アクロポリスとアゴラとは?世界史でわかりやすく|パルテノン神殿・違い【図解】

世界史用語集 › 第2章 古代ギリシャとヘレニズム

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アクロポリスとアゴラあくろぽりす

重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)

ひとことで言うと

アクロポリスとは、ポリスの中心にある高い丘で、守り神の神殿が建つ聖域・砦のこと。アゴラとは、ふもとにある広場で、市場・集会・裁判の場です。アテネのアクロポリスには、ペリクレスの時代にパルテノン神殿が建てられました。

読み方あくろぽりす
英語Acropolis / Agora(アクロポリス・アゴラ)
時代前8世紀ごろ〜(ペリクレスの再建は前447年〜前432年ごろ)
地域ギリシャ
章第2章 古代ギリシャとヘレニズム
アクロポリス「高い所の町」。丘の上の神殿・砦(例:パルテノン神殿)
アゴラ「集まる場所」。ふもとの広場(市場・集会・裁判)
有名な神殿パルテノン神殿(ドーリア式)・エレクテイオン(イオニア式)
いっしょに覚えるペリクレス・フェイディアス・プニュクスの丘・ストア

このページのポイント

  • アクロポリスは丘(神殿・砦)、アゴラは広場(市場・集会・裁判)。「アクロ=高い」「アゴラ=集まる」で区別する。
  • アテネのアクロポリスのパルテノン神殿は、ペルシア戦争で焼かれたあと、ペリクレスの時代(前447〜前432年ごろ)に再建された。
  • パルテノンはドーリア式、エレクテイオンはイオニア式。アクロポリスはアテネだけでなく、ほかのポリスにもある。

アクロポリスとアゴラをやさしく言うと

アクロポリスとアゴラは、どちらもポリス(都市国家)の中心にある2つの場所です。ひとことで言うと、アクロポリスは「高い丘の聖域・砦」、アゴラは「ふもとの広場」です。

  • アクロポリス:「高い(アクロ)」+「ポリス」で、高い所にある町という意味です。守り神の神殿が建ち、敵が来たときは砦になりました。
  • アゴラ:「集まる場所」という意味の広場です。市場がひらかれ、市民が集まって、ニュースを聞き、政治や裁判の話をしました。

日本の町にたとえるなら、アクロポリスは「お城と神社をあわせたもの」、アゴラは「市役所前の広場と商店街をあわせたもの」のようなものです。

アクロポリス神殿の丘(砦) アゴラ市場・評議会・裁判所ストア(列柱廊) プニュクスの丘民会の会場 アレオパゴス丘の上の会議 南の斜面に劇場 北 ↑※ 位置関係の模式図(縮尺はちがう)
図2 アテネの中心部の位置関係。南東の丘がアクロポリス、そのふもとの北西がアゴラ。西にプニュクスの丘(民会)がある。

いちばん有名なのは、アテネのアクロポリスに建つパルテノン神殿です。今も、アテネの町のどこからでも丘の上に見えます。

エンリケくん

エンリケくん

アクロポリスって、アテネだけにあるんですか?

ロダン先生

ロダン先生

ちがうんだ。ほかのポリスにもアクロポリスはあるよ。たとえばコリントスの「アクロコリントス」。アテネのアクロポリスが有名なのは、世界一の神殿が建ったからなんだ。

エンリケくん

エンリケくん

「アクロポリス」は、特定の場所の名前じゃなくて、「高い所の町」という意味なんですね。

アクロポリスとアゴラのくわしい流れ

① 丘がポリスの中心になる(先史〜前8世紀ごろ)

アテネのアクロポリスは、もともとミケーネ文明の時代から王の城塞があったと考えられています。ポリスの成立のころ、人々が丘のふもとに集まって住むようになり、丘は神をまつる聖域として使われ続けました。アテネの守り神は、知恵と戦いの女神アテナです。町の名前「アテネ」も、この女神の名前からきています。

② ペルシア戦争で焼かれる(前480年)

前480年、アケメネス朝ペルシアの大軍が攻めてきて、アクロポリスの古い神殿を焼きました(ペルシア戦争の流れ)。このとき、アテネの人々は町を捨てて島に避難し、サラミスの海戦で勝利します。焼けた神殿は、しばらく再建されず、戦争の記憶として残されたといわれます。

③ ペリクレスが再建する(前5世紀なかば)

戦争のあと、アテネはデロス同盟の盟主として力を強めました。ペリクレス(ペリクレース)の時代に、アクロポリスの再建が大きく進みます。

  • パルテノン神殿:前447年に着工し、前432年ごろ完成。女神アテナにささげた神殿です。建築家はイクティノスとカリクラテス、彫刻の総監督はフェイディアス(ペリクレスの友人)と伝えられます。柱の形はドーリア式です。
  • プロピュライア:丘の入口にたつ、大きな門。
  • アテナ・ニケ神殿:入口のそばの小さな神殿。「ニケ」は勝利の女神です。
  • エレクテイオン:丘の北側にある神殿。柱の形はイオニア式で、少女の形をした柱(女人像柱)が有名です。
プロピュライア アテナ・ニケ神殿 パルテノン神殿 エレクテイオン 参道 東※ 模式図。西(入口)が左
図1 アクロポリスの丘の上。入口のプロピュライア、中央のパルテノン神殿、北のエレクテイオン(模式図)。

この大工事には、デロス同盟の資金が使われたと批判されました。同盟の金庫は、もとデロス島にありましたが、前454年ごろ、アテネに移されたと伝えられます。同盟国からは「同盟の金で自分の町を飾っている」という不満が出ました(諸説あり)。

④ 柱の形:ドーリア式・イオニア式・コリント式

ギリシャの神殿を見分けるコツは、柱の上の飾り(柱頭)です。次の3つが基本です。

ドーリア式簡素・力強い イオニア式渦巻き・優美 コリント式葉の飾り・はなやか パルテノンエレクテイオンのち(前4世紀〜)
図3 3つの柱の様式。ドーリア式は簡素、イオニア式は渦巻き、コリント式は葉の飾り。
  • ドーリア式:飾りのない、簡素で力強い形(パルテノン神殿)。
  • イオニア式:柱頭に渦巻きがあり、すらりと優美(エレクテイオン)。
  • コリント式:葉の飾りがあり、はなやか。前5世紀の終わりごろに現れ、前4世紀以降に広まり、のちにローマ人が好んで使いました。

⑤ アゴラ:市民が集まる広場

アゴラは、アクロポリスの北西のふもとにありました。広場のまわりには、次のような建物がありました。

  • ストア:柱の列がならぶ、屋根つきの長い廊下。商売や散歩、おしゃべりの場所。
  • 評議会堂・トロス:クレイステネスの改革でつくられた500人評議会の建物。
  • 裁判所:くじで選ばれた市民が、裁判員になった。
  • 市場:オリーブ油・ぶどう酒・魚・陶器などを売る屋台。

アテネの民主政では、重要なことを決める民会は、アゴラの西のプニュクスの丘で開かれた時期があります(前5世紀)。アゴラは、民会の前の準備や、ふだんの政治の話題が行きかう場所でもありました。陶片追放の投票用の陶片も、アゴラの近くで多く見つかっています。

この広場で、毎日のように市民と対話をしたのがソクラテスです。「哲学」は、アゴラのにぎわいの中から生まれたともいえます。

年表・図で見るアクロポリスとアゴラ

前8世紀ごろポリスができる(丘が聖域に)前6世紀アテナの神殿・祭りがさかんに前480ペルシア軍が丘を焼く前447パルテノン神殿の建築を始める前432ごろパルテノンが完成する前421〜406エレクテイオンをつくる前404ペロポネソス戦争でアテネが敗れる1987年ユネスコの世界遺産に登録
図4 アクロポリスの年表。ペルシア戦争で焼かれ、前5世紀なかばに再建された。
年表の巻物を広げるロダン先生

ロダン先生

アクロポリスがいちばん輝いたのは、前5世紀の後半。ペリクレスの時代なんだ。

整理:アクロポリスとアゴラのちがい

アクロポリスアゴラ
場所町の中心の高い丘丘のふもとの広場
役割神殿(信仰)・砦市場・集会・裁判(暮らし・政治)
代表パルテノン神殿ストア・評議会堂
覚え方「アクロ=高い」「アゴラ=集まる」

アクロポリスとアゴラと関係する人物・用語

用語関係
ポリス(都市国家)アクロポリスとアゴラが町の中心になる
ペリクレスパルテノン神殿の再建を進めた指導者
ペルシア戦争アクロポリスが焼かれ、のちに再建のきっかけになった
デロス同盟再建の資金に使われたと批判された
アテネの民主政民会・評議会・裁判がアゴラ周辺で動いた
ソクラテスアゴラで市民と対話した哲学者
ヘレネス神殿と祭りが「ギリシャ人」の意識を支えた

パルテノン神殿の上の彫刻には、パンアテナイア祭の行列がえがかれているといわれます。4年に1度の大きな祭りで、市民がアゴラの近くから行列してアクロポリスをのぼり、女神アテナに新しい衣を捧げました。

サクラちゃん

サクラちゃん

アクロポリスとアゴラ、どっちが先にできたんですか?

ロダン先生

ロダン先生

丘の聖域のほうが古いんだ。ミケーネの時代の城塞にさかのぼる。丘から下りて、ふもとに広場ができた、と考えると流れが分かりやすいよ。広場には人が集まって、そこからやがて政治の話し合いも生まれたんだ。

アクロポリスとアゴラでまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. アクロポリスとアゴラを逆にする:丘(神殿・砦)がアクロポリス、広場(市場・集会)がアゴラ。
  2. アクロポリスはアテネにしかないと思う:ほかのポリスにもある。一般名詞(高い所の町)でもある。
  3. パルテノン神殿をアゴラにあると書く:パルテノンはアクロポリスの上。
  4. パルテノン神殿の柱をイオニア式と書く:パルテノンはドーリア式。イオニア式はエレクテイオン。
  5. アゴラは市場だけの場所と思う:政治・裁判・おしゃべりの場でもあった。
  6. パルテノン神殿を前5世紀より前のものと思う:現在の神殿はペルシア戦争のあと、前447年〜前432年ごろ。

アクロポリスとアゴラは入試ではこう出る

  • 共通テスト:アクロポリス・アゴラの説明の正誤(神殿か広場か)、パルテノン神殿の位置・時期・建築様式がよく問われます。写真から建物を選ぶ問題もあります。
  • ポリスとの結びつけ:「ポリスのつくり(丘・広場・城壁・田園)」を整理する形で出ます。
  • ペリクレス時代:パルテノン神殿の再建と、デロス同盟の資金・民主政の完成をあわせて問う問題。
  • 私大:「フェイディアス」「イクティノス」「ドーリア式・イオニア式・コリント式」などの語句問題。

勉強の進め方は世界史の勉強法【基礎編】(教科書・一問一答・用語集の使い方)、写真・地図の対策は世界史の勉強法その2【共通テスト対策】を見てください。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? パルテノンの「パルテノス」は「乙女」の意味

パルテノン神殿の名前は、ギリシャ語の「パルテノス(乙女、処女)」からきたと言われるんだ。女神アテナの呼び名の1つが「アテナ=パルテノス」。神殿の中には、金と象牙でできたアテナの大きな像が立っていた、と伝えられているよ。

ロダン先生

これ知ってる? 神殿の柱は、少し「ふくらんで」いる

パルテノン神殿の柱は、まっすぐに見えて、じつは中ほどが少しふくらんでいる。人間の目にはまっすぐな柱が細くへこんで見えるので、それを直すための工夫だ、と説明されるんだ。細かいところまで計算された建物なんだね。

本を持って説明するロダン先生

ロダン先生

アクロポリスは丘、アゴラは広場。パルテノンはドーリア式、エレクテイオンはイオニア式。この4つは暗記しよう。

練習問題

やさしい

  1. アテネのアクロポリスに建つ、女神アテナの神殿を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:パルテノン神殿
    ペリクレスの時代、前447年から前432年ごろにつくられました。

  2. ポリスの市民が集まり、市場や話し合いの場になった広場を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:アゴラ
    アクロポリスのふもとにあります。

ふつう

  1. パルテノン神殿の柱の様式は、ドーリア式・イオニア式・コリント式のどれか。
    答えと解説を見る

    答え:ドーリア式
    簡素で力強い様式です。イオニア式はエレクテイオンで使われています。

  2. パルテノン神殿など、アクロポリスの再建を進めたアテネの政治家はだれか。
    答えと解説を見る

    答え:ペリクレス(ペリクレース)
    ペルシア戦争で焼かれた神殿が、前5世紀なかばに再建されました。

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「アクロポリスはアテネにだけある丘で、ほかのポリスにはアクロポリスはなかった。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    アクロポリスは「高い所にある町」を表す一般的なことばで、コリントスのアクロコリントスなど、ほかのポリスにもありました。

  2. ポリスの中心にあったアクロポリスとアゴラの役割のちがいを、50字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:アクロポリスは丘の上で守り神の神殿が建つ聖域・砦であり、アゴラはふもとの広場で市場や集会・裁判の場だった。(60字)

    「アクロポリス=神殿・砦」「アゴラ=市場・集会」の両方が入れば合格です。

「古代ギリシャとヘレニズム」の章の用語

この章の流れは古代ギリシャとヘレニズムの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

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よくある質問

アクロポリスとは何ですか?

アクロポリスとは、ポリスの中心にある高い丘のことです。「高い(アクロ)ポリス」という意味で、守り神の神殿が建ち、敵が来たときには砦にもなりました。アテネのものが最も有名です。

アゴラとは何ですか?

アゴラとは、ポリスの中心にある広場です。市場がひらかれ、市民が集まって話し合い、裁判もおこなわれました。アテネでは、アクロポリスの北西のふもとにありました。

アクロポリスとアゴラのちがいは何ですか?

アクロポリスは丘の上にある神殿と砦で、信仰と防衛の場です。アゴラは丘のふもとの広場で、市場・集会・裁判など、市民の暮らしと政治の場でした。

パルテノン神殿はいつ、だれがつくりましたか?

ペリクレスの時代の前447年に着工し、前432年ごろ完成しました。建築家はイクティノスとカリクラテス、彫刻の監督はフェイディアスと伝えられます。女神アテナにささげられました。

なぜアクロポリスの神殿は再建されたのですか?

前480年のペルシア戦争で、古い神殿がペルシア軍に焼かれたからです。戦争のあと、アテネがデロス同盟の盟主として力を強め、ペリクレスが再建を進めました。

ドーリア式・イオニア式・コリント式のちがいは何ですか?

柱の上の飾り(柱頭)のちがいです。ドーリア式は簡素で力強く、イオニア式は渦巻きの飾りがあって優美、コリント式は葉の飾りがあってはなやかです。パルテノンはドーリア式です。

アクロポリスはアテネにしかないのですか?

いいえ、ほかのポリスにもあります。アクロポリスは「高い所にある町」を表す一般的なことばです。コリントスのアクロコリントスなどが知られていますが、アテネのものが最も有名です。

アクロポリスとアゴラは英語で何といいますか?

Acropolis(アクロポリス)と agora(アゴラ)です。現代ギリシャ語の「アゴラ」は市場の意味でも使われます。パルテノン神殿は Parthenon です。

アクロポリスとアゴラは入試でどう出ますか?

共通テストでは、アクロポリスとアゴラの説明の正誤や、パルテノン神殿の様式・時期が問われます。写真から建物を判断する問題や、ペリクレス時代との結びつけもよく出ます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • プルタルコス『英雄伝』「ペリクレス」(パルテノン再建と同盟資金への批判)
  • パウサニアス『ギリシア案内記』(アテネのアクロポリスとアゴラの記述)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦