ローマの平和(パクス=ロマーナ)とは?世界史でわかりやすく|五賢帝・領土最大・街道【図解】

世界史用語集 › 第3章 古代ローマ

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ローマの平和ろーまのへいわ

重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)

ひとことで言うと

ローマの平和(パクス=ロマーナ)とは、前27年のアウグストゥスから2世紀の五賢帝の時代まで続いた、ローマ帝国の約200年の安定と繁栄の時代です。トラヤヌス帝のとき領土が最大になりました。

読み方ろーまのへいわ
英語Pax Romana(パクス=ロマーナ)
時代前27年〜180年ごろ(約200年。1〜2世紀が中心)
地域ローマ
章第3章 古代ローマ
期間前27年(アウグストゥス)〜180年ごろ(マルクス=アウレリウス帝の死)
特徴内乱が少なく、街道・交易・都市が発達。領土は117年ごろ最大
担い手アウグストゥス・五賢帝
いっしょに覚える五賢帝・トラヤヌス・大秦王安敦・軍人皇帝時代

このページのポイント

  • ローマの平和(パクス=ロマーナ)は、前27年のアウグストゥスから180年ごろまでの約200年間。
  • 常備軍・ローマ街道・共通の貨幣とことば・属州の都市化が支え、地中海を囲む大帝国に。領土が最大なのはトラヤヌス帝(117年ごろ)。
  • 戦争がなかったわけではない。ユダヤ戦争や迫害もあった。その後、3世紀の危機(軍人皇帝時代)へ。

ローマの平和をやさしく言うと

ローマの平和は、前27年のアウグストゥスから、2世紀の五賢帝の時代までの約200年間、ローマ帝国が安定して繁栄した時代のことです。ラテン語でパクス=ロマーナといいます。「パクス」は平和という意味です。

この時代、ローマ帝国は、地中海をぐるりと取り囲む、大きな国になりました。西はスペインやブリタンニア(今のイギリス)、東は小アジアやシリア、南は北アフリカとエジプトまでです。地中海は、ローマの「内海」のようになり、ローマ人は、地中海を「われらが海」と呼んだと伝えられます。

平和といっても、戦争がまったくなかったわけではありません。国境では戦いが続き、ユダヤ人の反乱などもありました。それでも、帝国の中心部では内乱が少なく、道路や港が整い、人やものが自由に行き来できました。それが「ローマの平和」です。

地中海黒海 ガリアヒスパニアダキア ドナウ川ブリタンニア ローマ カルタゴ アレクサンドリア アンティオキア 117年ごろのローマ帝国※一時メソポタミアにも拡大
図1 ローマ帝国の最大領土(117年ごろ・模式図)。地中海をぐるりと取り囲んだ。
エンリケくん

エンリケくん

「パクス=ロマーナ」って、ローマが武力で平和をつくったってことですか?

ロダン先生

ロダン先生

いい見方だね。ローマは、強い軍隊で国境を守り、各地を支配して、内乱を起こさせないようにした。だからローマの力による平和とも言えるんだ。だから、のちの時代に、大国が力で保つ平和を「パクス=ブリタニカ」のように呼ぶこともあるよ。

エンリケくん

エンリケくん

名前がほかの国にも使われているんですね。

ローマの平和のくわしい流れ(原因・経過・結果)

① 原因:内乱の終わりと、アウグストゥスの政治

ローマは、前1世紀に、約100年の内乱を経験しました(グラックス兄弟から三頭政治まで)。人々は、戦いに疲れていました。前31年のアクティウムの海戦のあと、アウグストゥスが、前27年に元首政を始めると、国の中の戦いは、少なくなります。

アウグストゥスは、軍を、国境に置く常備軍として整え、属州を安定して治める仕組みを作りました。この「内乱を防ぐしくみ」が、ローマの平和の土台です。

② 経過:1〜2世紀の繁栄

1世紀から2世紀にかけて、ローマ帝国は、とても安定しました。この時代の特徴を、見ていきましょう。

  • ローマ街道:ローマから各地へ、石で舗装した街道が伸びていた。軍隊も商人も、速く移動できた。「すべての道はローマに通ず」ということばは、このことをあらわす。
  • 地中海の交易:海賊が取りしまられ、船で安全に荷物を運べた。エジプトの穀物、スペインのオリーブ油、東方の絹や香辛料などが、帝国じゅうに運ばれた。
  • 共通の制度:ローマの貨幣、ラテン語、ローマ法が、帝国じゅうに広がった。
  • 都市の発達:属州にも、ローマ風の都市がたくさんでき、水道・浴場・円形闘技場などが作られた。
  • 市民権の広がり:属州の有力者や、兵士の退役者に、ローマ市民権が与えられた。212年には、アントニヌス勅令(カラカラ帝)で、帝国の全自由人に広がる。

この時代の終わりごろ、2世紀には、五賢帝(5人の皇帝)と呼ばれる、すぐれた5人の皇帝が、順に帝国を治めました。ネルウァ・トラヤヌス・ハドリアヌス・アントニヌス=ピウス・マルクス=アウレリウス=アントニヌスです。多くの場合、皇帝は、実の子ではなく、優れた人物を養子にして、後継者に指名しました。このため、うまく世代が引き継がれました。

ネルウァ(96〜98)五賢帝の最初。元老院が選んだトラヤヌス(98〜117)ダキアを征服。領土が最大にハドリアヌス(117〜138)防衛を固める・ブリタンニアの長城アントニヌス=ピウス(138〜161)平和な治世マルクス=アウレリウス(161〜180)哲人皇帝。北方の戦いに苦しむ
図4 五賢帝の流れ。トラヤヌス帝のとき領土が最大になった(117年ごろ)。

トラヤヌス帝は、ダキア(今のルーマニアのあたり)を征服し、領土を最大にしました(117年ごろ)。次のハドリアヌス帝は、これ以上の拡大をやめて、防衛を重視しました。ブリタンニアには、ハドリアヌスの長城を築いたことで知られます。

③ 平和の裏側:戦いも、苦しみもあった

平和の時代にも、問題は残っていました。

  • 国境の戦い:ライン川・ドナウ川の向こうのゲルマン人や、東のパルティアとの戦いは、続いた。
  • ユダヤ戦争:ローマの支配に反発したユダヤ人が、66年に反乱を起こし、70年にエルサレムが陥落した。のちの132〜135年にも、ユダヤ人の反乱があった。
  • キリスト教徒の迫害:1世紀に生まれたキリスト教は、皇帝崇拝を拒んだため、ネロ帝(64年ごろ)などによって、迫害を受けた。
  • 奴隷と貧しい人々:平和の繁栄は、奴隷や属州の人々の負担の上に成り立つ面もあった。

④ 結果:3世紀の危機へ

180年にマルクス=アウレリウス帝が亡くなると、ローマの平和は終わりに向かいます。3世紀には、皇帝が軍によって次々に替わる軍人皇帝時代(3世紀の危機)に入ります。その後、ディオクレティアヌス帝などが、帝国を立て直しました。

この時代の終わりごろ、ローマ帝国は、東の大国とも結びつきました。後漢の歴史書『後漢書』には、166年に、「大秦王安敦」という王の使者が、後漢にやってきたという記録があります。「大秦」はローマ帝国のことで、「安敦」は、マルクス=アウレリウス=アントニヌスのことと考えられています。ローマと中国が、直接ではなく、交易を通じてつながっていたことが分かります。

常備軍と国境の防衛ライン川・ドナウ川などに軍団ローマ街道と海路の整備ローマと各地を結ぶ。交易がさかん共通の通貨・ことば・法ラテン語・ローマ法・貨幣属州の都市化と市民権属州にも都市・浴場・闘技場約200年の安定と繁栄パクス=ロマーナ
図3 ローマの平和を支えたもの。軍・道路・共通の制度・都市と市民権。
地球儀を指さすロダン先生

ロダン先生

地球儀で見ると、ローマ帝国は、地中海を中心にぐるりと広がっているんだ。世界一周の旅の途中で、ローマ時代の道や水道橋を、いくつも見たよ。

年表で見るローマの平和

前27アウグストゥス・元首政後1世紀ローマの平和が始まる64ネロのときキリスト教徒の迫害70ユダヤ戦争でエルサレム陥落96五賢帝の時代が始まる117トラヤヌス帝のとき領土が最大166「大秦王安敦」の使者が後漢へ180マルクス=アウレリウス帝が死去
図2 ローマの平和の年表。前27年に始まり、180年ごろに終わりに向かう。
時期できごとローマの平和との関係
前27アウグストゥスの元首政ローマの平和の始まり
1世紀キリスト教の成立と迫害平和の裏の出来事
96〜180五賢帝の時代最もさかえた時期
117トラヤヌス帝のときに領土が最大帝国の広がりの頂点
166大秦王安敦の使者ローマと後漢のつながり
180マルクス=アウレリウス帝の死平和の終わりの目安

整理:ローマの平和をひとことで

いつ:前27年のアウグストゥスから、180年ごろまで(約200年)。特徴:内乱が少なく、領土が最大に。街道・交易・都市が発達。注意:戦争がゼロだったわけではない。終わり:3世紀の危機(軍人皇帝時代)。

ローマの平和と関係する人物・用語

用語ローマの平和との関係
アウグストゥスローマの平和の始まりをつくった初代皇帝
五賢帝(5人の皇帝)2世紀の平和な時代の5人の皇帝
カラカラ帝とアントニヌス勅令帝国の全自由人にローマ市民権を与えた
軍人皇帝時代平和のあとに来る混乱の時代
ディオクレティアヌス帝混乱後に帝国を立て直した
コンスタンティヌス帝ローマの平和が終わったあとの皇帝。キリスト教を公認
ラティフンディア平和で奴隷が減り、コロナトゥスへ変わった

ローマ帝国の各地で、ローマ数字が碑文や建物に刻まれました。ローマ数字一覧表と書き方の法則で、数字の読み方を確かめておくと、遺跡の写真もより楽しめます。また、帝国の東半分で使われたギリシャ語の文字は、ギリシャ文字の読み方一覧を見てください。

サクラちゃん

サクラちゃん

ローマの平和の時代に、ローマの人は幸せだったんですか?

ロダン先生

ロダン先生

都市に住む市民には、とても暮らしやすい時代だったと考えられているよ。ただ、奴隷や、属州の貧しい人、迫害を受けた人にとっては、そうではなかった。平和とは何かは、見る立場によって違うんだ。

サクラちゃん

サクラちゃん

歴史を見るときは、いろいろな立場から考えることが大事なんですね。

ローマの平和でまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. 「戦争がなかった」と思う:国境の戦いやユダヤ戦争があった。内乱が少ないという意味。
  2. 期間をまちがえる:前27年のアウグストゥスから、約200年。五賢帝の時代(96〜180)だけではない。
  3. 領土最大の皇帝をまちがえる:領土が最大になったのは、トラヤヌス帝(117年ごろ)。
  4. パクス=ロマーナを「ローマの法」と思う:「ローマの平和」という意味で、法律のことではない。
  5. 五賢帝がすべて世襲と思う:多くは養子を後継者にした。
  6. ローマの平和が3世紀以降も続いたと思う:3世紀は軍人皇帝時代の混乱。

入試ではこう出る

  • 共通テスト:パクス=ロマーナの時期・意味、五賢帝、トラヤヌス帝のときの最大領土が、正誤問題で問われます。地図で、ローマ帝国の範囲を選ぶ問題もあります。
  • 国公立の2次・論述:「ローマの平和を支えたしくみ」を、常備軍・街道・属州統治・市民権の拡大などから説明させる問題があります。ローマと東方の関係(大秦王安敦)に触れる問題もあります。
  • 私大:「パクス=ロマーナ」「五賢帝」「ネルウァ・トラヤヌス・ハドリアヌス」などの語句。

勉強の進め方は世界史の勉強法【共通テスト対策】、論述の書き方は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)を見てください。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? 「すべての道はローマに通ず」

この有名なことばは、ローマから各地へ道が伸びていた、という事実を表しているんだ。ローマ街道は、総延長がとても長く、石で舗装した部分も多かった、といわれる。今でも、ヨーロッパの古い道路は、ローマ街道の上に作られていることがあるよ。

ロダン先生

これ知ってる? ○○の平和という言い方

「パクス=ロマーナ」のまねで、大国が力で世界を安定させた時代を「パクス=ブリタニカ」(19世紀のイギリス)、「パクス=アメリカーナ」(20世紀のアメリカ)と呼ぶことがあるんだ。ただし、こうした言い方は、後の時代の学者がつけたもの。「平和」と呼ぶかどうかには、いろいろな意見があるよ。

本を持って説明するロダン先生

ロダン先生

ローマの平和は、アウグストゥスから五賢帝まで。この200年を、頭の中で思い描けるようになったら、ローマ史の流れがぐんと見えてくるよ。

練習問題

やさしい

  1. アウグストゥスから五賢帝の時代まで続いた、ローマ帝国の約200年の平和と繁栄を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:パクス=ロマーナ(ローマの平和)

  2. ローマ帝国の領土が最大になったときの皇帝はだれか。
    答えと解説を見る

    答え:トラヤヌス帝
    117年ごろに領土が最大になりました。

ふつう

  1. 五賢帝を、古い順に答えよ。
    答えと解説を見る

    答え:ネルウァ → トラヤヌス → ハドリアヌス → アントニヌス=ピウス → マルクス=アウレリウス=アントニヌス

  2. 後漢書に、166年に使者が来たと記録されている「大秦王安敦」は、だれのことと考えられているか。
    答えと解説を見る

    答え:マルクス=アウレリウス=アントニヌス(ローマ皇帝)
    大秦はローマ帝国のことです。

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「ローマの平和の時代には、ローマ帝国のどこでも戦争や反乱はまったく起きなかった。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    国境ではゲルマン人やパルティアとの戦いが続き、ユダヤ戦争などの反乱もありました。「内乱が少ない」という意味です。

  2. ローマの平和を支えたしくみを、2つ以上あげて、70字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:常備軍が国境を守り、ローマ街道や海路が整って交易がさかんになり、貨幣やラテン語、ローマ法が広がって、属州の都市化と市民権の拡大も進んだ。(68字)

    「常備軍」「街道・交易」「共通の制度」「市民権」から2つ以上が入れば合格です。

「古代ローマ」の章の用語

この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

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よくある質問

ローマの平和(パクス=ロマーナ)とは何ですか?

ローマの平和とは、前27年のアウグストゥスから2世紀の五賢帝の時代まで続いた、ローマ帝国の約200年の安定と繁栄の時代です。ラテン語で「パクス=ロマーナ」といいます。

パクス=ロマーナはいつからいつまでですか?

前27年のアウグストゥスの元首政から、180年ごろのマルクス=アウレリウス帝の死までの、約200年間をさします。

ローマの平和は、なぜ実現したのですか?

内乱が終わり、アウグストゥスが常備軍と属州の統治を整えたからです。街道・海路の整備、共通の貨幣・ラテン語・ローマ法、属州の都市化と市民権の広がりも支えました。

ローマ帝国の領土が最大になったのはいつですか?

トラヤヌス帝のときの117年ごろです。ダキアを征服し、地中海をぐるりと取り囲む大帝国になりました。

五賢帝とはだれですか?

ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス=ピウス、マルクス=アウレリウス=アントニヌスの5人です。多くは養子を後継者に選びました。

ローマの平和の時代に、戦争はなかったのですか?

ありました。国境でゲルマン人やパルティアとの戦いが続き、ユダヤ戦争などの反乱も起きました。内乱が少なく、帝国の中心が安定していたという意味です。

ローマの平和のあと、ローマはどうなりましたか?

3世紀に、皇帝が軍に次々と替えられる軍人皇帝時代(3世紀の危機)になりました。その後、ディオクレティアヌス帝などが帝国を立て直しました。

パクス=ロマーナは英語で何といいますか?

Pax Romana(パックス・ロマーナ)です。Roman Peace とも訳されます。19世紀のイギリスは Pax Britannica と呼ばれました。

ローマの平和は入試でどう出ますか?

共通テストでは、期間・五賢帝・トラヤヌス帝の最大領土・大秦王安敦が正誤問題で出ます。2次の論述では、ローマの平和を支えたしくみを説明させる問題が出ます。

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出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • 『後漢書』西域伝(大秦王安敦の使者)
  • タキトゥス『年代記』(ネロ帝のキリスト教徒迫害)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦