の一族とも関わる) |
| ヘロドトスとトゥキディデス | ペリクレスの時代に活躍した歴史家 |
| ソクラテス | ペリクレスの時代に成長した哲学者 |
| アスパシア | ペリクレスの妻のような存在。ミレトス出身(伝承) |
ペリクレスの「母方の一族」は、クレイステネスを出したアルクマイオン家だったと伝わります。民主政の土台をつくった改革者の家と、民主政の完成期をひきいたペリクレスが、血縁でつながっているのです。哲学者ソクラテスやプラトンも、ペリクレス後のアテネで活躍しました。
サクラちゃん
ペリクレスの民主政って、今の民主主義と同じですか?
ロダン先生
そっくりではないんだ。女性・奴隷・在留外人は政治に参加できなかったし、市民権法で、市民の範囲はむしろせまくなったんだよ。でも「市民が直接決める」という考えは、今の民主主義の大事な手本になっているんだ。
ペリクレスでまちがえやすい点
まちがえやすい点
- ペリクレスは王や僭主ではない:選挙で選ばれる将軍。法の中で力をもった政治家。
- 民主政をつくった人ではない:土台をつくったのはクレイステネス。ペリクレスは完成させた人。
- クレイステネスとのちがい:クレイステネス(前508/507)は民主政の基礎、ペリクレス(前5世紀なかば)は完成期。
- 市民権法はペリクレスの政策:市民を「両親ともアテネ人」に限定した。
- ペロポネソス戦争の終わりまで生きたわけではない:戦争の初期(前429)に亡くなった。
- ペリクレスはソロンの時代の人ではない:ソロンは前6世紀の初め。ペリクレスは前5世紀なかば。
入試ではこう出る
- 共通テスト:「アテネ民主政の完成期の指導者はだれか(ペリクレス)」「ペリクレスの時代に建てられた神殿はどれか(パルテノン神殿)」などが基本です。史料問題で、追悼演説の一部が示され、「どこの国の政治について述べているか」を問われることもあります。
- 国公立の2次・論述:「アテネ民主政の発展」を、クレイステネス→ペルシア戦争→ペリクレスの流れで説明させる問題がよく出ます。ペリクレスの政策は「日当の支給」と「民主政の完成」をセットで書くのがコツです。
- 私大:市民権法、アレオパゴス会議、フェイディアス、長城壁、デマゴーゴスなどの語句。
- よくあるひっかけ:ペリクレスとクレイステネス、ソロンの取りちがえ。
論述のコツは世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)、共通テストの対策は世界史の勉強法【共通テスト対策】にまとめています。
ロダン先生の「これ知ってる?」
これ知ってる? 「ペリクレス時代」は今も使われる言葉
英語では the Age of Pericles(ペリクレスの時代)と呼ぶんだ。ある人物の名前で時代を表す言い方は、ほかにも「エリザベス朝」「ルイ14世の時代」などがあるよ。それだけペリクレスの存在が大きかったんだね。
これ知ってる? パルテノン神殿の柱は、まっすぐに見えて少し曲がっている
パルテノン神殿の柱は、じつは中ほどが少しふくらんでいて、床も少しだけ盛りあがっていると言われるんだ。人間の目には、まっすぐな柱が細く見えてしまうから、それを補うための工夫だよ。ふくらみ(エンタシス)の説明は、時代の本でよく出てくるんだ。
これ知ってる? デモス(民衆)とクラトス(力)
民主政は、ギリシャ語で デモクラティア。「デモス(民衆)」と「クラトス(力・支配)」を合わせたことばなんだ。ペリクレスの追悼演説にも、この考えが出てくるとされるよ。
練習問題
やさしい
- アテネの民主政が完成した前5世紀なかばに、将軍として政治の中心にいた政治家はだれか。
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答え:ペリクレス(ペリクレース)
前443〜前429年に、ほぼ毎年、将軍に選ばれました。 - ペリクレスの時代に、アクロポリスの丘に建てられた、女神アテナの神殿を何というか。
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答え:パルテノン神殿
前447年ごろから前432年ごろにかけて建てられました。
ふつう
- ペリクレスの時代に、陪審員などの公務をつとめる市民に出された、貧しい市民も政治に参加できるようにした手当を何というか。
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答え:日当(手当)
仕事を休んでも生活できるようになりました。 - ペリクレスが亡くなった原因として正しいものを選べ。ア 陶片追放 イ 疫病 ウ マラトンの戦い エ 処刑
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答え:イ(疫病)
ペロポネソス戦争の初期、前429年に疫病で亡くなりました。
むずかしい
- 正しいか誤りか答えよ。「ペリクレスは、アテネの民主政の基礎をつくった人物で、前6世紀の終わりに改革をおこなった。」
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答え:誤り
民主政の基礎をつくったのはクレイステネス(前508/507ごろ)です。ペリクレスは前5世紀なかばに民主政を完成させた人物です。 - ペリクレスの時代に、貧しい市民も政治に参加できるようになった理由を、60字ほどで説明せよ。
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答えの例:ペリクレスは陪審員や評議員などの公務をつとめる市民に日当を出し、仕事を休んでも生活できるようにしたため、貧しい市民も参加できた。(64字)
「日当(手当)の支給」と「貧しい市民も政治に参加」の2点が入れば合格です。
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- クレタ文明(世界史) ★★★★★
- ミケーネ文明(世界史) ★★★★★
- ポリス(世界史) ★★★★★高校受験
- アクロポリスとアゴラ(世界史) ★★★★★高校受験
- ヘレネスとバルバロイ(世界史) ★★★★★
- 重装歩兵(世界史) ★★★★★
- スパルタ(世界史) ★★★★★
- ソロンの改革(世界史) ★★★★★
- ペイシストラトス(世界史) ★★★★★
- クレイステネスの改革(世界史) ★★★★★
- 陶片追放(世界史) ★★★★★
- ペルシア戦争(世界史) ★★★★★
- サラミスの海戦(世界史) ★★★★★
- デロス同盟(世界史) ★★★★★
- アテネの民主政(世界史) ★★★★★高校受験
- ペロポネソス戦争(世界史) ★★★★★
- アレクサンドロス大王(世界史) ★★★★★高校受験
- ヘレニズム(世界史) ★★★★★高校受験
- ホメロス(世界史) ★★★★★
- ヘロドトスとトゥキディデス(世界史) ★★★★★
- ソクラテス(世界史) ★★★★★
- プラトン(世界史) ★★★★★
- アリストテレス(世界史) ★★★★★
この章の流れは古代ギリシャとヘレニズムの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。
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よくある質問
ペリクレスとはどんな人ですか?
ペリクレスとは、前5世紀なかばのアテネの政治家です。将軍に連続して選ばれ、アテネ民主政を完成させました。パルテノン神殿の建設も進め、アテネの黄金時代をきずきました。
ペリクレスはいつごろの人ですか?
前495年ごろに生まれ、前429年に亡くなったとされます。生年には諸説があります。活躍したのは前5世紀なかばで、将軍に連続して選ばれたのは前443〜前429年です。
ペリクレスは何をしましたか?
陪審員などに日当を出して貧しい市民も政治に参加できるようにし、民主政を完成させました。また、パルテノン神殿などを建て、アテネを海の大国・文化の中心にしました。
ペリクレスは王でしたか?
いいえ。王や僭主ではなく、市民の選挙で選ばれる将軍でした。将軍は何度でも再選できたため、ペリクレスは長く政治の中心にいられました。
ペリクレスとクレイステネスのちがいは何ですか?
クレイステネスは前508/507年ごろに民主政の基礎をつくった人で、ペリクレスは前5世紀なかばに民主政を完成させた人です。時代が約半世紀ちがいます。
ペリクレスの市民権法とは何ですか?
前451/450年に、市民権を両親ともにアテネ人の子に限った法律です。民主政が進む一方で、市民の範囲がせばめられたことに注意が必要です。
ペリクレスはどうやって亡くなりましたか?
ペロポネソス戦争の初期に、城壁の中に人が集まって広がった疫病にかかり、前429年に亡くなりました。ペリクレスの死後、アテネは有能な指導者を失いました。
ペリクレスの追悼演説とは何ですか?
ペロポネソス戦争の最初の戦没者をいたむ演説です。歴史家トゥキディデスの『戦史』に内容が伝わり、アテネの民主政の理想を語ったものとして有名ですが、再構成された文章とされます。
ペリクレスは英語で何といいますか?
Pericles(ペリクリーズ)です。ペリクレスの時代は the Age of Pericles と呼ばれます。
ペリクレスは入試でどう出ますか?
共通テストでは、民主政の完成期の指導者、パルテノン神殿、クレイステネスとの区別が定番です。2次の論述では、アテネ民主政の発展の流れの中で、日当と民主政の完成を説明させる問題が出ます。
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出典・参考
- 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
- トゥキディデス(トゥキュディデス)『戦史』
- プルタルコス『英雄伝』(ペリクレスの伝)
最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦


