世界史用語集 › 第2章 古代ギリシャとヘレニズム
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サラミスの海戦さらみすのかいせん
重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)
ひとことで言うと
サラミスの海戦とは、前480年に、アテネ近くのサラミス海峡で、ギリシャ連合艦隊がペルシアの大艦隊に大勝した海戦です。テミストクレスの作戦が成功し、船をこいだ無産市民の発言力が増して、アテネの民主政が進むきっかけになりました。
| 読み方 | さらみすのかいせん |
|---|---|
| 英語 | Battle of Salamis(サラミスの海戦) |
| 時代 | 前480年(ペルシア戦争) |
| 地域 | ギリシャ |
| 章 | 第2章 古代ギリシャとヘレニズム |
| 日本語 | サラミスの海戦 |
| 場所 | アテネ近くのサラミス海峡 |
| 戦った人 | テミストクレス(ギリシャ)vs クセルクセス1世(ペルシア) |
| いっしょに覚える | ペルシア戦争・三段櫂船・無産市民・デロス同盟 |
このページのポイント
- 前480年、テミストクレスの作戦で、せまいサラミス海峡にペルシア艦隊をおびきよせて、ギリシャが大勝した。
- 三段櫂船のこぎ手は、土地をもたない無産市民。国を守った実績が、アテネの民主政を進めた。
- 戦いの順:マラトン(前490・陸)→ テルモピュライ・サラミス(前480)→ プラタイア(前479・陸)。
サラミスの海戦をやさしく言うと
サラミスの海戦は、前480年に、アテネ近くのサラミス海峡で、ギリシャの連合艦隊がペルシアの大艦隊に勝った海戦です。ペルシア戦争のいちばんの転換点とされます。
ペルシア軍は陸と海の大軍でギリシャに攻めこみ、アテネの町を占領していました。ふつうに戦えば、ギリシャの船よりペルシアの船のほうがずっと多いのです。そこで、アテネの政治家テミストクレス(テミストクレース)は、わざとせまい海峡で戦う作戦を立てました。せまい場所では、ペルシアは数の多さを活かせず、船どうしがぶつかり合って乱れます。作戦は大成功でした。
この勝利で、ペルシアの王クセルクセス1世は軍の大半をつれてアジアへ引きあげました。さらに、船をこいで戦った貧しい市民(無産市民)の発言力が強まり、アテネの民主政が進むきっかけにもなります。
エンリケくん
船の数がおとるのに、勝てたんですか!
ロダン先生
せまい場所を選んだのが勝因だったんだ。ペルシアの船は数が多いけど、せまい海峡では前の船が動けず、うしろの船とぶつかってしまう。テミストクレスは、そこを読んでいたんだよ。
サラミスの海戦のくわしい流れ(原因・経過・結果)
① 原因:クセルクセスのギリシャ遠征と、アテネの決断
前490年のマラトンの戦いでペルシアの遠征軍を破ったアテネでしたが、ペルシアのダレイオス1世は、のちの遠征を準備しました。その子クセルクセス1世は、前480年、陸軍と海軍をひきいて、ヘレスポントス海峡をわたり、ギリシャへ向かいます。
これに先立って、テミストクレスは「ペルシアはまた来る。そのときは海で戦うべきだ」と考えていました。ちょうどそのころ、アテネの南東にあるラウレイオン銀山から、たくさんの銀が出ました。伝承では、この銀を市民に分けるかわりに、テミストクレスが「船をつくろう」と主張し、多くの三段櫂船(さんだんかいせん)がつくられたといいます(前483年ごろ)。三段櫂船は、こぎ手が3段にならぶ速い軍船で、船首のとがった「衝角」で敵の船にぶつけて沈めるのが得意でした。
② 経過:テルモピュライから、アテネの避難へ
前480年の夏、ペルシア軍は北から南へ攻めてきます。陸ではスパルタ王レオニダスらがテルモピュライの山道でふせぎ、海ではアルテミシオン沖でギリシャ艦隊が戦いました。しかし、テルモピュライで陸のギリシャ軍が破れたため、海でも南へ下がることになります。
アテネの人々は、デルフォイの神託(神のお告げ)で、「木の壁にたよれ」と告げられていたとされます。多くの人は「アクロポリスの木の柵のこと」と考えましたが、テミストクレスは「木の壁とは船のことだ」と読みときました。(この話はヘロドトスが伝えるもので、どこまで本当かは諸説あります。)こうしてアテネの女性や子ども、お年寄りは、トロイゼンやアイギナ島、サラミス島などへ避難し、町をからにします。ペルシア軍はアテネに入り、アクロポリスの神殿を焼きました。
③ 決戦:せまい海峡へのおびきよせ
ギリシャ連合艦隊は、サラミス島とアテネ側の本土の間のせまい海峡に集まりました。総指揮は、形の上ではスパルタの将軍エウリュビアデスでしたが、船の多くはアテネのものでした。ギリシャ側の中には「ペロポネソスの入口(コリントス地峡)まで下がって戦おう」という意見もありました。テミストクレスは、ここで戦うべきだと強く主張します。
ヘロドトスによると、テミストクレスは、奴隷のシキンノスをクセルクセスのもとに送り、「ギリシャ側は仲間われして逃げようとしている。今夜なら、海峡の出口をふさげば全員つかまえられる」と偽の知らせを伝えさせたといいます。これを信じたペルシア艦隊は、夜のうちに海峡へ入りこみました(伝承)。
翌朝、ペルシア艦隊は、海峡のせまい入口で、前の船と後ろの船がぶつかり、ならびが乱れました。そこへ、ギリシャの三段櫂船がいっせいに突っこみ、敵の船を次々に沈めたのです。クセルクセスは、海をみおろす丘の上に王座をすえて、戦いを見ていたと伝わります。大敗したペルシアは、陸軍の一部を残して、王はアジアへ引きあげました。
④ 結果と影響
- ペルシアの海軍の力がおとろえた:ギリシャ本土への補給の道が危うくなり、王は引きあげた。翌前479年のプラタイアの戦いで、ギリシャ連合軍がペルシアの陸軍にも勝つ。
- アテネの地位が高まった:サラミスの主役はアテネ海軍だった。戦後、アテネを盟主とするデロス同盟がつくられる(前478/477)。
- 無産市民の発言力が強まった:三段櫂船のこぎ手の多くは、土地をもたない貧しい市民だった。国を守った実績が、政治参加を求める力になり、アテネの民主政が進んだ(ペリクレスの時代へつながる)。
勝利の立て役者テミストクレスも、のちに陶片追放で国を追われ、最後はペルシア領で生涯を終えたと伝わります。英雄でも政治の争いからは逃れられなかったのです。

ロダン先生
ぼくは泳げないから、船が沈んだらこまるんだ。でも、サラミス島はいつか行ってみたいな。アテネの港のすぐ近くなんだよ。
地図と年表で見るサラミスの海戦
サラミス島は、アテネの港ペイライエウス(今のピレウス)のすぐ西にある島です。図1のように、島と本土の間はとてもせまい海峡で、そこがペルシア艦隊にとって罠になりました。
サラミスの海戦の「年」は、前480年と覚えます。月については、9月ごろという説が広く知られますが、はっきりしない部分もあります。また、陸のマラトン(前490)、プラタイア(前479)との順番を、きちんと区別しておきましょう。
| 戦い | 年 | 陸か海か | 主役 |
|---|---|---|---|
| マラトンの戦い | 前490 | 陸 | 重装歩兵(アテネ) |
| テルモピュライの戦い | 前480 | 陸 | スパルタ王レオニダスらの小部隊 |
| サラミスの海戦 | 前480 | 海 | 三段櫂船・無産市民のこぎ手(アテネ) |
| プラタイアの戦い | 前479 | 陸 | スパルタを中心とした連合軍 |
整理:サラミスの海戦の5つの要点
- いつ・どこで:前480年、アテネ近くのサラミス海峡。
- だれが:テミストクレスの作戦で、ギリシャ連合艦隊が。
- だれに:クセルクセス1世のペルシア艦隊。
- どうして勝てた:せまい海峡に誘いこみ、数の多さを活かせなくした。
- 影響:ペルシアは後退。デロス同盟ができ、無産市民の力が強まり、民主政が進む。
サラミスの海戦と関係する人物・用語
| 人物・用語 | サラミスの海戦との関係 |
|---|---|
| ペルシア戦争の流れ | サラミスはその転換点 |
| テミストクレス | 作戦を立てたアテネの政治家 |
| クセルクセス1世 | ペルシアの王。海戦をながめて大敗 |
| 重装歩兵 | マラトンの主役。サラミスでは船のこぎ手が主役 |
| デロス同盟 | 戦後にアテネを盟主として結成 |
| アテネの民主政 | 無産市民の発言力が増して発展 |
| ヘロドトスの『歴史』 | サラミスのようすを伝える史料 |
| 陶片追放 | のちにテミストクレスが対象となった |
古代ギリシャの劇作家アイスキュロスは、サラミスの戦いをもとにした悲劇『ペルシア人』を書きました(前472年)。ペルシアの宮廷で、敗戦の知らせを聞いて嘆く人々を描いた作品で、ギリシャ人の側から見た戦争を、敵の側から描いたことで知られます。アイスキュロス自身もサラミスで戦ったと伝わります。
サクラちゃん
どうして貧しい人たちが、国の政治に口を出せるようになったんですか?
ロダン先生
それは海戦の主役だったからなんだ。国を守るのに大事な働きをした人は、政治でも発言する力がもてる、という考え方なんだよ。これは世界史で何度も出てくる大事なパターンだね。
サラミスの海戦でまちがえやすい点
まちがえやすい点
- サラミスは「海戦」:プラタイア(前479)は陸の戦い。マラトン(前490)も陸の戦い。
- ダレイオス1世ではなくクセルクセス1世:サラミスの海戦のときのペルシア王は、ダレイオス1世の子のクセルクセス1世。
- テミストクレスとミルティアデスを取りちがえる:マラトンの指揮官はミルティアデス、サラミスの立役者はテミストクレス。
- サラミスの海戦で、ペルシア軍が全滅したわけではない:王は引きあげたが、一部の軍は残り、翌年のプラタイアで戦った。
- テルモピュライとサラミスは同じ年(前480)だが別の戦い:テルモピュライは陸の戦いでペルシアの勝ち。
- 「テミストクレスは英雄のまま一生を終えた」と思う:のちに陶片追放され、ペルシア領へ逃れた。
入試ではこう出る
- 共通テスト:サラミスの海戦の年(前480)、立役者(テミストクレス)、相手の王(クセルクセス1世)が、基本の問われ方です。マラトン・プラタイアとの並べかえや、地図で場所を選ぶ問題もあります。
- 国公立の2次・論述:「ペルシア戦争の結果、アテネでなぜ民主政が進んだか」を、サラミスの海戦で三段櫂船のこぎ手として活躍した無産市民の発言力の高まりから説明させる問題が定番です。
- 私大:三段櫂船・無産市民・テミストクレス・アイスキュロス『ペルシア人』など、サラミスにからむ語句。
- 史料問題:ヘロドトス『歴史』の、ギリシャ連合艦隊とペルシアの描写から、戦いを推定させる問題も。
論述の書き方は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)、共通テストの練習には世界史の勉強法【共通テスト対策】が役立ちます。
ロダン先生の「これ知ってる?」
これ知ってる? サラミスで戦った女性の指揮官がいる
ペルシア側の艦隊には、小アジアのハリカルナッソスの女王アルテミシアが自分の船で参加していたと、ヘロドトスは書いているんだ。しかも、サラミスの前に「ここで戦うのは危ない」と王に意見したと伝わるよ。戦いの場面では、敵に追われて味方の船にぶつけて逃げた、という話も出てくる(ヘロドトスの記述による)。
これ知ってる? 三段櫂船は「3段にこぐ人がならぶ」船
三段櫂船は、こぎ手が上・中・下の3段にずれて座る、細くて速い軍船なんだ。こぎ手は170人ほどといわれるけれど、時代や説で数が少しちがうよ。名前の「トリエレス」は「3つの櫂(オール)の列」という意味なんだ。
これ知ってる? アテネの人たちが避難した島
アテネの人々が避難したのは、サラミス島だけではないんだ。南のトロイゼンや、アイギナ島にも逃げたと伝わる。町をからにしても戦う、という決断は、すごいよね。
練習問題
やさしい
- 前480年に、ギリシャ連合艦隊がせまい海峡でペルシア艦隊を破った海戦を何というか。
答えと解説を見る
答え:サラミスの海戦
アテネ近くのサラミス島のそばの海峡で戦われました。 - サラミスの海戦で作戦を立てた、アテネの政治家はだれか。
答えと解説を見る
答え:テミストクレス
のちに陶片追放されました。
ふつう
- サラミスの海戦のときのペルシア王はだれか。
答えと解説を見る
答え:クセルクセス1世
ダレイオス1世の子です。マラトンの戦いのときの王はダレイオス1世です。 - 次の戦いを古い順に並べよ。ア プラタイアの戦い イ サラミスの海戦 ウ マラトンの戦い
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答え:ウ → イ → ア
マラトン(前490)→ サラミス(前480)→ プラタイア(前479)です。
むずかしい
- 正しいか誤りか答えよ。「サラミスの海戦では、土地をもたない貧しい市民は戦わなかった。」
答えと解説を見る
答え:誤り
三段櫂船のこぎ手の多くは、土地をもたない無産市民でした。彼らの活躍が、民主政の進展につながります。 - サラミスの海戦でギリシャが勝てた理由を、60字ほどで説明せよ。
答えと解説を見る
答えの例:テミストクレスの作戦で、せまいサラミス海峡にペルシアの大艦隊をおびきよせ、数の多さを活かせなくした上で、三段櫂船で一斉に攻めたから。(63字)
「せまい海峡」「数の多さを活かせない」「三段櫂船」のうち2つ以上が入れば合格です。
「古代ギリシャとヘレニズム」の章の用語
- エーゲ文明(世界史) ★★★★★
- クレタ文明(世界史) ★★★★★
- ミケーネ文明(世界史) ★★★★★
- ポリス(世界史) ★★★★★高校受験
- アクロポリスとアゴラ(世界史) ★★★★★高校受験
- ヘレネスとバルバロイ(世界史) ★★★★★
- 重装歩兵(世界史) ★★★★★
- スパルタ(世界史) ★★★★★
- ソロンの改革(世界史) ★★★★★
- ペイシストラトス(世界史) ★★★★★
- クレイステネスの改革(世界史) ★★★★★
- 陶片追放(世界史) ★★★★★
- ペルシア戦争(世界史) ★★★★★
- デロス同盟(世界史) ★★★★★
- ペリクレス(世界史) ★★★★★
- アテネの民主政(世界史) ★★★★★高校受験
- ペロポネソス戦争(世界史) ★★★★★
- アレクサンドロス大王(世界史) ★★★★★高校受験
- ヘレニズム(世界史) ★★★★★高校受験
- ホメロス(世界史) ★★★★★
- ヘロドトスとトゥキディデス(世界史) ★★★★★
- ソクラテス(世界史) ★★★★★
- プラトン(世界史) ★★★★★
- アリストテレス(世界史) ★★★★★
この章の流れは古代ギリシャとヘレニズムの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。
← 前の語:ペルシア戦争(世界史) | 次の語:デロス同盟(世界史) →
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よくある質問
サラミスの海戦とは何ですか?
サラミスの海戦とは、前480年にアテネ近くのサラミス海峡で、ギリシャ連合艦隊がペルシアの大艦隊を破った海戦です。ペルシア戦争の転換点とされます。
サラミスの海戦はいつ、だれが勝ちましたか?
前480年に、テミストクレスの作戦でギリシャ連合艦隊が勝ちました。ペルシア軍は、クセルクセス1世がひきいる大艦隊でした。月は9月ごろという説が広く知られます。
なぜサラミスの海戦でギリシャが勝てたのですか?
せまい海峡にペルシア艦隊をおびきよせ、数の多さを活かせなくしたからです。さらに、速い三段櫂船とこぎ手の市民の働きで、一斉に攻めて敵の船を次々に沈めました。
テミストクレスとはどんな人ですか?
アテネの政治家で、海軍の強化を進め、サラミスの海戦を勝利に導いた人物です。のちに陶片追放され、ペルシア領へ逃れたと伝わります。
三段櫂船とは何ですか?
こぎ手が3段にならぶ、細くて速い軍船です。船首の衝角で敵の船にぶつけて沈めるのが得意でした。サラミスの海戦でアテネの主力になりました。
サラミスの海戦はアテネの民主政とどう関係しますか?
三段櫂船をこいだのは、土地をもたない無産市民でした。国を守った彼らの発言力が強まり、アテネの民主政が進むきっかけになりました。
サラミスの海戦のあと、ペルシアはどうなりましたか?
王のクセルクセス1世は軍の大半を連れてアジアへ引きあげました。残った陸軍も、翌前479年のプラタイアの戦いでギリシャ連合軍に敗れました。
サラミスの海戦とマラトンの戦いのちがいは何ですか?
マラトンは前490年の陸の戦いで、重装歩兵が主役でした。サラミスは前480年の海の戦いで、三段櫂船と無産市民のこぎ手が主役でした。ペルシア王もちがいます。
サラミスの海戦は英語で何といいますか?
Battle of Salamis(バトル・オブ・サラミス)です。三段櫂船は trireme(トライリーム)といいます。
サラミスの海戦は入試でどう出ますか?
共通テストでは、年・テミストクレス・クセルクセス1世、戦いの並べかえが定番です。2次の論述では、無産市民の活躍とアテネの民主政の発展を結びつけて説明させる問題が出ます。
あわせて読みたい
出典・参考
- 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
- ヘロドトス『歴史』
- アイスキュロス『ペルシア人』
最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦


