スパルタクスの反乱とは?世界史でわかりやすく|剣闘士奴隷の大反乱と鎮圧【図解・年表】

世界史用語集 › 第3章 古代ローマ

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スパルタクスの反乱すぱるたくすのはんらん

重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)

ひとことで言うと

スパルタクスの反乱とは、前73〜前71年に、剣闘士奴隷のスパルタクスが率いた、古代ローマ最大の奴隷反乱です。ローマ軍を何度か破りましたが、クラッススに鎮圧されました。

読み方すぱるたくすのはんらん
英語the Third Servile War / Spartacus(スパルタクスの反乱)
時代前73年〜前71年(共和政末期・内乱の1世紀)
地域ローマ
章第3章 古代ローマ
指導者スパルタクス(剣闘士奴隷。トラキア出身と伝わる)
始まりカプアの剣闘士養成所からの脱走
鎮圧クラッスス(ポンペイウスが残党を討つ)
いっしょに覚えるラティフンディア・剣闘士・クラッスス・三頭政治

このページのポイント

  • スパルタクスの反乱は、前73〜前71年。カプアの剣闘士養成所から始まった、古代ローマ最大の奴隷反乱。
  • 原因は、ポエニ戦争後に奴隷がふえ、ラティフンディアや剣闘士競技で酷使されたこと。反乱は失敗し、奴隷制は続いた。
  • 鎮圧したクラッスス・ポンペイウスは、のちカエサルと第1回三頭政治をつくった。

スパルタクスの反乱をやさしく言うと

スパルタクスの反乱は、前73年から前71年に、剣闘士(けんとうし)奴隷のスパルタクスが率いた、古代ローマ最大の奴隷反乱です。南イタリアのカプアにある剣闘士の養成所から、奴隷たちが逃げ出し、仲間を増やして、ローマ軍と何度も戦いました。

剣闘士とは、闘技場で、人間どうしや猛獣と戦って、観客を楽しませる奴隷です。ローマでは、剣闘士の試合が、大人気の見世物でした。反乱を起こした人々は、その見世物のために育てられた、戦う訓練を受けた人たちだったのです。ローマの軍隊が苦戦したのも、そのためと考えられています。

ただし、反乱は最後に失敗しました。スパルタクスは戦いのなかで亡くなったとされ、捕まった多くの人々が、見せしめに十字架にかけられたと伝わります。

地中海黒海 カプア(脱走) 北へ進む 最後の戦い シチリアへ渡れず ローマ 反乱軍の進み(前73〜)南へ戻る(諸説あり)
図1 スパルタクスの反乱の動き(模式図)。カプアから逃げて北へ進み、南へ戻って、最後に敗れた。進路や目的には諸説がある。
エンリケくん

エンリケくん

奴隷が、ローマ軍に勝つこともあったんですか!

ロダン先生

ロダン先生

そう伝わっているよ。戦う訓練を受けた剣闘士が中心だったし、各地から奴隷や貧しい人が集まって、反乱軍はふくれ上がった。ローマ軍が何度か負けた、と記録にあるんだ。

エンリケくん

エンリケくん

どうして、奴隷がそんなに多かったんですか?

ロダン先生

ロダン先生

戦争のたびに、たくさんの捕虜が奴隷になったからだよ。くわしくはラティフンディア(大土地経営)のところを読んでね。

スパルタクスの反乱のくわしい流れ(原因・経過・結果)

① 原因:奴隷が急にふえたローマ社会

ポエニ戦争のあと、ローマは地中海の各地を支配し、たくさんの捕虜と、属州から連れてこられた人々を、奴隷にしました。奴隷は、ラティフンディアと呼ばれる大農場で、農作業をしました。また、家の仕事をしたり、鉱山で働いたり、見世物のための剣闘士にされたりしました。

ローマの奴隷は、法的には「物」のような扱いで、主人の意思しだいで、きびしく扱われました。もちろん、奴隷がみな同じ扱いを受けたわけではなく、教養があって主人の信頼を得た奴隷は、のちに解放されることもありました。それでも、不満をためた奴隷は多かったと考えられます。

前2世紀には、すでにシチリア島で、大規模な奴隷反乱が2回起きています(前135〜前132、前104〜前100)。スパルタクスの反乱は、このような奴隷反乱の中で、最後で最大のものと位置づけられます。

② 経過:脱走からヴェスヴィオ山へ(前73年)

前73年、カプアの剣闘士養成所で、70人ほどの剣闘士が脱走したと伝わります。その中に、スパルタクスがいました。スパルタクスは、トラキア(今のブルガリアやギリシャ北部のあたり)の出身と伝えられ、ローマ軍に参加したことがあるとも伝わりますが、くわしい経歴は分かっていません。

脱走者たちは、ヴェスヴィオ山にたてこもりました。そこへ、各地の奴隷や貧しい人々が集まり、反乱軍はふくれ上がります。ローマは、最初は小さな軍隊を送っただけで、これを破られました。反乱軍は、ローマの軍の武器を奪い、さらに強くなりました(人数については、史料により大きく違い、はっきり分かりません)。

③ 進路の迷いと、鎮圧(前72〜前71年)

反乱軍は、南イタリアを荒らしながら、北へ進みました。目的は、「アルプスを越えて、故郷のトラキアやガリアへ帰る」ことだったという説と、「イタリアのなかで略奪を続けようとした」という説があるなど、はっきりしません。いったん北へ向かったものの、反乱軍は再び南へ戻りました。シチリア島へ渡ろうとしたとも伝えられますが、船の手配が失敗して果たせなかったと伝わります。

ローマの元老院は、ついに、大富豪のクラッススに軍の指揮をまかせました。クラッススは、軍を立て直し、反乱軍を南イタリアに追いつめます。前71年、決戦でスパルタクスは戦死したとされ、反乱軍は敗れました。北へ逃げた残党は、ちょうどスペインから帰ってきたポンペイウス(のちの三頭政治の1人)に討たれます。捕まった反乱者の多くは、ローマへ続く街道に十字架にかけられ、見せしめにされたと伝わります(人数は史料によって異なり、はっきりしません)。

戦争で奴隷が大量に入るポエニ戦争・属州の征服奴隷が農場・家・見世物でも働くラティフンディアや剣闘士競技きびしい扱いと、剣闘士の養成カプアの養成所で反乱が起きる反乱が広がり、数がふくらむ各地の奴隷や貧しい人が合流ローマ軍に鎮圧されるクラッススとポンペイウス
図2 スパルタクスの反乱が起きた流れ。戦争 → 奴隷の増加 → 剣闘士の反乱 → 鎮圧。

④ 結果:奴隷制はそのまま。でも、ローマの政治は動いた

反乱は失敗し、ローマの奴隷制は、そのあとも続きました。スパルタクスたちが奴隷制そのものをなくそうとしていたかどうかも、はっきり分かっていません。ただし、この反乱は、ローマの人々に、奴隷が増えすぎたことの危うさを強く印象づけました。

政治の面でも、大きな意味がありました。鎮圧に成功したクラッススとポンペイウスは、前70年に、そろってコンスルになりました。2人は、力を持った将軍として、のちの前60年、カエサルを加えて第1回三頭政治をつくります。つまり、スパルタクスの反乱は、将軍が政治の中心になる時代の入口でもありました。

手をふるロダン先生

ロダン先生

映画や小説にもなった有名な反乱だけど、史実では分からないことも多いんだ。伝わっていることと、本当に分かっていることを、分けて考えるくせをつけてね。

年表とくらべる図で見るスパルタクスの反乱

前135〜前132第1次シチリア奴隷反乱前104〜前100第2次シチリア奴隷反乱前73カプアで剣闘士が脱走前72ローマ軍を何度か破る前71クラッススが鎮圧前70クラッススとポンペイウスがコンスルに前60第1回三頭政治
図3 奴隷反乱の年表。シチリアの2回のあと、前73〜前71年にスパルタクスの反乱。
反乱軍スパルタクス剣闘士奴隷(伝承)仲間の奴隷たち各地の奴隷が合流目的は?自由・故郷へ帰る(諸説)ローマ側クラッスス大富豪。鎮圧の総指揮ポンペイウス残党を討つ元老院数度、軍を送った
図4 反乱軍とローマ側。スパルタクスの反乱をおさえたのは、クラッススとポンペイウス。
反乱の特徴
いつ前73〜前71年
どこカプア(剣闘士養成所)→ヴェスヴィオ山 → 南イタリア
指導者スパルタクス(トラキア出身と伝わる)
鎮圧クラッススが指揮、ポンペイウスが残党を討つ
結果失敗。奴隷制は続く。将軍が力を持つ時代へ

整理:スパルタクスの反乱を覚えるコツ

だれ:剣闘士奴隷のスパルタクス。いつ:前73〜前71年。鎮圧:クラッスス(+ポンペイウス)。つながり:クラッスス・ポンペイウス・カエサル → 第1回三頭政治(前60)。

スパルタクスの反乱と関係する人物・用語

用語スパルタクスの反乱との関係
ラティフンディア奴隷がふえた原因。奴隷が働く大農場
ポエニ戦争捕虜が奴隷になり、奴隷が急にふえた
グラックス兄弟土地問題の改革。反乱の少し前の時代
三頭政治クラッスス・ポンペイウスが、のちに結成に参加
カエサルポンペイウスと同時代の将軍
共和政ローマ内乱の1世紀の中の出来事

スパルタクスの出身地とされる「トラキア」は、古代ギリシャの文化とも関わりのある土地です。ギリシャの話はギリシャ文字の読み方一覧や、アレクサンドロス大王の東方遠征のページも合わせて読んでみてください。

サクラちゃん

サクラちゃん

スパルタクスって、スパルタと関係あるんですか?

ロダン先生

ロダン先生

よく聞かれるけれど、ギリシャのスパルタとは別なんだ。名前の由来は、はっきり分かっていないんだ。ここは「トラキア出身の剣闘士」とだけ覚えておけば大丈夫。

サクラちゃん

サクラちゃん

スパルタ教育のスパルタじゃないんですね。

スパルタクスの反乱でまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. 「スパルタ」の人と思う:ギリシャのスパルタとは関係がない。トラキア出身の剣闘士と伝わる。
  2. 反乱が成功したと思う:前71年に鎮圧された。成功して奴隷が解放されたわけではない。
  3. 鎮圧したのはカエサルと思う:鎮圧の中心はクラッスス。残党を討ったのがポンペイウス。
  4. 奴隷制廃止をめざした反乱と決めつける:目的は史料でははっきりしない。自由や故郷へ帰ることなど諸説がある。
  5. シチリアの奴隷反乱と混ぜる:シチリアの反乱は前135〜前132と前104〜前100。スパルタクスの反乱はイタリア本土、前73〜前71。
  6. 三頭政治の1人と思う:スパルタクスは三頭政治とは別。鎮圧した側のクラッススが三頭の1人になった。

入試ではこう出る

  • 共通テスト:スパルタクスが剣闘士奴隷であること、反乱が前73〜前71年で鎮圧されたことなどが、正誤問題で出ます。ラティフンディアや奴隷制の説明と組み合わせた問題もあります。
  • 国公立の2次・論述:共和政末期の社会の変化として、「奴隷制の広がり・スパルタクスの反乱・内乱」を結びつけて説明する問題があります。
  • 私大:「スパルタクス」「剣闘士」「クラッスス」などの語句。反乱を鎮圧した人物を答える問題。

勉強の進め方は世界史の勉強法【共通テスト対策】、論述は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)を見てください。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? 「スパルタクス団」と名前の旅

第一次世界大戦のあとのドイツで、ローザ=ルクセンブルクたちの革命グループが「スパルタクス団」と名乗ったんだ。「奴隷のように働かされる労働者の味方」という思いを、スパルタクスの名前に重ねたのだと説明されるよ。2000年前の反乱の指導者の名前が、近代の革命運動に使われたんだね。

ロダン先生

これ知ってる? コロッセウムは反乱のあとにできた

ローマの大闘技場コロッセウム(コロッセオ)は、スパルタクスの反乱よりずっとあとの、1世紀の後半(紀元80年)に完成したんだ。反乱の時代には、まだなかったんだよ。ローマで剣闘士の試合はずっと人気があって、帝政期にはさらに大規模になった、と伝えられるよ。

「どうぞ」と手で示すロダン先生

ロダン先生

ローマの見世物と奴隷制は、とても大事なテーマ。反乱はこの2つの裏の面を、見せてくれる事件なんだ。

練習問題

やさしい

  1. 前73年に、剣闘士奴隷を率いて反乱を起こした人物はだれか。
    答えと解説を見る

    答え:スパルタクス
    トラキア出身と伝わります。

  2. 闘技場で、人間どうしや猛獣と戦って見世物になった奴隷を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:剣闘士

ふつう

  1. スパルタクスの反乱を、大富豪の指揮で鎮圧したローマの政治家はだれか。
    答えと解説を見る

    答え:クラッスス
    のちに、ポンペイウス・カエサルとともに第1回三頭政治をつくりました。

  2. スパルタクスの反乱が起きた年代として正しいものを選べ。ア 前133〜前121 イ 前73〜前71 ウ 前60〜前53
    答えと解説を見る

    答え:イ(前73〜前71年)

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「スパルタクスの反乱は成功し、ローマの奴隷制は廃止された。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    反乱は前71年に鎮圧され、奴隷制は続きました。

  2. スパルタクスの反乱が起きた社会的な背景を、70字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:ポエニ戦争などで領土が広がり、戦争捕虜の奴隷が大量に入り、ラティフンディアや剣闘士競技で酷使されたため、奴隷の不満が高まった。(66字)

    「戦争で奴隷が増えた」「ラティフンディア・剣闘士としての酷使」が入れば合格です。

「古代ローマ」の章の用語

この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

← 前の語:グラックス兄弟(世界史) | 次の語:三頭政治(世界史) →

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よくある質問

スパルタクスの反乱とは何ですか?

スパルタクスの反乱とは、前73〜前71年に、剣闘士奴隷のスパルタクスが率いた古代ローマ最大の奴隷反乱です。カプアの剣闘士養成所から逃げ出し、ローマ軍と戦いました。

スパルタクスとはどんな人ですか?

トラキア出身と伝わる剣闘士奴隷です。反乱を率いましたが、くわしい経歴ははっきり分かっていません。前71年の戦いで亡くなったとされます。

スパルタクスの反乱はなぜ起きたのですか?

ポエニ戦争などで奴隷が大量に入り、農場や見世物でひどく使われたからです。戦う訓練を受けた剣闘士が養成所から逃げ出したことが、きっかけになりました。

スパルタクスの反乱はどうなりましたか?

前71年に、大富豪のクラッススが指揮するローマ軍に鎮圧されました。残党はポンペイウスに討たれました。奴隷制は廃止されず、そのあとも続きました。

スパルタクスの反乱を鎮圧したのはだれですか?

クラッススです。軍を立て直して反乱軍を追いつめました。北へ逃げた残党は、スペインから帰ってきたポンペイウスが討ちました。

スパルタクスはスパルタの人ですか?

いいえ。ギリシャのスパルタとは関係なく、トラキア出身の剣闘士と伝わります。

スパルタクスの反乱はローマにどんな影響を与えましたか?

奴隷が増えすぎることの危うさを示しました。鎮圧したクラッススとポンペイウスが力を持ち、のちカエサルとともに第1回三頭政治をつくりました。

スパルタクスの反乱は英語で何といいますか?

the Third Servile War(第3次奴隷戦争)、または Spartacus’ revolt などと呼ばれます。シチリアの2回の反乱が第1次・第2次にあたります。

スパルタクスの反乱は入試でどう出ますか?

共通テストでは、剣闘士奴隷であること、年代、奴隷制の広がりとの関係が正誤問題で出ます。論述では、共和政末期の社会の変化の中で使われます。

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出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • プルタルコス『対比列伝』(クラッスス)
  • アッピアノス『ローマ史』(内乱史)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦