ポエニ戦争とは?世界史でわかりやすく|ローマ対カルタゴの3回の戦い【図解・年表】

世界史用語集 › 第3章 古代ローマ

大学受験

ポエニ戦争ぽえにせんそう

重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)

ひとことで言うと

ポエニ戦争とは、前264〜前146年に、ローマと北アフリカのカルタゴが、地中海の支配をめぐって戦った3回の戦争です。ローマが勝ってカルタゴは滅亡し、ローマは地中海世界の覇者になりました。

読み方ぽえにせんそう
英語Punic Wars(ポエニ戦争)
時代前264年〜前146年(前3〜前2世紀)
地域ローマ
章第3章 古代ローマ
いつ前264〜前241(第1回)・前218〜前201(第2回)・前149〜前146(第3回)
相手北アフリカのカルタゴ(フェニキア人の植民市)
結果ローマの勝ち。カルタゴ滅亡、ローマは地中海の覇者に
いっしょに覚えるハンニバル・スキピオ・カンネー・ザマ・属州・ラティフンディア

このページのポイント

  • ポエニ戦争は、ローマとカルタゴの3回の戦争(前264〜前146)。「ポエニ」はフェニキア人を指す。
  • 第1回はシチリア(最初の属州)、第2回はハンニバルとスキピオ(ザマの戦い)、第3回でカルタゴが滅亡した。
  • 勝ったローマでは属州と奴隷が増え、ラティフンディアが広がって中小農民が没落した。内乱の原因になる。

ポエニ戦争をやさしく言うと

ポエニ戦争は、ローマと、北アフリカの大国カルタゴが、地中海の支配をめぐって戦った3回の戦争です。前264年から前146年まで、およそ120年にわたって続きました。勝ったのはローマで、カルタゴは完全にほろびました。

「ポエニ」とは、ラテン語でフェニキア人をさすことばです。カルタゴは、フェニキア人が北アフリカにつくった植民市でした。フェニキア人は、海の交易が得意で、のちのギリシャ文字の元になった文字も伝えた人々です(ギリシャ文字の読み方一覧)。つまり「ポエニ戦争」は「フェニキア人(カルタゴ)との戦争」という意味です。

たとえると、「陸の強豪」と「海の強豪」が、同じ島(シチリア)をめぐってぶつかった試合です。ローマは陸軍が強く、カルタゴは海運と傭兵(お金で雇う兵士)が強み。第1回では、ローマが海軍を急いで育てて追いつきました。

地中海黒海 ローマ カルタゴ シラクサ メッサナ カルタゴ・ノウァ カンネー ザマ付近 ヒスパニア ガリア ローマカルタゴ側の拠点
図1 ポエニ戦争の舞台。ローマとカルタゴは、シチリア島をはさんで向かい合う。
エンリケくん

エンリケくん

「ポエニ」って、どこの国の名前ですか?

ロダン先生

ロダン先生

国の名前じゃなくて、ローマ人がカルタゴの人々を呼んだことばなんだ。ラテン語のポエニは「フェニキア人」の意味。カルタゴはフェニキア人の植民市だったからね。

エンリケくん

エンリケくん

ギリシャの植民市みたいに、フェニキア人にも植民市があったんですね。

ロダン先生

ロダン先生

そのとおり。海をわたって町をつくるのは、ギリシャ人もフェニキア人も得意だったんだ。

ポエニ戦争のくわしい流れ(原因・経過・結果)

① 原因:地中海の西で、ぶつかった

前3世紀のはじめ、ローマは、ホルテンシウス法のころまでにイタリア半島をほぼ統一しました。半島の南の海の向こうには、シチリア島があります。ここは、ギリシャ人の植民市(シラクサなど)と、カルタゴの勢力が入り混じる、豊かな島でした。

いっぽう、カルタゴは、北アフリカ・スペイン・サルデーニャなどに領土を持ち、地中海の西側の交易を握っていました。海の通り道であるシチリアが、もしローマの手に渡れば、カルタゴは困ります。ローマにとっても、すぐ南にあるカルタゴの勢力は大きな不安でした。こうして、2つの国が衝突します。

② 第1回ポエニ戦争(前264〜前241):シチリアをめぐる戦い

きっかけは、シチリア島のメッサナ(今のメッシーナ)をめぐる争いでした。ローマが介入して、カルタゴと戦いが始まります。ローマは陸の戦いは強くても、海軍が弱かったので、船をたくさん作って海軍を整備しました。伝承では、敵の船に板を落として橋をかけ、陸の戦いのように戦う工夫(「コルウス」と呼ばれる)を使ったと伝わります。

長い戦いの末、前241年にローマが勝ちました。カルタゴはシチリアをあきらめ、賠償金を払います。ローマはシチリアを最初の属州としました(前227年に正式な属州に)。「属州」とは、ローマ市民でない人々が住む海外の領土で、ローマの総督が治め、税を取る土地のことです。

③ 第2回ポエニ戦争(前218〜前201):ハンニバルの侵入

負けたカルタゴは、スペインで力を回復しました。そこで、名将ハンニバルが、前218年にスペインから出発し、アルプス山脈を越えてイタリア半島に攻め込みました。前216年のカンネーの戦いで、ローマ軍は大敗します。南イタリアには寝返る同盟市も出ましたが、中部イタリアの多くの同盟市はローマに忠実で、ローマは立て直すことができました。

その後、ローマの将軍スキピオが、いったんスペインを押さえ、さらに海をわたって、カルタゴの本国を直接攻めます。ハンニバルは急いで帰国し、前202年のザマの戦いで、スキピオに敗れました。カルタゴは、海外の領土をすべて失い、軍艦も制限され、巨額の賠償金を払うことになりました。ローマは、スペイン(ヒスパニア)も属州としました。

④ 第3回ポエニ戦争(前149〜前146):カルタゴの滅亡

カルタゴは、領土をなくしても、商業の力で豊かさを取りもどしました。ローマの保守的な政治家の中には、これを警戒する人がいました。有名なのは、大カトーが、元老院の演説のたびに「カルタゴは滅ぼされるべきだ」と言ったという話です(伝承)。

前149年、ローマは口実を作ってカルタゴに戦いをしかけます。3年の包囲の末、前146年にスキピオ=アエミリアヌス(小スキピオ)がカルタゴを占領し、町を破壊しました。カルタゴの領土は、属州アフリカになります。「町に塩をまいて、草も生えないようにした」という話もありますが、これは後の時代の作り話とされることが多く、本当かどうかは分かりません。

第1回 前264〜前241シチリア島をめぐる戦い → ローマが勝ち、初の海外領土第2回 前218〜前201ハンニバルがイタリアに侵入 → スキピオがザマで勝つ第3回 前149〜前146ローマが先に攻め、カルタゴを破壊
図2 ポエニ戦争の3回の流れ。第1回はシチリア、第2回はハンニバル、第3回はカルタゴ破壊。

⑤ 結果:ローマが地中海の覇者に。でも国内にひずみが

同じ前146年、ローマはギリシャのコリントスも破壊し、ギリシャも支配の下に入れました。ローマは地中海世界の覇者になります。属州からは、税とたくさんの奴隷が入ってきました。

けれども、いいことばかりではありませんでした。ローマ軍の中心は、土地を持つ中小の農民です。長い戦争のあいだ、農民は何年も故郷を離れます。畑は荒れ、借金をして土地を手放す人が増えました。いっぽう、戦争で富を得た有力者は、手放された土地を集め、奴隷を使う大農場を作りました。これがラティフンディア(大土地経営)です。土地を失った農民は、ローマ市に流れ込んで貧しい市民になり、のちのグラックス兄弟の改革、そして「内乱の1世紀」につながります。

戦いの前イタリア半島の国中小の農民が戦士海外領土なし地中海は他国が活躍農民が多い自作農が国の土台戦いのあと地中海の覇者シチリア・ヒスパニアなど属州がふえる税と奴隷が入ってくる農民が減る大土地経営がひろがる
図4 ポエニ戦争の前と後。ローマは地中海の覇者になったが、中小農民が減って大土地経営がひろがった。
地球儀を指さすロダン先生

ロダン先生

地球儀で見ると、カルタゴは今のチュニジアのあたり。チュニスに行くと、カルタゴ遺跡の海の景色がきれいだったよ。ローマ人が破壊した町の上に、またローマ人が町を作ったんだ。

年表と地図で見るポエニ戦争

前264第1回ポエニ戦争が始まる前241ローマが勝つ・シチリアを得る前218第2回・ハンニバルが出発前216カンネーの戦い(ローマ大敗)前202ザマの戦い(ローマが勝つ)前149第3回ポエニ戦争が始まる前146カルタゴ滅亡前146ギリシャのコリントスも破壊
図3 ポエニ戦争の年表。前146年に、カルタゴもコリントスも破壊された。

3回の戦争の名前を、地中海での位置と結びつけて覚えると、整理しやすくなります。

回年舞台・中心人物結果
第1回前264〜前241シチリア島・海戦ローマが勝つ。シチリアが最初の属州に
第2回前218〜前201スペイン・アルプス・イタリア・ザマ。ハンニバルとスキピオローマが勝つ。カルタゴは海外領土を失う
第3回前149〜前146カルタゴの包囲。小スキピオカルタゴ滅亡・属州アフリカに

整理:ポエニ戦争が世界史で大事な理由

① ローマがイタリアの国から地中海帝国に変わる出発点。② 属州と奴隷が増え、ラティフンディアが広がる。③ 農民の没落が、グラックス兄弟の改革と内乱の1世紀につながる。

ポエニ戦争と関係する人物・用語

用語ポエニ戦争との関係
ハンニバル第2回の将軍。アルプス越え・カンネーの戦い
ラティフンディア戦争のあとに広がった奴隷制の大農場
グラックス兄弟農民の没落に対する改革。ポエニ戦争の影響
共和政ローマの成立ポエニ戦争の時代は共和政の中ごろ
コンスルと元老院戦争の指揮は、コンスルが取った
ホルテンシウス法戦いの前のローマの身分の平等
スパルタクスの反乱戦争の結果ふえた奴隷の大反乱

ローマ数字を使って、「ポエニ戦争は I・II・III 回」と書いてみるのも、数字になじむ練習になります(ローマ数字一覧表と書き方の法則)。

サクラちゃん

サクラちゃん

ローマが勝ったのに、どうして農民が困ったんですか?

ロダン先生

ロダン先生

農民は戦争のたびに兵士として出かけて、何年も畑にもどれないんだ。そのあいだに畑は荒れる。戦争で取った奴隷を使う大農場のほうが安く作物を作れるから、農民の作物は売れなくなる。勝ったから困ったという、ふしぎな話だよ。

サクラちゃん

サクラちゃん

勝った国の中に、ひずみが生まれたんですね。

ポエニ戦争でまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. 「ポエニ」を国名と思う:ポエニはフェニキア人のラテン語名。戦った相手の国はカルタゴ。
  2. カンネーでローマが勝ったと思う:カンネーの戦い(前216)はハンニバルの大勝。ローマの勝ちはザマの戦い(前202)。
  3. カルタゴをほろぼしたのを第2回と思う:第2回で負けても、カルタゴは残った。ほろんだのは第3回(前146)。
  4. 最初の属州をスペインと思う:最初の属州はシチリア。第1回の結果。
  5. ハンニバルを「ローマ人」と思う:ハンニバルはカルタゴの将軍。ローマの将軍はスキピオ。
  6. カルタゴの町に塩をまいた話を事実とする:後世の作り話とされることが多い。入試では「破壊した」だけで十分。

入試ではこう出る

  • 共通テスト:3回の戦争の順番と結果、ハンニバル・スキピオ・ザマの戦い・カンネーの戦いの組み合わせが、正誤問題や年代整理でよく問われます。シチリアが最初の属州という点もよく出ます。
  • 国公立の2次・論述:「ポエニ戦争がローマ社会に与えた影響」を、属州の拡大 → 奴隷の流入 → ラティフンディア → 中小農民の没落 → 内乱、という流れで説明させる問題が出ます。
  • 私大:「属州」「ザマ」「カンネー」「大カトー」などの語句の穴埋め。地図で、カルタゴ・シラクサ・メッサナの位置を問う問題。

勉強の進め方は世界史の勉強法【共通テスト対策】、論述は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)を見てください。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? 勝ったローマが「ガリア・スペイン」へ

ポエニ戦争のあと、ローマが取ったのは、シチリアやスペインだけじゃないんだ。ギリシャ世界にも進んで、マケドニアなど東の国々にも力を広げた。「地中海は私たちの海」という意味で、ローマ人は後に地中海を「われらが海(マーレ=ノストルム)」と呼んだと伝えられるよ。

ロダン先生

これ知ってる? 「カルタゴ」を今も歩ける

チュニジアのチュニス近くには、カルタゴの遺跡が今もあるんだ。ただ、今見られる遺跡の多くは、ローマが町をつくり直したあとのもの。フェニキア人の町の跡は、地面の下に埋まっていることが多いよ。「世界遺産のカルタゴ遺跡」は、ローマと戦った町の名を持ちながら、ローマ時代の姿でもあるんだ。

親指を立てるロダン先生

ロダン先生

ポエニ戦争は、「ローマ史の分かれ道」なんだ。ここから、ローマは地中海の大帝国へ、そして内乱の時代へと進んでいくよ。

練習問題

やさしい

  1. ローマと北アフリカのカルタゴが、3回にわたって戦った戦争を何というか。
    答えと解説を見る

    答え:ポエニ戦争
    前264〜前146年です。

  2. ローマが第1回ポエニ戦争に勝って手に入れた、最初の海外領土(属州)はどこか。
    答えと解説を見る

    答え:シチリア島

ふつう

  1. 第2回ポエニ戦争で、アルプスを越えてイタリアに侵入したカルタゴの将軍はだれか。また、その将軍を、ザマの戦いで破ったローマの将軍はだれか。
    答えと解説を見る

    答え:ハンニバル、スキピオ

  2. カルタゴが滅亡したのは、第何回のポエニ戦争か。また、何年のことか。
    答えと解説を見る

    答え:第3回、前146年
    カルタゴの領土は属州アフリカになりました。

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「ポエニ戦争で勝ったローマでは、戦争に出た中小の農民の暮らしが向上し、自作農が増えた。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    長い戦争で畑が荒れ、中小の農民は土地を手放しました。奴隷を使う大土地経営(ラティフンディア)が広がり、農民は減りました。

  2. ポエニ戦争がローマの国内にもたらした変化を、70字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:ローマは地中海を支配して属州と奴隷を得たが、大土地経営が広がって中小農民が没落し、貧富の差が拡大して、のちの内乱の原因となった。(68字)

    「属州・奴隷」「大土地経営」「中小農民の没落」の3点が入れば合格です。

「古代ローマ」の章の用語

この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

← 前の語:ホルテンシウス法(世界史) | 次の語:ハンニバル(世界史) →

あわせて読みたい(合格大作戦の記事)

よくある質問

ポエニ戦争とは何ですか?

ポエニ戦争とは、前264〜前146年に、ローマと北アフリカのカルタゴが地中海の支配をめぐって戦った3回の戦争です。ローマが勝ち、カルタゴは滅亡しました。

「ポエニ」とはどういう意味ですか?

ラテン語でフェニキア人をさすことばです。カルタゴはフェニキア人の植民市だったため、ローマ人はカルタゴの人々をポエニと呼びました。

ポエニ戦争はなぜ起きたのですか?

イタリア半島を統一したローマが、シチリア島に進出したためです。地中海の西の交易を握るカルタゴと利害が衝突しました。きっかけはシチリアのメッサナをめぐる争いでした。

第1回・第2回・第3回の結果をそれぞれ教えてください。

第1回(前264〜前241)はローマが勝ち、シチリアを最初の属州としました。第2回(前218〜前201)はザマの戦いでローマが勝ち、カルタゴは海外領土を失いました。第3回(前149〜前146)でカルタゴは破壊されました。

ハンニバルとスキピオは、どの戦争の人物ですか?

第2回ポエニ戦争の人物です。ハンニバルはカルタゴの将軍で、アルプスを越えてイタリアに攻め込み、カンネーの戦いで勝ちました。スキピオはローマの将軍で、前202年のザマの戦いでハンニバルを破りました。

ポエニ戦争のあと、ローマはどう変わりましたか?

地中海世界の覇者になり、属州から税と多くの奴隷が入りました。いっぽう、中小の農民が没落し、大土地経営(ラティフンディア)が広がって、貧富の差が大きくなりました。

カルタゴはいつ滅びましたか?

前146年、第3回ポエニ戦争で、小スキピオ(スキピオ=アエミリアヌス)に破壊されました。領土は属州アフリカとなりました。

ポエニ戦争は英語で何といいますか?

Punic Wars(ピュニック・ウォーズ)です。Punic はラテン語の Poenus(ポエヌス)、つまりフェニキア人に由来します。

ポエニ戦争は入試でどう出ますか?

共通テストでは3回の順番と結果、ハンニバル・スキピオ・ザマ・カンネーの組み合わせが正誤問題で出ます。2次の論述では、ローマ社会への影響を説明させる問題がよく出ます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • ポリュビオス『歴史』(第1・第2回ポエニ戦争)
  • リウィウス『ローマ建国史』(第2回ポエニ戦争)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦