世界史用語集 › 第3章 古代ローマ
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ホルテンシウス法ほるてんしうすほう
重要度 ★★★★★ (★は合格大作戦の目安)
ひとことで言うと
ホルテンシウス法とは、前287年に定められた、平民会の決議が元老院の承認なしで国法になる法です。これでローマの貴族と平民は法のうえで対等になり、約200年続いた身分闘争が終わったとされます。
| 読み方 | ほるてんしうすほう |
|---|---|
| 英語 | Lex Hortensia(ホルテンシウス法) |
| 時代 | 前287年(前3世紀はじめ) |
| 地域 | ローマ |
| 章 | 第3章 古代ローマ |
| いつ | 前287年(前286年とする説もあり) |
| だれが | 独裁官クィントゥス=ホルテンシウス |
| 内容 | 平民会の決議が、元老院の承認なしで国法になる |
| いっしょに覚える | 護民官・十二表法・リキニウス・セクスティウス法・身分闘争 |
このページのポイント
- ホルテンシウス法は、前287年に独裁官ホルテンシウスが定めた。平民会の決議が国法になる。
- 護民官 → 十二表法 → リキニウス・セクスティウス法 → ホルテンシウス法の順に、平民の権利が広がった。
- 法のうえでは対等でも、新貴族(ノビレス)が元老院を中心に政治を動かし、貧富の差は残った。
ホルテンシウス法をやさしく言うと
ホルテンシウス法は、前287年に、平民会(へいみんかい)が決めたことが、そのままローマ全体の法律になると定めた法です。これで、ローマの貴族(パトリキ)と平民(プレブス)が、法のうえでは対等になりました。長い貴族と平民の身分闘争は、ここでいちおうの終わりを迎えます。
たとえるなら、学校の「生徒会」と「先生の会議」の関係です。生徒会が決めたことは、これまで先生の会議が「いいよ」と言わない限り、学校のルールになりませんでした。ホルテンシウス法は、「生徒会が決めたら、先生の許可がなくても学校全体のルールにする」と決めた法律です。生徒の力が、先生と同じ重さになったわけです。
この法を作ったのは、独裁官(どくさいかん)クィントゥス=ホルテンシウスです。独裁官は、国に大きな危機があるときに、半年だけ決まった権限を与えられる臨時の役職でした(コンスルと元老院のしくみ)。
エンリケくん
平民会って、貴族は入れないんですか?
ロダン先生
そうなんだ。平民会は平民だけの集まりで、護民官が議長をする。貴族は参加できない。そこで決めたことが、貴族も従う国法になった。これが大きな変化だよ。
エンリケくん
じゃあ、平民のほうが強くなったんですか?
ロダン先生
そこは次の「流れ」で話すね。法のうえでは対等だけど、実際には別の形の力の差ができていくんだ。
ホルテンシウス法のくわしい流れ(原因・経過・結果)
① 原因:ローマ共和政は貴族が握っていた
前509年ごろ、ローマは王をおい出して共和政ローマになったと伝えられます(この年代は伝承です)。しかし、政治の権力を握ったのは、古くからの名門であるパトリキ(貴族)でした。コンスル(執政官)などの高い役職も、元老院の議員も、ほとんどがパトリキです。
いっぽう、平民(プレブス)は、農民・職人・商人などです。平民も、戦争になると重装歩兵としてローマの軍隊を支えていました。国を守る役目は同じなのに、政治に口出しできない。この不満が、身分闘争の原因でした。さらに、戦争で畑を荒らされた平民農民が、貴族から借金をして返せず、債務奴隷(さいむどれい)になる問題もありました。
② 経過:平民が少しずつ権利を手に入れた
平民は、ただ文句を言ったのではありません。「みんなで軍隊から抜ける(ストライキ)」という方法で貴族に要求しました。軍隊は平民が主力なので、抜けられるとローマは外敵と戦えません。伝承では、前494年に平民がローマの郊外の聖山にたてこもり、これをきっかけに平民を守る役職、護民官(ごみんかん)ができたとされます。この話には諸説あり、年代も伝承のかたちで伝わっています。
その後の主な成果を、順に並べます。
- 護民官の設置(前494ごろ):平民を貴族の不当な扱いから守る。貴族の決定に拒否権を行使できた。
- 十二表法(前450ごろ):それまで貴族が口づたえで扱っていた慣習法が、文字にされた。法がだれにでも見えるようになり、貴族が好き勝手に解釈しにくくなった。
- 貴族と平民の通婚を認める法(前445ごろ):カヌレイウス法と呼ばれます。身分をこえた結婚ができるようになった。
- リキニウス・セクスティウス法(前367):コンスルの1人は平民から選ぶことが決まった。公有地を1人が占めてよい広さにも上限がついた。
前4世紀なかば以降は、平民も、独裁官・監察官・法務官などの高い役職につけるようになりました。しかし、平民会の決めたことが国法になるかどうかは、まだ元老院の承認しだいでした。これが、最後に残った壁です。
③ ホルテンシウス法の制定(前287年)
前287年ごろ、債務の問題などをめぐって、平民がまた大きな不満を示したと伝えられます。このとき、独裁官に任命されたホルテンシウスが、平民会の決議は、元老院の承認がなくても、全ローマ市民を縛る国法とするという法を作りました。これがホルテンシウス法です。年代には前286年とする説もあり、細かい事情は、古代の記録が少ないので、はっきり分かっていないことも多いのです。
この法で、平民会は「平民だけの集まり」から、国の法をつくる正式な民会のひとつになりました。護民官は、その議長として、法案を出せる強い立場になります。
④ 結果:法のうえの平等、でも新しい「名門」ができた
身分闘争は、これで終わったとされます。ただ、その結果、すべての平民が貴族と同じ力を持つようになったわけではありません。
- 平民のうち、裕福で、コンスルなど高い役職についた家は、昔からの貴族と結びついて新貴族(ノビレス)と呼ばれる、新しい支配層をつくった。
- ノビレスは、元老院を中心に、官職を独占する寡頭的(かとうてき)な共和政をつくった。「少数の名門が政治を動かす」しくみです。
- いっぽう、戦争で畑を失った中小の農民は、数が減っていき、のちのグラックス兄弟の改革につながる問題になる。
つまり、ホルテンシウス法は「身分のちがいによる不平等をなくした」だけで、「貧富の差をなくした」わけではありません。ローマは、このあとポエニ戦争などの対外戦争で、領土を急に広げていきます。

ロダン先生
共和政のはじめから前287年まで、200年以上かけて平民の権利が広がったんだ。「一度に変えず、少しずつ変えた」のがローマらしいところだよ。
年表と制度で見るホルテンシウス法
ローマの身分闘争は、ギリシャのアテネとくらべると、ゆっくりした進み方でした。アテネは、ソロンの改革・クレイステネスの改革・アテネの民主政という流れで、前5世紀に直接民主政に進みます。ローマは、平民の代表者である護民官が、貴族に抗議する形で権利を広げていきました。
| アテネ(民主政) | ローマ(共和政) | |
|---|---|---|
| 政治の中心 | 民会(成年男性の市民全員) | 元老院とコンスル、民会 |
| 平民の力の出し方 | 数の力で民会が決める | 護民官・平民会を通して要求 |
| 身分の問題 | 財産による区分(ソロン)から全員参加へ | パトリキとプレブスの区別が長く続く |
| 権利の広げ方 | 改革で一気に進む | 200年かけて少しずつ |
整理:ホルテンシウス法のねらいと意味
いつ:前287年 だれが:独裁官ホルテンシウス 何を:平民会の決議が、元老院の承認なしで国法になる 意味:身分闘争の終結。法のうえでパトリキとプレブスが対等になった。
ホルテンシウス法と関係する人物・用語
| 用語 | ホルテンシウス法との関係 |
|---|---|
| パトリキとプレブス | 貴族と平民。この2つの身分の争いが身分闘争 |
| 護民官(ごみんかん) | 平民会の議長。平民を守る役職 |
| 十二表法 | ローマ最初の成文法。身分闘争の成果のひとつ |
| リキニウス・セクスティウス法 | コンスルの1人は平民から。ホルテンシウス法の前の大きな法 |
| コンスルと元老院 | 貴族だけの役職だったが、平民にも開かれた |
| 共和政ローマ | ホルテンシウス法は共和政の完成の区切り |
| グラックス兄弟 | 身分の平等のあとに残った「貧富の差」の問題に挑んだ |
ローマの数字や年号の書き方を知りたい人は、ローマ数字の一覧表と書き方の法則も見てください。「前287年」のように年号を数字で書くとき、ローマ数字の読み方を知っていると便利です。
サクラちゃん
ホルテンシウスって、有名な弁論家の人と同じ人ですか?
ロダン先生
いい質問だね。ホルテンシウスという名前の人は何人かいる。法を作った独裁官は前287年の人。キケロと争った有名な弁論家は前1世紀の別人なんだ。名前が同じでも、時代がまったくちがうから注意してね。
ホルテンシウス法でまちがえやすい点
まちがえやすい点
- リキニウス・セクスティウス法と順番を逆にする:コンスルの1人を平民から出す法(前367)が先、平民会の決議を国法にする法(前287)があと。
- 十二表法と混ぜる:十二表法(前450ごろ)は「法を文字にした」もの。「平民会が国法をつくる」のはホルテンシウス法。
- 「平民が貴族より強くなった」と思う:法のうえで対等になっただけ。実際は新貴族(ノビレス)が元老院を中心に政治を動かした。
- 平民会とケントゥリア民会を同じにする:平民会は平民だけの集まりで護民官が議長。ケントゥリア民会は兵役の財産区分で投票する別の民会。
- 身分闘争のあとでローマが民主政になったと思う:ローマは民主政ではなく、元老院が中心の共和政のままだった。
入試ではこう出る
- 共通テスト:ホルテンシウス法の内容(平民会の決議が国法になる)を、リキニウス・セクスティウス法や十二表法とくらべる正誤問題がよく問われます。年代の順に並べる問題もあります。
- 国公立の2次・論述:「身分闘争の経過」を、護民官の設置 → 十二表法 → リキニウス・セクスティウス法 → ホルテンシウス法の順で説明する問題。その結果として、新貴族(ノビレス)ができたことまで書けると強いです。
- 私大:ホルテンシウス法・リキニウス・セクスティウス法・十二表法の名前と内容を結びつける問題や、「平民会」「護民官」のことばを答える問題。
勉強の進め方は世界史の勉強法【共通テスト対策】、論述の書き方は世界史の論述の書き方(私大・2次試験編)を見てください。
ロダン先生の「これ知ってる?」
これ知ってる? ストライキの元祖? 聖山事件
平民が軍隊から抜けて山にたてこもった話は、ストライキの元祖といわれることがあるんだ。伝承では、ローマの元老院が使者を送り、「体の部分が助け合わないと全体がだめになる」というたとえ話で説得したと伝わっている。ただ、これは後の時代の語り伝えで、事実かどうかはわからない部分もあるよ。
これ知ってる? 「民主主義の国」じゃなかったローマ
身分闘争が終わっても、ローマは「民主政」とはよばないんだ。官職は一部の名門が独占して、元老院が実際の力を握った。それでもローマが長く続いたのは、新しい力を持つ人を、少しずつ政治の仲間に入れていく柔軟さがあったからだと説明されるよ。

ロダン先生
ホルテンシウス法は、法のうえの対等を実現した大事な一歩。でも、そのあとの「貧富の差」が次の事件を生むんだ。グラックス兄弟のところで続きを読んでね。
練習問題
やさしい
- 前287年に、平民会の決議が国法になると定めた法を何というか。
答えと解説を見る
答え:ホルテンシウス法
独裁官ホルテンシウスが制定したとされます。 - 平民を貴族から守るためにおかれた、ローマの役職を何というか。
答えと解説を見る
答え:護民官
平民会の議長もつとめました。
ふつう
- 次の3つの法を、古い順に並べよ。ア ホルテンシウス法 イ 十二表法 ウ リキニウス・セクスティウス法
答えと解説を見る
答え:イ → ウ → ア
十二表法(前450ごろ)→ リキニウス・セクスティウス法(前367)→ ホルテンシウス法(前287)です。 - リキニウス・セクスティウス法で決まったことのひとつを書け。
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答えの例:コンスルの1人は平民から選ぶ
公有地の占有に上限をつけたことも決まりました。
むずかしい
- 正しいか誤りか答えよ。「ホルテンシウス法によって、ローマの貴族と平民の貧富の差はなくなり、すべての市民が平等な暮らしを送れるようになった。」
答えと解説を見る
答え:誤り
法のうえでの身分の差はなくなりましたが、貧富の差は残りました。裕福な平民は新貴族(ノビレス)となり、土地を失う中小の農民との差は、むしろ広がりました。 - ホルテンシウス法の内容と、それがローマの政治に与えた影響を、80字ほどで説明せよ。
答えと解説を見る
答えの例:平民会の決議が元老院の承認なしで全市民を縛る国法となり、貴族と平民は法のうえで対等になった。しかし新貴族が官職を独占し、元老院中心の寡頭的な政治が続いた。(87字)
「平民会の決議が国法」「法のうえで対等」と、「新貴族(ノビレス)が政治を動かした」の2点が入れば合格です。
「古代ローマ」の章の用語
- 共和政ローマ(世界史) ★★★★★高校受験
- パトリキとプレブス(世界史) ★★★★★
- コンスルと元老院(世界史) ★★★★★
- 護民官(世界史) ★★★★★
- 十二表法(世界史) ★★★★★
- リキニウス・セクスティウス法(世界史) ★★★★★
- ポエニ戦争(世界史) ★★★★★
- ハンニバル(世界史) ★★★★★
- ラティフンディア(世界史) ★★★★★
- グラックス兄弟(世界史) ★★★★★
- スパルタクスの反乱(世界史) ★★★★★
- 三頭政治(世界史) ★★★★★
- カエサル(世界史) ★★★★★
- アウグストゥス(世界史) ★★★★★高校受験
- ローマの平和(世界史) ★★★★★
- 五賢帝(世界史) ★★★★★
- カラカラ帝とアントニヌス勅令(世界史) ★★★★★
- 軍人皇帝時代(世界史) ★★★★★
- ディオクレティアヌス帝(世界史) ★★★★★
- コンスタンティヌス帝(世界史) ★★★★★
- ミラノ勅令(世界史) ★★★★★
- ニケーア公会議(世界史) ★★★★★
- テオドシウス帝(世界史) ★★★★★高校受験
- コロナトゥス(世界史) ★★★★★
この章の流れは古代ローマの年表(国と王朝の帯図・同じころの日本つき)で、年の順に確かめられます。
← 前の語:リキニウス・セクスティウス法(世界史) | 次の語:ポエニ戦争(世界史) →
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古代ローマの数字
よくある質問
ホルテンシウス法とは何ですか?
ホルテンシウス法とは、前287年に独裁官ホルテンシウスが定めた、平民会の決議が元老院の承認なしで全市民に通用する国法になるという法です。ローマの身分闘争の終わりとされます。
ホルテンシウス法はいつ、だれが作りましたか?
前287年に、独裁官クィントゥス=ホルテンシウスが作ったとされます。年代は前286年とする説もあります。
ホルテンシウス法はなぜできたのですか?
平民が重装歩兵としてローマを支えているのに、政治では貴族に押さえられていたからです。債務の問題などで平民が強く不満を示し、身分闘争の最後の区切りとして法が作られたと説明されます。
ホルテンシウス法で何が変わりましたか?
平民会の決議が、元老院の承認がなくても国法になりました。貴族もその法に従うことになり、平民と貴族が法のうえで対等になりました。
平民会とはどんな集まりですか?
平民だけが参加する民会で、護民官が議長をつとめます。ホルテンシウス法のあと、ここで決めたことが国の法律になりました。
ホルテンシウス法とリキニウス・セクスティウス法のちがいは何ですか?
リキニウス・セクスティウス法(前367)は、コンスルの1人を平民から選ぶと決めた法です。ホルテンシウス法(前287)は、平民会の決議を国法にする法です。年代はリキニウス・セクスティウス法のほうが先です。
ホルテンシウス法のあと、ローマはどうなりましたか?
新貴族(ノビレス)が元老院を中心に官職を独占する、寡頭的な共和政が続きました。ローマは対外戦争で領土を広げ、貧富の差が大きくなってグラックス兄弟の改革につながりました。
ホルテンシウス法は英語で何といいますか?
Lex Hortensia(レクス・ホルテンシア)です。lex はラテン語で「法」という意味です。
ホルテンシウス法は入試でどう出ますか?
共通テストでは、十二表法・リキニウス・セクスティウス法とあわせた正誤問題や年代の並べかえがよく問われます。2次の論述では、身分闘争の流れとその結果を説明させる問題が出ます。
あわせて読みたい
出典・参考
- 高校「世界史探究」の教科書の一般的な記述
- リウィウス『ローマ建国史』(身分闘争の伝承)
最終更新:2026年11月3日/作成:大学受験合格大作戦


