三頭政治とは?世界史でわかりやすく|第1回・第2回のメンバーと違いを比較【図解・年表】

世界史用語集 › 第3章 古代ローマ

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三頭政治さんとうせいじ

重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)

ひとことで言うと

三頭政治とは、共和政ローマの末期に、3人の有力者が手を結んで政治を動かしたしくみです。第1回(前60年)はカエサル・ポンペイウス・クラッススの私的な同盟、第2回(前43年)はオクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥスの公的な職でした。

読み方さんとうせいじ
英語triumvirate(ラテン語 triumviratus)
時代第1回:前60年〜前53年ごろ/第2回:前43年〜前31年ごろ
地域ローマ
章第3章 古代ローマ
第1回(前60)カエサル・ポンペイウス・クラッスス(私的な同盟)
第2回(前43)オクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥス(公的な職)
終わり第1回は内戦へ、第2回はアクティウムの海戦(前31)
いっしょに覚えるルビコン川・ファルサロス・カルラエ・ピリッピ・アクティウム

このページのポイント

  • 三頭政治は2回。第1回(前60)はカエサル・ポンペイウス・クラッスス、第2回(前43)はオクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥス。
  • 第1回は法律に基づかない私的な同盟、第2回は法で認められた公的な職。ここが入試の定番。
  • 第1回はクラッススの戦死と内戦で終わり、第2回はアクティウムの海戦(前31)で終わって、帝政(前27)へ進んだ。

三頭政治をやさしく言うと

三頭政治は、ローマで、3人の有力者が手を結んで、国の政治を動かしたしくみです。「頭」は「かしら(リーダー)」という意味で、「3人のリーダーによる政治」ということです。第1回(前60年)と第2回(前43年)の2回ありました。

この時代のローマは、グラックス兄弟のあと、将軍たちが兵士を率いて権力を争う、混乱の時代でした。元老院を中心とする共和政のしくみが、うまく動かなくなっていたのです。そこで、力のある3人が手を組み、お互いに助け合って権力を握ろうとしました。それが三頭政治です。

ここで大事なのは、2回の三頭政治のちがいです。第1回は、法律で決められたものではない、私的な約束でした。第2回は、法律で正式に認められた、公的な職でした。この点が、入試でもよく問われます。

第1回(前60)カエサルほかポンペイウス・クラッスス私的な同盟法の根拠はない内戦で終わるクラッスス戦死→内戦第2回(前43)オクタウィアヌスほかアントニウス・レピドゥス公的な職法で認められた(5年)海戦で終わる前31年アクティウム
図2 第1回と第2回の三頭政治。第1回は私的な同盟、第2回は法で認められた公的な職。
エンリケくん

エンリケくん

三頭政治って、3人で仲良く政治をするんですか?

ロダン先生

ロダン先生

仲良くというより、お互いに利用しあう同盟に近いんだ。3人とも、自分の力を伸ばしたい。手を組んだほうが得だから、組んでいただけ。だから、片方が強くなりすぎると、いつか割れる。

エンリケくん

エンリケくん

利用しあっているだけだと、長続きしないですね。

三頭政治のくわしい流れ(原因・経過・結果)

① 原因:将軍が力を持つ時代

ラティフンディアの広がりで農民が減ると、ローマ軍は、マリウスの改革以来、志願兵が中心になりました。兵士は国より、給料や土地をくれる将軍に忠誠をつくすようになります。こうして、強い将軍が、自分の軍の力で政治を動かす時代になりました。

東方での戦いで名を上げた将軍ポンペイウス、大富豪のクラッスス、そして、民衆に人気のある若い政治家カエサル。この3人が、元老院のなかで、思うように力を持てないことに不満を持っていました。

② 第1回三頭政治(前60年)

前60年、カエサル・ポンペイウス・クラッススの3人が、秘密の同盟を結びました。これは法律に基づくものではなく、3人の個人的な約束です。カエサルは、前59年にコンスルに当選し、ポンペイウスの兵士に土地を与える法などを通しました。見返りに、ポンペイウスとクラッススは、カエサルを支持しました。

前56年には、ルッカで会談して、同盟を続ける約束をします。カエサルはその後、ガリア(今のフランスのあたり)での遠征に力を入れ、戦いの勝利で、名声と軍隊を手に入れました(カエサルとガリア遠征)。

しかし、前53年、クラッススが、東の国パルティアとのカルラエの戦いで戦死します。3人のつり合いはくずれました。さらに、ポンペイウスは元老院の側に近づきます。

③ 内戦とカエサルの独裁

前49年、元老院はカエサルに、軍を解散して帰国するよう命じました。カエサルは、「賽(さい)は投げられた」と言って、ルビコン川をわたり、軍を率いてイタリアに入ります(伝承)。ルビコン川は、属州と本国の境界でした。ここから内戦が始まりました。

前48年、ギリシャのファルサロスで、カエサルはポンペイウスを破ります。ポンペイウスは、エジプトに逃げて殺されました。カエサルは、エジプトで女王クレオパトラ7世と結び、各地の反対勢力を破って、ローマの実権を握ります。そして、終身の独裁官になりました。

ところが、前44年3月15日、カエサルは、共和政を守ろうとする元老院議員たち(ブルートゥス・カッシウスたち)に、暗殺されてしまいます。

④ 第2回三頭政治(前43年)

カエサルの死後、後継ぎとして名乗りを上げたのが、カエサルの養子で、まだ若いオクタウィアヌスです。前43年、オクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥスの3人が手を結びました。第1回とちがい、これは法律で認められた公的な職(国家再建のための三人委員)でした。任期は5年で、のち更新されます。

3人は、カエサルを暗殺した人々を討つために戦い、前42年にピリッピの戦いで勝ちます。その後、レピドゥスは力を失い、残った2人の間で争いが起きました。西方を治めるオクタウィアヌスと、東方を治めるアントニウスです。アントニウスは、エジプトの女王クレオパトラ7世と結びつき、オクタウィアヌスと対立しました。

⑤ 結果:アクティウムの海戦と、共和政の終わり

前31年、ギリシャ西岸のアクティウムの海戦で、オクタウィアヌスの艦隊が、アントニウスとクレオパトラの連合艦隊に勝ちました。翌年、アントニウスとクレオパトラは自殺し、エジプトのプトレマイオス朝は滅びます。エジプトは、ローマの支配下に入りました。

これで、ローマの内乱は終わりました。オクタウィアヌスは、前27年に元老院から「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を受け、事実上の帝政が始まります(アウグストゥスと元首政)。

地中海黒海 ローマ ルビコン川 ファルサロス カルラエ ピリッピ アクティウム アレクサンドリア 第1回のころの戦い第2回のころの戦い
図1 三頭政治の時代の主な戦いの地図(模式図)。ルビコン川・ファルサロス・カルラエ・ピリッピ・アクティウム。
手をかざして遠くを見るロダン先生

ロダン先生

ルビコン川は、今も「引き返せない決断」の意味で「ルビコン川を渡る」と言われるんだ。ここまで読んで、ローマの共和政が終わっていく様子が見えたかな。

年表と流れの図で見る三頭政治

前60第1回三頭政治前53クラッススが戦死(カルラエ)前49カエサルがルビコン川をわたる前48ファルサロスの戦い前44カエサルが暗殺される前43第2回三頭政治前31アクティウムの海戦前27オクタウィアヌスがアウグストゥスに
図3 三頭政治の年表。前60年に始まり、前27年に帝政へつながる。
内乱の1世紀の混乱有力な将軍が兵士を率いて競う第1回三頭政治(前60)カエサル・ポンペイウス・クラッススカエサルの独裁と暗殺(前44)内戦に勝ち、終身独裁官に第2回三頭政治(前43)オクタウィアヌスらがカエサルの後を継ぐアクティウムの海戦(前31)オクタウィアヌスが勝ち、帝政へ
図4 共和政から帝政への流れ。三頭政治は、その途中にある。
第1回三頭政治第2回三頭政治
年前60年前43年
メンバーカエサル・ポンペイウス・クラッススオクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥス
性格私的な同盟(非公式)法的に認められた公的な職
きっかけ元老院への不満・将軍の力カエサルの暗殺
終わり方クラッススの死・内戦レピドゥス失脚・アクティウムの海戦

整理:三頭政治の「3人」を覚える

第1回:カエサル・ポンペイウス・クラッスス(カ・ポ・クと覚える)。第2回:オクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥス(オ・ア・レ)。性格:第1回は私的、第2回は公的。

三頭政治と関係する人物・用語

用語三頭政治との関係
カエサル第1回の1人。のちに独裁官になる
アウグストゥス(オクタウィアヌス)第2回の1人。アクティウムで勝ち、初代皇帝に
スパルタクスの反乱クラッススとポンペイウスが鎮圧して名を上げた
グラックス兄弟内乱の1世紀の出発点
ローマの平和三頭政治のあとにおとずれた長い平和
コンスルと元老院三頭政治が弱めた共和政の機関
共和政ローマ三頭政治は共和政末期のできごと

古代ローマの年号や人名の表記を学ぶときは、ローマ数字一覧表と書き方の法則も役に立ちます。

サクラちゃん

サクラちゃん

どうして第2回の三頭政治は、法律で認められたんですか?

ロダン先生

ロダン先生

カエサルが暗殺された後、ローマは大混乱だった。元老院も、3人の力を無視できなくなって、国家を立て直す役職として、正式に認めたんだ。形のうえでは法に従ったけれど、中身は力の強い3人が国を動かす体制だったよ。

三頭政治でまちがえやすい点

まちがえやすい点

  1. 第1回と第2回のメンバーを混ぜる:第1回はカエサル・ポンペイウス・クラッスス。第2回はオクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥス。
  2. 第1回を公的な制度と思う:第1回は私的な同盟。第2回が法で認められた公的な職。
  3. カエサルが第2回にも入ったと思う:カエサルは前44年に暗殺されている。第2回は、その後。
  4. クラッススが内戦で死んだと思う:クラッススはパルティアとのカルラエの戦い(前53)で戦死。
  5. アクティウムの海戦の相手を取り違える:オクタウィアヌスが勝ったのは、アントニウスとクレオパトラ。
  6. 三頭政治を「帝政」と思う:三頭政治は共和政末期。帝政の始まりは、アウグストゥス(前27年)。

入試ではこう出る

  • 共通テスト:第1回と第2回の三頭政治のメンバー、性格(私的/公的)のちがいが、正誤問題で問われます。アクティウムの海戦・ルビコン川・ファルサロスなどの語句や、年代の並べかえもよく出ます。
  • 国公立の2次・論述:「共和政から帝政への移行」を、内乱の1世紀、三頭政治、カエサルの独裁、アウグストゥスの元首政の流れで説明させる問題があります。
  • 私大:三頭政治の人名、カルラエの戦い、ルッカ会談、レピドゥスの失脚など、細かい語句。

勉強の進め方は世界史の勉強法【共通テスト対策】、論述は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)を見てください。

ロダン先生の「これ知ってる?」

ロダン先生

これ知ってる? 「三頭」は日本の「三頭政治」の訳語

「三頭政治」ということばは、ラテン語の triumviratus(トリウムウィラートゥス、「3人の男の職」という意味)を日本語に訳したものなんだ。英語では triumvirate といって、今でも「3人の指導者によるグループ」という意味で使われるよ。

ロダン先生

これ知ってる? 「賽は投げられた」の意味

ルビコン川をわたるときのカエサルのことばとして、「賽(さい)は投げられた」が有名だね。もう後戻りできない決心を、さいころ遊びにたとえたことばなんだ。ただ、これは後の時代の記録で、本当にカエサルがそう言ったかどうかは、はっきりしないよ。

年表の巻物を広げるロダン先生

ロダン先生

第1回は前60年、第2回は前43年。「60と43」と、「カ・ポ・ク」「オ・ア・レ」を、セットで覚えてね。

練習問題

やさしい

  1. 第1回三頭政治を結んだ3人を答えよ。
    答えと解説を見る

    答え:カエサル・ポンペイウス・クラッスス

  2. 第2回三頭政治を結んだ3人を答えよ。
    答えと解説を見る

    答え:オクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥス

ふつう

  1. 第1回三頭政治は、前60年に結ばれた。この同盟の性格を、第2回と比べて一言で書け。
    答えと解説を見る

    答えの例:第1回は法的な根拠のない私的な同盟で、第2回は法で認められた公的な職だった。

  2. 前31年に、オクタウィアヌスがアントニウスとクレオパトラの連合艦隊を破った戦いを何というか。
    答えと解説を見る

    答え:アクティウムの海戦
    この後、エジプトはローマの支配下に入りました。

むずかしい

  1. 正しいか誤りか答えよ。「第2回三頭政治は、カエサル・ポンペイウス・クラッススの3人で、私的な同盟として結ばれた。」
    答えと解説を見る

    答え:誤り
    これは第1回の説明です。第2回は、オクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥスで、法で認められた公的な職でした。

  2. 三頭政治が結ばれた背景を、70字ほどで説明せよ。
    答えと解説を見る

    答えの例:農民の没落で軍が志願兵中心となり、兵士が将軍の私兵化して、元老院中心の共和政がゆらぎ、有力な将軍たちが権力のために手を組んだ。(66字)

    「将軍が軍を握った」「共和政がゆらいだ(元老院の力が弱まった)」が入れば合格です。

「古代ローマ」の章の用語

この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。

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よくある質問

三頭政治とは何ですか?

三頭政治とは、共和政ローマの末期に、3人の有力者が手を結んで政治を動かしたしくみです。前60年の第1回と、前43年の第2回の2回あります。

第1回三頭政治の3人はだれですか?

カエサル、ポンペイウス、クラッススです。前60年に私的な同盟として結びました。

第2回三頭政治の3人はだれですか?

オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスです。前43年に、法で認められた公的な職として結ばれました。

第1回と第2回のちがいは何ですか?

第1回は法律に基づかない私的な同盟です。第2回は法で認められた公的な職(国家再建のための三人委員)で、任期は5年でした。

三頭政治はなぜ結ばれたのですか?

共和政の末期に、将軍たちが兵士を率いて権力を争う時代になり、元老院中心のしくみが弱まったからです。有力者が手を組んだほうが、自分の力を伸ばせると考えました。

第1回三頭政治はどのように終わりましたか?

前53年にクラッススがカルラエの戦いで戦死し、バランスがくずれました。前49年にカエサルがルビコン川をわたって内戦になり、前48年のファルサロスの戦いでポンペイウスを破りました。

第2回三頭政治はどのように終わりましたか?

レピドゥスが力を失い、オクタウィアヌスとアントニウスが対立しました。前31年のアクティウムの海戦でオクタウィアヌスが勝ち、前27年にアウグストゥスの称号を受けて、帝政が始まりました。

三頭政治は英語で何といいますか?

triumvirate です。ラテン語の triumviratus(3人の男の職)に由来します。第1回は the First Triumvirate、第2回は the Second Triumvirate といいます。

三頭政治は入試でどう出ますか?

共通テストでは、第1回と第2回のメンバーと性格(私的/公的)のちがいが正誤問題で出ます。2次の論述では、共和政から帝政への移行の流れの中で説明させる問題が出ます。

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出典・参考

  • 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
  • スエトニウス『ローマ皇帝伝』(カエサルの項)
  • プルタルコス『対比列伝』(カエサル・ポンペイウス・クラッスス・アントニウス)

最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦