世界史用語集 › 第3章 古代ローマ
大学受験
軍人皇帝時代ぐんじんこうていじだい
重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)
ひとことで言うと
軍人皇帝時代とは、235年から284年までの約50年間、各地の軍隊が皇帝を次々と立てて争ったローマ帝国の大混乱の時代です。「3世紀の危機」ともいい、外からの攻撃と内乱が重なって国がおとろえ、284年のディオクレティアヌス帝が立て直しました。
| 読み方 | ぐんじんこうていじだい |
|---|---|
| 英語 | the Crisis of the Third Century / Soldier Emperors |
| 時代 | 235年〜284年(3世紀の危機) |
| 地域 | ローマ |
| 章 | 第3章 古代ローマ |
| 期間 | 235年〜284年(約50年) |
| 別名 | 3世紀の危機 |
| 原因 | 外からの攻撃・軍隊が皇帝を決める・皇帝の暗殺 |
| 終わり | 284年 ディオクレティアヌス帝が即位 |
このページのポイント
- 軍人皇帝時代は235〜284年。各地の軍隊が皇帝を立て、皇帝の多くが殺された「3世紀の危機」の時代。
- 北からゲルマン系の人々(ゴート人など)、東からササン朝ペルシア。260年にはウァレリアヌス帝が捕虜になった。
- 物価高と町のおとろえが進み、284年にディオクレティアヌス帝が登場して専制君主政への道を開いた。
軍人皇帝時代をやさしく言うと
軍人皇帝時代は、235年から284年までの約50年間、ローマ帝国の皇帝が次々と入れかわった時代です。皇帝の多くは、各地の軍隊が「うちの将軍を皇帝にしよう」と勝手に立て、そして多くが同じ軍隊に殺されました。20人以上が皇帝を名のったといわれます(数え方によってもっと多くなります)。
たとえるなら、社員が社長を勝手に決めて、気に入らなければすぐ取りかえる会社のようなものです。これでは会社(国)は落ち着きません。外からは敵が攻めてくるのに、中ではずっと争いが続きました。この時代は、3世紀の危機ともいいます。
「軍人皇帝」という名前は、皇帝に元老院の決めた人ではなく、軍人(将軍)がなったことから来ています。五賢帝の時代の「安定した時代」の正反対と考えると、イメージしやすくなります。
エンリケくん
50年で20人以上! 1人あたり2年ちょっとですね。
ロダン先生
そうなんだ。しかも、ほとんどが自然な死に方ではない。戦いで死ぬか、味方の兵士に殺されるか。皇帝になるのは、危険な仕事だったんだよ。
軍人皇帝時代のくわしい流れ(原因・経過・結果)
① 背景:軍隊の力が強くなっていた
五賢帝のあと、セウェルス朝の皇帝たちは軍隊を大事にして、兵士の給料を上げました(カラカラ帝とアントニヌス勅令のころです)。その結果、軍隊は「皇帝を決めるのは自分たちだ」という力を持つようになりました。
② 235年:皇帝が兵士に殺された
235年、セウェルス朝最後の皇帝が、陣中で兵士に殺されました。かわって皇帝になったのは、兵士あがりのマクシミヌスでした。ここから、軍人が皇帝になる時代が始まります。
③ 外からの圧力:北と東の両方から
- 北:ライン川の方面では、フランク人・アレマンニ人などのゲルマン系の人々が国境をこえました。ドナウ川の方面ではゴート人が攻めてきました。251年には、デキウス帝がゴート人と戦って亡くなっています。
- 東:3世紀はじめ(224年ごろ。226年とする説もあります)に、イランでササン朝ペルシアが起こり、強い国になっていました。260年には、ウァレリアヌス帝がササン朝の王シャープール1世にとらえられるという大事件が起きます。
④ 国が分かれた
ローマが外からも内からもゆらぐなか、国の一部が分かれ出ました。西ではガリア帝国(260〜274年)が、ガリア・ブリタニアなどを治めました。東では、パルミラ王国が力を持ち、女王ゼノビアの時代には、ローマの東方の広い地域を支配しました。アウレリアヌス帝(在位270〜275)が、これらを倒して帝国を再統一します。ローマ市のまわりに新しい城壁(アウレリアヌスの城壁)を築いたのも、この皇帝です。
⑤ 経済のくずれ
皇帝たちは、兵士の給料をはらうために、銀貨の中の銀の量を減らしていきました。お金の価値が下がり、物価が上がり続けました(インフレ)。戦いで道や船の交通も止まり、疫病もはやったため、町は力を失います。力のある人々は、都市を離れて、農村の大きな屋敷(荘園のもとになったもの)に移っていきました。この流れは、コロナトゥス(コロヌス制)や、のちの中世の荘園につながります。
⑥ 結果:ディオクレティアヌスが立て直す
284年、軍人のディオクレティアヌスが皇帝になり、混乱をおさめます。くわしくはディオクレティアヌス帝の改革を見てください。
地図と年表で見る軍人皇帝時代
地図を見ると、ローマ帝国は北と東の両方から同時に攻められていたことが分かります。皇帝が1人で北の国境へ行けば、東がお留守になり、東へ行けば北がおろそかになります。そこで各地の軍隊は、近くにいる将軍に「自分たちの皇帝になって、守ってほしい」と願うようになりました。これが、皇帝がいくつも立つ理由の1つです。のちにディオクレティアヌスが帝国を分けて治める方法を選んだのも、この経験があったからだといわれます。

ロダン先生
国境の外から次々と敵が来て、国の中でも分かれて、まるで四方から波がおしよせるみたいだ。この大ピンチを、よくぞ立て直したと思うよ。
整理:軍人皇帝時代の原因と結果
原因:①外からの攻撃(ゲルマン系・ササン朝)、②軍隊の力が強くなりすぎた。結果:③皇帝が次々と殺される、④国が分かれる、⑤物価高と町のおとろえ。終わり:284年、ディオクレティアヌス帝が立て直す。
軍人皇帝時代と関係する人物・用語
| 用語 | 軍人皇帝時代との関係 |
|---|---|
| 五賢帝の時代 | 安定した時代。そのあと内乱へ |
| カラカラ帝とアントニヌス勅令 | セウェルス朝。軍隊を重んじた |
| ディオクレティアヌス帝 | 混乱を終わらせ、専制君主政を始めた |
| コロナトゥス(コロヌス制) | 都市のおとろえのあと、小作人が土地に結びつく |
| ラティフンディア(大土地経営) | 大きな屋敷(荘園)につながる土地の持ち方 |
| コンスタンティヌス帝 | 立て直しを受けつぐ皇帝 |
古代ローマの勉強をしている人は、ローマ数字一覧表(1〜3000)と書き方の法則も役に立ちます。年号をローマ数字で書く問題もあります。
サクラちゃん
ササン朝ペルシアって、ペルシア戦争のペルシアとは別ですか?
ロダン先生
いい質問だね。ペルシア戦争は前5世紀で、相手はアケメネス朝。ササン朝は後の3世紀に起こった、別の国だよ。同じイランの地だけど、名前と時代を混ぜないでね。ペルシア戦争はペルシア戦争の流れで確認できるよ。
軍人皇帝時代でまちがえやすい点
まちがえやすい点
- 「軍人皇帝」が1人の皇帝の名前だと思う:特定の人の名前ではなく、軍人あがりの皇帝が次々と立った時代の名前。
- 年代を取りちがえる:235年から284年。五賢帝の終わり(180年)ではない。五賢帝とのあいだにセウェルス朝がある。
- ササン朝ペルシアとアケメネス朝を混ぜる:ササン朝は3世紀〜、アケメネス朝は前6〜前4世紀。
- ウァレリアヌスとウァレンス・ウァレンティニアヌスを混ぜる:ウァレリアヌス(260年に捕虜)と、4世紀の皇帝は別人。
- ディオクレティアヌスが帝国を分割したと思う:彼は「分けて治める」体制をつくったが、帝国を2つの国に分けたのは395年のテオドシウス帝の死後。
軍人皇帝時代は入試ではこう出る
- 共通テスト:軍人皇帝時代の年代(3世紀)、各地の軍隊が皇帝を立てたこと、ササン朝との戦い(ウァレリアヌスの捕虜)などが、文の正誤の形で問われます。
- 国公立の2次・論述:「3世紀の危機」の原因と、そのあとのディオクレティアヌスの改革・専制君主政へのつながりを説明させる問題が考えられます。
- 私大:ゴート人、ササン朝、ガリア帝国、パルミラ(ゼノビア)、アウレリアヌスなどのことば。
論述の書き方は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)を見てください。原因を2つ以上あげて、結果へつなげる練習が役に立ちます。
ロダン先生の「これ知ってる?」
これ知ってる? ローマ皇帝が捕虜になったのは、このときだけ
260年、ウァレリアヌス帝がササン朝のシャープール1世にとらえられた。ローマの皇帝が、敵に生きたままとらえられたのは、ほかにあまり例がないとされるよ。イランの岩山には、ひざまずくローマ皇帝のすがたをほった絵が残っているんだ。
これ知ってる? ゼノビアは「東のクレオパトラ」?
パルミラ王国の女王ゼノビアは、夫の死後、幼い子の代わりに国を治めた人。強い女王として知られていて、エジプトを治めたクレオパトラにたとえられることもあるよ。パルミラの遺跡は、シリアの砂漠に今も残っているんだ。
これ知ってる? ローマ市に城壁ができた
ローマ市は、帝国が強かった間は、新しい城壁をつくる必要がなかった。ところがアウレリアヌス帝のころ、敵がローマの近くまで来る心配が出て、新しい城壁をつくったんだ。この城壁は、今もローマの町に長く残っているよ。

ロダン先生
北から、東から、中から。この3方向のピンチを一度に乗りこえたローマの底力を、ぼくは世界一周のたびに感じるんだ。
練習問題
やさしい
- 235年から284年まで、各地の軍隊が次々と皇帝を立てた時代を何というか。
答えと解説を見る
答え:軍人皇帝時代
「3世紀の危機」ともいいます。 - 3世紀に、ローマの東の国境をおびやかした、イランに起こった国を何というか。
答えと解説を見る
答え:ササン朝ペルシア
ふつう
- 260年に、ササン朝の王にとらえられたローマ皇帝はだれか。
答えと解説を見る
答え:ウァレリアヌス帝
王はシャープール1世です。 - 軍人皇帝時代に、兵士の給料をはらうために銀貨の銀を減らしたことで、何が起きたか。
答えと解説を見る
答え:物価が上がり続けた(インフレ)
お金の価値が下がりました。
むずかしい
- 正しいか誤りか答えよ。「軍人皇帝時代には、元老院が皇帝を決め続けたため、国が安定した。」
答えと解説を見る
答え:誤り
各地の軍隊が自分たちの将軍を皇帝に立て、皇帝が次々と殺されて国は不安定になりました。 - 軍人皇帝時代にローマ帝国が混乱した原因を、2つ以上あげて、60字ほどで説明せよ。
答えと解説を見る
答えの例:北のゲルマン系の人々や東のササン朝の侵入が続き、軍隊が各地で皇帝を立てて争い、貨幣の質の低下で物価も上がったため。
「外からの攻撃」「軍隊が皇帝を立てる」の2点が入れば合格です。
「古代ローマ」の章の用語
- 共和政ローマ(世界史) ★★★★★高校受験
- パトリキとプレブス(世界史) ★★★★★
- コンスルと元老院(世界史) ★★★★★
- 護民官(世界史) ★★★★★
- 十二表法(世界史) ★★★★★
- リキニウス・セクスティウス法(世界史) ★★★★★
- ホルテンシウス法(世界史) ★★★★★
- ポエニ戦争(世界史) ★★★★★
- ハンニバル(世界史) ★★★★★
- ラティフンディア(世界史) ★★★★★
- グラックス兄弟(世界史) ★★★★★
- スパルタクスの反乱(世界史) ★★★★★
- 三頭政治(世界史) ★★★★★
- カエサル(世界史) ★★★★★
- アウグストゥス(世界史) ★★★★★高校受験
- ローマの平和(世界史) ★★★★★
- 五賢帝(世界史) ★★★★★
- カラカラ帝とアントニヌス勅令(世界史) ★★★★★
- ディオクレティアヌス帝(世界史) ★★★★★
- コンスタンティヌス帝(世界史) ★★★★★
- ミラノ勅令(世界史) ★★★★★
- ニケーア公会議(世界史) ★★★★★
- テオドシウス帝(世界史) ★★★★★高校受験
- コロナトゥス(世界史) ★★★★★
この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。
← 前の語:カラカラ帝とアントニヌス勅令(世界史) | 次の語:ディオクレティアヌス帝(世界史) →
あわせて読みたい(合格大作戦の記事)
- 世界史の勉強法【基礎編】教科書・一問一答・用語集など最初の5冊の使い方
用語集の使い方もここに - 世界史の勉強法その2【共通テスト対策】
共通テストの世界史探究 - 世界史の勉強法(私大・2次試験編)過去問の使い方と論述の書き方
東大・京大・早慶・関関同立 - ローマ数字一覧表(1〜3000)と書き方の法則
古代ローマの数字
よくある質問
軍人皇帝時代とは何ですか?
235年から284年までの約50年間、各地の軍隊が自分たちの将軍を皇帝に立てて争い、皇帝が次々と入れかわったローマ帝国の混乱の時代です。「3世紀の危機」ともいいます。
軍人皇帝時代はいつからいつまでですか?
235年から284年までです。235年にセウェルス朝の最後の皇帝が兵士に殺されて始まり、284年にディオクレティアヌスが皇帝になって終わります。
なぜ軍人皇帝時代は起きたのですか?
おもな原因は2つです。北のゲルマン系の人々と東のササン朝ペルシアが攻めてきたこと、そして軍隊が皇帝を決める力を持つようになったことです。物価の上昇や疫病も混乱を大きくしました。
軍人皇帝時代に皇帝は何人いましたか?
はっきりした数は数え方によります。約50年のあいだに20人以上が皇帝を名のり、その多くが戦いや、味方の兵士によって殺されました。
ウァレリアヌス帝に何が起きましたか?
260年に、ササン朝ペルシアの王シャープール1世との戦いで、ローマ皇帝ウァレリアヌスがとらえられました。ローマ皇帝が敵に生きたままとらえられた大事件です。
ガリア帝国・パルミラ王国とは何ですか?
ローマの混乱のなかで分かれ出た国です。ガリア帝国は260〜274年に西の地域を治め、パルミラ王国は東方の広い地域を治めました。アウレリアヌス帝が倒して帝国を再統一しました。
軍人皇帝時代に経済はどうなりましたか?
兵士の給料をはらうために銀貨の銀を減らしたので、物価が上がり続けました。戦乱や疫病で町はおとろえ、人々は農村の大きな屋敷へ移っていきました。
軍人皇帝時代は、どのように終わりましたか?
284年にディオクレティアヌスが皇帝になり、帝国を立て直しました。皇帝の力を強め、帝国を分けて治める四帝分治制を始めます。
軍人皇帝時代は英語で何といいますか?
Crisis of the Third Century(3世紀の危機)、または the Soldier Emperors(軍人皇帝)です。
軍人皇帝時代は入試でどう出ますか?
共通テストでは、軍隊が皇帝を立てたこと、ササン朝との戦い、年代(235〜284)が問われます。論述では、危機の原因と、ディオクレティアヌスの改革へのつながりを説明させる問題が考えられます。
あわせて読みたい
出典・参考
- 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦


