ニケーア公会議とは?世界史でわかりやすく|アタナシウス派とアリウス派の違い【図解】

世界史用語集 › 第3章 古代ローマ

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ニケーア公会議にけーあこうかいぎ

重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)

ひとことで言うと

ニケーア公会議とは、325年に皇帝コンスタンティヌスが開いたキリスト教会の大きな会議です。「イエスは神と同じ存在か」をめぐって、アタナシウス派が正統、アリウス派が異端とされました。三位一体の教えは、のち381年に固まります。

読み方にけーあこうかいぎ
英語First Council of Nicaea
時代325年
地域ローマ
章第3章 古代ローマ
年・場所325年・ニケーア(小アジア北西部、今のトルコのイズニク)
開いた人ローマ皇帝コンスタンティヌス
結果アタナシウス派が正統、アリウス派が異端
いっしょに覚える三位一体(381年に確立)・ニケーア信条・ゲルマン人のアリウス派

このページのポイント

  • 325年、コンスタンティヌス帝がニケーアで公会議を開き、アタナシウス派を正統・アリウス派を異端とした。
  • アタナシウス派=イエスは父なる神と同じ本質。アリウス派=イエスは神がつくった存在。
  • アリウス派はゴート人などゲルマン人に広がり、フランク王クローヴィスはアタナシウス派に改宗した。三位一体は381年に確立。

ニケーア公会議をやさしく言うと

ニケーア公会議は、325年に、ローマ皇帝コンスタンティヌスが開いた、キリスト教会の大きな会議です。「公会議」とは、帝国の各地の司教(教会のリーダー)が集まって、教えの大事なことを決める会議のことです。

この会議で議論になったのは、「イエスは、神と同じ存在なのか、それとも神がつくった存在なのか」という問いでした。結論は、アタナシウス派の考え(イエスは父なる神と同じ本質をもつ)が正しい教え(正統)とされ、アリウス派の考えはまちがい(異端)とされました。

アタナシウス派アリウス派イエスは?父なる神と同じ本質をもつ神そのもの神がつくった最初の存在(神より下)おもな人アタナシウス(アレクサンドリア)アリウス(アレクサンドリア)325年の結果正統とされた異端とされアリウスは追放のちの広がりローマ・フランク人などに広がるゲルマン人の一部(ゴート人など)のちの姿主流の教えの土台主流ではない
図1 アタナシウス派とアリウス派。イエスをどう考えるかがちがった。

ここで出てくる「正統」と「異端」ということばも、確認しておきましょう。正統は、教会が「正しい教え」と認めたもの。異端は、教会が「まちがった教え」として退けたものです。どちらが正しいかは、あくまで当時の教会が決めたことで、会議では多数の司教の意見によって決まりました。覚え方は「アタナシウス派=神と同じ=正統」の3点セットです。

エンリケくん

エンリケくん

どうして皇帝が、教会の会議を開いたんですか?

ロダン先生

ロダン先生

キリスト教を公認したコンスタンティヌスは、教会の中で争いが続くと、帝国もまとまらないと考えたんだ。だから皇帝が呼びかけて、みんなで話し合いの場をつくった。国と教会が深く結びつく始まりだよ。

ニケーア公会議のくわしい流れ(原因・経過・結果)

① 原因:アレクサンドリアで起きた論争

313年のミラノ勅令でキリスト教が公認され、迫害がなくなると、今度は教会の内側で教えをめぐる争いが目立つようになりました。そのきっかけは、エジプトのアレクサンドリアで、司祭のアリウスが「子(イエス)は、父なる神によってつくられた存在で、父と同じではない」と説いたことでした。これに、アレクサンドリアの司教や、その助手だったアタナシウスらが反対しました。「イエスが神そのものでないなら、人を救うことはできない」と考えたからです。

この争いは東の地方に広がり、人々が町で言い争うほどになりました。

② 325年:ニケーア公会議

コンスタンティヌス帝は、争いをおさめるため、325年に小アジア北西部のニケーア(今のトルコのイズニク)に、各地の司教を集めました。出席者はおよそ300人(伝承では318人)といわれ、そのほとんどは東の司教でした。

会議では、アタナシウス派の考えが支持されました。「子は父と同じ本質(ホモウシオス)をもつ」という表現がとられ、信仰の内容をまとめたニケーア信条がつくられます。アリウスは異端とされ、追放されました。

この会議では、ほかにも、キリスト教の大事な祝日復活祭(イースター)の日を、教会全体でそろえることなども決められたとされます。

③ 結果:争いはそのあとも続いた

会議で結論が出たのに、争いは終わりませんでした。のちの皇帝のなかにはアリウス派に近い人もいて、アタナシウスは何度も追放されます。決着がついたのは、381年のコンスタンティノープル公会議でした。この会議は、テオドシウス帝が開いたもので、ニケーアの信条を確認し、父・子・聖霊は1つの神の3つの位格とする「三位一体」の教えが固まりました。

④ アリウス派はゲルマン人へ広がった

帝国の中で異端とされたアリウス派ですが、4世紀に宣教師ウルフィラが、ゴート人にアリウス派の信仰を伝えました。そのため、ゴート人、ヴァンダル人、ランゴバルド人などのゲルマン人の多くは、はじめアリウス派でした。

これに対し、フランク王国のクローヴィスは、5世紀末〜6世紀はじめ(496年ごろとされる)に、アタナシウス派に改宗しました。ローマの人々と同じ教えだったので、支配を受け入れてもらいやすく、のちに有利になったといわれます。

⑤ そのあとの公会議

公会議は、そのあとも開かれました。431年のエフェソス公会議ではネストリウス派が、451年のカルケドン公会議では単性論が、それぞれ異端とされています(くわしくは、中世のビザンツ帝国・ヨーロッパの章で出てきます)。

地図と年表で見るニケーア公会議

黒海地中海アフリカ ローマ アレクサンドリアアリウス論争の町 アンティオキア コンスタンティノープル ニケーア 紫の矢印:司教たちが集まる
図2 帝国の各地の司教が、ニケーアに集まった(模式図)。論争のもとはエジプトのアレクサンドリアだった。
手をかざして遠くを見るロダン先生

ロダン先生

ニケーアは今のイズニクという町で、コンスタンティノープルから近いんだ。皇帝が各地の司教を集めやすい場所だったんだね。

325ニケーア公会議。アリウス派は異端381コンスタンティノープル公会議431エフェソス公会議(ネストリウス派)451カルケドン公会議(単性論を異端)496ごろクローヴィスがアタナシウス派に
図3 公会議の年表。325年から451年まで、公会議で教えが整えられていった。

整理:ニケーア公会議

いつ:325年。だれが開いた:皇帝コンスタンティヌス。どこで:ニケーア。決まったこと:アタナシウス派が正統、アリウス派は異端。あとの流れ:381年に三位一体が固まる。アリウス派はゲルマン人に広がった。

ニケーア公会議と関係する人物・用語

用語ニケーア公会議との関係
コンスタンティヌス帝公会議を開いた皇帝
ミラノ勅令キリスト教の公認。公会議の前の出来事
テオドシウス帝三位一体を確認し、国教に
ディオクレティアヌス帝大迫害の皇帝。公会議の前の時代
軍人皇帝時代キリスト教徒への迫害も強まった時代

ローマの数字にも慣れておきましょう。ローマ数字一覧表(1〜3000)と書き方の法則を見ると、325年が「CCCXXV」と書けるようになります。

サクラちゃん

サクラちゃん

三位一体って、どういう意味ですか?

ロダン先生

ロダン先生

「父なる神・子(イエス)・聖霊」が、3つの姿(位格)でありながら、1つの神だという教えだよ。むずかしいけれど、入試では「アタナシウス派=三位一体説」と覚えれば大丈夫。

ニケーア公会議でまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. アタナシウス派とアリウス派を逆にする:イエスを神と同じとするのがアタナシウス派(正統)、神がつくった存在とするのがアリウス派(異端)。
  2. ニケーア公会議でキリスト教が国教になったと思う:国教化はテオドシウス帝(380年・392年)。ニケーアは教えの決定。
  3. 会議を開いたのは教皇と思う:開いたのは皇帝コンスタンティヌス。
  4. 三位一体がニケーアで完成したと思う:固まったのは381年のコンスタンティノープル公会議。
  5. アリウス派がすぐに消えたと思う:4世紀以降もゲルマン人の間で広がり、のちにフランク王国のアタナシウス派への改宗が重要になった。

ニケーア公会議は入試ではこう出る

  • 共通テスト:ニケーア公会議(325年)、コンスタンティヌス帝、アタナシウス派とアリウス派の説明が、正誤や組み合わせで問われます。
  • 国公立の2次・論述:「ローマ帝国とキリスト教」「皇帝と教会の関係」をまとめさせる問題。ミラノ勅令・ニケーア公会議・国教化を順に説明しましょう。
  • 私大:三位一体、ニケーア信条、エフェソス・カルケドンなどの公会議の名称と異端の組み合わせ、クローヴィスの改宗など。

勉強の進め方は世界史の勉強法【基礎編】(教科書・一問一答・用語集の使い方)を見てください。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? 「ホモウシオス」と「ホモイウシオス」は1文字ちがい

ギリシャ語で「同じ本質」は「ホモウシオス」、「似た本質」は「ホモイウシオス」。たった1文字のちがいで、意味はまるで別になる。この1文字をめぐって、教会は大もめしたといわれるんだ。ギリシャ文字の勉強には、ギリシャ文字の読み方一覧(24文字)も役に立つよ。

ロダン先生

これ知ってる? ニケーア信条は、今も教会で唱えられる

381年の会議で整えられた形が、ミサや礼拝で今も使われているんだ。1700年近く前の会議の成果が、世界中の教会で現在も使われているなんて、すごいよね。

ロダン先生

これ知ってる? ニケーアは今のイズニク

ニケーアの町は、今のトルコのイズニクだよ。湖のほとりにある町で、古代の城壁が一部残っていて、きれいなタイル(イズニク・タイル)の産地としても有名なんだ。

拍手するロダン先生

ロダン先生

1700年前の会議の成果が、今も続いている。歴史って、本当に長いんだね。

練習問題

やさしい

  1. 325年に、コンスタンティヌス帝が開いた教会の会議を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:ニケーア公会議

  2. ニケーア公会議で正統とされた派を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:アタナシウス派
    イエスは父なる神と同じ本質をもつ、と考える派です。

ふつう

  1. ニケーア公会議で異端とされた、イエスは神がつくった存在とする派を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:アリウス派
    のちにゴート人などゲルマン人の間に広がりました。

  2. 父・子・聖霊は1つの神の3つのあらわれだとする教えを何というか。
    答えと解説を見る

    答え:三位一体
    381年のコンスタンティノープル公会議で固まりました。

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「ニケーア公会議で、キリスト教はローマ帝国の国教となった。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    ニケーア公会議はアタナシウス派を正統とした会議です。国教化は、テオドシウス帝(380年・392年)です。

  2. ニケーア公会議が開かれた理由と結果を、60字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:キリスト教公認後の教会の争いをおさめるためコンスタンティヌスが開き、アタナシウス派が正統、アリウス派が異端とされた。

    「皇帝が開いた」「アタナシウス派が正統・アリウス派が異端」の2点が入れば合格です。

「古代ローマ」の章の用語

この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

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あわせて読みたい(合格大作戦の記事)

よくある質問

ニケーア公会議とは何ですか?

325年にローマ皇帝コンスタンティヌスが、小アジアのニケーアに各地の司教を集めて開いた、キリスト教会の大きな会議です。イエスをどう考えるかをめぐる争いに決着をつけようとしました。

ニケーア公会議はいつ、どこで開かれましたか?

325年に、小アジア北西部のニケーア(今のトルコのイズニク)で開かれました。皇帝コンスタンティヌスの呼びかけで、およそ300人の司教が集まったと伝えられます。

公会議とは何ですか?

キリスト教会の各地の司教が集まって、教えの大事なことを決める会議です。ニケーア公会議はその最初の大きなもので、あとにコンスタンティノープル・エフェソス・カルケドンなどの公会議が続きます。

アタナシウス派とアリウス派のちがいは何ですか?

アタナシウス派は、イエスは父なる神と同じ本質をもつ神そのものだと考えました。アリウス派は、イエスは神がつくった最初の存在で、神より下だと考えました。

ニケーア公会議の結果はどうでしたか?

アタナシウス派の考えが正統とされ、アリウス派は異端とされてアリウスは追放されました。信仰の内容をまとめたニケーア信条がつくられました。

ニケーア公会議でキリスト教は国教になりましたか?

なっていません。国教にしたのは、4世紀末のテオドシウス帝です。ニケーア公会議は、教えの内容を決めた会議です。

三位一体とは何ですか?

父なる神・子(イエス)・聖霊が、3つの位格でありながら1つの神であるという教えです。325年のニケーアの考えをもとに、381年のコンスタンティノープル公会議で固まりました。

アリウス派はそのあとどうなりましたか?

ローマ帝国の中では異端とされましたが、ゴート人・ヴァンダル人・ランゴバルド人などゲルマン人の間に広がりました。のちにフランク王国がアタナシウス派に改宗し、主流は後者になりました。

ニケーア公会議は英語で何といいますか?

First Council of Nicaea(第1ニケーア公会議)です。三位一体は Trinity、異端は heresy、正統は orthodoxy といいます。

ニケーア公会議は入試でどう出ますか?

共通テストでは、325年・コンスタンティヌス・アタナシウス派とアリウス派の説明が正誤問題で出ます。論述では、公認・公会議・国教化の流れや、皇帝と教会の関係が問われます。

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出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • エウセビオス『コンスタンティヌスの生涯』(公会議の記録)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦